広島カープブログ

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    山本浩二

     ◇セ・リーグ 広島10―0ヤクルト(2018年9月26日 マツダ)

     球団史上初のリーグ3連覇を達成した広島に、歴代の監督から祝福の声が寄せられた。

     元広島監督の山本浩二氏は「3連覇はすごい」と称え、「すごいチーム力。各選手が状況を考え、自分の役割を全うした。日本一のチャンスは十分あると思う」と絶賛した。

     前広島監督の野村謙二郎氏は「今年が一番厳しく、難しかった」と振り返り「この3年間で変わっていないのは、しっかりとした育成システムから成す選手層の厚さ。手応えのある、うれしい優勝だと思う。おめでとう」と祝福した。

     広島・松田元オーナーは「ようやくマツダスタジアムで胴上げを見ていただけた」と感無量。「建設されて10年の節目の年。その年に3連覇を果たし、その瞬間を見ていただけた。良きファンの人々に恵まれ、私たち球団は幸せな球団だと思っています」とファンに感謝した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180926-00000175-spnannex-base

     (セ・リーグ、巨人5-10広島、20回戦、広島14勝5敗1分、28日、東京D)

     天国と地獄の両方を見た男は強い。広島の首位独走の立役者の1人が6年目の鈴木誠也外野手(24)。28日の巨人戦でも「4番・右翼」で先発し、26号2ランを含む3安打3打点。それでも試合後は「(3番の)丸さんが打ってくださるので楽な気持ちで(打席に)入らせてもらっている」と先輩を立てた。

     昨季は4番を務め打率・300、26本塁打、90打点と主軸として結果を残す一方で、8月下旬に右足首の骨折で戦線離脱。今季もコンディション不良や自打球の影響で離脱、欠場を余儀なくされる時期もあったが、リーグ2位の打率・341。チーム内ではこの日4安打を放った丸(同4位)とともにタイトル争いを演じている。

     球団関係者は鈴木が短期間で「天国と地獄」を経験したことが「大きな成長へとつながった」とみる。

     「去年も4番に起用されて頑張っていたけど、その重要性や責任を本当の意味で背負うようになったのは、昨夏にケガで離脱してから。そこから試合で打てず悔しがる言動をひとつ見ても、明らかに変わりましたよ」

     これだけ立派な数字を残せば天狗(てんぐ)にもなりそうなものだが、「それがないんですよ。練習でも『まだやります!』とおかわりするし、妥協も満足もしない。それが今の成績を残す原動力だと思いますね」。鯉の4番は並の男ではない。(山戸英州)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180829-00000015-ykf-spo

     「中日6-5広島」(8日、ナゴヤドーム)

     広島の新井貴浩内野手(41)が、引退表明後初めて「6番・一塁」でスタメン出場し、1安打1打点。五回の右犠飛で通算1300打点とした。通算80犠飛は、恩師でもある山本浩二氏を抜いて歴代単独10位となった。チームは今季3度目の4連敗を喫し、優勝へのマジックは「10」のまま。9日は今季最後のナゴヤドームでの一戦。勝利で飾り広島に戻る。


     スタンドから聞こえる「新井さ~ん」の声に燃えないはずがない。大きな背中で、大歓声を受け止めた新井が1安打1打点だ。一塁の守備や走塁でも視線を独り占めする全力プレー。「声援?もちろん届いている。ありがたい」。5日の現役引退表明後、初スタメン出場となる「6番・一塁」で、その存在感は際立っていた。

     二回の第1打席で中前へクリーンヒット。五回は同点とし、なお1死満塁で一時勝ち越しとなる右犠飛を放った。「最低限の仕事ができて良かった」。1打席1打席が、日本野球史に刻まれる。史上17人目の節目の1300打点。通算80犠飛は、尊敬するミスター赤ヘル・山本浩二氏を抜いて歴代単独10位になった。

     どんな状況でも一切手を抜かないのも新井らしさ。五回無死一塁では大島の打球をダイビングキャッチ。八回の打席では歯を食いしばって一塁へ走り、振り逃げを勝ちとった。「当たり前のことだから」。サラリと言ってのける姿が頼もしい。

