広島カープブログ

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    ニュース

     広島が出場するクライマックスシリーズファイナルステージ(10月12日~・マツダスタジアム)のチケットが23日、発売され、わずか10分ほどで全試合が完売となった。

     午前11時にコンビニ、プレイガイドで発売。コンビニには早くから長蛇の列ができた。発売開始と同時に全国からアクセスが殺到したため、一部のコンビニでは発券システムがダウン。球団ホームページも一時つながりにくい状態が続いた。ツイッターなどでは「朝からコンビニに並んだけど、チケット取れなかった!」「先頭に並んでいた人でも買えていなかったみたい」などカープファンが悲鳴をあげた。

     チケットは早くもヤフオクなどネットオークションサイトに続々と出品されており、転売目的での購買を問題視する声も上がっている。

    引用元 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160923-OHT1T50064.html

    【越智正典「ネット裏」】1950年、市民球団として発足した広島カープはすぐに球団の台所がきびしくなり苦闘を続けていた。49年に1リーグ8球団だったのに、この50年から2リーグ15球団。けわしい現実にぶつかるのは当然であった。選手の給料は遅配。連盟加盟金の支払いも待ってもらっていた。

     東洋工業の社長、松田恒次が球団を引き受けオーナーになったのは62年11月27日であった。松田は静岡県焼津の、4番興津達雄の父親の人柄に心打たれ、興津だけには、少年時代、野球をやっていたのがどんなにたのしかったか…と語っている。興津は広島を訪れると必ず松田恒次の墓参りに行く。同行者によると、1時間も手を合わせている…という。松田は、といって、翌日の先発メンバーにまで口を出すオーナーではない。

     就任すると、翌63年春は県外キャンプを実施するように要望し内示した。それまでカープはオカネがないので県外キャンプを実施出来なかった。県内の呉、二河公園球場に決まっていた。松田はもっと暖かいところで練習を…というのではなかった。球団関係者、選手たちの視野を広くしたかったのだ。

     監督白石勝巳は感謝し、のちの育成部長竹内鉄男(中京商=現中京大中京、法政大、マネジャー)を呼び、県外キャンプ地を探すように指示した。竹内も喜び勇んで九州へ。が、見つからない。社会人、大学…の先約も入っている。竹内は鹿児島のグラウンドキーパーから日南に球場があるよ…と聞いた。

     日南? 聞いたこともない。宮崎から行ったらいいよと教わりすぐに宮崎へ。駅の近くの宮田旅館に飛び込み、わけを話し、翌朝日南へ。バスはデコボコ道を走った。当時は2時間。市役所を訪ねた竹内は球場の所管が土木課だったのに驚いた。そんな時代である。

     不安になったが天福球場前に立った竹内は、ここだ! と心のなかで声を上げた。北に小高い山。北風をさえぎる筈だ。樹々は美しく、南に海。黒潮が走っている。グラウンドの土も申し分ない。町を歩いてみると人通りは多くなかったが人情が行き交っていた。映画館は昔の芝居小屋のようで、桟敷に煙草盆。お銚子1本70円。大きなタクシー会社に車がずらり。社長外山勇二は義侠心を胸に、カープを助ける。カープはのちに外山にキャンプ部長を要請する。

     63年、情報提供のお礼もあってバッテリーが1月なかばから鴨池球場で合同トレーニング。野手は1月25日、広島から空路鹿児島に向かった。これも松田恒次の計らいである。空路キャンプインはカープにとって一大“壮挙”であった。搭乗機が離陸しべルト着用のサインが消えると、どっと歓声があがった。カープの、結団以来初優勝のドラマが始まろうとしていた。

     ナインは鹿児島からバスで日南へ。天福球場のスコアボードのポールには鯉のぼりが泳いでいた。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/592857/

    ◆DeNA―広島(19日・横浜)

     高卒2年目左腕の広島・塹江(ほりえ)敦哉投手(19)がプロ初先発のマウンドに上がり、5回を2安打2失点と及第点の内容だった。プロ初勝利は逃したものの「一人一人思い切っていく」と話していた通り、気迫あふれる投球を見せた。

     初回に先頭・桑原にヒットを許すと、1死からロペスに30号2ランを被弾。いきなり窮地に追い込まれたが、その後は最速150キロの速球を武器にヒットを許さず、5回まで投げきった。

