広島カープブログ

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    黒田博樹

     広島・新井貴浩内野手(41)が27日、リーグ3連覇から一夜明け、34年ぶりの日本一に誓いを新たにした。ヤクルト戦(マツダ)の試合前練習に出て来た際に取材に応じ「たくさんのファンに喜んでもらえてうれしい。でもこれが最後じゃない。もっと大きな喜びを届けたい」と前を向いた。

     前日(26日)のビールかけの中締めあいさつで「2次会は黒田さんの家でやります。聞いたら300人ぐらいは入れるらしいんで」とジョーク。2次会を開催したかどうかの真偽は不明だが、この日も「270人ぐらい集まりました。黒田さんも喜んでくれました」と満面の笑みを浮かべた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00000152-sph-base&pos=3

     【球界ここだけの話】

     広島・新井貴浩内野手(41)が5日、広島市のマツダスタジアムで今季限りでの引退を表明した。レギュラーシーズン残り20試合以上を残しての引退発表。鈴木球団本部長は「広島に戻って優勝に貢献してくれた。日本シリーズまで目いっぱい、頑張って欲しい。残りのすべて真剣にやる“引退試合”と思ってやってほしいね」とエールを送る。

     本拠地マツダスタジアムはもちろん、敵地でも7日からの中日3連戦(ナゴヤドーム)、16日のヤクルト戦(神宮)、29日の巨人2連戦(東京ドーム)が残っており“全国行脚”をする。引退発表した5日の阪神戦(マツダ)では五回に代打で登場し、かつて在籍した阪神ファンからも大歓声が起こり「(声援は)聞こえました。ありがたいです」と感謝の言葉を述べた。

     元気いっぱいの新井は球団OBで尊敬する“ミスター男気”こと黒田博樹氏の背中を追うように「見事な引き際」を選んだ。黒田氏はかつて、新井に引き際のついて相談したときに「ファンは(引退を)知っているのと知らないのでは最後の勇姿の焼き付け方が違う」と助言を受けて、2016年の日本シリーズ開幕直前に引退を発表した。

     その黒田氏は日本ハムとの日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)に登板し、六回裏に打者・大谷(現米大リーグ、エンゼルス)をフォークで左飛に打ち取った直後に右ふくらはぎの異変を訴えて降板。その後シリーズでの登板はなく、大谷との真剣勝負、“最後の1球”は後に名シーンとなった。

     会見で新井は「最後日本一になって、みんなとうれし涙で、終われれば最高かなと。最後の最後まで全力で頑張りたいと思います」と意気込みを口にする。赤ヘルの歴史に残るスラッガーの“最後の一打”は鮮やかなヒットか、それとも豪快なホームランか。例え平凡なゴロでも、新井らしく一塁へ全力疾走する。(柏村翔)【関連記事】



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180909-00000567-sanspo-base

     質問すれば必ず2、3秒の静寂が生まれる。その空間はいつも、新井選手と僕の真剣勝負だ。たまらなく好きな時間でもあった。プレースタイル同様、取材にも常に全力の人。発言の影響力を理解した上で、一貫してファンに向けた答えを探した。受け流された記憶はない。座右の銘でもある、「球の心は正直者」を地で進んだ。



     担当記者として、僕が密に接したのは15、16年。「どの面下げて」と言いながらカープに戻り、涙で宙を舞った2年間だ。「震えるくらい感動した」と話すのが移籍後、マツダスタジアムでの初打席。だが、同時に「本当にうれしかったな」と言うのが、初めて敵として立った甲子園球場の歓声だった。

     「厳しい声援も財産。いや、違うな。宝物じゃけえ」。広島ファンだけじゃない。必ず阪神ファンに向けてもも、感謝を伝えてほしいと、何度頼まれたことだろうか。そんな人だった。グラウンドでも外でも、変わらぬ魅力があった。

