広島カープブログ

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    大下剛史

     12球団のドラフト候補には入っていなかった――。

     5日に現役引退会見を行った広島の新井貴浩(41)。通算2200安打、319本塁打を誇る男も、アマ時代はプロ入りすら危うかった。

    ■「契約金はいりません」

     1998年ドラフト6位で広島に入団する当初から取材する元スポーツ報知記者の駒沢悟氏はこう語る。

    「新井にはプロ志向があったものの、プロの評価は打撃は粗く、肩が弱い、スローイングに難があるという判断。しかし本人は諦めなかった。駒大の先輩である野村謙二郎(前広島監督)の自宅で素振りを見てもらい、推薦してほしいと頼み込んだ。当時の太田監督も、『伸びしろがある。プロに入れてやりたい』との思いがあった。新井の父親は担当の渡辺秀武スカウト(故人)に『契約金はいりません。息子の夢をかなえてください』と頭を下げた。さらに駒大OBでその年に達川監督のもと、ヘッドコーチ就任が決まっていた大下剛史氏にもすがった。こうしたコネもあり、ようやく獲得へのゴーサインが出た。広島が指名挨拶をしたのはドラフト10日ほど前。当初は8位で指名する予定だったとも聞いています」

     入団当時の監督だったソフトバンクの達川光男ヘッドコーチはこの日、「どうしてプロ野球に来たんかなという感じ。絶対に3年以内でクビになると思った」と述懐したが、それも当然だろう。

     新人だった99年の日南キャンプ。守備はおろか、打撃練習でもなかなかバットの芯に当たらない。駒沢氏は、「大下ヘッドには無理やり入団させたという思いもあってか、泥だらけになるまでノックをしていたし、新井もそれに食らいついた。手の豆が何度もつぶれるくらい、誰よりもバットを振っていた」と言う。

    ■ケガをして反省の丸坊主に

    「最近も球場で挨拶した時に『元気です』と言っていましたし、引退と聞いたときは驚きました」とは、元同僚でテレビ解説者の山内泰幸氏(45)。

    「新井が新人だった年のキャンプで、2人とも丸坊主にしたんです」と、当時を振り返る。

    「キャンプ前半にふくらはぎを肉離れしてしまい、早朝にリハビリ組がいる広島・大野練習場に強制送還された。新井も同時期にリタイアし、広島で一緒にリハビリに取り組んだ。ケガが癒え、いざ日南に再合流というタイミングで、反省の意味を込めて、確か、寮にあったバリカンで一緒に頭を丸めました(笑い)」

     さらに山内氏は言う。

    「当初は守備では全く動けなかったし、一塁守備の際に、アウトカウントを間違えてボールを一塁コーチにトスし、走者の生還を許したこともある。山本浩二監督時代の2003年には開幕から4番を任されるも、プレッシャーのあまり『4番を外して下さい』と首脳陣に直訴したこともあった。ただその裏では、当時ブルペン捕手だった水本勝己二軍監督と毎日欠かさず、早出特打をやっていた。水本さんは『阪神にFA移籍するまで続けていた』と言っています。決して自分に妥協することなく、血のにじむような努力をしていました」

     新井がアニキと慕う金本知憲(現阪神監督)は、広島時代、新井がミスをするとよく怒ったという。

    「おまえは誰に入れてもらった? 先輩の顔をつぶすようなことはするな」

     08年に阪神にFA移籍してからは不遇をかこったこともある。前出の駒沢氏が言う。

    「08年北京五輪で腰椎を骨折してから、背中と腰の張りや痛みと闘ってきた。今も完治はしていないと思います。自ら阪神を自由契約になった時には『僕はもう、阪神に必要とされてないんですよ』と話したことがありました。それが広島に復帰して、もう一度鍛え直した。『打撃は無限大です』と言っていたが、広島復帰後も打撃は進化した。下半身をうまく使って、逆方向へうまく打つようになりましたから」

     20年の壮絶なプロ生活は間もなく終焉を迎える。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180906-00000128-dal-base

    【大下剛史 熱血球論】5日午前9時半過ぎだった。携帯電話の着信音に気づいてディスプレーを見たら「新井貴浩」の名前が表示されていた。着信ボタンを押し「どうしたんな、こんな早くから。やめるんか?」と問うと、受話器の向こうから「あ、あ、あ…はい」という聞き慣れた新井の声が返ってきた。私からは「そうか、ご苦労だったの」と、ねぎらいの言葉をかけて手短に会話を終えた。

