広島カープブログ

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    三村敏之

     広島・新井貴浩内野手(41)が11日、阪神・金本監督の電撃辞任を受けて、複雑な心境を語った。マツダスタジアムで行われた全体練習終了後、報道陣に対応。「突然のことでびっくりしています。本当に苦しかったんだと思います。野球人生の中でも一番苦しかったんだと思います」と驚きを隠さなかった。


     プロ1年目から金本監督を師と仰ぎ、2007年オフには「もう一度金本さんと一緒に野球がしたい」と愛する広島に別れを告げて阪神へFA移籍。2008年から5年間、共にプレーし、金本が通算2000安打を達成した2008年4月12日横浜戦では、新井も同1000安打を決め大記録に花を添えた。

     広島復帰後、2016年からは敵として、金本阪神の前に立ちはだかった。金本監督がチーム立て直しに苦しむ中、新井は球団史上初のリーグ3連覇に貢献。すでに今季限りでの現役引退を表明しており、くしくも同じタイミングでユニホームを脱ぐ形となった。

     カープに戻ってからも古巣へ特別な思いは変わらない。金本監督の決断に「なかなかうまくいかなかったことも多かったと思う。すごく苦しかったんじゃないかと思います」と繰り返し「まずは心身共にゆっくり休んでほしいです」と無念の表情で言葉をつないだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181012-00000027-dal-base

     熱烈な鯉党で知られるチュートリアル・徳井義実が29日、MBSの情報番組「せやねん!」にVTR出演。「かけなあかんのはお金じゃない。手間と愛情です」と広島の強さを解き明かすと同時に、阪神に耳の痛い提言をした。

     「まさかの3連覇!正直、1年目の高揚感があるかと言われれば…だけどつらい時代があったので、6連覇までは喜べる。まさかこんな強いチームになるとは」と相好を崩した。広島の強さを「若手がどんどん出てきてブレークする。新井選手が引退しても次々いる」と解析。「結局、どこから取ってくるといっても限界がある。地道に育てた方が、ドドっとくる」と育成の大切さを改めてアピールした。

     「フランソワとかカープアカデミーから来て、かなり貢献している。ドミニカの選手は広島出身(笑)」と、ファンは親近感を持っていることを明かした。さらに「バティスタは2000万円。すごく広島に、日本になじもうとしてくれている。大金をはたいた人はドライになる」と持論を展開。「ロサリオは3億円超え。かけなあかんのは手間と愛情なんです」とばっさり。それでも「阪神にもいた新井選手が、CSでも必ず活躍するので、応援してほしい」と阪神ファンに訴えた。

     番組では推定年俸2000万円のバティスタは25本塁打で1本あたり単価は80万円。同3億4000万円のロサリオは8本塁打で1本あたり4250万円と紹介していた。

     そんな徳井の分析に、阪神ファンのトミーズ・雅は「ぐうの音も出えへん」とため息。「あなたの言っていることが正しいです」と肩を落としていた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180929-00000055-dal-ent

     6月30日に1000本安打を達成したばかりの広島・丸佳浩は、7月1日のDeNA戦で2本塁打を含む5打数3安打と大暴れした。特筆すべきは出塁率の高さ。2位のヤクルト・坂口智隆に大きく差を開ける.508までアップした。

    両リーグの出塁率5傑

    セ・リーグ
    1丸佳浩(広).508(57安打61四球2死球)
    2坂口智隆(ヤ).443(77安打41四球2死球)
    3坂本勇人(巨).418(95安打43四球0死球)
    4鈴木誠也(広).417(56安打37四球2死球)
    5山田哲人(ヤ).413(74安打56四球0死球)

    パ・リーグ
    1近藤健介(日).466(75安打40四球1死球)
    2秋山翔吾(西).434(105安打41四球3死球)
    3柳田悠岐(ソ).407(93安打30四球1死球)
    4山川穂高(西).403(72安打52四球7死球)
    5中村奨吾(ロ).399(85安打30四球11死球)

     丸の出塁率は突出している。セ・パ両リーグの規定打席到達打者の中で、ただ一人安打数より四死球数が多い。今季の丸は、打率もさることながら、選球眼がずば抜けていると言える。

     NPBの出塁率の計算式は、1984年までは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数)だった。1985年からは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数+犠飛)になった。

     また、打撃タイトルとしては、セ・リーグは1967年から84年までは最高出塁数、パ・リーグは1962年から84年は最高出塁率(旧計算式)だった。そうした経緯があったため、NPBの公式サイトではシーズン最高出塁率のランキングは掲載されていない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180703-00146340-fullcount-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     広島球団は28日からの対阪神3連戦(マツダスタジアム)で、故・衣笠祥雄氏(享年71)に哀悼の意を表し、緒方孝市監督、コーチ陣、選手、スタッフが喪章を付けて試合に臨む。

     “ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏とのコンビで、常勝赤ヘル軍団を築き上げ、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成して国民栄誉賞を受賞した“鉄人”だけに当然の措置だろう。

     それにしても、山本氏は2度にわたり合計10年も広島監督を務めたのに、衣笠氏は監督どころかコーチ経験さえなしに終わったのはなぜか、球界七不思議が改めてクローズアップされる。

     ある広島OBがこう謎解きする。「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」

     市民球団として旗揚げされた広島カープは一時期、東洋工業(現マツダ)が親会社だった時代もある。だが、通称“松田個人商店”といわれるように、松田ファミリーが人事権を持っている。広島OBの解説には説得力がある。

     とはいえ、現役引退後TBSの解説者をしていた衣笠氏には、他球団の監督になるチャンスはあったはずだ。実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報が流れたことがある。

