広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    西武ライオンズ

     西武は10日、BCリーグ富山との間で、デュアンテ・ヒース投手(32)の譲渡について合意したと発表した。入団会見などは未定。ヒースは身長193センチ、108キロの右投げ右打ちの投手。今季から富山に所属していた。14年から2年間、広島に所属した。



     14年は7試合に先発し3勝0敗、防御率は2・38。15年は救援投手として43試合に登板し、3勝6敗4セーブ10ホールドをマーク。防御率は2・36だった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180510-00204180-nksports-base

    1: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:42:17 ID:Snk
    FA制度が出来る前
    今以上に頻繁に行われいたトレード
    その中には破談になったトレードも
    いくつかあり、それが表に出るケースも
    稀にあった
    そのケースをあげていこうと思います

    2: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:45:16 ID:Snk
    2015年

    山川(西武)⇔広島、阪神

    当時2年目の山川に広島、阪神のフロントが目をつけて
    トレードを申請
    対象選手の情報は出なかったが
    2年目の山川を放出するわけがなく破談になった



    3: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:47:02 ID:Snk
    2001年

    坪井(阪神)⇔土肥(西武)

    野村と関係が悪かった坪井が放出対象選手に
    西武の土肥とまとまりかけたが
    星野監督誕生で話が流れた

    5: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:52:13 ID:Snk
    1995年

    高(広)⇔西口(西)

    スポーツ新聞が報道
    当時1年目の西口と広島では守備固めがメインだった高の
    トレード

    無題


    6: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:53:27 ID:0ZV
    西武ばっかやな

    13: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:58:09 ID:Snk
    1985年

    有田(近鉄)⇔定岡(巨人)

    定岡がトレードを拒否し、引退で破談
    ただしトレードの話は続き、有田は淡口と山岡のトレードで
    巨人へ移籍した

    14: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:00:34 ID:xYi
    1965年

    広岡(巨人)⇔金銭(ロッテ)


    本人が著書で告白
    巨人で選手生命を終えたいと伝え破談に

    15: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:03:33 ID:xYi
    1989年

    高橋慶(広島)⇔田辺(西武)

    球団と関係が悪くなりトレード要員になった高橋
    しかし釣り合わないトレードだったのか
    破談になり
    変わりにロッテ高沢秀とのトレードが成立した

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    16: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:04:15 ID:xYi
    2001年

    石井貴(西)⇔清水(巨)

    松沼が西武コーチ就任で話が流れる

    18: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:05:20 ID:xYi
    1988年

    工藤(西)⇔宇野(中)

    週ベが報道
    当時不振の工藤を宇野で釣ろうとしたが
    西武が拒否し破談へ

    19: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:07:57 ID:xYi
    1997年

    広沢(巨人)⇔キンセン(横浜)

    金額が釣り合わず破談へ

    20: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:10:55 ID:xYi
    1994年

    吉田豊(ダイエー)⇔佐々木(横浜)

    根本がフロントに入ったダイエーは抑えがほしくて
    佐々木に目をつける
    当時の近藤監督と関係が悪かった事もあり
    成立寸前のところまでいったが
    上層部の反対に合い消滅
    このトレードが成立していたら横浜の歴史も変わっていたかもしれない

    22: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:14:32 ID:xYi
    2000年

    藪(阪神)⇔垣内(西武)
    藪(阪神)⇔飯田(ヤクルト)

    新庄移籍の穴埋め、右の大砲を求めた野村は
    藪をネタに画策も
    成立までいかず・・・

    24: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:17:24 ID:xYi
    2000年

    今岡(阪神)⇔山部(ヤクルト)

    野村と関係が悪かった今岡を目をつけたのがヤクルト
    野村チルドレンだった山部を放出し
    ほぼ成立寸前までいったがOB会から猛烈に反対され幻となった

    25: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:21:12 ID:xYi
    2003年

    嶋(広島)⇔関口(近鉄)

