広島カープブログ

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    古葉竹識

     熊本応援企画「川上哲治特別展」が開催されている野球殿堂博物館の殿堂ホールで8日、元広島監督の古葉竹識氏を招いて新春トークイベントが行われた。

     川上氏と同じ熊本県出身の古葉氏。広島入団1年目の58年、巨人戦で安打を打って出塁し、一塁ベース上で「神様」に「私も熊本です」とあいさつしたエピソードなどを披露した。予定を軽くオーバーして2時間超となったトーク。最後は「カープは去年のように打線が援護すれば、V2の可能性は高い」と締めた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170109-00000044-spnannex-base

     広島カープOB会の総会と懇親パーティーが3日、広島市内のホテルで行われた。今季限りで現役を引退した広瀬純氏をはじめ約40人のOBと2、3軍首脳陣、球団職員OBら約140人が出席し、25年ぶりリーグ優勝の話題や昔話に花を咲かせた。

     安仁屋宗八OB会長(72)=デイリースポーツ評論家=は「今年はカープに始まりカープに終わった年。カープOBとして自慢できる。来年は今年できなかった日本一を勝ち取ってもらいたい」とあいさつ。優勝旅行中の緒方監督からのメッセージも読み上げられた。また、野村祐輔投手をOB会として優秀選手に選んだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000080-dal-base

     「NPBアワーズ2016」(28日、グランドプリンスホテル新高輪)

     広島・菊池涼介内野手(26)が最多安打者賞を初受賞した。今季は「2番・二塁」で141試合に出場。リーグ最多の181安打で、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。規格外の守備力に加えて、リーグ4位の打率・315、同最多の23犠打。攻守に活躍が光った。

     壇上では巨人・坂本から打倒・広島を掲げられる中、1年を振り返って「苦しくもあり…。昨年がふがいない成績だったので。でも、苦しかったシーズンでした。来年もチームに貢献できるように一生懸命頑張ります」と、来季に向けて気を引き締めていた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161128-00000077-dal-base

    【赤坂英一「赤ペン!!」】広島が2連勝した日本シリーズ、このまま優勝すると、緒方監督は古葉竹識氏以来、球団史上2人目の日本一監督となる。25年ぶりの優勝監督というだけでも歴史的殊勲だったが、日本一の功績が加われば監督としては“ミスター赤ヘル”山本浩二氏を超えるのだ。

     第1戦では、名将への道を歩む青年監督らしい積極果敢な采配を見せた。2回一死一、三塁で石原にセーフティースクイズのサインを出して失敗した直後、今度は重盗を敢行して三走・鈴木が先制のホームイン。きっちりと初戦をものにしている。

     緒方監督は采配を自画自賛せず、「成功するしないは別にして、コーチにしっかりと作戦を選手に伝えてもらっているということ」と伝達役の高ヘッド、河田三塁コーチを称賛。そうしたコーチ陣との連携が、緒方監督のタクトを支えている。

     最初からこれほど采配がズバズバ当たっていたわけではない。緒方監督の初陣だった昨季の開幕戦では、アウトのタイミングだったにもかかわらず、ベンチから石井三塁コーチ(現打撃担当)に「(腕を)回せ!」と大声で指示。サヨナラの走者を殺してしまい、敗れたあとのミーティングで、「石井に責任はない」とチームの全員に話した。重盗が続けて失敗すると、一部首脳陣から「むやみと走らせ過ぎ」と批判の声が上がったこともある。

     そんな監督就任1年目に味わった苦労や葛藤の数々が、いま最高の形で報われようとしている。恐らく、松田オーナーも胸を高ぶらせているはずだ。現役時代から手塩にかけて育て上げ、FA資格を取得した1999年には巨人などから熱烈なラブコールを送られる中、懸命に説得して慰留に成功。球団史上32年ぶり2人目の日本一監督になろうとしているのだから。

     気がかりがあるとすれば、土壇場にきて勝ちを焦るあまりの采配ミスか。ちなみに、91年の日本シリーズでは広島が3勝2敗と先に王手をかけながら、第6、7戦に連敗して西武に日本一をさらわれた。1―1の同点で迎えた第6戦の6回、第7戦先発予定だった川口和久をつぎ込み、一挙5点を献上したのが最大の敗因である。山本監督、痛恨の継投ミスだった。

     緒方監督はリリーフ陣について、「それぞれの役割をきちんと果たしてくれている」と評価している。25年前と同じ轍を踏むことはないか。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-00000011-tospoweb-base

     75年のペナントレースが始まったばかりの4月27日の阪神戦(甲子園)。広島・佐伯和司、阪神・古沢憲司両投手の投げ合いで、ともに無得点のまま迎えた8回裏。2死一、二塁でフルカウントから掛布雅之に投げた外角球をボールと判定され、ジョー・ルーツ監督が激高。松下球審に激しく詰め寄ると、制止しようとした竹元一塁塁審の胸を両手で突き、退場を宣告された。


