広島カープブログ

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    コーチ

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#42

    ■突然の引退勧告

    「代打が中心になるかもしれないが、期待しているから、頑張ってくれ」 日本ハムから広島にトレードが決まった1977年、当時の古葉竹識監督から自宅に電話をもらい、意気に感じた。

     プロ8年目で3球団目。ミート率を上げるため、スイングをコンパクトに変更した。代打に甘んじるわけではない。代打を突き詰めてみようと心に決めた。

     この年の5月、中日・星野仙一から代打サヨナラ2ランを放ったのはいい思い出である。

     78年は3位に終わったにもかかわらず、オフにチームで米グアムに行き、同行した当時の松田耕平オーナー(享年80)から妻ともども声をかけてもらい、感激したのを思い出す。カープは家族的な雰囲気を大切にする。簡単には選手を交換トレードに出さず、見捨てないという伝統がある。

     82年の6月も終わろうかという頃、古葉監督に呼ばれ、「7月から二軍でコーチの勉強をしたらどうか?」と打診された。登録上はまだ選手だが、7月からは「二軍打撃コーチ補佐」として事実上の指導者の道を歩み始めろということだった。まだ現役に未練はあったが、数日間悩んだ末に受けることにした。そこから37年+半年の指導者人生がスタートした。カープで指導者の基礎を学んだ。

     現在の松田元オーナーは「基本的に監督は5年周期だが、コーチは財産だから代えない」とはっきり言う。選手同様、コーチも腰を据えて育成する方針。監督もコーチも、コロコロ代わってしまうと、選手には迷いが生じる。カープにはそれがない。マニュアルはないが、スピード野球などは選手時代に教わっている。コーチの指導はそれほど大きくは変わらない。

    ■スキューバダイビングの重りをつけたことも

     コーチになって、現役時代の失敗を糧とした。自分が抱いた後悔を選手にさせたくない。どんなに才能があろうが、打者は多くバットを振らないとダメ。コーチは選手に飽きさせないよう、継続してやらせることが仕事といえる。

     秋と春のキャンプで毎年同じような練習メニューをさせるのではなく、常識にとらわれないユニークなことはないかと常に考えていた。打撃コーチはアイデアマンであれ。私のポリシーである。

     例えば広島時代は、スキューバダイビングでつける重りを腰に巻いて打撃練習をさせたことがある。体の軸をしっかりさせるため、体重よりさらに負荷を10キロ近くかけるのだ。堂林翔太はこの練習で、腰を回転させる力がつき、スイングスピードが増した。

     巨人の4番・岡本和真は、スタンスが大きくなり過ぎる悪いクセがあった。その矯正のため、両足首にゴム製のバンドを巻いて練習させた。ステップ幅がきちっと保てれば、軸回転で打てるようになる。この練習は、両足の内転筋を鍛える効果もある。両足をゴムバンドで留めてスイングをするのは窮屈だろうが、それも進化への過程である。

     人を指導する立場になった時、私を選手として育ててくれた人をコーチのお手本とした。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200331-00000006-nkgendai-base

     昨季限りで現役を退き、今季から指導者に転身した広島・赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)。2016年オフに胃がんを発見、切除手術と半年に及ぶ抗がん剤治療を受け、再びグラウンドに戻った。第2の人生を歩み始めた男は今、何を思うのか。

     コーチとして臨んだ初めての春季キャンプは、悪戦苦闘の毎日だった。

     「まだ土俵にも立てていない。『ノックも打てない、教えることもできないだろうな』。そういうイメージの通りでしたね。自分のバットをボールに当てるだけなのにそれが難しいんです」

     だがプロで13年間、メシを食った経験は伝えられる。「まず『何のためにプロに入ったの?』と問いかけます。プロ野球選手として活躍したい、お金を稼ぎたい。いろいろあるが、じゃあ、そこに向かってやろうよと。その基本が薄れてしまう。僕、今年で(クビが)危ない選手には『ラストイヤーじゃないのか? ここでがむしゃらに一度、あがいてやってみたら?』とずっと言っています。それがもしかしたら、いい思い出になるかもしれないし」。

