広島カープブログ

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    高校野球


    「すごいね。あの当たりは」  ネット裏で試合を見ていたあるNPB球団スカウトも驚嘆する一打は5回裏・高松商の背番号「19」から生まれた。右打席から右中間の真ん中をあっという間に突破し、ワンバウンドでフェンスを越える3番らしい一打を放ったのはなんと1年生の浅野 翔吾(右翼手・右投右打・170センチ84キロ)。

     高松市立屋島中では3年夏に全日本軟式野球大会に出場し通算55本塁打。侍ジャパンU―15代表として第15回BFAアジア選手権連覇に貢献。さらに軟式野球引退後には硬式野球クラブ・高松アークバリアで5本塁打を積み上げた中学球界屈指の長距離砲である。  


    「はじめは県外校への進学も考えたが、父親から『地元で愛される選手になれ』とアドバイスを受けて選択した」昨年も春夏連続甲子園出場を果たした名門・高松商での初公式戦。1打席目は詰まった右前安打。2打席目は長距離砲らしい高い弧を描いての一塁フライで迎えた第三打席で「(長尾 健司)監督から『右手で押し込むイメージで打とう』と言ってもらった」アドバイスをすぐに結果に結びつける辺りは流石「侍戦士」と言えるだろう。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/cc1da508dd34aac3548fecf475006272db9a038b

    日本高野連は10日、今春中止となった第92回センバツ高校野球大会の救済措置として、出場予定だった32校を8月に甲子園球場に招待し、各校1試合限りの交流試合を実施すると発表した。注目選手も多い。


    投手で最も脚光を浴びそうなのが、明石商・中森だ。最速151キロを誇る右腕は、昨年の春夏甲子園で4強を経験。今秋ドラフトでも1位候補に挙がる。昨秋の明治神宮大会を制した中京大中京の高橋宏も、ダイナミックなフォームから最速150キロの直球を投げ込む。最速145キロの履正社・岩崎は昨夏の甲子園で好投し、優勝に貢献。ソフトバンク・川瀬晃内野手の弟である大分商・川瀬も147キロのストレートに威力がある。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/c3e17c56bbbc2953597db1ba5f489f72cafa74da

    8月10日開幕予定だった第102回全国高校野球選手権の中止を発表したのは、5月20日だった。それから20日余り。形は違うが、同じ8月に甲子園で試合ができることになった。

     選手権大会は原則的に、49地方大会と全国大会で構成される一つの大会だ。新型コロナウイルス感染状況は地域によって異なり、首都圏や北海道などでは部活動が制限されているところもある。学業への支障も懸念され、夏休みの短縮も検討されているなか、8月10日に甲子園に49代表がそろわない可能性があった。  代わりに、各都道府県で「3年生に最後の試合の機会を」と独自大会の開催について検討が進んでいる。それでも、休校が長引き、選手たちは十分練習できていない。体調に配慮して7イニング制にしたり、トーナメント方式ではなく、1試合だけの記念試合にしたりしている。こうした点でも、選手権大会の開催は難しかったといえる。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/3a4d8a16a21926fe4a777702f46456de664abc1a

     選抜大会、選手権大会の開催が中止となり、高校球児だけでなく、高校野球ファンものショックは大きかったのではないか。そこで、これまで甲子園を盛り上げたチームの選手のその後を紹介していきたい。


     今回は2015年選抜ベスト8入りを果たした常総学院の主力選手たちのその後を紹介したい。

    投手 鈴木 昭汰 2年(法政大)
    投手 樫村 雄大 2年(日本大)
    投手 井上 真幸 3年(神奈川大-BC茨城)
    投手 又吉 翔太 3年(東京経済大)

    捕手 高瀬 将太郎 3年(筑波大)
    捕手 星 駿斗 3年(日本大)

    内野手 宇草 孔基 3年(法政大-広島東洋)
    内野手 清水 風馬 2年(明治大)
    内野手 皆神 裕平 3年(筑波大)
    内野手 箭内 幹太郎 3年(東京農業大)内野手 荒 祐広 2年(日体大)

    外野手 荒原 祐貴 3年(立正大-筑波銀行<軟式>)
    外野手 竹内 諒 3年(大東文化大)
    外野手 和田 慎吾 3年(明治大-三菱日立パワーシステムズ)
    外野手 千本松 貴樹 3年(流通経済大)
    外野手 大谷 弘平 3年(拓殖大)

