赤松真人
【広島カープ】大盛穂、らしさが光ったプロ初安打
「DeNA6-10広島」(26日、横浜スタジアム)
広島の大盛穂外野手が出場2試合目でプロ初安打を放った。
0-5の五回1死から代打で出場。平良の2球目を打った打球は、二塁前へボテボテのゴロとなり、内野安打を勝ち取った。
走り方などの走塁技術は、2軍で赤松外野守備走塁コーチかから学んできた。「積極的にいこうと思っていた。足で稼いだヒットは僕らしくて良いです」と表情を崩した。プロ初安打の記念球は両親に贈るという。

![]()
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/3c7b9c13ee477435291ade086af40699b9416408

引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/3c7b9c13ee477435291ade086af40699b9416408
【広島カープ】選手ファーストを優先するコーチ
-
- カテゴリ:
- 赤松真人
- アレハンドロ・メヒア
今季から広島の新コーチに就任した赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)が、若鯉とともに新米コーチとして日々奮闘している。現役時代は俊足巧打と華麗な守備で、多くのファンに愛された赤松コーチが掲げるのは「選手ファースト」。この指導方針を胸に、将来1軍の舞台で活躍する選手の育成に励んでいる。
ノックバットを持ちながら現役時代と同じ、赤いソックスを見せるクラシックスタイルで練習を見守る。グラウンドでの外野ノックでは、大きな声を出して選手を盛り上げ、明るい雰囲気を作り出す。昨季限りで現役を引退。今季から2軍外野守備走塁コーチを任され、新たなスタートを切った赤松コーチは「サポートという(意味合いの)方が大きい。技術もないし、うまく教えることもできていない」と苦笑した。
2008年に阪神から広島に移籍。自慢の守備や走塁でファンを魅了した。16年オフには胃がんが発覚。苦しい治療、そしてリハビリ生活を乗り越え、グラウンドに戻ってきた。15年間の現役生活を経て、新たに迎えた指導者としての日々。「選手ファースト、選手ありきのコーチ」。上から目線での指導ではなく、あくまでも選手目線で接していくことを心掛けている。
選手育成において必要だと思っているのは「試せる場」の提供だという。「プロに入ってきて、能力を試せない選手がいる。練習で評価されて、自分を試せない選手がいる。“試せる場”(を与えること)がベスト」。自身も俊足を武器にプロの世界を生き抜いてきた。選手にはそれぞれ特長があり、それを伸ばす環境作りをしてあげることもコーチの役目だと考えている。
同時に説くのは「基本」の大切さだ。「(選手は)少年野球で、キャッチボールの基本や打撃での(基本である)左足のステップは教えられるんです。でも本人は忘れていく、応用に行こうとする」。例えば走塁に関して、スタートしなければいけない状況でしない選手がプロには普通にいるという。おろそかになりがちな“基本”だが、赤松コーチは重要視し、徹底させることを貫く。
担当部門でもある走塁に関しては「成功率を高めていこう」と呼びかけている。コーチ1年目で「毎日が勉強」と先輩コーチから指示の送り方などの助言を受ける。東出2軍打撃コーチからは「バッティングも教えていいから」と言葉をもらった。「いいチームワークだと思う。選手に、そういうのは伝わりますから」とうなずく。
背番号93のユニホームを着て、若鯉たちへ情熱を注ぐ毎日。選手を尊重し、耳を傾けながら“最高のサポート役”を目指していく。

ノックバットを持ちながら現役時代と同じ、赤いソックスを見せるクラシックスタイルで練習を見守る。グラウンドでの外野ノックでは、大きな声を出して選手を盛り上げ、明るい雰囲気を作り出す。昨季限りで現役を引退。今季から2軍外野守備走塁コーチを任され、新たなスタートを切った赤松コーチは「サポートという(意味合いの)方が大きい。技術もないし、うまく教えることもできていない」と苦笑した。
2008年に阪神から広島に移籍。自慢の守備や走塁でファンを魅了した。16年オフには胃がんが発覚。苦しい治療、そしてリハビリ生活を乗り越え、グラウンドに戻ってきた。15年間の現役生活を経て、新たに迎えた指導者としての日々。「選手ファースト、選手ありきのコーチ」。上から目線での指導ではなく、あくまでも選手目線で接していくことを心掛けている。