     好例が中村恭平投手(30)。昨季は中継ぎでキャリアハイの43試合に登板した。「彼、去年でほぼクビだったと思います。それで一昨年オフからガンガンウェイトトレーニングをして鍛えまくった。そうしたら球速が155キロぐらいまで出た。そういうこともあるワケで。一度すべてをぶち壊すくらいの練習量を課せたからこそ。そこで何が起こるか分からないくらい、あがいてクビだったら、納得して辞められると思います」。

     そこまで自分を追い込まないまま戦力外通告を受け、12球団トライアウトでも拾ってもらえず、社会人や独立リーグで野球を続ける選手もいる。

     「『なんでプロ野球選手の間にもっと死に物狂いでやらなかったの?』と思ってしまう。僕が見た限りでいえば、そこまで練習していない人がその道をたどっていることが多い。まず『野球が好きでレギュラーになって稼ぐ』という基本を忘れちゃダメ。忘れてくると『何のために頑張ってるの?』となってくる。それを冷静に客観視して伝える。僕は今、それしかできませんから」

     ■「自分が後悔しない人生を歩まないと」

     自身は04年ドラフト6巡目で阪神に入団。新井貴浩のFA補償で08年から広島に移籍後、堅守が輝いた。翌年は球宴に外野手部門でファン投票選出。10年にはDeNA・村田の打球をフェンスによじ登り好補したプレーが、米野球界でも脚光を浴びた。すべては健康な体があってこそだった。

     「若手に『明日から病気になったら嫌だろ?』と聞いたところで、それは想像でしかないですからね。当たり前のように野球していたのが、当たり前にできなくなる。若い選手はたらふくご飯を食べられるけど、それができないしんどさがあります。摂取カロリーが消費カロリーに追いつかない。その分、オーバーヒートしますが、病気をしないと気づかない」

     “がんサバイバー”は現場に復帰し、今春キャンプでは若手とともに朝から夜まで汗をかいた。体力面は大丈夫なのか。

     「どうですかね、倒れるかもしれませんけど。それくらいの気持ちでやっています。自分が後悔しない人生を歩まないといけない。ただ、何もせずには倒れたくないんです。悔いが残りますから。若手をサポートしてから倒れたいし、できるようになりたい。これだけ野球をやれて注目を浴びたわけですから、その恩を返さないと。プロのコーチになれるなんてひと握り。やれるときにやっておかないと、という気持ちは強いですね」(山戸英州)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000000-ykf-spo

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#33

     私が広島の一軍打撃コーチになったばかりの1984年。当時、巨人のユニホームを脱ぎ、浪人時代だった長嶋茂雄さんが、一日コーチとしてカープの日南キャンプへやってきた。広島の古葉竹識監督との関係で実現したものだった。

     カシミヤのセーターを着こなした長嶋さんは、1番に定着していた高橋慶彦や外野のレギュラーを確保したばかりの長嶋清幸に直接指導。まずは慶彦のフリー打撃を数分間見て、こうアドバイスした。

