広島カープブログ

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    安仁屋宗八

    <全国高校野球選手権:下関国際-創志学園>◇15日◇2回戦

     「レジェンド始球式」に沖縄(現沖縄尚学)OBで元広島の安仁屋宗八氏(73)が登板した。往年のフォームをほうふつとさせる力投で力強く投げ込んだ。

     「終戦の日」の登板に「100回大会を迎えられて、日本が平和じゃないと続くことじゃない。日本が平和だから続いたこと。戦争というのは2度と起きてはいけない。終戦の日に始球式をさせてもらえることは、幸せの1ページ。一生の思い出です」と平和を願った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00300125-nksports-base

     “虎のレジェンド”小山正明氏(83)と“鯉のご意見番”安仁屋宗八氏(73)が緊急対談。最終回となる第5回は再開したセ・リーグの今後を展望した。

      ◇  ◇

     小山「貧打に泣いた阪神の交流戦。広島もオリックス、ソフトバンクとのアウエーで5連敗。危惧しとった投手陣の弱さが最後に出たね」

     安仁屋「カープは序盤に投手陣が打ち込まれましたが、その後は中継ぎ投手らの頑張りでなんとか持ち直した。しかし、最後の最後で先発も中継ぎも崩れてしまった」

     小山「ただゲーム差は詰まっていない」

     安仁屋「交流戦のマジックですね。他も決め手がないから助かってる」

     小山「阪神は序盤に点を取っても“山口百恵”なんやから」

     安仁屋「どういう意味ですか?」

     小山「これっきりこれっきり、これっきり~ですかぁ、ちゅう歌が昔あったやろ(苦笑)」

     安仁屋「その点カープは序盤抑えられていても後半何とかなる、という自信のようなものを選手は持っている。けど、さすがに後半は苦しかった」

     小山「阪神は投手陣は結構踏ん張っとるんやけどな。防御率はリーグトップやし、それなりの戦いはしとった。しかし、いかんせん打線がな」

     安仁屋「カープ側から見ても怖さは感じない。一発のありそうな右打者はいても確率が…。それでも、鳥谷なんかが打線にいると嫌ですよ」

     小山「連続試合出場の記録が止まって、どこか吹っ切れた感がある。去年三塁でゴールデングラブ賞を取ったように、守備も安定感がある。自分の範囲内に来た球は確実に処理するからね。それに若いもんにない経験もあるし…ところで広島を追うのはどこやろ?」

     安仁屋「阪神の攻撃陣がどれだけ上向いてくるか、というのはあるけど、現状ならヤクルトでしょう」

     小山「開幕当初は投手陣が苦しいと思っとったが、意外によう頑張っとる。打線は元々いいんで食らいつくかもしれん」

     安仁屋「カープからコーチの石井と河田がヤクルトに移ったでしょう。ワシは彼らの存在が大きいと思っとるんですよ。去年不振だった山田が復活したのは多分に彼らの影響がありますね」

     小山「故障してた選手も次々に帰ってきとるし、イキのいい若いのも出てきた。それが石井と河田のおかげやったら彼らは大したもんやで。もちろん、巨人もあなどれん。今の日本球界で、投手、野手合わせてNo.1だと思うのが菅野やね。安定感がまるで違う」

     安仁屋「僕も菅野やと思います。あの投球は守っているバックに安心感を与えるんですね。しかし、彼が投げる時は苦戦必至でも、それを攻略すれば勢いは確実につく。去年、薮田が菅野に投げ勝って1-0の完封勝ちをしてからブレイクしましたから」

     小山「DeNAはどう思う?」

     安仁屋「去年CSファイナルで負けているだけに、調子には乗せたくない相手。新人の東ちゅう投手もいいしね」

     小山「打線だけ見ればDeNAは阪神よりかなり上。夏場になってくれば広島の投手陣もかなり苦労するんじゃないかな」

     安仁屋「カープもまだ万全じゃないんで夏場以降にヤマ場が来ると思います。そこをどうしのぐか。まだ阪神にもチャンスはありますよ」

     小山「阪神は他球団どうこうよりいかに自分とこの調子を上げるかや。福留、糸井らベテランに疲れが出始める時期。ここをどう若手が踏ん張るか。当面は勝率5割キープで我慢することや」

