広島カープブログ

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    ニュース

    菊池涼との合同自主トレに臨んだ10年目の広島庄司隼人内野手(27)は、1軍定着への思いを語った。

    昨年は5月17日中日戦、6月9日楽天戦に7番サードで先発したが、いずれも無安打に終わっている。「初スタメンをいただいて、大チャンスだったのに『Hランプ』をともせなかった。どんな形でもいいからヒットを打って、それをつなげていかないと」。キャンプ初日から猛アピールする。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00446726-nksports-base

     2018年ドラフト会議で104名(育成21名を含む)が指名され全員が入団、今季よりプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせます。指名順位が高かろうと低かろうと入団してしまえば横一線でのスタートとは言いますが、指名順位によってプロ野球選手として生き残れる年数に差が生じるものなのでしょうか。また、ポジションごとの差や、高校からの入団、大学・社会人からの入団での差はあるものなのでしょうか。そこで、1993年から2008年のドラフト会議で指名された選手がどのくらいプロ野球選手としてNPB、MLBに在籍していたかの年数を分析してみました。


     まずは1993年から1999年のドラフト会議で指名され入団した選手がどれだけの年数以上、在籍していたかを紹介します。

     1993年のドラフトで入団した選手が10年以上在籍した確率は59.4%であり、ほぼ6割の選手が10年以上プロ野球選手であり続けたことがわかります。そして15年以上の在籍が3割、20年以上の選手も1割弱いたことがわかります。なお1993年ドラフトで最後に指名されたのがロッテ7位指名の福浦和也。福浦は26年目となる2019年シーズンもプロ野球選手として過ごします。

     なお1994年から1996年のドラフト入団選手はすべて引退しましたが、1997年のドラフト入団選手ではソフトバンクを戦力外となった五十嵐亮太の獲得を古巣ヤクルトが発表。今季も現役を続けることになりました。1998年ドラフト入団では松坂大輔、福留孝介、上原浩治、藤川球児、實松一成の5人が今季も選手として契約を結んでいます。また、1998年ドラフト入団の選手の10年以上在籍確率は50%、20年以上も9.5%と近年では高い現役続行確率となっています。その印象もあってか「選手の寿命は年々伸びている」と思われがちなのですが、1999年のドラフト入団選手を見てみると、10年以上在籍確率が4割と6年前に比べて大きく減少しています。両年のデータの代表値を比較しますと、

    ○1993年
    平均在籍年数 11.2年 中央値 11年 最頻値 11年

    ○1999年
    平均在籍年数 9.0年 中央値 8.5年 最頻値 7年

     と平均在籍年数が2年ほど短くなっています。

     また最頻値(最も度数が大きい在籍年数)の推移を見てみると、

    1993年 11年
    1994年 8年
    1995年 5年
    1996年 9年
    1997年 8年
    1998年 4年
    1999年 7年

     となっており、年による振り幅はありますが、いわゆる「壁」と呼ばれる年数が徐々に短くなっている様子が伺えます。特に10年以上在籍確率が高かった1998年ですが、4年でNPBを去る選手が最も多かったという側面もありました。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00280146-fullcount-base

    平成の記録を不定期で振り返る4回目は、三振を取り上げます。1993年(平5)にブライアント(近鉄)が史上初の200三振を喫し、98年には石井一久(ヤクルト)が奪三振率11・05の新記録をマーク。平成のプロ野球は三振が増えました。

         ◇   ◇

    昭和時代にプロ野球は3万6682試合行われ、三振が34万1595個。両軍合わせた1試合平均の三振数は9・3個だった。これが平成時代は2万4867試合で33万1768三振となり、1試合平均は13・3個に増えた。奪三振率で計算すると、昭和の4・69から平成は6・73へアップした。シーズン三振のチーム最多記録は14年西武の1234個で、シーズン奪三振のチーム最多記録は10年ソフトバンクの1244個。昭和時代は三振、奪三振が1000の大台を超えるチームがなかった。

