広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    北別府学

     広島が今季限りでの現役引退を表明した黒田博樹投手(41)の背番号「15」を永久欠番とする方針を固めたことが30日、分かった。

     広島では、ともに1970~80年代の黄金期を代表する強打者だった山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」が永久欠番となっている。

     黒田は1997年から広島で11年間プレーした後、フリーエージェント権を行使して米大リーグのドジャースに移籍し、ヤンキースでも活躍。メジャー球団からの高額オファーを断って、広島に昨年復帰し、今季は25年ぶりのリーグ制覇に貢献した。日米通算で203勝を挙げている。

     球団幹部は「苦難の歴史と優勝を経験した黒田が、(広島に復帰して)お金以外の価値観があるという一石を投じてくれた」と話した。 

    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161030-00000086-jij-spo

     広島の黒田博樹投手(41)が今季限りで現役引退すると発表したことを受け、元広島のエースで野球解説者の北別府学氏(59)が自身のブログを更新。「何ともすごい引き際」と先輩として拍手を送った。

     北別府氏は「黒田の引退に思う」のタイトルでエントリー。この日はクライマックスシリーズを終え、日本シリーズを控える束の間の休みとあって、マスコミ関係者を中心としてメンバーで釣りに行っていたという。

     ところが、「瀬戸内海で釣り糸を垂らしていたら、皆の電話が鳴りだした」と黒田の引退発表を受けてその場が騒然。北別府氏にも緊急の出演依頼があったことから途中で釣りをやめて陸に上がることになった。

     「黒田引退の知らせに皆が慌てふためいた」と振り返った北別府氏。「何ともすごい引き際。男として惚れるほどに。野球人として嫉妬するほどに。退き際まで伝説となる黒田投手です」と最大級の賛辞を送った。現役時代には黒田を上回る通算213勝をマークした元大エース。その北別府氏でさえ嫉妬するほど見事な黒田の引退発表となった。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161018-00000145-spnannex-base

     (セ・リーグ、広島3-1ヤクルト、25回戦、広島17勝8敗、1日、マツダ)広島は1日、ヤクルト最終戦(マツダ)に3-1で勝利した。先発した黒田博樹投手(41)が7回を6安打1失点で、日本球界復帰から2年連続の2桁勝利となる10勝目(8敗)を挙げた。

     広島・黒田が国内復帰した2015年(40歳=11勝)に続く8度目の2桁勝利。41歳以上のシーズンに2桁勝利を挙げたのは、08年の中日・山本昌(43歳=11勝)以来、8年ぶり5人目(7度目)。右腕では1949年の阪神・若林忠志(41歳=15勝)、90年のロッテ・村田兆治(41歳=10勝)に次ぐ26年ぶり3人目。

     40歳以上のシーズンになってから2年連続で2桁勝利をマークしたのは、48-49年の阪神・若林(40歳=17勝、41歳=15勝)、04-05年の巨人・工藤公康(41歳=10勝、42歳=11勝)に次ぐ11年ぶり3人目で、右腕では若林以来67年ぶり2人目。

     広島で2桁勝利を8度以上記録したのは、北別府学(13度)、長谷川良平(10度)、外木場義郎(8度)に次ぐ4人目。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161002-00000510-sanspo-base

     25年ぶりのセ・リーグ優勝を記念し、商店街を市民ら1600人が練り歩く「ちょうちん行列」が30日、広島市内で行われた。

     1975年の初優勝にも見られた光景で、41年ぶり2度目。「Carp」のロゴが入った赤いちょうちんを手に、特製Tシャツを着用し、応援歌を歌いながら約1キロを歩いた。

     OBの安仁屋宗八氏や池谷公二郎氏、大野豊氏らも参加し、市民と喜びを分かち合った。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160930-00000079-dal-base

     25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島カープの選手に関する「珍しい名字ランキング」を12日、「名字由来 net」(リクルーティングスタジオ)が発表した。