    (おわり)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180626-00000045-dal-base

     現役通算320勝を誇る“虎のレジェンド”小山正明氏(83)と、現役時代に小山氏に師事した広島OB会長・安仁屋宗八氏(73)が西宮市内で緊急対談、虎と鯉を巡るあれこれを語り尽くした。第4回は、2003、05年の阪神リーグ優勝に貢献した下柳剛氏の“強肩”を引き合いに出し、投げ込みの重要性に言及した。


      ◇  ◇

     小山「僕が根本(陸夫)さんにダイエーに呼ばれた1994年やったかな。2軍から『球威はあるけどコントロールが今一つの投手がいる』という報告があって、根本さんが『それを1軍に呼べ!!』となった。のちに日本ハム、阪神へと移る下柳や」

     安仁屋「彼もよく投げたらしいですね」

     小山「投げた、ちゅうもんやない(笑)。試合前の打撃練習で『最後まで投げろ!!』と命じられて投げ、それが終わったら今度はブルペンでまた投げる。根本さんに『大丈夫ですか?』と聞いたら『お前、黙っとれ!』とこうや」

     安仁屋「根本さんにそう言われると黙らざるを得ない(苦笑)」

     小山「オリックス戦で神戸に来た時、宿舎出発の2時間前に根本さんが下柳1人を連れて球場に行くわけよ。僕らが着いてブルペンを見ると、根本さんが下柳を投げさせてた。ホームの練習が終わり、ダイエーの打撃練習が始まると今度はフリー打撃に登板や」

     安仁屋「僕と外木場がそれでした。今じゃ笑い話ですが、当時はそんな破天荒なことが普通にあったんですよね」

     小山「それが強い安仁屋を作り、強い下柳を作ったんだよ」

     安仁屋「今の選手にも同じようにというのは無理でしょう」

     小山「そうかもしれんが、昔の人がやってきたことを原点に戻って考えてみるのも必要と違うかな。阪神のルーキー・高橋遥が肩があまり強くないと聞くけど、ならば強い肩を作らないといかん」

     安仁屋「僕らは投げて強い肩を作るという考え方ですが、今は『壊したらいけない』という考えが優先する。特にトレーナーを中心に、ですね」

     小山「『やらせ過ぎたら壊れる』という論やろうが、壊さないためにやらせるという考え方もある。ある球団でコーチをした時、別のコーチがそんなことを言うから『それは違うぞ』と怒ったことがあった。そのコーチは練習嫌いで有名だった(苦笑)」

     安仁屋「我々の頃の常識が今では非常識になっていることが多い気がしますね」

    (第5回につづく)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180625-00000045-dal-base

     現役通算320勝を誇る“虎のレジェンド”小山正明氏(83)と、現役時代に小山氏に師事した広島OB会長・安仁屋宗八氏(73)が西宮市内で緊急対談、虎と鯉を巡るあれこれを語り尽くした。第3回は投手は強靱な肩をいかにして作り上げるか-について双方が持論を展開した。



      ◇  ◇

     小山「僕や安仁屋らがやってきた時代からすれば、今は考えられんことをやっているわな」

     安仁屋「先発投手は中4日が当たり前だったのが、今は中6日が普通。それで100球前後で交代、というんですから…」

     小山「それからすると、安仁屋はよう投げてくれたよな。僕が阪神でコーチをしている時に、リリーフで来る日も来る日も嫌な顔一つせずに投げてくれ、またそれに耐えうる内容を残してくれた。それができたのは、強靱な肩、体力があったからや」

     安仁屋「僕は投げるのが好きなだけですよ(笑)」

     小山「そうかもしれんが、本当にありがたかった(笑)。一時『肩は消耗品』てことを言う人がおったが決してそんなことない。僕らの頃は、完投するとだいたい130球程度費やしたんやが、コントロールのいい渡辺省さん(元阪神投手・渡辺省三氏)なんかはもっと少なかった。ただ、それを平気で投げるためにキャンプでどんだけ投げ込んだことか」