     だが、結局衣笠氏は評論家活動一筋を貫いた。前出の広島OBはこう見ている。「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」。その通りならば、いかにも一本気な衣笠氏らしい野球人生を全うしたといえるだろう。(江尻良文)

    引用元 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180428/spo1804280003-n1.html


     広島は28日、松田元オーナー(67)によるOBの衣笠祥雄氏(享年71)への追悼コメントを、次のように発表した。


     「キャンプなどで会うと、元く~んと話しかけてくれる。江夏さんもそうだが、年上のお兄さんに声をかけてもらったうれしさが、一瞬にして自分を昔に戻してくれる。耳当てのないヘルメット、豪快な空振り、ライナーで入るホームラン、デッドボールでも痛がるそぶりを見せることなく駆け足で1塁に行く。衣笠さんとの付き合いは40年を超え思い出も多く、言葉で言い表すことが出来ない。本来ならば偉大な選手について話すべきかもしれないが、自分にとって衣笠さんとはそういう人だった」。

     この日の阪神戦の試合前には黙とうが行われ、監督、コーチ、選手、スタッフは喪章をつけて試合に臨んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-00192545-nksports-base

     衣笠祥雄氏の訃報(ふほう)について、広島の監督として現役時代の衣笠氏を指導し、1975年のセ・リーグ初優勝、79、80、84年の3度の日本一を成し遂げた古葉竹識氏は「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは」と取材に答えた。

     「最後に会ったのは2月ごろ。体調を心配していたのですが、本人は『大丈夫よ』と。私が監督時代、本当によく頑張ってくれました。79年に死球を受けて亀裂骨折した時も、私に『絶対出たい』と言ってきた。だから『よし、大事なところで使うから、準備しておけ』と伝え、代打で使ったんです。ひどいケガにも負けなかったから、2215試合連続出場ができた。プロとしてファンを喜ばせたいという責任感の強い選手でした。お疲れ様、ありがとうと言いたい」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000067-asahi-spo&pos=3

     37年ぶり2度目の連覇を成し遂げた広島は、26年ぶりに2軍とともに“兄弟優勝”を達成した。2軍は7日、宮崎市の宮崎サンマリンスタジアムで元広島2軍監督の内田順三2軍監督が率いる巨人とファーム日本一をかけて戦う。2軍の命題でもある「育てながら勝つ」を実践した水本勝己2軍監督は、就任2年目で1軍へ選手を供給しながらウエスタン・リーグの頂点に立った。

     「ファームが優勝したということは結果的にもいいこと。そういった部分ではいい1年間だったのではないかな」

     1軍での選手実績は皆無だが、持ち前の指導力でチームを優勝に導いた。故三村敏之元監督を慕いブルペン捕手からコーチ補佐、3軍統括コーチに2軍バッテリーコーチから2軍監督となったのは有名な話。プロの選手として実績がないことがクローズアップされているが、アマチュア球界ではプロ野球選手の例に漏れず名をはせた。

     もう30年以上前の話である。1986年夏、高校野球岡山大会の決勝・岡山南戦で倉敷工の主砲は右翼席に本塁打を放った。水本2軍監督は「カーブを狙って打った」と今も鮮明に覚えていた。倉敷工の18年ぶり7度目の甲子園出場に強打の捕手として貢献した。

     この年は群雄割拠の岡山高校球界だった。3年生にはのちにプロ入りした選手が5人もいた。岡山理大付には86年度ドラフト2位でロッテに指名された森広二投手、関西には阪神からドラフト6位指名された関西・真鍋勝己投手。2投手ともプロでは大成できなかったが、真鍋は今もNPB審判員として活躍している。

     そして岡山東商には社会人・川崎製鉄水島を経て経て89年度ドラフト2位で巨人に入団した吉原孝介捕手、倉敷工が決勝で破った岡山南には90年度のドラフト外でダイエー(現ソフトバンク)に入団した岡山南・坊西浩嗣捕手がいた。水本、吉原、坊西の3人は、捕手三羽がらすとして岡山球界では有名な存在だった。

     坊西の岡山南は、この年のセンバツ大会でベスト4に入っていた。水本は甲子園で開幕日の第3試合で後に巨人に入団する川辺忠義投手率いる秋田工に1-11で敗れ、早々に姿を消した。卒業後は社会人野球の名門・松下電器(現パナソニック)に入社。ここでは89年度ドラフト1位で西武に入団した潮崎哲也投手(現西武コーチ)とバッテリーを組んで3年連続で都市対抗野球に出場した。

     高校、社会人と名門を歩んだ水本は、高校の先輩でもある当時広島のコーチを務めていた片岡新之介コーチ(現MSH医療専門学校監督)を頼ってテストで広島に入団した。

     アマ時代まで順風満帆だった野球人生もプロでは2軍でわずか39試合、2年の選手生活だった。ちょうど26年前、福山・みろくの里神勝寺球場で故三村敏之2軍監督が胴上げされた年に現役を引退した。

     プロ野球選手として花を咲かせることはできなかったが、プロ入りまではエリートコースを歩んだといっていい。現役を引退した年以来にファームの優勝。これも何かの縁かもしれない。

     ファーム選手権を前に「イースタンのレベルも分かるし、自分たちがどのレベルにいるのかも分かる。とてもいい経験になるので、やるからには当然、全力を尽くす。巨人2軍監督は内田さんなので、選手の成長した姿を見せられたらいい」と語った。宮崎の地で水本ヤングカープがどのような結果を出すか注目だ。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171007-00000035-dal-base

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