広島カープブログ

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    前田智徳

    【名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」】#25

     前田智徳のティー打撃は芸術的だった。正確性、再現性が高く、試合前に巨人の松井秀喜が見入ったほどだ。右足を高く上げたり、反動を使うことはない。基本に忠実な、シンプルなすり足打法。前の壁をしっかりつくり広角に打つ。右膝付近を攻められて壁を崩されたり、足場を動かされるのを嫌がった。

     前田の打撃を認めていた落合博満や松井も大きな反動を取らない。前田は球を呼び込んで足場を固めて振る。打ちにいきながら振る野村謙二郎とは真逆のタイプである。

     こだわりも強かった。

     一軍のレギュラーになってからは、打撃練習でも自分のルーティンをこなすまではフリー打撃を行うケージに入らない。その前のティー打撃で、片手ずつのスイングを何本、両足をベタ着きして何本、ステップしながら何本……。その他にも独自のメニューがあった。それを全てこなしてからフリー打撃を行う。だから前田のフリー打撃の順番は、後ろに回していた。坂本勇人、山田哲人といった好打者には独自のルーティンがあるものだ。

    ■「野球が楽しくありません」

     そんな前田も1990年の入団当初は弱音を吐いた。私は二軍打撃コーチだった。

    「楽しくありません。こんな感じだとは思いませんでした」

     山本浩二監督がチームを変えようと厳しくやっていた頃だ。2時間もアップをするからヘトヘトになる。コーチもピリピリしていた。前田は「テレビで見る分には一軍は楽しそうだった」と言う。実際は全然違うと言うのだ。

    「だったらおまえはレギュラーを取れ。この世界は18歳でも19歳でもポジションを取れば周囲はいろんなことをしてくれる。グリーン車にだって乗れるんだ。自分の思うような野球環境はつくれる。それにはレギュラーを取らなきゃいけないんだ」

     野球が職業になり、楽しくなくなったという。若い頃からそんな難しい一面があった。

    「孤高の天才」といわれ、他の選手と話をすることはあまりない。誰かと食事に行ったり、つるむのを好まなかった。

     例えば、東京遠征で先輩と食事に出かければ、食事を済ませただけで「じゃあ、失礼します」と帰るわけにはいかない。「2軒目に行くぞ」と言われたら、ついていくしかない。ある選手に聞いた話では「前田は誘っても断るんですよ」と言う。食事代は先輩が払ってくれるが、「自分の時間を大事にしたい。それくらい自分の金で食べます」が持論。10代の頃から堂々と誘いを断っていた。

     前田に打撃のアドバイスをした覚えはあまりない。バットを振らせたり、メンタル面の話をしたことが多かったように思う。チーム内で孤立しないよう、なるべく話をするようにした。

     2007年に2000安打を達成したが、アキレス腱を断裂するなど故障に苦しめられた晩年は、オフをつくらず、トレーニングに没頭していた。同じ高卒選手でも対照的なのは、体が強かった江藤智である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200226-00000008-nkgendai-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#19

     同い年の緒方孝市にライバル心を燃やしていた金本知憲も思い出深い。

     東北福祉大から1991年のドラフト4位で入団。1、2年目は二軍暮らしが続いた。広島は二軍の遠征費用を抑えるため、野手4、5人を残留させていた。金本は遠征メンバーに入れず、留守番となったことがある。当時、ウエスタン・リーグの日程は、大阪で阪神、近鉄と戦い、1週間ほどで帰広することが多かった。二軍打撃コーチだった私は、実際にやるかどうか半信半疑で、こう言い残し、遠征に向かった。

    「残留組は1日1000スイングがノルマだぞ」

     金本はそれを忠実に実行し、毎日1000回振っていたそうだ。残留組の練習に付き添った川端順二軍投手コーチから後になって聞いた話だ。金本個人に言ったわけではない。残留組の全選手に向けた言葉だったが、守ったのは金本だけだったという。