     ベスト3は、「梵(そよぎ)」、「堂林(どうばやし)」、「會澤(あいざわ)」がランクイン。梵は全国で10人しかいない非常に珍しい名字で、現在の広島県西部である安芸が発祥といわれている。

     広島の選手、コーチには珍しい名字が多く、4位以下も一岡、畝、大瀬良、天谷、迎、丸、東出、薮田、高と全国で1万人を切る名字が並んでいる。

     ちなみに今年大ブレークした若手の田中、鈴木は全国でそれぞれ134万人、180万人にいるメジャーネーム。神っている鈴木だが、珍しい名字ランキングでは最下位だった。

     なお、ランキングは監督、コーチのほか、選手は9月2日時点での1軍出場登録選手が対象。外国人選手は対象外。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160912-00000038-dal-base

     「巨人4-6広島」(10日、東京ドーム)

     広島カープがついに、ようやく、25年ぶりにリーグ優勝を手にした。12球団で最も遠ざかっていた頂点。就任2年目の緒方孝市監督(47)が7度、宙を舞った。

      ◇  ◇

     年のせいではないだろう。涙が自然と流れた。なにせ25年ぶりの優勝だから。緒方監督をはじめコーチ、選手、裏方さんや球団関係者、カープに関わったみんなにありがとうと言いたい。松田オーナーはもちろん亡くなった先代オーナーも喜んでいるだろう。ワシをはじめOBも大喜びじゃ。

     今年は春季キャンプに臨時コーチとして参加させてもらった。キャンプでは「あいさつと笑顔を忘れるな」と何度も言った。それがチームワークにつながると思ったから。

     シーズン中、野村が内野手にミスが出てムッとした表情を見せたことがあった。同じ投手として気持ちは分かる。ただ、翌日「あんな顔をするな。“もう1回行くよ”と声をかけろ」と注意した。その後は味方が失策を犯しても声をかけていた。今季は攻撃陣が良かったが、野球は持ちつ持たれつの部分がある。その点ではチームが一つにまとまっていた。

     1997年限りでユニホームを脱いで評論家になった。05年に現場に戻ったが、それ以外の年は開幕前の順位予想で「カープ優勝」と言ってきた。意地になった部分もあるし、優勝してほしいという願いもあった。信じてきてよかった。

     思い返せば沖縄から広島に来て半世紀。言葉も違えば風習も違う。野球を辞めたら沖縄に帰るつもりでいた。

     75年の初優勝時は阪神にいた。カープを見返そうと頑張ったが、最後はカープのユニホームで現役を終えたかった。ちょうど黒田や新井のように。現役を終えてコーチまでさせてもらい、今も野球に携わることができている。

     ワシの人生はカープなくしてなかったこと。先輩や後輩に恵まれた。それだけにカープへの思いは強い。今はOBとしてじゃなく、一番のカープファンと思っている。

     今季はチーム一丸で勝ち取った優勝。みんなで勝利の美酒に酔いしれてほしい。ただ、ここがゴールじゃない。キャンプ最終日に「日本一」と言った。カープファンの思いを成就してもらいたい。(広島カープOB会長、デイリースポーツ評論家)



    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160911-00000035-dal-base

    <25年ぶりVへ:わしらはみんな広島じゃけん>

     プロ野球広島カープが前回優勝した25年前、その優勝決定を実況した地元アナウンサーにスポットを当てる。1991年(平3)10月13日、旧広島市民球場の阪神戦。当時、広島テレビ(日本テレビ系)のアナウンサーだった加藤進氏(69)は、優勝に立ち会った実況アナとしてあの言葉を忘れていない。


     あのときの記憶は驚くほど鮮明だ。「ミスター赤ヘル」といわれた山本浩二監督が何度も宙に舞う。91年10月13日。旧広島市民球場での阪神とのダブルヘッダー第2試合。広島が1-0で阪神を下した瞬間、実況を担当した加藤氏は「勝った!」と叫んだ。

