広島カープブログ

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    野村謙二郎

    ◆2011年5月20日 日本生命セ・パ交流戦 オリックス3―2広島(京セラD)

     冷静沈着な広島・野村謙二郎監督が、珍しく動揺しているのがモニターの画面越しにもわかった。試合前のメンバー交換。審判団に何事かを指摘され、三塁ベンチに向かって指で示したのは「×(バツ)」のサインだった。一方、どや顔のオリックス・岡田監督。あまりにわかりやすく、鮮やかなコントラストが描かれていた。

     問題となったのは「7番・DH」でスタメンに据えた投手の今村。当時の交流戦とセ・リーグは予告先発ではなく、相手先発が読み切れなければ、登板予定のない選手を“当て馬”として起用することがあった。この試合も右腕の木佐貫か左腕の中山か悩んだ末の「作戦」。だが、野球規則では、指名打者は相手先発に1打席を完了しなければならなかった。

     野村監督「予期していなかった。あれは僕の失敗、ボーンヘッド。言い訳しようがない」

     岡田監督「言うてやったんよ。(DHは1打席は)そのまま打席に立たなアカンてな」

     試合は7回に逆転されて敗れたが、試合前に流れを手放していた感は否めない。

     その今村が登場したのは2回1死一塁。木佐貫の初球を落ち着いて送り、お役御免で次の打席から石井に交代した。きっちりバントの仕事を果たした20歳が「ルールなので仕方ないですよ」と涼しい顔で振り返ったのが印象的だった。

     「よかった。(今村の打席で)チャンスになったらどうしようとドキドキしていた」。当時はBクラスが常連だったチームを後に再建した指揮官らしからぬミステイク。ほほえましくも苦い思い出になっているが、翌年には観客増などの狙いからセ・リーグでも予告先発が導入された。偵察要員は今後も起こりうるが、この日のようなケースはまず見られない珍事として記憶に残っている。

     ◇野球規則5・11 1(a―2)試合開始前に交換された打順表に記載された指名打者は、相手チームの先発投手に対して、少なくとも1度は、打撃を完了しなければ交代できない。ただし、その先発ピッチャーが交代したときは、その必要はない。

     ◇阪急・上田監督も 1982年8月12日の阪急・近鉄戦(日生)で阪急・上田監督が「5番・DH」で新人右腕の山沖を起用。初回1死満塁で見逃し三振を喫した。試合は13―5で阪急が逆転勝ちした。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200520-05170130-sph-base

     5日は例年なら全国の球場に少年少女の野球ファンが詰めかける「こどもの日」。スポーツ報知は12球団の主力選手に「子どものころ憧れた選手」についてアンケートを行った。



     ソフトバンク・柳田悠岐外野手「左打ちで小学校の頃はショートだったので、野村謙二郎さんがヒーロー。広島市民球場へ見に行った時、先頭打者ホームランを打たれて、どっぷりはまりました。外出自粛は続くけど、家で毎日30分練習するだけでも野球はうまくなる。何が足りないか、練習を自分で考えることも大事。みんなで協力して、日常が戻るように頑張りましょう」



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200505-05040154-sph-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#22

    「絶対に2000本を打たせたい」

     2002年のオフ、巨人から広島の一軍打撃コーチに復帰した私に、山本浩二監督が言った。

     チームリーダーの野村謙二郎のことだった。その時点で通算1763安打。2000安打まで残り237本としていたものの、36歳のベテランになって肉体的にも技術的にも難しい時期に差し掛かっていた。長いシーズン、一年を通じてレギュラーで出るのはもう難しい。要所で活躍できるような状態をキープさせることが、打撃コーチである私の仕事だった。

     山本監督は続けて、「2年で達成させたい」と言った。結局、03年は打率・274で85安打、04年は同・270で97安打。目標の2年間では達成できず、残り55本で05年シーズンを迎えた。

     先発出場の機会も減っていたが、山本監督は「シーズン前半だけはスタメンを多くしよう」との方針を打ち出した。野村は生え抜きの幹部候補生で、95年にトリプルスリーをマークするなどカープの功労者。その功績に報いてやりたいという監督の親心だった。

