広島カープブログ

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    三村敏之

    【ネット裏 越智正典】広島34年ぶりの日本一はならなかったが、CSが始まろうとしていた10月11日、最終ステージで待ち構えていた広島の松田元オーナーが「優勝パレードは日本一になったときだけ」と言明したのは見事な選手激励だった。

     1974年、セで優勝した中日が名古屋まつりとぶつかった地元の熱望を断れず、チームを二分し、分隊を長嶋茂雄現役引退の巨人戦の後楽園球場へ。本隊はパレード。監督与那嶺要は泣いた。「みんなでパレードをやりたかった」。ドラは日本シリーズでロッテに負けた。

     カープの勝利の歴史は63年松田恒次オーナー(日本野球機構への正式届けは2月26日)の決断で初の県外キャンプに始まる。それまで、呉二河球場。雨の日はからだを動かさなかったからと、晩ごはんが焼きそば一皿の日もあった。

     キャンプ地を探せ! マネジャー竹内鉄男(法政大)が九州へ。どこもいっぱい。日南に球場があるらしいと聞き、宮崎の宮田旅館に一泊。翌朝バスでガタガタ道を3時間。青空、防風、町の人々の人情。あったあー。

     キャンプイン当日、一行は空路広島から鹿児島。着陸したとき機内の拍手はやまなかった。日南天福球場には歓迎の鯉のぼりが泳いでいた。横溝桂はいいボールが用意されていたのに感激。もう、変形したボールを金槌で叩いて直さなくてよい。

     カープは70年(4位)秋、アリゾナ州フェニックスのアストロズの教育リーグに三村、山本一義、山本浩二、衣笠ら6選手を送った。71年(4位)秋には同、ブルワーズに3選手。引率のコーチ、終戦直後の阪神の速投げ人気投手野崎泰一は、出会ったインディアンスの“火の玉投手”ボブ・フェラーと意気投合した。

     その71年秋、代表西野襄は恒次オーナーの意を汲んで72年の予算に「練習費」なんと、5000万円を組み込んだ。そして春、アリゾナ州ツーソンのインディアンスのキャンプへ。ナインはあの猛烈ジョー・ルーツに出会う(2月25日~3月17日)。当時快打選手、現スカウト、チーム編成の異彩、苑田聡彦ら36人。秋はパイレーツの教育基地、フロリダ州ブラデントンへ(10月31日~11月24日)。OB金山次郎、長谷川良平に臨時コーチを委嘱。43人。大デモンストレーションである。山本浩二、衣笠祥雄は結局、アメリカで計3度腕を磨く。

     赤へル軍団誕生前夜、北米を旅行中の私はパイレーツのGMジョー・ブラウンに自宅に招いて頂いた。「ヒロシマの選手はラブリーだ。みんな礼状をくれた。きっと黄金時代を作る」。氏はヤンキースを倒すのに選手の躾を貫いてワールドチャンピオンになった。

     75年10月15日、広島は初優勝。結団以来、風雪26年。銀座に行かなかった苑田らは、ビールかけの両国の宿舎から隅田川の土堤を歩いて、粋な向島へ。料亭で賑やかな三味線に合わせて太鼓を叩いて勝利のよろこびに浸った。夜が明けた…。 =敬称略=
     (スポーツジャーナリスト)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181117-00000001-tospoweb-base

     広島・新井貴浩内野手(41)が11日、阪神・金本監督の電撃辞任を受けて、複雑な心境を語った。マツダスタジアムで行われた全体練習終了後、報道陣に対応。「突然のことでびっくりしています。本当に苦しかったんだと思います。野球人生の中でも一番苦しかったんだと思います」と驚きを隠さなかった。


     プロ1年目から金本監督を師と仰ぎ、2007年オフには「もう一度金本さんと一緒に野球がしたい」と愛する広島に別れを告げて阪神へFA移籍。2008年から5年間、共にプレーし、金本が通算2000安打を達成した2008年4月12日横浜戦では、新井も同1000安打を決め大記録に花を添えた。

     広島復帰後、2016年からは敵として、金本阪神の前に立ちはだかった。金本監督がチーム立て直しに苦しむ中、新井は球団史上初のリーグ3連覇に貢献。すでに今季限りでの現役引退を表明しており、くしくも同じタイミングでユニホームを脱ぐ形となった。

     カープに戻ってからも古巣へ特別な思いは変わらない。金本監督の決断に「なかなかうまくいかなかったことも多かったと思う。すごく苦しかったんじゃないかと思います」と繰り返し「まずは心身共にゆっくり休んでほしいです」と無念の表情で言葉をつないだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181012-00000027-dal-base

     熱烈な鯉党で知られるチュートリアル・徳井義実が29日、MBSの情報番組「せやねん!」にVTR出演。「かけなあかんのはお金じゃない。手間と愛情です」と広島の強さを解き明かすと同時に、阪神に耳の痛い提言をした。

     「まさかの3連覇!正直、1年目の高揚感があるかと言われれば…だけどつらい時代があったので、6連覇までは喜べる。まさかこんな強いチームになるとは」と相好を崩した。広島の強さを「若手がどんどん出てきてブレークする。新井選手が引退しても次々いる」と解析。「結局、どこから取ってくるといっても限界がある。地道に育てた方が、ドドっとくる」と育成の大切さを改めてアピールした。