    伸び悩んでいた嶋の処理に困っていた広島は
    近鉄にトレードを持ちかけるも拒否
    翌年その嶋が赤ゴジラとしてブレイクするあたり
    野球は分からないものだと思う

    original


    26: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:27:16 ID:xYi
    2001年

    今岡&藪(阪神)⇔オリックス

    対象選手は不明も
    オフに監督に就任した星野が
    「一年だけ様子を見させて欲しい」と発言し破談へ

    28: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:32:12 ID:xYi
    1978、79年ごろ

    東尾(西武)⇔定岡(巨人)

    日刊スポーツが報道。
    長嶋茂雄がどうしても成立してほしいと
    懇願したらしいが当時プロ0勝の定岡と
    東尾では釣り合うわけが無く破談へ

    86: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:32:06 ID:HYA
    >>28
    というか球団が「東尾の放出は球団の死を意味し、それは我々が経営の当事者である限りありえない」との声明を発表したんだよな

    87: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:34:01 ID:xYi
    >>86
    それは1977年のクラウン時代
    巨人は東尾がどうしても欲しかったみたい

    29: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:36:37 ID:xYi
    1995年

    赤堀(近鉄)⇔門奈(巨人)

    落合がさんまのまんまにゲスト出演したときに告白
    パ・リーグを代表するストッパーと1軍半の選手だった門奈なので
    釣り合うわけがなく拒否される

    30: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:45:38 ID:xYi
    1975年

    門田(南海)⇔原田・上田(巨人)
    神部(近鉄)⇔原田・上田(巨人)

    最下位に落ちた巨人は
    トレードでチーム強化を狙うも
    拒否された

    36: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:49:17 ID:xYi
    2001年

    藪(阪神)⇔高村(近鉄)

    前年度に続き野村が藪をネタにトレードを打診
    ほぼ成立寸前までいくが
    奥様の不祥事で辞任され話は流れる

    37: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:52:03 ID:xYi
    1996年

    猪俣(神)⇔小早川(広)

    阪神が打診
    どちらも伸び悩んでいた事もあり成立は確実といわれたが
    何故か話は流れる
    二人ともそのオフにチームから退団している

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    38: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:54:43 ID:xYi
    1998年

    平尾(阪神)⇔高(広島)

    阪神が打診
    高が広島で現役を終えたいと言い、トレードは流れる
    数年後平尾は西武へ谷中とのトレードで移籍した

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    39: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:56:36 ID:xYi
    1961年

    米田(阪急)⇔王(巨人)

    詳細は不明だが
    阪急が拒否
    当時の王の成績や実績を見れば当然かも知れないが
    成立していれば
    阪急の歴史は変わっていた可能性があるかも知れない

    40: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:56:57 ID:aGz
    阪神多すぎませんかね?
    まあ単純に取材の量が違うんやろな
    ヤクルト取材するより金になるやろうし

    41: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:57:25 ID:MNT
    藪ばっかり

    46: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:10:25 ID:xYi
    2012年

    大場(SB)⇔吉村(横浜)

    スポーツ新聞が報道

    no title


    しかし大場は放出されず
    多村、吉川、神内(SB)⇔江尻、吉村、山本(横浜)
    のトレードに変わった

    47: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:15:34 ID:xYi
    2002年

    大塚(近鉄)⇔田中秀、キンセン(阪神)

    ポスティングシステム失敗時に阪神が近鉄に提示

    48: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:16:17 ID:xYi
    2004年

    野口(中日)⇔清原(巨人)

    ウッズ獲得したため
    中日が拒否

    49: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:18:03 ID:xYi
    1988年

    平田(阪神)⇔紀藤(広島)

    当初阪神は金石を希望も
    広島が拒否
    広島が紀藤ならと持ちかけるも
    阪神が拒否し流れた

    original


    50: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:22:33 ID:xYi
    2000年

    井上、井川(阪神)⇔初芝(ロッテ)

