広島カープブログ

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    黄金時代

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(3)

     阪神でエースとして君臨していた江夏豊投手が、江本孟紀投手らとの交換で南海(現ソフトバンク)へトレードされたのは1976年。本人は「今でも阪神の江夏と思っている」と不満を口にしたが、ホークスで捕手を兼任する野村克也監督との出会いが、野球人生の大きな転機となった。

     肩と肘の不調に苦しむ左腕は翌77年の開幕後、「投手の革命を起こしてみろ」という指揮官の殺し文句で先発から救援へ転向。22セーブポイントを挙げて最優秀救援投手に輝いたが、シーズン終盤に野村監督が解任されたため、他球団への移籍を希望し、広島へ金銭トレードとなった。

     広島では79年の近鉄との日本シリーズ第7戦の九回に無死満塁の大ピンチから1点リードを守りきりチームへ初の日本一をもたらした“江夏の21球”はあまりに有名だ。同年のセ・リーグ最優秀選手に輝き、「MVPはリリーフでも獲れると立証された」と喜んだ。

     南海、広島での江夏氏の活躍が、日本のプロ野球に抑え投手の仕事を確立したといっても過言ではない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00000521-san-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(1)

     1975年、広島を悲願のリーグ初優勝へと導いたのが古葉竹識監督。広島の選手時代は走攻守三拍子そろった内野手として活躍したが、70年から現役最後の2年間は南海(現ソフトバンク)でプレーし、引退後は捕手を兼任する野村克也監督のもと、まずは2軍でコーチ修行に励んだ。

     当時の南海はデータや基本重視の“シンキング・ベースボール”を旗印とし、「いろいろ勉強させてもらった」と古葉氏。1軍コーチとなった73年にはパ・リーグ優勝も経験し、「われわれチームだけでなく、南海ファンの喜ぶ姿が印象的だった」と振り返る。

     翌74年も野村監督に留任を求められたが、広島の新監督に就任した専大の先輩、森永勝也氏に請われて古巣へコーチとして復帰。75年シーズン途中の5月に39歳で監督へ昇格し、大胆かつ細心の采配でペナントレースを制した。

     「僕が引っ張ったのではなく、選手が僕を引っ張ってくれた」が優勝当日のコメント。その後3度の日本一に輝いた古葉野球の源流は南海にあったといえそうだ。(浦)

        ◇

     広島-ソフトバンクという初の顔合わせとなった今年の日本シリーズ。実は両チームは昔から人的交流が盛んで双方にゆかりがあり、球界に足跡を残した人物も少なくない。その歴史をひもといてみた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000546-san-base

     衣笠祥雄氏の訃報(ふほう)について、広島の監督として現役時代の衣笠氏を指導し、1975年のセ・リーグ初優勝、79、80、84年の3度の日本一を成し遂げた古葉竹識氏は「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは」と取材に答えた。

     「最後に会ったのは2月ごろ。体調を心配していたのですが、本人は『大丈夫よ』と。私が監督時代、本当によく頑張ってくれました。79年に死球を受けて亀裂骨折した時も、私に『絶対出たい』と言ってきた。だから『よし、大事なところで使うから、準備しておけ』と伝え、代打で使ったんです。ひどいケガにも負けなかったから、2215試合連続出場ができた。プロとしてファンを喜ばせたいという責任感の強い選手でした。お疲れ様、ありがとうと言いたい」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000067-asahi-spo&pos=3

     ◇セ・リーグ 広島3―2阪神(2017年9月18日 甲子園)

     広島のリーグ連覇は1979、80年以来、37年ぶりだ。当時、守護神として連覇に貢献した江夏豊氏(69=野球評論家)が当時を振り返った。(聞き手・内田 雅也)

     18年間のプロ野球生活で広島にいた3年間が最も幸せな楽しい時期だった。80年は開幕前から「勝てる」感覚があった。79年に優勝して適材適所で人材がいた。決して層が厚いわけではなかったが、監督の古葉さん(古葉竹識氏)が「この場面ではこの選手」という用兵を把握していた。

     レギュラーをつくるのは比較的簡単だ。問題は代打、代走、守備要員、投手なら中継ぎ、リリーフをいかにつくり、うまく起用していくかにある。その点、今の緒方監督も選手の特長を生かしてやりくりしている。センターラインの1、2、3番を固めた。15年の就任後、実績のなかった中崎を抜てきするなど今の継投の形をつくった。しぶといチーム。連覇もうなずける。

