広島カープブログ

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    内田順三

     プロ野球で、数々の強打者育成に尽力した内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)の教え子には、想像を超えて飛躍を遂げた選手たちがいる。その代表例である金本知憲氏と新井貴浩氏について、共通点を聞いた。

      ◇  ◇

     金本は東北福祉大から、91年ドラフト4位でカープに入団。三村敏之さんが2軍監督時代から目をかけ、1軍に抜てきすることになるが、入団時は線が細く、後に3割30本100打点をマークするなんて想像もできない選手だった。打撃は左中間に運ぶ技術はあったが、右肘や右肩が上がって脇が甘くなる欠点があり、内角のスピードボールへの対応が課題だった。

     上からたたく練習を繰り返して克服していったが、1軍で活躍するようになってもネクストサークルでは極端なダウンスイングで意識付けを行っていた。相手ベンチからその姿を見て、巨人の若手に伝えたこともある。

     1、2年目はファームの遠征メンバーから外れたこともある。当時、私は2軍打撃コーチだったが、「残留組は1日1000スイングをやるように」と伝えていた。1000スイングなんて、本当にやろうとしたら大変なこと。半信半疑で言ったつもりだったが、居残った川端(当時の2軍投手コーチ)によると、金本だけは本当にやっていたらしい。大学入学前に一浪した経験もあったからか、反骨心は相当なものだった。

     あの時代では珍しく、積極的に筋力トレーニングに励んだことも飛躍の一因となった。車でいうエンジンの排気量が増すことで、体力もつき、打球にも力強さが加わるようになった。金本の鍛え抜かれた肉体は球界でも有名で、あの長嶋さんも注目していたそう。オールスターの時には「金本の体を見てみたいから風呂に入る時に教えてくれ」と周囲に言っていたそうだ。

     金本同様、新井も努力のふた文字なくして語れない選手だろう。広島とパイプの太かった駒大から、98年ドラフト6位で入団。体は大きかったが、大学でも通算2本塁打。周囲も「何とかものになれば」というくらいの評価で、まさか名球会に入るほどの選手になるとは誰もが思わなかっただろう。

     守備も課題だらけ。駒大の先輩である大下ヘッドコーチが朝からずっとノックをガンガンやっていたが、「これだけやっているなら新井を試合で使うのも当然だろう」と周囲を納得させるほどの練習量だった。

     金本の背中を見て育った新井。これは江藤もそうだったが、彼らに共通するのは体が元気なこと。けがもしない。過酷な練習をしても、すぐ元気になる。多くの選手は辛抱するのが精いっぱいで顔に出るものだけど、彼らにはそうしたことが全くなかった。

     その後、広島・鈴木誠也の2軍時代に指導した経験があるが、彼を見ていると、金本や新井の姿に通ずるハートの強さがあった。いい意味で眼力の鋭さがあり、なにくそ精神でこちらにぶつかってきていた。会うたびに、体もどんどん大きくなっている。技術だけではない、ハートや体の強さ。若手が育つカープの土壌には、こうした伝統がしっかり根付いている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200512-00000107-dal-base

     プロ野球で、チーム浮沈のカギを握る助っ人の存在。デイリースポーツ・ウエブ評論家の内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、外国人野手が日本で成功するための「絶対条件」について聞いた。

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     日本野球にはまったな、ということで思い出すのは広島で1年目(04年)に40発を打ったラロッカだね。前年に活躍したシーツはメジャーでの実績もあり、正遊撃手としてもともと期待値は高かった。ただ、ラロッカはメジャーでの実績は乏しく、本塁打もなし。獲得を決める前に松田オーナーから呼ばれて映像を見ることになった。長打力に乏しいということだったが、映像では広角に打ち、広いアメリカの球場でフェンス間際まで飛ばしていた。向こうでは物足りなさがあったかもしれないが、「これはいけるんじゃないか」と話したことを覚えている。

