広島カープブログ

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    カープOB

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#39

     私が「名伯楽」などと言ってもらえるのも、携わった選手がうまく育ってくれたおかげ。しかし、全員が思い描いたような結果が残せたわけでは、もちろんない。

     名球会に入るような超一流選手にも劣らない才能があったと思う男がいる。

     パワーヒッターでありながら、逆方向にも長打が打てる柔軟性も併せ持っていた。だが、大成しなかった。残念でならないのが、昨季限りで現役を引退した広島の岩本貴裕である。

     広島商では高校通算52本塁打。亜大でも東都大学リーグ歴代4位の通算16本塁打を放った。2008年のドラフト1位で広島に入団。1991年の町田公二郎以来となる大卒野手の1位で、金本知憲の背番号10を引き継いだ。

     地元出身の左の和製大砲への期待の大きさは、新球場のフェンスの高さにも表れた。ちょうど入団1年目の09年に開場予定だったマツダスタジアムの左翼ポール際のフェンスは当初、7メートルの「グリーンモンスター」にする計画だったと聞く。それが、左打ちでも左翼方向への長打が持ち味だった岩本を獲得することが決まり、右翼と同じ3・6メートルに急きょ変更した経緯があるそうだ。

     打撃統括コーチだった私は、松田元オーナーから直接「岩本を見てやってくれ」と頼まれていた。1年目から二軍のほぼ全試合に4番で起用。最終的に二軍ではリーグ2位となる14本塁打を放った。これは二軍にいる選手ではない――。そう感じた。何とか一軍に行かせようと、私も周囲も躍起になった。しかし、インコースが苦手という弱点が、はっきりしていた。

     10年からは一軍で出場機会がもらえるようになり、ノーステップ打法で14本塁打。大器の片鱗を見せ始めたが、11年に膝を故障し、レギュラー定着の機会を失った。苦手なインコースを意識するあまり、どうしてもかかと体重になってしまう。開きが早く、ボールの見切りも早いから変化球に対応ができない。ボール球に手を出すという悪循環だった。さらにアウトコースを逆方向に飛ばすという長所にも影響が出始めた。

     1打席限定の代打向きではなかっただけに、レギュラーをつかめない選手は出番を失う。緒方孝市監督が就任した15年からは出場機会が激減した。

    ■足りなかった「再現性」

     間違いなく才能はあった。しかし、それとは別にプロで活躍するための「再現性」が欠如していた。好調を維持する持続力がなかったのだ。

     チャンスをもらった時、重圧をはねのけ、自分の持てる力を発揮できるか。首脳陣からの期待に応えられるか。考え込んでしまうマジメな性格も災いした。紙一重、あと一歩だった。育て切れず、申し訳なかった。

     今年から広島のスコアラーとして第二の人生を踏み出している。野球を勉強して球団に恩返しして欲しい。

     次回は自分のことを振り返りたい。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200324-00000007-nkgendai-base

     2018年まで広島でプレーし、現在は駐米スカウトのブラッド・エルドレッド氏が自身のインスタグラムを更新。自身の若かりし頃の秘蔵写真を公開してファンの注目を集めている。日本に来たのは31歳の時だったが、写真はそれよりかなり若く見える。



     その写真のエルドレッドはヒゲもなく、青年らしいフレッシュな笑顔を見せている。ウィリアムズポート・クロスカッターズ(フィリーズ傘下1Aショートシーズン)時代である、2002年に撮影された写真のようだ。

     21歳の若々しいエルドレッドの姿にファンも「久しぶり 貴方に会いたい 広島の人は皆んな思ってるよ」「ベイビーフェイス、ブラッドリー」「忘れてないよ エルちゃん大好き」「若い頃と変わらないね」「とっても若い」「髭がないエルさんもかっこいい!!」「やっぱりおとこまえ」と称賛の嵐に。球団歴代助っ人最長の7年間プレーしたエルドレッドは今も広島のファンに愛され続けているようだ。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200324-00731472-fullcount-base

     広島カープの投手だった池ノ内亮介さん(31)は現在、大阪府警の警察官となり、寝屋川署に勤務している。



     「毎日いろんな事件事故が起こります。警察官になってまだ3年。すべてが勉強ですが、上司や仲間に恵まれ、また、街の人たちからの『ありがとう』『ご苦労さま』という声にも励まされながら頑張っています」

     同署地域課に所属し、交番勤務をメインにしている。交通事故や住民同士のトラブル、盗難、落とし物、迷子、道案内など交番に寄せられる案件は多種多様。バイクで地域のパトロールを行い、学校や老人会などで防犯教室も開く。書類を作成する仕事も多く「結構苦手です。ずっと野球しかしてこなかったので」と苦笑いする。

