広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    コーチ

    「練習試合、ソフトバンク9-3広島」(14日、ペイペイドーム)  甘い球は見逃してくれなかった。広島のドラフト1位・森下暢仁投手(22)=明大=は4回を投げ8安打で自己ワーストの9失点(自責点7)を喫した。「どういう高さとか、球種だったとかを見直していきたい」。試合後は厳しい表情で言葉を紡いだ。  前回登板した7日・オリックス戦では、9安打6失点(自責点4)で五回途中降板。2試合連続で打ち込まれたが、佐々岡監督の信頼は不変だ。このまま開幕ローテを任せるかと問われると「当然」と即答した。
    d52467-250-244288-0



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/6c8e41ff1416e6c5abc08e2fb8fc389eb2223c97

     逸材ぞろいのプロ野球界。毎年多くの選手が入団してくるが、その中でも突出した才能を持つ男たちがいる。巨人や広島で打撃コーチなどを務め、名伯楽と呼ばれた内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、出会いから衝撃を受けた3選手を挙げてもらった。

     ◇ ◇

     カープでは前田智徳だろう。89年、熊本工からドラフト4位で入ってきたが、走力、肩もあって守備はすぐ使える印象だった。

     そして、打撃もスイングがシンプルで軸がぶれない。何より際立っていたのが、インサイドのさばき方だった。高卒の選手は金属から木製になり、まずインコースの球に対して壁に当たることが多い。ファウルになるか、詰まるか、手のしびれを恐れてバットが出ないかの3パターン。しかし、前田はインサイドからバットを出すことができ、「詰まる」と思ったら重心を捕手方向に移してライト方向へヒットにしてしまう。当時、山本浩二監督がファームの練習を見に来て「ウッチー、こいつはすげえぞ」と言っていたことを覚えている。

     カープでは鈴木誠也もモノが違った。東京の二松学舎からドラフト2位で入ってきたが、スカウトの評価は高く、巨人やソフトバンクも欲しがっていたと聞いた。半端じゃなかったのは肩。シートノックでは、スピンのかかった送球が地面すれすれで伸びていく。まだ荒削りで暴投することもあったが、確かに素材は別格だった。

     鈴木は、大谷や藤浪と同世代。カープのドラフト1位も龍谷大平安で甲子園に出た高橋大樹だった。鈴木は甲子園にも出ていなかった分、反骨心もあり、負けん気も強かった。見逃し三振なんてすれば、試合後に黙々とバットを振る。いい意味で他人の言うことに流されることはなかったし、芯のある性格もここまで大成した一因だろう。

     巨人で真っ先に思い浮かぶのは高橋由伸。彼に関しては鳴り物入りのドラフト1位で入ってきて、素材がいいのは分かっていた。1年目から余裕があり、送球ひとつ見ても相手の取りやすい完璧なワンバウンドを投げる。当時チームにいた清原や松井の打撃を見て、「松井さんや清原さんに飛距離ではかなわない。僕はイメージチェンジして広角に打ち分けます」とさらりと言っていた。

     天才的な打撃に関しては、タイミングの取り方が抜群だった。彼は上段でバットを構え、一度肩のあたりにグリップを落とす。そして、王さんのように右足を高く上げ、一本足に近い形でタイミングを取るのだが、軸がまったくぶれない。その強さを生むために、キャンプではまた割りをしたままのティー打撃を積極的にやって内転筋を強化していた。甘いマスクで表向きはさわやかなイメージがあるが、陰では泥くさく練習する男だった。

     超一流には超一流たるゆえんがあるが、3選手に共通していたのは走攻守3拍子がそろっていたこと。そして常に手を抜かず、こちらが話しかけにくいほど集中力を持って練習に打ち込んでいた姿だ。指導者として37年、数多くの選手を見てきたが、この3人のルーキー時代は特に印象に残っている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-00000119-dal-base

