広島カープブログ

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    大野豊

     「2215」。現在でも衣笠祥雄さんが持つ連続試合出場記録はプロ野球最多として輝く。体に近い内角球を恐れず、フルスイングでファンを魅了した選手だった。死球は歴代3位の161個で、三振は当時最多(現在9位)の1587個を数えた。野球界は星野仙一さんに続き、また一人、1970~80年代を彩ったスターを失った。


     入団2年目まで1軍と2軍を行ったり来たりで、スカウトから「このままだとクビだ」と脅された。しかし、3年目からコーチに就任した根本陸夫さんの助言で長所は長打力だと再認識し、6年目にはコーチの関根潤三さんと深夜にまで及ぶ猛練習でスイングを磨いた。

     選手として23年間のうち、打率が3割を超えたのは1度。それは入団20年目のことだった。現役を引退した後も、晩年は闘病生活をしながら最後まで「鉄人」らしく、野球界に携わった。


    ■骨折しても「絶対出たい」

     1975年から監督として広島の黄金期を築いた古葉竹識さんは「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは……」とショックを隠しきれない様子。2月ごろに会った時、体調を心配して声をかけたら衣笠さんは「大丈夫」と答えたという。「私が監督時代、よくがんばってくれました。骨折した時も『絶対出たい』と言ってきて。だから、『大事なところで使う』と伝えて代打で使ったんです」と当時を振り返った。

     広島のOB会長を務める安仁屋宗八さんは「まさかと耳を疑った。入団時はバッテリーを組んだこともあった。三塁転向後はエラーでよく足を引っ張られたが、『安仁屋さん、エラーは目をつぶってください。必ず打って取り返しますから』と言われた。『鉄人』と呼ばれたんだから、いつまでも元気でいてほしかった」と語った。大下剛史さんは「寂しい。二遊間を組んでいた敏之(三村)が逝って、今度はサチ。これで初優勝メンバーの内野手は私とホプキンスだけになってしまった」とコメントした。

     広島の後輩たちは「本当に優しい人だった」と口をそろえた。大野豊さんは「マウンドによく声をかけに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた」という。北別府学さんは「ピンチの時にも頑張れと背中を押してもらった。あの優しい笑顔は忘れられない」と思い出を語った。

     達川光男・現ソフトバンクコーチは「キヌさんは『痛いとかかゆいとか言うからけがになる。黙っていたらわからん。試合に出るのが当たり前』と言っていた。今まで数多くの野球好きを見てきたけど、キヌさんがナンバーワン。一番野球を愛していた」と語った。小早川毅彦さんは「プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝しきれない。優しい先輩で努力の人。若手のお手本だった」。野村謙二郎さんは「レジェンドの方が亡くなって寂しい。監督になった時は『思い切ってやればいい』と声をかけていただいた」という。

    ■緒方監督に「常勝カープを」

     広島の緒方孝市監督は衣笠さんといっしょにユニホームを着たのは1年だけだったが、「頑張れよと声を掛けていただいたのを覚えている」。2016年に25年ぶりのリーグ優勝を決めた際、「ここから常勝の強いカープを築いてくれ」と言われたという。「優勝、そして日本一の報告をするためにも全員で戦っていきたい」と語った。

     歴代3位の1766試合連続出場記録を持つ阪神の金本知憲監督は「カープの先輩であるキヌさんから、休まないということに関していちばん影響を受けた。中心選手は常にグラウンドに立っていないといけないことを、無言で示した人だった」と振り返った。

    ■ライバルも悼む

     かつてのライバルたちも、衣笠さんの死を悼んだ。元巨人監督の長嶋茂雄さんは「『鉄人』と呼ばれた通り体の強い選手で、私が監督1年目の75年には山本浩二さんとカープを引っ張り、初優勝を見事成し遂げられたことが印象深いです。巨人戦で死球を受けた時には、カープのベンチを自らなだめながら笑顔で一塁へ向かう姿が忘れられません。芯が強く、優しい心を持っているいい男、ナイスガイでした」とコメントを発表した。

     王貞治・現ソフトバンク会長は「『鉄人』と呼ばれた彼なので、まさかという感じです。外見は怖そうな雰囲気だけど、実際にはすごく心の優しい人。死球を受けても相手を威圧することなく、闘争心をもって戦う中では珍しいタイプの選手だった。敵ではあるが、それを超えた形で話ができる人。もっともっと話がしたかった」と惜しんだ。

     楽天の梨田昌孝監督は「79、80年の日本シリーズで対戦した」と近鉄(現オリックス)時代の対戦をなつかしみ、「衣笠さんの辛抱強い姿を見て、今の広島の礎が築かれたのだと思う。とにかく『元気の源』みたいな方で、人懐っこく気さくに声をかけてくれる方でした」。DeNAのラミレス監督は「尊敬される方。日本人のロールモデル(模範となるお手本)だった」と語った。日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督は「会うたびに『がんばれよ』と笑顔で声をかけていただいた。まさか、という思い」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000091-asahi-spo

    1: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:42:17 ID:Snk
    FA制度が出来る前
    今以上に頻繁に行われいたトレード
    その中には破談になったトレードも
    いくつかあり、それが表に出るケースも
    稀にあった
    そのケースをあげていこうと思います

