広島カープブログ

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    阪神タイガース

     前阪神監督の金本知憲氏が7日、TBS系「サンデーモーニング」に出演した。

     張本勲氏(79)とともに「週刊 御意見番」に助っ人として登場。司会の関口宏が、金本氏が久々の出演と紹介した後に、「どうなんですか?監督辞めて気は楽になりました?」と直球質問。金本氏は笑いながら「まっ、気は楽ですね」とぶっちゃけた。

     悩みはある?と聞かれると「今はないですね」と話していた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190707-00000035-dal-base

     阪神・原口のサヨナラ打の知らせを受けた広島・赤松真人外野手(36)が「あいつ、すごいな」と驚いた。患部や症状など違いはあるが、がんという病気と闘い、グラウンドに戻ってきた同士。自身はいまだ一軍復帰を実現させていないとあって、思いを新たにした。

     4日のロッテ戦で放った原口の復帰初安打を、赤松は映像を通して見ていた。スタンドに向かって一礼する原口に向けられた大歓声。涙ながらにグラウンドを見つめる虎党もいた。

    「自分ではないのに、自分のことのような感覚になった。自分が(一軍の舞台に)戻れたとすれば、こんな感じになるんだろうかと思って見てしまいましたね。僕もすごく勇気をもらいました」

     いつの日か自分も一軍のグラウンドへ。言葉の端々から赤松の思いが漏れ伝わってきた。この日はウエスタン・阪神戦(淡路)に出場。9回に代打で出場して三振、裏の守備では中堅に入った。今季は29試合、17打数2安打、打率1割1分8厘と不本意な成績。若手の起用も多く、出場機会にも恵まれていないが、復帰を目指す熱い気持ちは変わらない。

     2016年オフの胃がん発覚から手術、抗がん剤治療を経て18年に実戦復帰。ウエスタンでは本塁打、盗塁も記録したが、一軍復帰はまだだ。

    「一番、迷惑をかけた家族にも、もちろん待ってくれているファンの皆さん、仲間の前で(一軍に)戻るところを見せたい」

     病で苦しむ人たちの勇気になりたい。原口に続いてみせる。元虎戦士でもある赤松にも人ごとではない阪神のサヨナラ劇だった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190610-00000025-tospoweb-base

     前阪神監督の金本知憲氏(51、本紙評論家)が塾長を務める「金本塾」の第1回講義が19日、大阪市内で開催され、「メンタルマネジメント」についての特別講座に100人が参加した。

     「ミスした後になかなか切り替えられない」という学生のスポーツの悩みや、「20代部下との向き合い方」に悩む歯科医に、塾長自らの経験談をもとにアドバイス。さらに、自身の現役時代のリフレッシュ方法について「練習ですね」と“鉄人”らしいコメントを返し、会場の塾生は興奮気味。グループワークも開かれた。

     昼食後は「メンタル」をテーマにして、阪神対広島戦(甲子園)を観戦しながら金本氏が生解説。「今でも若手のことは気になる」と話し、阪神の16年ドラフト1位・大山悠輔内野手(24)の獲得秘話が披露された。

     金本氏は「普段出会うことのなかった人たちの悩みや考えが聞けて、自分の中にも新たな発見がたくさんありました。今後もいろいろなことを学んでいけたらと思います」と感想を語った。

     参加者から「金本さんの等身大のトークが聞けてよかった」「金本さんの内面が知れてとても面白かった」「金本さんの素顔が見れた」「明日への活力をもらえた」など声が挙がった。

     第2回講義は「鉄人のコミュニケーション学~みんなで楽しく学ぼう!言葉のチカラ・超一流の伝え方~」(6月9日)がテーマ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190520-00000000-spnannex-base

     1935年の球団創設から84年。阪神には85年の日本一や、暗黒時代など多くの歴史がある。時代のシンボル的な存在を支えた人たちが、当時を振り返る企画「あの時は…」。第1回は、05年に鉄壁のリリーフ陣「JFK」とともにリーグ優勝に貢献した「SHE」の一員、江草仁貴氏(38)です。球団タイ記録のシーズン87勝を挙げた強さの理由を振り返ってくれました。

      ◇  ◇

     05年はすごく居心地のいい雰囲気で戦っていました。ブルペン陣も全員がすごく仲がよかったです。

     強い時は勝っているということなので、どうしてもJFK(ウィリアムス、藤川、久保田)の登板が増えてしまう。他の試合でいかに休ませるかというのをチームは考えていたと思います。接戦で負けている時とかにJFKを登板させなくても、SHE(桟原、橋本、江草)でカバーできたらなという思いはありました。

     ブルペンでは、野球の考え方や球種の握りなどを、お互いに教え合っていました。僕は05年に初めて1軍に定着して、フルでやったのも初めて。いろんな人に聞きながら助けてもらいました。

