広島カープブログ

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    ソフトバンクホークス

     【決断~ユニホームを脱いだ男たち~(11)広島・土生翔平外野手】同い年が異様にまぶしかった。「タナ・キク・マル」に安部、野村と同じ平成元年生まれの世代。「1年ごとに、どんどん同級生が活躍していくのを見ていたので…。みんなと喜び合いたかった」。一番の思い出となる試合の直前、土生の隣にいてくれたのは同学年の仲間だった。



     16年6月3日、本拠地マツダスタジアムでのソフトバンクとの交流戦。プロ5年目にして「6番・右翼」で初先発に抜てきされた。「緊張しましたね」。とても普段通りではいられない。だからこそ、いつもと変わらない明るさで接してくれる3人に救われた。「菊池とか、田中に丸も。声をかけてくれて。緊張をほぐそうとしてくれていました」。「タナ・キク・マル」に安部との“同学年クインテット”が先発オーダーにそろい踏みした日、7回の第3打席で東浜の直球を右前に運んでプロ初安打を決めた。一塁ベース上ではソフトバンク・内川から「やっとプロ野球生活が始まったな」と声をかけられた。

     しかし、これがプロ野球人生、最初で最後の安打になった。プロ初安打の翌日も2試合連続で先発起用され、2打数無安打。この試合が最後の先発となった。

     「先発を2回もらって、そこでいい形を残していれば、そのあとも少しは変わっていたのかもしれない。僕の実力不足なので、仕方ないです」

     最後までケガに泣かされた。昨季は2軍で打率・317を残して勝負の年となるはずが、今春キャンプでいきなり故障で離脱。復帰後も故障が重なり、「“今年ダメなら終わり”という思いでやってきた中でキャンプでケガをしてしまって…。そこで腹はくくっていました」と戦力外通告を受け止めた。

     広陵で夏の甲子園大会で準優勝。進学した早大でも3年秋のリーグ戦で首位打者を獲得するエリートコースを歩みながらプロの壁は高かった。それでも、名門の高校、大学でともに主将を務めた人望はチーム内でも厚く、今後も球団に残ってスコアラーを務める。少しうらやましく見えた仲間がさらに輝けるように。同学年物語は終わらない。(河合 洋介)

     ◆土生 翔平(はぶ・しょうへい)1989年(平元)8月16日生まれ、広島県出身の29歳。広陵では主将を務めた3年春の甲子園8強、夏準優勝。早大では3年秋に首位打者でVに貢献。11年ドラフト4位で広島入団。5年目の16年に1軍デビューを果たした。1メートル80、87キロ。右投げ左打ち。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181212-00000083-spnannex-base

     2年目の飛躍に向け、広島のケムナ誠投手(23)が“武田塾”をきっかけにしようと燃えている。

     米国人の父と日本人の母を持つ192センチの右腕はルーキーイヤーの今季、一軍登板はなく二軍戦で15試合に登板。21回2/3を投げて防御率4・57に終わった。担当した田村スカウトからは「1年目は体をつくって、2年目で一軍に出られるように頑張ろう」と声を掛けられたといい、ケムナは「(来年の)春季キャンプで沖縄に行けたら」と一軍メンバー入りを目指している。

     そんな中、ファームでソフトバンクと試合を行った際、日南高出身のケムナ、宮崎日大高出身の3年目右腕・横山とソフトバンク・武田で会話を交わす機会があり、武田から自主トレの話を持ち掛けられたという。合同自主トレは15日に福岡で開始するが、ケムナは「同じ宮崎つながりということで武田さんに『おれのところに来い』と言ってもらった。武田さんの家は改造してマウンドやハイスピードカメラもあると聞いた。体の使い方やカーブのヒントもつかめたら」と練習後も武田邸を訪問して密着する決意だ。

     直球は最速151キロ、常時140キロ台後半を記録するなど、力強い投球が持ち味のケムナだが、高めに浮いてしまうことが課題。「CSや日本シリーズを見ていて武田さんは低め、低めに球を集めていた。“低めの極意”みたいなものを学びたい」。リリースポイントを一定に保つためにフォーム等のアドバイスも仰ぐが「シーズン中は何でも聞き入れて訳が分からなくなり、沢崎さん(二軍投手コーチ)からはよく『バカ真面目』と言われた。取り入れるものとそうでないものを考えながらやっていけたら」と話す。今季は高卒2年目のアドゥワがブレークしたように若手へのチャンスは決して少なくない。高1までプロサーファーを目指し、野球に転向したのは高2という異色のハーフ右腕の成長ぶりから目が離せない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181207-00000037-tospoweb-base

     広島・曽根海成内野手が1日、マツダスタジアムを訪れ、自主トレを行った。

     打撃面に関して、今秋のキャンプで「これをやればいいというのがあった」と振り返り、「やっぱり打たないと試合で使ってもらえない。12月と1月の間にモノにしたい」と力を込めた。