     大卒なのに……という反骨精神に火がついたのだろう。1年目から一軍で49試合に出場、専大からドラフト1位入団で同期の町田公二郎にもライバル心を燃やしていた。

    ■「モグラ殺し」

     二軍でくすぶっていた金本は非力だったため、「転がして足を生かせ」と言うコーチもいた。外野守備では送球を地面に叩きつけてしまうことが多く、「モグラ殺し」という、うれしくない異名も頂戴した。それでも、走力はあり、身体能力も高かった。打撃は内角への対応はまだまだだったが、逆方向の左中間へ鋭い打球が飛ばせた。化ける要素はあった。

     当初は内角球を打つ際、右肘や右肩が上がってしまっていたため、グリップを意識的に膝元に落とすことで、脇を締めようとしたのだ。

     悔しさをバネにした。自分の体力的な弱点を克服するため、シーズン中もオフも、広島市内にあるジム「アスリート」に通い、ウエートトレーニングに力を入れた。筋力を蓄えることで、車でいうエンジンの排気量が上がっていった。パワーがつき、打球に力強さが加わった。金本のトレーニング法が後輩の新井貴浩や鈴木誠也らに引き継がれ、カープの伝統になった。先駆者として金本が残した功績といえる。

     94年に三村敏之監督(享年61)が就任すると、レギュラーに定着した。金本の体の強さや試合を休まない根性を買っていた。三村監督には「ケース・バイ・ケース」というカープのチームに貢献するための打撃を叩き込まれた。阪神にFA移籍し、星野仙一監督に「阪神の4番なんだから自由に打て」と言われても、根底には「チーム打撃」という考えが染みついているように見えた。金本は三村監督がつくり上げたといっても過言ではない。

     その金本と師弟関係だったのが新井である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200204-00000008-nkgendai-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#18

     私が広島の二軍打撃コーチを務めていた1990年ごろのこと。広島市民球場近くに新築した自宅が「練習場」に変わった。

     秋季キャンプを終えた後、12月から翌年1月まではどの球団も全体練習ができない。しかし、この間、若手を遊ばせてしまっては、レギュラーとの差は縮まらない。球団は自主練習を望む選手のために、私の自宅の駐車場にネットを張り、若手が打撃練習できる環境を整えたらどうか? と打診してきた。

     せっかく家を建てたのだ。最初は拒んだが、折れない球団は、30万円ほどで2階まで届く大きなネットを購入した。業者が来てボールが飛び散らないよう、カーテン式に設置。やるしかない環境が整った。

     ただ、早朝から住宅街にカンカンとボールを打つ音が響いてしまう。近所迷惑になるため、妻が菓子折り持参で頭を下げて回った。

     93年オフ、私は翌シーズンから巨人のコーチになることが決まっていた。巨人の寮に住み込む直前まで、熱心に通ってきたのが、2016年からリーグ3連覇を果たし、昨季まで5年間監督を務めた緒方孝市だ。

     当時は24歳。まだ一、二軍を行ったり来たりの代走、守備要員だった。朝の9時から昼までティー打撃。その後は風呂場でシャワーを浴びて、我が家で昼食を取る。午後は筋力トレーニングに励むのが日課だった。

     緒方は当時から無口。私の妻は「あんな口数が少なくて線の細い子がプロでやっていけるのかしら」と本気で心配していた。しかし、その後すぐに一軍のレギュラーに定着。95年から3年連続で盗塁王になった。

     現役引退後、10年は一軍野手総合コーチ、11、12年が守備走塁コーチ、13年は一軍打撃コーチ、14年はヘッド格の一軍野手総合ベンチコーチを歴任した。さまざまなコーチを経験してから監督に就任したのが、16年からの球団初のリーグ3連覇につながったと思う。

    ■まっすぐでも意思も性格もまるで石

     元スカウト部長の村上孝雄さん(享年79)に発掘された。主に九州地区担当で他のスカウトも一目置く人物だった。指名に携わった選手は、他にも北別府学、津田恒美、前田智徳など名選手が多い。義理堅い緒方は、村上さんを「恩人」と慕っていた。

     現役の頃から人と群れるのを好まなかった。まっすぐで意志も性格も石のように固い。その後、中心選手になり、「あんなに努力したから今があるんだよ」と、かつて菓子折りを配った近所の人たちは喜んでいた。昨季まで現役から合わせて33年間ユニホームを着続けた。しばし休息を取って欲しい。

