広島カープブログ

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    あるぞ、島内1軍キャンプ! 広島畝投手コーチが新人合同自主トレを初視察し、ドラフト2位・島内颯太郎投手(22=九州共立大)の調整具合に太鼓判を押した。



    キャッチボールを見守り「フォロースルーがマエケン(ドジャース前田)みたい」と高評価。1、2軍振り分けについては「分からない」としたが、17日のスタッフ会議で抜てきされる期待が高まった。島内も「1軍でやりたい」と意気込んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00445603-nksports-base

    広島ドラフト5位・田中法彦投手(18=菰野)が、新人一番乗りでブルペン入りした。

    トレードマークの濃いまゆ毛ばかり目立っていたが、野球でもアピール。大野練習場の屋外で立ち投げし、ストレートを約30球投じた。「7割くらいで投げました。久しぶりなんで、指にかかったり抜けたりした」と苦笑い。畝投手コーチは「いい球を投げていた。しっかり体もつくれていた」と話した。





    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00445624-nksports-base

     広島球団初の200勝投手で野球解説者の北別府学氏が13日、自身のブログを更新し、広島・岡田明丈投手の“天然”ぶりに戸惑いを隠さなかった。

     岡田は12日放送のTBS系「ジョブチューン『超一流プロ野球選手はスゴい!だけじゃなくこんなに面白かったんだ!』SP!!」に出演。ドラフト1位指名時の会見で広島の印象を問われて「あんまり野球を見ないので分からないです」と返答した岡田は、現在も「球場にOBが来られている時も全然知らないので、スルーしてしまう」と衝撃の告白。カープの有名OB5人の写真を見せられたが、その内3人の名前しか言い当てられず、北別府氏については目を泳がせながら何も答えられなかった。

     これを知った北別府氏は一夜明けた13日、「岡田選手、球場でよく話をしていますが、もしかしてだけど、誰かわからず話をしていた???」と、さすがに驚いた様子だった。

     それでも「天然な選手だと思っていたよ。このまま、周りに気を遣わずマイペースで勝ち星を重ねてくれたらそれで良い」と、野球選手としてはプラスに働くとしてポジティブにとらえたものの、「しかしね、今度私をわかって話をしているか取材しながら探りを入れてみましょうかね」と腑に落ちないようだった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000107-dal-base

    平成の記録を不定期で振り返る4回目は、三振を取り上げます。1993年(平5)にブライアント(近鉄)が史上初の200三振を喫し、98年には石井一久(ヤクルト)が奪三振率11・05の新記録をマーク。平成のプロ野球は三振が増えました。

         ◇   ◇

    昭和時代にプロ野球は3万6682試合行われ、三振が34万1595個。両軍合わせた1試合平均の三振数は9・3個だった。これが平成時代は2万4867試合で33万1768三振となり、1試合平均は13・3個に増えた。奪三振率で計算すると、昭和の4・69から平成は6・73へアップした。シーズン三振のチーム最多記録は14年西武の1234個で、シーズン奪三振のチーム最多記録は10年ソフトバンクの1244個。昭和時代は三振、奪三振が1000の大台を超えるチームがなかった。

    シーズン奪三振の上位は300イニング以上投げていた昭和時代の投手だが、奪三振率は10傑のうち9人が平成時代。奪三振率9・00以上は昭和時代の9人から68人に増え、68年江夏しかいなかった奪三振率10・00以上は、平成に入って17人がマークした。投手の記録は昭和時代のものが多く残っているが、奪三振に関しては95年野田(オリックス)の1試合19奪三振、90年野茂(近鉄)のシーズン21度の2桁奪三振、17年則本(楽天)の8試合連続2桁奪三振など、平成時代に記録が更新された。

    打者のシーズン三振記録は平成時代の選手が上位を独占。100傑に昭和時代の選手は5人しかいない。日本人選手のランキングでは、1位の04年岩村(ヤクルト)から36位の11年中田(日本ハム)まで平成の選手だ。シーズン100三振以上は昭和時代の73人から平成時代は461人と、6倍以上に増えた。