    2: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:45:16 ID:Snk
    2015年

    山川(西武)⇔広島、阪神

    当時2年目の山川に広島、阪神のフロントが目をつけて
    トレードを申請
    対象選手の情報は出なかったが
    2年目の山川を放出するわけがなく破談になった



    3: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:47:02 ID:Snk
    2001年

    坪井(阪神)⇔土肥(西武)

    野村と関係が悪かった坪井が放出対象選手に
    西武の土肥とまとまりかけたが
    星野監督誕生で話が流れた

    5: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:52:13 ID:Snk
    1995年

    高(広)⇔西口(西)

    スポーツ新聞が報道
    当時1年目の西口と広島では守備固めがメインだった高の
    トレード

    無題


    6: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:53:27 ID:0ZV
    西武ばっかやな

    13: 10人目の野手 2018/04/21(土)23:58:09 ID:Snk
    1985年

    有田(近鉄)⇔定岡(巨人)

    定岡がトレードを拒否し、引退で破談
    ただしトレードの話は続き、有田は淡口と山岡のトレードで
    巨人へ移籍した

    14: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:00:34 ID:xYi
    1965年

    広岡(巨人)⇔金銭(ロッテ)


    本人が著書で告白
    巨人で選手生命を終えたいと伝え破談に

    15: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:03:33 ID:xYi
    1989年

    高橋慶(広島)⇔田辺(西武)

    球団と関係が悪くなりトレード要員になった高橋
    しかし釣り合わないトレードだったのか
    破談になり
    変わりにロッテ高沢秀とのトレードが成立した

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    16: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:04:15 ID:xYi
    2001年

    石井貴(西)⇔清水(巨)

    松沼が西武コーチ就任で話が流れる

    18: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:05:20 ID:xYi
    1988年

    工藤(西)⇔宇野(中)

    週ベが報道
    当時不振の工藤を宇野で釣ろうとしたが
    西武が拒否し破談へ

    19: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:07:57 ID:xYi
    1997年

    広沢(巨人)⇔キンセン(横浜)

    金額が釣り合わず破談へ

    20: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:10:55 ID:xYi
    1994年

    吉田豊(ダイエー)⇔佐々木(横浜)

    根本がフロントに入ったダイエーは抑えがほしくて
    佐々木に目をつける
    当時の近藤監督と関係が悪かった事もあり
    成立寸前のところまでいったが
    上層部の反対に合い消滅
    このトレードが成立していたら横浜の歴史も変わっていたかもしれない

    22: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:14:32 ID:xYi
    2000年

    藪(阪神)⇔垣内(西武)
    藪(阪神)⇔飯田(ヤクルト)

    新庄移籍の穴埋め、右の大砲を求めた野村は
    藪をネタに画策も
    成立までいかず・・・

    24: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:17:24 ID:xYi
    2000年

    今岡(阪神)⇔山部(ヤクルト)

    野村と関係が悪かった今岡を目をつけたのがヤクルト
    野村チルドレンだった山部を放出し
    ほぼ成立寸前までいったがOB会から猛烈に反対され幻となった

    25: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:21:12 ID:xYi
    2003年

    嶋(広島)⇔関口(近鉄)

    伸び悩んでいた嶋の処理に困っていた広島は
    近鉄にトレードを持ちかけるも拒否
    翌年その嶋が赤ゴジラとしてブレイクするあたり
    野球は分からないものだと思う

    original


    26: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:27:16 ID:xYi
    2001年

    今岡&藪(阪神)⇔オリックス

    対象選手は不明も
    オフに監督に就任した星野が
    「一年だけ様子を見させて欲しい」と発言し破談へ

    28: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:32:12 ID:xYi
    1978、79年ごろ

    東尾(西武)⇔定岡(巨人)

    日刊スポーツが報道。
    長嶋茂雄がどうしても成立してほしいと
    懇願したらしいが当時プロ0勝の定岡と
    東尾では釣り合うわけが無く破談へ

    86: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:32:06 ID:HYA
    >>28
    というか球団が「東尾の放出は球団の死を意味し、それは我々が経営の当事者である限りありえない」との声明を発表したんだよな

    87: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:34:01 ID:xYi
    >>86
    それは1977年のクラウン時代
    巨人は東尾がどうしても欲しかったみたい

    29: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:36:37 ID:xYi
    1995年

    赤堀(近鉄)⇔門奈(巨人)

    落合がさんまのまんまにゲスト出演したときに告白
    パ・リーグを代表するストッパーと1軍半の選手だった門奈なので
    釣り合うわけがなく拒否される

    30: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:45:38 ID:xYi
    1975年

    門田(南海)⇔原田・上田(巨人)
    神部(近鉄)⇔原田・上田(巨人)

    最下位に落ちた巨人は
    トレードでチーム強化を狙うも
    拒否された

    36: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:49:17 ID:xYi
    2001年

    藪(阪神)⇔高村(近鉄)

    前年度に続き野村が藪をネタにトレードを打診
    ほぼ成立寸前までいくが
    奥様の不祥事で辞任され話は流れる

    37: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:52:03 ID:xYi
    1996年

    猪俣(神)⇔小早川(広)