     南海時代の77年に野村克也監督から「革命を起こそう」と言われ、リリーフ専門となった。79年は広島に移って2年目。春にサチ(衣笠祥雄氏)が「おい、今年は優勝するぞ」と言った。「ウチの穴をおまえが埋めてくれたからな」との言葉はうれしかったが、半信半疑だった。何しろ自分は優勝を知らない。阪神で73年に巨人と最終戦まで優勝争いを演じたが、当時のカープはまた雰囲気が違った。チーム一丸というのかな。自分もその空気に乗せられていった。

     カープでは首脳陣が選手と同じレベルで悩んでくれたり、相談に乗ってくれた。キャンプ地の日南は昼間は喫茶店、夜はスナックになる店があってね。首脳陣と一緒にわいわいやった。恐らく今のカープもそんな雰囲気じゃないのかな。家族と言えば親子だが、首脳陣とも兄弟という間柄のような関係にある。それもまた強みかもしれん。(談)

     ◆江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年(昭23)5月15日、奈良県生まれ。大阪学院高から66年1次ドラフト1位で阪神入り。68年、プロ野球新記録のシーズン401奪三振。73年にはノーヒットノーラン達成。76年に南海へ移籍し抑え投手に転向。78年に広島へ移り、2連覇に貢献した。81年に移籍した日本ハムでも優勝。84年西武で現役引退した。通算206勝158敗193セーブ、防御率2・49。

     ▽広島の前回連覇 1975年の初優勝から4年、79年は7人が規定打席に到達する盤石のレギュラー陣で優勝した。高橋慶彦が初の盗塁王、山本浩二が初の打点王。投手陣は南海から移籍2年目の江夏豊が9勝22セーブで初のMVPと最優秀救援に輝き、北別府学が17勝を挙げた。近鉄との日本シリーズを制し初の日本一。第7戦のラストは9回無死満塁をしのぐ「江夏の21球」だった。

     翌80年はマジック2で迎えた10月17日に阪神とのデーゲームに勝ち、新幹線で大阪から広島へ移動中に2位・ヤクルトが敗れて連覇を決めた。山本が本塁打、打点の2冠王でMVP。江夏が9勝21セーブで2年連続の最優秀救援を獲得した。
    引用元 https://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20170919_0075/

     ◇セ・リーグ 広島3―2阪神(2017年9月18日 甲子園)

     前回連覇時の監督だった古葉竹識氏(81=現東京国際大野球部名誉監督)は「広島の良き伝統は今も息づいている。若くて、走れる。今も37年前と同じだ」と語った。

     79、80年。山本浩二、衣笠祥雄が目立つ打線で、2年連続盗塁王の高橋慶彦、山崎隆造ら若手が育ちつつあった。「彼らのように走れる選手が何人もいた」と、リーグ唯一の3桁盗塁を誇る今のチームに当時を重ねる。「打線が投手陣を助けたのも似ている。逆転の機運が常にあった」と言葉を続けた。

     「木庭教スカウト部長とはチーム編成に関して連日のように話し合った」という。自前の選手を育てて、勝つ。変わらない伝統がうれしい。「おめでとう。今年こそ日本一に輝いてほしい」と目を細めた。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00000075-spnannex-base

     9月14日のDeNA戦は、大接戦の末、5-4で広島が勝った。だが、優勝マジック対象チームの阪神が、これも接戦の末に巨人と引き分けたため、優勝はならなかった。残り9試合でマジック1。15日は試合がないため、優勝決定は9月16日以降となったが、広島の2年連続8回目の優勝は「当確」だ。広島は過去7回、どんな優勝決定日を迎えていたのだろうか。



     1975年10月15日、残り2試合で、2位中日との差は2.5ゲーム差。マジック「1」の広島は、後楽園球場で巨人と対戦した。超満員の観客が見守る中、広島は5回に先制したが、追加点は奪えず。1-0で迎えた最終回に、同年入団のゲイル・ホプキンスが高橋一三から3ランホームランを放ち、チーム創設25年で初優勝を果たした。投げては、外木場義郎、金城基泰の完封リレー。この年からチームカラーになった「赤」のヘルメットを被った「赤ヘル軍団」が、初めて歓喜の時を迎えた。