     華々しいプロ野球の世界。一方で類いまれな才能を持ちながら、大輪の花を開かせることができず去っていく選手も少なくない。広島、巨人で数多くの強打者を育てた名伯楽・内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、「未完の大器」のまま引退した選手を挙げてもらった。


     ◇ ◇

     カープでは岩本貴裕の名前が浮かぶ。08年ドラフト1位で入団した左の長距離砲。当時、私は打撃統括として指導していたが、外国人も含めてチームにはパワーヒッターが不在で、松田元オーナーから「岩本を見てくれ」と言われていた。

     逆方向にも長打が打てるし、非常に魅力のある選手だった。2年目には14本塁打。ただ、小器用だったことが、彼にとっては逆にマイナスに働いた。三振を怖がらずにやらせれば良かったが、性格がまじめで、少し悪いと打撃フォームを変えてしまう。苦手なインコースを攻められ、かかと体重になってしまうことで、外角を逆方向に打つ長所までぼやけてしまった。

     昨年引退し、スコアラーに転身。膝の故障も伸び悩んだ一因だと思うが、大成してもおかしくない、紙一重の選手だった。

     カープでは斉藤浩行も惜しい選手だった。81年に東京ガスからドラフト2位で入団。私は83年からコーチとなったが、斉藤は右の長距離砲で、「ポスト山本浩二」として注目されていたことを覚えている。

     ルーキーイヤーに4本塁打。だが、飛躍が期待された2年目のキャンプでイレギュラーした打球を右目に受け、視力が低下してしまった。以来、ファームのデーゲームでは本当に良く打つが、1軍のナイターでは活躍できない。ファーム通算161本塁打は今も破られていない記録だが、1軍では11年間で16本塁打。中日や日本ハムにも移籍したが、目立った活躍ができなかった。

     メンタルの部分に弱点があったのかもしれないが、当時はけがのせいで「鳥目なんじゃないか」とも言われていた。視力などに問題があれば今ならいろいろと対処できることもあるが、当時はそういうこともなかった。「あのけがさえなければ…」という選手はいるものだが、斉藤は特にそう思う選手だった。

     ファームでは敵なしという選手では、巨人の大森剛も同じだった。89年のドラフト1位、慶大から鳴り物入りで入団。だが、巨人の一塁手は外国人やFAで次々と選手が加入してくる。きっかけをつかむチャンスが少なかった。

     ぶざまな三振をすればすぐに2軍落ち。ファームでは不動の4番でも、心理的に余裕がなかったと思う。技術うんぬんではなく、メンタルが原因で壁に当たる選手もいる。近鉄に移籍して活躍した吉岡雄二、日本ハムで花開した大田泰示も巨人時代は同じような心理状態だったのではないか。

     才能ある選手でも、監督の起用法やチーム事情で埋もれてしまう可能性があるのもプロの世界。長い指導者人生では、「あの時、何かできなかったか」と悔やむケースがあることも事実である。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200424-00000078-dal-base

     今季の日本球界最高年俸は巨人・菅野智之の6億5000万円。成績次第で大金が稼げるプロ野球の世界だが、何かと謎も多い。昨年まで巨人で巡回打撃コーチを務め、広島、巨人で指導歴37年、現役を含めて計50年間、プロのユニホームを着続けた内田順三氏(72)に、球界の金銭事情について聞いた。

     ◇  ◇  ◇

    【問1】契約金、年俸はどうやって支払われますか?巨人、広島など球団によって違いますか?

     契約金は12月に半分、翌年1月に半分が振り込まれるケースが多いと聞いたことがあります。昔は「これだけもらえるよ」と本人に現金を見せてプロ野球選手になったことを自覚させた、なんて時代もありましたが、今は銀行振り込み。ドラフト1位の選手の契約金の上限は1億円プラス出来高払い5000万円。そのため、5000万円は入団当初ではなく、「3年間の一軍の登録日数」といった条件をクリアした時点で支払われます。

     年俸はどこの球団も12分割で月給制ではないでしょうか。

    【問2】そのうち、税金でいくら引かれますか?