     外国人選手が日本で成功する絶対条件は、センター中心に逆方向への打撃ができるか。外国人選手は練習では逆方向から打つ打撃を教えられているが、これを試合で継続できているかは別。プルヒッターになってしまう選手もいるし、日本で期待を背負い過ぎて力んでしまう選手もいる。試合でも逆方向への打撃を意識できていれば、ランナー三塁でも犠牲フライを打つ確率は高く、打点も増える。日本で活躍したクロマティ、ロバート・ローズ、バース、ペタジーニら、思い浮かぶ選手は逆方向への打撃も見事だった。

     よく言われるように、日本で成功したいというハートも大事。巨人ではギャレット、広島ではエルドレッドが好感を持てる選手だった。外国人選手はプライドもあるから指導するということは少ないが、タイミングを見て助言することもある。ふたりとも「イエッサー、イエッサー」とこちらの話を聞き、何とか順応しようとする姿勢があった。特にエルドレッドは2年目を終えたオフに契約が切れそうになるのを野村監督の希望で残留。おそらく、人間性にも可能性を感じていたのだと思う。結果的に、この判断が3年目の本塁打王につながった。郷には郷に従え、という気持ちがあるかはやはり大切だと思う。

     過去には巨人にフランシスコという外国人がいたけど、そりゃ、すごいパワーだった。大きなお腹だったけど、フリーバッティングではケタ違いの打球を飛ばす。ただ、怠け者だったね。打撃練習が終わったらベンチにどっかり座ってやることもやらない。参ったよね。これではなかなか難しい。俺には冗談も言って、明るい一面もあったけど、惜しい選手だった。

     ドミニカから来日し、広島にいたソリアーノがメジャーで大成した例があるように、ハングリー精神を備えているかは大事な要素。そういう点では昨季まで見ていた巨人・モタに注目している。今年のキャンプで結果を残して支配下登録されたが、ジャイアンツ球場のスコアボードにぶつけた時はたまげた。日本で成功しようというハングリーな気持ちもかなり強い。何とか大成してほしいと思う選手のひとりだし、大化けの可能性は大いに秘めている。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200509-00000084-dal-base

     逸材ぞろいのプロ野球界。毎年多くの選手が入団してくるが、その中でも突出した才能を持つ男たちがいる。巨人や広島で打撃コーチなどを務め、名伯楽と呼ばれた内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、出会いから衝撃を受けた3選手を挙げてもらった。

     ◇ ◇

     カープでは前田智徳だろう。89年、熊本工からドラフト4位で入ってきたが、走力、肩もあって守備はすぐ使える印象だった。

     そして、打撃もスイングがシンプルで軸がぶれない。何より際立っていたのが、インサイドのさばき方だった。高卒の選手は金属から木製になり、まずインコースの球に対して壁に当たることが多い。ファウルになるか、詰まるか、手のしびれを恐れてバットが出ないかの3パターン。しかし、前田はインサイドからバットを出すことができ、「詰まる」と思ったら重心を捕手方向に移してライト方向へヒットにしてしまう。当時、山本浩二監督がファームの練習を見に来て「ウッチー、こいつはすげえぞ」と言っていたことを覚えている。

     カープでは鈴木誠也もモノが違った。東京の二松学舎からドラフト2位で入ってきたが、スカウトの評価は高く、巨人やソフトバンクも欲しがっていたと聞いた。半端じゃなかったのは肩。シートノックでは、スピンのかかった送球が地面すれすれで伸びていく。まだ荒削りで暴投することもあったが、確かに素材は別格だった。

     鈴木は、大谷や藤浪と同世代。カープのドラフト1位も龍谷大平安で甲子園に出た高橋大樹だった。鈴木は甲子園にも出ていなかった分、反骨心もあり、負けん気も強かった。見逃し三振なんてすれば、試合後に黙々とバットを振る。いい意味で他人の言うことに流されることはなかったし、芯のある性格もここまで大成した一因だろう。

     巨人で真っ先に思い浮かぶのは高橋由伸。彼に関しては鳴り物入りのドラフト1位で入ってきて、素材がいいのは分かっていた。1年目から余裕があり、送球ひとつ見ても相手の取りやすい完璧なワンバウンドを投げる。当時チームにいた清原や松井の打撃を見て、「松井さんや清原さんに飛距離ではかなわない。僕はイメージチェンジして広角に打ち分けます」とさらりと言っていた。

