【正田耕三「野球の構造」(19)】和歌山生まれの和歌山育ち。高校卒業後に進んだ社会人野球の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)も含めて長く関西圏で過ごした僕は、根っからの阪神ファンでした。和歌山ではサンテレビ制作の阪神戦中継を見ることができたので、練習漬けだった中学生や高校生の一時期を除いて、熱心に見ていたものです。

 子供のころに好きだったのは中心打者の遠井吾郎さんや、同じ和歌山県出身で先発投手陣の柱だった上田次朗さん。新日鉄広畑時代に甲子園球場のライトスタンドで観戦するようになってからは掛布雅之さんを応援していました。僕にとってプロ野球は、小学生のころから「目指す場所」ではなく、ただ単にファンだったのです。

 僕は物に執着がなく、プロも含めて現役時代にいただいたトロフィーやユニホームの類いを一切持っていません。1987年に初受賞したゴールデン・グラブ賞のトロフィーぐらいは実家にあるかもしれませんが、あったとしてもその程度。それこそ1984年ロサンゼルス五輪で勝ち取った金メダルも僕の手元にはありません。

 メダルもタイトルも目標ではありました。しかし、目標達成に伴って授与されるトロフィーなどに対して、僕は価値を感じません。だから、お世話になった方にそれらをプレゼントしていたのです。僕のトロフィーをメルカリで見つけたときはショックでしたけどね。

 そんな僕が今でも大事にしているユニホームが1着だけあります。大好きだった掛布さんが着用していたタテジマ。引退する88年にいただいたものでサインとともに「正田くんへ」と書かれています。掛布さんはテレビの解説などで選手のことを“君付け”で呼びますよね。「『正田さん』じゃなくて『正田くん』だよ」と妙なところで興奮したものです。

 脱線ついでに阪神ファンとの触れ合いについても触れておきましょう。同僚とライトスタンドでメガホンを手に大声で選手の応援歌や六甲おろしを歌っていた僕は私設応援団の方々とも仲良く話したりしていました。だから覚えてくれていたのでしょう。

 あれはプロ1年目でした。甲子園球場で阪神―広島の“親子ゲーム”があって、二軍だった僕は勉強のためにナイターで行われる一軍の試合を見るように言われました。普通ならマネジャーからチケットをもらって内野席で見るところですが、僕は一人でライトスタンドに行って阪神の応援をしていたんです。そうしたら顔見知りの応援団の人と出くわして「最近、姿を見んけど忙しいんか? ちゃんと応援せなあかんでえ」と…。カープの選手になったことを知られていなかったのは不幸中の幸いですが、さすがに肝を冷やしました。

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。



引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/3627bdf7d9b2ba881f71e190ef704cd8e8d60987
名無しさん : 2020/05/28 12:06:29
今の40代以上の阪神ファンからしたら、掛布さんは神様みたいなものですからね。

コーチとは言え阪神のユニフォームが着れた時は、正田さんは幸せだったんだろうな。

同僚の長島さんも確か阪神ファンだったはず。
名無しさん : 2020/05/28 11:41:54
正田さんの1年目なら、阪神優勝した年だろうけど、2軍とはいえ現役の選手が相手チームの応援をしてたなんて。広島のマネージャーもよく許したな。
名無しさん : 2020/05/28 14:54:24
私も、阪神というより、「掛布選手の大ファン」でしたので、正田選手のお気持ちが、大変理解出来ますね!でも、「首位打者・ゴールデングラブ」もお取りになっている選手なのに、<タイトルの賞品>などにこだわりが無いなんて、とてもカッコイイですね!正田選手の現役時代も良く記憶しておりますよ!セカンドの守備は<堅実>と言われておりましたが、センター前に抜けそうな打球を逆シングルで捌いて一塁に刺す『ハデなプレー』もかなり観ておりましたよ!打席では、左右両打ちで特に左打席での、投手に背中を向ける構えが独特でしたね!背の低い選手でしたが、<ミート中心に単打を打つ事>に集中しておりました。首位打者の年度も、確か、ホームランは「1本」程度の記録だったのではないでしょうか。それと、たまに魅せてくれる「セフティーバント」が素晴らしい選手でした!彼の「セフティーバント」は、ほぼほぼ、内野安打になっていたと記憶してます!
名無しさん : 2020/05/28 16:50:48
正田はそこそこやね!一番?そんなんお前なぁ(笑)
by岡田彰布

以下、日本語訳
正田は選手として阪神に入ることはできませんでしたが、私が彼をコーチとして呼んだために、コーチとして阪神のユニフォームを着ることができ、また優勝も経験することができました。その後はサンテレビで解説もしたので、阪神ファンとしては幸せな部類であると思います。もちろん一番幸せなのは私です。父が阪神の選手のタニマチであったため、幼い頃から阪神の選手と交流していましたし、ドラフトで競合になりましたが阪神に入団。その後は選手として日本一、コーチてして、監督として優勝も経験できましたので。
名無しさん : 2020/05/28 12:32:51
正田耕三氏と言えば野村謙二郎氏との二遊間。

派手さはないがかなり良い味を出す選手でした。

その後もコーチとしてベンチにいる姿をテレビで観ました。
名無しさん : 2020/05/28 13:44:28
個人的には正田さんの相方は高橋さんのイメージだなー。
名無しさん : 2020/05/28 17:50:05
関西圏で過ごした僕は、根っからの阪神ファンでした。

たまには、南海ファンもしくは近鉄ファンだったっていう選手のエピソードも聞いてみたいもんだ。
名無しさん : 2020/05/29 10:28:48
面白いエピソードやな。阪神きて欲しかったわ。正田さんって、強いカープ時代の一番打者のイメージあるな。
名無しさん : 2020/05/28 14:16:33
正田さんが、広島カープに入団しても阪神ファンは温かく接してくれますよ。
活躍しだしたり阪神戦で、いいところで打ったりしたらボロカスですけど。
名無しさん : 2020/05/28 11:33:58
カープの選手になってた
それを知られてたらどうなってたか
ライトスタンドの雰囲気を知ってるだけに
背筋が寒くなる話。
名無しさん : 2020/05/28 21:02:05
掛布さんはテレビの解説などで選手のことを“君付け”で呼びますよね


言われてみれば確かにそうだわ。
名無しさん : 2020/05/28 17:18:16
いいなぁ。
45年前中2の時
サマーセーターに江夏にサインを
せがみ、「背中ぴっと張ってみい」と言われ
サインしてもらい喜んで帰りましたが
母親が翌日に洗濯してあえなく
名無しさん : 2020/05/28 12:45:22
ライトスタンドで応援したって面白いなぁ~
名無しさん : 2020/05/28 12:25:56
てことは正田も阪神に入りたかったのかな
名無しさん : 2020/05/28 16:05:37
正田は「好きなチームと入団したいチームは別」と言ってましたよ
名無しさん : 2020/05/28 14:01:23
カープの現役の選手が甲子園のライトスタンドで相手チームを応援してるのは凄い事だわww
名無しさん : 2020/05/28 13:14:06
カ〜プの選手に成っているのに寅のライトスタンド行って寅を応援するキモ持ってる方がスゴいw
名無しさん : 2020/05/28 11:50:25
なんだよ、この面白い話w
名無しさん : 2020/05/28 17:05:43
「う~~~三振!! ざまあヨシヒコの野郎!!」

とかやってたのかな