     今季はシーズン途中にソフトバンクからトレードで加入。11試合に出場し、打率・278の成績を残した。俊足と強肩を武器に来季の出場増を狙う。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181201-00000112-dal-base

     プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手(30)が2018年11月28日、今季限りで現役を引退した広島東洋カープの新井貴浩さん(41)とのツーショットをインスタグラムに公開した。

     新井さんと写真を撮るのは小学生以来で、20年ぶりだという。

    ■「いつか2人のカープユニ姿が見れたらいいな」

      「小学生の時以来に新井さんと写真とっていただきました!20年ぶり2回目です ありがとうございました!そして本当におつかれさまでした」

     写真の2人は肩を組んで、にこやかな笑顔を浮かべている。2人ともスーツ姿で、胸章をつけていることから、写真は27日に東京都内で開催されたプロ野球年間表彰式「NPB AWARDS 2018」の合間に撮影したものと思われる。式では、柳田選手はベストナイン賞、首位打者賞、最高出塁率賞を、新井さんは功労賞を受賞した。

     1回目の写真が20年前ということは、当時柳田選手は小学4年生、新井さんはプロ1年目で、互いにまだ無名だった。柳田選手が広島市出身でカープファンであることはファンの間では有名で、互いにプロでの輝かしいキャリアを積んでの再会に、コメント欄には祝福の声が多数寄せられている。

      「おめでとう!よかったね」「こんな晴れ舞台で再会する、、なんて素敵なお話」「ギータが少年の顔してるっ!! 」「広島県人同士、素晴らしいツーショット!」「いつか2人のカープユニ姿が見れたらいいな」

     カープファンからは「ぜひカープに」とラブコールも。なお柳田選手は2017年オフに、福岡と3年契約を結んでいる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00000001-jct-ent.view-000

    【広瀬真徳 球界こぼれ話】現役引退直後に即コーチ転身――。昨今の球界ではこの傾向が加速している。中でも目立つのがチーム要職への抜てきである。

     今オフを見てもその流れは顕在化している。例えば、数か月前まで一軍で活躍していたオリックス・小谷野栄一(38)が楽天の一軍打撃コーチに就任。ソフトバンク・本多雄一(34)、ロッテ・根元俊一(35)も引退後すぐに一軍内野守備走塁コーチに就いた。前記3人はいずれも現役時代に兼任コーチなどの肩書がない新任コーチ。にもかかわらず、実績のある選手たちが集う一軍での指導を託されたのである。

     若手選手が多い二軍とは異なり、一軍コーチはより高いレベルの技術指導が要求される。そう考えれば指導経験のない新人コーチに対し現場から不安の声が漏れても不思議ではないが、あるパ・リーグ球団関係者に聞くと「選手側はむしろ歓迎しているはずですよ」とこう続ける。

    「外部から見れば引退後すぐの新コーチの指導は心もとないかもしれませんが、現場の見方は少し違う。一軍の選手はコーチに細かい技術的な指導を求めることがあまりないからです。特に実績のある中堅やベテランはおのおのが持つ野球観がある。上から目線で指導するコーチより、世代が近くて気になる点をさりげなく助言してくれるコーチの方が好まれる。選手の技術向上のためだけで一軍を任されているわけではないのです」

     引退して間もない新任一軍コーチはチーム内に別の恩恵をもたらすこともあるという。

    「今オフ、コーチになった本多や根元は、現役時代からチーム内での人望が厚いうえに、引退して時間がたっていないということもあり、現場の雰囲気や人間関係を詳細に把握しています。だからこそ、一軍ベンチにいることで首脳陣と選手の橋渡し役も見込める。選手側からしてみれば、外部や野球評論家を経てから入ってきたコーチには意見を言いづらいですが、同じチームで長年戦ってきた仲間がコーチになれば本音でいろいろなことを相談することができますからね」(前出関係者)

     かつての一軍コーチといえば現役時代の実績が重要視されがちだったが、現在は人柄や組織に必要とされる人材が重用される。時代とともにコーチの存在意義も変わりつつある。

     ☆ひろせ・まさのり 1973年愛知県名古屋市生まれ。大学在学中からスポーツ紙通信員として英国でサッカー・プレミアリーグ、格闘技を取材。卒業後、夕刊紙、一般紙記者として2001年から07年まで米国に在住。メジャーリーグを中心に、ゴルフ、格闘技、オリンピックを取材。08年に帰国後は主にプロ野球取材に従事。17年からフリーライターとして活動。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000020-tospoweb-base

    NTTレゾナント株式会社は21日、「gooニュース」で提供しているプロ野球ニュースのページビュー数を比較し、ランキングを発表した。



    ◆セ・リーグ

    1位 広島

    2位 巨人

    3位 阪神

    4位 DeNA

    5位ヤクルト

    6位中日

    1位の広島のうち、最も注目された試合は7月20日の巨人戦。1点を追う延長10回に下水流が逆転サヨナラ2ランを放った試合だった。

    ◆パ・リーグ

    1位 ソフトバンク

    2位 西武

    3位 日本ハム

    4位 楽天

    5位 ロッテ

    6位 オリックス

    1位のソフトバンクで最も注目されたのは日本シリーズ第5戦、延長10回に柳田がサヨナラ本塁打を放ち、日本一に王手をかけた試合だった。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00398794-nksports-base