    阪神が打診
    どちらも伸び悩んでいた事もあり成立は確実といわれたが
    何故か話は流れる
    二人ともそのオフにチームから退団している

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    38: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:54:43 ID:xYi
    1998年

    平尾(阪神)⇔高(広島)

    阪神が打診
    高が広島で現役を終えたいと言い、トレードは流れる
    数年後平尾は西武へ谷中とのトレードで移籍した

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    39: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:56:36 ID:xYi
    1961年

    米田(阪急)⇔王(巨人)

    詳細は不明だが
    阪急が拒否
    当時の王の成績や実績を見れば当然かも知れないが
    成立していれば
    阪急の歴史は変わっていた可能性があるかも知れない

    40: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:56:57 ID:aGz
    阪神多すぎませんかね?
    まあ単純に取材の量が違うんやろな
    ヤクルト取材するより金になるやろうし

    41: 10人目の野手 2018/04/22(日)00:57:25 ID:MNT
    藪ばっかり

    46: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:10:25 ID:xYi
    2012年

    大場(SB)⇔吉村(横浜)

    スポーツ新聞が報道

    no title


    しかし大場は放出されず
    多村、吉川、神内(SB)⇔江尻、吉村、山本(横浜)
    のトレードに変わった

    47: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:15:34 ID:xYi
    2002年

    大塚(近鉄)⇔田中秀、キンセン(阪神)

    ポスティングシステム失敗時に阪神が近鉄に提示

    48: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:16:17 ID:xYi
    2004年

    野口(中日)⇔清原(巨人)

    ウッズ獲得したため
    中日が拒否

    49: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:18:03 ID:xYi
    1988年

    平田(阪神)⇔紀藤(広島)

    当初阪神は金石を希望も
    広島が拒否
    広島が紀藤ならと持ちかけるも
    阪神が拒否し流れた

    original


    50: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:22:33 ID:xYi
    2000年

    井上、井川(阪神)⇔初芝(ロッテ)

    野村が週刊誌で後に暴露
    目先にばかりとらわれた先見の無さとフロントを批判した
    なお井上は2002年にロッテに自由契約を経て入団している

    51: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:27:28 ID:xYi
    1992年


    松永(オリックス)⇔仲田(阪神)

    オリックスを移籍志願していた松永の獲得に動いた阪神
    当初は阪神は島尾をトレードで持ちかけるも
    オリックスは当時のエース格仲田を要求
    沖田は出せないと断ると野田でどうだと言われ
    トレードが成立した

    54: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:35:05 ID:cVE
    >>51
    沖田になっとるで

    55: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:37:46 ID:xYi
    1998年

    大豊、中村(中日)⇔久慈、関川、桧山(阪神)

    吉田監督は中村の獲得を懇願(山田の育成に限界を感じたため)
    中日の正捕手の中村を取るために桧山の放出を考えるも
    フロントが桧山の放出を拒否し、流れる
    結果中村が2番手捕手だった矢野に変わり
    トレードは成立した


    >>54
    すまんな

    94: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:41:51 ID:HYA
    >>51
    こういう話も聞いたことがある

    松永(オリックス)⇔巨人

    最初に松永のトレードに乗り出してきたのは巨人
    だがオリックスは大胆にも先発三本柱のいずれかを要求したため
    巨人側が固辞しお流れになった

    96: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:43:46 ID:xYi
    >>94
    桑田とかきいたことある

    97: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:46:33 ID:gec
    >>96
    強気すぎるだろ…

    52: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:30:14 ID:xYi
    時期不明

    大田(巨人)⇔安部(広島)


    夕刊フジが2年前に報道
    正二塁手候補として
    広島出身の大田を餌にトレードを打診も
    折り合いがつかず流れる

    無題


    57: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:46:47 ID:xYi
    1988

    山内和+松崎(ダイエー)⇔真弓(阪神)

    南海からダイエーに、大阪から福岡へホームを変えたホークスは
    九州出身の真弓の獲得に動いたが
    人気選手だった事もあり阪神が拒否
    なおダイエーは95年にも真弓獲得の噂が流れたが
    実現には至らなかった

    59: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:52:54 ID:xYi
    1977年

    藤波、竹田(中日)⇔基(クラウン)


    藤波が拒否し破談へ
    結局竹田は松林とトレードでクラウンへ移籍

    60: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:53:55 ID:dyB
    そんなに真弓欲しかったんか

    62: 10人目の野手 2018/04/22(日)01:55:16 ID:uMm
    >>60
    88年ならまだ解るが95年とかもう40歳とかやで

    68: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:01:45 ID:xYi
    2006年

    仁志(巨人)⇔谷(オリックス)

    トレード志願した仁志の獲得に最初に動いたのはオリックス
    谷を相手に話を勧めるも
    仁志がオリックス行きを拒否(余談だが当時のオリックスは
    清原やノリがいた)
    結果横浜へ移籍
    谷は鴨志田、長田のトレードで巨人へ移籍した

    71: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:08:48 ID:gec
    >>68
    オリックスの谷放出も衝撃だけど
    仁志の放出も衝撃的よね

