広島カープブログ

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    大下剛史

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    正田耕三「野球の構造」(37)】盗塁王のタイトルを獲得した1989年は、打撃でも満足のいく数字を残すことができました。巨人のクロマティが打率3割7分8厘と突出していたため3年連続の首位打者こそ逃しましたが、3割2分3厘はリーグ3位。161安打は同2位で、結果的にキャリア最高となりました。

     この年は山本浩二監督の1年目。例年以上に張り切らなきゃいけない年でもありましたが、本当の意味で僕の闘志に火をつけたのは東スポの専属評論家としてもおなじみの大下剛史さんでした。


    宮崎・日南での春季キャンプ中でのことです。右ヒザを痛めていた僕が別メニューで調整していると「2年連続首位打者で、その気になっとるんか!」という声が飛んできました。声の主は大下さん。せめてチームの役に立つことをしろと、外野での球拾いなどを命じられました。


     もちろん首脳陣の命令は絶対です。打撃練習時にはカーブマシンの横に立ち、打席内の若手に見えるようにボールを持った右手を高く掲げ「次、いきまーす」と声を出したりしていました。しかし、はっきり言って屈辱です。2年連続で首位打者にもなり、二塁手のレギュラーとして定着した僕が、なんでこんなことまでしなければならないのか…。「絶対に見返したる!」。右ヒザの状態が回復すると、その一念でバットを振り続けました。



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    引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1937487/

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    佐々岡采配がピタリ的中だ。広島は7日の阪神戦(マツダ)を11―6の大勝。主砲の鈴木誠也外野手(25)が積極的休養により今季初めてベンチスタートとなるなか、衝撃デビューを果たしたのが初の一軍昇格で即スタメンの高卒2年目・羽月隆太郎内野手(20)だ。


    「2番・二塁」で先発出場すると2回にセーフティースクイズを俊足を活かして内野安打としプロ初安打&初打点をマークすると、5回には2点適時三塁打を放った。



     いきなり結果を出した羽月は「(一軍昇格は)昨日の練習後に言われた。緊張で昨日はあまり眠れなかったが、やるしかないという思いだった」と振り返り、佐々岡監督も「青柳対策として二軍と話をしていた。思っていた以上に活躍してくれた。ファームでの成果を出してくれてよかった」と合格点を出した。


    【大下剛史 熱血球論】佐々岡新監督率いる広島は5カード、13試合を戦い5勝7敗1分け(2試合が降雨中止)。開幕から4カード連続でビジターだったことを考えれば可もなく不可もない成績だが、心配な点も見えてきた。特に気になっているのがベンチ全体の活気のなさだ。

     無観客試合という点を差し引いても、広島ベンチは静かだった。時折モニターに映し出される指揮官の表情も、赤いマスクのせいなのか、ピンチやチャンスだからといって大きく変わらないように見える。作戦面もしかり。落ち着いていると言えば聞こえはいいが、特に攻撃面ではクリーンアップ任せのオーソドックスな野球が目立つ。




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    引用元 https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1958247/

     暗い話題が多い、こんな時だからこそ、楽しいことを考えないと!! そこでスポニチが独断と偏見に想像力も働かせて、つくってみました。時代を超えた「ご当地オールスターチーム」。一時代を築いた名選手たちが同じチームだったら……。読者の皆さんも本紙選定チームを叩き台にしてオリジナルチームを選考してみては。今回は広島です。

     各地区のドリームチームの中でも、広島の外野のレベルの高さは群を抜く。ミスター・赤ヘル山本浩二(廿日市)、世界の鉄人・金本知憲(広陵)、そしてトリプルスリー・柳田悠岐(広島商)と現役を含めて、各世代を代表する名手がそろっている。

     金本のプロ入団時の監督が山本だった。子供のころからの憧れ。「監督がスタメンに悩むことのない存在になりたい」というのが、フルイニング出場へのこだわりとなった。大差がついても、雨が降っても、骨にヒビが入っても、金本は試合に出続け、1492試合連続フルイニング出場の世界記録につながった。