    投手側から考えられる三振増の要因は変化球と分業制。昭和時代の変化球はタイミングを外すカーブと打球を詰まらせるシュートが中心だったが、現在は空振りを奪うフォーク、スライダー系が全盛。速球だけでなく、変化球で空振りさせる時代になった。加えて分業制により、短いイニングを全力で投げることが三振増につながった。

    打者側からは、意識の変化が大きいかもしれない。川上(巨人)や張本(ロッテ)に代表されるように、昭和時代は三振が少ないことが好打者の条件だった。追い込まれたら何とかバットに当てようとしたが、最近は強く振ることが重要で三振でも内野ゴロでもアウトは同じと考える打者が多くなった。打者が三振を気にしなくなった結果、三振の多い3割打者が続々誕生。昭和時代にはわずか6人だった100三振以上の3割打者が、平成時代は90人いる。柳田(ソフトバンク)は15年に101三振、18年に105三振で首位打者を獲得するなど、昭和時代にはいなかった100三振の首位打者も生まれた。【伊藤友一】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00443702-nksports-base

     2007年師走。夕暮れ時だった。西武新宿線・新狭山駅の改札口。寒風吹きすさぶ中、私は1台の車を待っていた。「新春ドラフト特集」の準備のため、ホンダの強打者・長野久義の取材に訪れていたのだ。

     合宿所の最寄り駅には、マネジャーさんが迎えに来てくれる予定だった。ホンダのワゴン車が止まり、運転席から日焼けした若者が出てきた。

     「報知の記者さん、ですよね。遠路はるばる、ありがとうございます」

     驚いた。長野本人だった。「すいません。マネジャーが急用で」。23歳は自らハンドルを握り、合宿所へと招き入れてくれた。

     応接室で二人。「缶コーヒーしかないんですけど…」。ありがとう。ごちそうになります。「加藤さん、いい時計していますね」。実は2年前、冬のボーナスを全部ブッ込んで買った自慢のアイテム。うれしくなった。初対面なのに、話は弾んだ。気配りができる男。私は長野が好きになった。

     あの日から11年の歳月が経つ。09年ドラフト1位で巨人に入団した長野は、10年に新人王、11年に首位打者、12年に最多安打のタイトルを獲得。中心打者として12年からのリーグ3連覇に貢献した。昨季は116試合に出場し、打率2割9分、13本塁打、52打点の成績を残した。

     しかし、長野が成し遂げてきた「仕事」はこれらのバットが生み出したものだけではない。チームが一つになるため、勝つために、ずっと心遣いを重ねてきた。中でも期待と不安を胸に海を越えて日本にやってきた、助っ人たちへの配慮は特筆に値するだろう。

     マシソンはかつて、こんな話をしてくれた。

     「珍しい人だね。あれだけすごい選手なのに、みんなに気を遣ってくれるんだ。僕が来日して間もない時も、言葉の壁を越え、真っ先に自己紹介してくれたんだよ」

     14年から3年間、巨人でプレーしたアンダーソンは言った。

     「長野さんは僕が今まで出会った中で一番、心が清らかで、温かい人だよ」

     長野の新天地は広島に決まった。快活で謙虚な人柄だけに、カープでもナインやファンに愛される存在となることは間違いない。

     そして今後の巨人には、長野が長年務めてきた「数値化されないファインプレー」を遂行できる後継者の出現が求められる。助っ人にさりげなく声をかけ、笑顔で励ます。長野の背中を見続けてきた若きG戦士の中で、誰がそのような役割を担うのか。グラウンドの内外に熱視線を送っていきたい。(野球デスク・加藤 弘士)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000116-sph-base

     広島の平岡敬人投手(23)が12日、廿日市市の大野練習場でキャッチボールやゴロ捕球などの自主トレを行った。2年目の右腕は、今春の1軍キャンプに初めて参加することが濃厚。課題とするフィールディングでアピールし、1軍生き残りを目指す。