    シーズン奪三振の上位は300イニング以上投げていた昭和時代の投手だが、奪三振率は10傑のうち9人が平成時代。奪三振率9・00以上は昭和時代の9人から68人に増え、68年江夏しかいなかった奪三振率10・00以上は、平成に入って17人がマークした。投手の記録は昭和時代のものが多く残っているが、奪三振に関しては95年野田(オリックス)の1試合19奪三振、90年野茂(近鉄)のシーズン21度の2桁奪三振、17年則本(楽天)の8試合連続2桁奪三振など、平成時代に記録が更新された。

    打者のシーズン三振記録は平成時代の選手が上位を独占。100傑に昭和時代の選手は5人しかいない。日本人選手のランキングでは、1位の04年岩村(ヤクルト)から36位の11年中田(日本ハム)まで平成の選手だ。シーズン100三振以上は昭和時代の73人から平成時代は461人と、6倍以上に増えた。

    投手側から考えられる三振増の要因は変化球と分業制。昭和時代の変化球はタイミングを外すカーブと打球を詰まらせるシュートが中心だったが、現在は空振りを奪うフォーク、スライダー系が全盛。速球だけでなく、変化球で空振りさせる時代になった。加えて分業制により、短いイニングを全力で投げることが三振増につながった。

    打者側からは、意識の変化が大きいかもしれない。川上(巨人)や張本(ロッテ)に代表されるように、昭和時代は三振が少ないことが好打者の条件だった。追い込まれたら何とかバットに当てようとしたが、最近は強く振ることが重要で三振でも内野ゴロでもアウトは同じと考える打者が多くなった。打者が三振を気にしなくなった結果、三振の多い3割打者が続々誕生。昭和時代にはわずか6人だった100三振以上の3割打者が、平成時代は90人いる。柳田(ソフトバンク)は15年に101三振、18年に105三振で首位打者を獲得するなど、昭和時代にはいなかった100三振の首位打者も生まれた。【伊藤友一】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00443702-nksports-base

     ミスター三塁打だ。広島のドラフト7位・羽月隆太郎内野手(18)=神村学園=が10日、1年目から1軍出場し、自慢の足で魅了していく決意を示した。17年夏の甲子園では、2試合で2本の三塁打を記録。プロでもその足を駆使して先の塁を貪欲に狙い、ドラフト1位・小園に負けない存在感を際立たせていく。

     軽快な身のこなしでトレーニングを終えた羽月は、充実感たっぷりに汗をにじませた。新人合同自主トレ第1クール最終日。「アピールポイントは足」と胸を張り、ルーキーイヤーについて「(1軍昇格が)一番いいのは今年。ゆくゆくは足で人を魅了できる選手になっていければなと思っています」と闘志を燃やした。

     武器を存分に発揮する。50メートル走5秒7。高校2年時の夏の甲子園では、2試合で2本の三塁打を記録した。「(ベースの)少しの回り方で二塁打が三塁打になる。右中間や左中間(の打球)はしっかり最短で走れば、自分の足ならいけると思う。キャンプでも少しの回り方にこだわってやっていきたい」。磨きを掛け、盗塁だけでなく、ミスター三塁打としても魅せていく。

     この日のトレーニングでは、高い敏しょう性も示した。三浦トレーナーは「格段に動きがいい。(スピードを)0から100にするのが上手。高卒1年目でここまでの動きは見たことがない」と感嘆する。羽月も「ダッシュでも全力に近く実戦を考えてやっていました」とうなずいた。

     現在、特に課題とするのは「五流ぐらい」と自己分析する打撃面。日々成長を見据え、「ケガしない体作りはもちろん、小園に負けないように」と掲げた羽月。志高く、プロの階段を上っていく。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00000034-dal-base&pos=4

     広島は9日、2019年度のホームランガールの募集概要を発表した。活動内容は、本塁打を放った選手へのスラィリー人形の贈呈やセレモニー、イベントの進行サポート。地域イベントへの出演など多岐にわたる。

     採用人数は3名で、応募資格は広島市および近郊に住む野球、スポーツが好きな18~29歳までの女性だ(高校生は応募不可。ただし19年3月までに卒業する人は可)