     「フランソワとかカープアカデミーから来て、かなり貢献している。ドミニカの選手は広島出身(笑)」と、ファンは親近感を持っていることを明かした。さらに「バティスタは2000万円。すごく広島に、日本になじもうとしてくれている。大金をはたいた人はドライになる」と持論を展開。「ロサリオは3億円超え。かけなあかんのは手間と愛情なんです」とばっさり。それでも「阪神にもいた新井選手が、CSでも必ず活躍するので、応援してほしい」と阪神ファンに訴えた。

     番組では推定年俸2000万円のバティスタは25本塁打で1本あたり単価は80万円。同3億4000万円のロサリオは8本塁打で1本あたり4250万円と紹介していた。

     そんな徳井の分析に、阪神ファンのトミーズ・雅は「ぐうの音も出えへん」とため息。「あなたの言っていることが正しいです」と肩を落としていた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180929-00000055-dal-ent

     6月30日に1000本安打を達成したばかりの広島・丸佳浩は、7月1日のDeNA戦で2本塁打を含む5打数3安打と大暴れした。特筆すべきは出塁率の高さ。2位のヤクルト・坂口智隆に大きく差を開ける.508までアップした。

    両リーグの出塁率5傑

    セ・リーグ
    1丸佳浩(広).508(57安打61四球2死球)
    2坂口智隆(ヤ).443(77安打41四球2死球)
    3坂本勇人(巨).418(95安打43四球0死球)
    4鈴木誠也(広).417(56安打37四球2死球)
    5山田哲人(ヤ).413(74安打56四球0死球)

    パ・リーグ
    1近藤健介(日).466(75安打40四球1死球)
    2秋山翔吾(西).434(105安打41四球3死球)
    3柳田悠岐(ソ).407(93安打30四球1死球)
    4山川穂高(西).403(72安打52四球7死球)
    5中村奨吾(ロ).399(85安打30四球11死球)

     丸の出塁率は突出している。セ・パ両リーグの規定打席到達打者の中で、ただ一人安打数より四死球数が多い。今季の丸は、打率もさることながら、選球眼がずば抜けていると言える。

     NPBの出塁率の計算式は、1984年までは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数)だった。1985年からは(安打数+四死球数)÷(打数+四死球数+犠飛)になった。

     また、打撃タイトルとしては、セ・リーグは1967年から84年までは最高出塁数、パ・リーグは1962年から84年は最高出塁率(旧計算式)だった。そうした経緯があったため、NPBの公式サイトではシーズン最高出塁率のランキングは掲載されていない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180703-00146340-fullcount-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     広島球団は28日からの対阪神3連戦(マツダスタジアム)で、故・衣笠祥雄氏(享年71)に哀悼の意を表し、緒方孝市監督、コーチ陣、選手、スタッフが喪章を付けて試合に臨む。

     “ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏とのコンビで、常勝赤ヘル軍団を築き上げ、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成して国民栄誉賞を受賞した“鉄人”だけに当然の措置だろう。

     それにしても、山本氏は2度にわたり合計10年も広島監督を務めたのに、衣笠氏は監督どころかコーチ経験さえなしに終わったのはなぜか、球界七不思議が改めてクローズアップされる。

     ある広島OBがこう謎解きする。「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」

     市民球団として旗揚げされた広島カープは一時期、東洋工業(現マツダ)が親会社だった時代もある。だが、通称“松田個人商店”といわれるように、松田ファミリーが人事権を持っている。広島OBの解説には説得力がある。

     とはいえ、現役引退後TBSの解説者をしていた衣笠氏には、他球団の監督になるチャンスはあったはずだ。実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報が流れたことがある。

     だが、結局衣笠氏は評論家活動一筋を貫いた。前出の広島OBはこう見ている。「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」。その通りならば、いかにも一本気な衣笠氏らしい野球人生を全うしたといえるだろう。(江尻良文)

    引用元 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180428/spo1804280003-n1.html


     広島は28日、松田元オーナー(67)によるOBの衣笠祥雄氏(享年71)への追悼コメントを、次のように発表した。


     「キャンプなどで会うと、元く~んと話しかけてくれる。江夏さんもそうだが、年上のお兄さんに声をかけてもらったうれしさが、一瞬にして自分を昔に戻してくれる。耳当てのないヘルメット、豪快な空振り、ライナーで入るホームラン、デッドボールでも痛がるそぶりを見せることなく駆け足で1塁に行く。衣笠さんとの付き合いは40年を超え思い出も多く、言葉で言い表すことが出来ない。本来ならば偉大な選手について話すべきかもしれないが、自分にとって衣笠さんとはそういう人だった」。

     この日の阪神戦の試合前には黙とうが行われ、監督、コーチ、選手、スタッフは喪章をつけて試合に臨んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-00192545-nksports-base

     衣笠祥雄氏の訃報(ふほう)について、広島の監督として現役時代の衣笠氏を指導し、1975年のセ・リーグ初優勝、79、80、84年の3度の日本一を成し遂げた古葉竹識氏は「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは」と取材に答えた。

     「最後に会ったのは2月ごろ。体調を心配していたのですが、本人は『大丈夫よ』と。私が監督時代、本当によく頑張ってくれました。79年に死球を受けて亀裂骨折した時も、私に『絶対出たい』と言ってきた。だから『よし、大事なところで使うから、準備しておけ』と伝え、代打で使ったんです。ひどいケガにも負けなかったから、2215試合連続出場ができた。プロとしてファンを喜ばせたいという責任感の強い選手でした。お疲れ様、ありがとうと言いたい」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000067-asahi-spo&pos=3

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