     三重県伊賀市出身。中京学院大を経て2010年秋のドラフト会議でカープから育成枠で指名された。1年目は3軍でひたすら体力強化に励み、3年目のシーズン終了後に支配下登録を勝ち取った。右サイドハンドから繰り出す150キロの直球とキレのある変化球を武器に、14年には1軍登板も果たした。中継ぎで2試合に投げ、いずれも1イニングを無失点に抑えた。

     しかし、翌年は1軍での登板機会はなく、オフに戦力外通告を受けた。「力不足でした」と悔しさも残ったが、カープに在籍した5年間を「不器用なタイプなので、育成から支配下、1軍と一歩ずつ上がっていけたのは自分らしくて良かったと思います。わずか2試合でしたが、1軍で投げられたことで、家族やお世話になった方にも少しは恩返しできました」と振り返る。

     第2の人生には「厳しいプロの世界でやってきたので、次の人生でも厳しい環境で挑戦したいという思いはありました」。警察官の知人の勧めもあって16年夏に大阪府警の自己推薦方式の採用試験に応募して合格。翌年8月に警察学校に入校し、警察官として新たなスタートを切った。

     プロ野球で培った経験が役に立つことも多い。「カープに入った頃はクイックやけん制に苦手意識があったんですが、プロで活躍するためには欠かせない技術。コーチから教わり、上手な人を見て研究するうちに自分の武器になったんです。だから警察官になった今も難しい仕事があっても努力すれば、必ずやれるようになると思っています」。

     かつての仲間の活躍は今も気になる。中京学院大時代の1年後輩にあたる菊池涼とは大学、カープで7年間チームメートとして過ごした。「同期で同い年の中村恭平は去年頑張ってくれて本当にうれしかった。中崎や磯村も年は下ですが同期です。同い年の会沢やマエケン(前田健太)にも頑張ってほしい」。仲間の活躍を見聞きするたびに野球の虫がうずくそうで、「たまに友達とキャッチボールします。野球したいですね」と目を細めた。

     これからの目標については「プロ野球選手は子供たちのあこがれだと思うんです。警察官でもそういう存在になりたいし、私の下に入ってくる若い人たちの見本にもなりたい。そのためにも警察官である前に一人の社会人として自分を磨いていきたいです」。地域から愛され、信頼される警察官へ。池ノ内さんは第2の人生でも一歩ずつ前進していく。

    (デイリースポーツ・工藤直樹)

    ◆池ノ内亮介(いけのうち・りょうすけ)。1988年11月22日生まれ。三重県伊賀市出身、現役時代は右投げ右打ちの投手。175センチ、74キロ。背番号は121→68。中京高から中京学院大を経て10年度のドラフト会議で広島に育成2位で入団。13年オフに支配下登録され、14年7月14日のDeNA戦でプロ初登板を果たす。15年に退団。通算成績は2試合に登板し0勝0敗0セーブ、防御率0・00。17年8月に大阪府警の巡査となる。独身。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200326-11004419-maidonans-life

     広島OBで、成人T細胞白血病で闘病中の北別府学氏が24日、ブログを更新。治療で緊張していたところ、夫人の“気遣い”で気分が和んだ様子を伝えた。


     入院して闘病中の北別府氏はこの日、「今から治療のための脊髄注射 ドッキンドッキン」と心境をつづったが、その隣では夫人が大笑いしていたという。

     そして「これ見て緊張ほぐしんちゃいです」と差し出されたのは、北別府氏がいくつものカツラをかぶった合成写真。その画像を掲載した北別府氏は「確かに面白い。どんなカツラが良いですかね(笑)。この写真で笑ったりブログアップしたりして気が紛れました!」とつづった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200324-00000104-dal-base

     元日本ハム監督で野球解説者の大島康徳さん(69)が21日、自身のブログを更新。抗がん剤治療中の元広島エースで解説者の北別府学さん(62)と奥さんにエールを送った。

     大島さんは2017年2月にステージ4の大腸がんを患っていることを公表し、仕事をしながら現在も闘病中。一方、広島のエースとして通算213勝を挙げ、今年1月20日に成人T細胞白血病を患い療養に入ることを公表した北別府さんは現在入院して抗がん剤治療中だ。