     応募期間は1月10日から2月3日必着。

     詳細は広島東洋カープまで。電話082・554・1000


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-00000088-dal-base

    広島野間峻祥外野手(25)が5日、マツダスタジアムで自主トレを行い、精力的にバットを振り込んだ。


    FAで巨人に移籍した丸佳浩外野手(29)に代わる中堅の定位置が目標。昨年は初めて規定打席に到達し、打率2割8分6厘、5本塁打、46打点、17盗塁の成績を残したが、気持ちはブレーク翌年の今季に向けている。「ライバルは全員です。また一からと思ってやっている」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190105-00436904-nksports-base

    広島中村奨成捕手(19)が恩師からカツを入れられた。29日に母校広陵高で行われた野球教室に参加。「背筋が伸びますね」と表情を引き締めながら、野球少年と触れ合った。そんな中村奨に、待っていたのは厳しい言葉だ。再会した中井哲之監督(56)は教え子のルーキーイヤーを「心がまだ大人じゃない。考え方がぬるい。プロの世界は厳しい。自分の立ち位置が分かったと思うので、一層の努力をすると思う」と辛口で評した。


    昨夏の甲子園で大会最多の6本塁打を記録し、準優勝に貢献。ドラフト1位で期待された1年目は1軍出場なく、2軍でも打率2割1厘、4本塁打、16打点に終わった。中村奨も「悔しさしかない。思うように結果を残せなかった。結果を残せないと1軍にも上がれない」と険しい表情を見せた。オフは肉体強化に重点を置く。目標の体重85キロまであと3キロ。自主的に遺伝子検査を受け「太りにくい」などの体質と向き合いながら肉体改造を目指す。

    年明けは元日から始動する。「動かないと動けなくなる。1軍に上がれば視野も変わるし、考え方も変わると思う。まずは1軍に上がりたい」。恩師からも「死に物狂いでやると言っていたので、死に物狂いでやれと言いたい」と激励を受けた。プロの道を切り開いた地で、決意を新たにした。【前原淳】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181230-00431956-nksports-base

    「親分」と慕われた元南海監督、鶴岡一人の長男・鶴岡泰(現山本泰=72)は、1974年(昭49)4月にPL学園の野球部監督に就任した。7年間の監督生活を振り返り、PLにとって、初の甲子園全国制覇のピッチャーで4番だった西田真二のことは、「ヤンチャ坊主の印象が強烈に残っている」という。


    山本泰 ある時、キャプテンの木戸がやってきて、ボクもう野球やめます。その代わり、西田を殴ってもいいですかって言うんです。それぐらい西田は個性的な選手でした。(78年夏の甲子園)決勝でサヨナラヒットを打った柳川という選手がいたのですが、彼は頭がいいし、ケンカも強く、責任感の強い男でした。彼に西田と木戸のことも言い含めて、チームのまとめ役をお願いした。個性の強い選手がそろっていたチームで、とりわけ西田の存在というのは目立ちました。

    西田はアマ時代も、プロに入ってからも、目立つ存在だった。しかし、大胆で豪快なイメージがある一方、繊細な一面がある。

    全寮制だったPLには、休部の遠因ともなった「付き人制度」がある。特定の上級生の身の回りの世話を、特定の下級生がする制度で、今も年1回行われるOB会総会では、そのことが話題になって盛り上がる。賛否両論あるが、名門・PLの伝統の制度だ。

    西田 ボクって結構先輩にはズケズケと話すタイプなんです。でもね、この年齢になって感じることですが、先輩を含めいろいろな人にズケズケ話しますが、本音を話して、真剣にお付き合いしてきたことが、今は自分の人脈として大きな財産になっています。高校、大学、プロ…ユニホームを脱いでからも、解説の仕事をさせていただいたり、コーチもやらせてもらった。そして、今はこうして独立リーグの監督として野球をやらせてもらっている。ありがたいと感謝しているんです。

    西田の繊細な一面は、今でも下級生の「元付き人」と連絡を取り合いながら、親しく付き合っていることだろう。「お世話した上級生は忘れましたが、お世話してくれた下級生は一生忘れません」と言う。