     納得せずホームベース上で仁王立ちし、放棄試合でも構わないと抗議を続けるルーツ。審判団の要請を受け、重松良典球団代表が試合を続行するよう説得したが応じない。審判とはオープン戦からトラブル続きだったが、当時1軍コーチとして阪神ベンチから見ていた安藤統男は「日本の審判に恨みでもあるのかと思った。ストライク、ボールの判定で本当にしつこい」とあきれていた。


    引用元 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160918-OHT1T50121.html

    ◆巨人0―4広島(1975年10月15日・後楽園球場)

     広島の25年ぶりのセ・リーグVが迫ってきた。数年前から“カープ女子”なる言葉がはやり、地元・マツダのみならず、東京D、神宮、横浜と首都圏の球場の外野席も、広島戦開催時は真っ赤に染まっている。今から41年前、現在を上回るほどの赤ヘルフィーバーが日本列島を席巻した。球団創設26年目での初優勝。歓喜の瞬間は1975年10月15日、後楽園球場での巨人戦で訪れた。万年Bクラスと揶揄(やゆ)された広島が巨人を破って決めた一戦を改めて振り返る。

     夕闇迫る後楽園球場。時刻は午後5時18分だった。広島のマウンドに立つのは金城。左打席に入った巨人・柴田が流し打った打球が、左翼の水谷のグラブにおさまる。ついに、ついにこの瞬間が来た。

     三塁ベンチを飛び出した古葉監督の背中にシェーンが飛び乗る。先発した外木場が、先制適時打の大下が、そして、主砲の山本浩、衣笠が抱き合い、肩をたたき合う。さあ、胴上げだ。ワッショイ、ワッショイ! 古葉監督の背番号72が宙を舞う。外野席からなだれ込んできた赤ヘルファンが、今度は山本浩を胴上げだ。

     「うれしいです…」

     お立ち台に上がった古葉監督は、こう言うと言葉を詰まらせた。

     「広島からたくさんのファンの方が応援に来てくれて…全国のファンの方が…」

     大拍手、絶叫を背にしながら、それだけを言い残して、指揮官はお立ち台を下りた。時に午後5時26分だった。

     ▼試合前

     巨人V9の舞台であった後楽園球場。しかし、この日は赤ヘル応援団に埋め尽くされた。1年前の74年10月14日。この球場で“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の引退試合が挙行された。その長嶋が監督となった巨人は、この年、球団史上初の最下位に沈んだ。この日は完全に広島の引き立て役。「巨人はなんぼ勝っても優勝できんのやから、拍手してつかあさい。巨人は来年優勝すりゃあいいんじゃけえ」。広島の応援団が、こう言って巨人ファンに頭を下げた。

     打撃練習では、選手のバットから快音が響く度に、三塁側、左翼席の広島ファンがしゃもじを打ち鳴らした。こいのぼりや吹き流しが何本もスタンドで揺れる中、午後2時のプレーボールを迎えた。

     ▼1回

     巨人先発は新浦。大下、三村、ホプキンスが三者凡退。広島は自身のシーズン20勝をかけて外木場が先発。巨人も柴田三振、土井遊ゴロ、淡口三振に終わる。

     ▼5回表

     先頭・水谷が左飛。1死後、道原が失策で出塁。打球は三塁を守るジョンソンのグラブをすり抜けて、左翼線に転がっていった。巨人は長嶋監督、王、土井が「今のはファウルだ」と三塁の岡田塁審に抗議したが、判定はそのままだった。続く外木場は右飛に倒れて、打席には大下が入った。2ボール2ストライクから、左翼の淡口を襲うライナー! フェンス直撃の二塁打で道原がかえり、先制点を挙げた。

     ▼6回裏

     一塁側の2階席で広島、巨人ファンの小競り合いが発生。G党が「大きな顔するなよ」と声を掛けたことからつかみ合いが始まったが、警備担当の警察官が割って入った。

     先頭・柴田が右前安打。1死後、淡口が右中間に二塁打。王敬遠で満塁となった。しかし、続く末次は二―遊―一の併殺。絶好機を潰してしまった。

     ▼8回表

     巨人は倉田を投入。衣笠三振。6番・シェーン右前安打。古葉監督は代走に深沢を送り、次打者・水谷との間でヒットエンドランを敢行したが、右飛となり、帰塁できなかった深沢もアウトで追加点を奪えなかった。

     ▼9回表

     広島の1―0という緊迫した展開のまま、ついに最終回に。巨人は倉田から小川邦にスイッチ。先頭・道原左飛。次打者は8回途中から外木場に代わっていた金城。右前にポトリと落ちる安打で出塁した。大下は初球を一塁線にバント。王、小川邦ともに意表を突かれたのか、打球処理ができずに一、二塁となった。

     「あのバントはサイン。一塁側にやれ、と(古葉)監督に言われたんだが、なぜ、一塁側にやるのか分からなかった。セーフになって初めて、王さんが下がって守っていて、バントに無警戒だったことが分かった。こんな熱気の中でも、監督が冷静に戦況を見ていることを教えられた」。大下は試合後、こう振り返っている。

