広島カープブログ

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    カープOB

     広島が12日、マツダスタジアムで社会人チームの三菱重工広島と練習試合を行い、11-0と前日のJR西日本との練習試合に続いて大勝した。

     投げては先発野村祐輔投手(28)が丁寧な投球で6回3安打無失点に抑えると、打線は丸佳浩外野手(28)とサビエル・バティスタ内野手(25)の2試合連続本塁打など3本塁打を含む14安打11得点。順調な調整ぶりをうかがわせた。

     2試合連続本塁打、複数安打を記録したバティスタは「いい練習ができているので、試合でもアピールできたと思う」とポストシーズンでのスタメン奪取に自信をのぞかせた。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171012-00026423-nksports-base

     今季からスタートし、大好評をいただいている達川光男ヘッドコーチ(61)のコラム「今昔物語」-。前回まさかの「最終回宣言」が飛び出したものの、多くのアンコールに応えての第4回です。今回の話題は24年前の夏につらすぎる別れとなった「炎のストッパー」の素顔と思い出。そして投手陣の多くの言葉に支えられた自身の現役生活を振り返りながら、珍しく!?真面目に、昔と今を紡いでいきます。最後にちょっとだけ、契約更改の(秘)交渉術も…。

    「キャッチャー防御率」について明かした達川ヘッドコーチ。契約更改のマル秘交渉術とは…

     西スポ読者のみなさん、どうも達川です。早いものでこのコラムも4回目じゃの。前回で一応、最終回にさせてもらうということを伝えとったんじゃけど、「アンコール」がたくさん届いたと記者さんから言われたもんじゃけえ。それはワシもうれしいし、そう思ってくれる読者がいる限りは続けんとな。ただ、ワシの面白い話を期待してくれる方がほとんどじゃと思うんやけど、今回は真面目な話をさせてほしい思うとるんじゃ。たまにはそういう回があってもええじゃろ。配球もそうじゃけど、何事も「緩急」いうもんは大事じゃからな。

     交流戦を最高勝率で終えて、先週の仙台での楽天戦でも勝ち越して今4連勝中と、チームはいい状態じゃと思うよ。で、早速今回のことわざなんじゃけど「寸土力耕(りきこう)、力耕我を欺かず」ということ。たとえ小さな土地であっても、力を込めて耕せば、そこでの実りは耕した人を欺かないという意味よ。いまの成績は、それぞれが自分の役割いうんかの、コツコツと自分の力を尽くしてくれているおかげじゃと思う。この言葉がピタリとはまるチームになってきている思うから、秋にはきっといい実りがあると信じとるよ。

     ただ昔から「夏を制するものがペナントを制する」とか、わしらの時代は「8月を制するものが…」とよく言われてきた。交流戦とかもあって、昔とは日程も変わってきているのは確かじゃけど「オールスター後からが本当の勝負」というのは、今も昔も変わらんと思うから気を引き締めていかんとな。オールスターにはワシも何度か出さしてもろうたけど、毎年この時期になると、つらいことを思い出すんよ。
    引用元 https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/341199/

     広島の37年ぶりとなるセ・リーグ2連覇を記念し、商店街を市民ら1600人が練り歩く「大ちょうちん行列2017」が7日、広島市内で行われた。

     1975年の初優勝にも実施され、昨季に続き4度目。チームのロゴが入った赤いちょうちんを手に、特製Tシャツを着用するなど、周囲を真っ赤に染めた。

     OB会長・安仁屋宗八氏、池谷公二郎氏、大野豊氏、北別府学氏、山内泰幸氏、横山竜士氏のカープレジェンド6人が参加。私設応援団も同行し、約1キロを沿道の市民らと応援歌を大合唱しながら歩き、喜びを分かち合った。

     ゴール地点となっている袋町公園には特設会場が設置され、鏡開きや振る舞い酒等を実施。2年連続で参加した安仁屋氏は「去年以上に盛り上がっていた。多くの方が応援してくれるのはありがたいこと。今日、2軍が優勝したというのもいい活気づけになったのではないかな」と声をはずませた。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171007-00000140-dal-base&pos=5

     プロ野球セ・リーグは、広島が37年ぶりの連覇を果たした。大型連載の第26回は広島一筋22年、先発に、抑えにと活躍した大野豊氏(62)。二十歳のころは島根・出雲市信用組合に勤務しながら、軟式のチームでプレーしていた。21歳のときにドラフト外でプロ入り。通算148勝138セーブを挙げた裏には、多くの人との出会い、社会人時代の貴重な経験があった。