     あらためてテレビで入団当時の映像を見たら、別人のようにホッソリしていて驚いたが、少々のことではバテたりケガをしたりしない体の強さは魅力だった。打っても投げても走っても不格好。当時広島のヘッドコーチだった私は、新井の入団1年目にあたる1999年の春季キャンプで、とても活字にできないようなことも言ったし、やった。それでも歯を食いしばってついてくるのが新井だった。

     誰にも負けない長所はもう一つある。裏表がなく、誰からも好かれる性格の良さだ。先輩ばかりでなく、菊池ら年下の選手にイジられるのも愛されているからこそ。タイトルを取ろうが、通算2000安打の金字塔を打ち立てようが偉そうにすることのない謙虚さも含め、これだけの人物はそういない。いちずな面もしかり。オフに鹿児島の最福寺で行ってきた護摩行は14年も続いた。

     一度は阪神へFA移籍しながら、古巣に戻って有終の美まで飾らせてもらえた球団への恩は、新井も心から感じている。引退表明はしたが、リーグ3連覇、さらには34年ぶり日本一への戦いは続く。球団や熱い応援で支えてくれたファンに恩返しするためにも、最後まで“新井らしさ”をグラウンドで見せ続けてほしい。(本紙専属評論家)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180906-00000026-tospoweb-base

     ソフトバンクの達川光男ヘッドコーチ(63)が5日、引退を表明した広島・新井貴浩内野手(41)をねぎらった。

     新井のルーキーイヤーから2年間、監督として指導。初めてのキャンプで見た際は、ファウルチップばかりの新井に対して「どうしてプロ野球に来たんかなという感じだった」と懐かしそうに回想。「3年でクビになると思っていたけど、20年。2000安打も打って。強みは体が強かったことと、痛みにも強かったこと」。努力を惜しまなかった41歳に敬意を表した。

     「ここまで20年間、ようやったのぅ」と広島弁でねぎらい、「色んな経験をしてきた。2軍からたたき上げの人間だから、指導者になってほしい」とプロ野球界の将来をたくした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00000132-spnannex-base

    【熱血球論 大下剛史】中日がサヨナラ負けで3タテを食らった9日の広島戦で、両チームの差を痛感するワンプレーがあった。4回、広島が西川の適時打で同点に追いつきなお無死一、二塁の場面だ。岡田の投前へのバントは三塁で完全に封殺できる打球だったが、三塁手の福田は前に出てしまってベースに戻れない。みすみす一死二、三塁とピンチを広げてしまった。

     あれは三塁手が絶対に前に出てはいけない打球だ。笠原が踏ん張って追加点にはつながらなかったが、広島の守備陣なら考えられないプレーだ。投げて打っては両チームにそれほど力の差はない。ただ、こうしたちょっとしたことが積もり積もって首位と最下位という差になっている。

     福田はもともとが捕手で、内野はほとんど一塁しか守っていない。今年から打撃を買われて三塁へ本格的にコンバートされた選手。プロのコンバートとはそんなに簡単なもんじゃない。守備が打撃にも影響する。

     福田のコンバートは首脳陣が決めてキャンプから練習もさせていたのだから、私がとやかく言うつもりはない。福田も本職じゃないのだからミスもする。守備でミスをすれば苦しいだろう。それでも「俺は打ってナンボの選手。守りのミスは打って取り返す」ぐらいの強い精神力を持ってほしい。

     大事なのは首脳陣が守りのミスを怒らず、どれだけ我慢できるか。練習をさせるのは当たり前だが、怒ってはいけない。そうしたベンチの我慢が選手へも伝わる。それが首脳陣と選手の強い絆にもなる。まだまだ中日は発展途上。このワンプレーを見てつくづくそう思った。 (本紙専属評論家)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180810-00000027-tospoweb-base

     「2215」。現在でも衣笠祥雄さんが持つ連続試合出場記録はプロ野球最多として輝く。体に近い内角球を恐れず、フルスイングでファンを魅了した選手だった。死球は歴代3位の161個で、三振は当時最多(現在9位)の1587個を数えた。野球界は星野仙一さんに続き、また一人、1970~80年代を彩ったスターを失った。