    「高橋君ね、腰を『グッ』『グッ』『グッ』と切るんだ」

     きょとんとしていた慶彦が打撃練習を再開すると、目が覚めるような強い打球に変わっていた。

    「そうそうそう、それグーよー」

     今度は長嶋清にこう言った。

    「長嶋君ね、インパクトは『パーン』じゃなくて『パン』『パン』『パーン』よ」

     あの独特の言い回しで身ぶり手ぶりの指導。私は傍らで長嶋さんの言葉をメモした。長嶋清の打球も明らかに速くなった。

     長嶋さんが帰った後、慶彦は私にこう確認しにきた。

    「腰をグッグッグッていうのはどういう意味なんですか?」

    「おまえ、打球が変わっただろ? 腰に力が入っただろ? 腰を素早くスピーディーに回しなさいということだ。それが『グッグッ』なんだよ」

    「そうなんですか」

     長嶋清も首をひねりながら、こう漏らした。

    「パンパンパンってなんなんですかね?」

    「おまえはインパクトがパンで終わっているから、パンパンパンっていうのは、一度打ったら、もう一つ、もう一つ振り切りなさいってことを言っているんだ」

    「分かりました」

     これが有名なミスター流か。こういう教え方があるのかと驚いた。同時に自分にはできないと感じた。実績のある長嶋さんの言葉の重み、オーラがあればこそ成立するもので、実績のない私には到底無理である。指導者として何ができるのかを考えた時、選手と一緒に汗を流し、選手の成長を手助けする指導をしつこく続けるしかない。そう心に決めたのがこの時だった。

     長嶋さんの指導をメモしたキャンプから10年後。広島で二軍打撃コーチを務めていた私に、第2次政権が始まった長嶋監督率いる巨人からオファーが届いた。「ファームで若い選手を育てて1人でも2人でも上に押し上げて欲しい」と言われ、縁もゆかりもない私が巨人のコーチになった。以後、巨人では計16年間ユニホームを着させてもらった。長嶋監督は恩人である。

     長嶋監督は4番打者として育成すると決めた松井秀喜には厳しかった。松井が「あること」をすると、座っている松井の背中越しにベンチをガンガン蹴っていたのだ。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200311-00000009-nkgendai-base

     「オープン戦、ヤクルト-広島」(10日、神宮球場)

     降雨のため2回終了ノーゲームとなったが、広島は新1、2番コンビが存在感を発揮した。


     通常の1番・田中広、2番・菊池涼のタナキクコンビではなく、6番に菊池涼、7番に田中広を置き、1番・長野、2番・ピレラで試合に臨んだ。

     初回に早速、長野が先発のスアレスから左中間にフェンス直撃の二塁打で好機を演出すると、続くピレラがカウント1-2から外角高めのスライダーを捉え、右中間に適時二塁打を放った。さらに、3番西川がきっちりと進塁打を決め、1死、三塁にすると4番の鈴木誠が中堅に犠飛を放ち、効率よく2点を奪った。

     朝山打撃コーチは、「基本は(1、2番は)タナキクだが、1、2番と6、7番は変わることもある。きょうは理想の動きで取った2点。いい攻めができていた」と話した。

     佐々岡監督は「チーム、相手投手でこういう野球もある」と手応えをつかみ、新たな攻撃パターンの可能性を示唆した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200310-00000122-dal-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#29

     一度は戦力外が決まっていたところから、這い上がった男がいる。現在は西武の二軍打撃コーチを務める嶋重宣である。

     1994年のドラフト2位で投手として広島に入団。99年から野手に転向し、2002年にウエスタン・リーグの最高出塁率のタイトルを取ったものの、03年までの5年間、レギュラーに定着できなかった。致命的だったのは、内角を苦手にしていたこと。腰痛も抱えており、すぐに離脱する選手というレッテルを貼られ、他のコーチ陣から「もう厳しい」と、みられていた。

     私は02年まで巨人の打撃コーチだったため、それまで嶋との接点はなかった。初めて指導したのは、広島の一軍打撃コーチに復帰した03年の秋季練習だった。嶋はその年、一軍で2打席に立っただけで9年目を終えていて、球団は戦力外を通告しようとしていた。とはいえ、打撃練習を見ていると、ボールに対していいコンタクトをしている。秋季練習で27歳の嶋と成長が期待される若手を比べた時、まだ力の差があった。嶋はまだやれると感じた。

    ■「先入観を持たないでフラットな目で見る」

     球団は戦力外の前にトレードを考えていたという。それでも「2、3年前ならトレードできたんだけど、今年は欲しいという球団が出てこない。嶋を解雇しようと思うんだが……」と聞かされた。

     意見を求められた私は「あと1年でいいので、なんとか嶋を置いてもらえませんか? その代わり、打撃については全部任せてください」とお願いし、了承された。一度は決まったクビが覆ったことになる。面白くない首脳陣もいたはずだ。実際、あるコーチに「お手並み拝見」と言われ、闘志に火がついた。嶋にはこう告げた。