     天才的な打撃に関しては、タイミングの取り方が抜群だった。彼は上段でバットを構え、一度肩のあたりにグリップを落とす。そして、王さんのように右足を高く上げ、一本足に近い形でタイミングを取るのだが、軸がまったくぶれない。その強さを生むために、キャンプではまた割りをしたままのティー打撃を積極的にやって内転筋を強化していた。甘いマスクで表向きはさわやかなイメージがあるが、陰では泥くさく練習する男だった。

     超一流には超一流たるゆえんがあるが、3選手に共通していたのは走攻守3拍子がそろっていたこと。そして常に手を抜かず、こちらが話しかけにくいほど集中力を持って練習に打ち込んでいた姿だ。指導者として37年、数多くの選手を見てきたが、この3人のルーキー時代は特に印象に残っている。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-00000119-dal-base

     華々しいプロ野球の世界。一方で類いまれな才能を持ちながら、大輪の花を開かせることができず去っていく選手も少なくない。広島、巨人で数多くの強打者を育てた名伯楽・内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、「未完の大器」のまま引退した選手を挙げてもらった。


     ◇ ◇

     カープでは岩本貴裕の名前が浮かぶ。08年ドラフト1位で入団した左の長距離砲。当時、私は打撃統括として指導していたが、外国人も含めてチームにはパワーヒッターが不在で、松田元オーナーから「岩本を見てくれ」と言われていた。

     逆方向にも長打が打てるし、非常に魅力のある選手だった。2年目には14本塁打。ただ、小器用だったことが、彼にとっては逆にマイナスに働いた。三振を怖がらずにやらせれば良かったが、性格がまじめで、少し悪いと打撃フォームを変えてしまう。苦手なインコースを攻められ、かかと体重になってしまうことで、外角を逆方向に打つ長所までぼやけてしまった。

     昨年引退し、スコアラーに転身。膝の故障も伸び悩んだ一因だと思うが、大成してもおかしくない、紙一重の選手だった。

     カープでは斉藤浩行も惜しい選手だった。81年に東京ガスからドラフト2位で入団。私は83年からコーチとなったが、斉藤は右の長距離砲で、「ポスト山本浩二」として注目されていたことを覚えている。

     ルーキーイヤーに4本塁打。だが、飛躍が期待された2年目のキャンプでイレギュラーした打球を右目に受け、視力が低下してしまった。以来、ファームのデーゲームでは本当に良く打つが、1軍のナイターでは活躍できない。ファーム通算161本塁打は今も破られていない記録だが、1軍では11年間で16本塁打。中日や日本ハムにも移籍したが、目立った活躍ができなかった。

     メンタルの部分に弱点があったのかもしれないが、当時はけがのせいで「鳥目なんじゃないか」とも言われていた。視力などに問題があれば今ならいろいろと対処できることもあるが、当時はそういうこともなかった。「あのけがさえなければ…」という選手はいるものだが、斉藤は特にそう思う選手だった。

     ファームでは敵なしという選手では、巨人の大森剛も同じだった。89年のドラフト1位、慶大から鳴り物入りで入団。だが、巨人の一塁手は外国人やFAで次々と選手が加入してくる。きっかけをつかむチャンスが少なかった。

     ぶざまな三振をすればすぐに2軍落ち。ファームでは不動の4番でも、心理的に余裕がなかったと思う。技術うんぬんではなく、メンタルが原因で壁に当たる選手もいる。近鉄に移籍して活躍した吉岡雄二、日本ハムで花開した大田泰示も巨人時代は同じような心理状態だったのではないか。

     才能ある選手でも、監督の起用法やチーム事情で埋もれてしまう可能性があるのもプロの世界。長い指導者人生では、「あの時、何かできなかったか」と悔やむケースがあることも事実である。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200424-00000078-dal-base

     今季の日本球界最高年俸は巨人・菅野智之の6億5000万円。成績次第で大金が稼げるプロ野球の世界だが、何かと謎も多い。昨年まで巨人で巡回打撃コーチを務め、広島、巨人で指導歴37年、現役を含めて計50年間、プロのユニホームを着続けた内田順三氏(72)に、球界の金銭事情について聞いた。

     ◇  ◇  ◇

    【問1】契約金、年俸はどうやって支払われますか?巨人、広島など球団によって違いますか?