     基本的にみんなが抑えてベンチに帰ってくる。こっちも負けないようにという意識で投げていました。「抑えるのが当たり前」というようないい循環で回っていましたね。

     広島でも2回のリーグ優勝(16、17年)を経験しましたが、強いチームは雰囲気がいい。負けが込んできた時にいかに楽しくできるか。必ず苦しい、しんどい時があります。そういう時にベテランやムードメーカーが士気を高めて引っ張っていくのがいいのかと思います。

     当時の阪神なら金本さんが「決起集会をやろうか」と声を掛けてくれて引っ張ってくれた。広島だったら黒田さんとか新井さんがいて。普段は若いのがしっかりして、しんどい時にベテランがサポートをしてくれる、というのが理想だと思います。負け込んでくると雰囲気が悪く、暗くなってしまう。

     それを早くいい方に変えていけたら流れも変わってくる。ビールかけをした時は、今まで生きてきた中で一番と言っていいくらい、うれしかったです。あれはぜひ、現役の選手みんなにも経験してほしいなと思います。

     今はリハビリ型デイサービスの「株式会社キアン」という介護事業の運営と、大阪電気通信大学(阪神大学野球連盟)でコーチをしていますが、阪神の試合は見ています。一緒にプレーした人たちには何とか頑張ってもらいたい。球児、能見さん、鳥谷、岡崎、秋山も一緒にやっている。優勝に近づくためにも、全員でいい雰囲気を築き上げて戦っていってもらいたいですね。(元阪神タイガース投手)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000028-dal-base

     MBSラジオの改編会見が18日、大阪市内で行われた。今季も阪神戦に力を入れる同局は、キャッチフレーズを球団の「ぶち破れ!オレがヤル!」にならい、「タイガース全力応援宣言 ぶち破れ!MBSがヤル」とすることを発表。編成サイドは、解説者に復帰する前監督の金本知憲氏に対して「力強い戦力になっていただける。3年間、鍛えた選手の成長をネット裏から見届けてもらう」と期待した。

     また、4月に45周年を迎える「ありがとう浜村淳です」のイベント「ありがとう浜村淳です45周年記念公演“しじゅうご”縁がありますように…平成最後の大パーティー!」(4月16日、大阪・梅田芸術劇場)に純烈が出演することが分かった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190318-00000116-dal-ent

     長野が沖縄キャンプを視察した阪神・掛布オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)にエールを送られた。

     「悔しい思いをして(巨人から)こっちに来たはず。でも赤いユニホームが意外と似合っていたね。いい顔で溶け込んでいたよ」。これで掛布SEAはセ全球団のチェックを完了。「セは弱いチームがどこもない。ただ投手層の厚さは阪神がNO1じゃないかな」と、自軍の優位性を強調した。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00000269-sph-base

     FAの人的補償で広島に行くことになった長野が巨人を去った元エースの存在を思い出させてくれた。怪物・江川卓獲得の代償として阪神に差し出された小林繁である。

     1979年1月31日、小林は宮崎キャンプに向かう羽田空港からハイヤーで都内のホテルに連れて行かれ、阪神へのトレードを通告された。巨人がボイコットした前年のドラフト会議で阪神が交渉権を獲得した江川との交換だった。時の金子鋭コミッショナーは球界分裂の危機を回避するため「強い要望」を出し、超法規的に江川がいったん阪神と契約してのトレードを認めたのだ。

     76年から2年連続18勝を挙げ、リーグ連覇に貢献したエース。まさかのトレード通告に「一両日考える時間がほしい」と訴えたが、球団は「今日中に決めてくれ」の一点張り。小林が東京・大手町の読売本社で記者会見に臨んだのは日付が2月1日に変わった午前0時18分だった。

     「阪神に請われて行くということは男冥利(みょうり)に尽きます。世間は“小林はかわいそう”と取ってくれるかもしれないけど、同情は買いたくない」

     売り出し中の明石家さんまがモノマネした独特なフォームのサイドスロー。細身ながら下半身のバネを生かして打者に立ち向かっていった昭和のエースの矜持(きょうじ)である。

     タテジマのユニホームを身にまとった細身のエースは鬼気迫る投球を続けた。22勝9敗、防御率2・89。初の最多勝、2度目の沢村賞に輝いた。巨人戦は3完封を含む8勝0敗。前年2位の古巣を5位に沈めた。

     40年後、思わぬ形で巨人を去ることになった長野は球団を通じて「3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは選手冥利に尽きます」とコメントした。平成の終わりに「選手冥利」が「男冥利」を掘り起こしてくれたのである。

     のちに「僕は江川と交換というより野球界を正常に戻すための身代わりだと思えば耐えられる」と話した小林。阪神で5年連続2桁勝利を続け、13勝を挙げた83年シーズン終了後、31歳の若さでユニホームを脱いだ。

     引退後も巨人に戻ることはなく、2009年日本ハムの2軍投手コーチに就任。1軍への昇格が決まっていた10年、キャンプインを2週間後に控えた1月17日、心筋梗塞で突然この世を去った。享年57。あと2日で9年になる。(永瀬郷太郎)=敬称略=