選手育成において必要だと思っているのは「試せる場」の提供だという。「プロに入ってきて、能力を試せない選手がいる。練習で評価されて、自分を試せない選手がいる。“試せる場”(を与えること)がベスト」。自身も俊足を武器にプロの世界を生き抜いてきた。選手にはそれぞれ特長があり、それを伸ばす環境作りをしてあげることもコーチの役目だと考えている。
同時に説くのは「基本」の大切さだ。「(選手は)少年野球で、キャッチボールの基本や打撃での(基本である)左足のステップは教えられるんです。でも本人は忘れていく、応用に行こうとする」。例えば走塁に関して、スタートしなければいけない状況でしない選手がプロには普通にいるという。おろそかになりがちな“基本”だが、赤松コーチは重要視し、徹底させることを貫く。
担当部門でもある走塁に関しては「成功率を高めていこう」と呼びかけている。コーチ1年目で「毎日が勉強」と先輩コーチから指示の送り方などの助言を受ける。東出2軍打撃コーチからは「バッティングも教えていいから」と言葉をもらった。「いいチームワークだと思う。選手に、そういうのは伝わりますから」とうなずく。
背番号93のユニホームを着て、若鯉たちへ情熱を注ぐ毎日。選手を尊重し、耳を傾けながら“最高のサポート役”を目指していく。

【広島カープ】赤松、コーチとしての思いを告白
昨季限りで現役を退き、今季から指導者に転身した広島・赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)。2016年オフに胃がんを発見、切除手術と半年に及ぶ抗がん剤治療を受け、再びグラウンドに戻った。第2の人生を歩み始めた男は今、何を思うのか。
コーチとして臨んだ初めての春季キャンプは、悪戦苦闘の毎日だった。
「まだ土俵にも立てていない。『ノックも打てない、教えることもできないだろうな』。そういうイメージの通りでしたね。自分のバットをボールに当てるだけなのにそれが難しいんです」
だがプロで13年間、メシを食った経験は伝えられる。「まず『何のためにプロに入ったの?』と問いかけます。プロ野球選手として活躍したい、お金を稼ぎたい。いろいろあるが、じゃあ、そこに向かってやろうよと。その基本が薄れてしまう。僕、今年で(クビが)危ない選手には『ラストイヤーじゃないのか? ここでがむしゃらに一度、あがいてやってみたら?』とずっと言っています。それがもしかしたら、いい思い出になるかもしれないし」。
好例が中村恭平投手(30)。昨季は中継ぎでキャリアハイの43試合に登板した。「彼、去年でほぼクビだったと思います。それで一昨年オフからガンガンウェイトトレーニングをして鍛えまくった。そうしたら球速が155キロぐらいまで出た。そういうこともあるワケで。一度すべてをぶち壊すくらいの練習量を課せたからこそ。そこで何が起こるか分からないくらい、あがいてクビだったら、納得して辞められると思います」。
そこまで自分を追い込まないまま戦力外通告を受け、12球団トライアウトでも拾ってもらえず、社会人や独立リーグで野球を続ける選手もいる。
「『なんでプロ野球選手の間にもっと死に物狂いでやらなかったの?』と思ってしまう。僕が見た限りでいえば、そこまで練習していない人がその道をたどっていることが多い。まず『野球が好きでレギュラーになって稼ぐ』という基本を忘れちゃダメ。忘れてくると『何のために頑張ってるの?』となってくる。それを冷静に客観視して伝える。僕は今、それしかできませんから」
■「自分が後悔しない人生を歩まないと」
自身は04年ドラフト6巡目で阪神に入団。新井貴浩のFA補償で08年から広島に移籍後、堅守が輝いた。翌年は球宴に外野手部門でファン投票選出。10年にはDeNA・村田の打球をフェンスによじ登り好補したプレーが、米野球界でも脚光を浴びた。すべては健康な体があってこそだった。
「若手に『明日から病気になったら嫌だろ?』と聞いたところで、それは想像でしかないですからね。当たり前のように野球していたのが、当たり前にできなくなる。若い選手はたらふくご飯を食べられるけど、それができないしんどさがあります。摂取カロリーが消費カロリーに追いつかない。その分、オーバーヒートしますが、病気をしないと気づかない」
“がんサバイバー”は現場に復帰し、今春キャンプでは若手とともに朝から夜まで汗をかいた。体力面は大丈夫なのか。