     契約金は12月に半分、翌年1月に半分が振り込まれるケースが多いと聞いたことがあります。昔は「これだけもらえるよ」と本人に現金を見せてプロ野球選手になったことを自覚させた、なんて時代もありましたが、今は銀行振り込み。ドラフト1位の選手の契約金の上限は1億円プラス出来高払い5000万円。そのため、5000万円は入団当初ではなく、「3年間の一軍の登録日数」といった条件をクリアした時点で支払われます。

     年俸はどこの球団も12分割で月給制ではないでしょうか。

    【問2】そのうち、税金でいくら引かれますか?

     例えば年俸1億円の選手なら、半分近い額が税金として引かれます。

    【問3】選手の年俸アップ、ダウンはどうやって決まるのですか?

     かつてはドンブリ勘定だった時代もありますが、今は球団が細かいデータを持っていて、打撃だけでなく、守備の貢献度なども分かる時代。成績、貢献度で決まるといっていいでしょう。ただ、中継ぎ投手の場合、登板数は30試合でも、肩をつくったのに登板しなかった試合が多いこともある。投手コーチが投球練習の数を数えているので、投手が契約更改の時にそういった数字を球団に提示して、ダウン幅を少なくしてもらったという話を聞いたことがあります。

    【問4】コーチの年俸もアップやダウンがあるのですか?

     選手と同じで、複数年契約を結んでいるコーチの年俸は基本的には変わりません。私の場合、広島、巨人での37年間の指導者時代だけでなく、現役も含め、50年間のユニホーム生活の全てが1年契約でした。それでもコーチ時代は、大きく上がったり下がったりはしませんでした。チームの成績が悪かった場合、年俸が下がるより前に、責任を取って辞めることになるのがコーチです。

     広島の古葉竹識監督の時代は、リーグ優勝なら300万円、2位なら200万円、3位なら100万円という「コーチ配当金」がありました。よくカープは年俸が安いといわれますが、こういう手当はありがたかったですね。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200419-00000007-nkgendai-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#48

     私の指導者人生で基礎となったのは、ドラフトで指名した生え抜きの選手を育てていくカープでの経験だった。

     対照的に資金が豊富な巨人は、FAなどの補強を重視してきた。逆指名制度があった1990年代から2000年代、有望な即戦力選手の多くが巨人に入団した。広島は将来性を買って高校生を指名し、育てるしかなかった。

     そんな側面があるから、広島は一軍から二軍まで一貫した指導が求められる。松田元オーナーは「監督は激務だから5年で代える」とはっきり言う。一方で「コーチはカープの財産。だから代えない」と言ってくれる。首脳陣が代われば練習内容だって変わる。

    ■コーチに伝授

     真逆のことを言われることもある。これでは選手は戸惑ってしまう。他球団と比べ、カープはそれが少ない。だから選手が育つのだ。

     2012年から務めたカープ二軍監督時代、朝山東洋(現・一軍打撃担当)ら二軍のコーチに「カープ流」のコーチングを伝授した。マニュアルこそないものの、チームの伝統を新人コーチに伝えるのも古参の私の役目だった。プロで生き抜くために選手には「2つ以上の個性をつくれ」と指導した。二軍のコーチだった頃、新人を見る際には、必ず担当スカウトから長所を聞いておいた。

     例えば、パワーはなくても小技の成功率が高かった巨人の川相昌弘は、長所を磨いたことで、後に犠打の世界記録を作った。逆に岡本和真は、将来の4番に育てるわけで、細かいことをやらせても意味がない。

     近年、巨人の首脳陣は岡本の育成に主眼を置いてきた。私もそうだった。ただし、岡本にアドバイスする時は、他の選手も近くに置いて聞かせるようにした。岡本に向けた言葉でも、参考になることはある。盗んで自分のものにして欲しかったのだ。