     時を同じくして広島に戻った1人、盟友・黒田博樹氏はかつて新井を、「プライドを捨てるプライドがすごさだ」と表現していた。

     「彼のすごさを感じたのは、日本に戻った年ですね。どうしても年齢がいって過去の実績がある人は、それを捨てられない人がたくさんいる。特に新井は広島に戻って、プライドを捨ててまた一から野球をやるんだ、というのをすごく感じた。だから彼のすごさを語る時、ただ単純に、体が強いというだけでは、片付けてほしくないですよね」

     2人の出会いは新井がドラフト6位で入団した1999年シーズン。黒田氏は「デカいな…と思った」と初対面の印象を語る。投手と野手。接点は多くない中、仲を深めたのは2003、04年。山本浩二監督(当時)の下、エースと4番として投打の柱を託された。

     「あの年は2人で結構、参っていた時期も多かったですね。ちょっとお互いに、自分自身も勝てなくて、新井も全然打てなくてヤジも飛ばされて、という時があった。そのころから、置かれた立場も同じような境遇。そういう部分で親近感というのは、あったのかもしれないですね」

     2人で頻繁に飲みにも出掛けた。「その時は結構、飲んだのは覚えています」。選手会長も務めていた黒田氏は新井と、ファンサービスの方法も話し合った。観客が1万人を割ることも珍しくなかった時代だ。「特に2000年台前半とかは市民球場にお客さんが入らない中で、ずっとお互いプレーしてきましたからね」。黒田氏、新井がグラウンドで見せる必死な姿、勝利への執念の背景には、当時の記憶があった。勝つことに飢えていたのだ。

     わらわれて

     しかられて

     たたかれて-

     大野寮とオーナー室には、球団方針を記す額縁が飾られている。愚直に強く、前向きに。「あいつはあの言葉そのものだな」。鈴木清明球団本部長は言っていた。FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どの面下げて帰れば…」。困惑する新井に何度も電話を掛け、根気よく復帰を説得した。

     プロ生活20年。ドラフト6位以下の大卒選手で史上初めて、2000安打を成し遂げた男は、野球人生の矜恃(きょうじ)をこんな風に語っている。「負けん気があるんだと思います。中央に負けるか、巨人には負けんぞ、と。みとけよ、広島の小さな町かもしれないけど、人気球団には負けないぞという負けん気。だからこそ誇りを持っていますよね。広島という町に、チームに」。反骨心は常に原動力だった。

     冗談か、本気か。黒田氏は引退する前、「新井が監督をやるなら、オレが投手コーチをやる」と言って笑っていた。反応を聞きに行くと…。「アホ。オレにできるわけがないじゃろ。でも、クロさんが監督をやるなら、オレが監督付。監督付広報か、マネジャーをやらせてもらうよ」。実現するのはどちらだろうか。去りゆくさみしさは消えないが、野球人生の第2章も楽しみでならない。(デイリースポーツ・田中政行)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180907-00323537-nksports-base

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00000091-spnannex-base&pos=3
     広島の新井貴浩内野手(41)は5日、マツダスタジアム内で会見を行い、今季限りで現役を引退する意向を表明した。


     「(決断したのは)8月の初めの方です。自分の中では早い段階でそういうふうに決めると考えていた。球団はじめ鈴木さん(球団本部長)から考え直せといっていただいて、1カ月間考え直したけど、8月いっぱいまで考えて自分の気持ち変わらなかった」

     1カ月間、気持ちが変わらなかった理由については「やっぱり今、若手が凄く力を付けていまして、これからの2年後、3年後、5年後のカープの事を考えるときに、今年がいいんじゃないかなと考えました」

     新井は今季、主に代打として49試合に出場し、打率・222、4本塁打、20打点。開幕直前には、ランニング中に左ふくらはぎ痛を発症して開幕は2軍スタート。5月11日の阪神戦で1軍復帰して以降は、精神的支柱としてもリーグ3連覇を目指すチームを支えた。

     「黒田さんには早い段階で伝えていました。“えっ、ほんまか”が第一声でした。あとは、石原ですね。25番のユニフォームを来て応援してくださる方がたくさんいる中で、今年でユニフォームを脱ぐ決断をしたので、そういう人たちを悲しませてしまうのは申し訳ない」