     阪神でも03年、05年のリーグ優勝に貢献。「アニキ」としてファンに慕われた。00年にはトリプルスリーも記録。柳田もパMVPに輝いた15年にこの勲章を手にした。打力だけでなくスピード、肩を兼ね備えた外野陣だ。南海、松竹などで活躍した「神主打法」の岩本義行(広陵中)も50年に・319、39本塁打、34盗塁で初代のトリプルスリーを記録した外野手だ。

     日本記録の3085安打をマークした安打製造機・張本勲(松本商・浪華商)は45年8月に広島で被爆した体験を今も語っている。「物干し竿」と呼ばれた長尺バットで一世を風靡(ふうび)した藤村富美男(呉港中)は押しも押されもせぬ初代ミスタータイガース。チームが8球団中、6位に沈んだ49年には安打、本塁打、打点のシーズン記録を更新し、MVPに選ばれたほどだ。

     メンバーには入らなかったが、記しておかなければならない広島出身の野球人がいる。石本秀一(広島商)は監督として広商野球の礎を築いた後、プロ野球6球団で監督を務めた。戦前1936年には大阪タイガース2代目監督となり、打倒巨人の意識を浸透させ、今日の伝統の一戦に繋げた。50年には広島の初代監督にもなった。

     さらにタイガース創立時のメンバーで、いずれも広陵中出身の捕手・小川年安、遊撃・岡田宗芳、同じく巨人の初代メンバー田部武雄はそれぞれ召集され、戦死。認知度も低い職業野球に情熱を注ぎ、戦争に苦しんだ先人の思いを、危機に直面した今、思い起こしたい。

     さてメンバーは捕手・達川光男(広島商)、一塁・新井貴浩(広島工)、二塁・大下剛史(広島商)、遊撃・広岡達朗(呉三津田)で出そろった。エースはロッテで通算215勝したマサカリ投法の村田兆治(福山電波工)。現阪神投手コーチに福原忍(広陵)、現ヤクルト監督の高津臣吾(広島工)ら控えも多彩だ。

     監督として日本プロ野球最多の1773勝を誇る鶴岡一人(広島商)が、広島のじゃけえ軍団を率いる。「グラウンドには銭が落ちてる」と選手の目の色を変えてみせるはずだ。(鈴木 光)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200421-00000012-spnannex-base

    【今とは大違い 俺の新人時代】

     広島といえば、猛練習で知られている。かつてのそれは現在の比ではなく、「あの頃のことは思い出したくない」と本気で言う者もいるくらいだ。

    「僕らのときが一番、厳しかった時代じゃないかな」と話す高ヘッドコーチ(52)は、1985年ドラフト2位で入団。悲鳴を上げたのが、キャンプの午前中に行うウオーミングアップだ。

    「最初に柔軟をやって体をほぐす。そのあとはひたすら2時間走りっぱなしです。まず連帯歩調で声を出しながら、グラウンド10周。そのあとも走るメニューばかりで、守備練習を挟んでから昼食。もうアップだけでヘトヘトになりますからね。走り終わった時点で『よっしゃ! 今日の山は越えた!』ですよ。まだ野球の練習は何もしていないのにね(笑い)」

     午後は打撃練習だが、高コーチは「バットは今の選手の方が振っているんじゃないかな。というのも、昔はマシンが少なかった。2台しかないマシンを順番で打っていたから、待ち時間も多かった」と、振り返る。

     ちなみに地獄のようなアップには理由がある。

    「あの当時は迫丸(金次郎)さんという方がトレーニングコーチでした。現役時代に巨人から広島にトレードで来た人。引退後にコーチになったんですが、選手上がりでトレーニングの専門的な知識がない。野球しかしていないんですから、とにかく『走れ! 走れ!』だったんです(笑い)」