    ■ファームに大物がゴロゴロいる環境

     原辰徳監督が復帰した2019年シーズン、巨人は大型補強を行った。私は巡回打撃コーチとしてファームにいたのだが、その影響でゲレーロ、ビヤヌエバといった助っ人勢や陽岱鋼、中島宏之ら、年俸が億単位の大物選手が二軍にゴロゴロいた。若手には酷な環境である。そのため、一軍の首脳陣からは「何打席立たせてくれ」といった要望が多かった。二軍はベテランや助っ人の調整の場として使われることはあるが、育成の場でもあることを忘れてはいけない。

     だからこそ、今季就任した阿部慎之助二軍監督の責任は重大である。育てるという意識を強く持って指導してもらいたいと、私は期待している。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200409-00000009-nkgendai-base

     今季から広島の新コーチに就任した赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)が、若鯉とともに新米コーチとして日々奮闘している。現役時代は俊足巧打と華麗な守備で、多くのファンに愛された赤松コーチが掲げるのは「選手ファースト」。この指導方針を胸に、将来1軍の舞台で活躍する選手の育成に励んでいる。

     ノックバットを持ちながら現役時代と同じ、赤いソックスを見せるクラシックスタイルで練習を見守る。グラウンドでの外野ノックでは、大きな声を出して選手を盛り上げ、明るい雰囲気を作り出す。昨季限りで現役を引退。今季から2軍外野守備走塁コーチを任され、新たなスタートを切った赤松コーチは「サポートという(意味合いの)方が大きい。技術もないし、うまく教えることもできていない」と苦笑した。

     2008年に阪神から広島に移籍。自慢の守備や走塁でファンを魅了した。16年オフには胃がんが発覚。苦しい治療、そしてリハビリ生活を乗り越え、グラウンドに戻ってきた。15年間の現役生活を経て、新たに迎えた指導者としての日々。「選手ファースト、選手ありきのコーチ」。上から目線での指導ではなく、あくまでも選手目線で接していくことを心掛けている。

     選手育成において必要だと思っているのは「試せる場」の提供だという。「プロに入ってきて、能力を試せない選手がいる。練習で評価されて、自分を試せない選手がいる。“試せる場”(を与えること)がベスト」。自身も俊足を武器にプロの世界を生き抜いてきた。選手にはそれぞれ特長があり、それを伸ばす環境作りをしてあげることもコーチの役目だと考えている。

     同時に説くのは「基本」の大切さだ。「(選手は)少年野球で、キャッチボールの基本や打撃での(基本である)左足のステップは教えられるんです。でも本人は忘れていく、応用に行こうとする」。例えば走塁に関して、スタートしなければいけない状況でしない選手がプロには普通にいるという。おろそかになりがちな“基本”だが、赤松コーチは重要視し、徹底させることを貫く。

     担当部門でもある走塁に関しては「成功率を高めていこう」と呼びかけている。コーチ1年目で「毎日が勉強」と先輩コーチから指示の送り方などの助言を受ける。東出2軍打撃コーチからは「バッティングも教えていいから」と言葉をもらった。「いいチームワークだと思う。選手に、そういうのは伝わりますから」とうなずく。

     背番号93のユニホームを着て、若鯉たちへ情熱を注ぐ毎日。選手を尊重し、耳を傾けながら“最高のサポート役”を目指していく。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200405-00000016-dal-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#42

    ■突然の引退勧告

    「代打が中心になるかもしれないが、期待しているから、頑張ってくれ」 日本ハムから広島にトレードが決まった1977年、当時の古葉竹識監督から自宅に電話をもらい、意気に感じた。

     プロ8年目で3球団目。ミート率を上げるため、スイングをコンパクトに変更した。代打に甘んじるわけではない。代打を突き詰めてみようと心に決めた。

     この年の5月、中日・星野仙一から代打サヨナラ2ランを放ったのはいい思い出である。

     78年は3位に終わったにもかかわらず、オフにチームで米グアムに行き、同行した当時の松田耕平オーナー(享年80)から妻ともども声をかけてもらい、感激したのを思い出す。カープは家族的な雰囲気を大切にする。簡単には選手を交換トレードに出さず、見捨てないという伝統がある。