    その一方で、山本は「相手の反応をうかがいながらすぐに対応する能力を持ち合わせている」と明かす。孤高のマウンドで相手打線と立ち向かう投手の仕事がら、ピタリとハマる性格だったのだろう。

    西田はPLのエースとして独り立ちし、いよいよ「奇跡の夏」を迎える。(敬称略=つづく)【井坂善行】

    (2017年11月25日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181223-00422379-nksports-base

     広島・大瀬良大地投手(27)が23日、福岡・北九州市で母校・九州共立大のプロ野球戦手後援会「選手の集い」に参加。恩師の仲里清名誉監督(64)が最多勝、最高勝率に輝いた1年の労をねぎらった。


     イベントの終盤でマイクを握った仲里名誉監督は、真摯(しんし)で実直な大瀬良の人柄に触れながら、知人に指摘されたエピソードを紹介。14年に新人王に輝いたものの、その後は成績が横ばいだった右腕について「先生、大瀬良君は人がいいから勝てないんですか?」と聞かれることがあったという。

     仲里名誉監督は「違うよ。本当は強いやつなんだ。心が強いから、いい人になれるんだ。それが信じられないようならファンを辞めてしまえ!」とかばい続けた。今季は15勝7敗、防御率2.62と大活躍。「年俸も上の方になって、これからはカープの顔です」と褒めたたえた。

     大瀬良が先発した11月1日の日本シリーズ第5戦のソフトバンク戦は地元の日峯神社でお参りしてから、ヤフオクDに向かった。「ちょうど大瀬良からLINEがきまして、『住吉神社に行って来ました』と。彼も不安の中で心のよりどころを探しながら戦っているんだなと思って、本当に勝たせたいと思った」。5回途中3失点で白星は逃したが、まな弟子の晴れ姿を見届けた。

     この日は約200人のファンが詰めかけ、トークショー、プレゼント抽選などが行われた。仲里名誉監督は「来年がまた大変な年になりますけど、ファンの前で自分たちの力を発揮できる強靱(きょうじん)な体、心を作る。そして皆さんの前でそれをお披露目するという形ができれば、おのずと力は発揮できると思います。力強いご声援をよろしくお願いします」とあいさつし、応援を呼びかけていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181223-00000121-sph-base

     広島・戸田隆矢投手(25)が23日、意識改革のオフを過ごしていることを明かした。春季キャンプは昨年、今年と2年連続で調整不足として序盤に2軍降格、白星にも見放される苦渋を味わった。野球のみならず私生活面でもプチ断酒などを継続し、来季は1年間フル帯同を目指していく。

     来季への覚悟が充実の今へと変えている。戸田が心を一新し、自主トレを行っていることを明かした。「今は他のことを考えず、野球のことばかり考えてやってます。キャンプのスタートが毎年悪いので、今はそこにしか合わせてないです」と前を向いて話した。

     反省を生かす。昨季、今季と春季キャンプ1軍スタートだったが、いずれも序盤で2軍降格。今季は7試合の登板に終わった。「(オフに)もう一つ気持ちを入れて練習に取り組めてなかったのかなというのが、今になって思います」。後悔はあるが、前に進むためには変化をもたらすしかないと自覚する。

     現在はキャッチボールやネットスローを繰り返す日々。「(昨オフまで)今ほど投げてなかった。オフに投げることが大事なことだなと思っています」と実感する。私生活でもバランスの良い食事を心掛け、飲酒も今春から極力控えている。会食などの際に1~2杯飲む程度で「そこからはウーロン茶に変えてます。お酒をやめて体の反応も良くなっている」と表情は明るい。

     1年間戦う体にするため、現在の体重約76キロから80キロへの増量ももくろむ。「1軍でしっかり投げることだけを目標にやるだけですね。ただがむしゃらに野球に真剣に取り組んでいきたい。1年間1軍に?もちろんそうです」と戸田。来年2月、新たな姿を見せる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181224-00000045-dal-base

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