     今の時代では考えられない人事だ。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200220-00000007-nkgendai-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#21

     1990年、ロッテへ移籍した高橋慶彦に代わり、入団2年目の野村謙二郎がショートのレギュラーに定着した。

     足は速いし、小力がある。入団当初は外野を守っていて守備力も高かった。しかし、1年目のキャンプで膝を痛めた。ドラフト1位指名を受けた後、オフの間に体重が増え、それが膝に負担をかけた。今のように新人は徐々に慣らしていくという時代ではない。同じ駒大出身の大下剛史ヘッドコーチは、野村をどう育てるか、どう使うか、構想を練っていた。次のショートをつくろうと思っていた矢先、すぐに故障してしまったのだ。

     大下ヘッドは当然、凄いけんまくで野村を怒った。

    「貴様なんか荷物をまとめて広島へ帰れ!」

     ドラ1の有望株。チームの期待も高かった。でも、野村はのんびり構えているようなところがあって、“鬼軍曹”のカミナリが落ちたのだ。

     すると、不思議な現象が起きた。「全治1カ月」という診断だったはずが、なんと膝の痛みが消えたというのだ。我慢していた可能性もある。今のようにMRI検査もない。当時の医師も驚いた現象で、野村は2、3日で戦列に復帰した。

    ■初球から振っていく積極果敢な1番

     大下ヘッドが怒ったのは、駒大の後輩でもある野村の1位指名を球団に進言したからでもあった。プロとしての自覚を持て、というのはもちろん、自分の置かれている立場をよく考えろ、ということだったようだ。

     打順は主に1番。当時はまだ、「1番打者はボールをよく見ていけ」という時代。初球から打つなんて常識外れだった。

     しかし、野村は四球を選んで塁に出ようとはしない。第1ストライクから振りにいくタイプで、超積極的な1番だった。

     今は軸足に体重を残し、球を呼び込んで打つのが主流だが、当時の野村は打ちにいきながら、間合いを取り、体の前でさばくスタイル。どんどん振りながらタイミングを合わせていた。ポイントを前にして打った方が打球は飛ぶが、落ちる変化球など、ボール球を振りやすい。案の定、ワンバウンドに手を出すなど、粗っぽさが目立ったが、山本浩二監督、大下ヘッドら首脳陣は、野村のスタイルを尊重。「なぜボール球を振るんだ」と責めることなく、我慢しながら見守っていた。今となっては「好球必打」という打撃の基本を、当時から貫いていた。

     そんな野村が、「感謝の意を込めて」と私にバットを持ってきたのは、1999本目を打ったその日のことだった。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200206-00000007-nkgendai-base

     広島は21日、球団OBの横山竜士氏(43)=デイリースポーツ評論家=が投手コーチに就任したと発表した。同日午前、就任記者会見が行われた。

     【以下、一問一答】

     -コーチ就任の話をもらった。

     「最初に聞いたときにびっくりした。チームに貢献したいと思うし、頑張っていきたい。いつかはユニホームを着たいと思っていたのでうれしい」

     -チームの強さはどこにあるか。

     「黒田さん、新井が帰って来てチームが一体となって戦っている姿は、外から見ていても素晴らしかった。黒田さん、新井がつくってくれたものの上に僕は色を出していけたらと思います」

     -V奪回へ向けて必要なことは。

     「今季に限って言えば、なかなか勝ちパターンが固定できなかったところがある。リリーフ陣を含めて強い投手陣になっていってほしいなと思う」

     -中継ぎの重要性はどのように感じているか。

     「特に今、Aクラスに入っているチームを見てもリリーフ陣は強い。固定できれば、それに超したことはない。若い投手の底上げもそうだし、実績ある投手がまた良い状態で帰って来てくれたらと。誰がというよりも」