    野村が週刊誌で後に暴露
    目先にばかりとらわれた先見の無さとフロントを批判した
    なお井上は2002年にロッテに自由契約を経て入団している

    51: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:27:28 ID:xYi
    1992年


    松永(オリックス)⇔仲田(阪神)

    オリックスを移籍志願していた松永の獲得に動いた阪神
    当初は阪神は島尾をトレードで持ちかけるも
    オリックスは当時のエース格仲田を要求
    沖田は出せないと断ると野田でどうだと言われ
    トレードが成立した

    54: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:35:05 ID:cVE
    >>51
    沖田になっとるで

    55: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:37:46 ID:xYi
    1998年

    大豊、中村(中日)⇔久慈、関川、桧山(阪神)

    吉田監督は中村の獲得を懇願(山田の育成に限界を感じたため)
    中日の正捕手の中村を取るために桧山の放出を考えるも
    フロントが桧山の放出を拒否し、流れる
    結果中村が2番手捕手だった矢野に変わり
    トレードは成立した


    >>54
    すまんな

    94: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:41:51 ID:HYA
    >>51
    こういう話も聞いたことがある

    松永(オリックス)⇔巨人

    最初に松永のトレードに乗り出してきたのは巨人
    だがオリックスは大胆にも先発三本柱のいずれかを要求したため
    巨人側が固辞しお流れになった

    96: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:43:46 ID:xYi
    >>94
    桑田とかきいたことある

    97: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:46:33 ID:gec
    >>96
    強気すぎるだろ…

    52: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:30:14 ID:xYi
    時期不明

    大田(巨人)⇔安部(広島)


    夕刊フジが2年前に報道
    正二塁手候補として
    広島出身の大田を餌にトレードを打診も
    折り合いがつかず流れる

    無題


    57: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:46:47 ID:xYi
    1988

    山内和+松崎(ダイエー)⇔真弓(阪神)

    南海からダイエーに、大阪から福岡へホームを変えたホークスは
    九州出身の真弓の獲得に動いたが
    人気選手だった事もあり阪神が拒否
    なおダイエーは95年にも真弓獲得の噂が流れたが
    実現には至らなかった

    59: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:52:54 ID:xYi
    1977年

    藤波、竹田(中日)⇔基(クラウン)


    藤波が拒否し破談へ
    結局竹田は松林とトレードでクラウンへ移籍

    60: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:53:55 ID:dyB
    そんなに真弓欲しかったんか

    62: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:55:16 ID:uMm
    >>60
    88年ならまだ解るが95年とかもう40歳とかやで

    68: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:01:45 ID:xYi
    2006年

    仁志(巨人)⇔谷(オリックス)

    トレード志願した仁志の獲得に最初に動いたのはオリックス
    谷を相手に話を勧めるも
    仁志がオリックス行きを拒否(余談だが当時のオリックスは
    清原やノリがいた)
    結果横浜へ移籍
    谷は鴨志田、長田のトレードで巨人へ移籍した

    71: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:08:48 ID:gec
    >>68
    オリックスの谷放出も衝撃だけど
    仁志の放出も衝撃的よね

    69: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:06:10 ID:xYi
    2009年

    高井(ヤクルト)⇔木佐貫(巨人)

    元々巨人行きをドラフト時に志願していた高井
    に関心を示していた原は
    伸び悩んでいた高井の獲得に動く
    木佐貫の放出も考え、高田監督も前向きだったが
    ドラフト1位で獲得した選手は簡単には放出しない球団方針のある
    ヤクルトフロントが拒否し話は流れる

    72: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:12:07 ID:EXW
    ちょっと違う話になるけど
    中日谷元も選手間トレードにしたかったという噂あるよね
    選手間だと折り合いがつかず結局金銭

    73: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:13:10 ID:gec
    記事だと内野手らしいから周平か福田欲しがって蹴られたんじゃね

