広島カープブログ

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    メディア

     元TBSの枡田絵理奈アナウンサーが12日、ブログを更新。「広島友達」のタイトルで、タレント・木口亜矢とのツーショットを掲載した。


     ふたりは高校時代からの友人で、「学校は違ったものの、家も近くて、生放送の帯番組で共演していたのもあって、毎日一緒にいたし、しょっちゅう我が家に泊まりに来ていました」という。

     高校時代のツーショットも公開。「そんなあやが、広島に引っ越してきて、しかも同級生の子供ができて、一緒に広島で支え合って子育てできていることが幸せだし奇跡的」「あやが来てから、一気に広島にホーム感がましました」と、喜びも記した。

     枡田の夫は、プロ野球の広島・堂林翔太内野手。互いの子供がプールで遊ぶ写真も載せ、「ワンオペでプールはなかなか大変だけど、こうやって一緒に遊べると助け合えるし、楽しさ倍増 あや ありがとう」と感謝した。

     木口の夫も元プロ野球選手の堤裕貴氏で、オリックスでプレーした。今年4月、木口は自身のブログで「広島で保育園の先生をしています」と報告していた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190812-00000097-dal-ent

    ■元プロ野球選手 新井貴浩さん

     台風で順延してしまいましたね。見たかったなあ、甲子園での試合。いまは朝起きると、テレビをつけて高校野球を見ます。一生懸命な、はつらつとしたプレーに元気をもらってます。

     僕は甲子園には出られませんでした。広島工3年の夏、県内では、二岡智宏(元巨人など)、福原忍(元阪神)のいた広陵が絶対的な優勝候補だった。3回戦で対戦することになり、「失うものは何もない」とみんなでぶつかって勝利。「これで甲子園いける」と思ったけど、4回戦で西条農に競り負けた。主将だったので、試合後は涙を我慢したけど、学校に戻って仲間の前であいさつする時に、一気に涙が出てきました。42歳になっても、当時の仲間とは忘年会をしています。

     プロ野球選手になって最初に感動したのが、試合で甲子園球場に足を踏み入れた時。憧れであり夢だった場所。大きいな、広いな、これが甲子園かと思いながら土に触れました。

     引退した昨年までの3年間、広島でセ・リーグ3連覇を成し遂げる中で、周囲からは精神的支柱と言ってもらいました。自分としては、みんなでワイワイやっただけ。でも、全力プレー、全力疾走は貫きました。実績を重ね、ベテランになるほど責任は重くなり、周囲への影響力は大きくなる。高校生なら1年生より3年生。上級生やベテランがちゃらんぽらんなことをするとしらける。率先垂範(そっせんすいはん)です。

     終戦の日です。黙禱(もくとう)しましょう。

     (観客のいないスタンド。新井さんは立ち上がり、目を閉じました)

     小学生の頃は毎年、授業の一環で広島平和記念資料館を訪れた。慰霊碑の前で手を合わせ、被爆者の体験を聞きました。一時期、原爆ドームから約2キロの場所に住んでいたこともあります。小学校には被爆した木があった。祖母2人も被爆者です。戦争を直接知らない世代ですが、広島で生まれ育った者にとって戦争は身近なものです。

     小さい頃、怖くても目をそらしちゃだめと思いながら読んだ「はだしのゲン」の作者・中沢啓治先生とも交流を持たせていただきました。広島の人にとってカープは戦後復興の希望。お会いした時、僕は阪神でプレーしていました。でも、「どこに行こうが、君は広島で生まれ育った人間だ。ずっと応援している」と言葉をもらいました。

     僕が日本プロ野球選手会の会長をしていた2011年には東日本大震災が起きました。楽天の選手に話を聞くと、野球どころではない状況だった。それまで毎年、開幕を迎えて野球を出来ていたことが、実はあたりまえのことじゃなかった。

     野球はみんなが助け合うスポーツです。東北以外に住む自分たちが被災していないからいい、ではない。ファンの方の後押しも受けてセ・パ同時開催に奔走しました。昨年は広島などで西日本豪雨もありました。あたりまえに野球が出来ることへの感謝を意識し続けるのは、難しいかもしれない。でも、心の片隅において、節目に思い返したいし、球児にもそう思ってもらえるといいですね。(構成・藤田絢子)


