広島カープブログ

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    栗原健太

     J2の名古屋は7日、FW佐藤寿人(35)が9日にナゴヤドームで行われるプロ野球、中日・広島戦の始球式に登板すると発表した。佐藤は2005年から16年まで広島に在籍。今季から名古屋に移籍した。

     佐藤はクラブを通じ「サンフレッチェに所属していた2009年にカープの試合で一度、始球式をさせていただいたことがあります。そのときの相手もドラゴンズで、バッターボックスには井端さん(弘和、現巨人1軍内野守備走塁コーチ)が立っていらっしゃいました。今回は、ナゴヤドームでカープを相手にこのような始球式の機会をいただき本当に嬉しくおもいます。前回は緊張してバッターボックスまでがすごく遠く感じたので、今回はきちんと肩を作ってしっかり投げたいと思います」とコメントした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170807-00000084-sph-socc

     ◇決断2016ユニホームを脱いだ男たち=楽天・栗原健太内野手(34)

     すがすがしい笑顔だった。10月1日、コボスタ宮城で行われた引退会見。栗原はハキハキとした口調で引退理由を口にした。

     「今年一年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、この辺が引き際かなと思った。自分の思うようなバッティングができなくなった」

     99年ドラフト3位で広島に入団すると、球界を代表するスラッガーへと成長。09年には2連覇を達成した第2回WBCの日本代表メンバーにも名を連ねた。しかし、チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたため、08、12、14年と3度の手術を余儀なくされた。ただ「一生懸命、試合や練習をした中でのケガ」と悔いはない。「手術を決断した時は“この手術で良くなる”と思ってやる。ダメだったとしても後悔しないと決断して手術に臨んだ」と覚悟の上だった。

     以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフ、自由契約を申し入れ、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた。だが、楽天でも1軍から声が掛かることはなく、ついにユニホームを脱いだ。

     選手としてもう一花咲かすことはできなかったが、この一年でコーチとしての資質は確実に芽生えた。球界屈指の長距離砲に上り詰めたのは、練習量の多さで知られる広島で育ったからこそ。楽天でも2軍の泉練習場の室内で早朝から電気もつけずバットを振り、球団職員を驚かせた。練習時間ぎりぎりまでグラウンドに姿を見せなかった若手選手に注意をしたこともある。「練習量や姿勢はカープのときと変わらずやってきた。そういうのは見せられた」と自負する。

     来季は2軍の打撃コーチに就任。11月上旬、岡山・倉敷での秋季キャンプでは早朝から日暮れまで若手選手に付きっきりで指導した。重視するのはコミュニケーション。「言ってやらせるのではなく、納得してやらせないと。感覚を押しつけるのではなく、その人の感覚になったつもりで見ている」。栄光も挫折も味わった自分だからできることがある。未来の和製大砲を育てるべく、第二の野球人生を歩みだした。 (徳原 麗奈)

     ◆栗原 健太(くりはら・けんた)1982年(昭57)1月8日、山形県生まれの34歳。日大山形では2年夏に甲子園出場。99年ドラフト3位で広島入団。11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。15年に自ら自由契約を選択し、入団テストを経て今季から楽天に加入した。通算1026試合、打率・293、153本塁打、586打点。1メートル83、97キロ。右投げ右打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161218-00000100-spnannex-base

     広島が25年ぶりにリーグ優勝を果たした今シーズン。かつてチームの低迷期を支えた4番打者・栗原健太(34)が、人知れずバットを置いた。

    「広島が優勝したことは素直に嬉しかったけど、“なんで俺がそこにいないの?”って寂しさはありました。そういう星の下に生まれたのかな(笑い)」

     2000年代の広島で右の大砲として君臨し、2008年にはキャリアハイの103打点を記録。今年、16年間過ごした広島を自由契約となり、楽天にテスト入団したが、一軍出場は叶わないまま現役引退を決めた。

    「来季は楽天の二軍の打撃コーチとして、僕が教わってきたことを若手に伝えます。広島時代の2008年、それまで4番を務めた新井(貴浩)さんが阪神に移籍し、その抜けた穴を埋めるために練習に明け暮れました。4番として2年連続フル出場しましたが、おかげで右肘がボロボロに。当時、左手の人差し指も骨折していたけど出続けた(笑い)」

     この頃に何試合か休んでいれば、現役生活は延びたかもしれない。だが当時、その選択肢はなかった。




    引用元 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-00000004-pseven-spo

     楽天の栗原健太内野手(34)が1日、コボスタ宮城で引退会見を開き「わたし、栗原健太は今シーズンをもちまして、現役引退を決めたことを報告させていただきます」と晴れやかに話した。

     栗原は昨年、広島を自由契約となり、秋季キャンプでテストを受け、楽天に加入。引退を決めた理由として「楽天に入団してから、自分の中で今年1年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、このへんが引き際。自分の思うようなバッティングができなくなった」と語った。