    76: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:16:35 ID:EXW
    >>73
    トレードの話がいつ頃から進められてたかわからんけど、成立した7月には福田は既に打線の要になってたし
    やっぱありそうなのはその時2軍にいた周平やろうね

    74: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:14:58 ID:xYi
    2014年

    武山(西武)⇔中村(横浜)

    度重なる造反行為で中畑と関係が悪化していた中村に
    伊原監督が興味
    「俺がしっかり教育するから」と再生に自信を見せ
    在籍経験のある武山で獲得に動いて欲しいとフロントに申請するも
    「うちのチームカラーに合わない」と却下される
    トレード要員だった武山は同年中日へ移籍している。

    75: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:15:42 ID:gec
    >>74
    あったなぁノリの放出話

    77: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:17:28 ID:uMm
    >>74
    ノリさんこの年一軍でやたら打点はあげてたんよな

    79: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:21:33 ID:gec
    >>77
    とはいえ打席内容見ると酷いもんで誤魔化して逆方向へのシングルで目の衰えを隠してた

    78: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:19:34 ID:xYi
    2012年

    秋山(阪神)⇔今成(日ハム)

    今成獲得に動いていた阪神にハムは秋山を要求
    当時結果が出ていなかった秋山にフロントも放出を考えるも
    前年オフにオーストラリアリーグに派遣していた事もあり
    様子見と判断し、断りハムは若竹で再度トレードを要求し
    成立する

    84: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:29:02 ID:xYi
    1967年

    稲尾(西鉄)⇔広島

    キンセンか選手かの詳細は不明
    当時衰えていや稲尾だが
    翌年から監督になった根本が獲得に動いていたとか

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    85: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:31:52 ID:xYi
    補足

    稲尾の移籍は西鉄の豊田泰光が著書に記載
    当時稲尾の後援会長がチームに移籍を拒否していたらしい

    89: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:37:04 ID:xYi
    1972年

    湯口(巨人)⇔ロッテ

    ロッテ監督に就任した金田が
    当時色々あった湯口を心配しトレードに乗り出すも
    実現せず

    98: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:56:31 ID:xYi
    2003年

    佐伯(横浜)⇔小笠原(中日)

    落合監督就任でトレードの凍結を宣言し破談に
    佐伯は後に中日へ入団している

    101: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:59:43 ID:gec
    >>98
    佐伯の闇が深いところは確かこの時球団に意見したのが問題視されて放出危機に陥り
    後にTBS末期に絶縁状を一方的にたたきつけられて以後DeNAに移行するまで佐伯は横浜OBを名乗れなかった

    103: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:01:23 ID:xYi
    2009年

    藤田太(阪神)⇔赤田(西武)

    赤田が選手会長だった事がネックで流れるも
    トレードは水田で成立
    赤田も翌年オリックスへ移籍している

    >>101
    コーチとしても迎え入れる気は無いといわれたとかきくね

    104: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:02:08 ID:gec
    >>103
    せやでコーチも横浜がらみの解説もさせないと

    105: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:05:32 ID:xYi
    1989

    バークレオ(西武)⇔大野(広島)

    月刊ドラゴンズが記載
    広島が干されていたバークレオの獲得に動くも
    西武は大野を要求し流れるバークレオは
    翌年広島へ移籍している

    >>104
    酷い話だよね

    106: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:10:12 ID:xYi
    1990

    大野(広島)⇔西武

    小池のドラフトクジを外した西武はどうしても左腕
    が欲しかった。
    しかし大野を出す事を拒んだ広島は高木宣のトレードを提案
    91年に高山とのトレードが成立した

    108: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:13:42 ID:xYi
    2012

    日高(オリックス)⇔久保田(阪神)

    捕手がいない阪神は日高獲得に動くも
    オリックスが久保田を要求したため破談へ
    結果阪神は今成獲得に動くのであった

    110: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:15:12 ID:0eO
    その後日高はFAで結局阪神に来たと

    111: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:19:09 ID:xYi
    1983

    江夏(ハム)⇔篠塚、キンセン(巨人)

