広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    カープOB

     プロ野球・元広島投手の北別府学氏(61)が14日、ブログを更新。広島がこの日、ブラッド・エルドレッド内野手(38)と来季の契約を結ばないと通告したと発表したことに、「本当に寂しいニュースです」と悲しんだ。

     エルドレッドは2012年6月に米大リーグのタイガース傘下のチームを経て広島に入団。球団ではジム・ライトル(1977-82年)を抜いて外国人選手としては球団史上最年長となる7年間在籍した。北別府氏は「カープが強くなった功労者の一人だと思います」と感謝した。

     通算では577試合に出場し、打率・259、133本塁打(球団外国人選手では歴代2位)、370打点。「日本人より日本人らしい」真面目で勤勉な人柄、マツダスタジアムへの通勤は“ママチャリ”を使用するなど多くのカープファンに愛される助っ人だった。

     北別府氏はエルドレッドが赤い自転車で広島市内をぶらぶらしているのを見かけたことがあるといい、「愛されキャラでした。今後益々の活躍を願って止みません」とエールを送っていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181114-00000594-sanspo-base

     プロ野球・広島の元エースで野球解説者の北別府学氏が16日、公式ブログを更新し、名古屋経済大学高蔵高野球部で元プロ野球選手の監督が部員に暴力を振るった問題に「大変な衝撃を受けました」と打ち明けている。

     監督は引退後、一般企業勤務を経て07年に同校の国語教師として赴任、09年に野球部監督に就任した。今回、スマホに関する野球部のルールを部員が破ったことに腹を立て、1、2年生の男子部員12人を殴ったものが明るみに出た。

     北別府氏は「素晴らしいセカンドキャリアを歩みながら 本当に残念でたまりません」と惜しみつつ、「映像を見ると生徒への指導などではなくただの暴力で、愛情も何も感じることのない指導とは言えない感情をぶつけているだけに見えます」と、厳しく批判。引退後の「理想を叶えたような生き方」をしていた監督の体罰に「たまらない思い」になったという。

     引退後の人生について、北別府氏は「それからどんな勉強だってできるはず。元カープ選手のホプキンスさんなど退団後に医学の勉強をして医者になりました」という例を挙げ、「苦しい事も多いと思うけど、その後の長い人生を誤らずに生きていくために頑張らなければ。若い選手たちは、充実した選手生活、その後のセカンドキャリアを送る為にも日常の中でも厳しく身を正して将来をしっかりと見据えて欲しい」と訴えていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00000101-dal-base

     プロ野球・広島の往年の大エース、北別府学氏(61)が9日、公式ブログを更新し、広島の後輩・松山竜平外野手(33)が同日、今季取得した国内FA権を行使せず、広島に残留すると明かしたことを喜んだ。

     北別府氏は「松山選手残留だ!」と題した投稿で、「松山選手が広島に残ってくれるとの報せ ここしばらくFA宣言するかヤキモキしていましたから 安心しました」と、松山の決断に胸をなで下ろした。

     引退まで広島一筋だった北別府氏は「駆使してよその球団から高評価を頂く事はすごい事だが ずっと同じ球団で頑張るのも中々いいもんだよ」と持論を述べ、「よしよし、この球団で日本一狙ってくれ。頼むぞ!!」と、1984年以来となる悲願の日本一に猛ゲキを飛ばしている。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181109-00000103-dal-base

     元広島投手の北別府学氏(61)が7日、自身のブログを更新。広島・丸佳浩外野手(29)が同日、広島市のマツダスタジアムで会見を開き、国内フリーエージェント(FA)権を行使すると発表したことについてつづった。

     丸のFA表明について「権利ですから仕方ない」とした北別府氏。「巨人が大変な高評価をしているとの事 実は、我々も関係者とは最近この話題が多く上がります」と明かした上で「速報に上がるほどの選手を育てあげたのは 広島東洋カープだ!!」と誇った。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181107-00000569-sanspo-base