     そうして始まった、05年のある日の試合後のこと。帰宅して夕食を取っていると、インターホンが鳴った。出ると、野村が玄関先に立っている。何事かと思ったら、やおらバットを差し出し、「プレゼントします」。その日の試合で2000安打へマジック1とするヒットを放った際の“記念のバット”。そこには「1999本」「みんなに感謝」と記してあった。

     記録を達成すると記念品を作る。しかし、そういう人に配るためのバットではない。1999安打を放った実物を持ってきてくれた。粋なことをすると感激した。すでに最多安打と盗塁王を3度ずつ獲得している選手。駒大の後輩ではあるが、少しは後押しできたのかなとうれしく感じた。まさにバッティングコーチ冥利に尽きることだった。

    ■「左投手には牽制させろ」

     監督時代の野村は緻密な野球にこだわった。例えば左投手に牽制球を投げさせると、打者へ投げる際も開きが早くなる傾向がある。甘い球がきやすくなるのだから、一塁走者は意識してリードを取ること。牽制された際、何歩のリードなら戻れるのか。ヘッドスライディングでギリギリ戻れる場所はどこか。球界では「走塁が一番難しい」といわれるが、そういうことを選手に求めた。

     野球は点取りゲーム。走者が一、二塁止まりか。一、三塁にするのか。足が速い、遅いは関係ない。一つでも前の塁へ進塁する。少しでも点を取りやすい状況に持っていく。たとえ足が遅い新井貴浩でも、1本の安打で一塁から三塁へ進塁する意識を持っている。これがカープ野球の原点だ。野村監督の功績は他にもある。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200208-00000007-nkgendai-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#21

     1990年、ロッテへ移籍した高橋慶彦に代わり、入団2年目の野村謙二郎がショートのレギュラーに定着した。

     足は速いし、小力がある。入団当初は外野を守っていて守備力も高かった。しかし、1年目のキャンプで膝を痛めた。ドラフト1位指名を受けた後、オフの間に体重が増え、それが膝に負担をかけた。今のように新人は徐々に慣らしていくという時代ではない。同じ駒大出身の大下剛史ヘッドコーチは、野村をどう育てるか、どう使うか、構想を練っていた。次のショートをつくろうと思っていた矢先、すぐに故障してしまったのだ。

     大下ヘッドは当然、凄いけんまくで野村を怒った。

    「貴様なんか荷物をまとめて広島へ帰れ!」

     ドラ1の有望株。チームの期待も高かった。でも、野村はのんびり構えているようなところがあって、“鬼軍曹”のカミナリが落ちたのだ。

     すると、不思議な現象が起きた。「全治1カ月」という診断だったはずが、なんと膝の痛みが消えたというのだ。我慢していた可能性もある。今のようにMRI検査もない。当時の医師も驚いた現象で、野村は2、3日で戦列に復帰した。

    ■初球から振っていく積極果敢な1番

     大下ヘッドが怒ったのは、駒大の後輩でもある野村の1位指名を球団に進言したからでもあった。プロとしての自覚を持て、というのはもちろん、自分の置かれている立場をよく考えろ、ということだったようだ。

     打順は主に1番。当時はまだ、「1番打者はボールをよく見ていけ」という時代。初球から打つなんて常識外れだった。

     しかし、野村は四球を選んで塁に出ようとはしない。第1ストライクから振りにいくタイプで、超積極的な1番だった。

     今は軸足に体重を残し、球を呼び込んで打つのが主流だが、当時の野村は打ちにいきながら、間合いを取り、体の前でさばくスタイル。どんどん振りながらタイミングを合わせていた。ポイントを前にして打った方が打球は飛ぶが、落ちる変化球など、ボール球を振りやすい。案の定、ワンバウンドに手を出すなど、粗っぽさが目立ったが、山本浩二監督、大下ヘッドら首脳陣は、野村のスタイルを尊重。「なぜボール球を振るんだ」と責めることなく、我慢しながら見守っていた。今となっては「好球必打」という打撃の基本を、当時から貫いていた。

     そんな野村が、「感謝の意を込めて」と私にバットを持ってきたのは、1999本目を打ったその日のことだった。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200206-00000007-nkgendai-base

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     広島の緒方孝市監督(50)が1日、マツダスタジアムで会見し、今季限りで辞任することを表明した。