     プロ初登板した11日の巨人戦(東京D)では1死しか奪えず6失点KO。防御率は162・00まで膨れ上がった。緒方監督からは「次は2つアウトを取れ」と励まされ、16日の中日戦(マツダ)では1回無失点とステップアップ。この日は15アウトを奪った。ポストシーズンでの起用は白紙の状態だが、将来のエース候補が確かな可能性を示した。


    引用元 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160919-OHT1T50115.html

     俺がやらなきゃ誰がやる。広島・野村祐輔投手(27)が自己最多、僚友ジョンソンと並ぶリーグトップの14勝で25年ぶりの優勝に貢献した。入団1年目の2012年に9勝をマークして新人王に輝き、翌13年は12勝。順調にエースの階段を上りながら、昨年までの2季は7勝、5勝と右肩下がり。そんな5年目右腕がどんな思いで完全復活を遂げたのか。悔しさや周囲への感謝を自らの言葉でつづった。

     皆さんのおかげで優勝することができました。正直、マジックが1桁になっても優勝への実感は湧かなかった。25年ぶりだし、事が大きすぎるというか。「本当にできるのかな」という感じでした。入団5年目で優勝するなんて、プロ入り直後は想像してなかったかも…(笑い)。

     アマチュア時代から高校、大学とどこのステージでも優勝を目指してきました。そして、それが難しいことだというのも体験してきている。それがプロで達成でき本当にうれしい。特に短期決戦の学生野球と違って1年を通しての戦いなので格別なものはあります。

     学生時代といえば皆さんからよく夏の甲子園での佐賀北戦(※1)の話をされます。ただ、僕は昔のことを振り返らないというか「次へ」と考えるタイプ。あそこで負けた後もすぐ「次、絶対大学で日本一になってやろう」と思いました。だから今回の優勝は「あの時の雪辱を果たした」というより「あの時から成長できて良かった」というのが率直な思いです。大学でも日本一(※2)になれましたし、立ち止まることなく成長できたかな、と。ここ2年ふがいない成績(※3)だったので、今季は期するものがありました。オフには金田正一さんや東尾修さん、江川卓さんといった大投手の映像を見てフォームの研究もしました。いろんなことを試したかったし、同じことをやっていたら、また同じ結果になってしまう。何か変えないといけないと思いました。

     ブルペンでは30球程度投げますが「1回15球」と意識して、15球ずつを2回に分けて投げるようにしました。試合の初回が「3イニング目」という考え方で、これは黒田さんからのアドバイス。立ち上がりが良くなったかなと感じます。

     黒田さんにはいろいろアドバイスをいただきました。特に紅白戦、オープン戦の時期は投球のたびに「ここはどうだったでしょうか?」と自分なりに感じたことをぶつけました。ただ技術面はもちろん、精神面での相談が多かった気がします。

     ここまで14勝させてもらっていますが、勝った試合でも必ず課題を持つようにしています。課題とその克服を繰り返すことで、さらなる成長があるというのが僕の考え。勝っても満足することはまずないです。

     なので、自分が投げたなかで心に残る試合はありません。ただ、シーズン通してローテを一回も飛ばさなかったのは大きい。今年が初めてですから自信になりました。

     後半戦初戦(※4)では腰の張りを覚えたこともあります。でも1年ローテを守る上では、それとも付き合っていかないといけない。「ベストの状態じゃないから試合がつくれない」では話になりません。

     あえて印象に残る1試合を挙げるならプロ初完封(※5)でしょうか。これもゼロに抑えたことより、最後まで投げきれたことが自信になりました。うちは中継ぎ陣も盤石ですが、先発投手である以上、一回でも多く投げたい。

     今年は前田さんが抜けて「戦力が落ちた」という声が多かったと思います。正直、優勝を予想された方も少なかった。これにはチームの誰もが悔しさを感じていました。僕自身が“ポスト・前田健太”に指名される存在ではなかった。昨年までの成績を見れば当たり前かもしれませんが、悔しさも感じていました。ただ、言葉は悪いかもしれませんが「見てろよ」という気持ちになれた。当然毎年「見てろ」「やってやる」とは思っていますが、いつも以上に発奮できたのは確かです。

     今年1年よかっただけでは意味はありません。黒田さんや前田さんをはじめ「エース」と呼ばれた方々は5年、10年というスパンでチームに貢献している。今年やっとスタートラインにつけたかなという感じです。