     82年の6月も終わろうかという頃、古葉監督に呼ばれ、「7月から二軍でコーチの勉強をしたらどうか?」と打診された。登録上はまだ選手だが、7月からは「二軍打撃コーチ補佐」として事実上の指導者の道を歩み始めろということだった。まだ現役に未練はあったが、数日間悩んだ末に受けることにした。そこから37年+半年の指導者人生がスタートした。カープで指導者の基礎を学んだ。

     現在の松田元オーナーは「基本的に監督は5年周期だが、コーチは財産だから代えない」とはっきり言う。選手同様、コーチも腰を据えて育成する方針。監督もコーチも、コロコロ代わってしまうと、選手には迷いが生じる。カープにはそれがない。マニュアルはないが、スピード野球などは選手時代に教わっている。コーチの指導はそれほど大きくは変わらない。

    ■スキューバダイビングの重りをつけたことも

     コーチになって、現役時代の失敗を糧とした。自分が抱いた後悔を選手にさせたくない。どんなに才能があろうが、打者は多くバットを振らないとダメ。コーチは選手に飽きさせないよう、継続してやらせることが仕事といえる。

     秋と春のキャンプで毎年同じような練習メニューをさせるのではなく、常識にとらわれないユニークなことはないかと常に考えていた。打撃コーチはアイデアマンであれ。私のポリシーである。

     例えば広島時代は、スキューバダイビングでつける重りを腰に巻いて打撃練習をさせたことがある。体の軸をしっかりさせるため、体重よりさらに負荷を10キロ近くかけるのだ。堂林翔太はこの練習で、腰を回転させる力がつき、スイングスピードが増した。

     巨人の4番・岡本和真は、スタンスが大きくなり過ぎる悪いクセがあった。その矯正のため、両足首にゴム製のバンドを巻いて練習させた。ステップ幅がきちっと保てれば、軸回転で打てるようになる。この練習は、両足の内転筋を鍛える効果もある。両足をゴムバンドで留めてスイングをするのは窮屈だろうが、それも進化への過程である。

     人を指導する立場になった時、私を選手として育ててくれた人をコーチのお手本とした。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200331-00000006-nkgendai-base

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#39

     私が「名伯楽」などと言ってもらえるのも、携わった選手がうまく育ってくれたおかげ。しかし、全員が思い描いたような結果が残せたわけでは、もちろんない。

     名球会に入るような超一流選手にも劣らない才能があったと思う男がいる。

     パワーヒッターでありながら、逆方向にも長打が打てる柔軟性も併せ持っていた。だが、大成しなかった。残念でならないのが、昨季限りで現役を引退した広島の岩本貴裕である。

     広島商では高校通算52本塁打。亜大でも東都大学リーグ歴代4位の通算16本塁打を放った。2008年のドラフト1位で広島に入団。1991年の町田公二郎以来となる大卒野手の1位で、金本知憲の背番号10を引き継いだ。

     地元出身の左の和製大砲への期待の大きさは、新球場のフェンスの高さにも表れた。ちょうど入団1年目の09年に開場予定だったマツダスタジアムの左翼ポール際のフェンスは当初、7メートルの「グリーンモンスター」にする計画だったと聞く。それが、左打ちでも左翼方向への長打が持ち味だった岩本を獲得することが決まり、右翼と同じ3・6メートルに急きょ変更した経緯があるそうだ。

     打撃統括コーチだった私は、松田元オーナーから直接「岩本を見てやってくれ」と頼まれていた。1年目から二軍のほぼ全試合に4番で起用。最終的に二軍ではリーグ2位となる14本塁打を放った。これは二軍にいる選手ではない――。そう感じた。何とか一軍に行かせようと、私も周囲も躍起になった。しかし、インコースが苦手という弱点が、はっきりしていた。

