広島カープブログ

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    ソフトバンクホークス

     野球評論家の張本勲氏が4日、TBS系「サンデーモーニング」の人気コーナー「週刊・ご意見番」に出演し、日本シリーズでソフトバンクに敗れ、34年ぶり4回目の日本一を逃した広島の敗因を分析した。


     「こんなにあっさりとは思わなかった」と1勝1分けからの4連敗を喫したセ・リーグ覇者・広島の戦いぶりに残念顔。敗因については「広島の一番の特徴の足を全部、ソフトバンクの甲斐が抑えましたから、この差が出ました」と“甲斐キャノン”に自慢の“足攻”が封じられたことを挙げた。

     さらに「ただ、盗塁だけじゃない。広島はセ・リーグで一番だけど、次の塁を取ることができるんだけどね。(甲斐の)肩の強さは分かっているが、(広島も)パターンがあるからなかなか止められないんですよ。盗塁を止めてエンドランとか、バントでやればいいと思う人もいると思うが、なかなか変えられないんですよ」とも付け加えた。

     攻撃面以外にも、投手陣とくに中継ぎ陣の差を挙げ、「ソフトバンクは2番手、3番手の投手がいい。先発よりもいいんだから。そこが広島との差が出ましたね」と話していた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181104-00000048-dal-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(3)

     阪神でエースとして君臨していた江夏豊投手が、江本孟紀投手らとの交換で南海(現ソフトバンク)へトレードされたのは1976年。本人は「今でも阪神の江夏と思っている」と不満を口にしたが、ホークスで捕手を兼任する野村克也監督との出会いが、野球人生の大きな転機となった。

     肩と肘の不調に苦しむ左腕は翌77年の開幕後、「投手の革命を起こしてみろ」という指揮官の殺し文句で先発から救援へ転向。22セーブポイントを挙げて最優秀救援投手に輝いたが、シーズン終盤に野村監督が解任されたため、他球団への移籍を希望し、広島へ金銭トレードとなった。

     広島では79年の近鉄との日本シリーズ第7戦の九回に無死満塁の大ピンチから1点リードを守りきりチームへ初の日本一をもたらした“江夏の21球”はあまりに有名だ。同年のセ・リーグ最優秀選手に輝き、「MVPはリリーフでも獲れると立証された」と喜んだ。

     南海、広島での江夏氏の活躍が、日本のプロ野球に抑え投手の仕事を確立したといっても過言ではない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00000521-san-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(2)

     日本シリーズでは初対戦となったカープとホークス。その両チームで監督を務めた人物が根本陸夫氏だ。広島では就任した1968年にチームを初のAクラス(3位)へ導き、あの鉄人・衣笠祥雄氏を育てるなど、古葉竹識監督による75年の初優勝へとつながる土台を築いた。

     その後西武では監督、管理部長としてチームの強化にすご腕を振るい、

    常勝ライオンズの生みの親となった。93年にはソフトバンクの前身・ダイエーの監督へ転身。94年オフに指揮官を王貞治監督へバトンタッチし、球団専務となると工藤公康、秋山幸二ら投打の柱を他球団から補強した。

     大胆な選手獲得の手法で“球界の寝業師”とも呼ばれたが、本人は「ルールは逸脱していない」ときっぱり。有力な選手の情報がすぐ耳に入る全国津々浦々に網羅した野球人脈が強みだった。

     球団社長となった99年4月に72歳で急逝し、同年のダイエーの優勝、日本一は見届けることはできなかった。今回の両チームの対戦を一番喜んでいるのは根本氏かもしれない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181028-00000590-san-base

     【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(4)

     広島と大リーグのドジャース、ヤンキースで日米通算203勝をマークした右腕、黒田博樹氏の実父、黒田一博氏は1949年、社会人の八幡製鉄から南海(現ソフトバンク)へ入団し、外野手としてプレーした親子二代のプロ野球選手だった。

     一博氏は56年に大映(現ロッテ)で引退するまで通算777試合で打率・246、32本塁打、247打点を記録。南海では鶴岡一人監督のもとで主に6番を任され、しぶとい打撃が売り物だった。引退後は大阪で硬式のボーイズリーグチームの監督を務め、次男の博樹氏に小学生のころから野球を手ほどきした。