         ◇

     あらい・たかひろ 1977年、広島市生まれ。プロ野球広島、阪神で20年にわたりプレー。2016年には通算2千安打達成。デイリースポーツとスポーツニッポンの評論家として活躍中。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000059-asahi-spo

     辛くも逃げ切った。首位の巨人は12日の広島戦(マツダ)を8―7で制し、引き分けを挟んで5連勝。王者の驚異的な粘りを総力戦でかわし、鬼門の同球場での連敗も5で止めた。シーズンも終盤戦に入り、同地での対戦は今カードが最後。優勝争いの行方を左右する決戦の舞台裏では、新天地の二軍で絶好調の長野久義外野手(34)の姿がなかったことに、チーム内から疑問の声も上がった。

     午後10時を過ぎ、スタンドの鳴り物もやんだ4時間17分の激闘に終止符を打った原監督は「面白かった? 俺は面白くないよ。厳しいゲームだったよ」と切り出し「今日は勝利したのが大きい。それ以上でもそれ以下でもないよ」と、さすがに疲れた様子を見せた。

     それも当然だ。初回から4点を先制し、3回の攻撃終了時には6―1で主導権を握っていた。しかし、先発復帰した山口がピリッとしないまま、球数制限もあって4回途中4失点で降板。この日はブルペンの柱・中川をコンディション不良で欠くなか、早々と継投を余儀なくされ、最終的には宮国を残してリリーフ7人を投入するフル稼働でどうにか逃げ切った。

     マツダでの白星は実に開幕カードの3月31日以来。赤ヘル軍団の強烈な追い上げには、指揮官も「どんな点数(得点)も大きいよ。何点がいわゆる安全なのかというのが分かりづらいね…」と舌を巻くしかなかった。1勝は1勝ながらチーム一丸でマツダでの悪夢を振り払い、2位DeNAを3差に突き放した。3位の広島とも4・5差まで広げたのだから大きな価値がある。

     その激闘の裏で、試合前から巨人サイドには何とも言えない空気も流れていた。今回の3連戦がマツダで行われる今季最後のマッチアップ。その初戦に、あの男の姿がなかったからだ。昨オフにFA加入した丸の人的補償として電撃移籍した長野だ。

     チーム内からは「何でチョーさん(長野)は上がってこないんですかね。二軍でも好調なはずですけど…。僕らももちろんチョーさんに会えることを楽しみにしていましたけど、お客さんだってウチと戦うところを見たいでしょう」との声が上がり、スタッフの一人は「ここで使わないなら、いったい何のためにわざわざ獲ったんだろうね」と首をかしげた。

     長野は二軍戦23試合に出場し、打率2割5分7厘、1本塁打、8打点ながら、8月に入っていよいよ「夏男」の本領発揮。ここまで6試合連続安打中で、月間打率も3割8分5厘(いずれも成績は12日現在)と急上昇している。加えて巨人戦は通算4割1分7厘(12打数5安打)と“キラー”ぶりを誇るだけに、Gナインは「赤チョーノ」の不在に少なからず違和感を覚えたようだ。

     もちろん、長野がいようがいまいが、指揮官が「まだ戦いは続くよ」としたように今後も気は抜けない。5月下旬の東京ドーム3連戦以来となる再会は訪れるのか――。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00000026-tospoweb-base

     広島のアレハンドロ・メヒア内野手(26)が15日、チーム唯一の“台風休暇返上練習”を敢行した。この日は当初、16日からのDeNA3連戦(横浜)に向けて移動する日だったが、広島県内に上陸した台風10号の影響で山陽新幹線が運行を見合わせたため、各選手は自宅静養。しかし、暴風雨に見舞われたマツダスタジアムに、大男が現れた。


     たった1人。通訳もいない中、静かなスタジアムでウェートトレーニングと素振り。約1時間半にわたって汗を流した。「チョットネ。スイング。ボクヒトリデモ、ダイジョウブ」と滑らかな日本語も披露した。横浜スタジアムは好相性で、6月28日からの3連戦でいずれもスタメン出場し、10打数5安打2本塁打3打点と爆発。今回の3連戦で先発する今永からも一発を放っている。「(横浜?)チョット、スキ!」と腕ぶした。