    「シーズン4連覇、悲願の日本一という目標の中で戦ってきたが、期待に応えることができず、それは監督としての責任。カープはいかに若い選手を育てながら戦い、試合に勝つか。そういう思いの中で戦ってきた。全力で最後までやり切ったという思いでいる」

     球団史上初のリーグ3連覇を達成したが、今季はFAで巨人に流出した丸の穴が埋められず、70勝70敗3分けで勝率5割。最後は6連勝した阪神に抜かれて4位に終わった。正遊撃手の田中広の不振、守護神を務めた中崎ら救援陣が安定感を欠いたこともあり、なかなか浮上できなかった。8月下旬に3番のバティスタがドーピング違反で戦線離脱。怠慢な走塁を見せた選手に緒方監督が暴力を振るったこともクローズアップされた。結局クライマックスシリーズにも進めず、責任を取る形でユニホームを脱ぐことになった。

    ■後任は佐々岡コーチと一騎打ち

     後任の有力候補は前監督の野村謙二郎氏(53)と今季一軍投手コーチを務めた佐々岡真司(52)。中でも野村氏が最有力とされるのは、球団にこんな思惑があるからだ。

     2010~14年までの前政権は5、5、4、3、3位。はっきりいって成績は良くないものの、1番田中、2番菊池、3番丸の「タナキクマル」が緒方時代の16年からのV3に大きく貢献した。この3人は野村監督時代に育成された秘蔵っ子である。広島のさるチーム関係者が言う。

    「主に4番を務め、首位打者になった鈴木誠也にしても、高卒の早い段階から野村前監督にチャンスをもらい、我慢強く起用してもらった恩義がある。新井ら若い監督候補もいる中、野村さんへの“先祖返り”が検討されているのは、チーム崩壊の危機を避けたいからではないか」

     今季、会沢、菊池涼、野村の主力3人が国内FA権を取得。会沢はリーグトップの得点圏打率・351をマークした打てる捕手で、二塁の名手・菊池は昨オフにポスティングシステムを利用したメジャー移籍を球団に要望している。今季6勝5敗、防御率4・06に終わった野村にしても、16年に16勝を挙げて最多勝に輝いた実績を誇る。

    「現段階で3人全員が流出の可能性があるから球団も頭が痛いところ。予定では来年には田中、今村。21年には大瀬良、中崎。22年には誠也と、毎年のように主力がFA権を取る。球団として流出に慣れているとはいえ、みんなに出て行かれたらチームは崩壊する。今の主力が駆け出しの頃に使ってもらい、頭が上がらないのが野村前監督。流出に歯止めをかけるための切り札になり得る監督なんです」(前出の関係者)

     これで困るのは巨人の原監督である。リーグ優勝は奪回しても、今季も広島に負け越し(10勝14敗1分け)。天敵の戦力を削ぐことも兼ね、FA権を持つ広島の質の高い選手に目を光らせている。野村氏の復帰で主力が相次いで残留を決断すれば、原監督は舌打ちすることになる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00000035-nkgendai-base

     広島の緒方孝市監督監督(50)が2019年10月1日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの退団を発表した。

     今季は球団初のリーグ4連覇を目指してスタートを切ったものの、開幕から5カード連続の負け越しでつまずきスタートダッシュに失敗。レギュラーシーズン最終戦までAクラス残留をかけての戦いが続いたが、チームは2015年以来の4位でシーズンを終えた。緒方監督はこの責任を取る形でユニフォームを脱ぐことになった。

    ■過去、指導者経験なしの監督はミスター赤ヘルのみ

     緒方監督の退任に伴い、チームの再建が急務となったフロント。来季に向けての第一歩となるのが新監督の選定だ。鯉党からは前監督の野村謙二郎氏(53)の復帰待望論が根強く、リーグ3連覇の土台を作った実績は評価が高い。理路整然とした野球論にも定評があり、「実績」、「知名度」、「期待度」は他の監督候補らの上を行く。

     「知名度」でいえば、広島、ヤンキースなどで活躍した黒田博樹氏(44)も群を抜く。MLBで複数球団からオファーがあったものの、それを蹴って2014年に古巣・広島に復帰。黒田の「男気」は多くの野球ファンから称賛された。また、現役時代「孤高の天才」と称された前田智徳氏(48)のカリスマ性、昨年引退した新井貴浩氏(42)のリーダーシップは高く評価されている。