     ナゴヤドームには思い出がいっぱい詰まっている。ルーキーだった99年4月3日の中日戦。代打でプロ初出場したのがこの球場だ。さらに苦い記憶も。同年9月21日。五回無死満塁から小山田がゴメスを投ゴロ併殺打に仕留めた。だがアウトカウントを間違えていた一塁手・新井はチェンジと勘違い。中日・仁村一塁ベースコーチに球をトスしてしまった。一塁ファウルゾーンに球が転々とする間に二塁走者が生還した。

     「仁村さんが体をくの字にして球を避けてね。アッと思った。達川監督にめちゃめちゃ怒られたよ。(相手の)星野監督には『お前、良いヤツだな』って言われたのを覚えている(苦笑)」。19年前の出来事を懐かしそうに振り返った。

     リーグ3連覇、そしてその先にある日本一へ向けての戦いが続く。引退試合は予定されておらず、真剣勝負の1試合1試合が自身にとっての引退試合だ。プロ20年目。9日は今季最後のナゴヤドームだ。「全力で駆け抜けたい」。すべてを出し尽くし勝利を呼び込む風となる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180909-00000021-dal-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     広島球団は28日からの対阪神3連戦(マツダスタジアム)で、故・衣笠祥雄氏(享年71)に哀悼の意を表し、緒方孝市監督、コーチ陣、選手、スタッフが喪章を付けて試合に臨む。

     “ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏とのコンビで、常勝赤ヘル軍団を築き上げ、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成して国民栄誉賞を受賞した“鉄人”だけに当然の措置だろう。

     それにしても、山本氏は2度にわたり合計10年も広島監督を務めたのに、衣笠氏は監督どころかコーチ経験さえなしに終わったのはなぜか、球界七不思議が改めてクローズアップされる。

     ある広島OBがこう謎解きする。「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」

     市民球団として旗揚げされた広島カープは一時期、東洋工業(現マツダ)が親会社だった時代もある。だが、通称“松田個人商店”といわれるように、松田ファミリーが人事権を持っている。広島OBの解説には説得力がある。

     とはいえ、現役引退後TBSの解説者をしていた衣笠氏には、他球団の監督になるチャンスはあったはずだ。実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報が流れたことがある。

     だが、結局衣笠氏は評論家活動一筋を貫いた。前出の広島OBはこう見ている。「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」。その通りならば、いかにも一本気な衣笠氏らしい野球人生を全うしたといえるだろう。(江尻良文)

    引用元 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180428/spo1804280003-n1.html


     23日夜に死去した元広島の“鉄人”こと衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)さん(享年71)は現役時代、“ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏(71)との名コンビで鳴らしたが、実は最初は犬猿の仲ともいえる関係だった。元ニッポン放送アナウンサーで2人と親交があった深澤弘氏(82)が、本当の仲を明かす。

     巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、よくこう言っていました。

     「僕の誇りはね、王(貞治ソフトバンク球団会長)と1度もいさかいがなかったことだよ」

     同じチームに力量が突出したスターが2人いれば、お互いに意識し合い、いつしか仲が悪くなる方が普通。奇跡的にONコンビの仲が良く、両雄が見事に並び立ったことが、巨人9連覇の原動力だったともいえます。

     何年か前、(山本)浩二さんにこの話をしたら、彼はこう声をひそめました。

     「僕とキヌ(衣笠さん)の仲は、決して良くなかったです。ライバルで、お互いにとげとげしかった。3番衣笠、4番山本で、僕はネクストバッターズサークルで何度も『打つな!』と念じました。キヌも同じ気持ちだったと思います」

     そんな2人の関係が劇的に変化したのが、1975(昭和50)年。7月19日のオールスター第1戦(甲子園)で、全セの3番を打った山本さんは1回と2回に、6番の衣笠さんは1回と3回に、そろって2打席連続本塁打。2番手で登板した外木場投手も3回無失点の好投で、翌日のスポーツ紙は「赤ヘル軍団現る」と大騒ぎでした。

     このとき、山本さんは「キヌと個人的に話してみたくなった」。広島に戻ると衣笠さんを誘い、初めてサシで酒を飲んだそうです。

     当時の広島は球団創設以来1度も優勝したことがなく、前年まで3年連続最下位の弱小チームでした。2人はこの席で「今年は優勝のチャンスじゃないか」と意気投合。実際に、秋には悲願のリーグ初制覇を成し遂げました。