     プロ野球選手を目指そうなんて、考えたことはありませんでした。なりたいと思ったこともありません。二十歳になったのは1975年。のちにお世話になる広島カープが初のリーグ優勝を飾った年です。私は出雲市信用組合に入行して2年目。軟式野球部でプレーしていました。

     ノンプロではないので、午前中だけ仕事をして、午後は練習に専念というわけにはいきません。本店の渉外担当として朝から夕方まで業務をこなした後、日が暮れるまで練習をするという毎日でした。

     朝は8時半に出勤し、9時頃から課のミーティングで、その日の担当エリアをチェック。午前中は商店街を中心に歩き回りました。午後は原付きバイクで遠方を回り、夕方に本店へ戻って集金したお金の計算です。金額が合えば5時頃に終了しますが、1円でも違っていると、合うまで数え直しでした。

     野球部といっても専用グラウンドはなく、日替わりで借りたグラウンドに、仕事が終わった人から集合。土曜の午後や仕事が休みの日曜に、まとまった練習や試合をしました。

     初任給は、手取りで約3万5000円。毎年、1万円ずつの昇給でした。出費は通勤用に買った原付きバイクとスーツの月賦が計5000円。家に5000円を入れ、できる範囲で貯金した残りが自由に使えるお金です。朝のミーティングは喫茶店でモーニングを食べながらだったので、月単位だと、朝食に最もお金がかかったかもしれません。

     プロに入るまで、ずっと軟式でプレーしていたと思っている人もいるようですが、出雲商高では硬式でした。真っすぐはそれなりに速かったので、はまれば抑えるけど、なかなかはまらないという投手です。中学、高校の大会で優勝したとか、何か記録を残したことはありません。夏場はやせて、すぐにばててしまうこともあり、高校3年夏の島根大会は初戦敗退でした。

     母子家庭で育った私は、母(富士子さん)を早く楽にさせてあげたくて、中学を卒業したら自立しようとも思いましたが、将来のために実業を学ぶことができる商業高校への進学を選びました。

     卒業後も野球は続けたかったので、3年生の夏が終わると杉原宏敦監督の勧めで、1学年下の捕手と一緒に1週間、ノンプロの三菱重工三原(広島・三原市、2014年に解散)の練習に参加しました。しかし、お世話になろうという気にはなりませんでした。就職は母がいる地元で、と考えていたからです。

     就職案内を見ても、出雲市内に硬式野球部を持つ企業はありません。銀行マンは自分の性格に合わないだろうと思いながらも、軟式とはいえ唯一、野球部がある出雲市信用組合を選んだのです。 (あすに続く)

    ■大野 豊(おおの・ゆたか)

     1955(昭和30)年8月30日生まれ、62歳。島根県出身。出雲商高、出雲市信用組合を経て77年3月にドラフト外で広島に入団。抑え、先発と転向を繰り返し、80-90年代の広島投手陣を支えた。98年に引退するまで22年間の通算成績は148勝100敗138セーブ、防御率2・90。主なタイトルは最優秀防御率2度、最優秀救援、沢村賞各1度。引退後は広島と、2004年アテネ、08年北京両五輪日本代表で投手コーチ。13年に野球殿堂入り。左投げ左打ち。
    引用元 http://www.sanspo.com/baseball/news/20170926/npb17092611000001-n1.html

    【大下剛史・熱血球論】広島のリーグ連覇の立役者を一人だけ選ぶとするなら、迷うことなく丸佳浩の名前を挙げる。開幕から全試合にスタメン出場し、打率3割8厘、22本塁打、90打点の好成績もさることながら、広い守備範囲、常に先の塁を狙う積極性と、走攻守すべての面でチームをけん引した。リーグMVPは記者投票なのでどのような結果になるか分からないが、十分にその資格はある。

     何より好感が持てるのは野球に取り組む真摯な姿勢だ。決して派手なタイプではないが、オフも黙々とジムで筋力トレーニングに励み、キャンプはもとよりシーズンに入っても練習から妥協しない。まだ28歳ながら“大人のプレーヤー”の風格さえ漂わせるなど、体だけでなく精神面でも着実に成長している。