    大沢退陣で移籍が確実と見られた江夏に
    巨人が興味
    しかし西武が巨人に取られる前にと
    柴田、木村でトレードをもちかけ西武へ移籍することに

    112: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:22:15 ID:xYi
    時期不明(古葉時代)

    川藤(阪神)⇔広島

    川藤が我が道で告白
    広島の古葉監督が川藤にほれ込み
    本人も移籍するつもりでいたが
    阪神が交換トレードを要求して広島のフロントが
    そこまでして欲しい選手ではないと言われ拒絶される

    f32a8e8fbd0bd104bed37a9b06cca7b2


    116: 10人目の野手 2018/04/22(日)13:00:28 ID:ZB1
    >>112

    川藤らしい



     「赤ヘル侍」は手ぶらでは帰ってこない。侍ジャパンに招集されていた広島・西川が6日、マツダスタジアムで全体練習を行う1軍本隊に再合流。同じ左打者でシーズン最多216安打のプロ野球記録を持つ西武・秋山の打撃時における「間」の取り方にヒントを得たことを明かした。

     「秋山さんのバッティングを見て、しっかり間が取れているなと。強引にならずに、きたコースに素直にバットを出していた。話を聞いたわけではないけど、自分で見て、自分なりに解釈して参考にしたい」

     秋山は強化試合2試合ともに1番で先発出場し、第2戦では3安打2打点と侍打線をけん引した。同じ左打者で巧みなバットコントロールをするなど、自身と共通する部分も多い。直接、打撃議論を交わすことはできなかったが、最高の教材として目に焼き付けてきた。

     ただ、侍ジャパンに選出されたとはいえ、チーム内で定位置を確保できているわけではない。今春実戦は計19打数3安打、打率・157と低迷。三塁争いの最有力だった安部が腰痛症で離脱し3月30日の開幕戦に間に合うかは不透明だが、メヒア、美間がオープン戦で結果を残して猛アピールを続けており、現状ではリードを許す。

     「僕の周りはみんな結果を出しているので、今のままでは1軍に残れない。それくらいの危機感を持ってやらないといけない」

     この日は全体練習後に特打にも参加。「なかなか良いイメージが湧いてこない」と頭を悩ませながらバットを振り続ける。“盗んできた”侍の技で不振を脱出し、一気に定位置をも奪いにいく。(河合 洋介)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180307-00000086-spnannex-base

     広島・大瀬良大地投手(26)が4日、地元長崎での西武とのオープン戦に先発。故郷の大声援を受けて、マウンドに上がった。

     「高校のときとは違いますけど、懐かしい球場ですね。普段ないような声援をもらって、特別な感情を持ちました。序盤は力が入ってしまいましたが、全体的にはしっかり投げることができました」

     一回一死二塁で森に中前へ先制打を浴びると山川、松井にも適時打を許すなど3失点。二回以降は150キロ近くの直球と変化球を使って、3回3失点だった。ホロ苦い結果に終わったが、ファンの前で力強い投球を披露した。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180304-00000534-sanspo-base

     「オープン戦、西武-広島」(4日、長崎県営野球場)

     広島のアレハンドロ・メヒア内野手が「6番・三塁」で先発し、オープン戦3試合連続打点をマークした。

     3点を追う二回。先頭のエルドレッドが右中間フェンス直撃の二塁打を放つなどで1死一、三塁。カウント1-2から高橋光の直球を中前にはじき返し、三走・エルドレッドが生還した。前日まで2戦連続本塁打を記録するなど、好調をキープしている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180304-00000057-dal-base

     「オープン戦、西武0-10広島」(3日、みどりの森佐賀県営球場)

     広島・薮田和樹投手が四回から2番手で登板し、3回を2安打無失点に抑えた。


     悪天候の中で実戦感覚を養い「すごく収穫があった。雨も降っていたし、無駄な四球からのピンチでも投げられた。五回と六回の間(インターバル)も難しいので良かったです」と前向きに捉えた。 オープン戦は計6イニング無失点。昨季の最高勝率男は今年も安定感抜群だ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00000153-dal-base

