広島カープブログ

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    コーチ

     4月18日の広島―DeNA戦(マツダ)。3回無死二塁の先制機で、広島・新井は二ゴロを打って走者を三塁へ進めた。カウント2―1からの外角チェンジアップ。「右方向へ打ってつなぐイメージ。もちろんヒットになれば一番いい」。得点にこそ結びつかなかったが、4番打者のこうした姿勢が快進撃を支えているのは間違いない。

     新井だけじゃない。今や赤ヘル新打線の代名詞になりつつある「後ろにつなぐ野球」。それは打席に立つ者すべてに深く浸透する共通認識だ。1点が入れば、無死満塁で併殺打でもOK。一般的には否定される結果でも皆で称え合う。いきおい、選手は前向きな気持ちになりやすい。活気あふれる打線は決して偶然の産物ではない。

     「打者はよく打っても3割。7割は失敗する。だったら、その7割をどう生かしながら点を取るか。点を取って勝つ野球と、打撃技術を磨く野球は違うんですよ」

     そう話すのは石井琢朗打撃コーチだ。後ろにつなぐ野球の提唱者。現役時代には、マシンガン打線と評された横浜(現DeNA)の切り込み隊長を長く務め、歴代11位の2432安打を放っている。そんな希代のヒットメーカーが「つなごう」と唱えるから面白い。「点を取って勝つ野球」も、昨季のリーグ優勝を見れば説得力を持つ。

     異質と言ってもいいだろう。技術指導が主とされる打撃コーチ職。その実績と理論をもってすれば、個人技に優れた打者の育成に目が向きそうだが、石井コーチは「技術はボクにはわからない。打撃に正解はないので」と笑う。無論、半分はジョークだろうが、「どちらかと言うと野手目線。守っていてイヤだな…と思うことを考える」と話す際は真顔だった。

     キレイに打ちたい――。理想は、しかし、時として打者を狂わす。「ボクら(打撃コーチ)が見ているのはそこじゃない。グシャ(という当たり)でもいい。打席でいかに気持ちを見せるか」。先頭打者ならどんな形でも出塁する。塁上に走者がいれば後ろにつなぐ。徹底されているからこそ集中打が生まれる。

     リーグの頂点に立った昨季もしかり…だ。開幕ダッシュに成功した赤ヘル。自己犠牲の精神を併せ持ちつつ、7割の失敗を勝つ野球に転化する。打線は水ものと言われるが、石井打撃コーチの唱える「つなぐ野球」は、今季も安定した力を発揮しそうだ。(広島担当・江尾 卓也)


    引用元 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/21/kiji/20170420s00001173272000c.html

    <今日の一番>

     広島河田雄祐外野守備走塁コーチは、日南キャンプで一番元気だ。

     早出練習では丸佳浩外野手(27)と堂林翔太内野手(25)に捕球からスローイングまでの動きを指導。全体練習後の重点練習では、鈴木誠也外野手(22)と育成のサビエル・バティスタ外野手(24)に「今のは捕れただろ~」や「誠也ぁ~、それじゃセンターは守れんぞぉ~」と大声を挙げながらノックの嵐を浴びせた。

     キャンプ2日目も濃密な1日となった。それでも河田コーチは「まだまだ。(ノックバットが)しっくり来ていない。振っていかないといけないな」と最後まで元気だった。【広島担当 前原淳】


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170202-01773562-nksports-base

     若ゴイたちに朗報だ。今季限りで現役引退した黒田博樹氏(41)に来季、広島の“臨時コーチ”を務める可能性が浮上した。当の本人が「タイミングが合えば(練習場のある)由宇や大野へ行き、苦しんでいる2軍の選手を手助けできれば」と明かした。時期や期間は未定だが、球団側は申し出を歓迎。レジェンドの助言が、悩める若手の血となり肉となるのは間違いない。

     発展途上の若ゴイにとっては、願ってもない話だろう。日米通算203勝を誇り、栄光に輝く20年間の現役生活に別れを告げた黒田氏の“臨時コーチ”就任。それは“来年、野球にどう関わるのか”という質問への答えとして、本人の口から明かされたものだ。