    69: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:06:10 ID:xYi
    2009年

    高井(ヤクルト)⇔木佐貫(巨人)

    元々巨人行きをドラフト時に志願していた高井
    に関心を示していた原は
    伸び悩んでいた高井の獲得に動く
    木佐貫の放出も考え、高田監督も前向きだったが
    ドラフト1位で獲得した選手は簡単には放出しない球団方針のある
    ヤクルトフロントが拒否し話は流れる

    72: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:12:07 ID:EXW
    ちょっと違う話になるけど
    中日谷元も選手間トレードにしたかったという噂あるよね
    選手間だと折り合いがつかず結局金銭

    73: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:13:10 ID:gec
    記事だと内野手らしいから周平か福田欲しがって蹴られたんじゃね

    76: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:16:35 ID:EXW
    >>73
    トレードの話がいつ頃から進められてたかわからんけど、成立した7月には福田は既に打線の要になってたし
    やっぱありそうなのはその時2軍にいた周平やろうね

    74: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:14:58 ID:xYi
    2014年

    武山(西武)⇔中村(横浜)

    度重なる造反行為で中畑と関係が悪化していた中村に
    伊原監督が興味
    「俺がしっかり教育するから」と再生に自信を見せ
    在籍経験のある武山で獲得に動いて欲しいとフロントに申請するも
    「うちのチームカラーに合わない」と却下される
    トレード要員だった武山は同年中日へ移籍している。

    75: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:15:42 ID:gec
    >>74
    あったなぁノリの放出話

    77: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:17:28 ID:uMm
    >>74
    ノリさんこの年一軍でやたら打点はあげてたんよな

    79: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:21:33 ID:gec
    >>77
    とはいえ打席内容見ると酷いもんで誤魔化して逆方向へのシングルで目の衰えを隠してた

    78: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:19:34 ID:xYi
    2012年

    秋山(阪神)⇔今成(日ハム)

    今成獲得に動いていた阪神にハムは秋山を要求
    当時結果が出ていなかった秋山にフロントも放出を考えるも
    前年オフにオーストラリアリーグに派遣していた事もあり
    様子見と判断し、断りハムは若竹で再度トレードを要求し
    成立する

    84: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:29:02 ID:xYi
    1967年

    稲尾(西鉄)⇔広島

    キンセンか選手かの詳細は不明
    当時衰えていや稲尾だが
    翌年から監督になった根本が獲得に動いていたとか

    professional_14934140093703


    85: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:31:52 ID:xYi
    補足

    稲尾の移籍は西鉄の豊田泰光が著書に記載
    当時稲尾の後援会長がチームに移籍を拒否していたらしい

    89: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:37:04 ID:xYi
    1972年

    湯口(巨人)⇔ロッテ

    ロッテ監督に就任した金田が
    当時色々あった湯口を心配しトレードに乗り出すも
    実現せず

    98: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:56:31 ID:xYi
    2003年

    佐伯(横浜)⇔小笠原(中日)

    落合監督就任でトレードの凍結を宣言し破談に
    佐伯は後に中日へ入団している

    101: 10人目の野手 2018/04/22(日)02:59:43 ID:gec
    >>98
    佐伯の闇が深いところは確かこの時球団に意見したのが問題視されて放出危機に陥り
    後にTBS末期に絶縁状を一方的にたたきつけられて以後DeNAに移行するまで佐伯は横浜OBを名乗れなかった

    103: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:01:23 ID:xYi
    2009年

    藤田太(阪神)⇔赤田(西武)

    赤田が選手会長だった事がネックで流れるも
    トレードは水田で成立
    赤田も翌年オリックスへ移籍している

    >>101
    コーチとしても迎え入れる気は無いといわれたとかきくね

    104: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:02:08 ID:gec
    >>103
    せやでコーチも横浜がらみの解説もさせないと

    105: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:05:32 ID:xYi
    1989

    バークレオ(西武)⇔大野(広島)

    月刊ドラゴンズが記載
    広島が干されていたバークレオの獲得に動くも
    西武は大野を要求し流れるバークレオは
    翌年広島へ移籍している

    >>104
    酷い話だよね

    106: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:10:12 ID:xYi
    1990

    大野(広島)⇔西武

    小池のドラフトクジを外した西武はどうしても左腕
    が欲しかった。
    しかし大野を出す事を拒んだ広島は高木宣のトレードを提案
    91年に高山とのトレードが成立した

    108: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:13:42 ID:xYi
    2012

    日高(オリックス)⇔久保田(阪神)

    捕手がいない阪神は日高獲得に動くも
    オリックスが久保田を要求したため破談へ
    結果阪神は今成獲得に動くのであった

    110: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:15:12 ID:0eO
    その後日高はFAで結局阪神に来たと

    111: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:19:09 ID:xYi
    1983

    江夏(ハム)⇔篠塚、キンセン(巨人)

    大沢退陣で移籍が確実と見られた江夏に
    巨人が興味
    しかし西武が巨人に取られる前にと
    柴田、木村でトレードをもちかけ西武へ移籍することに

    112: 10人目の野手 2018/04/22(日)03:22:15 ID:xYi
    時期不明(古葉時代)