     北別府さんが病気を公表した6日後には「北別府学さんへ」とのタイトルで「ぺー!大丈夫だ!俺達の身体は強い!信じていい。野球に鍛えてもらったおかげだな」とエールを送り「俺ら、がん友。共に頑張ろう!」とメッセージをつづっていた大島さん。この日は「北別府学さんへ2」のタイトルでブログを更新すると「抗がん剤治療頑張っていますね。妻からブログの内容を時々教えてもらっています」と書き出した。

     そして「善(よ)くなることだけをイメージして頑張ろう!野球に鍛えてもらった我らの強い身体を信じよう!ぺー、頑張れ」と再びエール。「頑張った先には明るい未来が待っているのだから」と続けた。

     また、北別府さんが17日のブログで「家内が凄いことに」「声をかけても反応なし」「爆睡中(笑笑)」と看病に当たっている奥さんが机にもたれかかった“凄い”姿勢で爆睡する様子を隠し撮りした写真をアップし「この格好になって30分経ちます。ずっと眺めていますが、感謝の文字しか浮かんできません」とつづったことにも触れ「ぺーはうちの奥さんから言わせたら優しいそうだ。病室で居眠りしてしまった奥さんに“優しい眼差しを向けられるから”だそうだ。私だったら“風邪引くぞ!”とすぐに起こし“家に帰って寝なさい!”と言っていると(笑)その通~り!(笑)」とちゃめっ気たっぷりにつづり「追伸 妻が奥様に“よろしく”と“お身体に気をつけて”と申しております」と締めくくった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000219-spnannex-base

     KAT-TUNの亀梨和也(34)が18日、日テレ系「衝撃のアノ人に会ってみた!」(後7時)に出演。日本ハム、広島、巨人の内野手として全力プレーを見せ、巨人の内野守備走塁コーチだった2010年4月7日に37歳の若さで死去した木村拓也さんの長男・恒希さん(20)らと対面し、父との思い出を聞いた。


     木村さんは1972年4月15日、宮崎県田野町(現宮崎市)生まれ。宮崎南高から90年ドラフト外で日本ハム入団し、92年にプロ初安打をマークすると、95年に広島、06年途中に巨人へ移籍。04年にはアテネ五輪日本代表で銅メダル獲得するなど、投手以外の全ポジションをこなすユーティリティープレーヤーとして、プロ19年間で1523試合に出場。熱血プレーと温かい人柄で、チームメートやファンに愛された。

     番組では野球に取り組んでいた恒希さんが亡き父の言葉「やると決めたら、最後までやり抜け」を胸にプレッシャーの中で奮闘を続けたことを紹介。高校1年の秋、右膝の負傷に苦しみながらも、必死のリハビリで最後の夏、レギュラーを勝ち取ったことに触れ「僕自身、この言葉に助けられることも多くて…」という恒希さんの思いが打ち明けられた。

     さらに、亀梨と恒希さんは木村コーチが最後まで魂を燃やしたマツダスタジアムを訪問。恒希さんは「父が倒れて、ここに来るのは10年ぶりです。父がいた場所なんで、僕も同じ立場で…選手としてここに立ちたかったと思いますね」と本音を吐露した。

     恒希さんは現在、大学で建築学を勉強中だが、「父を忘れたくない」という思いから、野球に携わる仕事に就くことを視野に入れている。そんな20歳に巨人・原辰徳監督がVTRでメッセージを披露。「大きな夢を持って前に進んでいると聞いています。拓也も喜んで天国から見守っていると思います」と語ると、恒希さんは感激の面持ちで「ビックリしました」とコメントしていた。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200318-03180170-sph-ent

     国学院大学は16日、セカンドキャリア特別選考で元ロッテの島孝明氏、元広島の岡林飛翔氏が合格したことを発表した。4月1日から人間開発学部健康体育学科に所属し学生生活をスタートさせる。



    「セカンドキャリア特別選考入試に関する協定」は、2017年11月に国学院大学と一般社団法人日本プロ野球選手会が、引退後のセカンドキャリアに進む元プロ野球選手の支援を目的に締結したもの。

     島氏は同大学を通じ「純粋に自分にはまだやりたいことが沢山ありました。自分の人生はまだ前半であり20年30年先の自分が、いい人生を送って来れたと誇れるような生き方をするには、野球から学んだことだけではなく、大学での学びが必要だと考え、進学を選択しました」とコメントを発表。

     岡林氏も「将来は、野球の指導に携わりたいと思っています。しかし、指導する立場にも学ぶべきことがあります。何も勉強せずに指導をしても相手に伝わらなかったり、その人に合った指導が出来ません。そのため、体の仕組みや使い方などしっかり学んだ後に、野球の指導に携わることができればと思い大学進学を選択しました」と進学の理由を説明していた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200316-00722838-fullcount-base

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