「どうですかね、倒れるかもしれませんけど。それくらいの気持ちでやっています。自分が後悔しない人生を歩まないといけない。ただ、何もせずには倒れたくないんです。悔いが残りますから。若手をサポートしてから倒れたいし、できるようになりたい。これだけ野球をやれて注目を浴びたわけですから、その恩を返さないと。プロのコーチになれるなんてひと握り。やれるときにやっておかないと、という気持ちは強いですね」(山戸英州)

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000000-ykf-spo
コーチとして臨んだ初めての春季キャンプは、悪戦苦闘の毎日だった。
「まだ土俵にも立てていない。『ノックも打てない、教えることもできないだろうな』。そういうイメージの通りでしたね。自分のバットをボールに当てるだけなのにそれが難しいんです」
だがプロで13年間、メシを食った経験は伝えられる。「まず『何のためにプロに入ったの?』と問いかけます。プロ野球選手として活躍したい、お金を稼ぎたい。いろいろあるが、じゃあ、そこに向かってやろうよと。その基本が薄れてしまう。僕、今年で(クビが)危ない選手には『ラストイヤーじゃないのか? ここでがむしゃらに一度、あがいてやってみたら?』とずっと言っています。それがもしかしたら、いい思い出になるかもしれないし」。
好例が中村恭平投手(30)。昨季は中継ぎでキャリアハイの43試合に登板した。「彼、去年でほぼクビだったと思います。それで一昨年オフからガンガンウェイトトレーニングをして鍛えまくった。そうしたら球速が155キロぐらいまで出た。そういうこともあるワケで。一度すべてをぶち壊すくらいの練習量を課せたからこそ。そこで何が起こるか分からないくらい、あがいてクビだったら、納得して辞められると思います」。
そこまで自分を追い込まないまま戦力外通告を受け、12球団トライアウトでも拾ってもらえず、社会人や独立リーグで野球を続ける選手もいる。
「『なんでプロ野球選手の間にもっと死に物狂いでやらなかったの?』と思ってしまう。僕が見た限りでいえば、そこまで練習していない人がその道をたどっていることが多い。まず『野球が好きでレギュラーになって稼ぐ』という基本を忘れちゃダメ。忘れてくると『何のために頑張ってるの?』となってくる。それを冷静に客観視して伝える。僕は今、それしかできませんから」
■「自分が後悔しない人生を歩まないと」
自身は04年ドラフト6巡目で阪神に入団。新井貴浩のFA補償で08年から広島に移籍後、堅守が輝いた。翌年は球宴に外野手部門でファン投票選出。10年にはDeNA・村田の打球をフェンスによじ登り好補したプレーが、米野球界でも脚光を浴びた。すべては健康な体があってこそだった。
「若手に『明日から病気になったら嫌だろ?』と聞いたところで、それは想像でしかないですからね。当たり前のように野球していたのが、当たり前にできなくなる。若い選手はたらふくご飯を食べられるけど、それができないしんどさがあります。摂取カロリーが消費カロリーに追いつかない。その分、オーバーヒートしますが、病気をしないと気づかない」
“がんサバイバー”は現場に復帰し、今春キャンプでは若手とともに朝から夜まで汗をかいた。体力面は大丈夫なのか。
「どうですかね、倒れるかもしれませんけど。それくらいの気持ちでやっています。自分が後悔しない人生を歩まないといけない。ただ、何もせずには倒れたくないんです。悔いが残りますから。若手をサポートしてから倒れたいし、できるようになりたい。これだけ野球をやれて注目を浴びたわけですから、その恩を返さないと。プロのコーチになれるなんてひと握り。やれるときにやっておかないと、という気持ちは強いですね」(山戸英州)

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000000-ykf-spo
【広島カープ】赤松、引退した心境を語る
昨季限りで現役引退し、今季から広島の2軍外野守備・走塁コーチに就任した赤松真人コーチ(37)が10日、東京・銀座のひろしまブランドショップ「TAU」で行われたトークショーにゲスト出演した。
京都府出身の赤松コーチは、平安高、立命館大を経て2005年にドラフト6巡目で阪神に入団。その後、08年にFA移籍した新井貴浩(現スポニチ本紙評論家)の人的補償として広島に移籍した。持ち前の俊足と強肩で外野手として活躍した赤松コーチを一躍有名にしたのが、10年8月4日にマツダスタジアムでの横浜戦で、村田修一が放った本塁打性の飛球をフェンスによじ登っての好捕。米国でも衝撃プレーとして取り上げられるなど、世界に名をとどろかせた。