    ◆オープン戦 西武―広島(3日・佐賀)

     ともに佐賀出身の西武・辻監督、広島・緒方監督の恩師の中嶌隆之さん(82)が試合前に激励に訪れた。卒業後は連絡を取っていなかったが、地元で両監督の率いるチームの対決が実現し、駆けつけた。

     生物教師だった中嶌さんは、佐賀東高時代に1年生だった辻監督を担任。その後、鳥栖高校に赴任し、2年生だった緒方監督のクラスを受け持った。「本当に懐かしかった。連絡は取っていませんでしたが、2人の新聞などの切り抜きはしていた。大きくなったなあ!」と感慨深げだった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00000093-sph-base

    <オープン戦:西武-広島>◇3日◇みどりの森県営球場

     広島打線が爆発した。3回までに2桁安打を記録する11安打を放ち、9得点を挙げた。西武先発の多和田をオープン戦ながら3回途中にKOした。

     1回、2回と1点を奪った広島打線が3回につながった。先頭の下水流から松山、新井の3連打で満塁とすると、5番会沢も中前適時打で続いた。さらに堂林の遊撃強襲の2点適時打で5連打となった。

     9番美間が2死一、三塁から左中間へ2点適時二塁打を放つと、代打鈴木は多和田の98キロカーブを完璧に捉えて左翼席中段に運んだ。西武は球数が62球に達した多和田に代えて、小石を投入した。広島はこの回、打者11人8安打を集中させて7得点を奪った。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00140305-nksports-base

    <ニッカンスポーツ・コム/We Love Baseball>

     西武の新人合同自主トレを見ていたら、バットを持った紳士が話し掛けてきた。「寒いのに、ご苦労さん」。2軍投手コーチから育成担当に転身した清川栄治さん(56)だった。メットライフドームの天井に積もった雪が崩れ落ちる音と、ノック音が交じり合う。新人たちの息は白い。一緒に眺めながら話を聞いた。「現役平均は7年ぐらい。5年もしたら、半分はいない。今は、みんな希望に満ちてるけどね。だんだん、苦しいことばかりになるんだよ」。口調は穏やかだが、現実を厳しく指摘してくれた。「だから、どれだけ早く『自分は、これだ』というものを見つけられるか、だね」。


     清川さんは83年ドラフト外で広島入り。先発ローテの希望に燃えたが、1軍の声は掛からない。やっと掛かったら、打撃投手としてだった。2軍の若手が手伝うのが当たり前の時代。毎日120球を投げた。「練習時間がない。早めに球場で走るしかなかった」。危機感が募った。それでも、わざと危ない球を投げ打撃投手をお払い箱になる同僚もいる中、真面目に打たれ続けた。「古葉監督のご褒美だったのかな」。広島が優勝を決めた後、消化試合の巨人戦に呼ばれた。2回1失点のデビューだった。

     オフに考えた。80年代の広島は投手王国。生き残るために「見た目を変えよう」。秋季キャンプでオーバーからサイドにした。コーチには黙っていた。「肘が下がってるぞ」と言われたら上手に戻し、コーチが去ったらまた横手にした。ある日、古葉監督がブルペンに現れた。思い切り腕を下げた。ちらっと見てくれた。そこから、だった。

     自分の「これ」を見つけた清川さんは、希少なサイドスロー左腕という立場を確立する。98年に引退するまで、広島、近鉄で実働15年、438試合全てリリーフ。入団時の青写真とは違った。だが、頂に至る道は1つじゃない。横にそれたり、裏から回ったり、いったん下がってから上がったり。「与太話でした。まあ、新人の子の参考になればね」。眼鏡の奥の瞳は優しかった。【西武担当 古川真弥】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00108622-nksports-base

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