     広島のエースとして通算213勝をマークしたプロ野球解説者の北別府学さん(61)が4日、自身のブログを更新。古巣・広島が1勝1分けの優位から4連敗を喫して日本シリーズ敗退が決定してから一夜明けた切ない心境をつづった。

     前夜は試合中に10度も怒とうのブログ更新をして後輩たちに熱いエールを送り続けた北別府さん。球団史上初めてセ・リーグ3連覇を果たしながら34年ぶりの日本一という悲願が叶わなかったことが相当こたえたようで、まずは朝に「虚脱感」のタイトルで更新したブログで「今日は一日寝てやろうかと。なんか虚脱感、脱力」と喪失感を記した。

     さらに、当初は第7戦が予定されていた4日のスケジュール表には「優勝特番予定」の文字が。だが、「消しゴムで消せずイラっ」と北別府さん。「結局×マーク」と「優勝特番予定」の文字をバッテンで消した悲しいスケジュール表の写真をアップした。

     そこから傷心の”二度寝”に入ったのかと思いきや、午後には再びブログを更新。「予定も空きハンバーガーを買い瀬戸内海を見ながら食べた」と「ボーッとするのに良い場所」でハンバーガーを口にしたことを明かした。「何も考えたくない時に時々くる場所」だという海辺に1人たたずむ背中の写真には哀愁が。元大エースも全国の鯉党と同じく必死に虚脱感と戦っているようだ。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181104-00000139-spnannex-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(3)

     阪神でエースとして君臨していた江夏豊投手が、江本孟紀投手らとの交換で南海(現ソフトバンク)へトレードされたのは1976年。本人は「今でも阪神の江夏と思っている」と不満を口にしたが、ホークスで捕手を兼任する野村克也監督との出会いが、野球人生の大きな転機となった。

     肩と肘の不調に苦しむ左腕は翌77年の開幕後、「投手の革命を起こしてみろ」という指揮官の殺し文句で先発から救援へ転向。22セーブポイントを挙げて最優秀救援投手に輝いたが、シーズン終盤に野村監督が解任されたため、他球団への移籍を希望し、広島へ金銭トレードとなった。

     広島では79年の近鉄との日本シリーズ第7戦の九回に無死満塁の大ピンチから1点リードを守りきりチームへ初の日本一をもたらした“江夏の21球”はあまりに有名だ。同年のセ・リーグ最優秀選手に輝き、「MVPはリリーフでも獲れると立証された」と喜んだ。

     南海、広島での江夏氏の活躍が、日本のプロ野球に抑え投手の仕事を確立したといっても過言ではない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00000521-san-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(2)

     日本シリーズでは初対戦となったカープとホークス。その両チームで監督を務めた人物が根本陸夫氏だ。広島では就任した1968年にチームを初のAクラス(3位)へ導き、あの鉄人・衣笠祥雄氏を育てるなど、古葉竹識監督による75年の初優勝へとつながる土台を築いた。

     その後西武では監督、管理部長としてチームの強化にすご腕を振るい、

    常勝ライオンズの生みの親となった。93年にはソフトバンクの前身・ダイエーの監督へ転身。94年オフに指揮官を王貞治監督へバトンタッチし、球団専務となると工藤公康、秋山幸二ら投打の柱を他球団から補強した。

     大胆な選手獲得の手法で“球界の寝業師”とも呼ばれたが、本人は「ルールは逸脱していない」ときっぱり。有力な選手の情報がすぐ耳に入る全国津々浦々に網羅した野球人脈が強みだった。

     球団社長となった99年4月に72歳で急逝し、同年のダイエーの優勝、日本一は見届けることはできなかった。今回の両チームの対戦を一番喜んでいるのは根本氏かもしれない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181028-00000590-san-base

     【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(4)

     広島と大リーグのドジャース、ヤンキースで日米通算203勝をマークした右腕、黒田博樹氏の実父、黒田一博氏は1949年、社会人の八幡製鉄から南海(現ソフトバンク)へ入団し、外野手としてプレーした親子二代のプロ野球選手だった。