     U18日本代表も経験した宇草 孔基は法政大に進学。1年春からベンチ入りを果たし、3年時は明治神宮大会に出場。4年時には日米野球の大学日本代表にも選出されるなど、高校大学ともに大舞台を経験した。昨年のドラフトで広島東洋に2位指名を受け、大学の同期・福田光輝(千葉ロッテ5位)と共にプロ入りを果たした。

     2年生エース・鈴木 昭汰は3年時は主将を務め、甲子園に春夏連続出場を成し遂げた。進学した法政大ではこれまでリーグ戦に通算16試合に登板し、44投球回を投げ、1勝2敗、42奪三振、防御率4.30の成績を残し、今年で大学ラストイヤーを迎えた。

     2回戦の今治西戦に4番手として登板し、2/3回を無安打1奪三振で救援投手として勝利に貢献した井上 真幸は神奈川大に進学。大学時代は登板機会に恵まれなかったが、昨年末に地元の独立球団・茨城アストロプラネッツに入団し、独立リーガーとしての道を歩む。

     明治大に進学した和田 慎吾は4年時副将を務め、同期でプロ入りを果たした、主将の森下 暢仁、伊勢 大夢らと共に、昨年の全日本選手権優勝に貢献。今年から三菱日立パワーシステムズに進み、社会人野球の舞台に進んだ。

     大学でも野球を継続した選手が多い2015年の常総学院戦士たち。今後の活躍にも注目したいきたい。
    ※記事の掲載者、掲載者の現所属、記録の事実につきましては報道各社発表の新聞記事、各野球連盟が発表する大会記録、各チームの所属調査、関係者取材により確認ができたものより掲載をしております。そのため、この情報が全ての情報ではなく、情報の一部となりますことご了承ください。



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/b9e7a2f67520f8e2f4f5e40970372969310690f5

     コロナ禍による夏の甲子園大会中止で、高校3年生球児の運命は大きく変わることになる。

     休校や練習休止中、全国の強豪校の指導者は、大学や社会人への進路サポートに動き出していたという。

     大学のスポーツ推薦は、全国大会や甲子園出場などの条件を基準にしているケースが多い。にもかかわらず、アピールの場が失われてしまった。「そのため高校側から大学側へ、電話や時には映像提出といった売り込み合戦が、あちこちで行われていました」と明かすセンバツに出場予定だった関西の強豪校の関係者によれば、「うちの主力、レギュラークラスは、大学や社会人など、だいたい進路のメドは立っています」というから驚きだ。

     選手をプロ野球に送り込むだけでなく、最近は早大、慶大、立大といった名門大学への進学にも力を入れる大阪桐蔭の西谷監督や興南の我喜屋監督は、大学だけでなく、アマチュア野球関係者と連絡を密に取っていたと、一部スポーツ紙が報じている。

     前出の関係者が続ける。

    「ただ、問題があります。売り込み合戦といっても、映像などの資料を用意できるのは、下級生から試合に出ている主力や昨秋の公式戦の実績があるようなレギュラークラスに限られる。夏の甲子園どころか、練習試合もできず、県単位の独自の大会があるかないか分からない状況で、大学側に売り込めない、切り捨てられる格好になるのは『強豪校の背番号2ケタの2番手クラス』、それと大学と結びつきがあまり強くない『中堅校の選手』でしょうね。プロではなく、大学で野球を続けていけるこのレベルの選手が、完全にアピールの場を失い、不完全燃焼のまま野球を断念せざるを得なくなる。だから独自の大会をやるなら『3年生』に限定した方がいいのではないか、という声が一部で上がっています」

     前例のない春夏甲子園中止は、こんなところにも暗い影を落としている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200524-00000011-nkgendai-base

    【松坂、筒香を育てた小倉清一郎 鬼の秘伝書】

     選手にかける言葉が見つからない。本当に、本当に残念だ。

     日本高野連が20日に開いた運営委員会で、春のセンバツに続いて8月10日開幕の夏の甲子園大会の中止を発表した。

     新型コロナウイルス感染拡大の影響で高校生のインターハイ、全日本大学野球選手権などの全国大会が相次いで中止になっていただけに、仕方ないとは思う。

     だが、3年生部員を公式戦のないまま卒業させるのは余りに忍びない。地方大会の中止も合わせて決定されたが、それに代わる独自の公式戦の開催については、各都道府県高野連の裁量で実施する余地が残された。独自大会、代替大会に関して各高野連で温度差があるのは事実だが、これだけは、なんとか実現させてもらいたい。