    「オレはおまえを知らないから、先入観を持たないでフラットな目で見る。一度クビになったようなもんだ。失うものは何もないだろ。来年1年だけだぞ。オレはおまえの体調なんか気にしない。もし腰が壊れたら、そこで終わるぐらいの気持ちで死に物狂いでやってみろ。壊れてもいいつもりで、どんどんバットを振らせるからな」

     二軍では3割打てても、一軍では通用しない。原因はいくつもあったが、内角を意識するあまり、開きが早く、かかと重心になっていたことが気になった。まず、重心を爪先側にかけられる練習を考えた。ティー打撃の際、通常の斜め前方からではなく、真横からトスを投げたり、内角に緩いカーブを投げて、それをファウルにしないよう、腰を速く回しながら打たせた。打撃コーチの仕事は、いかに選手にいいクセをつけさせるか、だと思う。

     秋季練習から翌年の春のキャンプでも好調をキープしたが、オープン戦終盤の2試合で無安打。内容が悪く、控えに回ることになった。この世界は一度レギュラーから外されると、出場機会を取り戻すのは難しい。そんな嶋が再びチャンスを得る「追い風」が吹くことになる。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200304-00000006-nkgendai-base

    ◆ 第4回:再建を託された人格者

     広島の新監督に佐々岡真司が就任した。投手出身の監督はチームにとって1967年の長谷川良平氏以来、実に53年ぶりのことだという。古葉竹織、山本浩二、野村謙二郎、そして前任者の緒方孝市氏といった攻撃型指揮官が続いた赤ヘル軍団を、元エースが昨年の屈辱からどう立て直していくのか? 注目してみたい。



     V9巨人以来のリーグ3連覇を果たした緒方監督からのバトンタッチ。輝かしい栄光からわずか1年でチームはBクラスに転落した。要因はいくつもある。中でも衝撃的だったのは、緒方監督が某選手の怠慢プレーに腹を立てて殴打した事件と、主軸に成長していたX.バティスタ選手のドーピング問題。チーム内に波風が立ち崩壊していった。

     球団側は一度は緒方を引き留めたが、辞任の意思は固く新たなスタッフで再出発を決断する。早い段階から後任の監督として有力視されていたのが佐々岡だ。

     一部からは松田元オーナーのお気に入りという声も聞かれたが、緒方が野球に関しては人も寄せ付けない「求道者」タイプに対して、佐々岡は誰もが認める「人格者」タイプ、さらに昨季は自慢の投手陣にほころびも見え出している。チーム内の空気を入れ替えて、なおかつ投手陣の再建を託せる人材として佐々岡の出番は必然でもあった。


    ◆ 投手コーチから指揮官へ

     グラウンド外の事件や問題は置くとして、昨年の転落には2つのウィークポイントが指摘されている。ひとつは丸佳浩選手のFAによる巨人移籍である。2年連続リーグMVPの流失はチームの屋台骨喪失を意味した。その穴を埋めるべく野間峻祥、松山竜平選手らを起用するが結果が出ない。

     そして、もうひとつが自慢のリリーフ陣の崩壊だった。3年連続で胴上げ投手を務めた守護神の中崎翔太が前年の32セーブから9セーブに。「勝利の方程式」を形成していた一岡竜司や今村猛といったリリーフ陣も精彩を欠いて一・二軍を往復する始末。いずれもV3からの勤続疲労だった。

     昨年までの投手コーチから指揮官へ。大役を引き受けるにあたり「自分でいいのか?」と戸惑いもあったというが、選手にもマスコミにも対話重視の姿勢は変わらない。実直な人柄がにじみ出る。

     現役時代はカープ一筋。1年目から13勝をあげてエースの座をつかむと、91年には最多勝(17勝)、最優秀防御率(2.44)にリーグMVP、沢村賞、ベストナインと5冠に輝いている。これだけの実績をあげながらチーム事情に応えて抑え役にも転向。2006年には100勝100セーブの快記録を達成、当時は江夏豊氏に次ぐ史上2人目の快挙だった。佐々岡がFAの権利を手にした時には「大好きな球団だから」という理由で残留の道を選んでいる。その昔からチーム愛は人並み外れている。


