広島カープブログ

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    新井貴浩


    【平岡洋二「アスリートの解体書」(6)】新井貴浩を語る上で欠かせないのが労働組合日本プロ野球選手会会長就任だ。2011年、東日本大震災の影響で巨人など経営側の論理主導でセ・リーグの開幕日が二転三転。経営側と対峙し交渉の矢面に立ったのが選手会の代表者である新井会長だった。

    私などは「プロ野球史上最大の人選ミス」などと就任当初、やゆしていたものだが、あにはからんや時の人として称賛された。確かに交渉の過程で、その都度マスコミの前で対応する新井を見て大変な状況の中、これ以上はない態度での受け答えであったと思った。また、セ・パ同時開催決定となり涙する姿はさもありなんとも感じた。


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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/f8c4459f8b6e40a5b62021948a973a6077bec111

    新井貴浩 視点】広島は、打線が講じた青柳対策が功を奏した。狙いを高めに設定して低めを見送る、あるいは我慢してセンター中心に弾き返す。例え追い込まれても、ファウルでカットするなどして簡単に三振しない。凡打になっても球数を投げさせる――。

     実際、青柳の球数は2回で61球を数えた。各打者の打席でのアプローチが明確だった証しだ。スタメンには左打者が6人。単に並べたのではなく、“こうやって打つんだ“という戦略が徹底され、それが「打線」となって攻略につながった。


    中でも羽月の働きは素晴らしい。キャンプから練習ぶりを見ているが、ものすごいガッツの持ち主。攻守走すべてがひたむきで、気持ちで食らいつくという表現がピッタリの選手だ。2点差に追い上げられた5回2死一、二塁で放った右中間への2点三塁打など、体を投げ出すようにして打っている。形や格好ではなく気持ち。泥くさい彼のプレースタイルは、カープに新しい風を吹かせてくれそうな予感がする。

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    引用元 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/08/08/kiji/20200808s00001173098000c.html

     「阪神10-2広島」(15日、京セラドーム大阪)  広島は投打とも振るわず完敗した。大瀬良大地投手(29)はチームトップの5勝目を目指して先発マウンドに上がったが、5回8安打5失点(自責点4)で今季2敗目。阪神・西勇とのエース対決に敗れた。   ◇  ◇  大地は立ち上がりから調子が良くない中で、サンズの打球を左足に受けた。本人は表情に出さず、その後も淡々と投げていたが、投手というのは野手と違ってすごくデリケートなだけに影響はあったと思う。さらにバックのミスなども重なり、5回でマウンドを降りることになったが、調子が悪いなりに、よく投げたという印象だ。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/6c5fb6ec60f251bf6d1b592d6c70fe29f57f3e48

    【新井さんが行く!】やっぱり、野球は面白いね。プロ野球が開幕して、セ・リーグは対戦がひと回りしたところ。3カ月、待ったかいがある。凄く新鮮で、楽しい。

     テレビの解説で球場に行ったら、コロナ対策で放送室はアクリル板で仕切られ、ドアは開けっ放し。同じようにドアが開いているから隣室の実況の声がよく聞こえる。去年はこんなことはなかった。特にラジオだと、状況説明が詳しく、声のボリュームも大きい。解説で話をしようとしたら、自然と隣の声が耳に入り、何を話そうとしていたか忘れちゃうことも。そりゃあ、グラウンドにいる選手たちも聞こえるよね。

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    引用元 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/07/07/kiji/20200707s00001173050000c.html

    「広島3-8阪神」(5日、マツダスタジアム)  遠藤-坂倉の若いバッテリーが阪神打線に打ち込まれたが、一言で言うと、もったいないという印象だ。

    遠藤の真っすぐは力があり、阪神の各打者は軒並み、差し込まれていた。ところが、打たれた3本の本塁打はいずれも変化球。そこをバッテリーがどう感じるかだ。特に捕手は打者に一番近いところにいる。打者の反応を敏感に感じ取って、配球を組み立てていかないといけない。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/342b99d8d6c3d1451c22be4a8c514994777850d7

     プロ野球で、数々の強打者育成に尽力した内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)の教え子には、想像を超えて飛躍を遂げた選手たちがいる。その代表例である金本知憲氏と新井貴浩氏について、共通点を聞いた。

      ◇  ◇

     金本は東北福祉大から、91年ドラフト4位でカープに入団。三村敏之さんが2軍監督時代から目をかけ、1軍に抜てきすることになるが、入団時は線が細く、後に3割30本100打点をマークするなんて想像もできない選手だった。打撃は左中間に運ぶ技術はあったが、右肘や右肩が上がって脇が甘くなる欠点があり、内角のスピードボールへの対応が課題だった。