しかし、25年ぶりのセ・リーグ優勝した16年オフに胃がんを公表し、翌17年1月5日に胃の半分を切除する手術を行い、その後は抗がん剤投与など治療やリハビリをこなし、18年春季キャンプに参加、1軍復帰に向けトレーニングを重ねてきたが、昨季限りで現役を引退した。
来場者から花束を受け取った赤松コーチは昨年9月27日に行った引退セレモニーに関して「実は僕が球団に(セレモニーを)やらなくていいですと言ったんです。実際に凄い成績を残した選手でもなかったし。でも、病気になってから声援してくれた全国のファンの人たちに最後の姿を見せるためにはいい場所だと思ったんです。やってみて凄く良かったですね」と話した。
続けて、引退を決意した理由を聞かれると「引退って言ったら格好良いんですけど、引退じゃないんです。力及ばずなんです。1軍にはいない、いても試合にほぼ出ないのであれば、身を引くべきだと思います。あと1年できたかもしれませんが、そうなると1人の選手が枠に入れなくなる訳で、自分から引退するって言いに行きました」と説明した。
今後は2軍外野守備・走塁コーチとして後進の育成に携わることになるが「野球選手にとって、やりがいのある仕事だと思います。コーチ業って皆さんが思っている以上に体力を使うんで、選手あがりの方がやりやすいと思います」と、現在はノックを打つための練習を行っているという。
最後に来場者に対して赤松コーチは「今後、コーチ業をしますが、たぶんコーチングという(ような)大きなことを言えないと思います。しっかりとサポートをして選手の意見を聞き、やりやすい環境を作ってあげることに重点をおいてきたいと今年は思っています。年ごとに僕もレベルアップしていきたいですし、ファンの方々にもレベルアップしていただき、諦めない心で今後も野球を、そしてカープを応援していただければありがたいですね」と、熱いメッセージを送った。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200110-00000209-spnannex-base
京都府出身の赤松コーチは、平安高、立命館大を経て2005年にドラフト6巡目で阪神に入団。その後、08年にFA移籍した新井貴浩(現スポニチ本紙評論家)の人的補償として広島に移籍した。持ち前の俊足と強肩で外野手として活躍した赤松コーチを一躍有名にしたのが、10年8月4日にマツダスタジアムでの横浜戦で、村田修一が放った本塁打性の飛球をフェンスによじ登っての好捕。米国でも衝撃プレーとして取り上げられるなど、世界に名をとどろかせた。
しかし、25年ぶりのセ・リーグ優勝した16年オフに胃がんを公表し、翌17年1月5日に胃の半分を切除する手術を行い、その後は抗がん剤投与など治療やリハビリをこなし、18年春季キャンプに参加、1軍復帰に向けトレーニングを重ねてきたが、昨季限りで現役を引退した。
来場者から花束を受け取った赤松コーチは昨年9月27日に行った引退セレモニーに関して「実は僕が球団に(セレモニーを)やらなくていいですと言ったんです。実際に凄い成績を残した選手でもなかったし。でも、病気になってから声援してくれた全国のファンの人たちに最後の姿を見せるためにはいい場所だと思ったんです。やってみて凄く良かったですね」と話した。
続けて、引退を決意した理由を聞かれると「引退って言ったら格好良いんですけど、引退じゃないんです。力及ばずなんです。1軍にはいない、いても試合にほぼ出ないのであれば、身を引くべきだと思います。あと1年できたかもしれませんが、そうなると1人の選手が枠に入れなくなる訳で、自分から引退するって言いに行きました」と説明した。
今後は2軍外野守備・走塁コーチとして後進の育成に携わることになるが「野球選手にとって、やりがいのある仕事だと思います。コーチ業って皆さんが思っている以上に体力を使うんで、選手あがりの方がやりやすいと思います」と、現在はノックを打つための練習を行っているという。
最後に来場者に対して赤松コーチは「今後、コーチ業をしますが、たぶんコーチングという(ような)大きなことを言えないと思います。しっかりとサポートをして選手の意見を聞き、やりやすい環境を作ってあげることに重点をおいてきたいと今年は思っています。年ごとに僕もレベルアップしていきたいですし、ファンの方々にもレベルアップしていただき、諦めない心で今後も野球を、そしてカープを応援していただければありがたいですね」と、熱いメッセージを送った。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200110-00000209-spnannex-base