     10年からは一軍で出場機会がもらえるようになり、ノーステップ打法で14本塁打。大器の片鱗を見せ始めたが、11年に膝を故障し、レギュラー定着の機会を失った。苦手なインコースを意識するあまり、どうしてもかかと体重になってしまう。開きが早く、ボールの見切りも早いから変化球に対応ができない。ボール球に手を出すという悪循環だった。さらにアウトコースを逆方向に飛ばすという長所にも影響が出始めた。

     1打席限定の代打向きではなかっただけに、レギュラーをつかめない選手は出番を失う。緒方孝市監督が就任した15年からは出場機会が激減した。

    ■足りなかった「再現性」

     間違いなく才能はあった。しかし、それとは別にプロで活躍するための「再現性」が欠如していた。好調を維持する持続力がなかったのだ。

     チャンスをもらった時、重圧をはねのけ、自分の持てる力を発揮できるか。首脳陣からの期待に応えられるか。考え込んでしまうマジメな性格も災いした。紙一重、あと一歩だった。育て切れず、申し訳なかった。

     今年から広島のスコアラーとして第二の人生を踏み出している。野球を勉強して球団に恩返しして欲しい。

     次回は自分のことを振り返りたい。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200324-00000007-nkgendai-base

    【核心直撃】“オレ流”で強竜打線復活だ――。昨季まで楽天の二軍打撃コーチを務めた中日の栗原健太一軍打撃コーチ(38)が得点力アップに燃えている。参考にしているのが元中日監督の落合博満氏(66=評論家)で、待ちのスタイルを貫こうとしている。その“教えすぎない教え”の極意とは何なのか直撃した。

     ――指導する上で心掛けているものは

     栗原 理想は選手の方から聞いてくること。打撃練習を見ていてこっちが気づいてもすぐには言わない。タイミングが合ってないとか、体が開いているなとか、選手なら自分で分かっているはず。それを「今どうですかね」と言ってくれば、こっちからどうやって修正したらいいかを言ってあげられる。

     ――待ちのスタイルにしたきっかけは?

     栗原 僕の経験上で若いときに首脳陣も球団も期待してくれて、何とかしようこの子をとなって、いろんなことを言われる。ケージに入って打っているときに「今はこうなってるぞ、こうだぞっ」て。それが集中できなかった経験があった。現役のときにされて嫌だったことはしないようにしている。

     ――現役時代に球宴で当時の落合監督に質問しに行ったりしていたようだが

     栗原 球宴に出た2007年、09年、11年と3回とも「打撃を教えてください、お願いします」と聞きに行った。決まって「どこが悪いんだ」と逆に聞いてくる。そこでちゃんと説明したら「こうやってみたら」と言ってくれた。やっぱりいい意味で人と視点が違ってた。僕は右肩が下がる癖があったけど、いいときは平行でしっかり回れたけど、ヒジをけがして痛めてから痛いから少し下がってしまって…

     ――落合氏はなんて

     栗原 普通だったら平行に直そうとするけど「そのままでいいじゃん」って。ただ「その代わりに全部センターから右方向へ狙って打ってみろ。インコースでもセンターへ全部打ち返すつもりで打ちなさい」と言われた。右肩が下がるメリットとして右方向へ打てる。すべてがダメなわけじゃない。逆に引っ張り込もうとして左に打とうとするとかぶってしまうからダメだと気づいた。

     ――なるほど

     栗原 そのアドバイスがすごく良かった。いつも球宴明けはなぜか本当に調子が良かった。

     ――落合氏の教えを守っているというわけだ

     栗原 それが理想とかそれがすべてではないけど、自分にとってはいいアドバイスをいただいた。

     ――好機で打てない打線をどう指導するのか

     栗原 チャンスのときほど超積極的に行くべき。自分の狙い球をここと決めたらそれに対して一発で仕留められるように集中力を高めることが一番大事になってくる。精神的な部分。技術的なことじゃない。

     ――やっぱり打撃コーチはやりがいがある

     栗原 特に打撃コーチは難しい。いいバッターでも7割失敗する。守備や走塁はやればうまくなる。打撃は今良くても、ちょっとしたら悪くなったりして難しいですね。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200320-00000019-tospoweb-base

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