広島カープブログ

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    天谷宗一郎

     今年1月に胃がんの切除手術を受けた広島の赤松真人が6日、『2カ月』というタイトルで自身のブログを更新した。

     赤松は「今まで抗がん剤の事はいっていなかったのですが、頑張ってやっています!抗がん剤と聞いて心配になりましたが、治療より予防するという意識でやっています」と説明。続けて「予防といっても抗がん剤を投与することによって副作用があるのですが、それがまたキツイです!健康な細胞まで攻撃してしまうので、それにより怠さや吐き気など様々な症状が出ます」と明かす。

     また、現在は「3週間を1セットとして8セットします。1月20日から始めていますので今は、3セット目が始まっています。今がまさにキツイ時です!やり始めて1~4日が僕はきついですが、ここを踏ん張ると何とか耐えられます!頑張って耐えます!」と意気込んだ。

     赤松が更新したブログには、マツダスタジアムに沢山の方々から送られたという千羽鶴の写真も併せて掲載され、「辛いときに支えてもらっています!本当に感謝です!」と感謝した。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170306-00105955-baseballk-base

     広島松山竜平外野手(31)と天谷宗一郎外野手(33)が17日、広島市内のショッピングモールでトークショーを行った。

     質問コーナーでは優勝旅行先のハワイで楽しかったことを問われ、松山が「ハワイでゴルフが出来たこと」、天谷は「家族と過ごした時間」と答えた。また、天谷の背番号49についての質問では「投手の背番号をつけたかった。何種類か提示してもらったけど、僕の前にベイルがつけていたので49番にしました」と明かした。天谷は入団から06年まで69番を背負っていた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161217-01753100-nksports-base

     広島の小窪哲也内野手(31)、上本崇司内野手(26)、庄司隼人内野手(25)、天谷宗一郎外野手(33)、土生翔平外野手(27)が11日、広島県福山市のツネイシスタジアムで行われた「ツネイシベースボールクリニック2016」で講師役を務め、150人の少年少女を指導した。

     打撃指導した土生はしっかりタイミングをとって自分のスイングをするように」と呼びかけた。守備を担当した小窪は捕球姿勢などを指導。自らが見本となり細かく教えた。

     閉会式では天谷が「小中学生の皆さん、たくさんの人に支えられて野球ができているということを忘れないように」と話し、「日本一になれなかった悔しさをもって来年、日本一になれるようチーム一丸となって頑張っていきたいと思います」と力強いあいさつで締めた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161211-00000066-dal-base

     広島は14日、湯布院リハビリキャンプの詳細を発表した。大分・由布市で17日から21日まで行う。参加選手は19人。8人だった昨オフから大幅に増えた。以下の通り。

     投手 福井、九里、大瀬良、今村、岡田、野村、中崎、一岡

     捕手 会沢、石原

     内野手 田中、小窪、新井、菊池、安部

     外野手 赤松、松山、天谷、鈴木


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161114-01738106-nksports-base

     【25年ぶり鯉のぼり5】09年秋、引退から4年を過ぎた野村謙二郎は12年連続Bクラスからの再建を託された。短期間の臨時コーチ以外では指導者歴を経ない監督就任だった。現役当時は7年間に渡って主将を務め、オーナーの松田元から「切り札」と期待を寄せられた。

     最初のミーティングで選手に呼びかけた。「目標は優勝。Aクラスを目指す――はやめよう。笑われてもいいじゃないか。優勝という目標を言葉にしよう」。実際、本当に周りには笑われた。構わなかった。泥臭さ、負けん気、誇り…。赤ヘルの伝統が薄れているという危機感があったから、半ば無理やり、「優勝」と選手に言わせた。

     全力疾走やバックアップなど「当たり前のこと」から説いた。若い選手は特に?って怒った。向かってきた一人が丸佳浩だった。「もっと教えて欲しい――。そんな目をしていた」。11年秋のドラフトで無名の地方大学から加わった菊池涼介には驚かされた。「教えたことがすぐにできた」。堂林翔太は3年目で全試合起用し、鈴木誠也も1年目から抜てき。投手でも中崎翔太や戸田隆矢らを引き上げた。「リスクはある。でも、スカウトの眼を信じた」。代わりに中堅選手を外すときには「はい上がってきて欲しい」と心を鬼にした。

     3位争いに敗れた12年頃から変化に気付いた。優勝したい――。強制ではない自発的な選手の声を聞いた。13年に16年ぶりAクラス入りを果たし、クライマックスシリーズ(CS)に初進出。5年目の14年には秋に巨人と優勝争いを演じた。10年春の開幕戦と14年秋のCS最終戦。最初と最後で、まるで違うチームになった。土台をつくり、退いた。

     区切りをつけたのは激務による心身の消耗以外にも理由があった。「カープは常に人材を見いだして育てていかないといけない球団。監督が代わって視点が変われば、新しい人材がきっと出てくる。だから、長くやり過ぎない方がいい」。後を託した緒方孝市が宙に舞う光景を「見事に“アンカー”を務めてくれた」と心から喜んだ。

     悲願の優勝から一夜明けた11日の巨人戦。2年目19歳の左腕、塹江敦哉が1軍デビューした。1/3回6失点、防御率162・0の出発にもうなずいた。「優勝して終わりじゃない。次の世代の人材を見いだそうという意思表示だと思う。もう25年も待たせるわけにはいかないから」。志が引き継がれたことがうれしかった。=敬称略、終わり=

      (広島取材班)

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