広島カープブログ

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    2019年01月

     NPBでは現在、今季からプロとなる新人選手が合同自主トレに励んでいる。ドラフト1位から育成ドラフトまで指名された順位はさまざまだが、一度プロの門を叩けばスタートラインは一緒。その後の評価は、プロとして残した実績がすべてとなる。



     もちろん、球団はドラフト1位指名選手に最も大きな期待をかけるわけだが、実際に活躍する選手は、ほんの一握り。それはメジャーでも同様で、ドラフト1巡目で入団したすべての選手が活躍しているわけではない。米スポーツ専門メディア「ザ・スポーツスター」では、「12人の残念なMLBドラフト全体1位指名と、代わりに指名されるべきだった同期選手」と題した特集記事を掲載。この“不名誉”な特集の筆頭を飾ったのが、2011年から広島などでプレーした右腕ブライアン・バリントンだった。

     バリントンは2002年ドラフトで全米1位指名され、鳴り物入りでパイレーツに入団した。193センチ、95キロの大型右腕は、先発投手として期待されながら2005年9月にメジャーデビュー。だが、先発ローテに定着しないまま、2008年途中にインディアンスに移籍すると、その年のシーズン終了後にブルージェイズへ移籍。ブルージェイズでは中継ぎに転向したが、メジャーでは4試合に投げただけ。翌年はロイヤルズで先発と中継ぎで合わせて13試合に投げたが、1勝4敗、防御率6.12と冴えなかった。

     2011年から入団した広島では、先発ローテの一角として4シーズン投げ、2015年にはオリックスへ移籍。日本では通算5シーズンで124試合に先発し、45勝45敗、防御率3.25の成績を残した。

     寸評では、2002年当時のバリントンは「一流のプロスペクトだった」と高評価。チーム再建を目指したパイレーツは「球団を正しい方向に導く選手」として全米1位指名したが、中には「“安全策をとった”と考えた人もいた」と振り返る。結局、メジャーでは通算5シーズンで1勝9敗、防御率5.62で「指名失敗だった」と一刀両断。この時、全米1位指名されるべきだった選手として、球界屈指の先発投手となったザック・グリンキーの名前を挙げた。

     グリンキーは同じ年にドラフト1巡目、全体6位指名でロイヤルズ入り。2009年に16勝8敗、防御率2.16の好成績でサイ・ヤング賞を受賞すると、昨季まで11年連続で2桁勝利を記録。ブルワーズ、ドジャース、ダイヤモンドバックスと渡り歩く中で、最優秀防御率を2度、ゴールドグラブ賞5度、シルバースラッガー賞1度、球宴選出5度を果たす一流ピッチャーとなった。

     その他、全米1位で選ばれるべきだった選手として、デレク・ジーター(1992年)、ジャスティン・バーランダー(2004年)、クレイトン・カーショー(2006年)らの名前が挙がった。選手の将来性を見極めることは、やはり至難の業のようだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00282264-fullcount-base

    <ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム>

    巨人にFA移籍した丸の人的補償として、広島に長野が加わる。チームに化学反応を起こすのではないかと期待している。



    大物外野手・長野の加入を聞いた各選手は、敏感に反応した。センターの有力候補である野間は「すごい選手ですが、負けないつもりでがんばりたい」と対抗心を示した。レフトとファーストの候補だった松山は歓迎派。「いっしょにできてうれしい。チームの力になってくれる」と話し、自らが一塁に定着するのがチームの理想とまで言った。

    野間や松山の反応は、どちらもうなずける。長野がチームに刺激を与え、いい意味でざわつかせる存在であるのは間違いない。

    丸、新井、エルドレッドが抜け、大きな補強がないままシーズンに向かおうとするカープには、悲壮感が漂っていた。戦力ダウンを受け入れ、現有戦力を鍛えながらどう戦っていくかがテーマだった。だが、長野が1人加わることで空気が一変した。

    ベテランの加入は若手の成長を阻むことになり、今回の人的補償にはマイナス要素もある。だが、周りの選手を奮起させたり安心させたりの相乗効果で、チーム力が飛躍的にアップする可能性も十分ある。「チョウノーリョク」がどう機能していくか。期待をもって見守りたい。【広島担当 村野森】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00444079-nksports-base

    甲子園出場を目指し、セレクションに合格した上宮への入学に迷いはなかった。黒田が中学3年の年に、甲子園で春準優勝、夏8強に入った強豪校。自分の力を試したかった。だが、すぐに希望がしぼむほどの厳しい現実を突きつけられた。



    黒田 中学3年で練習に参加したときに、これはえらいところに来たなと思った。野球じゃなくなった。

    中学時代まで楽しくて仕方なかった野球は、そこにはなかった。野球がさかんな大阪からえりすぐりの選手たちが集まり、競争はハイレベル。中学時代までなかった上下関係の厳しさもあった。さらに練習は想像を絶する過酷さだった。