     同い年の緒方をライバル視していたのが金本知憲である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00000006-nkgendai-base

    dvdu005467

     広島・小園海斗内野手(19)が16日に廿日市市内の大野練習場で合同自主トレに参加し、球団史上初となる高卒2年目以内でのシーズン2桁本塁打に意欲を示した。ドラフト制以降の高卒2年目では1990年江藤智の5本が球団最多。年始にピラティスを導入するなど肉体改造に着手し、昨季4本塁打からの大幅増を期した。

     遊撃の定位置奪取の先には、赤ヘル史への挑戦が待っている。小園は合同自主トレ内でのフリー打撃にとどまらず、マシン打撃を追加して約50分間にわたって振り込んだ。会沢ら主力組はマツダスタジアムが拠点で、同じ大野練習場にいた新人らと比べて打球の質の差は明らか。確かな手応えのまま、今季目標を具体的な数字で示した。

     「本塁打は狙ってないし、そう簡単には打てない。ただ去年は後半戦で4本打てた。今年は10本、2桁を目指して頑張りたい」

     ドラフト制以降で高卒2年目での球団最多本塁打は90年江藤智の5本。三村敏之(3本)、前田智徳(4本)ら高卒入団で飛躍した歴代の先輩も2桁には届いていない。昨季は58試合で4本塁打。合同自主トレを視察した東出2軍打撃コーチからも「今日のメンバーでは群を抜いている。最終的には20発打てるようになってほしいし、最初から形にこだわって小さくなってほしくない」と発破をかけられた。

     肉体改造を目指し、年始には大阪府内でピラティスを初体験した。体幹を含めた筋力強化や柔軟性向上につながり、同僚の西川も日本ハム・近藤らとの合同自主トレで導入している。

     「弱いところを中心にやったので、かなりキツかったです。体幹が強い方ではないし、夏場にバテて1年間やれる体力がなかった。シーズン中にもやれたらいいな…と思っています」

     前日15日には遊撃を争う田中広が「タナキクをもう一度全国の皆さんにアピールできるようにしたい」と宣言したばかり。小園も遊撃にかける思いでは負けられない。「まだ自分の実力では無理なので、少ないチャンスをモノにしたい。一つのポジションをつかめれば、ずっと試合に出られる。遊撃を獲りにいくつもりで頑張ります」。し烈な定位置争いが成長速度をさらに速めるだろう。(河合 洋介)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-00000056-spnannex-base

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    学生野球資格回復研修が13日、都内で行われた。プロ経験者が学生野球を指導するために義務付けられた研修で、15日まで行われる。


       ◇   ◇   ◇

    元広島の前田智徳氏(48)はわが子への指導を前面に出した。資格回復の目的については「息子が野球をやっているもので」と、次男の慶応高・晃宏投手(1年)の存在を出した。「回復できれば(練習見学した際の)不安がなくなる。気兼ねなく見に行けますから」と言って、子煩悩な面を見せた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191213-12130697-nksports-base

     11月2日(日本時間3日)に開幕した「第2回 WBSCプレミア12」。来年に控える東京五輪の前哨戦となるこの大会で、稲葉篤紀監督率いる野球日本代表「侍ジャパン」は悲願の優勝を目指し、戦うことになる。11月5日、台湾・桃園市でのオープニングラウンド初戦でベネズエラと対戦する予定だ。


     この大会を中継するテレビ朝日系列で解説を務めるのが、元広島の前田智徳氏。かつて“天才打者”と称された前田氏がFull-Countの単独インタビューに応じ、今大会に臨む侍ジャパンについてや見どころなどについて語った。

     2015年の前回大会は3位に終わり、悲願の世界一を逃すことになった侍ジャパン。今大会こそは頂点に立ち、そして来年に控える東京五輪に向けて弾みをつけたいところだ。そういった国際大会で必ずと言っていいほど侍ジャパン打線に突きつけられる課題が、外国人投手が投げる”速く動くボール“への対応。前田氏によれば、こういったボールへのアプローチは右打者と左打者では異なるという。

     打者にとって手元で“速く動くボール”とは、どれほど厄介なのか。“天才”と称された前田氏は「見極めが難しいですよね。ピッチャーによって曲がりが遅かったり、速かったりするんです。そのボールを引きつけて我慢してポイントを近くしないといけないのか、もしくは曲がる前に捉えるのか」と語る。