     上からたたく練習を繰り返して克服していったが、1軍で活躍するようになってもネクストサークルでは極端なダウンスイングで意識付けを行っていた。相手ベンチからその姿を見て、巨人の若手に伝えたこともある。

     1、2年目はファームの遠征メンバーから外れたこともある。当時、私は2軍打撃コーチだったが、「残留組は1日1000スイングをやるように」と伝えていた。1000スイングなんて、本当にやろうとしたら大変なこと。半信半疑で言ったつもりだったが、居残った川端(当時の2軍投手コーチ)によると、金本だけは本当にやっていたらしい。大学入学前に一浪した経験もあったからか、反骨心は相当なものだった。

     あの時代では珍しく、積極的に筋力トレーニングに励んだことも飛躍の一因となった。車でいうエンジンの排気量が増すことで、体力もつき、打球にも力強さが加わるようになった。金本の鍛え抜かれた肉体は球界でも有名で、あの長嶋さんも注目していたそう。オールスターの時には「金本の体を見てみたいから風呂に入る時に教えてくれ」と周囲に言っていたそうだ。

     金本同様、新井も努力のふた文字なくして語れない選手だろう。広島とパイプの太かった駒大から、98年ドラフト6位で入団。体は大きかったが、大学でも通算2本塁打。周囲も「何とかものになれば」というくらいの評価で、まさか名球会に入るほどの選手になるとは誰もが思わなかっただろう。

     守備も課題だらけ。駒大の先輩である大下ヘッドコーチが朝からずっとノックをガンガンやっていたが、「これだけやっているなら新井を試合で使うのも当然だろう」と周囲を納得させるほどの練習量だった。

     金本の背中を見て育った新井。これは江藤もそうだったが、彼らに共通するのは体が元気なこと。けがもしない。過酷な練習をしても、すぐ元気になる。多くの選手は辛抱するのが精いっぱいで顔に出るものだけど、彼らにはそうしたことが全くなかった。

     その後、広島・鈴木誠也の2軍時代に指導した経験があるが、彼を見ていると、金本や新井の姿に通ずるハートの強さがあった。いい意味で眼力の鋭さがあり、なにくそ精神でこちらにぶつかってきていた。会うたびに、体もどんどん大きくなっている。技術だけではない、ハートや体の強さ。若手が育つカープの土壌には、こうした伝統がしっかり根付いている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200512-00000107-dal-base

    広島の堂林翔太内野手が打撃フォーム改良に取り組んでいる。

    OB新井貴浩氏から「バットヘッドを最短距離で出す」と助言されたイメージをたたき込み、打撃練習では中堅方向を意識。「自己満足にならないように、レフトに本塁打したら次はセンターに切り替える。センターへ打ちにいきながら反応してレフトに打ち返すと打球も違う」。2日に1度の頻度で振り込みを重ねる。





    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200502-25020553-nksports-base

     4年前、2016年4月26日。1人の男が大記録を成し遂げた。ドラフト6位以下の大卒選手では、プロ野球史上初の偉業到達、プロ18年目の金字塔。不断の努力は才能を凌駕(りょうが)した。


     いまも脳裏には鮮明に焼き付いている。球場全体から鳴りやまぬ万雷の拍手。歩んできた野球人生と同じように、新井貴浩内野手が打った白球は一直線に左翼線へと伸びた。

     ヤクルト-広島戦の三回、無死二塁。通算2000安打目の打球が、左翼フェンスで強く跳ね返る。両軍から花束を手渡され、スタンドに5度、頭を下げた。プロ18年目、通算2112試合、7966打席目。史上47人目の快挙を球場全体が祝福した。

     「広島に戻れなければ、あるわけなかった」と言う偉業。「なんと言っていいか…。本当にありがとうございます」。こみ上げる思いを抑えながら声を張り上げた。「もう無理だ」と感じたプロ1年目。だが、運命は新井に味方した。FAで江藤智内野手が巨人に移籍したことで「4番・三塁」が空白に。育成急務のチーム事情が新井を育てた。

     光の数だけ影があるように、努力の数だけ流した汗がある。涙がある。03年。阪神に移籍した金本知憲外野手に代わる形で、山本浩二監督から4番に任命された。焦り、力み、重圧で大失速。だが、4番は不動だ。7月10日の阪神戦(広島)。たまったフラストレーションが一気に爆発。観客の心ないヤジに、生涯初めて応戦した。

     次戦の12日・中日戦(広島)。ついに4番を外れ、6番に降格する。練習前に1人、監督室に呼ばれた。

     「新井よ。しんどいか、苦しいか?」

     叱られたわけでも、慰められたわけでもない。だが、涙が止めどなくあふれた。「悔しいし、苦しい。ホッとした気持ちもあった」。どんな過酷な練習にも耐えてきた男が、初めて流した涙だ。終盤戦から4番に戻り、04年も固定。翌05年に本塁打王獲得という形で、指揮官の辛抱、新井の努力は結実した。