     昔から野球で重要なのは捕手―二遊間―中堅を結ぶセンターラインだと言われてきた。広島に当てはめると会沢、菊池と田中、丸がその役割を果たしているわけだが、中堅手の丸は守っている姿からチームに安心感を与えている。広島の歴代外野手の中でもトップクラスで、ミスター赤ヘル、山本浩二の全盛期よりも動きはいいと思う。集中力も球際の強さも申し分ない。

     2007年の高校生ドラフト3巡目指名で千葉経大付高から入団して、ちょうど10年目。正直言ってここまでの選手になるとは思わなかったが、広島らしいたたき上げで欠くことのできない野手の大黒柱となった。

     37年ぶりのリーグ連覇を達成し、さらに33年ぶりの日本一へとチームを導けば、選手としてのハクもつく。満足せずに上を目指す姿勢を貫けば、あと10年は第一線で活躍できるはずだ。順調なら来季中に国内FA権を取得するが、OBとしては現役だけでなく、将来的に指導者としても広島一筋でやってほしい。そう思わせる選手である。(本紙専属評論家)
    引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/770710/

     ◇セ・リーグ 広島3―2阪神(2017年9月18日 甲子園)

     広島のリーグ連覇は1979、80年以来、37年ぶりだ。当時、守護神として連覇に貢献した江夏豊氏(69=野球評論家)が当時を振り返った。(聞き手・内田 雅也)

     18年間のプロ野球生活で広島にいた3年間が最も幸せな楽しい時期だった。80年は開幕前から「勝てる」感覚があった。79年に優勝して適材適所で人材がいた。決して層が厚いわけではなかったが、監督の古葉さん(古葉竹識氏)が「この場面ではこの選手」という用兵を把握していた。

     レギュラーをつくるのは比較的簡単だ。問題は代打、代走、守備要員、投手なら中継ぎ、リリーフをいかにつくり、うまく起用していくかにある。その点、今の緒方監督も選手の特長を生かしてやりくりしている。センターラインの1、2、3番を固めた。15年の就任後、実績のなかった中崎を抜てきするなど今の継投の形をつくった。しぶといチーム。連覇もうなずける。

     南海時代の77年に野村克也監督から「革命を起こそう」と言われ、リリーフ専門となった。79年は広島に移って2年目。春にサチ(衣笠祥雄氏)が「おい、今年は優勝するぞ」と言った。「ウチの穴をおまえが埋めてくれたからな」との言葉はうれしかったが、半信半疑だった。何しろ自分は優勝を知らない。阪神で73年に巨人と最終戦まで優勝争いを演じたが、当時のカープはまた雰囲気が違った。チーム一丸というのかな。自分もその空気に乗せられていった。

     カープでは首脳陣が選手と同じレベルで悩んでくれたり、相談に乗ってくれた。キャンプ地の日南は昼間は喫茶店、夜はスナックになる店があってね。首脳陣と一緒にわいわいやった。恐らく今のカープもそんな雰囲気じゃないのかな。家族と言えば親子だが、首脳陣とも兄弟という間柄のような関係にある。それもまた強みかもしれん。(談)

     ◆江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年(昭23)5月15日、奈良県生まれ。大阪学院高から66年1次ドラフト1位で阪神入り。68年、プロ野球新記録のシーズン401奪三振。73年にはノーヒットノーラン達成。76年に南海へ移籍し抑え投手に転向。78年に広島へ移り、2連覇に貢献した。81年に移籍した日本ハムでも優勝。84年西武で現役引退した。通算206勝158敗193セーブ、防御率2・49。

     ▽広島の前回連覇 1975年の初優勝から4年、79年は7人が規定打席に到達する盤石のレギュラー陣で優勝した。高橋慶彦が初の盗塁王、山本浩二が初の打点王。投手陣は南海から移籍2年目の江夏豊が9勝22セーブで初のMVPと最優秀救援に輝き、北別府学が17勝を挙げた。近鉄との日本シリーズを制し初の日本一。第7戦のラストは9回無死満塁をしのぐ「江夏の21球」だった。

     翌80年はマジック2で迎えた10月17日に阪神とのデーゲームに勝ち、新幹線で大阪から広島へ移動中に2位・ヤクルトが敗れて連覇を決めた。山本が本塁打、打点の2冠王でMVP。江夏が9勝21セーブで2年連続の最優秀救援を獲得した。
    引用元 https://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20170919_0075/

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