     「最後はよく覚えてます。ストッパーの大野が三振を奪うと、捕手達川がマウンドへダッシュした。予定稿を考えていましたが、ああいう瞬間って、吹っ飛びますね。思わず出た言葉が『勝った』。あのときのファンの気持ちを表した短くて、パンチ力のある言葉だったのではないかなと思います」

     当時の流行歌はKANの「愛は勝つ」など。SMAPがCDデビューした年でもあった。山本監督は就任3年目での初優勝となり、地元での胴上げは12年ぶりだった。

     「これまで6度の優勝のうち地元Vは2度ある。実は2度ともテレビの実況を担当したのは私です。これ、自慢です(笑い)」

     79年(昭54)10月6日、同じ旧広島市民球場で古葉竹識監督率いる赤ヘル軍団が阪神に勝ち、2度目のリーグ優勝を果たした。その試合を実況したのも加藤氏だった。「地元胴上げアナ」と言われることもある。

     「これはもう運なんです。広島にはNHKを含めて5局ある。単純に言っても優勝が決まる本拠地の試合を放送できる確率は5分の1。しかも本拠地でなければ地元のアナウンサーが実況できない。すごい確率なんです。だから宝くじに2度も当たったようなものです」

     69年(昭44)に広島テレビに入社。アナウンサーとして広島のすべての優勝にかかわってきた。新幹線にチームと同乗し、吉報が届いた瞬間をリポートしたこともあった。広島への思いとアナウンサー人生を重ね合わせた。

     「カープの優勝は私の人生だった」

     12球団で最も歓喜から遠ざかる四半世紀ぶりの優勝へ-。加藤氏の後輩アナへの思いは強い。「どこの局でもいい。地元のアナウンサーに本拠地マツダスタジアムで実況してほしい。それが新しい歴史になる」。「勝った!」。その瞬間を自らの言葉で伝えてほしい。【松浦隆司】

     ◆加藤進(かとう・すすむ)1947年(昭22)1月21日、滋賀県生まれ。中学2年のときに広島市へ転居。広島大を卒業後、69年広島テレビに入社。プロ野球中継を担当し、報道制作局アナウンス部長を歴任。07年定年退職。現在は安田女子大(広島市)の非常勤講師として日本語と映像文化を教えている。


    引用元 http://www.nikkansports.com/general/news/nikkan/1704804.html

    <91年C戦士エール 川口和久氏>

     91年のチームも、いいチームだった。選手同士の距離が近く、遠征の試合後、それぞれに連れだって食事に出かけた。宿舎に残っているような選手は皆無だった。個性の強い投手王国のチーム。「コントロールの北別府」。「7色の変化球の大野」。そして「ノーコンの川口」。それぞれが能力を発揮した。「僕はノーコンって知られていたから、死球を当てても怒られなかった。北別府(学)さんが当てると、みんなすごく怒るのにね」。川口は懐かしそうに振り返った。

     きつい練習に裏打ちされたチームだった。キャンプではベージュのユニホームのズボンが、赤く染まった。「当時はみんな赤いグラブを使っていて、その染料が付いちゃうんだよね」。2時間かけてアップし、100球を超えてからがピッチングだという教えのもと、連日の投げ込み。キャンプ期間だけで2500球はゆうに投げた。練習を苦に思う選手は試合に出られなかったし、いなかった。

     三篠の選手寮に住んでいた当時、門限は午後10時半だったが、1軍選手だけ、それよりも遅い時間に食事に行くことを黙認されていた。食事をして深夜2時過ぎに帰ったある日、玄関脇のミラールームに、汗だくでバットを振る高橋慶彦がいた。「食事から帰って来て、ひらめいたものがあったんだろうね。翌朝もバットを振っていた。そういう伝統を正田(耕三)とかが引き継いだんだと思う」。練習の虫だらけのチームだった。