    ◆ もうひとつの顔

     「選手の時はファンから好かれる選手でありたいと思っていた。みんなから好かれる、そんな監督になっていきたい」。昨年、監督就任時の記者会見で佐々岡はこう語っている。正直な感情だろうが、一方で監督とは嫌われることも厭わず、敵を欺いてでも勝利にこだわるタイプが多い。

     先日亡くなった名将・野村克也氏は選手との個別会食は「個人的な感情が入る」という理由で拒絶していたほど。だから、佐々岡新監督を語る時に「お人好しで大丈夫?」という声があるのも事実である。

     しかし、佐々岡をよく知る人物が別な顔を証言する。同時期のエースで現在カープのOB会副会長も務める大野豊氏だ。「確かに人柄が良すぎて、心配する向きもあるだろうが、ああ見えて以外に頑固で芯の強い一面もある。自分で決めたことは絶対に曲げない意志の強さの持ち主ですよ」。

     投手を中心に守り勝つ野球が広島の伝統。昨オフには会沢翼、野村祐輔といった主力選手のFA移籍も危惧されたが、佐々岡直々の慰留で残留。さらにメジャー流失が確実視されていた菊池涼介選手まで帰ってきた。ドラフトでは新人王候補ナンバーワンと目される森下暢仁投手(明大)を獲得と戦力ダウンの心配はない。

     投手出身の佐々岡だから攻撃面は高信二ヘッドらとコミュニケーションを取りながら采配を振るう。そして懸案の投手陣の再建が実現した時、再び強いカープが戻って来る。その時までは「お人好し」も封印だ。


    文=荒川和夫(あらかわ・かずお)-この項終わり-


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00220121-baseballk-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#26

     1990年代にカープの主砲だった江藤智は、88年のドラフト5位で捕手として入団した。私は二軍打撃コーチ。この時すでに右肩を故障していて、二塁まで強く送球できない状態だった。

     一方で打球の飛距離は群を抜いていた。今ではどこでもやっているロングティー。これを当時の山本浩二監督は好んだ。一番最初にやり出した人物ではないか。体全体を使って強く振る練習になるから、私も推奨している。

     江藤は新人時代に、このロングティーでバックスクリーンにブチ当てた。勢いのないトスをスタンドまで持っていくには、相当な力が必要。肩は故障していても、これだけ強く、遠くへ飛ばせるのは長所であり、大きな魅力だった。江藤を「強化指定選手」にすることにした。とはいえ、投げられなくては捕手は厳しい。3年目からは三塁手として鍛える方針になり連日の猛ノックで土台をつくった。足でしっかり土を掴み、下半身を安定させるため、裸足でのスイングも取り入れた。

     入団1、2年目の頃、江藤には消極的なところがあった。私はこう言ったことがある。

    「バットを振って三振をするのは構わない。ただし、見逃しはダメだ。真っすぐを待っていて変化球がきても、バットは振りなさい」

     自分とボールとの距離は、バットを振らないと分からない。そのうち、変化球を片手でポーンと左中間へはじき返せるようになった。猛練習の中で、下半身が強化され、守備も打撃も着々と成長の跡を見せていく。

    ■巨人へFA移籍

     90年代のチームを主軸として支え、99年オフに巨人へFA移籍。盗塁はできなくても走塁はできる――。当時、私は巨人の一軍打撃コーチ。江藤は、パワーヒッターで足が速くないにもかかわらず、一塁走者の時には、大きなリードを取り、積極的に三塁へ進塁するなど、カープで叩き込まれた走塁を披露。長嶋茂雄監督は「江藤は意識が高い」と最初に驚いたのが走塁だったそうだ。