    川藤(阪神)⇔広島

    川藤が我が道で告白
    広島の古葉監督が川藤にほれ込み
    本人も移籍するつもりでいたが
    阪神が交換トレードを要求して広島のフロントが
    そこまでして欲しい選手ではないと言われ拒絶される

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    116: 10人目の野手 2018/04/22(日)13:00:28 ID:ZB1
    >>112

    川藤らしい



     オープン戦が本格化し、開幕の足音が聞こえ始める3月。春季キャンプを打ち上げたばかりの広島・緒方孝市監督(49)を、スポニチ本紙評論家の大野豊氏が直撃インタビューした。この中で指揮官は、チームに勢いを与える若いキーマンの出現を熱望。今季のチームづくりに言及しながら、球団初のリーグ3連覇と34年ぶりの日本一への意気込みを語った。(構成・江尾 卓也)

     大野 春季キャンプが終わった。緒方監督が見た、チームのここまでの仕上がりは?

     緒方 ここまではいい練習ができていると思います。ただ、個々に目を向けると、思ったように状態が上がらない選手もいる。(鈴木)誠也、丸がそうですし、投手だと中村祐が実戦に入ってすぐにケガ。死球を受けたバティスタも少し時間がかかるかな…と。

     大野 キャンプってアクシデントがどうしてもあるからね。そういう中でオープン戦が本格化する。

     緒方 ここからですね。シーズンに備えての基礎的なことを、キャンプで反復練習してきました。ここから本格的に実戦に入っていくわけですが、試合がいろんなことを教えてくれるし、いろんなことが見えてくると思います。ミスを反省し、ミスを犯さないようにしながら、シーズンに入る準備をしっかりやりたいと思います。

     大野 今年は3連覇という目標があり、その上の大目標もある。

     緒方 はい。

     大野 立場上は心配が尽きないだろうけど、信頼できる選手が増えてきたのも事実。

     緒方 いや、もちろんです。期待は年々高くなっていますし、投手にしろ野手にしろ、選手たちがやってくれないと3連覇は難しいと思っています。

     大野 ズバリ、キーマンは誰だろう。

     緒方 ボクは若手だと思います。チームに勢いをもたらす選手。昨季で言えば薮田がそうだし、バティスタもそう。彼らのような若い力、計算していなかった力がポンと出てくることが大きい。キーマンの名前はわからないですけど、若い選手がカギを握る…と。

     大野 うん。そういう選手が出てくれば、カープの強さを持続できる可能性が高まる。

     緒方 カープの一番の武器は明るさ、チームワークなんですよ。その輪の中に入り、その気になって周りを勢いづけてほしい。いろんな形でチャンスを与えたいと思いますし、どんどんアピールしてほしいな…と。

     大野 今季に向け、選手たちに伝えたことは何かある?

     緒方 “自分が(監督を)やる限りは目指す野球、実践する野球は変わらない。でも、メンバーは変わるよ”と。競争を勝ち抜いた人がレギュラーとして試合に出る。それが自分の信念なので。今季も、投手を中心とした守りの野球をしっかりやっていく。そこは選手も理解してくれていると思います。

     大野 そうだね。

     緒方 でも、終わりはないですね。カープは常に、若い選手を育てないといけない。ただ、新しい力を加えるにはマイナスも多い。それを周りがカバーして、マイナスから大きなプラスに変える。それが育てることなので終わりはないです。

     大野 強くていいチームになった。改めて今季の目標は?

     緒方 戦う以上はペナントを勝ち取る。まずはそこです。それが球団初の3連覇につながりますし、我々にとっても大きなモチベーションになる。その上で、勝ち切って終わるシーズンにしたい。2度、それもマツダで負けて終わっていますから。今年こそは日本一を獲るシーズンに…という思いでいます。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00000091-spnannex-base

     広島、巨人でプレーした川口和久氏が2日、TBS系「爆笑THEフライデー」に出演。現役時代、登板した試合でバックネット裏によじ登った因縁の“クモ男”と対面した。

     1990年5月12日、広島市民球場で行われた巨人-広島。川口は広島の先発マウンドに上がっていた。予期せぬハプニングは午後7時20分、巨人の六回表の攻撃前に起こった。

     突然、忍者もどきの男が球場に乱入。バックネットによじ登り、垂れ幕を垂らした。記されていたのは「天誅!悪ハ必ズ滅ビル!」、「ファンヲアザムクナ!」、「巨人ハ永遠ニフケツデス!」の3項目。さらにネット上から煙り玉を放り投げ、試合を中断させた。

     当然、威力業務妨害の現行犯で逮捕。翌日、新聞では「クモ男逮捕」として大々的に報じられた。クモ男の正体は、熱狂的な広島ファン。当時、巨人の一部選手による裏金疑惑が問題化していたことに怒り、「夢を与える選手が何をやっている」と騒動を実行したという。

     番組には、事件を起こしたクモ男本人が匿名で出演。当時を振り返り罰金20万円、ネットから飛び降りた際に右足首を複雑骨折したことなどを明かした。また、ギプスを半年、リハビリにも半年費やしたことで務めていた建設会社も退社。自宅には巨人ファンや野球ファンから脅迫電話がかかってきただけでなく、カミソリ入りの手紙なども届いたという。