     ただし14日の巨人戦(マツダ)は6試合ぶりのスタメン落ち。緒方監督に「今の状態ならダメ。菅野の球筋は打てない」と酷評された。若きドミニカの大砲は「ホンロン(本塁打)ダケジャナイ。ゼンブ、ダイジ。(初戦に勝てば2位?)ガンバリマス!」と、しぶとい打撃で指揮官を脱帽させることを誓った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000151-sph-base

     日本野球機構(NPB)は17日、広島のサビエル・バティスタ外野手(27)がドーピング検査で陽性の結果が出たと発表した。検出された薬物名などは調査の途中として明らかにしなかった。広島は同日、バティスタの出場選手登録を抹消した。今後、NPBのアンチ・ドーピング規定に基づき、週明けの19日から実働10日以内にバティスタ側に弁明の機会が与えられ、弁明から同20日以内に調査裁定委員会が処分を決定する。

     NPBによると、バティスタは6月上旬に検査を受け、A検体から禁止薬物が検出された。その後、B検体も陽性反応を示し、検査機関から報告を受けたNPBが16日夜に広島に通知した。

     バティスタはドミニカ共和国出身。同国で広島が運営するカープアカデミーを経て2016年に入団した。18年には99試合に出場して25本塁打を放ち、今季も103試合に出場して26本塁打をマークしている。通算263試合、62本塁打、打率2割5分7厘。

     07年にプロ野球でドーピング検査が導入されて以降、違反が明らかになるのは、今年6月に1年間の出場停止処分を受けたオリックスのジョーイ・メネセス内野手(退団)に続いて7人目。NPBの井原敦事務局長は「外国人選手(の違反)が昨年来続いている。啓発を強化しないといけないのかなというのが現時点での印象」と話した。【中村有花】

     ◇当面は自宅謹慎

     広島のバティスタがドーピング検査で陽性反応を示したことを受け、鈴木清明球団本部長は17日、横浜スタジアムで取材に応じ、「残念なこと」と話した。

     鈴木本部長によると、バティスタは17日午前に遠征先の横浜から広島へ帰ったといい、「本人もショックを受けていた」という。当面は2軍の練習にも参加せず、自宅謹慎となる。一方で、処分が決まっていないことから、鈴木本部長は「全ての結果が出た時にお話しします」などと詳細な説明は避けた。【細谷拓海】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190817-00000060-mai-base

     リーグ3連覇中の3位広島が、14日の首位巨人との直接対決で敗れ、ついに自力優勝の可能性が消滅した。

     初戦は14残塁で1点及ばず。前日は延長十一回にサヨナラ勝ちを収めたものの、この日は先発・野村が1―1の七回に2点を失い、力尽きた。緒方孝市監督(50)は「一戦一戦、勝ちという結果をつなげていけば(自力Vの可能性が)復活するだろうし」と前を向いたが、巨人と1勝2敗に終わり、ゲーム差は4.5に広がった。

    「ペナントを占う重要な3連戦と注目していましたが、3.5ゲーム差で首位巨人を追う広島の初戦の先発がアドゥワだったのには驚きました」

     とは、巨人OBで元投手コーチの高橋善正氏(評論家)。

     実際、アドゥワは前回登板のDeNA戦で勝利投手になったものの、いきなり3失点した試合を味方打線にひっくり返してもらったもの。7月は先発で6、4、5と大量失点を繰り返し、中継ぎに配置転換となっていた。

    「緒方監督に言わせれば、先発ローテの順番通りということなんでしょうが、大事な直接対決の初戦。ローテをずらしてでもエース大瀬良を突っ込むなどの策は考えなかったのか。巨人は離脱していたリーグトップの11勝を挙げる山口を初戦で復帰させ、3戦目は中5日で菅野も投げさせた。追う広島じゃなく、首位巨人の方が臨戦態勢なのは疑問。案の定、アドゥワは初回にいきなり4失点(4回4安打4四死球6失点でKO)、広島打線の追い上げも1点届かなかった。昨年まではチームに一体感があって、終盤の逆転勝ちがお家芸だったが、今年はそういう雰囲気がありませんね」(高橋氏)