     のちに、江藤に広島時代の過酷な練習について聞くと、こう話していた。

    「選手時代は夢中でしたけど、全てを受け入れて乗り越えられた。選手としてある程度は成功できた今、コーチをする上で、あの時に厳しくやってもらったことが生きています」

     そんな江藤と15、16年には巨人の一軍打撃コーチを一緒にやることができた。成功の要因は、なんといっても体の強さ。江藤は泥にまみれながらプロで生きる道を切り開いた。それは、体だけは丈夫だった後輩の新井貴浩にも通じている。

     私が50年間もユニホームを着続けられたのは、広島のコーチ3年目に初めて「作った」と自負できる選手に出会ったからに他ならない。後にプロ野球史上初の快挙を成し遂げる正田耕三である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00000010-nkgendai-base

    【今とは大違い 俺の新人時代】

     広島といえば、猛練習で知られている。かつてのそれは現在の比ではなく、「あの頃のことは思い出したくない」と本気で言う者もいるくらいだ。

    「僕らのときが一番、厳しかった時代じゃないかな」と話す高ヘッドコーチ(52)は、1985年ドラフト2位で入団。悲鳴を上げたのが、キャンプの午前中に行うウオーミングアップだ。

    「最初に柔軟をやって体をほぐす。そのあとはひたすら2時間走りっぱなしです。まず連帯歩調で声を出しながら、グラウンド10周。そのあとも走るメニューばかりで、守備練習を挟んでから昼食。もうアップだけでヘトヘトになりますからね。走り終わった時点で『よっしゃ! 今日の山は越えた!』ですよ。まだ野球の練習は何もしていないのにね(笑い)」

     午後は打撃練習だが、高コーチは「バットは今の選手の方が振っているんじゃないかな。というのも、昔はマシンが少なかった。2台しかないマシンを順番で打っていたから、待ち時間も多かった」と、振り返る。

     ちなみに地獄のようなアップには理由がある。

    「あの当時は迫丸(金次郎)さんという方がトレーニングコーチでした。現役時代に巨人から広島にトレードで来た人。引退後にコーチになったんですが、選手上がりでトレーニングの専門的な知識がない。野球しかしていないんですから、とにかく『走れ! 走れ!』だったんです(笑い)」

     今の時代では考えられない人事だ。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200220-00000007-nkgendai-base

     広島ドラフト2位の宇草(法大)が課題のスローイング矯正に懸命だ。沖縄2次キャンプ第2クール初日の18日は、大学の先輩に当たる広瀬外野守備走塁コーチと午前9時から早出の特訓。「引き出しが多い。いろんなアプローチをしてもらえるのでありがたい」と汗を拭った。

     取り組んだ練習は、(1)ゴムチューブを左手で引いた勢いで投球する(2)左手でカベをつくってスナップスローする(3)軸の右足だけで立ってネットにスローイングする…など。広瀬コーチは「投げる前から自分にプレッシャーをかけているところがある。意識の方向を変えてほしい」と注文、「キャンプ当初と比べると改善しているけど、まだまだこれから」と指摘した。

     打力や走力には一定の評価を得て、練習試合でも15日の阪神戦で左の岩貞から左翼線二塁打、16日の中日戦でも左翼線安打をマークした。スローイングが矯正されれば出場機会が増えそうなだけに、「一日一日、成長を感じています。だからこそ課題も出てくる。打撃も守備も、まだまだうまくなってやろうと思ってやっています」と言葉に力を込めた。

     



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00000037-spnannex-base

    <練習試合:阪神1-7広島>◇15日◇沖縄・宜野座

    広島西川龍馬内野手が鈴木誠不在の打線に火をつけた。3回に左腕横山の高めの真っすぐをとらえ、右翼席に先制ソロを運んだ。対外試合初戦から2戦続けて3番に起用する朝山打撃コーチは「(4番の鈴木)誠也の前に出塁率が高い選手を置きたい。僕のイメージかなと思います」と西川、鈴木誠が並ぶ打線を示唆。


    西川は「まだまだです。もっと確率を上げていかないといけない」と足元を見つめた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200215-02150793-nksports-base

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