    黒田はスポーツ推薦で入ってきた新入部員の1人にすぎなかった。当時コーチだった田中秀昌(現近大野球部監督)は黒田の第一印象をこう語る。

    田中 身長は180センチ近くありましたけど、線が細くてひょろっとしていたので、上宮の厳しい練習に耐えられるか、大丈夫かな? というのがありました。

    当時の上宮は好素材の宝庫だった。3年には前年甲子園のマウンドに上がった宮田正直(のちダイエー)、2年には薮田安彦(のちロッテ)、中村豊(のち日本ハム)、市原圭、久保孝之(ともにのちダイエー)がいた。さらに同学年にも西浦克拓(のち日本ハム)、筒井壮(のち中日)、溝下進崇(のち大阪ガス)。好投手も多く、ブルペンでの球筋に衝撃を受けた。

    黒田 大阪のトップクラスの選手が集まったレベルで(自分の)力のなさに面食らったところがあった。メンタルが弱かった部分もある。

    野心を持って入学したものの、レベルの高さにあっさり心が折られた。当時から上背があり、球には力があった。1年時も練習試合では登板機会が与えられた。だが、自信を持てない弱い気持ちでは結果を残すことはできない。制球を乱し、打たれる試合が続いた。その都度、黒田は走らされた。

    当時の監督、山上烈の「走っとけ」は地獄が始まる合図だった。グラウンド外の外野フェンス沿いを走り込む。1度「走っとけ」と言われれば「いいぞ」と言われるまで走り続けなければいけないが、なかなか「いいぞ」とは言われなかった。監督やコーチ、チームメートからも見えているだけに、休むことは許されない。黒田は、部員の間で怒りのツボにはまることから「ツボる」と言われた走り込みの常連だった。

    同学年で投手と野手を兼任していた西浦と溝下は、1度も「ツボった」経験はない。溝下は当時の黒田の投球に「負ける気がしなかった」と振り返る。黒田は練習試合で登板機会が巡ってきても、同じ失敗を繰り返していた。問題は技術面だけではなかった。

    黒田 精神的にびびっていたんじゃないかと思う。練習では投げられるのに、試合では投げられないタイプだった。走らされたり、きつく叱られたりして、イップスのようになった時期もあった。

    毎日のように走らされることが次のチャンスで重荷となる。失敗できないというプレッシャーに襲われ、負の連鎖から抜けることはできなかった。「唯一の救いだったことは、寮生活ではなかったことくらい。全体的にやるしごきはそこまで。耐えられる」。ただ、両親も黒田に厳しかった。黒田の野球人生にとって切っても切れない両親の厳しさが、今も上宮に残る伝説を生むことになる。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月14日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190110-00435964-nksports-base

     広島は17日、マツダスタジアム内で1、2軍首脳陣の合同スタッフ会議を開き、ドラフト1位・小園海斗内野手(18)=報徳学園高=の1軍日南キャンプ帯同を決めた。

     高ヘッドコーチが「例年に比べ、会議の時期が早いので、何があるか分からない」と説明したように、正式な発表は来週となる見込みだが、高卒野手の抜てきは極めて異例だ。また同2位の島内颯太郎投手(22)=九州共立大=、同6位の正随(しょうずい)優弥外野手(22)=亜大=もメンバーに入った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000131-sph-base

     広島は16日、大瀬良大地投手(27)が今季開幕までに結婚すると発表した。お相手は、広島市出身で同市を中心に活動するタレントの浅田真由(28)。約2年の交際を経て昨年のクリスマスにプロポーズしたという大瀬良は、マツダスタジアムで自主トレ後、「家族もできるので、これまで以上に自覚と責任を持ってやりたい。いい時も悪い時もサポートしてくれた。特にうまくいかないときに悔しさを共有してくれて、次に頑張ろうと思えた」と話した。

    【写真】広島・高橋大、岐阜出身スレンダー美女との結婚報告

     浅田も自身のインスタグラムを更新。「今出演している番組などを、引き続き責任持ってやらせていただきます」と、仕事を続けながら大瀬良を支える意向を示した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000060-sph-base

     広島市のMSH医療専門学校男子野球部の野手総合コーチを務める鈴木将光さん(31)と、同校女子野球部監督の野々村(鈴木)聡子さん(31)は、2人が元プロ野球選手という夫婦だ。

     鈴木さんは2005年度高校生ドラフト1位で広島に外野手として入団。15年オフに戦力外通告を受けた。10年間で通算2安打のプロ生活を「ケガに始まってケガに終わったんで悔いが残っています」と振り返った。第二の人生は「体について勉強しようかなと思った」と16年春から鍼灸(しんきゅう)師を目指し、専門学校の夜間課程に入学した。

     野々村監督は日本女子プロ野球機構初年度の10年から兵庫で2年間プレー。退団後はMSH医療専門学校に入学し柔道整復師の資格を取得するとともに、女子硬式野球部設立に尽力した。卒業後は同校の教壇に立ちながら初代監督として指揮を執っている。