     安仁屋「今は100球投げただけで“投げ込み”と新聞に書かれますけどね」

     小山「130球前後で完投するとするならば、150~160球投げる体力を作っておかないといかん。それだけの“余力”が必要なんや。その昔、ヘルシンキ五輪(1952年)の競泳男子1500メートル自由形で銀メダルを取った橋爪(四郎)さんは毎日1万メートル泳いで練習しとったと本人から聞いた。バルセロナ(92年)の女子200メートル平泳ぎ金メダリスト・岩崎恭子も練習で1万メートル泳いどったというな」

     安仁屋「根本さん(根本陸夫氏=元広島、西武、ダイエー監督)が監督だった時、遠征先で僕と外木場(義郎氏)が呼ばれて先に球場に行くんです。ホームの練習が始まる前ですよ!根本さんが『ブルペン2人分貸して』と相手側に頼み、そこから延々と投げるんですが…。終わったら(ビジターの)こっちの練習も終わってましたね(苦笑)」

     小山「そうやってあんたの強い肩ができたんやな」

     安仁屋「その時は『何でワシらだけ?このくそオヤジが!』と思ってましたが、成績が出るようになって初めて『あれがあったから』と思うようになりました。根本さんに感謝してますよ」

    (第4回に続く)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000047-dal-base

     現役通算320勝を誇る“虎のレジェンド”小山正明氏(83)と、現役時代は小山氏に師事したこともある広島OB会長・安仁屋宗八氏(73)が西宮市内で緊急対談、虎と鯉を巡るあれこれを語り尽くした。第2回は選手育成法について。これには両氏のトークがヒートアップした。


      ◇  ◇

     小山「阪神にドラフト2位で入って来た高橋遥の初勝利を甲子園で見た時、本当に『えらいのが出てきたなぁ』と感じもんや。安仁屋も見たやろ?」

     安仁屋「ワシはテレビで見させてもらったんですが、確かに手元でピュッと来る質のいい真っすぐを投げてましたね」

     小山「それが投げた直後に出場選手登録を抹消され、10日休みやて(苦笑)」

     安仁屋「あれは僕も嫌いですね。もし先発ローテーションに入れるんだったら、極端なことを言えば、中4日ぐらいでいいんですよ。間を開けすぎたらダメなんです。若い子は体の作り方を知らないんじゃけ」

     小山「全く同感やね。(1軍マウンドの)感覚がなくなってしまうんや」

     安仁屋「小山さんや僕らの時代は投げて覚えたもんですが、今の子は投げて覚えない、走り込みもしないでしょ。今の時代は違うと言われるかもしれんけど、それでいいのか、と思いますよ」

     小山「高橋遥という子は肩があまり強くないと聞いた。それで間隔を取ってあげないといけない、と。それは理解しても、中10日以上というのはやっぱり解せんね」

     安仁屋「ある投手について、首脳陣から『安仁屋さん、中6日の練習の仕方を教えてやってください』と言われたんですよ。今のカープの投手は、登板翌日がキャッチボールでその次は丸一日休み。その日は球場にも来なくていい。さらに次がキャッチボール、また次もキャッチボール…。いつ投げるの?(苦笑)」

     小山「考えられんなぁ。それで次の登板でいい結果を出そうと思ったって到底無理やろう」

     安仁屋「登板の1日か2日前に30~40球。僕はもう開いた口が塞がらなかった。でも、強く言えないですからね」

     小山「そういう風に染まってしもうとるんやろうな」

     安仁屋「いわゆるメジャー式というやつです」

     小山「安仁屋よ、今やメジャーに見習うべきものは何にもないで(苦笑)」

     安仁屋「向こうが日本の野球を見習っている時代なのに…それで強い肩、肘が出来上がって成績が上がればいいんですが、そうじゃないですからね」

    (第3回に続く)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180623-00000039-dal-base

     開幕試合では、沖縄が生んだ投打のスター、元広島・安仁屋宗八氏(73)=現野球評論家=と元阪急・石嶺和彦氏(57)=現社会人野球・エナジック監督=が始球式に登場した。