     そして、そういったムービングファストボールへの対応の仕方は「右バッター、左バッターで変わってきます」と前田氏は言う。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191104-00591404-fullcount-base

     11月2日(日本時間3日)に開幕する「第2回 WBSCプレミア12」。来年に控える東京五輪の前哨戦となるこの大会で、稲葉篤紀監督率いる野球日本代表「侍ジャパン」は悲願の優勝を目指す。侍ジャパンは11月5日、台湾・桃園市でのオープニングラウンド初戦でベネズエラと対戦する。


     この大会を中継するテレビ朝日系列で解説を務めるのが、元広島の前田智徳氏。かつて“天才打者”と称された前田氏がFull-Countの単独インタビューに応じ、今大会に臨む侍ジャパンについてや見どころなどについて語った。

     各球団からの精鋭が集う侍ジャパン。今回のメンバーに関しては宮崎合宿初日に楽天の松井裕樹投手、森原康平投手の2人が辞退し、その後、日本シリーズを戦っていたソフトバンクの千賀滉大投手も右肩違和感により辞退となった。相次ぐ変更があったメンバー構成について、前田氏は「現時点ではベストのメンバー」という。

    「菅野くんであるとか、千賀くんであるとか、みんなが健康であれば、もっとベストのメンバーが集まったとは思いますが、現時点ではこのメンバーがベスト。選手たちは1年間戦って、目一杯優勝のためにやってきている。投手、野手含めて疲労があるということでどうしても難しいところはあります」

     やはりシーズン終了後に行われる侍ジャパンの活動には難しさがつきまとうと前田氏は指摘する。

    「シーズン終わってこうやって集まるというのは、疲労が残っていたり、いいパフォーマンスが出せない中で、代表に無理して行くと迷惑がかかってしまうということも選手は考えると思います。体はできているんですけど、疲労は凄く溜まっている。シーズンをなんとか乗り切ったという選手もいるでしょうしね」

    「WBCとも違った部分で難しいところがあると思いますね。WBCであれば、シーズン前の時期で調整が難しい。まだ体が仕上がってない段階で、気持ちが高ぶりすぎるという難しさもあります。全部がパーフェクトに揃うということはなかなかないと思います。その中で代表メンバーには、しっかりと1つになって戦ってもらいたいと思っています」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191102-00593753-fullcount-base

     広島の緒方孝市監督監督(50)が2019年10月1日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの退団を発表した。

     今季は球団初のリーグ4連覇を目指してスタートを切ったものの、開幕から5カード連続の負け越しでつまずきスタートダッシュに失敗。レギュラーシーズン最終戦までAクラス残留をかけての戦いが続いたが、チームは2015年以来の4位でシーズンを終えた。緒方監督はこの責任を取る形でユニフォームを脱ぐことになった。

    ■過去、指導者経験なしの監督はミスター赤ヘルのみ

     緒方監督の退任に伴い、チームの再建が急務となったフロント。来季に向けての第一歩となるのが新監督の選定だ。鯉党からは前監督の野村謙二郎氏(53)の復帰待望論が根強く、リーグ3連覇の土台を作った実績は評価が高い。理路整然とした野球論にも定評があり、「実績」、「知名度」、「期待度」は他の監督候補らの上を行く。

     「知名度」でいえば、広島、ヤンキースなどで活躍した黒田博樹氏(44)も群を抜く。MLBで複数球団からオファーがあったものの、それを蹴って2014年に古巣・広島に復帰。黒田の「男気」は多くの野球ファンから称賛された。また、現役時代「孤高の天才」と称された前田智徳氏(48)のカリスマ性、昨年引退した新井貴浩氏(42)のリーダーシップは高く評価されている。

     ただ、黒田氏ら3人に共通しているのが指導者の経験がないこと。前田氏は2013年に一軍の打撃コーチ補佐と選手を兼任していたが、指導者としての実績はほとんどない。黒田氏、新井氏もまた、引退後はスポーツ紙の評論家や野球解説を務めるなど、ともに現在は現場から離れている。広島の歴史を紐解くと、指導者の経験がなく、いきなり監督になったのは事実上、ミスター赤ヘル・山本浩二氏(72)だけである。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191001-00000007-jct-spo

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