     私が臨時コーチを務めている山梨学院が出場を決めていたセンバツが中止になった際、「夏じゃなくて良かった。この悔しさは夏に晴らそう」と選手に声をかけた。それなのに、その機会も奪われてしまった。吉田洸二監督の指導力のたまものだろう、山梨学院の選手たちは中止の報道が出た後も気丈に振る舞っていて、頭が下がる思いである。

     繰り返し、これだけは言いたい。どんな形でもいいから、3年生が最後に練習の成果を披露する舞台を用意して欲しい。

    ■500人限定で500円なら1試合25万円

     私案がある。スタンドに一般客は入れず、球児の父兄や両校の部員などの関係者だけに限定すれば、250人ずつほどだろう。計500人が一塁側と三塁側に分かれれば、離れて座ることは可能だ。そして、1試合ずつの入れ替え制にする。何万人もの観客を1試合ごとに入れ替えるのは大変だが、500人程度ならすぐに終わる。「無観客で入場料が入らなければ地方高野連の財政が厳しい」と言うが、500人の父兄から500円ずつを徴収すれば1試合の収入は25万円。昨秋の山梨大会を例にとると、32校が参加し、31試合が行われた。大会を通じて775万円の収入になる計算だ。球場使用料などの大会運営費は、数百万円から大都市などでは1000万円以上になるといわれる。少しは足しになるのではないか。

     休校期間の遅れを取り戻すため、今年は8月10日前後から2学期が始まる学校が多いそうだ。そうなると、独自大会であっても参加校が多い県などは、決勝までの日程を確保できず、開催に積極的でない地域もあると聞く。それでも全ての都道府県でやらせてあげたい。全国の指導者がそう願っている。

    (小倉清一郎/元横浜高校野球部部長)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200524-00000010-nkgendai-base

     「やっと自分たちでやれるときがきた」。帝京長岡(新潟)の主将でエースの吉田行慶(ゆきよし)(3年)は春ごろから、公式戦に出られる喜びを表す言葉を日誌につづるようになっていた。



     吉田は昨年4月に帝京(東京)から来た転校生。捕手の西村俊亮(しゅんすけ)(3年)も一昨年12月に浦和学院(埼玉)から加入した。引き抜き防止を狙いとした規定により、2人は昨年、公式戦に出られなかった。だから、今夏の新潟大会は待ちに待った試合だった。

     「昨年は負けた試合をスタンドから見ていて、投げられない悔しさを味わった。いろいろな思いを糧にしてきた」と吉田は言う。

     芝草宇宙(ひろし)監督(50)は1987年夏、無安打無得点試合を達成して甲子園をわかせた帝京の元エース(のちに日本ハム)。2人の振る舞いに注目していた。「昨年は大会が近づけば練習試合にも出しづらかったが、2人は素直に受け入れてくれた。みんなでチームを強くしようという意思を持っていた。主将にしたのも吉田が冷静に周りを見ていたからです」

     今回の決定に「ショックで言葉がない」と吉田。情熱家の西村ともメールを交わしたが、「悲しそうでした、自分より。お互い気持ちを整理するのに時間がかかると思います」。ただ、今後の思いも絞り出した。「帝京長岡には感謝しています。今後も、恩返しができる野球人生にしたい」

     唐津工(佐賀)は部員37人のうち、3年生は一塁手の磯崎大翔(ひろと)だけだ。「1人でよくがんばってきた」。20日、副島浩史監督(30)は円陣で中止を伝えたあと、磯崎に声をかけた。

     「選抜が中止になり、もしかしたら夏も、と思った」と磯崎は目を伏せた。「だけど、そんなことを考えたらチームが悪い雰囲気になると思い、夏はあると信じてやってきました」。担任でもある監督に激励され、やめたい気持ちを抑え込んできた。就職志望で、野球に打ち込むのは最後かもしれない。「このあと何か大会があるなら、やってきたことをぶつけたい」

     副島監督は佐賀北の2007年全国制覇メンバー。決勝で逆転満塁本塁打を放ち、高校生が秘める力を満天下に示した。「行けば人生が変わる」と甲子園の魅力を知っている。「甲子園を目指してやったからこそ涙が出る。ああ、届かなかった、と。自分も一つ上の代が負けたときに涙が出た。ただ高校野球をやって、何か悔しく思えるのかなあ」。磯崎だけでなく、全国の3年生を思いやった。(坂名信行、隈部康弘)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200522-00000098-asahi-base