     「2軍で苦しんでいる選手がいれば、由宇や大野へ行って、ちょっと手助けできればいいかな…と。ただ、がっつり居ることはできない。たまにフラッと来て…という感じでよければですが」

     その助言は実際、1軍の若手投手陣に大きな影響を与えてきた。「1軍は勝負の場。教えることなんてないと思う」と謙遜するが、薫陶を受けた野村は最多勝、勝率1位の2冠を獲得。生き字引として、精神的支柱として、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

     ただ、現役引退後に目を向けたのは2軍。伸び悩む若ゴイのサポートを買って出るあたりが、いかにも黒田氏らしい。自身もプロ入り後の2~3年は苦しみ、そこから日米球界のトップへとはい上がった経験を持つ。その原体験は鮮烈だ。

     97年4月25日、プロ初登板の巨人戦(東京ドーム)。9回6安打1失点の完投でプロ初勝利を挙げたが、「それが自信にならず“オレは何をしているんや”と思った」と後に語っている。会話の引き出しは豊富。その一言一言が、若ゴイには金言になるに違いない。

     現役引退後は家族の住む米国ロサンゼルスが生活の拠点。来日時期や期間は未定だが、レジェンドの申し出を球団は歓迎する。鈴木清明球団本部長は「フラッと遊びにくる感覚でOBとして若い選手やコーチ陣と話をしてくれたら」と語った。

     「ボクはコーチじゃないので、適当なことは言えないし、適当なこともできない。そこをしっかり頭に入れつつ…という感じですかね」

     2軍の水本監督や佐々岡、沢崎両投手コーチとは率直な意見を交わせる間柄。フランクでプライドをひけらかさない黒田氏だけに、若ゴイにとっては貴重で魅力的な体験になるはずだ。 (江尾 卓也)



    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161231-00000009-spnannex-base

     広島は26日、来春キャンプでOB会長の安仁屋宗八氏(72)=デイリースポーツ評論家=が2年連続で臨時投手コーチを務めると発表した。この日、安仁屋氏が広島市の球団事務所を訪れ、要請を受諾。同氏は今季5勝に終わった福井を先発陣のキーマンに挙げ、復活を後押しすると約束。来年2月10日からキャンプ最終日まで帯同し、安仁屋イズムを注入する。

     自らを「世界一のカープファン」と公言する。リーグ連覇、そして33年ぶりの日本一を目指すチームの力になれるのなら、断る理由はない。今春に続く臨時投手コーチ要請を快諾した安仁屋氏は「少しでも力になりたい」と意気込みを語った。

     懸案は先発陣の再整備だ。今季10勝で151回2/3を投げた黒田がいなくなる。さらに来年3月にWBCが開催されることで開幕が例年より1週間遅くなり、開幕2カード目から6連戦が7週続く。ジョンソン、野村に続く3番手以降を確立し、6人をそろえなければ、スタートダッシュは難しくなる。

     安仁屋氏が特に期待を寄せたのが、今季5勝止まりだった福井だ。「10勝できる力はある」としながら、右腕の課題をメンタル面と分析。「前半で勝てず、自分から腐ったように映った。精神的な強さを身に付けてほしいし、そこを助言していきたい」。キャンプ中は積極的に声を掛け、時には“飲みニケーション”を図り、自らの経験談などを伝えていく。

     投球数を増やした調整法の導入にも意欲を示した。「自主性に任せるが、投げ込める雰囲気を作りたい。1日10球でも多く投げれば、体力がつく」。チームが掲げる日本一に向かい、新しい投手陣構築の一翼を担う。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161227-00000011-dal-base

     ◇決断2016ユニホームを脱いだ男たち=楽天・栗原健太内野手(34)

     すがすがしい笑顔だった。10月1日、コボスタ宮城で行われた引退会見。栗原はハキハキとした口調で引退理由を口にした。

     「今年一年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、この辺が引き際かなと思った。自分の思うようなバッティングができなくなった」

     99年ドラフト3位で広島に入団すると、球界を代表するスラッガーへと成長。09年には2連覇を達成した第2回WBCの日本代表メンバーにも名を連ねた。しかし、チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたため、08、12、14年と3度の手術を余儀なくされた。ただ「一生懸命、試合や練習をした中でのケガ」と悔いはない。「手術を決断した時は“この手術で良くなる”と思ってやる。ダメだったとしても後悔しないと決断して手術に臨んだ」と覚悟の上だった。

