広島カープブログ

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    談義

     長谷川良平、安仁屋宗八、外木場義郎、北別府学、佐々岡真司…。

     近年は黒田博樹、前田健太といった2文字姓の投手がエースを務めていたが、昔から広島のエースと呼ばれた投手に3文字姓の投手が多い。

     長谷川は広島創設時のエースとして、通算14年間で197勝を挙げ、引退後は65年から3年間監督を務めた。広島は長く低迷していたが、70年代後半から80年代にかけて黄金時代が到来。その時にエースだったのが、“精密機械の異名”をとった北別府学。北別府は78年から11年連続で2ケタ勝利を達成し、82年と86年には最多勝に輝いた。92年に通算200勝を達成した。

     北別府の後、3文字姓のエースになったのが、佐々岡真司。佐々岡はリーグ優勝した91年に、最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。また先発だけでなく抑えを務めた時期もあり、100勝100セーブを達成している。


    引用元 https://baseballking.jp/ns/104224

     広島カープが25年ぶりにリーグ優勝を達成した。ファンの中には、今回の優勝を1975年の初優勝に重ねる向きが少なくない。あの時は球団創設26年目での悲願達成だった。

     41年前、不動のリードオフマンとしてチームを牽引したのが大下剛史である。地元出身の大下は74年のオフに、日本ハムからトレードで移籍してきた。

     アマチュアの名門・広島商、駒澤大で持前の俊足好打好守を磨き、“暴れん坊軍団”と呼ばれた東映では切り込み隊長として活躍した大下は、どのようにして広島を変えたのか。洗いざらい語ってもらった。




    物議を醸した「ワシのトレード」

     ―東映で1年目からレギュラーとして活躍し、日拓・日本ハムとチーム名を変えながらもスタメンを張っていた大下さんが74年オフ、トレードで広島に移籍してきたことは驚きでした。何が原因だったのでしょう。

     大下 結局は水原茂と三原脩の確執ですよ。僕は水原のオヤジさんに世話になっていたので、73年に球団社長に就任した三原さんにすれば水原色を消したいという狙いがあったんじゃないかな。

     おもしろい話があってね、ワシが広島からトレードを打診された直後に(東映時代からの先輩の)張本勲さんから電話が入ったんです。「剛史、このトレードはすぐに断れ。行くんやない!」と。そんなこと言われても、こちらはどうすることもできない。

     ワシの次は大杉勝男さん、そして張本さんと相次いで、主力がトレードでチームを去っていった。時間をかけて三原さんは水原色を一掃したんです。

     ―74年オフに広島の打撃コーチから監督に昇格したジョー・ルーツが大下さんのプレーを買っていたという話を聞いたことがあります。

     大下 それはワシも後で知ったんだけど、74年のカープとのオープン戦で、ワシがコーチの制止を振り切って走ったシーンがあったらしい。それを見ていたルーツが、監督になる条件のひとつとして「オオシタを獲ってくれ」と球団に頼んだというんです。「オオシタのプレースタイルはオレのやる野球にマッチしている」とね。

     ―トレードではレギュラークラスの渋谷通、上垣内誠との二対一でした。大下さんへの期待の大きさがわかります。

     大下 これも後で聞いたんじゃけど、球団代表の重松良典さんは契約書にハンコを押す時、手の震えが止まらんかったらしいよ。球団にすれば、ひとつの賭けだったんでしょう。


    引用元 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170212-00050787-gendaibiz-bus_all

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