     まだクライマックスシリーズ、日本シリーズと大事な試合が続きます。かといって、ここから急に球が10キロ速くなるわけじゃない。ここまでやってきたことを継続するのみ。それを全うして最終的に日本一になれたら最高ですね。 (広島投手)
    (※1)2007年の決勝。7回まで1安打に抑えながら、8回裏に逆転満塁本塁打を浴びて優勝を逃す。
    (※2)11年の明治神宮大会。3試合連続完封勝利は大会新。
    (※3)14年7勝8敗、15年5勝8敗。
    (※4)7月22日の阪神戦=マツダスタジアム。
    (※5)4月27日のヤクルト戦=神宮球場。


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/592062/

     「広島-中日」(16日、マツダスタジアム)

     広島は今季主催試合の入場者数が200万人を突破したと発表した。2年連続での200万人超えで、主催試合68試合目での達成。

     この日の中日戦も、3万1579人のファンが球場に足を運び、スタンドを真っ赤に染めた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160916-00000101-dal-base

     9月10日の巨人戦(東京ドーム)で、25年ぶりのリーグ優勝を決めた広島が14日、マツダスタジアムで「セントラル・リーグ優勝セレモニー」を行うと発表した。

     15日・巨人戦の試合終了後に、授与式を実施。セントラル・リーグ優勝ペナントと優勝トロフィーが、プロ野球の熊崎勝彦コミッショナーから、緒方孝市監督に授与される。その後は全員でグラウンドを一周し、マウンド前で記念撮影が行われる。

     なお、同日の入場券はすでに完売。


    引用元 http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2016/09/14/0009487859.shtml

     広島の25年ぶりの優勝が迫っている中、優勝が決まる可能性が高い日のチケットがプラチナ化している。

     6日午後時点でネットのチケット売買サイト「チケットキャンプ」では、最短Vの9月7日の中日戦(広島)で、内野指定A3塁側になんと、30万円が付けられている。また8日の中日戦でも内野A席三塁側で1枚8万円、自由席で1枚4万8000円など軒並み高額に。またヤフーオークションでも、年間指定のバックネット裏ペアで9月8日は7万8000円が付けられており、軒並み7~10万円の高値が付けられている。すでに前売りは完売。25年ぶりの優勝を地元・広島で迎えたいファンにとっては、悩ましい選択となりそうだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160906-00000048-dal-base

     71回目の終戦記念日が訪れた。この季節が来ると、5年前に聞いた力強いメッセージを思い出す。「スポーツが繁栄するのも平和だから。不戦を誓う憲法9条を守らなくちゃいけない。特に若い世代にしっかりと考えてもらいたいね」。故中沢啓治さん。漫画「はだしのゲン」の作者で、2012年12月に肺がんで亡くなった。

     取材の機会を得たのは11年夏。53年ぶりに8月6日「原爆の日」に広島市内でプロ野球公式戦が行われる(※)ことを特集した記事で、野球を通じて平和の大切さを伝える同5日の「ピースナイター」で始球式を務めることになっていた中沢さんのご自宅を訪ねた。「がんと闘っているんですよ」。話を聞き始めてほどなくして出てきた言葉に驚かされた。

     「はだしのゲン」は6歳のときの被爆体験をもとに描かれた作品だ。父、姉、弟を失い、直後に生まれた妹も4カ月で亡くした中沢さん。つらい暮らしの中で「唯一の娯楽。熱狂した」というのが野球だった。手製の糸巻きボールで遊び、1950年に広島カープが誕生すると、学校の後に球場に通う日々。グラウンドとロープで仕切られただけの観客席で声をからして応援したという。

     取材にあたって「はだしのゲン」を読み、こんな吹き出しを見つけた。「カープが勝つことは市民を明るい気持ちにさせてくれるけえのう」――。中沢さんは「私自身の思い。戦後の焼け跡から、ずーっとカープと一緒でした」と話した。復興する被爆地とともに歩んだ球団。球団創設から25年を経て最高成績3位、それも1度だけというチームが75年、初優勝で広島市民を歓喜させた。

     91年までの間に6度の優勝を重ねながら栄冠から遠ざかった球団は、ことし、25年ぶりのVへ絶好機を迎えている。マジックナンバー点灯は早ければ18日だ。中沢さんも空の上からきっと見ている。平和あってのスポーツ、平和あっての野球と呼びかけながら。(記者コラム・和田 裕司)

     (※)原爆ドームや平和記念公園に近かった旧広島市民球場は、8月6日は市の条例で「休場日」と定められ、58年を最後に試合開催がなかった。マツダスタジアムに本拠を移して3年目の11年に、53年ぶりに広島市内での「8・6」プロ野球公式戦が実現した。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00000102-spnannex-base