     以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフ、自由契約を申し入れ、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた。だが、楽天でも1軍から声が掛かることはなく、ついにユニホームを脱いだ。

     選手としてもう一花咲かすことはできなかったが、この一年でコーチとしての資質は確実に芽生えた。球界屈指の長距離砲に上り詰めたのは、練習量の多さで知られる広島で育ったからこそ。楽天でも2軍の泉練習場の室内で早朝から電気もつけずバットを振り、球団職員を驚かせた。練習時間ぎりぎりまでグラウンドに姿を見せなかった若手選手に注意をしたこともある。「練習量や姿勢はカープのときと変わらずやってきた。そういうのは見せられた」と自負する。

     来季は2軍の打撃コーチに就任。11月上旬、岡山・倉敷での秋季キャンプでは早朝から日暮れまで若手選手に付きっきりで指導した。重視するのはコミュニケーション。「言ってやらせるのではなく、納得してやらせないと。感覚を押しつけるのではなく、その人の感覚になったつもりで見ている」。栄光も挫折も味わった自分だからできることがある。未来の和製大砲を育てるべく、第二の野球人生を歩みだした。 (徳原 麗奈)

     ◆栗原 健太(くりはら・けんた)1982年(昭57)1月8日、山形県生まれの34歳。日大山形では2年夏に甲子園出場。99年ドラフト3位で広島入団。11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。15年に自ら自由契約を選択し、入団テストを経て今季から楽天に加入した。通算1026試合、打率・293、153本塁打、586打点。1メートル83、97キロ。右投げ右打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161218-00000100-spnannex-base

     ◇決断2016」ユニホームを脱いだ男たち=広島・倉義和捕手(41)

     25年ぶりのリーグ優勝が、広島・倉に現役引退する時を告げた。9月10日。胴上げをテレビの前で迎え、チームの一員としての喜びと同時に、「自分はもう必要な戦力ではない」という思いが胸に去来した。

     「去年から引退を意識していたけど、優勝の輪の中にいられなかったことで、やめなきゃいけないと思った」

     広島一筋19年間。現役選手生活に区切りをつけた瞬間だった。40歳を超えてまで現役を続けることができた要因の一つに、同じく今季限りで現役を退いた1学年上の黒田の存在があった。

     「黒田さんがいなかったらこんな長い間、現役をできなかった」

     1軍に定着した05年にエースから信頼を得て、専属捕手を務めた。07年オフ、黒田がFAでドジャースに移籍してからも、その活躍を喜びながら、広島で帰りを待ちわびていた。

     「向こう(米国)に行っても、また広島に帰って来るはず。また、試合で受けたいという思いがあった。そのためには頑張らないといけないという気持ちにさせられた」

     強い思いで待ち続け、15年にエースが念願の広島復帰。だが、同年は会沢の1軍定着もあり、コンビを組むことはかなわなかった。さらに今季は2軍バッテリーコーチ兼任となったこともあり、選手としても2軍生活に終始した。

     それでも最後にご褒美が待っていた。引退試合となった9月25日、本拠地でのヤクルト戦。打者1人限定で先発マスクをかぶり、黒田と9年ぶりにバッテリーを組むことになった。結果はストレートの四球となったが、久々の感触をかみしめた。その後、試合は降雨ノーゲームとなり、引退試合は記録に残らないが、それは大きな問題ではなかった。

     「最後に黒田さんの球を受けさせてもらったことが記憶に残るから」--。

     来季からはコーチ専任となる。「これまでは自分のことを考えるのと、他の選手のことを考えるのとで半々だった。これからは選手のことだけを考えればいい」。次代を担う捕手の育成に尽力する覚悟だ。 (柳澤 元紀)

     ◆倉 義和(くら・よしかず)1975年(昭50)7月27日、京都府生まれの41歳。京都成章から京産大を経て、97年のドラフト5位で広島入団。8年目の05年には自己最多の109試合に出場。この年から07年まで黒田の専属捕手を務めた。16年は2軍バッテリーコーチを兼任。1メートル79、90キロ。右投げ右打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161215-00000076-spnannex-base

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