【広島カープ】赤松、一芸自慢を育てるぞ
今年も多くの選手がユニホームを脱いだ。第二の人生へ歩み出す男を紹介する。
広島・赤松は2軍外野守備走塁コーチに就任した。16年オフに検査で胃がんが発見。以降の出場は、引退セレモニーを兼ねた今季の最終戦の1試合のみに終わった。「後悔はもちろんある。でも病気になって気づかされた部分の方が多い」。同じ病に苦しむ人々を鼓舞するプレーは「できなかった」と振り返る。だが今後は一芸に秀でた“赤松2世”を育てることでファンを勇気づけていく。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191230-12290277-sph-base
広島・赤松は2軍外野守備走塁コーチに就任した。16年オフに検査で胃がんが発見。以降の出場は、引退セレモニーを兼ねた今季の最終戦の1試合のみに終わった。「後悔はもちろんある。でも病気になって気づかされた部分の方が多い」。同じ病に苦しむ人々を鼓舞するプレーは「できなかった」と振り返る。だが今後は一芸に秀でた“赤松2世”を育てることでファンを勇気づけていく。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191230-12290277-sph-base
【広島カープ】赤松の背番号を受け継いだドラフト2位、打撃と快足で、アピールだ
広島のドラフト2位・宇草孔基外野手(22)=法大=が8日、新入団選手会見(9日)に備えて広島入りした。背番号は今季まで赤松(現2軍外野守備走塁コーチ)が背負った38に決定。50メートル走5秒8を誇る韋駄天は“赤松魂”の継承を誓い、持ち味の積極的な打撃と快足で、アピールする。
クリスマスツリーをバックに、宇草は武者震いした。背番号が38に決まり、「赤松選手が付けていた番号なので泥を塗らないようにしたい」ときっぱり。球団も「赤松のイメージがあった」と通算138盗塁の足のスペシャリストの姿と重ねており「チャンスがあればどんどん走っていきたい」と力を込めた。
50メートル走5秒8。常総学院時代に出場したセンバツでは、大会最多タイの1試合5盗塁を記録した。スカウトが「(足の速さは)野間と同じぐらい」と舌を巻くほどの韋駄天だ。モットーは全力疾走。「気持ちのブレをなくすためです。打てても打てなくても。自分との戦いです」。プロでもスタイルを貫くつもりだ。
カープには頼もしい存在がいる。広瀬外野守備走塁コーチは法大の大先輩。広島入団が決まると「おめでとう」とお祝いの言葉を贈られ、「ビシバシ鍛えていただきたいです」とカープ伝統の猛練習を志願する。
広島を訪れるのは少年野球の全国大会に出場した小6以来、10年ぶり。「新幹線からマツダスタジアムが見えて、すごいなあと思いました」。当時、開場初年度のマツダで入場行進した経験もある。俳優・竹内涼真似と話題のイケメンルーキーが、本拠地を縦横無尽に駆け回る。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191209-00000045-dal-base
クリスマスツリーをバックに、宇草は武者震いした。背番号が38に決まり、「赤松選手が付けていた番号なので泥を塗らないようにしたい」ときっぱり。球団も「赤松のイメージがあった」と通算138盗塁の足のスペシャリストの姿と重ねており「チャンスがあればどんどん走っていきたい」と力を込めた。
50メートル走5秒8。常総学院時代に出場したセンバツでは、大会最多タイの1試合5盗塁を記録した。スカウトが「(足の速さは)野間と同じぐらい」と舌を巻くほどの韋駄天だ。モットーは全力疾走。「気持ちのブレをなくすためです。打てても打てなくても。自分との戦いです」。プロでもスタイルを貫くつもりだ。
カープには頼もしい存在がいる。広瀬外野守備走塁コーチは法大の大先輩。広島入団が決まると「おめでとう」とお祝いの言葉を贈られ、「ビシバシ鍛えていただきたいです」とカープ伝統の猛練習を志願する。
広島を訪れるのは少年野球の全国大会に出場した小6以来、10年ぶり。「新幹線からマツダスタジアムが見えて、すごいなあと思いました」。当時、開場初年度のマツダで入場行進した経験もある。俳優・竹内涼真似と話題のイケメンルーキーが、本拠地を縦横無尽に駆け回る。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191209-00000045-dal-base
【広島カープ】カープ大盛 “鯉の周東”になる!
