広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    緒方孝市

    ssd160473548114256

    <3連覇思想>

    指揮官として広島を3連覇に導き、日刊スポーツ評論家に就任した緒方孝市氏(51)の「3連覇思想」、最終回は「転機」の重要性について語ります。



      ◇    ◇    ◇

    選手にとっての「転機」ということを考えてみたい。誰にでも気持ち、プレーが変わるきっかけのようなものがあると思っている。選手、コーチ、そして監督として、ここまでやってこれた自分を振り返れば、母親がこの世を去ったとき、そこが生まれ変わる転機だったと考える。

    入団9年目の95年6月6日、自分が26歳のときに母が亡くなった。52歳だった。2年間ぐらい闘病していて回復の兆しもあったのだが無念の結果になった。今年、自分がその52歳になるのだが、当時はそんな年齢でこの世を去ってしまうのか…と衝撃を受けた。

    2人の妹、親類もみな、すごく悲しんだ。そんな中でもっとも驚かされたのは父親の姿だった。実家は佐賀・鳥栖の海産物卸売り業。両親共働きだったが特に父親は昔かたぎの厳しい仕事人だった。子どものときに一緒に遊んでもらった記憶はまったくないし、楽しく思い出すのは小学生のとき、野球のグラブを買ってもらったことぐらいだ。

    そんな父親が母のことで見ていられないぐらいに落ち込んでしまった。その父も昨年(19年)に亡くなったので、もう話してもいいと思うのだが、こんなことがあった。

    「緒方の父親が母の墓前で倒れている」。そう言って救急車が呼ばれたことがあった。事実は早朝からの仕事を終え、墓参に行った父が母の墓に触れながら話しかけているうちに寝込んでしまったのだ。しかし、その様子を見た知り合いが「倒れている。大変だ」と思って救急車を呼んでくれたということだった。

    それほど元気をなくしていた父親だったが唯一と言っていいぐらい喜んでくれたのが自分の野球での活躍だった。母親も生前、鳥栖から広島までこっそり見に来てくれていたということは後で聞いた。両親ともに応援してくれていたことをあらためて思い知った。

    父を元気づけるために何ができるのか。そう考えたとき、広島で活躍し、メディアに取り上げてもらうことしかなかった。正直、それまでは1軍半のような選手だったがそこから必死になった。そのシーズンに盗塁王を取ったこともあり、次第にレギュラーと言われるようになった。

    転機と言ったが何かのきっかけで「これでいいのか」と感じることが大事なのでは、と思う。実力がありながら伸び悩んでいるような選手はそんなことも少し考えてほしい。(日刊スポーツ評論家)



    引用元 https://www.nikkansports.com/baseball/column/analyst/news/202006040000476.html

    <広島11-6阪神>◇7日◇マツダスタジアム 広島羽月隆太郎内野手(20)が「2番二塁」で初出場初先発し、2安打3打点で勝利に貢献した。9連戦の4戦目。虎のサブマリン青柳対策に広島打線は6人の左打者を並べた。今後の戦いも見据え、主砲鈴木誠也外野手も外す大胆な打線の中、18年ドラフト最下位指名となる7位入団からはい上がった小兵が2桁安打2桁得点と打線を活性化させた。


    佐々岡監督の采配が的中した。青柳対策として、鈴木誠や菊池涼らレギュラーを休ませ、思い切ったオーダーを組んだ。2番に足の速い羽月を起用し、彼がラッキーボーイ的存在になった。初回の送りバントや2回のセーフティースクイズ(記録は内野安打)、5回の三塁打は相手の前進守備もあったが、思い切りよく打った。先を見据えて、打つだけではなく、機動力を使った攻撃にメドを立てたいという思惑もあったのだろう。

    広島は30試合を消化し、11勝16敗3分けの5位でスタートを切った。昨年まで監督を務めた日刊スポーツ評論家の緒方孝市氏(51)が、ここまでの戦いぶりと今後のポイントを語った。合格点を与えた攻撃陣は機動力や小技の重要性を説き、課題とした中継ぎ陣は若手と経験者の融合を浮上の鍵とした。