     ただ、黒田氏ら3人に共通しているのが指導者の経験がないこと。前田氏は2013年に一軍の打撃コーチ補佐と選手を兼任していたが、指導者としての実績はほとんどない。黒田氏、新井氏もまた、引退後はスポーツ紙の評論家や野球解説を務めるなど、ともに現在は現場から離れている。広島の歴史を紐解くと、指導者の経験がなく、いきなり監督になったのは事実上、ミスター赤ヘル・山本浩二氏(72)だけである。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191001-00000007-jct-spo

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     大分・玖珠美山高(玖珠町)の野球部外部コーチに大学日本代表投手コーチの野村昭彦氏(50)が就任した。同県の佐伯鶴城高出身で大学、社会人でも活躍した野村氏は「玖珠美山高の選手は純粋に野球に取り組んでいる。全力で彼らの夢を応援したい」と語った。



     野村氏は広島の野村謙二郎前監督の弟。駒大、日本石油(現JX‐ENEOS)などを経て、中国地区大学野球連盟に所属する環太平洋大の監督を務め、昨秋の明治神宮大会準優勝に導き、その後退任し、現在佐伯市に在住。大学日本代表の生田勉監督(玖珠町出身)の勧めもあり「玖珠を愛する気持ちに少しでも応えたい」と外部コーチを引き受けた。

     野村氏は既に3月から週末を中心に玖珠町に足を運んで選手を指導している。「選手は真剣に私の話を聞いてくれる。伸びる力が十分にあり教えがいがある」と話し「玖珠から甲子園に行けるよう頑張りたい」と力を込めた。

     佐野大珠主将(3年)は「野村コーチの話は分かりやすく勉強になります。指導を生かして夏の大分大会で力を出し切りたい」と元気に話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00010005-nishispo-base

     「交流戦、楽天(雨天中止)広島」(15日、楽天生命パーク宮城)

     広島・野間峻祥外野手(26)が15日、再生へ向けて野村謙二郎前監督(52)から直接指導を受けた。この日の楽天戦は雨天中止。楽天生命パークの室内練習場で練習し、打席での足の使い方や考え方について助言を受けた。交流戦打率は規定打席到達者で12球団ワーストの・111。不振にあえぐ中、復権への道を歩む。

     早々に試合が中止となった敵地の室内練習場で、野間は復調への糸口を探し続けた。「いい時間になりました」。約1時間半の練習。東出打撃コーチから緩めの球を投げてもらってバットを振り続けていると、近くで見ていた野村前監督が身ぶり手ぶりでアドバイスをし始めた。

     「(指導を受けるのは)初めてだと思います。下半身が大事だし、下半身の力をどう伝えていくか。『軸足が“死んじゃう”とバットに伝わらないよ』というところも言ってもらったので。自分のスイングで強く振れるところにあるかどうか」

     そう話すように、主には打席の中での、足の使い方についてアドバイスを受けたという。交流戦での打率は規定打席到達者で12球団ワーストの・111。現在19打席連続無安打中と不調に陥る。「どうしてもヒットを欲しがって、振れないところで球を振りにいっている」と分析。現状を打破するための足取りを進める中で、差し伸べられた手だった。

     打撃フォームだけでなく、打席での考え方についても「シンプルに投手との距離をしっかり取った中で、自分のスイングをできるように。その中での結果」との助言を受け、「打てなくなってしまうとどうしても意識することもいつもと違っているのかなと」と、冷静に振り返った。

     打っては助言、打っては助言を繰り返した約30分間。その後のフリー打撃を終えてからも、前監督の言葉に耳を傾けた。最多安打3回にトリプルスリーも達成した名球会打者からの指導は、貴重なひとときとなった。

     5月12日・DeNA戦から6月11日・日本ハム戦までは「1番・中堅」で先発出場し続けたが、ここ3試合は7番での出場が1試合と、ベンチスタートが2試合。「結果はどうしても出さないといけないけど、しっかり自分の形で振っていく」と結果も求める中で、自分を見失わずに打席に立っていく。

     チームも3カード連続負け越し中で交流戦単独最下位。この日の練習が野間の再生につながれば、恵みの雨だったと振り返れる。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000019-dal-base

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