     2人は鈴木さんが現役時代の14年から交際し、16年暮れに結婚。その縁もあって18年春から鈴木さんが男子野球部のコーチに就任した。夫婦そろって同じ学校の男女野球部を指導するが、鈴木さんは「練習場も違うし、一緒に教えているという感じはないです」と言う。2月に鍼灸師の国家試験があるため、午前中は自宅で勉強。午後から野球部の指導、そして夜は専門学校で授業を受け、帰宅は午後10時を過ぎる。野々村監督は午前中は教壇に立ち、午後は野球部の指導、夜は勉学に励む夫の帰りを待つ“すれ違い生活”が続いている。

     それでも2人は野球を通じて心を一つに結婚生活を送る。鈴木さんが「コーチングとか選手の性格などを聞く」と言えば、野々村監督は「NPBという頂点で野球をしてきた人なので、野球全般的に聞きます。教え方や技術的なことなど」と言う。将来について鈴木さんは「最終的には治療院を出して野球塾を開きたい。オフはプロ野球選手の練習も手伝いたい」と語った。そばで野々村監督は「柔道整復師の資格もありますし、主人を手伝えたらいい。女子野球にも携わっていけたらと思います」。現役生活を終えても夫婦で野球を追い掛ける人生は、楽しそうだった。(デイリースポーツ・岩本 隆)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190115-00000044-dal-base

     広島は11日、広島市内のマツダスタジアムで今年最初のスカウト会議を開いた。高校、大学、社会人の全ての年代を確認し、224人をリストアップした。

     最速157キロ右腕で、“大谷2世”との呼び声が高い大船渡・佐々木朗希投手(2年)や昨秋の明治神宮大会で準優勝に導いた星稜・奥川恭伸投手(2年)、横浜・及川雅貴投手(2年)、創志学園・西純矢投手(2年)、日大三・井上広輝投手(2年)、木更津総合・根本太一投手(2年)に加え、大学生では明大・森下暢仁投手(3年)の映像をチェックした。

     会議を終えた苑田スカウト統括部長は「今年は高校生に良い投手が多い」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00000050-dal-base

    名物トレの洗礼!? 広島東出打撃コーチが、新加入長野をキャンプの名物メニューで歓迎すると宣言した。

    「長野にもやってもらうよ。キャンプに参加しているなら当然。免除はない」と言ったのは、各クール最終日に横並びで一斉に行うロングティーのことだ。1人1かご約300球で、緒方監督がトス役の場合は400球以上になることもある。疲労が蓄積した下半身の力を使わなければ飛距離が出ず、選手は最後の力を振り絞るようにバットを振る。若手でも悲鳴に似た声を上げながらバットを振り、全て打ち終わると、その場に倒れ込むこともある。

    長野には全体練習の一部免除はあっても、名物メニューは免除なし。その体に広島流をたたき込んでもらうつもりだ。まずは2月3日の第1クール最終日に広島キャンプの洗礼を浴びることになる。この日は大野練習場での合同自主トレを視察した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00448898-nksports-base

    菊池涼との合同自主トレに臨んだ10年目の広島庄司隼人内野手(27)は、1軍定着への思いを語った。

    昨年は5月17日中日戦、6月9日楽天戦に7番サードで先発したが、いずれも無安打に終わっている。「初スタメンをいただいて、大チャンスだったのに『Hランプ』をともせなかった。どんな形でもいいからヒットを打って、それをつなげていかないと」。キャンプ初日から猛アピールする。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00446726-nksports-base

     2018年、圧倒的な強さを見せて世界一に輝いたレッドソックス。レギュラーシーズン108勝(54敗)を挙げた最強軍団の中でキーマンの一人となったのが、ライアン・ブレイシア投手だ。メジャーで目立った実績はなく、2017年にプレーした広島も1年で自由契約となった右腕をレッドソックスはなぜ獲得したのか。ボストンの地元ラジオ局「WEEI」の電子版が特集している。


     ブレイシアは2013年にエンゼルスでメジャーデビューを果たし、7試合登板で防御率2.00という成績を残したものの、その後はマイナー生活に。2017年に広島に加入したが、26試合登板で2勝1敗1セーブ2ホールド、防御率3.00という成績で1年で自由契約となった。そんな右腕を昨オフにマイナー契約で獲得したのが、レッドソックスだった。

    「レッドソックスがクローザー候補を発掘した1周年記念」とのタイトルで特集を掲載した「WEEI」では、レッドソックスのスカウトを務めるスティーブ・ペック氏への取材から、当時を振り返っている。

     1年前、フロントオフィスから視察するためにブレイシアの名前を聞かされたペック氏は、その名前をしっかり覚えていたという。取材に対して、同氏は「2、3年前に彼がエンゼルスにいる時に見たことがあった。彼が日本に行き、広島にいる間は見ていなかったが、チェックはしていた。彼のことを知っていたし、見に行きたいと思った」と話している。レッドソックスがブレイシアに興味を持ったきっかけは、本人からファームディレクターに直接送られたメールだったという。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00280878-fullcount-base

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