     首脳陣が投手陣に求めるのは投球だけではない。ゴロ捕球やサインプレーなどの総合力が、開幕1軍入りへの判断基準だ。初めて春季キャンプを1軍で迎えることが濃厚な平岡の課題は守備。「それを克服して生き残りたい」と力を込めた。

     昨秋キャンプで行われた投内連係などの守備練習ではミスが目立った。ブルペンでの投球練習で評価を上げただけに悔しさが残った。同じ轍(てつ)を踏むわけにはいかない。今オフは守備への意識を高く持ち、ノックを受けている。

     「大卒だし今年が勝負の1年」。昨季は体づくりに力を入れ1軍登板はなかった。2年目の今季はその成果を示さなければならない。さらに即戦力としてドラフト2位で島内(九州共立大)が加入しライバルが増えた。強い危機感がある。

     筋力トレやランニングを継続しておりコンディションは良好。「太りやすい体質」という体も、体重はシーズンとほぼ同じ95キロ前後を維持する。「重さはない」。軽快に打球を処理できそうだ。

     昨年末、佐々岡投手コーチは若鯉に「期待している」と言った一方で、準備不足に見えた投手については、3日間しかない第1クール終了後の入れ替えを示唆した。「1日1日が勝負」と平岡。開幕1軍入りを目指し、日南のグラウンドに立つ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000032-dal-base

     【球界ここだけの話】

     広島のドラフト1位・小園海斗内野手(18)=報徳学園高=ら育成を含む新人8選手が6日、広島・廿日市市内の大野練習場に隣接する選手寮「大野寮」に入寮した。1975年のカープ初優勝時のメンバーで現在は寮長を務める道原裕幸さん(69)はルーキーに、1軍で成功する秘訣を説いた。

     「寮に入ってきた選手にまず最初に伝えるのは時間厳守と食事の大切さです。1軍で活躍するためにはご飯をたくさん食べないといけません。1軍で活躍している選手でいえば丸や菊池(涼)、最近ではアドゥワがよく食べていましたね」

     現在は球界を代表する選手に成長した丸と菊池涼もルーキー時代は今の新人選手と同じように体の線が細く、パワー不足だったが、大野寮に入って強化した。グラウンドではカープ伝統の猛練習を耐え抜き、寮では1食2000キロカロリーになる栄養満点のメニューを朝昼晩欠かさず食べて、1シーズンをフルで戦えるプロ仕様の体を作り上げた。

     道原寮長は若鯉が成長する姿を近くで見たきたからこそ「特に朝食をしっかり食べているか見ます。朝にしっかり食べない選手はうまくなりません。朝食の時間に遅れたり、ご飯を残す選手はコーチに連絡することもあります。それぐらい大事なこと」と力説する。

     新人、独身選手、ドミニカ共和国のカープアカデミー出身の練習生らが共同生活を送る同寮の献立は料理長の宮本悦夫氏が考えている。栄養バランスやカロリー計算はもちろんのこと、選手個々にアレルギーはないかをヒアリング。ときにはドミニカ共和国出身の選手のために郷土料理「ポジョギサード(鶏肉のトマト煮)」を作ったりと工夫している。

     大野寮を経て、1軍へ羽ばたいた生え抜きメンバーが次々に台頭して球団史上初のリーグ3連覇を達成したカープ。次世代を担う存在として注目を集める走攻守そろった黄金ルーキーの小園も赤ヘル式“食育”で大きく成長する。(柏村翔)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000500-sanspo-base

     2019年の幕開け早々、驚きのニュースが飛び込んだ。広島から巨人にフリーエージェント(FA)移籍した丸佳浩外野手の人的補償として、長野久義外野手が広島移籍することが発表された。この移籍、ペナントを争う敵将はどう見たか。


     DeNA・ラミレス監督はまず「長野にとっては非常に良かった。丸が加わることで出場機会が減るところだったから」と思いやった。ラミレス監督にとっては10、11年と巨人で同じユニホームを着て戦った仲間。「非常にいい選手でプロフェッショナルな選手」と力をよく知るからこそ「広島は丸がいなくなっても手強いが、長野が入ってさらにいいチームになる。今年もやるのでは、と思い直した人が多いと思う」と警戒心を強めた。