     入団2年目まで1軍と2軍を行ったり来たりで、スカウトから「このままだとクビだ」と脅された。しかし、3年目からコーチに就任した根本陸夫さんの助言で長所は長打力だと再認識し、6年目にはコーチの関根潤三さんと深夜にまで及ぶ猛練習でスイングを磨いた。

     選手として23年間のうち、打率が3割を超えたのは1度。それは入団20年目のことだった。現役を引退した後も、晩年は闘病生活をしながら最後まで「鉄人」らしく、野球界に携わった。


    ■骨折しても「絶対出たい」

     1975年から監督として広島の黄金期を築いた古葉竹識さんは「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは……」とショックを隠しきれない様子。2月ごろに会った時、体調を心配して声をかけたら衣笠さんは「大丈夫」と答えたという。「私が監督時代、よくがんばってくれました。骨折した時も『絶対出たい』と言ってきて。だから、『大事なところで使う』と伝えて代打で使ったんです」と当時を振り返った。

     広島のOB会長を務める安仁屋宗八さんは「まさかと耳を疑った。入団時はバッテリーを組んだこともあった。三塁転向後はエラーでよく足を引っ張られたが、『安仁屋さん、エラーは目をつぶってください。必ず打って取り返しますから』と言われた。『鉄人』と呼ばれたんだから、いつまでも元気でいてほしかった」と語った。大下剛史さんは「寂しい。二遊間を組んでいた敏之(三村)が逝って、今度はサチ。これで初優勝メンバーの内野手は私とホプキンスだけになってしまった」とコメントした。

     広島の後輩たちは「本当に優しい人だった」と口をそろえた。大野豊さんは「マウンドによく声をかけに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた」という。北別府学さんは「ピンチの時にも頑張れと背中を押してもらった。あの優しい笑顔は忘れられない」と思い出を語った。

     達川光男・現ソフトバンクコーチは「キヌさんは『痛いとかかゆいとか言うからけがになる。黙っていたらわからん。試合に出るのが当たり前』と言っていた。今まで数多くの野球好きを見てきたけど、キヌさんがナンバーワン。一番野球を愛していた」と語った。小早川毅彦さんは「プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝しきれない。優しい先輩で努力の人。若手のお手本だった」。野村謙二郎さんは「レジェンドの方が亡くなって寂しい。監督になった時は『思い切ってやればいい』と声をかけていただいた」という。

    ■緒方監督に「常勝カープを」

     広島の緒方孝市監督は衣笠さんといっしょにユニホームを着たのは1年だけだったが、「頑張れよと声を掛けていただいたのを覚えている」。2016年に25年ぶりのリーグ優勝を決めた際、「ここから常勝の強いカープを築いてくれ」と言われたという。「優勝、そして日本一の報告をするためにも全員で戦っていきたい」と語った。

     歴代3位の1766試合連続出場記録を持つ阪神の金本知憲監督は「カープの先輩であるキヌさんから、休まないということに関していちばん影響を受けた。中心選手は常にグラウンドに立っていないといけないことを、無言で示した人だった」と振り返った。

    ■ライバルも悼む

     かつてのライバルたちも、衣笠さんの死を悼んだ。元巨人監督の長嶋茂雄さんは「『鉄人』と呼ばれた通り体の強い選手で、私が監督1年目の75年には山本浩二さんとカープを引っ張り、初優勝を見事成し遂げられたことが印象深いです。巨人戦で死球を受けた時には、カープのベンチを自らなだめながら笑顔で一塁へ向かう姿が忘れられません。芯が強く、優しい心を持っているいい男、ナイスガイでした」とコメントを発表した。

     王貞治・現ソフトバンク会長は「『鉄人』と呼ばれた彼なので、まさかという感じです。外見は怖そうな雰囲気だけど、実際にはすごく心の優しい人。死球を受けても相手を威圧することなく、闘争心をもって戦う中では珍しいタイプの選手だった。敵ではあるが、それを超えた形で話ができる人。もっともっと話がしたかった」と惜しんだ。

     楽天の梨田昌孝監督は「79、80年の日本シリーズで対戦した」と近鉄(現オリックス)時代の対戦をなつかしみ、「衣笠さんの辛抱強い姿を見て、今の広島の礎が築かれたのだと思う。とにかく『元気の源』みたいな方で、人懐っこく気さくに声をかけてくれる方でした」。DeNAのラミレス監督は「尊敬される方。日本人のロールモデル(模範となるお手本)だった」と語った。日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督は「会うたびに『がんばれよ』と笑顔で声をかけていただいた。まさか、という思い」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000091-asahi-spo