     よく練習し、よく遊んだ。そして、よく通報された。広島のスナックで津田恒実と飲んだ翌朝「昨日の夜、2時ごろに川口と津田を見かけたぞ」と球団に電話がかかってくる。チームを思う市民の愛情だった。ファンの層が今とは違った。「おっちゃんばっかりだったもんね。負けてるとやじられた。今はカープ女子。かわいい子がいっぱいでいいよね」。当時は巨人の堀内恒夫が紙コップに入った小便を投げつけられるという“事件”まであった。

     そんな市民球場だったが、特性は川口にピッタリだった。スラリとした長身で体脂肪率が10%以下。極端に寒がりな体質だったが、暑さにはめっぽう強かった。「瀬戸の夕凪(なぎ)って言って、夕方、市民球場の風がピタッと止まるんだ。それが気持ちよくってね」。周囲が暑苦しさにもだえるような気候こそ、川口は大好きだった。夏場に勝ち星を稼ぎ、91年も7月中旬で首位と7・5差の4位から、逆転優勝に導いた。

     家族の事情もありFAで巨人に移籍したが、それほど愛し、愛された広島を嫌いになるはずがない。「14年間お世話になって、骨を埋めるつもりだった。巨人でコーチをやってた時も、いろんな思いがあった。今年は新井、黒田という軸が、いい影響を及ぼしている。広島の町が25年ぶりに元気なのはいいことだね」。川口の言葉には、広島への感謝の気持ちがあふれていた。(敬称略)【竹内智信】

     ◆川口和久(かわぐち・かずひさ)1959年(昭34)7月8日、鳥取市生まれ。鳥取城北からデュプロを経て80年ドラフト1位で広島入団。86年から6年連続2ケタ勝利を挙げ、91年には最多奪三振のタイトルを獲得。巨人戦通算33勝31敗で巨人キラーと呼ばれた。94年オフにFAで巨人に移籍。11年から14年までは巨人の投手総合コーチを務めた。通算435試合139勝135敗4セーブ。左投げ両打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160906-00000075-nksports-base

     広島が26日の中日戦(ナゴヤドーム)に、3―2で今季39度目の逆転勝ち。巨人がDeNAに敗れたため、優勝へのマジックは2つ減って「16」となった。1点を追う8回、鈴木の内野安打で同点とすると、9回一死満塁の場面で菊池が左前適時打を放ち試合を決めた。

     3試合連続となる劇的な逆転劇には、緒方監督も「連日連夜、野手の気迫、集中力でチーム一丸となってベンチスタートの選手も含めて勝ち取った勝利」と目尻を下げた。伝説の年である「1984年超え」も現実味を帯びてきた。広島は過去6度の優勝を誇るが、最も貯金が多かった年が84年の「貯金30」。今季はすでに「貯金27」としており、今のチーム状況を見る限り、32年ぶりの記録更新は時間の問題だ。

     それでなくとも今季と「広島最強イヤー」と呼ばれる84年との共通項は多く、赤ヘルファンの間では「最強イヤーはどっち?」という議論にもなっている。

     84年は山根、北別府、大野、川口らの投手陣を、山本浩、衣笠を中心とした強力打線が援護した。山本浩が2000安打を達成してチームを勢いづかせれば、小早川が新人王に輝くなど、若い力も台頭した。

     一方、今季は野村、ジョンソン、黒田らの投手陣を、ベテランの新井を中心とした強力打線が支えている。新井の2000安打、黒田の200勝という大記録もあれば、4年目・鈴木も大ブレーク。その鈴木が2試合連続サヨナラ本塁打を放って「神ってる」と言われるようになったが、広島の2試合連続サヨナラ本塁打は、84年に巨人の西本、江川から放った長嶋清幸以来のことだった。

     そんな「広島最強イヤー論争」に決着をつけるためにも、白星を積み重ねていきたいところだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160827-00000008-tospoweb-base

    このページのトップヘ