     野球評論家の張本勲氏が4日、TBS系「サンデーモーニング」の人気コーナー「週刊・ご意見番」に出演し、日本シリーズでソフトバンクに敗れ、34年ぶり4回目の日本一を逃した広島の敗因を分析した。


     「こんなにあっさりとは思わなかった」と1勝1分けからの4連敗を喫したセ・リーグ覇者・広島の戦いぶりに残念顔。敗因については「広島の一番の特徴の足を全部、ソフトバンクの甲斐が抑えましたから、この差が出ました」と“甲斐キャノン”に自慢の“足攻”が封じられたことを挙げた。

     さらに「ただ、盗塁だけじゃない。広島はセ・リーグで一番だけど、次の塁を取ることができるんだけどね。(甲斐の)肩の強さは分かっているが、(広島も)パターンがあるからなかなか止められないんですよ。盗塁を止めてエンドランとか、バントでやればいいと思う人もいると思うが、なかなか変えられないんですよ」とも付け加えた。

     攻撃面以外にも、投手陣とくに中継ぎ陣の差を挙げ、「ソフトバンクは2番手、3番手の投手がいい。先発よりもいいんだから。そこが広島との差が出ましたね」と話していた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181104-00000048-dal-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(3)

     阪神でエースとして君臨していた江夏豊投手が、江本孟紀投手らとの交換で南海(現ソフトバンク)へトレードされたのは1976年。本人は「今でも阪神の江夏と思っている」と不満を口にしたが、ホークスで捕手を兼任する野村克也監督との出会いが、野球人生の大きな転機となった。

     肩と肘の不調に苦しむ左腕は翌77年の開幕後、「投手の革命を起こしてみろ」という指揮官の殺し文句で先発から救援へ転向。22セーブポイントを挙げて最優秀救援投手に輝いたが、シーズン終盤に野村監督が解任されたため、他球団への移籍を希望し、広島へ金銭トレードとなった。

     広島では79年の近鉄との日本シリーズ第7戦の九回に無死満塁の大ピンチから1点リードを守りきりチームへ初の日本一をもたらした“江夏の21球”はあまりに有名だ。同年のセ・リーグ最優秀選手に輝き、「MVPはリリーフでも獲れると立証された」と喜んだ。

     南海、広島での江夏氏の活躍が、日本のプロ野球に抑え投手の仕事を確立したといっても過言ではない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181031-00000521-san-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(2)

     日本シリーズでは初対戦となったカープとホークス。その両チームで監督を務めた人物が根本陸夫氏だ。広島では就任した1968年にチームを初のAクラス(3位)へ導き、あの鉄人・衣笠祥雄氏を育てるなど、古葉竹識監督による75年の初優勝へとつながる土台を築いた。

     その後西武では監督、管理部長としてチームの強化にすご腕を振るい、

    常勝ライオンズの生みの親となった。93年にはソフトバンクの前身・ダイエーの監督へ転身。94年オフに指揮官を王貞治監督へバトンタッチし、球団専務となると工藤公康、秋山幸二ら投打の柱を他球団から補強した。

     大胆な選手獲得の手法で“球界の寝業師”とも呼ばれたが、本人は「ルールは逸脱していない」ときっぱり。有力な選手の情報がすぐ耳に入る全国津々浦々に網羅した野球人脈が強みだった。

     球団社長となった99年4月に72歳で急逝し、同年のダイエーの優勝、日本一は見届けることはできなかった。今回の両チームの対戦を一番喜んでいるのは根本氏かもしれない。(浦)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181028-00000590-san-base

     【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(4)

     広島と大リーグのドジャース、ヤンキースで日米通算203勝をマークした右腕、黒田博樹氏の実父、黒田一博氏は1949年、社会人の八幡製鉄から南海(現ソフトバンク)へ入団し、外野手としてプレーした親子二代のプロ野球選手だった。

     一博氏は56年に大映(現ロッテ)で引退するまで通算777試合で打率・246、32本塁打、247打点を記録。南海では鶴岡一人監督のもとで主に6番を任され、しぶとい打撃が売り物だった。引退後は大阪で硬式のボーイズリーグチームの監督を務め、次男の博樹氏に小学生のころから野球を手ほどきした。

     一博氏は南海で51年からのリーグ3連覇に貢献したが、日本シリーズはいずれも巨人に敗退した。博樹氏は専大からドラフト2位で広島入りした97年のプロ初登板でその巨人に完投勝ち。「成長しましたね」と父を喜ばせた。

     一博氏は2007年8月に82歳で死去。「すばらしい打者と対戦し、自分の技術を上げたい」と同年オフに渡米した博樹氏の異国での活躍を天国から見守った。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000509-san-base

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