     1979年10月6日、残り8試合でマジック「1」の広島は、広島市民球場で阪神を迎え撃つ。2回に阪神・スタントンのソロが出て先制される苦しい展開だったが、6、7、8回と畳みかけて逆転に成功。8回1死から広島はクローザーの江夏豊がマウンドに登場し、古巣と対峙した。9回、イニングまたぎの江夏は阪神に激しく食い下がられ、代打川藤幸三、真弓明信のタイムリーで1点差に迫られるも、辛うじて逃げ切る。31000人の地元大観衆の前で、古葉竹識監督の体が宙を舞った。

     1980年10月17日、この日、広島はマジック「2」で、阪神と甲子園でのデーゲームに臨んだ。15000人とやや寂しい観客の前で、広島は6-3で阪神を下す。この時点でマジック「1」。マジック対象のヤクルトは神宮球場でのナイトゲーム。中日と対戦するが1-4で敗戦。この瞬間に広島のリーグ連覇が決まった。カープナインは広島へ帰る新幹線の中だったが、「ヤクルト敗れる」の一報を受けて山本浩二、衣笠祥雄以下のナインが、車内で優勝の雄たけびを上げる。

     1984年10月4日、マジック「1」としていた広島は横浜スタジアムで大洋と対戦。25000人の観客が見守る中、5回に2点を先制される厳しい展開だったが、6回に山本浩二が大洋の関根から逆転3ランを放った。この1点のリードを守り切って小林誠二が完投し、4年ぶりのリーグV。古葉竹識監督にとって4度目のリーグ優勝で、これが名将の最後の優勝となった。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170915-00010026-fullcount-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     緒方孝市監督(48)率いる広島は4、5日の巨人戦(マツダ)で2年ぶりの2試合連続零封負けを喫したが、2位阪神に8ゲーム差(7日現在)の“1強”状態に揺るぎはない。このまま37年ぶりのリーグ連覇と日本一奪回を果たせば、リーグ優勝4回&日本一3回の古葉竹識監督が率いた常勝赤ヘル軍団に一歩近づく。そして古葉広島が乗り越えられなかった“壁”に挑むことになる。

     常勝イコール人気沸騰とはかぎらない。リーグ優勝4回、日本一1回の中日・落合博満監督は観客動員減で解任されている。広島市民球場を本拠地にしていた古葉広島も、常勝軍団といわれるようになってからは観客動員で悪戦苦闘した。

     球団創設25年目の1975年、就任1年目の古葉監督が球団史上初のリーグ優勝を達成。この年は前年の64万9500人から120万人と倍増近くの最高観客動員を記録している。

     そして5年ぶりのリーグ優勝、初の日本一を果たした79年には145万4000人の球団新記録。ところが初のリーグ連覇と2年連続日本一の翌80年は131万4000人にダウンした。

     以後81年2位、82年4位、83年2位と優勝から遠ざかり、104万7000人、103万7500人、そして100万人台割れの91万6000人。4年ぶりのリーグ優勝、3度目の日本一になった84年も110万3000人と伸び悩んだ。

     その間、広島の営業サイドはあの手この手の観客動員アップ作戦を展開。近県からもファンを動員しようと船会社、JRとタイアップし割安運賃&入場券、晩酌付き入場券etc…。

     しかし、観客動員増には結びつかず、球団関係者は嘆きながらこう結論づけた。「弱小球団が優勝したから初めは市民も熱狂してくれたが、勝つことが当たり前になると刺激がなくなり、球場から足が遠のいた。ファン心理は複雑です」

     あれから30年以上たち、25年ぶりにリーグ優勝した昨季のホームゲーム観客動員は球団新記録の215万7331人(1試合平均2万9963人)。今季も昨年比増(1試合平均3万67人)の状態が続いている。

     メジャーリーグ風と評判の本拠地マツダスタジアム、カープ女子という言葉に象徴される女性ファンの存在を切り札に、常勝赤ヘル軍団を超える新たな歴史を作れるか。(江尻良文)


    引用元 http://www.zakzak.co.jp/spo/news/170707/spo1707070017-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsListSpo

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