     【球界ここだけの話】

     広島・黒田博樹投手(41)が日米通算200勝を達成した。23日、阪神戦(マツダ)の試合後、広島ナインが着たTシャツの背中には「あの黒田さんがまさか…」とプリントされていたが、せんえつながら私も同じ気持ちだ。

     「今度うちの学校でドラフト指名されたやつがいるんだよ。向こうから頼まれたんで、悪いけど行ってくれないか?」。1996年11月のこと。当時勤務していた社のデスクから、なぜか野村ヤクルトの担当をしていた私が頼まれた。

     そのデスクは専大の体育会出身で、同大OBの長州力もその人の前に立つと直立不動になるという人物。黒田を取り上げてもらいたい専大が、デスクに頼んできたものだったが、言うまでもなく「ドラフト指名されたやつ」とは広島ドラフト2位の黒田で、まさかこんなすごい選手になるとは、夢にも思わなかった。

     当時は無名に近く、神奈川・伊勢原の寮で黒田を取材したことは覚えているが、ぶっちゃけ、話の内容はまったく記憶にない。父・一博さんが南海で活躍していた外野手だったため「史上初の親子2代レギュラーを目指す」という記事を書いたことは覚えていた程度だ。

     そこで、当時の記事を読み返すと、大学4年のときに社会人の強豪チームから誘いがあったが「プロの指名に漏れたから入社というのは認めないチーム」だったため「社会人の方が将来的に安定するし、プロも絶対に指名される保証もない」と悩み続けたと明かしている。

     しかし「父に怒られたんです。“今まで野球をやってきて、オマエの夢は何や!”と」と一喝され、父の夢でもあった親子プロ野球選手が誕生したと記事になっている。

     その後はまったく取材することもなく、次に会話を交わしたのは18年後の一昨年、ヤンキース時代。5月18日(日本時間19日)のパイレーツ戦で3勝目を挙げ「日米通算174勝であこがれの桑田真澄超え」という、他の記者が誰も気がつかないマニアックな記事を書いた。

     ヤンキースで中4日のローテーションを崩さずに投げていた黒田は、本当にしんどそうだった。あれからわずか2年で26勝も積み重ねたことは、ただただ感服するばかりだ。(塚沢健太郎)


    引用元 http://www.sanspo.com/baseball/news/20160727/car16072713000001-n1.html

     セ・リーグ首位を快走する広島。3日の横浜DeNA戦(横浜)では、今季最多タイの17安打&同最多の13得点で大勝。5カード連続勝ち越しで今季初めて2位とのゲーム差を2ケタの「10」に広げた。

     「雰囲気がいいし、みんな気迫を出してやっている」

     1回の7号3ランを含め5打数4安打5打点と猛爆したベテラン新井が気勢を上げた。ここまで47勝31敗2分けでリーグの貯金を独占。2位以下の5球団はダンゴ状態で、いずれも勝率5割を割っている。

     とはいえ、広島が最後にリーグを制覇したのは1991年。昨季まで12球団最長の24年間にわたって優勝から遠ざかっている。その間の96年には最大11・5ゲーム差をつけていた2位・巨人に逆転優勝を許すなど大失速を繰り返してきただけに、地元ファンの間では「まだ信じられない」と不安が渦巻いている。

     それだけに、他球団はどう見ているのか。

     DeNA・ラミレス監督は「投打のバランスが非常に良いが、今後疲れが出て失速する時期が必ずくる」と諦めていない。中日の某コーチも「これだけのゲーム差はちょっとやそっとでは詰められないが、今季は打撃のチームである所に望みがある。“打線は水物”といわれる通り、前触れもなく調子を落とすことがある」。いずれも相手の失速待ちだ。

     確かに、快進撃の原動力はいずれもリーグトップのチーム打率・268、同80本塁打、同379得点を誇る打線。主力陣に疲れが出て得点力に陰りが見えたとき、他球団にとって付け入るスキが生まれるだろう。

     だが、次々と“新顔”が活躍し層の厚さを感じさせるのが、今季のチームの特長でもある。

     3日の試合は4年目・下水流(しもずる)昂外野手(28)が、6回に代打で出場し、左腕・大原から2号2ラン。そのまま左翼守備に就き8回の打席でも右腕・小杉から3号ソロ。対左腕限定で起用されることの多い新鋭は「右投手も打たないとレギュラーになれない」と厳しい表情を崩さなかった。

     2日に左肩を打撲した菊池が大事を取って欠場したが、その穴を感じさせない。このチームにはまだ余力がある。 (宮脇広久)


    引用元 http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20160705/bbl1607050830003-n1.htm

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