広島・大盛穂外野手(23)が24日、健康診断を受けるためマツダスタジアムを訪れた。プロ1年目は育成選手ながら2軍でチームトップの109試合に出場し、同3位の16盗塁を記録。今月12日には支配下選手登録を勝ち取り、背番号59と発表された。鯉の韋駄天(いだてん)はプレミア12で大ブレークしたソフトバンク・周東のような足のスペシャリストを目指す。
自慢の快足を武器に、大盛が2020年の1軍昇格を狙う。理想はプレミア12で一気に全国区となったソフトバンク・周東だ。自らと同じ育成からはい上がり、侍ジャパン入り。11日・オーストラリア戦で二盗、三盗を決め、同点のホームを踏んだ姿には、「メチャメチャ格好良かった。シーズンも25盗塁していた。ジャパンでも代走で活躍できる選手は少ないので」と目を輝かせた。
50メートル5秒9。ウエスタン・リーグではチーム3位の16盗塁を記録。秋季キャンプでも広瀬外野守備走塁コーチからスタートの切り方や、足の運び方のレクチャーを受け、走塁への意識が一段と高まった。課題はスタート直後の加速だ。「リードをもう一歩、半歩取って帰塁もできるようにしたい」と意気込んだ。
高いモチベーションでオフを迎える。今月12日に支配下登録を勝ち取り、背番号は59と発表された。この日は健康診断のため、マツダスタジアムを訪問。水本2軍監督に感謝を伝え、激励を受けた。
大盛は「僕が目指しているのは走塁、守備で信頼される選手になること」ときっぱり。チーム盗塁数は16年の118個から17年112個、18年95個、今季81個と年々減少傾向だが、佐々岡新監督は「走る野球は原点」と語る。育成上がりの韋駄天が“鯉の周東”となって代走枠を果敢に奪う。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191125-00000041-dal-base
自慢の快足を武器に、大盛が2020年の1軍昇格を狙う。理想はプレミア12で一気に全国区となったソフトバンク・周東だ。自らと同じ育成からはい上がり、侍ジャパン入り。11日・オーストラリア戦で二盗、三盗を決め、同点のホームを踏んだ姿には、「メチャメチャ格好良かった。シーズンも25盗塁していた。ジャパンでも代走で活躍できる選手は少ないので」と目を輝かせた。
50メートル5秒9。ウエスタン・リーグではチーム3位の16盗塁を記録。秋季キャンプでも広瀬外野守備走塁コーチからスタートの切り方や、足の運び方のレクチャーを受け、走塁への意識が一段と高まった。課題はスタート直後の加速だ。「リードをもう一歩、半歩取って帰塁もできるようにしたい」と意気込んだ。
高いモチベーションでオフを迎える。今月12日に支配下登録を勝ち取り、背番号は59と発表された。この日は健康診断のため、マツダスタジアムを訪問。水本2軍監督に感謝を伝え、激励を受けた。
大盛は「僕が目指しているのは走塁、守備で信頼される選手になること」ときっぱり。チーム盗塁数は16年の118個から17年112個、18年95個、今季81個と年々減少傾向だが、佐々岡新監督は「走る野球は原点」と語る。育成上がりの韋駄天が“鯉の周東”となって代走枠を果敢に奪う。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191125-00000041-dal-base
【広島カープ】赤松コーチが指導初日で戸惑い
「広島秋季練習」(2日、由宇球場)
新任の広島・赤松2軍外野守備走塁コーチが、由宇での2軍秋季練習で“コーチ初日”を迎えた。
9月27日の引退試合から1カ月余り。「『赤松コーチ』と言われたけど、違和感がすごくある」と苦笑い。上本らに外野ノックなどを行ったが「(うまく)ノックも打てていないので、やっていかないといけない」と自身の課題を口にしていた。

新任の広島・赤松2軍外野守備走塁コーチが、由宇での2軍秋季練習で“コーチ初日”を迎えた。
9月27日の引退試合から1カ月余り。「『赤松コーチ』と言われたけど、違和感がすごくある」と苦笑い。上本らに外野ノックなどを行ったが「(うまく)ノックも打てていないので、やっていかないといけない」と自身の課題を口にしていた。