     だが、年末の「プロ野球珍プレー好プレー」に何度も登場。面白おかしく取り上げられたことで、周囲から「サインください」とねだられるほどの有名人になり、クモ男の名刺まで作ったという。

     この事実を知った川口氏は「クモ男には怒っています。わびの一つも言ってほしい」と鬼の形相で、本人と対面。「ヒーロー気取りってのが頭にきます。NHKで全国中継されて、選手も気合いが入っていた。(クモ男の登場で)勝ってる試合を逆転されたんです。その1勝があれば通算140勝だったんですよ」と怒りをぶちまけた。

     「申し訳なかった」と謝りながら、「今日が一番の思い出。川口さんに会えたもん」と笑うクモ男。川口は「反省してますか?」と苦笑いしながら、仕方ない様子でがっちり握手した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180302-00000104-dal-ent&pos=3

     広島の薮田和樹投手(25)は15日、本紙評論家・大野豊氏との対談で、チームトップの投球回数を投げ抜くことで、コイの投手陣を背負って立つ覚悟を示した。大野氏は、個性的な投球フォームを貫いて結果を残した姿勢を評価。勝率第1位となり初のタイトルを獲得した昨季からの、さらなる活躍に期待した。

    ◇  ◇  ◇

     大野 プロ4年目のキャンプ。第3クールを終えて、今の段階の体、投球の状態はどう?

     薮田 去年の春が、それまでで一番調子がよかったのですが、それと同じぐらいの状態なので、今年はいいスタートが切れたと思います。

     大野 大学時代も故障の経験もあったりして、去年のあたりから肩の心配が解消されたように感じるけど、体のケアに関しては意識している部分はあるの?

     薮田 胸回りの硬さをとにかく出さないようにしています。

     大野 おお。なるほど。

     薮田 これまでは胸のあたりが硬かったので、どうしても肩だけで投げてしまって。胸もそれるようになって、肩の負担を減らすことができたのかなと思います。

     大野 それは自分で考えたの?

     薮田 カープのトレーナーの方に指摘されました。3軍のころにほぼ付きっきりで指導していただきました。

     大野 その成果は感じる?

     薮田 今は肩の不安は全くありません。

     大野 薮田の場合は独特の投げ方で。テイクバックが体に近いところを通って投げる。それが、肩の故障の原因と言われたことがあるんじゃない?

     薮田 はい。あります。

     大野 でも、それを変えずに今もしっかりと投げられている。

     薮田 テイクバックをもう少し遠回りさせたりということも試したりしたのですが、そうすると肩に痛みが出たりしました。痛くない投げ方を学生時代に考えてたどり着いたフォームなので。自分に負担が少ないのかなと思って。今のところ痛みも出ないので、この投げ方を継続していこうかなと思っています。

     大野 この投げ方で成績を残したのだから、今は誰も文句を言う人もいないでしょ?

     薮田 そうですね(笑い)

     大野 薮田の投げ方はひとつの自分の個性。俺も個性のある、テイクバックがお尻のうしろに入るような投げ方だった。薮田も個性を変えずして、自分の力を出せる状況をつくれたというのは非常に大きいと思う。そういうこだわりというか、頑固さというか。それで結果を残したのだから。それで去年はね、とりあえず、おめでとう(笑い)。勝率1位だからね。

     薮田 ありがとうございます。

     大野 シーズンの最初はリリーフで入って3勝したよね。中継ぎとして始まったということに関しては、どういう気持ちだった?

     薮田 開幕1軍も初めてだったので。まずは、自分のポジションを確立させようというのが一番でした。1年間1軍でプレーするということを目標にして、中継ぎをやるのであれば勝ちパターンに入りたいと考えていました。

     大野 それから交流戦で先発を任されて。そのときの心境は?

     薮田 最初は調整が難しかったので、ブルペンに入れてもらって、中継ぎ待機をしながら初先発を迎える形になりました。

     大野 そこから大ブレーク。先発ローテもしっかり守って。内容を振り返って、これでプロでやっていけるなというような自信はどの時点でつかめた?

     薮田 今でも、これでやっていけるという自信はまだないです。

     大野 そうなんだ。

     薮田 去年はうまく行きすぎて、逆に怖いなという思いもあったので。

     大野 ただ、去年成績を残せた中で、精神面なのか技術面なのか、何か変化はあったんじゃないの?

     薮田 技術で一番変わったのはカットボールをうまく使えるようになったこと。これまではツーシームには自信があったけど、それがダメな日は真っすぐしかないという状態だったので。カットボールを覚えてからは、ツーシームがダメな日でも、直球とカットボールで組み立てることができました。それが一番大きかったと思います。

     大野 確かにツーシームもカットボールも使えるようになった。それ以外にも、薮田が投げている姿を見たら、自信を持って打者に勝負できるように見えるんだけど。気持ちの部分の変化はもあったのかな? それは自分の中で感じてはいなかった?