     家族には「いつも近くで支えてもらった。けがをしてから心配をかけた」と感謝し「復活して欲しい気持ちでいたと思う。辞めると伝えた時“一生懸命やっているのを見ていたので悔いはないよ”と言ってくれた」と話し始めると、目元を押さえ涙をこらえた。

     プロ野球生活を振り返り「悔いは本当にない」としながらも「1つあげるとしたら、リーグ優勝の経験がないこと」とぽつり。古巣・広島は今季25年ぶりにリーグ優勝を果たしたが「その中に自分がいられなかったのが残念。カープファンが待ち望んでいたことなので、自分もうれしかった」と正直な気持ちを吐露。

     それでも「イーグルスに入ってチームの力になりたいと思ってやってきた。1軍に上がることができなかったけど、皆さんよくしていただいて、良い経験になった」とこの1年を振り返った。

     会見後、球団職員から花束を受け取ると、涙は消え、最後は満面の笑み。度重なる右肘の故障に悩まされたが、栗原健太にとって野球とは問われ「小さい時に野球を始めてからずっと野球のことを考え、生活の一部だった。野球を通して色んな人と出会えた。こういう経験は中々ない。栗原健太をつくってもらった」と野球の神様に感謝の気持ちを伝えた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00000114-spnannex-base

     楽天は29日、栗原健太の現役引退を発表した。

     プロ17年目、34歳で訪れた決断の時。男は地元・東北でユニフォームを脱ぐ。


     1999年のドラフト3位で広島に入団。日大山形高時代には甲子園にも出場し、高校通算39本塁打をマーク。その恵まれた体格とパワーで将来の主砲候補として期待された。

     しかし、プロ入り後はケガとの戦いの日々。一軍デビューを果たしたのは3年目の2002年のことだった。9月にはプロ初安打となる初本塁打を藤川球児から放つなど、華々しい第一歩を踏み出したが、そのまま一軍定着とはいかなかった。

     殻を破ったのは2006年。背番号を「5」に変更したこの年に、自己最多の101試合出場で20本塁打を記録。翌年には全144試合に出場を果たし、2008年からは移籍した新井貴浩に代わって4番も務め、自身初の100打点超えとなる103打点を記録している。

     さらに、2009年にはWBCに出場して世界一メンバーにもなった。

     当初は最終で落選し、チームを離れることとなるも、村田修一の負傷でコールアップ。アメリカ行の切符を掴み、最後は歓喜の輪に入ったのだ。

     一気にスターダムを駆け上がったわけではなかったが、地道な努力で着実にステップを踏んで行った男。しかし、この後に待ち受けていた野球人生は非常に厳しく、つらいものであった。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160930-00090699-baseballk-base

     楽天・栗原健太内野手(34)が今季限りで現役を引退することが27日、分かった。すでに球団には申し入れており、近日中に発表される。同選手は1999年ドラフト3位で広島に入団。持ち味の勝負強さで通算1082安打、153本塁打、586打点を記録したが、ここ数年は度重なる故障に苦しんだ。明るい性格で誰からも愛された大砲が惜しまれつつ、ユニホームを脱ぐ。

     類いまれな勝負強さで長く広島の主砲を務め、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた男が、自らの引き際を決断した。栗原は25日の2軍のシーズン全日程終了を待ち、濃密だった17年間の現役生活に幕を下ろす決断を球団に伝えた。

     広島入団3年目の02年に1軍初出場を果たすと、着実に実績を積み重ねてレギュラーに成長。新井(現広島)が阪神移籍で抜けた08年には開幕から4番に座り、シーズン全144試合に出場し、打率・332、23本塁打、103打点を記録した。09年は第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を戦う侍ジャパンに準決勝から負傷の村田(横浜、現巨人)に代わって招集され、世界一を経験。卓越した打撃力に加え、ゴールデングラブ賞も3度獲得し、球界を代表する内野手に成長した。

     順風満帆の野球人生。しかし、生来の我慢強さが裏目に出た。チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたが、12年5月に右肘骨棘(こっきょく)の除去手術を余儀なくされた。以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフには自由契約を申し入れ、楽天にテスト入団。「拾ってくれた球団に、何としても恩返しがしたい」と話し、死力を尽くしたが、今季も1軍出場はなく、2軍でも打率・188、4本塁打、15打点に終わった。

     今後については未定。それでも、明るく裏表のない人間性や、手を抜かず全力で練習に取り組む姿勢、豊富な練習量に裏付けられた野球理論に対する周囲の評価は高い。その存在は広島のみならず、楽天の若手にも多大な影響を及ぼした。山形の実家には、いつでも打撃フォームを確認できるよう、至る所に木の棒が置いてある。信号待ちの時間に突然、真剣な表情で傘を構え、周囲を驚かせたこともある。常に頭の中には野球があった。永遠の野球少年は惜しまれつつ、完全燃焼してバットを置く。