     例えば年俸1億円の選手なら、半分近い額が税金として引かれます。

    【問3】選手の年俸アップ、ダウンはどうやって決まるのですか?

     かつてはドンブリ勘定だった時代もありますが、今は球団が細かいデータを持っていて、打撃だけでなく、守備の貢献度なども分かる時代。成績、貢献度で決まるといっていいでしょう。ただ、中継ぎ投手の場合、登板数は30試合でも、肩をつくったのに登板しなかった試合が多いこともある。投手コーチが投球練習の数を数えているので、投手が契約更改の時にそういった数字を球団に提示して、ダウン幅を少なくしてもらったという話を聞いたことがあります。

    【問4】コーチの年俸もアップやダウンがあるのですか?

     選手と同じで、複数年契約を結んでいるコーチの年俸は基本的には変わりません。私の場合、広島、巨人での37年間の指導者時代だけでなく、現役も含め、50年間のユニホーム生活の全てが1年契約でした。それでもコーチ時代は、大きく上がったり下がったりはしませんでした。チームの成績が悪かった場合、年俸が下がるより前に、責任を取って辞めることになるのがコーチです。

     広島の古葉竹識監督の時代は、リーグ優勝なら300万円、2位なら200万円、3位なら100万円という「コーチ配当金」がありました。よくカープは年俸が安いといわれますが、こういう手当はありがたかったですね。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200419-00000007-nkgendai-base

     今季から広島のコーチに就任した永川勝浩2軍投手コーチ(39)が、若鯉とともに日々奮闘している。現役時代は球団記録の165セーブを挙げるなど、守護神として数々の修羅場をくぐり抜けてきた同コーチ。選手には「ハングリーさ」を求め、“ギラギラした集団”を理想に掲げる。現役時代の自身の失敗談も交える指導法で、チーム力の底上げを図っていく。

     勝負師のような鋭いまなざしは、現役時代と変わらない。ブルペンでは捕手の後方、そして投手側からの目線でアドバイスを送る永川2軍投手コーチ。「若い子の話を聞いてあげないといけないと思います」と選手の声に耳を傾けることが、指導の基本スタンスだ。

     2軍という枠の中でも、1軍実績のある中堅選手から1軍出場機会がない若手に至るまで、選手の立場はさまざまだ。「1軍でやってきた人間と2軍にずっといる人間とは考え方が違う」。各選手に合った指導方法を模索し、勉強する毎日を過ごしている。

     その一方で、若鯉たちには物足りなさも感じている。「常にこう、1軍で活躍してやろうという、目がギラギラ光るような子たちになってほしい。昔はみんな、もっとギラギラしていたと思う」と自身の若手時代と比較する。

     同じユニホームを着ていながら、全員がライバル。選手一人一人が鼻息を荒くし、スターダムへ駆け上がる機会を虎視眈々(たんたん)とうかがう時代が、かつてはあった。「そういうふうな集団になっていけたら、2軍からもっと活躍する子が増えるんじゃないかなと思いますね。みんなが率先して頑張れる選手になってほしい」。ハングリーな姿勢、貪欲さを前面に押し出してほしいと願う。

     ルーキーイヤーの03年に25セーブを挙げ、華々しいデビューを飾った。07年から3年連続で30セーブを記録。チームの屋台骨を支え、球団最多記録となる165セーブを挙げたかつての守護神だが「僕がいっぱい、失敗してきたので」と苦笑いを浮かべる。

     過去に味わった自身の苦渋は、選手が花を咲かせるための“エキス”へと形を変える。「調子がいい時に調子に乗ってあまり練習しないとか、地味なことをおろそかにしていたらダメだと。『こういうことをやったら、失敗しちゃうよ』というのを伝えていけたら。当たり前のことをしっかりやっておこうという会話をしています」。基本の大切さと貪欲さの両輪で、後輩たちの成長を支えていく。