     先月、緒方監督が6月30日のDeNA戦で緩慢な走塁をした野間を試合後に平手で複数回たたいたことが発覚。球団が緒方監督を厳重注意したと発表した。前出の高橋氏が指摘する「一体感がない」のは、この一件とも無関係ではないだろう。広島のさるチーム関係者がこう言う。

    「野間のプレーは確かにボーンヘッドだけど、今の時代、プロの選手に手を上げておいて、厳重注意っておかしくないですか? 暴力事件が表沙汰になる前にオーナーが来季の続投をほのめかしたけど、おとがめがないのは監督が今季限りだから。さすがに続投はないとチーム内では受け止められています」

     広島では5年で監督が交代することが多い。緒方監督はちょうど5年目。自力Vが消え、野村謙二郎前監督や佐々岡現一軍投手コーチといった次期監督人事が水面下で始まりそうだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000032-nkgendai-base

     「第101回全国高校野球選手権大会」の熱戦が続いている。

     令和最初の夏の甲子園。プロ9年目でブレークした広島・中村恭平投手(30)が、立正大淞南(島根)で過ごした3年間を振り返った。



     プロ9年目で覚醒を遂げた左腕は、神奈川を離れ、島根県にある立正大淞南で白球を追った。中学時代は身長158センチと小柄で、最速も110キロ止まり。高校入学後も順風満帆ではなかった。膝を故障し、2年夏には肘を手術した。球児としてプレーしたのは「実質1年ぐらい」と言う。

     高3春から本格的に実戦復帰し、夏には背番号1が与えられた。地方大会は2回戦益田産を破り、続く川本戦も大勝。準々決勝まで駒を進めたが、梶谷(DeNA)を擁する開星に八回コールド負けを喫した。中村恭はすべて2番手で登板したが、夏の甲子園への道は険しかった。

     「あぁって感じでした。負けるかなあと思っていました。開星は強かったので。そこに勝たないと行けないと思っていました」

     06年夏と言えば“佑ちゃん、マー君フィーバー”が巻き起こった年だ。早稲田実業と駒大苫小牧の再試合は国民的な関心を集めていたが、「プロになれると思っていなかった」という左腕にとって別世界のようであった。

     「テレビも見てなかったです。でも情報は入ってくるじゃないですか。すごいなあと。それぐらいですよ。負けたチームの選手ってこれからどれだけ遊ぼうかっていうことを考えてますから(笑)」

     中村恭も開放感に満たされていたが、左腕に夏休みはなかった。「オマエは絶対プロになれる。大学でも野球を続けた方がいい」。卒業後の進路に迷っていた頃、田中謙二監督に半ば強引に大学進学を勧められた。高3の頃には身長180センチまで伸びていたが、球速は120キロ台。プロからスカウトされることもなかったが、中村恭は恩師の言葉に従った。

     07年9月、富士大でプロの夢を追い始めていた中村恭にまさかの訃報が届く。田中監督が脳梗塞で急逝したという知らせだ。41歳の若さだった。悲しみを乗り越え、左腕は急成長を遂げる。最速149キロをたたき出し、10年に広島からドラフト2位指名を受け、恩師との約束を果たした。

     昨年までの8年間はくすぶったが、今季は1軍に定着。6月は勝ちパターンも担った。左肘違和感で一時離脱もあったが、7月後半には1軍復帰。キャリアハイの成績を残して、今オフは恩師の墓前へ報告するつもりだ。(デイリースポーツ・杉原史恭)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000107-dal-base

    話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、7月11日に行われたフレッシュオールスターゲームでMVPに輝いた、広島・小園海斗選手のエピソードを取り上げる。


    (中略)


    ちなみに、フレッシュオールスター(ジュニアオールスター時代も含む)で先頭打者ホームランを打ったのは、76年の高橋慶彦(広島・高卒2年目)、83年の定岡徹久(広島・大卒1年目)に次ぐ、36年ぶり3度目の快挙。3人ともカープの選手ですが、高卒1年目で打ったのは小園が初めてです。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-00000002-nshaberu-base

    (10日、岡山学芸館6―5広島商)