     一博氏は56年に大映(現ロッテ)で引退するまで通算777試合で打率・246、32本塁打、247打点を記録。南海では鶴岡一人監督のもとで主に6番を任され、しぶとい打撃が売り物だった。引退後は大阪で硬式のボーイズリーグチームの監督を務め、次男の博樹氏に小学生のころから野球を手ほどきした。

     一博氏は南海で51年からのリーグ3連覇に貢献したが、日本シリーズはいずれも巨人に敗退した。博樹氏は専大からドラフト2位で広島入りした97年のプロ初登板でその巨人に完投勝ち。「成長しましたね」と父を喜ばせた。

     一博氏は2007年8月に82歳で死去。「すばらしい打者と対戦し、自分の技術を上げたい」と同年オフに渡米した博樹氏の異国での活躍を天国から見守った。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000509-san-base

     【鯉と鷹の物語】(5)

     広島の抑え投手として活躍後、病魔と戦ったのが「炎のストッパー」として知られた津田恒美氏だ。社会人・協和発酵からプロ入りした1982年に11勝し、新人王。闘志あふれる投球が持ち味で86年に抑えへ転向し、89年には40セーブポイントをマークして最優秀救援投手となった。

     91年の開幕後に頭の痛みを訴え、治療に専念するため同年限りで引退。福岡市内の病院へ入院した。広島のかつての同僚で、同い年で仲のよかった森脇浩司内野手は当時ダイエー(現ソフトバンク)でプレーしており、親友の見舞いへ足しげく通った。

     一時期、快方へ向かった津田氏は「俺、ダイエーへ入れるんかなあ」と森脇氏へ再起の夢を語っていた(津田晃代著『最後のストライク』)が、オールスター戦が東京ドームで行われた93年7月20日、脳腫瘍のため、32歳で死去。もう一度マウンドへ立つ夢はかなわなかった。

     津田氏と左右のダブルストッパーとして活躍した広島の大野豊投手は「投手には珍しく優しくていいやつ」と早すぎる死を悼んだ。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000668-san-base

    <ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム:CATCH!!>

    <SMBC日本シリーズ2018:ソフトバンク9-8広島>◇第3戦◇30日◇ヤフオクドーム



    何色の糸で結ばれているか分からないが、ホークスと広島は昭和の時代からリーグは違っても、つながりの深い球団だった。日本シリーズ初の顔合わせ。ホークスが福岡に移転して30シーズン目。ようやく大舞台で出会った。

    世界の王が博多にやってきてからホークスは着実に「常勝」の道を歩み始める。1994年(平6)10月12日、ダイエー王監督が誕生。古巣巨人を離れ、九州の地で背番号「89」のユニホームに袖を通した。「打撃を中心にした打ち勝つ野球」を掲げつつ、巨人時代からその「強さ」に一目置いていた広島の「機動性」「守備力」を生かしたスキのない野球を目指した。約1カ月後に発表された王第1次内閣は広島OBの寺岡(ヘッドコーチ)達川(バッテリーコーチ)高橋(打撃兼走塁コーチ)の3人のコーチが就任した。当時のフロントも王監督の意外な人選に驚いた。広島出身コーチの招へいに向け球団幹部は広島まで足を運び、松田耕平オーナー(故人)に面会。組閣入りの内諾を得た。その後も水谷(打撃コーチ)らも加わり「総合力」の高いチーム作りを目指した。

    昭和の時代までさかのぼれば広島を球団創設初のAクラス入りさせ「赤ヘル軍団」の礎(いしずえ)を築いたとされる根本監督(故人)がいる。のちにダイエー監督となりGM的立場で王監督を招へい。こちらもホークスの常勝の礎を築いた。

    ホークスは「逆転の広島」に強烈に追い上げられたが、何とか本拠地ヤフオクドームで星を拾った。これで1勝1敗1分けの五分。因縁深い両チームはさらに激戦を展開しそうだ。【ソフトバンク担当 佐竹英治】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00378119-nksports-base

    このページのトップヘ