     ◆永川 勝浩(ながかわ・かつひろ)1980年12月14日生まれ、39歳。広島県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。新庄から亜大を経て、2002年度ドラフト自由枠で広島入団。07年から3年連続30セーブ。通算165セーブは球団歴代1位。19年限りで現役引退。通算527試合38勝42敗79ホールド、防御率3・46。20年から広島2軍投手コーチ。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200419-00000019-dal-base

     広島の小園海斗内野手(19)が12日、マツダスタジアムの室内練習場で行われた全体練習に参加した。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、選手だけでなく、首脳陣も午前と午後に振り分けて指導に当たるなど、感染防止に努めた。


     この日はフリー打撃などの通常練習に加え、守備練習も行った。テレビ電話越しから山田内野守備走塁コーチの指導の下、春季キャンプ中も実践していたという前方にダッシュしてから捕球の構えを行い、送球動作に入るという一連の動きを何度も反復した。

     小園は「重心を低く。しっかりと構えられるように」と低姿勢からスムーズかつ素早い送球を心掛けた。実戦練習ができない中、工夫を凝らし、調整を行っている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-00000061-dal-base

    テレワーク導入!? 分離練習を続ける広島は首脳陣も、選手同様に2班に完全に分かれるようになった。前日11日までは選手、裏方を完全に2グループに分けていたが、この日から首脳陣も2分化。広島県内の新型コロナウイルス感染者急増を受け、感染防止と、仮にチーム内に感染者が出たときに最小限にとどめるための策を強化した。午前中に練習するA班は、高ヘッドコーチ、横山投手コーチ、朝山打撃コーチ、広瀬外野守備走塁コーチが担当。午後からのB班には佐々岡監督、沢崎投手コーチ、倉バッテリーコーチ、迎打撃コーチ、山田内野守備走塁コーチが担当した。


    全体練習後の小園への個別練習は、外野担当の広瀬コーチが指導した。事前にスタッフミーティングで話し合った練習メニューを課した。チャージからの捕球、送球までの一連の動きを確認。テレビ電話でまだ自宅にいる山田コーチに見せる工夫もみられた。広瀬コーチは「できる中でやらないといけない。特に若い選手は時間が限られた中でもやらないといけない」。13日には倉バッテリーコーチと連係をとりながら坂倉に強化練習を課すという。

    佐々岡監督は、意見を出し合うコーチ陣に全幅の信頼を寄せる。「(首脳陣も)はっきりA班とB班に分かれようと。コーチ陣がしっかりやってくれる。僕とヘッドが分かれているし、何かあれば連絡がくると思う」。首脳陣が工夫と情報交換をしながら、限られた環境下で効率的に調整を進めていく。【前原淳】

    <広島完全分離練習メンバー>

    【A班】

    ■首脳陣

    高ヘッド

    横山投手コーチ

    朝山打撃コーチ

    広瀬外野守備走塁コーチ

    ■投手

    大瀬良

    森下

    薮田

    中田

    一岡

    塹江

    菊池保

    遠藤

    ■野手

    石原

    坂倉

    安部

    堂林

    菊池

    高橋大

    小園

    松山

    西川

    【B班】

    ■首脳陣

    佐々岡監督

    沢崎投手コーチ

    倉バッテリーコーチ

    迎打撃コーチ

    山田内野守備走塁コーチ

    ■投手

    九里

    床田

    藤井皓

    K・ジョンソン

    高橋樹

    D・ジョンソン

    スコット

    フランスア

    ■野手

    会沢

    上本

    鈴木誠

    田中広

    小窪

    長野

    ピレラ

    三好

    野間

    メヒア




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-24120312-nksports-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#48