     大正、昭和、平成、そして令和の四つの元号で夏の甲子園出場を成し遂げた広島商。伝統に支えられたプレーの数々に、OBたちも目を細めた。

     5度目の優勝を果たした1973年夏の大会に1番・三塁手として出場した浜中清次さん(62)=広島市西区=は、内野席で試合を見守った。

     あの年、元広島カープの達川光男さんらを擁するチームは公立の強豪校を次々に破り、決勝で静岡(静岡)を相手に劇的なサヨナラ勝ち。当時の浜中さんのユニホームは、球場内にある甲子園歴史館に展示されている。

     この日、五回表に山路祥都君(3年)が本塁打を放つと、身を乗り出して打球の行方を追い「あの大会の達川さんの本塁打を思い出すなあ」と懐かしがった。

     孫の清水真翔(まなと)君(同)も七回に代打で登場。敵失で出塁し、好走塁で貴重な追加点のホームを踏むと、「ほっとした」と胸をなで下ろした。

     広島商らしい堅守が光る場面も多かった。七回裏、5―3に追い上げられ、なお1死一、三塁のピンチで、二塁手の北田勇翔君(同)や遊撃手の水岡嶺君(同)らが連係して併殺にすると、「これぞ広商野球、勢いを攻撃につなげてほしい」と拳を握りしめてたたえた。

     惜敗したが、浜中さんは「甲子園は広商にとって『庭』みたいなもの。選手たちは伝統を守り、土を持ち帰らなかった。後輩たちに必ず戻ってこいというメッセージだろう」と夢をつないだ。(東谷晃平)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000007-asahi-spo

     ◇第101回全国高校野球選手権大会 第5日2回戦 広島商5―6岡山学芸館(2019年8月10日 甲子園)

     15年ぶり23度目出場の広島商は、2回戦で岡山学芸館と対戦し惜敗。夏は優勝した1988年以来、31年ぶりの勝利を手にできなかったが、大正、昭和、平成、令和と4元号での出場を果たし、伝統の力を随所に見せつけた。

     逆転への願いは届かなかった。5―6の9回2死一、二塁、代打川口が一邪飛に倒れると、全力で戦ったナインは一様に天を仰いだ。重く、重くのしかかった1点差。「仲間ともっと戦いたかった。みんなと野球がしたかった」と話す主将の真鍋の目からは止めどなく涙があふれた。

     攻守で「広商野球」を体現した。0―1の2回無死、真鍋が中前打で出塁すると犠打、中前打で一、三塁。7番・杉山が二塁前に同点のセーフティースクイズを決めた。6回には無死一、三塁から水岡の中前適時打、真鍋の左犠飛で2点を追加した。

     遊撃手の水岡は守備でも輝いた。4―1の6回2死一、三塁での右前打で、右翼手からの三塁送球のカットに入ると、一転、一塁ベースをオーバーランした打者走者をアウトにして失点を最小限に食い止めた。「次のプレーを常に考えてやる。普段の練習から、やっていることができた」と胸を張った。

     過去6度の優勝を誇る名門も04年以来15年ぶりの出場とあって三塁側スタンドは多くのOB、関係者や生徒、一般ファンで埋まった。応援バス37台は早朝に広島を出発。大会前にはプロで活躍する柳田(ソフトバンク)からバット10本、135人の部員全員分のTシャツが、岩本(広島)からも全員分のタオルが差し入れられた。73年夏の優勝メンバーの元広島監督・達川光男氏(64)からは臨時コーチとして指導を受けた。真鍋は「応援は心強かった」と振り返る。だからこそ「そういう人たちの期待に応えられなかったのが悔しい」と唇をかんだ。

     大正から4元号すべての出場となったが、平成時代に夏の勝利はなし。昭和最後の王者が新たなスタートを切るため、令和元年に戻ってきたが白星はお預けとなった。荒谷忠勝監督(43)は力を込める。

     「彼らが頑張って、15年出ていないところの扉を開けてくれた。出る素晴らしさも怖さも勉強した。持ち帰って新チームで頑張りたい。広商は、本当にこれからだと思います」

     全力で戦った2時間26分は、新たな伝統の礎となる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000066-spnannex-base

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