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190115-00000073-spnannex-base

    <ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム>

    同じ境遇に立たされた者にしか分からない思いがある。阪神矢野燿大監督の反骨心に触れたのは1月中旬だった。巨人にFA移籍した丸の人的補償で広島側から指名された長野久義が話題だ。ひとしきりカープの戦力を警戒したあと、自ら切り出して、こう言った。


    「あとは、気持ちの変化が出るのよね。俺もトレードで出てそうだったけど、長野も絶対に表向きのコメントと内面の思いって、まあまあ、100%一致していると思えない。自分を振り返っても。『クソーッ』とか『見返す』という気持ちは持っていると思う。そういう部分でも嫌やな」

    22年前の自分を見る思いだろう。97年10月、中日矢野は大豊とともに阪神へのトレードを通告された。戦力構想から外された屈辱を味わっていた。だからこそ、昨年12月、阪神にFA加入した西の人的補償で、オリックスに移籍していった若き右腕の竹安に伝えた。

    「俺も『(監督だった)星野さんを見返したい』とか『中日に負けるか』と思って逆にパワーをもらって頑張れたところもあった。どうとらえ、どうしていくかで竹安にとって大きなチャンスになるかもしれん」

    阪神矢野は移籍をバネにはい上がり、正捕手の座をつかんだ。当時、選んだ背番号は中日時代の38から1つ増えた39。「中日のときより1つ上に行く」という理由は有名な逸話だ。トレードと人的補償は違うが、疎外感や無力感など複雑な感情が渦巻く。長野の潔いコメントは周囲から絶賛されたが、矢野監督は元捕手らしく、人生の岐路に立つ男の胸中に思いをはせた。【阪神担当 酒井俊作】



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00449240-nksports-base

     広島・迎祐一郎打撃コーチ(36)が7日、TG新戦力に警戒感を示した。6日に巨人が岩隈(前マリナーズ)の獲得を、この日も阪神がオリックスからFA宣言していた西との契約合意を発表した。カープの4連覇阻止へ、同一リーグのライバル球団が相次いで補強を展開している。

     日米通算170勝の岩隈と現役時代に対戦がある迎コーチは「ケガ明けでどういう状況か分からない」とした上で「力感のないフォームからスピードガン以上のボールが来る。ボールも動く。しっかり投げられたら難しい投手になる」と指摘。西についても「コントロールがいい。その日の調子によっていろいろできるし、大崩れするタイプではない」と、イメージを語った。

     過去の交流戦の対戦成績を振り返ると、岩隈(当時楽天)には3勝2敗と勝ち越しているが、西には0勝2敗、防御率1・93と封じ込められた。パ・リーグの猛者相手に戦ってきた2人だけに、「簡単に点を取れるとは思っていない。対策を練る」と、来季開幕までに両右腕を丸裸にする考えだ。

     今季も打者の状態や相手投手との相性、傾向を見極めて、107通りものオーダーを組んだ。丸こそ抜けるが赤ヘル打線の破壊力はリーグ屈指。ライバルの難敵を攻略し、苦手意識を植え付ける。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181208-00000034-dal-base

     元プロ野球選手の高橋慶彦氏(61)が25日、カンテレの「お笑いワイドショー マルコポロリ!」に出演し、広島からロッテ、阪神と移籍したことを振り返って阪神時代は「試合に出てない。遊んでいた」と豪快に笑った。高橋氏は阪神に1991年から92年の2年間在籍。76試合に出場した。


     番組には高橋のほかに元プロ野球選手の西崎幸広氏、星野伸之氏、金村義明氏が出演した。高橋氏は現役時代、盗塁王3回、連続試合安打記録33試合と輝かしい記録を打ち立てたことを紹介された。

     続けてMCの東野幸治が、投手だった西崎氏に最速何キロだったのかを質問。西崎氏は149キロだったと即答した。東野は高橋氏に、西崎氏と対戦歴があるのかを尋ねると、高橋氏は「覚えてない」と返答。西崎氏が「ロッテ行ったときですよ」と高橋氏がロッテ在籍時代に対戦していると訴えた。

     ここで後ろにいた金村氏が「ロッテのときはもう遊んでたもん」とツッコんだ。高橋氏は笑って否定しなかった。東野が笑いながら「ロッテのころは遊んでたんですか?」と重ねると、高橋氏は「一生懸命やってたよ」とぶっきらぼうに答えた。しかし、西崎氏が「1年でやめた」とツッコんで笑いが広がった。

     東野が「1年でやめて阪神に行ったんでしょ。阪神ではどうやったんですか」と尋ねた。高橋氏は「試合出てないしね、ほとんど。桧山、新庄とかのころ。阪神ではほとんど試合出てない。遊んでた」と自白。爆笑のなか、高橋氏はさらに「やっぱ新地が近かったから」と大阪有数の繁華街が甲子園球場から近かったことから遊んでいたと振り返った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181125-00000072-dal-base

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