     一博氏は南海で51年からのリーグ3連覇に貢献したが、日本シリーズはいずれも巨人に敗退した。博樹氏は専大からドラフト2位で広島入りした97年のプロ初登板でその巨人に完投勝ち。「成長しましたね」と父を喜ばせた。

     一博氏は2007年8月に82歳で死去。「すばらしい打者と対戦し、自分の技術を上げたい」と同年オフに渡米した博樹氏の異国での活躍を天国から見守った。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000509-san-base

     鯉と鷹の物語(6)

     1975年10月15日、後楽園球場の巨人戦。広島初優勝の瞬間にマウンドへいたのは下手投げ投手の金城基泰氏だった。20勝を挙げてエース格となった前年オフに自動車事故で視力低下の危機に見舞われたが、75年はシーズン途中に復帰。

     この巨人戦の試合前には古葉竹識監督へ「最後は私に投げさせてください」と直訴した。七回途中から先発の外木場義郎投手を救援し、九回は最後の打者・柴田勲外野手を左飛に仕留め、願い通り胴上げ投手となった。

     77年にトレードで南海(現ソフトバンク)へ移籍してからは主に抑えとして活躍。セーブポイントを79年には20、80年には19稼いで2季連続最優秀救援投手となった。

     下手投げの守護神は珍しいが、牽制(けんせい)やフィールディングも得意。80年10月2日、大阪球場での阪急(現オリックス)戦では九回2死から登板。同年盗塁王の福本豊外野手が一塁から走ったのに気づくと振り向きざまに二塁で刺し、打者へ投げずにセーブをマークする球界初の“0球セーブ”を記録した。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000587-san-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(1)

     1975年、広島を悲願のリーグ初優勝へと導いたのが古葉竹識監督。広島の選手時代は走攻守三拍子そろった内野手として活躍したが、70年から現役最後の2年間は南海(現ソフトバンク)でプレーし、引退後は捕手を兼任する野村克也監督のもと、まずは2軍でコーチ修行に励んだ。

     当時の南海はデータや基本重視の“シンキング・ベースボール”を旗印とし、「いろいろ勉強させてもらった」と古葉氏。1軍コーチとなった73年にはパ・リーグ優勝も経験し、「われわれチームだけでなく、南海ファンの喜ぶ姿が印象的だった」と振り返る。

     翌74年も野村監督に留任を求められたが、広島の新監督に就任した専大の先輩、森永勝也氏に請われて古巣へコーチとして復帰。75年シーズン途中の5月に39歳で監督へ昇格し、大胆かつ細心の采配でペナントレースを制した。

     「僕が引っ張ったのではなく、選手が僕を引っ張ってくれた」が優勝当日のコメント。その後3度の日本一に輝いた古葉野球の源流は南海にあったといえそうだ。(浦)

        ◇

     広島-ソフトバンクという初の顔合わせとなった今年の日本シリーズ。実は両チームは昔から人的交流が盛んで双方にゆかりがあり、球界に足跡を残した人物も少なくない。その歴史をひもといてみた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000546-san-base

     恐れ入りました。今年の日本シリーズは「打高投低」の打撃戦になると思っていたら、とんでもなかった。両チームとも投手が凄くいいんだ。第2戦まで完全に投手力が上回っている。

     特に広島。パのCSファイナルS5試合で44得点を奪い、強打の西武を破って勢いに乗るソフトバンク打線を第2戦まで21イニングを3点に封じ込めている。

     先発の大瀬良、ジョンソンもいいけど、リリーフ陣が凄い。延長12回の末に2―2で引き分けた第1戦。5―1で快勝した第2戦。リリーフ陣は計9イニングを無失点だよ。こんなにレベルが高いとは思ってなかった。

     中でも第1戦の2イニングに続いて第2戦も1イニング投げた左腕フランスア。疲れを見せるどころか、連投でMAX157キロをマークするんだもんね。今後もその使いどころがキーポイントになるんじゃないかな。