     また昨季2位だったヤクルト・小川監督も「広島は“丸が抜けた穴”という表現は適切ではなくなる。長野のポテンシャルの高さは誰もが認めるところ」と言った。昨季は自身最少の116試合出場にとどまったが、首位打者と最多安打のタイトルを獲得したこともある実力者。「環境が変わることがプラスになり、成績が上がることは十分考えられる」と大爆発する可能性にも触れた。常々、「チームとしての強さを持つ、大人のチーム」と表現するリーグ3連覇中のライバル球団に経験豊富な34歳が加わり、こちらも最大級の警戒心を抱いている。

     まもなく球春到来。「打倒・広島」を掲げるセ・リーグの各球団は、どのように立ち向かっていくのだろうか。(記者コラム・町田 利衣)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00000067-spnannex-base

     広島への電撃移籍が話題を呼んでいる長野久義選手について、妻の下平さやか・テレビ朝日アナウンサーが12日放送のAbemaTV『みのもんたのよるバズ!』内で心境を生激白した。

     有力選手の思わぬ移籍に、地元紙は号外を発行、地元テレビ局も特番を放送するなど、街を挙げての歓迎ムード。下平アナは「ありがたいこと」と話し、司会のみのもんたが5年前に広島の堂林選手と結婚したTBSの枡田絵理奈アナウンサーは結婚を機に退社、広島への移住を決断したことを挙げ、今後の生活について尋ねると「これから人事など、各所に相談して決めないといけないなって。ただ、私が引っ越したとしても彼は日本中を回ることになるので、どういう生活になるのかさっぱりわからないんです」とコメント。「でも、素敵な就職先を見つけたんです。みのさんが社長を務めるニッコクさんの広島営業所があるんですよね(笑)」と冗談も飛ばしていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00010020-abema-base

     広島は10日、長野久義外野手(34)の背番号が5に決まったと発表した。球団側は1桁の空き番号の5と9を提示。5は近年だと栗原(2006~15年)、ルナ(16年)、ペーニャ(17年)と引き継がれ、9は14年から昨年まで丸佳浩外野手(29)が背負った。鈴木球団本部長によると長野は迷わず5を選択したという。

    「(長野から)9は野間が一人前になったときにつけたらいいんじゃないかという配慮があった。5はペーニャ以来で他の人のイメージもないが、9は丸のイメージがあるからね。いい番号が空いていたということ」(鈴木本部長)

     広島の背番号9は丸以前に緒方監督がつけていた。長野から“指名”を受けた野間は「プレッシャーですね…」と遠慮しながらも「そう言ってもらっているので、そういう選手になれるように。今のところは考えていないけど、レギュラーとして出ることが大事だと思っている。9番をつけられるように頑張ります」と熱い思いを口にした。

     そんな後輩思いの長野には、チーム内から「野間のイジリ役になってほしい」との声が上がっている。野間が昨季途中からレギュラーに定着し、初めて規定打席をクリアできた裏には、昨季限りで現役を引退した新井貴浩氏(41)によるイジリがあったからだ。

     丸の離脱中には「(野間が)『丸の居場所はない』とか言っているらしい」。野間が故障から復帰した際には「『僕が戻ってきたからにはもう大丈夫』と言っていた」など、言ってもいないことをネタにした“かわいがり”だったが、根底にあったのは「将来的にカープの顔になってもらいたい」との新井氏の愛情。野間も「『打率3割を切ったらイジらない』と言われているので、これからもイジってもらえるように頑張る」と励みにしていた。それだけに「背番号のことで気遣ってくれた長野だからこそ、野間がこれからひと皮もふた皮もむけて成長できるように手助けをしてほしい」(チーム関係者)というわけだ。

     野間は緒方政権元年のドラフト1位で、背負っている37は緒方監督が入団時につけていた番号でもある。近い将来に9をゲットするためにも、競争も含めた長野の協力は欠かせない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00000033-tospoweb-base

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