     ◆栗原 健太(くりはら・けんた)1982年(昭57)1月8日、山形県生まれの34歳。日大山形では2年夏に甲子園出場。99年ドラフト3位で広島入団。06年にレギュラーに定着し、11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。12、14年と2度の右肘手術を受け、15年に自ら自由契約を選択。入団テストを経て楽天に移籍した。09年の第2回WBC日本代表。1メートル83、97キロ。右投げ右打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160927-00000146-spnannex-base

     器用な生き方は、できないのかもしれない。ワイルドな風ぼうと、豪快な打撃。広島時代のニックネームは「コング」だった。楽天・栗原の明るい笑顔は人を魅了する。34歳。2軍生活で真っ黒に日焼けしたベテランは、若手と一緒に必死に打球を追い、懸命にバットを振り続ける。昔も、今も。その姿はずっと変わらない。


     「チームにはすごい馴染めてます。でも…。1軍で結果を出すことで、本当の一員になれる。まだ(楽天に)入っただけ。仕事をしてないんです」。16年間在籍した広島を退団し、昨年11月にテスト入団。しかし、生まれ故郷・東北の新天地では、もどかしい日々が続く。今年3月15日。同じく新加入の今江と入れ替わりで2軍での調整に回った。その初日に、右ふくらはぎを肉離れした。

     「思った以上に治るまで時間がかかって…」。実戦復帰まで約2カ月を要した。5月12日DeNA戦(仙台市泉)に「5番・DH」で出場。同26日ヤクルト戦(戸田)では「移籍1号」となる本塁打も放った。しかし、ここまで13試合で打率・143と低迷。何とか浮上のきっかけが欲しい。もがき苦しむ中、栗原にとって「運命の週末」がやってきてしまった。

     10~12日。本拠・コボスタ宮城では広島3連戦が行われる。一方で2軍は11、12日と山形県天童市でヤクルト2連戦。そう、栗原の生まれ故郷だ。「確かにファームの試合は地元です。でも…。本当は1軍に上がってカープと、という思いは強いですね」。そして、無骨な男は続けた。「倒したいんです」――。元気な姿を、豪快な打撃をかつてのチームメートに、何より広島ファンに見せたい。そのためには、ただひたすらにバットを振るしかないのだ。

     世界一連覇を果たした09年のWBC。村田(横浜)が右大腿部を肉離れし、緊急招集されたのが栗原だった。準決勝からチームに合流して3泊5日の弾丸日程。2月の代表候補合宿では、一度は「落選」した身だった。同22日。落選通達後、一人で居残り特打を行う姿があった。その心意気を、侍ジャパンの原監督は買った。後日、指揮官は巨人の選手を集めて「あの姿勢は素晴らしい」と話して聞かせたという。

     栗原は言う。「僕にとっては、普通のことをやっただけなんです」。今も黙々と、普通のことを繰り返す。これでもかとバットを振る。一日も早く、1軍の晴れ舞台に戻るために。(鈴木 勝巳)

     広島・高橋大樹外野手(21)が25日、広島県廿日市の大野練習場で“栗原流”での2軍の4番奪取を目標に掲げた。昨季まで広島に在籍した楽天・栗原健太内野手(34)との合同練習で持ち味の長打力に磨きをかけた。「打つために入って来ている。爪痕を残さないといけない」。勝負の年。背水の覚悟で4年目シーズンに挑む。

     がっちりした下半身は一切ぶれない。冷え込んだ大野練習場の室内に快音が鳴り響いた。過去3年とは明らかに違う。高橋大は楽天・栗原との合同自主トレで打撃に磨きをかけた。

     「まずは2軍で4番を打つ。結果を残して1軍で30打席で5本塁打」。若い右の長距離砲は目標を掲げた。

     6日から19日までの2週間。大先輩と有意義な時間を過ごした。05年から08年まで広島に在籍し、昨季限りで、現役引退した山崎浩司氏(35)がコーチを務める「ブリスフィールド東大阪スポーツアカデミー」の室内練習場で共に汗を流した。

     持ち味の長打力に、より一層磨きをかけるため、2年連続で栗原に弟子入りした。体の使い方や間合いの取り方など、さまざまな助言を受けた。「我慢して右肩が出ないように注意している。今までは(腕を伸ばして)前で打っていたが(腕を)畳んで打てるようになった」

     初の試みとして、バランスボールに座ってのティー打撃に取り組んだ。「スムーズに振れるようになった。(栗原の指導は)間違いないと思ってやっている」。師匠を信頼し、練習に明け暮れた。

     「打つために(カープに)入って来ている。爪痕を残さないといけない」。今季は勝負の年。背水の覚悟で挑む4年目シーズン。1軍定着の足掛かりをつかむ。

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