青天のへきれきだった。91年12月。秋季近畿大会で準優勝し、ほぼ確実と思われたセンバツ出場を辞退することになった。同年夏に勇退した前監督の行きすぎた指導が問題となった。ただ、現場の指導者、選手は関わっていない不祥事。黒田をはじめ上宮野球部員は突然の悪夢に襲われた。



黒田は当時について「あんまり記憶にない。覚えていない」と多くを語らない。同学年の溝下進崇も同じで「記憶が飛んでしまっている部分がある」と吐露する。それでも断片的な記憶をつむいだ。

溝下 聞かされたのは、沖縄の修学旅行のときだったと思うんです。離島へ行った宿舎の一室に集められて。決まったわけではないから、まずは修学旅行楽しんで、また帰ったら集合すると言われた。帰ったら「辞退します」と。正直、やる気がうせましたよね。怒りの矛先のない、憤りの中で記憶が飛んでしまっている。

当時の教頭は部員や保護者を前に土下座してわびた。保護者からは署名活動を促すような声も上がった。ざわつく周囲とは対照的に、部員たちの時間は止まったようだった。高校球児にとって「甲子園」は夢以上の存在。溝下は2日間、家から1歩も出ることができなかった。

溝下 高校野球をすることの意義の1つ。夢というぼやっとしたものではなく、上宮に選ばれて入った以上はそこに行かなければいけない使命感を持ってやっていた。本当にふ抜けになっていた。

監督の田中は指導者として苦慮した。「本当にバラバラになりました。選手も選手の保護者もかわいそうだった」。学校に直談判し、自分たちが出るはずだったセンバツが始まる時期に九州遠征に出た。強豪校で野球専用球場を持つ上宮は他校の遠征を迎えることが多く、通常は遠征に出ることはない。「そんなことで心が和むとは思っていなかった。でも彼らに何かしてあげたかった。また強い上宮に戻したい気持ちがあった」と田中は述懐した。

上宮野球部は何とか夏の大会へ向けて動きだしたが、黒田に前年秋の感覚はなかった。「冬になってボールに触れない中で、なかなか継続することは難しかった。甲子園に行っていたら変わっていたかもしれないが、春になってもあまり変わっていなかった」。加えて右手中指の腱(けん)を痛めてしまったことも投球を苦しめた。最大の武器だった真っすぐの力強さが戻ってこない。生まれて初めて痛み止めの注射を打って投げたこともあったが、結果は出なかった。オープン戦でめった打ちにあい、黒田の評価は急降下。最後の夏は、登板機会が1度も訪れないまま府大会5回戦で敗退。黒田の高校野球人生は静かに幕を下ろした。

憧れた甲子園出場はかなわなかった。過酷な練習にも耐え抜いた3年間は無情な結末を迎えたが、高校3年間で何も得られなかったことが、結果的に何にも代え難い財産となったのかもしれない。(敬称略=つづく)【前原淳】

(2017年12月18日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00436000-nksports-base
名無しさん : 2019/01/14 07:30:41
連帯責任の全てがダメとは思わない。人は社会の中で生きていて、連帯責任を問われるからこそ違反行為の抑止力になる面もあるからだ。しかし、現場や選手に関係ない立場になった人が行ったことまでを範疇にされたのはどうだったのか?と思います。当時の状況はわかりませんが、この記事だけを読んでいると、夢を奪われた選手たちのやるせなさ、落胆は相当なものだったことは容易に想像できますね。辛かったと思います。
名無しさん : 2019/01/14 07:58:29
確かに可哀想な事ではあるが、甲子園に出場せず、高校・大学とあまり投げなかったことが、肘や肩の温存と反骨心を育て、息の長い投手として活躍できた要因の一つであると思います。
結果、黒田は人気のない球団に指名され、その球団を愛し、最後は最高の形で引退した。
メジャー移籍のときの「帰ってくるならカープ」の言葉を実現し、カープを優勝に導いたスーパーヒーロー。人として一本強烈なスジを通す人でした。
名無しさん : 2019/01/14 11:08:02
黒田に関しては結果論としてコメ主さんのおっしゃるとおりですが、他のほとんどのベンチメンバーの人生の歯車は大きくマイナス方向へ傾いてしまいました。
かわいそうだったと思う。
名無しさん : 2019/01/14 16:38:22
↑ 全く同じこと思いました。
名無しさん : 2019/01/14 07:01:00
私も当時は高校球児であの時代は特に上下関係、監督、部長さんには礼儀正しく時間前にはグランドに出て先輩の道具一式揃えておく事が毎日の日課でしたね。先輩の誰かが気に入らないことがあると、後輩が呼び出され練習後に〆を食らうことが毎日の様にあったが今思えば時間が解決したんだなと当時を思う。結局私が卒業して何年かたった後暴力事件で新聞に載ったらしいが、先輩からの〆に逆上して後輩が何人かで1人の先輩をボコってみたいな、我々の時は考えられない事が起こった事件ではあったかな
名無しさん : 2019/01/14 07:55:12
生徒が悪いのだったら明らかに「仕方がない」の気持ちに切り替わるだろうけど、従っていた監督は生徒にとっては絶対的な存在であるから、納得のしようがないですね。
意味のない経験の代表格ですね
名無しさん : 2019/01/14 06:50:16
前監督のおかげで…
全くの不足の事態
かわいそうです。
夢を掴んだ瞬間に夢をぶち壊される
生徒達はやる気無くしますね。
記憶が飛んでるのも無理ないです。