     2007年オフ、兄と慕う金本知憲の後を追ってFAで阪神に移籍した。東日本大震災が起きた2011年には、労組プロ野球選手会会長として尽力。出場機会が激減した2014年オフ、球団に自由契約を申し入れた。複数球団が獲得に興味を示す中、真っ先に獲得に動いたのが古巣広島、鈴木清明球団本部長だった。

     FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どのツラ下げて帰れば…」。何度も電話をかけ、困惑する新井を根気よく説得した。最終的には緒方孝市監督も背中を押した。「僕が全力で守ります」。だが、結果的に守る必要はなかった。必死な姿は若手のお手本になり、懸命な姿はファンの胸を打った。

     節目の大記録で勢いに乗ったチームは、そのまま快進撃を続け、9月10日の巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。新井はこの年、300本塁打にも到達。史上初めて2000安打、300本塁打、リーグ優勝、リーグMVPを同一シーズンに達成した選手にもなった。

     ドラフト6位入団。恵まれた才能があったわけでも、将来を嘱望されていたわけではない。それでも地道な努力は、野球人生の終盤に大きな花を咲かせた。新井はいまでもサインを書く時に、「感謝」の2文字を横に添える。最後までファンを愛し、ファンに愛された男だった。(デイリースポーツ・田中政行)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-00000063-dal-base

     暗い話題が多い、こんな時だからこそ、楽しいことを考えないと!! そこでスポニチが独断と偏見に想像力も働かせて、つくってみました。時代を超えた「ご当地オールスターチーム」。一時代を築いた名選手たちが同じチームだったら……。読者の皆さんも本紙選定チームを叩き台にしてオリジナルチームを選考してみては。今回は広島です。

     各地区のドリームチームの中でも、広島の外野のレベルの高さは群を抜く。ミスター・赤ヘル山本浩二(廿日市)、世界の鉄人・金本知憲(広陵)、そしてトリプルスリー・柳田悠岐(広島商)と現役を含めて、各世代を代表する名手がそろっている。

     金本のプロ入団時の監督が山本だった。子供のころからの憧れ。「監督がスタメンに悩むことのない存在になりたい」というのが、フルイニング出場へのこだわりとなった。大差がついても、雨が降っても、骨にヒビが入っても、金本は試合に出続け、1492試合連続フルイニング出場の世界記録につながった。

     阪神でも03年、05年のリーグ優勝に貢献。「アニキ」としてファンに慕われた。00年にはトリプルスリーも記録。柳田もパMVPに輝いた15年にこの勲章を手にした。打力だけでなくスピード、肩を兼ね備えた外野陣だ。南海、松竹などで活躍した「神主打法」の岩本義行(広陵中)も50年に・319、39本塁打、34盗塁で初代のトリプルスリーを記録した外野手だ。

     日本記録の3085安打をマークした安打製造機・張本勲(松本商・浪華商)は45年8月に広島で被爆した体験を今も語っている。「物干し竿」と呼ばれた長尺バットで一世を風靡(ふうび)した藤村富美男(呉港中)は押しも押されもせぬ初代ミスタータイガース。チームが8球団中、6位に沈んだ49年には安打、本塁打、打点のシーズン記録を更新し、MVPに選ばれたほどだ。

     メンバーには入らなかったが、記しておかなければならない広島出身の野球人がいる。石本秀一(広島商)は監督として広商野球の礎を築いた後、プロ野球6球団で監督を務めた。戦前1936年には大阪タイガース2代目監督となり、打倒巨人の意識を浸透させ、今日の伝統の一戦に繋げた。50年には広島の初代監督にもなった。

     さらにタイガース創立時のメンバーで、いずれも広陵中出身の捕手・小川年安、遊撃・岡田宗芳、同じく巨人の初代メンバー田部武雄はそれぞれ召集され、戦死。認知度も低い職業野球に情熱を注ぎ、戦争に苦しんだ先人の思いを、危機に直面した今、思い起こしたい。

     さてメンバーは捕手・達川光男(広島商)、一塁・新井貴浩(広島工)、二塁・大下剛史(広島商)、遊撃・広岡達朗(呉三津田)で出そろった。エースはロッテで通算215勝したマサカリ投法の村田兆治(福山電波工)。現阪神投手コーチに福原忍(広陵)、現ヤクルト監督の高津臣吾(広島工)ら控えも多彩だ。

     監督として日本プロ野球最多の1773勝を誇る鶴岡一人(広島商)が、広島のじゃけえ軍団を率いる。「グラウンドには銭が落ちてる」と選手の目の色を変えてみせるはずだ。(鈴木 光)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200421-00000012-spnannex-base

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