     ◇夏の甲子園、地方大会中止

     全国の球児のことを思うと本当に残念でならない。過酷な練習に耐えて仲間とプレーし、甲子園を目指して若き命を燃やす――。国難ともいえる新型コロナウイルスの感染拡大だが、こんな事態を誰が想像しただろう。

     今、思い出すだけでも涙が出る。58年夏。私のいた浪商(現大体大浪商)は甲子園出場を決めたが、部内で暴力事件があった。チームは出場が認められたものの、他の数人とともに私は処分を受けて出場できず。事件は部員みんなが見ており、完全な濡れぎぬだった。死のう、とさえ思った。16歳で故郷・広島を出てきて、夢が絶たれ…。それほど甲子園は大きな存在だった。

     何とか甲子園の土だけでも踏ませてあげられないか。例えば春のセンバツの出場予定校を集め、今年の11~12月に試合を行う。32チームで1試合ずつ。1日4試合なら4日間の計算だ。思い出だけでも作らせてあげたい。そこには全国約4000校の球児の希望が詰まっているのだから。

     若き高校生に今回の事態が運命だったというのは酷だろう。人生は長い。この経験を糧に「あの時のことを思えば…」と強く生きてほしい。「あっぱれ」な人生を、と切に願う。(スポニチ本紙評論家)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200521-00000069-spnannex-base

     日本高野連は20日、新型コロナウイルスの影響が各地に広がる中、オンラインで「第102回全国高校野球選手権大会」の運営委員会と理事会を開き、8月10日から予定されていた夏の甲子園大会と出場権を懸けた地方大会の中止を決め、発表した。この日、広島の中村奨成捕手(20)が取材に対応。大会新記録の6本塁打を放った甲子園を「人生が変わった場所」と振り返り、複雑な心境を明かした。

     高校球児なら誰もが憧れる夢舞台。夏の甲子園が、今春のセンバツに続きコロナ禍にのみ込まれた。春夏連続での中止は史上初。広陵時代、聖地で放物線を描いた中村奨は、時折言葉を詰まらせ複雑な心境を吐露した。

     「特に3年生には何と声をかけたら良いのか思い浮かびません。自分がその立場だったら…。目標がなくなってしまうので立ち直れないかもしれない。つらいです」

     17年夏。歴史の1ページを塗り替えた若鯉は、甲子園をこう表現した。

     「人生が変わった場所です」

     初戦の中京大中京戦から準々決勝の仙台育英戦までの4試合で、3試合連続を含む4本塁打を記録。準決勝の天理戦では2本塁打を放った。「何か自分の持っている以上の力が出た」。計6本塁打は、清原(PL学園)が持っていた1大会個人最多本塁打を更新するものだった。

     卒業後の進路をプロと決めていたものの、上位候補になるとは夢にも思っていなかった。「無名だった僕のターニングポイント。打っていなかったら分からなかった」。一躍全国区の選手となり、秋のドラフト会議では広島、中日から1位指名を受けた。

     日本一を目指してたたいた伝統校の門。決勝で花咲徳栄に大敗し、人目をはばからず大粒の涙を流した。夏は初めてとなる優勝を逃したが、3年間、仲間と共に泥だらけになって流した汗は、かけがえのない財産だと誇れる。

     今は「簡単に頑張っていこうとか、声をかけられない」と声を絞り出した。それでも彼らが白球を追いかけた日々は決して色あせない。いつの日か顔を上げ、前を向いて歩んでほしいと強く願っている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200521-00000023-dal-base

     広島の大瀬良大地投手(28)が20日、高校球児を思いやった。

     20日に運営委員会が全国高校野球選手権大会の開催可否を協議。「地元を離れて3年間頑張ってきた人もいる」と思いを口にした。

     大瀬良自身は2009年に長崎日大高(長崎)で3年夏にエースとして出場。1回戦で菊池雄星を擁する岩手の花巻東高と対戦し、ファンを沸かせた。「甲子園に出られたことで大学でも野球をやろうと思った。もし夏に出ていなかったら、野球をやっていなかったかもしれない。甲子園出場は自分の人生において分岐点だったかもしれない」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200520-00000048-dal-base

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