     広島の投手陣はソフトバンクの主砲、柳田に対する攻め、配球も徹底している。第1戦で十分に内角を意識させ、第2戦の第1打席は外角中心。そして4回1死一、三塁の場面ではまた内角を攻めた。最後は内角低めのツーシームで空振り三振。ここまで6打数1安打3四死球と眠らせている。捕手が内角に構え、投手がしっかりそこへ投げ切る。バッテリー間の信頼関係を感じるね。

     ヤクルトとオリックスが戦った1995年の日本シリーズを思い出す。ヤクルトはこの年首位打者、打点王に輝いたイチローを徹底したインハイ攻めで19打数5安打2打点、打率・263に封じ込め、4勝1敗でシリーズを制した。

     広島の1勝1分け。千賀、バンデンハークで勝てなかったソフトバンクは厳しい状況に追い込まれたけど、第3戦から本拠地ヤフオクドーム。完全アウェーのマツダスタジアムとは雰囲気が全然違うし、DHが使える。守備のリスク覚悟でデスパイネをレフトに入れた第2戦のような無理をする必要もない。

     柳田がカープ投手陣の包囲網を打ち破って流れを変えられるか。せっかく第1戦を引き分けたんだから、これまで1度しかない第8戦を見たい気がするね。(スポニチ本紙評論家・中畑 清)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181030-00000077-spnannex-base

     広島・鈴木誠也外野手(24)が10月29日、自身のブログを更新し、本拠地・マツダスタジアムでソフトバンクと戦った日本シリーズの第1、2戦を振り返った。

     引き分けに終わった第1戦は5打数2安打1打点、5対1で勝利した第2戦は4打数3安打3打点の活躍でお立ち台にも上がった鈴木だが、ブログでは「日本シリーズ まずは先勝しました!」とファンに勝利を報告すると「2試合戦い改めてソフトバンクの投手の良さを実感」と説明した。さらに2試合5安打ながら「僕自身何とか結果はでてますが、このまま、集中力切らさずヤフオクドームでも暴れてきます笑笑」と、警戒心を持ちながら敵地で活躍することを誓った。

     ブログでは自宅で食べた母の手料理の写真を公開したほか、試合のない日とあってファンに向けて「皆さん今日は喉休め明日から球場、テレビ前で大きな声援よろしくおねがいします」と呼びかけていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181029-00010011-abema-base

     日本シリーズは28日、マツダスタジアムで第2戦を行い、広島が5―1でソフトバンクを下して1勝1分けとした。

     広島自慢の打線が猛打で本拠地勝利をもたらした。第1戦で無安打だった丸、田中にシリーズ初安打が生まれ、鈴木は猛打賞で3打点。終わってみれば10安打の猛攻に緒方監督も「クリーンアップがいい仕事をしてくれた。しっかりと自分たちの野球ができた」と手応えを口にした。

     ただ、気掛かりは武器である機動力が発揮できていない点だ。シーズンではリーグ断トツの95盗塁をマークしたものの、今シリーズではゼロ。第1戦で上本、野間が刺され、第2戦でも鈴木、田中が封じられ、2戦4盗塁死の惨状だ。

     12球団屈指の盗塁阻止率を誇る甲斐、高谷の強肩自慢に対し、イケイケで走らせるだけではせっかくの走者を“無駄死に”させることにもなりかねない。それでも広島はお構いなしの姿勢だ。

    「じっとしていたままでは安打が出ても一、二塁にしかならない。動いて相手の守備を動かすことも大事。かつては自分たちも『とにかく走れ』と言われてきた。決して『セーフになれ』とは言われていない。逆にサインが出されたのに走らなかったら怒られてきた」(東出打撃コーチ)。結果より、仕掛けることで攻撃の幅を広げるというのが広島伝統の考えだ。

     選手たちも“アウト上等”の精神に変わりはない。「(盗塁に)トライすることが大事。相手はいい投手ばかりなので足を使っていかないとなかなか点が取れない。1回アウトになったからといって怖がることはない」(野間)と3戦目以降も積極姿勢を貫くつもり。

     けん制がやたらと増えるなどこの2試合で相手バッテリーへの重圧を与えることには成功している。今後も“足”を生かした攻撃で34年ぶりの頂点を目指す。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181029-00000043-tospoweb-base

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