     以後、2人はアドバイスを送り合い、盟友といわれるようになり、広島も常に優勝争いに加わる強豪へと変貌していったのです。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180427-00000015-ykf-spo

     広島・松田元オーナー(66)が6日、膵臓(すいぞう)がんのため4日早朝に急逝した楽天・星野仙一球団副会長(享年70)の早過ぎる死を惜しんだ。

     松田オーナーは星野氏が現役を引退してから親交を深めたという。「熱さとクールさの両方を持っていた。(球界にとって)痛い。バリバリ引っ張っていってほしかった。あの若さでつらいと思う」と沈痛の表情を浮かべた。

     16年のドラフト会議での出来事が忘れられないという。控室に姿を見せた星野氏は松田オーナーの手を握り、「良かった、良かった、良かった」。25年ぶりのリーグ優勝を自分のことのように喜んでくれたのだった。

     同オーナーは「『良かった』と3回も言ってくれた。一緒に喜んでくれて、すごく伝わってきた。手の大きさも、声も、覚えている。部屋を出るときも『良かった』と言っていた。あの人の人柄だと思う」としみじみと振り返った。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180107-00000032-dal-base

     プロ野球・中日の投手として「打倒・巨人」に燃えた現役時代から強い印象を残し、監督として中日、阪神、楽天で優勝を果たすなど引退後も球界に大きく貢献した星野仙一さんの訃報に、球界の関係者からは死去を悼む声が相次いだ。


     明大出身の星野さんと同学年で、ともに東京六大学野球のスターとして注目され、2008年の北京五輪ではコーチとして日本代表監督の星野さんを支えた、法大出身で元広島監督の山本浩二さん(71)は「突然の訃報に言葉が出ない。あまりにもショックが大きい」と悲しんだ。

     昨年11月、12月に2度行われた野球殿堂を祝う会で顔を合わせており、山本さんは「元気がなく、顔つきや声にも力がなくなっていたので心配はしていた。後でお礼の電話がかかってきたので『気をつけてくれよ』と話したばかりだったのに……。本当に早すぎる」と話した。

     昨年、星野さんと共に野球殿堂入りを果たした元大洋(現DeNA)投手で野球評論家の平松政次さん(70)は「朝、たまたま携帯電話を見ていたらニュースが流れていてびっくりした」。昨年は1月の殿堂表彰式などで3度会ったが「一度も体調が悪いなんて感じさせることはなく、むしろ星野さんはスリムだな、スタイルがいいなと思っただけだった」と驚きを隠せなかった。

     岡山東商高出身の平松さんは高校時代に、倉敷商高の星野さんと甲子園行きをかけて競った間柄。昨年11月の野球殿堂入りの記念パーティーでは「岡山で2人(同時の殿堂入り)なんて珍しいことだな」と喜び合ったといい、「がんというから急なことではないだろう。ものすごく強気で、弱い所は絶対にみせない人。内心きつかっただろうけれど、全く感じさせなかった。星野さんらしい」としのんだ。

     星野さんが阪神監督当時に球団社長だった野崎勝義さんは「編成能力に優れた監督だった。球団は外様を呼んだり、難しい交渉をしたりして良い選手を獲得するのが下手だった。二人三脚で、それまでのやり方をひっくり返した」と当時を懐かしみ、「早すぎる。夢にも思わなかった」と声を落とした。【細谷拓海、中村有花、坂本太郎】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180106-00000022-mai-base

    <NPB AWARDS 2017 supported by リポビタンD>◇20日

     広島の丸佳浩外野手(28)がセ・リーグMVPを受賞した。丸は最多安打、ゴールデングラブ賞、ベストナインに続き4冠目のタイトルとなった。

     丸は今季、全143試合に出場し打率3割0分8厘。23本塁打、92打点の2部門でキャリアハイの数字を残した。不動の3番打者として、リーグ連覇に大きく貢献した。

     広島からのMVPは昨年の新井に続き2年連続。外野手の受賞は80年の山本浩二以来、37年ぶりとなった。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171120-00051162-nksports-base

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