    【2018ペナント大予想:大下剛史(本紙専属評論家)】セは戦力が充実し、主力選手も脂が乗り切っている広島が球団史上初のリーグ3連覇を達成すると見た。昨年8月末に右足首を骨折した鈴木の回復具合が気になっていたが、しっかりと開幕に合わせてきた。しかも昨年より体が大きくなり、パワーも増した。投打とも若手主体で伸びしろがあるのは強みだ。

     2年連続で3位と健闘しているDeNAも力のある若手選手が多い。昨年の日本シリーズ出場で自信もつけた。開幕投手の石田に新人の東、出遅れている今永、浜口を含めて先発左腕が豊富で、戦力的に広島と比べても遜色はない。ただ、リーグ連覇した広島には一昨年が19・5ゲーム差、昨年も14・5差をつけられた。似たような若手中心のチームながら、経験の差で対抗までとした。

     教え子でもある金本監督率いる阪神と巨人のどちらを3位にするかで迷ったが、現場の首脳陣だけでなくフロントも危機意識を持って巻き返しに一丸となっている巨人を上にさせてもらった。

     パは今年もソフトバンクの1強の様相だ。あれだけ圧倒的な戦力を有していても選手はおろか首脳陣、フロントに慢心やおごりが見られない。米球界も含めて、これだけ理想的な球団運営ができているチームは他にないだろう。番狂わせを起こすには5球団が共闘するしかなさそうだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180329-00000007-tospoweb-base

    【大下剛史・キャンプ点検=広島】グラウンドで汗を流す選手たちの姿を見て、真っ先に感じたのが体の大きさだった。昨年8月下旬の右足首骨折で調整が遅れている鈴木にしても、一段とたくましくなっていた。今キャンプは当然のことながら、その前段階の自主トレ期間から各選手がそれぞれに、しっかりと体づくりに励んできたのだろう。

     打球を見ても一目瞭然だった。昨季まで代走や守備固めでの起用の多かった野間でさえ、スイングが力強い。昨年10月に続いて日本代表に選ばれた西川もしかり。昨年123試合に出場して自身初となる規定打席に到達し、リーグ4位の打率3割1分の好成績を残した安部だって、うかうかしていられない。控えクラスも含めて昨年までとメンバーは大きく変わらないが、しっかりと戦力の底上げもできている。

     リーグ連覇を成し遂げてもなお、全く妥協がない。これは緒方監督の性格によるところも大きいのだろう。現役時代から練習でも試合でも、とことんやるタイプ。それゆえ、けがが多かったのも確かだが、選手たちはいい緊張感を持って練習から臨めている。

     その慎重すぎるほど慎重な指揮官がキャンプ地を訪れた際に「ぜひブルペンも見ていってください。今年は大瀬良も岡田も薮田も状態がいいんです」と言ってきた。よほど手応えを感じているのだろう。野手同様に投手陣も同世代でいい競争ができている。計算のできる野村、ジョンソンも順調で、投打とも盤石だ。球団史上初となるリーグ3連覇に向けて、現時点で死角は見当たらない。 (本紙専属評論家)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00000036-tospoweb-base

     ソフトバンク達川光男ヘッドコーチ(62)、柳田悠岐外野手(29)、野球解説者の大野豊氏(62)が12日、盛況のソフトバンクキャンプ地で丁々発止の広島トークを繰り広げた。

     達川ヘッドは広島での現役時代、同い年の大野氏とバッテリーを組むなど気心知れた間柄。広島市出身の柳田を見つけると「オイ、柳田! 広島が生んだ戦後最大のスーパースターにあいさつしたんか」と大野氏のもとへ歩を促した。

     なお大野氏は島根県出身。ここで柳田は満を持して「僕、大野さんの引退試合、見に行きましたよ」と1998年9月27日、9歳当時の思い出を披露した。「父ちゃん母ちゃんに連れられて。満員で、一番上の席でした」と思い返すと、達川ヘッドは「何で、早う言わんのか」と苦言を呈した。

     「わしゃ、あの頃2軍監督じゃったけえ。早よ言やあ、家族席の券を出してやったのにのう」。ちなみにその翌年の99年、達川ヘッドは2軍監督から1軍監督に昇格したが、チームは2年連続5位。投手コーチとして招へいされた大野氏は1年で辞任している。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180212-00010012-nishispo-base&pos=3

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