    30試合を終え、結果だけを見れば苦しいかもしれないが、明るい材料もある。攻撃陣はリーグトップのチーム打率2割8分9厘。堂林とピレラが昨年までの打線から新たな戦力としてしっかり数字を残し、中軸の得点圏打率も高い。攻撃の形はしっかりしている。 「好機であと1本が出ない」という声も耳にする。ただ、毎回得点できるほど簡単なことではない。反対に多くのチャンスをつくれているとプラスにとらえることだってできる。負ければどうしても、そういったところに目を向けられるものだ。ただ、長いシーズン、このまま高い数字を残し続けることは難しい。数字が落ちてきたときに、機動力や小技などを絡めた攻撃が必要になってくる。

    20200618-00804957-fullcount-000-6-view


    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/cc9963ca8680bd82e2e53e2475c882b615736166


    <広島9-2ヤクルト>◇17日◇マツダスタジアム

    「3番
    堂林」が誠也の先制打を呼んだ。1回無死一塁から菊池涼がバントを失敗した直後の1死一塁。カウント1-1からのスライダーを迷わず振り抜いた。結果は二塁打で、4番の前に1死二、三塁という絶好機を整えた。直後に生まれた、1回の4番の打点は今季2度目。1回に適時打で打点がついたのは今季初という。チームとして投手陣が崩れて3連敗した直後、エースを立てて臨んだ一戦で1回に4番の先制打で主導権を握れた意味は大きい。

    index


     引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/5863666b6b38451ffdacd8220fb44db476d0f1b3

    <練習試合:広島8-1阪神>◇9日◇マツダスタジアム 5回、広島は3番に入った西川のワンバウンド打ちの適時打から得点を重ねていった。「イチローばりの…」などと言われるかもしれないが、そんな大打者と比べるのは無理があるとしても西川の特徴が出ていた打撃だったとは思う。


    彼の打撃の特徴はバットの“面”を器用に使えることだ。バットコントロールと言うより、面をしっかりと球に当てる技術を高いレベルで持っている。 打者全般に言えることだが調子を落とすときはバットをこねる、球を引っ掛けてしまうことが多い。右打者なら右手、左打者なら左手、つまり投手に対してうしろ側にある手首を早く返して打ってしまう。

    手首を返してこねるのではなく、来た球にスムーズに対応していく方が結果は出る。5回で言えば会沢、ピレラ、鈴木誠也の安打もそんな感覚だった。打者の左右に関係なくセンター中心、ピッチャー返しに打つことが大事なのだが西川は特にそれがうまい。
    20200609-26090741-nksports-000-4-view



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/e076a4a7bf8ee0f86ed5b0787fad62532580ac06

    <3連覇思想>

    広島にリーグ3連覇をもたらし、新しく日刊スポーツ評論家に就任した緒方孝市氏(51)が「3連覇思想」と題して連載を執筆。2回目は緒方氏が好選手の“要素”について語ります。


       ◇   ◇   ◇

    すっかり日本の4番打者になった鈴木誠也、この日は二盗、三盗で走れるところを見せていた。監督時代、彼を注意したのは一度だけだと思う。その原因にもなるのだが、誠也のどこが人と違うと言って、その負けず嫌いぶりだ。打てないと異様に悔しがるのだ。

    その姿を見て自分の現役時代を思い出した。例えば阪神が「JFK」で優勝した05年。左腕ジェフ・ウイリアムスのスライダー、調子がいいときは空振りした後にそのまま腹にボコッと当たるんじゃないかと思うほどキレが良かった。

    そんな球を投げられ、三振すれば悔しいのは当然だ。同時に頭のどこかで「あの球は仕方ないだろう」と思う部分もあった。あのスライダーは誰も打てない。納得というよりも素直にそう思っていた。

    だが誠也は違う。相手がどんな好投手であっても勝負どころで打ち取られると荒れる。ベンチに戻ってくると鬼のような形相でバットを投げ、ヘルメットを投げ、揚げ句の果てに革手袋をびりびり引きちぎる。

    現役時代の同僚で言えば前田智徳氏(野球解説者)がそんな感じだった。彼がヘルメットを投げる場面はよくあった。だが誠也はそれ以上に荒れていた。

    あるタイミングで誠也を呼んだ。悔しくて荒れるのはいい。しかしベンチの中でやるとテレビカメラに抜かれる。誠也にあこがれている野球少年はそれを見てどう感じると思う? どういう印象を与えると思う? そんな話をした。誠也はすぐに理解、納得し、それからベンチの中で暴れることはなくなった。

    そこが誠也のすごさだと思う。あれほどの振る舞いをする闘争心と指摘をすぐに理解する知性が同居している。だからここまで存在感のある選手になったのではないかと思っている。