     沖縄の高校球界に、2人のレジェンドが舞い戻ってきた。マウンド上の安仁屋氏と打席に立った石嶺氏は、それぞれ沖縄(現沖縄尚学)と豊見城の当時のユニホーム姿。安仁屋氏は73歳とは思えない軽やかな投球フォームから力強い直球を外角低めに決め、観客席から大きな拍手を送られた。スコアボールには「球速83キロ」と表示された。

     この日のために練習を積んできたという安仁屋氏は「どきどきわくわくで、プロの公式戦で投げるよりも緊張しました。100回大会の始球式をさせてもらえて、すごく感動してます」と興奮気味。一方の石嶺氏は「始球式は初めての経験で、投げたこともなければ、打席に立ったこともない。安仁屋さんからは打っていいと言われてたけど、打つか打たないか迷ってて、空振りするのを忘れてました」と照れ笑いを浮かべた。

     安仁屋氏は、沖縄(現沖縄尚学)のエースとして3年生だった62年の夏の甲子園に出場。社会人野球・琉球煙草を経て64年に広島に入団。沖縄出身初のプロ野球選手として、阪神、広島で計18年間の現役生活を送り、沖縄出身者では最多となる通算119勝をマークした。

     石嶺氏は故・栽弘義氏率いる豊見城で、強打の捕手として活躍。2年生だった77年の春から4季連続で甲子園に出場し、78年ドラフト2位で阪急(現オリックス)に入団。長打力を生かし、外野手に転向してから台頭し、90年にはともに自己最多となる37本塁打、106打点を記録して打点王を獲得。阪神に移籍後、96年に現役を引退したが、18年間で通算269本塁打を放っている。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180623-00000085-sph-base

     現役通算320勝を誇る小山正明氏(83)と、広島OB会長の安仁屋宗八氏(73)がリーグ戦再開を前に緊急対談、選手育成法から虎&鯉の現状、さらには今後のペナントの行方について、自身の経験を交えて語り尽くした。場所は兵庫・西宮の小料理店。かつては阪神でコーチと選手の間柄でもある“ご意見番”2人の過激トークは時間を忘れて続いた。全5回のうち、今回はその1回目。

      ◇  ◇

     小山「お久しぶり。広島は(首位で)さぞかし盛り上がっとるんやろうな」

     安仁屋「そうですね。サッカーのサンフレッチェも今年は強いし、テニスの全仏オープン女子ダブルスで準優勝になった二宮真琴さんも広島市出身。そういう意味では広島のスポーツ界は活況ですよ」

     小山「カープも3連覇に向けて首位を走っとるし、言うことないわな」

     安仁屋「交流戦の最後に5連敗はしましたけどね。でも、マツダスタジアムは毎試合満員で、ワシらOBでもなかなかチケットが取れんのですよ。よく『安仁屋さん、あんたの力でどうにかならんの?』と言われるけど、ホントにないんじゃけ(苦笑)」

     小山「甲子園もそう。阪神電車に乗ると車中の電光掲示板にいつも『本日完売』って出よる。何で完売なんよ?と思うこともあるけどな。で、安仁屋は今年の阪神をどうみる?」

     安仁屋「沖縄・宜野座のキャンプで一度だけ見させてもらったんですが、雰囲気は良かったし、今年は面白いかな、と思ってたんですよ。金本監督も新外国人選手のロサリオに期待してたし。それに大山、高山なんかキャンプ当時は良かったのにね。歯車が狂ったというか…それと投手ですよ。能見なんかあれだけカープに強かったのが最近さっぱりでしょう。左に打たれるようになりましたからねぇ」

     小山「能見だってもう39歳やろ。衰えが出てきても仕方がない部分はある。そら元気な時の彼と今を比較したらあかん。打つ方の福留にしてもよう頑張ってはいるけど、ちょっとストレート系が強い投手には振り遅れることもある」

     安仁屋「阪神も誤算は色々あったようですが、カープだって想定外のことが続きました。開幕投手の野村が故障で早々に離脱し、去年の最高勝率投手の薮田は制球難から1軍、2軍の行ったり来たり。先発では大瀬良と岡田が何とか持ちこたえていますが、ここは中継ぎ陣の踏ん張りが大きいですね」