     続くは3番・ホプキンス。左打者に対して、長嶋監督は左腕の高橋一を送り出す。簡単に2ストライクを取ったが、そこからボールを連発してフルカウント。投じた1球はど真ん中に入り、ホプキンスはこれを右翼スタンドに運んだ。これで4―0。本塁に戻ってくるホプキンスに山本浩、シェーン、古葉監督が抱きついて出迎えた―。

     胴上げの後、山本浩はロッカーに戻り、声を上げて泣いた。すると、雑賀マネジャーから「グラウンドでインタビューがある。行ってくれ」と声を掛けられた。グラウンドに出て、お立ち台の上に立ち、三塁側スタンドに向かって両手を上げた。涙が止まらない。「コウジ! コウジ!」。赤ヘルファンの大合唱に、何度も両手を上げて背番号8は応えた。

     【参考】報知新聞(1975年10月16日付紙面)別冊週刊ベースボール「赤ヘル軍団栄光のV1」(75年12月1日発行)「オフィシャル・ベースボール・ガイド1976」


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160909-00000174-sph-base

    <25年ぶりVへ:わしらはみんな広島じゃけん>

     プロ野球広島カープが前回優勝した25年前、その優勝決定を実況した地元アナウンサーにスポットを当てる。1991年(平3)10月13日、旧広島市民球場の阪神戦。当時、広島テレビ(日本テレビ系)のアナウンサーだった加藤進氏(69)は、優勝に立ち会った実況アナとしてあの言葉を忘れていない。


     あのときの記憶は驚くほど鮮明だ。「ミスター赤ヘル」といわれた山本浩二監督が何度も宙に舞う。91年10月13日。旧広島市民球場での阪神とのダブルヘッダー第2試合。広島が1-0で阪神を下した瞬間、実況を担当した加藤氏は「勝った!」と叫んだ。

     「最後はよく覚えてます。ストッパーの大野が三振を奪うと、捕手達川がマウンドへダッシュした。予定稿を考えていましたが、ああいう瞬間って、吹っ飛びますね。思わず出た言葉が『勝った』。あのときのファンの気持ちを表した短くて、パンチ力のある言葉だったのではないかなと思います」

     当時の流行歌はKANの「愛は勝つ」など。SMAPがCDデビューした年でもあった。山本監督は就任3年目での初優勝となり、地元での胴上げは12年ぶりだった。

     「これまで6度の優勝のうち地元Vは2度ある。実は2度ともテレビの実況を担当したのは私です。これ、自慢です(笑い)」

     79年(昭54)10月6日、同じ旧広島市民球場で古葉竹識監督率いる赤ヘル軍団が阪神に勝ち、2度目のリーグ優勝を果たした。その試合を実況したのも加藤氏だった。「地元胴上げアナ」と言われることもある。

     「これはもう運なんです。広島にはNHKを含めて5局ある。単純に言っても優勝が決まる本拠地の試合を放送できる確率は5分の1。しかも本拠地でなければ地元のアナウンサーが実況できない。すごい確率なんです。だから宝くじに2度も当たったようなものです」

     69年(昭44)に広島テレビに入社。アナウンサーとして広島のすべての優勝にかかわってきた。新幹線にチームと同乗し、吉報が届いた瞬間をリポートしたこともあった。広島への思いとアナウンサー人生を重ね合わせた。

     「カープの優勝は私の人生だった」

     12球団で最も歓喜から遠ざかる四半世紀ぶりの優勝へ-。加藤氏の後輩アナへの思いは強い。「どこの局でもいい。地元のアナウンサーに本拠地マツダスタジアムで実況してほしい。それが新しい歴史になる」。「勝った!」。その瞬間を自らの言葉で伝えてほしい。【松浦隆司】

     ◆加藤進(かとう・すすむ)1947年(昭22)1月21日、滋賀県生まれ。中学2年のときに広島市へ転居。広島大を卒業後、69年広島テレビに入社。プロ野球中継を担当し、報道制作局アナウンス部長を歴任。07年定年退職。現在は安田女子大(広島市)の非常勤講師として日本語と映像文化を教えている。


    引用元 http://www.nikkansports.com/general/news/nikkan/1704804.html

     古葉竹織監督が率いる1984年の広島は、4月8日から球団記録の12連勝。山本浩二が5月5日に通算2000安打を達成。シーズン終盤まで続いた中日との争いを制して、4年ぶり4度目のリーグ優勝(75勝45敗10分け、勝率6割2分5厘)を果たした。

     打点王の衣笠祥雄がリーグMVP。おもに抑えを務めた小林誠二が最優秀防御率。小早川毅彦が新人王に選ばれた。日本シリーズも4勝3敗で阪急を下した。3本塁打10打点の長嶋清幸がシリーズMVP。広島はこの年を最後に日本一から遠ざかっている。

    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00000069-sph-base

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