     薮田 そうですね。あまり感じてはいません。

     大野 俺から見たら、精神的な部分ですごい成長したなと思ったんだけど。

     薮田 カープは打線がいいので。最低限クオリティスタートをしようとは考えていました。それさえすれば、勝ちがついてくると感じたので。

     大野 ピンチでも落ち着いて粘り強く、自分の投球をすればいいんだというふうに見えた。

     薮田 大野さんがおっしゃったように、諦めずに最少失点で切り抜けていけば、打線が追いついてくれたり、逆転してくれるというような考えはありました。

     大野 その中で15勝3敗。タイトルホルダーだからね。これはすごいことだと思うよ。今年は何か新たに取り組んでいることはあるの?

     薮田 球種でいえばフォークとシュートを投げています。フォークは元々投げていたのですが、ツーシームの落差がついてきて、あまり使うことがなくて。ツーシームがダメで落ちる球がないときに代用できるボールとして取り組んでいます。シュートは、直球とツーシームの間のボールになるので。右打者も踏み込みにくくなるボールをつくりたいと思ったので。

     大野 キャンプでの新球の手応えはどう?

     薮田 フォークはいい感じかなと思うのですが、シュートは日によったりですね。

     大野 新球に取り組むことで、他の球種にも悪影響が出る怖さはない?

     薮田 シュートは一番難しくて。シュートを投げることで、他の球種とのバランスが崩れたりしているので。そこを立て直しながらやっています。去年と同じ投球ができれば数字もついてくると思うので。そのためには今持っている球種の精度もあげないといけないですし。去年の投球ができなくなったときにどう立て直すかを考えたときに新しいものが必要だと思いました。

     大野 色々考えてるね。いいことだよ。悩むだけではなくて、ちゃんと考えているね。シュートは俺も使っていたけど、曲げたいということで、腕を逆にひねっていくイメージがあるでしょ。体が開いてしまう危険がある。直球と同じような形で入っていってリリースのところでひねるイメージ。そうしたらバランスが崩れるのは防げると思う。そんなに数多く投げるボールではないからね。でも、それがあるというだけで打者は違うはずだから。新しいものがあると打者も打ちにくい状況に持って行けるから。そういう意味では新しいボールを覚えることは大事だと思うし。でも、薮田が言ったように、真っすぐ、ツーシーム、カットボールの精度を上げることがまず大事だからね。そこから新しいボールがついてくるイメージが必要だと思うよ。

     薮田 はい。直球は順調に仕上がっていると思います。

     大野 それが一番。新球に取り組めているのは、これまでと違って、ある程度立場が確立できた状況が関係あるのかな?

     薮田 いや、それは関係ないです。去年は黒田さんが抜けて、先発の枠が2つも空いていた中でつかみきれなかった。今年はまずそこを確実につかみにいくという目的でこのキャンプに入っています。

     大野 薮田にとって、黒田というのはいい教材として、影響があるのではないかな?

     薮田 はい。本当に投手の鏡のような人だと思うので。

     大野 黒田の投球を見て学んで、投球に生かすという投手は本当に増えた。薮田もそのうちのひとりだと思う。もちろん薮田の能力もあるけど、そういう人がいたということもより一層能力が生かされていると思う。本当に素晴らしいですよ、この成長は。ところで、今年はもう一回活躍できるぞという自信に満ちているのか、本当に大丈夫なのかなという怖さのほうが大きいのか、今はどういった心境?

     薮田 去年は本当にうまく行きすぎたシーズンだったので、シーズンが終わった段階では来年が怖いなと思っていたのですが、今年に入ってからはどれだけできるか早く試合がしたいという気持ちが強いですね。

     大野 不安と期待というのがキャンプに入る前は誰にでもある。その不安の部分はキャンプで解消していけばいい。いい形で肩を作って、大きく期待の方にしていけばいいと思うよ。とにかく、今年はさらに成長した薮田の投球が見られるということかな。

     薮田 はい。がんばります。

     大野 ハハハッ(笑い)。今年は監督の期待はあるだろうしね。去年も素晴らしい数字だけど、今年は最初から先発ローテに入ることになる。具体的な数字の目標はあるかな?

     薮田 一番は規定投球回ですね。今年も中継ぎ全員に50試合以上投げさせてしまう状態だと、いつ崩れてしまうか分からない。まずは自分自身が長いイニングを投げていきたい。数字でいえば170イニング以上は投げたい。

     大野 そこは180とは言わないんだ(笑い)

     薮田 去年の1試合平均平均が6・5イニングぐらいだったので、そこが7イニングになれば25試合で170イニングぐらいになるということで。

     大野 完投の意識はあまりない?

     薮田 いえ。もちろんあります。

     大野 緒方監督の思いとして、180イニングぐらい投げて、勝ち負けも大事だけど、まずは試合をつくってほしいという思いが強い。やっぱり薮田自身もそういう思いはある?

     薮田 去年の(野村)祐輔さんみたいにカード頭で回っても安定した数字を残せるというのが、チームの柱になる投手の姿だと思うので、今年はそこを目指していきたいと思います。

     大野 去年の祐輔を目指したらダメだよ(笑い)。去年は150イニングぐらいしか投げてないからね。どちらにしても、祐輔よりもチームの誰よりも多いイニングを投げられる投手を目指してほしい。去年の体の疲れは大丈夫?