前監督、あなたが居なければと
恨み節になります。
名無しさん : 2019/01/14 10:56:28
山上のアホですな・・・
名無しさん : 2019/01/14 12:07:53
この前監督はその後系列校の監督になってますね。
その高校を甲子園に出場させたので、学校(学校法人)としては良かったので、きっと英雄扱いになってると思います。
ただ、自分が黒田投手や同期の部員だったらやるせない気持ちになってますね。
名無しさん : 2019/01/14 07:03:56
日本独特の習慣「連帯責任」なんて意味ない。
当該者だけ出場出来ないだけでいい。
ましてや前監督の不祥事をなぜ今の部員が受けないといけないのかと思う
名無しさん : 2019/01/14 09:44:39
監督の不祥事で、1番の罰を受けるのが指導される側の生徒たち。牧野会長までの高野連の感覚は異常だったと思う。
名無しさん : 2019/01/14 07:04:45
今もそうだが出場停止や辞退の基準が他の競技と比べて厳しすぎるよ。野球は‥
名無しさん : 2019/01/14 06:44:40
この後の黒田選手の輝きがどれだけこの時のナインの思いを救ったのだろう。あとこの記事も。
名無しさん : 2019/01/14 08:37:44
その監督も野球部を強くするんじゃなくて
ただグチャグチャにしただけだったな。
ある意味で人災だと思う。
名無しさん : 2019/01/14 06:30:48
あまりにも可愛そうだ。

ただ同じ元高校球児として、最後の夏、試合にも出れずに終わってしまった自分と比べたら、とても素晴らしい野球人生だと思う。
名無しさん : 2019/01/14 09:51:11
黒田さんは運がよかった。
上宮でも太子でも1年生ピッチャーを酷使した監督、上宮太子の甲子園初出場したときも T君こわした。
名無しさん : 2019/01/14 10:47:44
この時の上宮と練習試合をしたけど強かった。
黒田は出てなかったけれど、西浦、溝下、筒井など一学年したも牧野、黒川などで、接戦はしたけれど勝てる感覚は全くなかったです。
名無しさん : 2019/01/24 12:36:26
1学年下はスター不在でしたけど、センバツに出場して優勝しましたね。
名無しさん : 2019/01/14 07:06:24
当時は西浦、筒井など上宮最強世代と言われてましたから、甲子園出場は最低でもマストだったと思いますね〜
名無しさん : 2019/01/14 07:24:39
仮に前監督やベンチ入り出来なかった部員が逆恨みにより問題を起こしたときはどうするのか?それでも連帯責任なのか?
名無しさん : 2019/01/14 08:35:06
あの時のチームは昨年の大阪桐蔭バリにバリバリチョコのアイスだった。
名無しさん : 2019/01/14 06:57:17
後にも先にも、
黒田投手のような
男前な投手はもう出てこないかなー。
名無しさん : 2019/01/14 07:29:03
名門ヤンキースの20億円オファー断って
広島に戻ってんでしょ?それに40過ぎまで
現役なんてかっこよ過ぎる!

野球してなくても憧れるよ!
名無しさん : 2019/01/14 08:19:14
選手・監督・コーチにかかわらず連帯責任は、考え直さないと
名無しさん : 2019/01/14 09:33:24
悪しき日本の習慣。