     私の指導者人生で基礎となったのは、ドラフトで指名した生え抜きの選手を育てていくカープでの経験だった。

     対照的に資金が豊富な巨人は、FAなどの補強を重視してきた。逆指名制度があった1990年代から2000年代、有望な即戦力選手の多くが巨人に入団した。広島は将来性を買って高校生を指名し、育てるしかなかった。

     そんな側面があるから、広島は一軍から二軍まで一貫した指導が求められる。松田元オーナーは「監督は激務だから5年で代える」とはっきり言う。一方で「コーチはカープの財産。だから代えない」と言ってくれる。首脳陣が代われば練習内容だって変わる。

    ■コーチに伝授

     真逆のことを言われることもある。これでは選手は戸惑ってしまう。他球団と比べ、カープはそれが少ない。だから選手が育つのだ。

     2012年から務めたカープ二軍監督時代、朝山東洋(現・一軍打撃担当)ら二軍のコーチに「カープ流」のコーチングを伝授した。マニュアルこそないものの、チームの伝統を新人コーチに伝えるのも古参の私の役目だった。プロで生き抜くために選手には「2つ以上の個性をつくれ」と指導した。二軍のコーチだった頃、新人を見る際には、必ず担当スカウトから長所を聞いておいた。

     例えば、パワーはなくても小技の成功率が高かった巨人の川相昌弘は、長所を磨いたことで、後に犠打の世界記録を作った。逆に岡本和真は、将来の4番に育てるわけで、細かいことをやらせても意味がない。

     近年、巨人の首脳陣は岡本の育成に主眼を置いてきた。私もそうだった。ただし、岡本にアドバイスする時は、他の選手も近くに置いて聞かせるようにした。岡本に向けた言葉でも、参考になることはある。盗んで自分のものにして欲しかったのだ。

    ■ファームに大物がゴロゴロいる環境

     原辰徳監督が復帰した2019年シーズン、巨人は大型補強を行った。私は巡回打撃コーチとしてファームにいたのだが、その影響でゲレーロ、ビヤヌエバといった助っ人勢や陽岱鋼、中島宏之ら、年俸が億単位の大物選手が二軍にゴロゴロいた。若手には酷な環境である。そのため、一軍の首脳陣からは「何打席立たせてくれ」といった要望が多かった。二軍はベテランや助っ人の調整の場として使われることはあるが、育成の場でもあることを忘れてはいけない。

     だからこそ、今季就任した阿部慎之助二軍監督の責任は重大である。育てるという意識を強く持って指導してもらいたいと、私は期待している。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200409-00000009-nkgendai-base

    プロ野球の大洋、ヤクルトで監督として指揮を執り、『ニッポン放送 ショウアップナイター』でも解説を務めた関根潤三さんが4月9日、亡くなったことがわかった。93歳だった。



    関根さんは投手として1950年に近鉄に入団。通算65勝をあげ、57年に志願して打者へ転向。打者としては通算1137安打59本塁打。オールスター戦には5度出場し、53年には投手、63年には外野手としてファン投票選出。65年に巨人で1年間プレーして引退。引退後は広島打撃コーチ、巨人では75年にヘッドコーチを歴任。76年には巨人2軍監督。大洋、ヤクルトでは監督を務めた。また、2003年には野球殿堂入りを果たしている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200409-00000006-nshaberu-base

     広島・岡田は“永川フォーク”の習得に取り組んだ。大野練習場での2軍練習に参加。キャッチボール中に永川2軍投手コーチから指南を受けた。

     球団最多の165セーブを記録し、今季から2軍担当として指導する同投手コーチの勝負球。岡田にとっては持ち球の一つでも多投はしておらず、「上から叩いて押し出すイメージ。僕は回転をかけて落とすイメージがあったけど、無回転でもいいんだ…と思った」と発見があった。

     今季から救援へ転向し、オープン戦防御率9・00と結果を残せず2軍調整中。「直球だけで押すわけではない。打者によって、変化球も混ぜながら打ち取っていかないといけない」と課題を見つめ直した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00000100-spnannex-base

    このページのトップヘ