【広島カープ】がんの人のために続けるより、大盛のためにやめたい
9月7日、広島は胃がんからの1軍復帰を目指していた赤松真人(37)が今季限りで現役引退することを発表。16年12月に胃がんを患っていることを公表し、17年1月に手術。1軍復帰に向けて戦い続けていた。
◇ ◇ ◇
「がんの人のために続けるより、僕は大盛のためにやめたい」
いつだったか、赤松が吹っ切れたように話した言葉が忘れられない。大盛は、昨秋ドラフト入団選手でただ1人の育成選手。今季の支配下登録は見送られたが、2軍の成長株だ。球団の支配下登録は、7月29日にサンタナが加わり上限の70人に達した。自分が身を引かなければ、若手のチャンスを奪ってしまう。そんな思いが膨らんでいた。
胃がん切除手術を受けた赤松が現役を続けてこられた理由の1つは、同じ病気と闘う人を勇気づけたいと思ったからだ。2人に1人ががんになるといわれる時代。そうと分かった人がどれほどショックを受け、死の恐怖と闘い、家族も苦しむか。それがわかるから、闘う「同志」のためわが身にむち打ってきた。
プロ野球選手は1日5000キロ~6000キロカロリーが必要といわれるが、今でも「小4の息子より食べられない」と笑う。梅干し1個を食べただけで、嘔吐(おうと)することもあった。小学生並みのカロリー摂取で、ヘビー級アスリートのパフォーマンスを求められる。ありえないハンディキャップを背負ってきた。
1軍には届かなかったが、すべてやり切った。手術から2年半。がん患者より後輩の将来を思う赤松に、決断の重さと、プロ野球選手のプライドを見た。【広島担当=村野森】
◆赤松真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)から立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神入団。07年オフにFA移籍した新井貴浩の人的補償で広島へ移籍。外野守備の名手として存在感を示し、10年にゴールデングラブ賞を受賞。17年1月に胃がん摘出手術を受け、復帰を目指してきた。182センチ、70キロ。右投げ右打ち。

◇ ◇ ◇
「がんの人のために続けるより、僕は大盛のためにやめたい」
いつだったか、赤松が吹っ切れたように話した言葉が忘れられない。大盛は、昨秋ドラフト入団選手でただ1人の育成選手。今季の支配下登録は見送られたが、2軍の成長株だ。球団の支配下登録は、7月29日にサンタナが加わり上限の70人に達した。自分が身を引かなければ、若手のチャンスを奪ってしまう。そんな思いが膨らんでいた。
胃がん切除手術を受けた赤松が現役を続けてこられた理由の1つは、同じ病気と闘う人を勇気づけたいと思ったからだ。2人に1人ががんになるといわれる時代。そうと分かった人がどれほどショックを受け、死の恐怖と闘い、家族も苦しむか。それがわかるから、闘う「同志」のためわが身にむち打ってきた。
プロ野球選手は1日5000キロ~6000キロカロリーが必要といわれるが、今でも「小4の息子より食べられない」と笑う。梅干し1個を食べただけで、嘔吐(おうと)することもあった。小学生並みのカロリー摂取で、ヘビー級アスリートのパフォーマンスを求められる。ありえないハンディキャップを背負ってきた。
1軍には届かなかったが、すべてやり切った。手術から2年半。がん患者より後輩の将来を思う赤松に、決断の重さと、プロ野球選手のプライドを見た。【広島担当=村野森】
◆赤松真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)から立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神入団。07年オフにFA移籍した新井貴浩の人的補償で広島へ移籍。外野守備の名手として存在感を示し、10年にゴールデングラブ賞を受賞。17年1月に胃がん摘出手術を受け、復帰を目指してきた。182センチ、70キロ。右投げ右打ち。