    大瀬良大地もそうだ。藤浪晋太郎に死球を食らったときに「いいよ、いいよ」と笑顔で応じたことがあった。若い人は「神対応」とか言っていたようだが、戦いの中でそれでは困る。

    監督室に呼んで「いい人はグラウンドの外でやってくれ」と言った。人柄のいい男だが、指摘の意味は分かってくれたと思うし、だからこそ今の立場があるのではと思う。

    監督、コーチの指導、考えを理解し、実行できればベストだ。しかし理解できるレベルに来ていない選手もいる。実績を残すには知性が必要だ。指導者もそういう部分を見ていく必要はあると考えている。(日刊スポーツ評論家)



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/82e61f6c5e86a1936be4a5b41157455ab0f3f45f

    <取材後記>

    昨季限りで広島カープを退団した緒方孝市前監督(51)が今春、日刊スポーツ評論家に就任することが12日までに決まった。


    緒方氏は監督として球団史上初のリーグ3連覇を達成した名将だ。世の中は新型コロナ・ウイルスの影響で先の見えない状況に追い込まれているが、広島はもちろん、同じセ・リーグの阪神、そして球界すべてに夢と期待を込め、新たな道を歩む構えだ。

       ◇   ◇   ◇

    不器用で口べた、ぶっきらぼうなイメージは選手時代からだ。気を許せば結構、冗談も交えてよく話すが仕事、野球となれば頑固そのものである。広島監督就任前にメディア対応を含めもっとうまくやればいいのでは、という話をしてみた。そのとき緒方氏はこんな話をした。

    「人によく思ってもらおうとかそういうのは別にいいんですよ。この世界は結果がすべてなので」

    カープひと筋33年。FA権を獲得した99年にはミスター長嶋から巨人への熱い誘いもあったが広島に残った。現役終盤には引退を決めたが代打要員での起用を告げられ、受け入れた過去もある。結果主義は、弱かったチームを3連覇するまでに育て上げた男のプライドだったのかもしれない。

    それでもコーチ、監督を経験する中で若い世代との関わり、チームづくりを意識し、少しずつ柔軟に変わってきたように思う。自ら退団したときは持ち前の頑固さが顔を見せたけれど。

    自身が言うように冷却期間でいろいろな思いがあったが野球への思いは消えることはなかった。選手として指導者として功績を残した緒方氏ならではの評論が楽しみだ。【編集委員・高原寿夫】




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-24100479-nksports-base

    昨季限りで広島カープを退団した緒方孝市前監督(51)が今春、日刊スポーツ評論家に就任することが12日までに決まった。


    緒方氏は監督として球団史上初のリーグ3連覇を達成した名将だ。世の中は新型コロナ・ウイルスの影響で先の見えない状況に追い込まれているが、広島はもちろん、同じセ・リーグの阪神、そして球界すべてに夢と期待を込め、新たな道を歩む構えだ。

       ◇   ◇   ◇

    現在の球界で優勝は簡単ではない。連覇となればなおさらだ。そんな中、緒方氏が率いる広島は16年からリーグ3連覇を果たした。セ・リーグでは巨人以外、記録できなかった偉業だ。さらに、日本の主砲にまで成長した鈴木誠也を4番打者で起用。「育てながら勝つ」という課題を実現した。「名将」のレベルに達した緒方氏が新たな道を歩み始める。

    「3連覇は選手、関係者はもちろん、ファンのみんなで戦った結果。言うまでもなく、自分だけの力ではないです。でも、喜べる瞬間を共有できたのはよかったと思いますね。誠也にしても彼自身がやったこと。こっちが育てたとか、そんな風には考えていません。誠也に限らず、選手は自分で成長していくと思ってます」

    自身の実績を口にすることはないが、監督時代はナイターでも早朝から球場に詰めるなど、心身とも激務をこなした。5年の指揮を執り「これ以上は…」と昨季限りでユニホームを脱いだ。その後、表舞台に出ることはなかった。

    「監督は5年間でしたが高校を出てカープ入団以来、選手、コーチ時代を含めて33年間、ユニホームを着ていた。自分では全力で走り切った思いでした。次に何をやろうとか、辞めてからどうしようとかは決めていませんでした」