     -投手陣に植え付けたいものは。

     「フィールディングだったりけん制だったりは大事なもの。僕の場合は打者でアウトが取れなくなってから一生懸命磨いたところがある。今いる投手にはしっかりと打者と勝負して、対打者に強い投手になってほしい」

     -こういう気持ちでマウンドに上がってほしいということは。

     「防御率は改善された。四球は仕方無いと思うけど、三振の数が少なかった。四球を減らすためにボールを置きに行く、コントロールを意識し過ぎるのじゃなくて、どんどん攻める気持ちを持って三振を取れる投球を狙っていってほしい」

     -楽しみな部分は。

     「ドラフト1位の森下君もそうだし、今年の良い投手が入って来てくれる。新人にも期待したいし、今季1軍を経験した投手もいる。可能性を秘めた投手がいる。少しでもまた、良いものを引き出してあげたい」

     -外から見ていて広がったものは。

     「先ほど、リリーフの話をしましたけど、後ろが決まらないと攻撃の仕方も決まってこない。1点を取って1点を守る野球をやっていかないといけないと思う。1点を取りに行く野球ができるように、僕の役目として1点を守る守備面を磨いていけたら」

     -理想のコーチ像は。

     「僕が20年、現役をさせてもらったときに鬼軍曹ばかりだった。僕もそれを引き継いで、鬼軍曹と呼ばれるようにやっていきたい。佐々岡監督が非常に優しい方なので、厳しさを出していけたら」

     -ファンの方へ意気込みを

     「どういうポジションでコーチになるかわからないけど、やじらないようにしてほしいと思います。監督もコーチもユニホームを着てベンチに入るスポーツは野球くらいだと思うんです。僕たちも戦わないといけないと思う。戦っていきたい」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191021-00000075-dal-base

    【大下剛史・熱血球論】平成の終わりに黄金期を築き上げたカープは過渡期を迎えた。令和に入ってリーグ優勝は3年連続で途絶え、若手だと思っていた主力の中心メンバーはいつしか三十路に突入。今季中には内野の要である菊池涼と投手の野村、捕手の会沢が国内FA権を取得した。彼らがどんな決断を下すかはさておき、チームとして新たな形を模索すべき時期であることは確かだ。

     そのタイミングで佐々岡新監督が誕生した。現役時代からカープ一筋でチームの内情を熟知しており、人柄の良さは誰もが認めるところ。球団は本当にいい人選をしたと思う。
     彼が入団したのは、私が山本浩二監督のもとでヘッドコーチをしていた1990年。体の線が細く、走ることが嫌いで、ブルペンで投げても左肩の開きが早く、褒められた投げ方じゃなかった。それが試合でマウンドに上がると一変する。それこそ一球一球に「全身全霊」を込めて打者に立ち向かっていった。

     プロ1年目から先発にリリーフにとフル回転。「ササ、悪いが行ってくれるか」と聞けば、どんなに疲れていても答えは「はい」。91年のリーグ優勝は当時の絶対的エースだった佐々岡の奮投でなしえたものだった。

     忍耐強く、明るさと思い切りの良さがある。それらは今のカープに必要な要素であり、そういう星のもとに生まれてきたのだろう。

     とかく投手は“お山の大将”タイプが多く、監督には向かないとも言われる。その点、佐々岡新監督は親分肌ではあっても偉そうにするところがない。投手だけでなく野手からも愛される、エースには珍しいタイプでもある。

     初めて指揮を執るのだから、不安や戸惑いもあるだろう。就任会見では「V奪還」を目標に掲げていたが、そう簡単なものではない。脇を固めるコーチ陣にはしっかりと支えてもらいたいし、ファンにも温かく見守ってもらいたいと思う。

     一つアドバイスを送るとするなら「体を絞れ!」と言っておきたい。引き締まった体になれば、周囲も投手コーチ時代との違いを感じてくれるだろう。何より本人の健康のためにも、その方がいい。

    (本紙専属評論家)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191008-00000035-tospoweb-base&pos=2

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