     1998年にドラフト6位で広島に入団し、05年には43本塁打を放って本塁打王を獲得。07年オフにはFA権を行使して阪神に移籍するも、14年シーズン終了後に球団に自由契約を申し入れて、広島に復帰した。16年には、4月26日のヤクルト戦で2000安打を記録するなど、チームを25年ぶりのリーグ優勝に導きリーグMVPに選出された。

     「周りの方々の出会いに恵まれた運のいい選手だった。(感謝する人は)数え切れないぐらいいる。山本浩二さんには一番迷惑をかけた監督ですね」

     今季は8月29日の巨人戦で3安打。石井琢朗の40歳7カ月を更新する球団最年長記録の41歳6カ月での猛打賞を記録するなど、衰えない勝負強さを発揮していた。

     「10、11月の戦いで自分がチームの力になれるようにしたい。日本一になってみんなとうれし涙で終われれば最高」

     リーグ3連覇、そして悲願の日本一へ、赤ヘルはさらに一丸となって突き進む。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00000091-spnannex-base&pos=3

     プロ野球の広島やメジャーリーグで投手として活躍した黒田博樹氏(43)が12日、広島県豪雨の支援のため、広島県庁が開設した義援金受付口座に義援金1000万円を寄付したことを所属事務所を通じて発表した。

     黒田氏は「この度の西日本豪雨でお亡くなりになられた方々いお悔やみ申し上げますと共に、まだ行方不明になられている方々が一刻も早く救助されることを願っています。被災された方々、連日救助活動をされている方々に、少しでもお力になれればいいと思います」とコメントを寄せた。

     広島県庁の義援金口座は11日に開設され、広島銀行、もみじ銀行、広島県信用農業組合連合会の口座で受け付けている。こちらの口座では、広島県が義援金を受け取り、義援金分配委員会を通じて県内各市町村へ義援金を振り分ける。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00000112-spnannex-base&pos=1

     大阪府高野連は5日、7月7日に開幕する第100回全国選手権大会の南北大阪大会で、開会式後の始球式を、広島や大リーグで投手として活躍した黒田博樹氏(43)が務めると発表した。

     黒田氏は上宮では控え投手で、甲子園出場経験はなかったが専大を経て97年にドラフト2位で広島に入団。ドジャース、ヤンキースでも先発の軸として活躍し、日米通算203勝をマークした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180606-00000069-spnannex-base

     広島の大瀬良大地投手(26)が“男気エキス”を注入で5年目のシーズンへ着々と準備を進めている。今オフは3年連続で行ってきたドジャース・前田健太投手(29)との合同自主トレーニングを“卒業”。「いろんな考えを持っている人の話を聞いたりすることはできないけど、やりたいことは何不自由なくできている」と、ひと皮むけるために環境を変える選択をした。

     昨季終了後、2016年限りで引退した黒田博樹氏(42)と食事をした際には“勝負師の心得”を学んだという。話題が昨年8月16日の阪神戦で藤浪から死球を受けながら、相手を気遣い笑顔を見せたことに及んだ。黒田氏から「大地がとった態度を肯定も否定もしない。ただ、勝負師としての姿というか、やるかやられるかという気持ちをもってやらないといけない」と指摘され「自分も若いころ、そういう気持ちが足りなかったが、経験していくうちに大切さが分かった」とアドバイスをもらった。大瀬良は「すごく心に残ったし、これまで以上に向かっていく気持ちでやっていきたい」と振り返る。

     昨季はルーキーイヤーの14年以来となる10勝をマークしたが、精彩を欠く投球も目立ち「(首脳陣から)絶対的な信頼を勝ち取ることができなかった」と反省点も多かった。だが、レジェンド右腕から助言を受けたことで「勝てる投手になるためにマウンド上での気持ちの持ち方や考え方が広がった」と言い切る。

     リーグ3連覇に向けて盤石な先発ローテーションを編成するためにも背番号14の活躍は欠かせない。“男気継承”で大瀬良がさらなる飛躍を目指す。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180130-00000010-tospoweb-base

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