    一時は、野球と無縁の仕事はできないか、と模索したこともあるという。しかし熟考を重ねた末、やはり頭にあるのは野球だった。

    「野球で生きてきたし、これが自分の道。野球の良さ、すばらしさをいろんな方々から教えていただいてきた。次はそれを伝えていく立場にならないといけない。現場は引いたけど、外から見ることで、魅力、面白さを伝えていきたいと思っています」

    猛威を振るう新型コロナ・ウイルスの影響で現在、プロ野球の先行きは見えない。それでも緒方氏はプラス思考を捨てていない。チームの低迷、自身の故障など数々の困難を乗り越えてきた男は球界、社会に対してメッセージを持つ。

    「誰もが影響を受けている。でもこうなった以上、“経験”が重要だと自分は思うようにしています。予想できなかった状況を経験した上で、それを乗り越える。そこから先を見据えることができると思います。今できることをやって、マイナスをプラスにしていくことが大事だと思います」

    広島に3連覇をもたらし、球界を盛り上げた緒方氏ならではの視点で見る真剣勝負。古巣はもちろん、阪神、そして球界すべてを独自の視線でチェックしていく。開幕が待ち遠しい。

    ◆緒方孝市(おがた・こういち)1968年(昭43)12月25日、佐賀県生まれ。鳥栖から86年ドラフト3位で広島入団。俊足強打の外野手としてチームをけん引する。95年の10試合連続盗塁は現在もセ・リーグ記録。95~97年盗塁王。95~99年外野手でゴールデングラブ賞。09年現役引退。通算1808試合、1506安打、241本塁打、725打点、打率2割8分2厘、268盗塁。現役時代は181センチ、80キロ。右投げ右打ち。15年広島監督に就任し、16年からセ3連覇。19年に退任した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-24100478-nksports-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#18

     私が広島の二軍打撃コーチを務めていた1990年ごろのこと。広島市民球場近くに新築した自宅が「練習場」に変わった。

     秋季キャンプを終えた後、12月から翌年1月まではどの球団も全体練習ができない。しかし、この間、若手を遊ばせてしまっては、レギュラーとの差は縮まらない。球団は自主練習を望む選手のために、私の自宅の駐車場にネットを張り、若手が打撃練習できる環境を整えたらどうか? と打診してきた。

     せっかく家を建てたのだ。最初は拒んだが、折れない球団は、30万円ほどで2階まで届く大きなネットを購入した。業者が来てボールが飛び散らないよう、カーテン式に設置。やるしかない環境が整った。

     ただ、早朝から住宅街にカンカンとボールを打つ音が響いてしまう。近所迷惑になるため、妻が菓子折り持参で頭を下げて回った。

     93年オフ、私は翌シーズンから巨人のコーチになることが決まっていた。巨人の寮に住み込む直前まで、熱心に通ってきたのが、2016年からリーグ3連覇を果たし、昨季まで5年間監督を務めた緒方孝市だ。

     当時は24歳。まだ一、二軍を行ったり来たりの代走、守備要員だった。朝の9時から昼までティー打撃。その後は風呂場でシャワーを浴びて、我が家で昼食を取る。午後は筋力トレーニングに励むのが日課だった。

     緒方は当時から無口。私の妻は「あんな口数が少なくて線の細い子がプロでやっていけるのかしら」と本気で心配していた。しかし、その後すぐに一軍のレギュラーに定着。95年から3年連続で盗塁王になった。

     現役引退後、10年は一軍野手総合コーチ、11、12年が守備走塁コーチ、13年は一軍打撃コーチ、14年はヘッド格の一軍野手総合ベンチコーチを歴任した。さまざまなコーチを経験してから監督に就任したのが、16年からの球団初のリーグ3連覇につながったと思う。

    ■まっすぐでも意思も性格もまるで石

     元スカウト部長の村上孝雄さん(享年79)に発掘された。主に九州地区担当で他のスカウトも一目置く人物だった。指名に携わった選手は、他にも北別府学、津田恒美、前田智徳など名選手が多い。義理堅い緒方は、村上さんを「恩人」と慕っていた。

     現役の頃から人と群れるのを好まなかった。まっすぐで意志も性格も石のように固い。その後、中心選手になり、「あんなに努力したから今があるんだよ」と、かつて菓子折りを配った近所の人たちは喜んでいた。昨季まで現役から合わせて33年間ユニホームを着続けた。しばし休息を取って欲しい。

     同い年の緒方をライバル視していたのが金本知憲である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00000006-nkgendai-base

    このページのトップヘ