     小山「そっちは打つからええがな。こっちはチーム打率が2割3分そこそこでホームランもリーグ最少やで(苦笑)」

     安仁屋「新聞が大きいと思うんです。“逆転のカープ”とか書いてくれるんで、ファンも選手もみんなその気になって六、七回になったら“打てるんじゃないか”と。やっぱり気持ちというのは大事じゃないですか」

     小山「そやな。阪神なんか初回に点を取っても“山口百恵”や。『これっきりこれっきりこれっきりで~すかぁ~』てな」

    (第2回に続く)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180622-00000046-dal-base

     「2215」。現在でも衣笠祥雄さんが持つ連続試合出場記録はプロ野球最多として輝く。体に近い内角球を恐れず、フルスイングでファンを魅了した選手だった。死球は歴代3位の161個で、三振は当時最多(現在9位)の1587個を数えた。野球界は星野仙一さんに続き、また一人、1970~80年代を彩ったスターを失った。


     入団2年目まで1軍と2軍を行ったり来たりで、スカウトから「このままだとクビだ」と脅された。しかし、3年目からコーチに就任した根本陸夫さんの助言で長所は長打力だと再認識し、6年目にはコーチの関根潤三さんと深夜にまで及ぶ猛練習でスイングを磨いた。

     選手として23年間のうち、打率が3割を超えたのは1度。それは入団20年目のことだった。現役を引退した後も、晩年は闘病生活をしながら最後まで「鉄人」らしく、野球界に携わった。


    ■骨折しても「絶対出たい」

     1975年から監督として広島の黄金期を築いた古葉竹識さんは「涙が出ました。サチが私より先に逝くとは……」とショックを隠しきれない様子。2月ごろに会った時、体調を心配して声をかけたら衣笠さんは「大丈夫」と答えたという。「私が監督時代、よくがんばってくれました。骨折した時も『絶対出たい』と言ってきて。だから、『大事なところで使う』と伝えて代打で使ったんです」と当時を振り返った。

     広島のOB会長を務める安仁屋宗八さんは「まさかと耳を疑った。入団時はバッテリーを組んだこともあった。三塁転向後はエラーでよく足を引っ張られたが、『安仁屋さん、エラーは目をつぶってください。必ず打って取り返しますから』と言われた。『鉄人』と呼ばれたんだから、いつまでも元気でいてほしかった」と語った。大下剛史さんは「寂しい。二遊間を組んでいた敏之(三村)が逝って、今度はサチ。これで初優勝メンバーの内野手は私とホプキンスだけになってしまった」とコメントした。

     広島の後輩たちは「本当に優しい人だった」と口をそろえた。大野豊さんは「マウンドによく声をかけに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた」という。北別府学さんは「ピンチの時にも頑張れと背中を押してもらった。あの優しい笑顔は忘れられない」と思い出を語った。

     達川光男・現ソフトバンクコーチは「キヌさんは『痛いとかかゆいとか言うからけがになる。黙っていたらわからん。試合に出るのが当たり前』と言っていた。今まで数多くの野球好きを見てきたけど、キヌさんがナンバーワン。一番野球を愛していた」と語った。小早川毅彦さんは「プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝しきれない。優しい先輩で努力の人。若手のお手本だった」。野村謙二郎さんは「レジェンドの方が亡くなって寂しい。監督になった時は『思い切ってやればいい』と声をかけていただいた」という。

    ■緒方監督に「常勝カープを」

     広島の緒方孝市監督は衣笠さんといっしょにユニホームを着たのは1年だけだったが、「頑張れよと声を掛けていただいたのを覚えている」。2016年に25年ぶりのリーグ優勝を決めた際、「ここから常勝の強いカープを築いてくれ」と言われたという。「優勝、そして日本一の報告をするためにも全員で戦っていきたい」と語った。