     薮田 ないです。

     大野 ということは、順調に来ているということだね。結婚もしたしね。新婚生活はどう?

     薮田 楽しいです(笑い)

     大野 ハハハッ(笑い)。支える人もできたということだしね。ローテを1年間しっかりと守ってほしいということと、そのためにキャンプをいい形で過ごしてほしい。力強い投球を期待してます。

     薮田 はい。ありがとうございます。3連覇の中心にいたいですし、誰よりもイニングを投げて、最後まで守り抜くということを意識したいと思います。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180216-00000097-spnannex-base

     2年目で大化けの予感だ。広島の緒方孝市監督(49)が14日、宮崎・日南キャンプ打ち上げに際して「目に付いた」選手の一人に左腕・高橋昂也投手(19)の名前を挙げた。花咲徳栄高時代に寺島成輝(履正社→ヤクルト)、藤平尚真(横浜→楽天)とともに「高校ビッグ3」と言われた同投手には、安仁屋宗八臨時投手コーチ(73)も大物OB左腕と重ねて「Gキラー襲名」の期待を寄せている。

     左腕不足が懸案事項となっていた赤ヘルに待望の孝行息子が現れた。高橋昂は11日の紅白戦で最速146キロの直球を武器に田中、菊池、松山といったバリバリのレギュラーを相手に3回で4安打されながらも零封。沖縄で行われる一軍の2次キャンプ帯同が決まっただけでなく、今年初の対外試合となる18日の中日との練習試合での先発にも指名された。

     伸び盛りの左腕は、鯉の生き字引でもある安仁屋臨時コーチいわく、通算139勝左腕の川口和久氏(58)と「タイプが似ている」。投手コーチ時代の教え子でもある川口氏は右打者の内角に力強い直球を投げ込むクロスファイヤーを生かし、巨人戦通算33勝を挙げるなど1980年代~90年代前半の赤ヘル黄金期を支えた。高橋昂も踏み出す右足がインステップしていることや、直球で右打者の内角を攻めていることから「まだ直球がスーッと入ってくるイメージだが、スライダーやカットボール気味に入ってくれば面白いよね。(Gキラーに)なってもらいたい」とエールを送る。

     くしくも川口氏の広島在籍時と同じ「34」を背負う高橋昂は「(川口氏に)実際にお会いしたことはありませんが、背番号が一緒なので調べたことがあります」と興味津々な様子。それどころか「しっかり一軍に定着できたら、どの球団にも勝てる投手になりたい」と“川口超え”も視野に入れている。広島で過去、巨人戦で30勝以上を挙げたのは川口氏を含め3人(長谷川良、北別府)のみ。高橋昂が“新Gキラー”となるか見ものだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180215-00000035-tospoweb-base

     ソフトバンク達川光男ヘッドコーチ(62)、柳田悠岐外野手(29)、野球解説者の大野豊氏(62)が12日、盛況のソフトバンクキャンプ地で丁々発止の広島トークを繰り広げた。

     達川ヘッドは広島での現役時代、同い年の大野氏とバッテリーを組むなど気心知れた間柄。広島市出身の柳田を見つけると「オイ、柳田! 広島が生んだ戦後最大のスーパースターにあいさつしたんか」と大野氏のもとへ歩を促した。

     なお大野氏は島根県出身。ここで柳田は満を持して「僕、大野さんの引退試合、見に行きましたよ」と1998年9月27日、9歳当時の思い出を披露した。「父ちゃん母ちゃんに連れられて。満員で、一番上の席でした」と思い返すと、達川ヘッドは「何で、早う言わんのか」と苦言を呈した。

     「わしゃ、あの頃2軍監督じゃったけえ。早よ言やあ、家族席の券を出してやったのにのう」。ちなみにその翌年の99年、達川ヘッドは2軍監督から1軍監督に昇格したが、チームは2年連続5位。投手コーチとして招へいされた大野氏は1年で辞任している。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180212-00010012-nishispo-base&pos=3

     巨人史上最強の助っ人と称されるウォーレン・クロマティ氏。1984年に加入すると首位打者、MVP、ベストナインなど数々のタイトルを獲得し、大きな輝きを放った。1990年に退団するまで通算779試合に出場。打率.321、171本塁打、558打点と好成績を残した。



    クロマティ氏が敬愛するイチローに送る異名「Chosen One」の意味

     60歳を過ぎた今でも来日し、その元気な姿を披露。今夏には宮城県石巻市で行われたリトルリーグ小学4・5年生の全国大会「MLBカップ」にゲストとして参加し、16チーム、250人の野球選手に直接指導を行った。その際は2か月間滞在してプロ野球を視察するなど精力的に活動した。

     そんなクロマティ氏がこのほど、巨人でプレーした当時を振り返り、メジャーリーグで活躍すると確信した5人の実力者がいたことを明かしてくれた。同氏が真っ先に挙げたのは秋山幸二氏だ。

    「昔のNPBのレベルは本当に高かった。当時メジャーでも活躍できる実力を持った選手はいた。アキヤマはまさにそうだ」
    引用元 https://full-count.jp/2017/11/09/post92110/

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