     歴代3位の1766試合連続出場記録を持つ阪神の金本知憲監督は「カープの先輩であるキヌさんから、休まないということに関していちばん影響を受けた。中心選手は常にグラウンドに立っていないといけないことを、無言で示した人だった」と振り返った。

    ■ライバルも悼む

     かつてのライバルたちも、衣笠さんの死を悼んだ。元巨人監督の長嶋茂雄さんは「『鉄人』と呼ばれた通り体の強い選手で、私が監督1年目の75年には山本浩二さんとカープを引っ張り、初優勝を見事成し遂げられたことが印象深いです。巨人戦で死球を受けた時には、カープのベンチを自らなだめながら笑顔で一塁へ向かう姿が忘れられません。芯が強く、優しい心を持っているいい男、ナイスガイでした」とコメントを発表した。

     王貞治・現ソフトバンク会長は「『鉄人』と呼ばれた彼なので、まさかという感じです。外見は怖そうな雰囲気だけど、実際にはすごく心の優しい人。死球を受けても相手を威圧することなく、闘争心をもって戦う中では珍しいタイプの選手だった。敵ではあるが、それを超えた形で話ができる人。もっともっと話がしたかった」と惜しんだ。

     楽天の梨田昌孝監督は「79、80年の日本シリーズで対戦した」と近鉄(現オリックス)時代の対戦をなつかしみ、「衣笠さんの辛抱強い姿を見て、今の広島の礎が築かれたのだと思う。とにかく『元気の源』みたいな方で、人懐っこく気さくに声をかけてくれる方でした」。DeNAのラミレス監督は「尊敬される方。日本人のロールモデル(模範となるお手本)だった」と語った。日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督は「会うたびに『がんばれよ』と笑顔で声をかけていただいた。まさか、という思い」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000091-asahi-spo

     福岡・飯塚市に球団史上初の3連覇を狙う広島、連覇を狙うソフトバンクの2球団の胃袋を支える焼き肉店「焼肉のMr.青木」がある。170席ある大型店は連日にぎわい、週末になると福岡市内はもちろん各地から新鮮な肉を求めて長蛇の列ができる。

     そんな人気店に足しげく通うソフトバンク関係者。昨年のパ・リーグCSファイナルシリーズで初戦から4戦目まで連続本塁打を放ちMVPに選ばれた内川は、家族で連日通ったほどの“パワースポット”だ。

     日本一に輝いた前日には達川コーチも一人で訪れた。「先輩、聞いてくださいよといいながら一人で来た」と説明したのは、オーナーで元プロ野球選手の青木勝男さん(71)だ。

     広島に在籍7年、1軍成績は通算13打数2安打と大きな実績は残していない。それでも広島退団時には巨人、阪急(現オリックス)、南海(現ソフトバンク)の3球団から移籍話もあった。しかし、結婚の話もあり「東京は似合わんと思った」と巨人入りも断って故郷の飯塚に戻り、両親の営む店を継いだ。「寝る間を惜しんで働いた」と広島時代の付き合いで古葉竹識氏や安仁屋宗八氏らの口利きもあり、店は繁盛した。

     10年前には古くなった店を新築。調理場は息子に任せ、お客の案内係に専念する一方、地元に2軍戦を誘致するなど、野球発展にも力を注いだ。財を成し順風満帆の人生のようだが、二十数年前にパーキンソン病を発症。現在は薬が手放せず、歩行器が必要な生活を送っている。昨年12月の広島カープOB会は体調不良で欠席。「今年は行きたい」と、東筑出身の広島・高コーチから贈られたカープ帽をかぶって、山本浩二氏や北別府学氏らの写真が飾られた店先に立つ。

     16年のオープン戦中には、緒方監督をはじめ首脳陣を招いて焼き肉を振る舞った。そこから広島は連覇を達成。今年のオープン戦中も首脳陣や選手が舌鼓を打った。ソフトバンクのお膝元ではあるが「ソフトバンクの帽子をかぶると似合わんと言われる」と笑う。夢は広島とソフトバンクの日本シリーズ対決。青木さんは「カープを応援する」と迷うことなく言い切った。(デイリースポーツ・岩本 隆)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180409-00000052-dal-base&pos=5

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