広島カープブログ

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    山内泰幸

    <こんな人>

    広島3年目左腕の床田寛樹投手(24)が巨人とのオープン戦(マツダスタジアム)に先発し4回無失点と好投。昨年までチームメートだった巨人丸から空振り三振を奪うなど、6奪三振で圧倒した。



       ◇   ◇   ◇

    チーム内で床田を「不思議ちゃん」と呼ぶ選手がいるように、私としても「つかみどころがない」印象がある。

    リハビリ期間中には苦手な走り込みを続け、下半身を強化。尻回りや太ももはひと回りどころか、ふた回り大きくなった感がある。その分、土台の安定感が増したと思うが、本人は「そうですか? 自分では分からないんですよね」とあっけらかんとしたもの。周囲が評する「鈍感力」を感じさせながら、「僕、結構敏感ですよ」とサラリと言う。

    以前には「僕、興味がないものにはとことん興味がない」と口にした直後に「でも僕、好奇心旺盛なんですよ」と続けたこともあった。大学まで勉強が大の苦手だったというが、投球術など首脳陣も認める“野球脳”も持つ。

    先発の一角として期待される今季、つかみどころのない左腕の真の姿をつかんでみたい。【広島担当=前原淳】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190305-03050680-nksports-base

    ◆広島6―1西武(2日・佐賀)

     西武・辻発彦監督(60)と広島・緒方孝市監督(50)が出身地の佐賀で激突する同県対決は、昨年(10―0)に続いて広島が完勝した。

     「天気が心配だったけど無事にできた。たくさんのファンの前で、いい雰囲気で野球ができてよかった」と、オープン戦だけに勝敗自体ににこだわりは見せなかった辻監督だが、勝敗を決定づけた7回の3失点については厳しいひとこと。「あの四球だよね」と指揮官が指摘したのは、2年目右腕の伊藤が2死三塁から曽根に与えたストレートの四球だ。直前の1死三塁で松山を二ゴロに打ちとり、ピンチを脱したかに見えたところで再び走者を増やし、続く会沢に初球を狙い打たれて右中間へ走者一掃の2点二塁打。続く西川にも右前適時打を浴びた。

     「打たれるのは仕方ないかもしれないが、せっかく2死まで来たのに、そこで踏ん張れないのが残念。打ちとれる打者をしっかり打ちとらないと、1点で済むところが3点になっちゃう」と、詰めの甘さを嘆いた。試合後のミーティングでも、改めて投手陣に勝負どころでの細心な投球を求めたという。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190302-00000203-sph-base&pos=1

     12球団のドラフト候補には入っていなかった――。

     5日に現役引退会見を行った広島の新井貴浩(41)。通算2200安打、319本塁打を誇る男も、アマ時代はプロ入りすら危うかった。

    ■「契約金はいりません」

     1998年ドラフト6位で広島に入団する当初から取材する元スポーツ報知記者の駒沢悟氏はこう語る。

    「新井にはプロ志向があったものの、プロの評価は打撃は粗く、肩が弱い、スローイングに難があるという判断。しかし本人は諦めなかった。駒大の先輩である野村謙二郎(前広島監督)の自宅で素振りを見てもらい、推薦してほしいと頼み込んだ。当時の太田監督も、『伸びしろがある。プロに入れてやりたい』との思いがあった。新井の父親は担当の渡辺秀武スカウト(故人)に『契約金はいりません。息子の夢をかなえてください』と頭を下げた。さらに駒大OBでその年に達川監督のもと、ヘッドコーチ就任が決まっていた大下剛史氏にもすがった。こうしたコネもあり、ようやく獲得へのゴーサインが出た。広島が指名挨拶をしたのはドラフト10日ほど前。当初は8位で指名する予定だったとも聞いています」

     入団当時の監督だったソフトバンクの達川光男ヘッドコーチはこの日、「どうしてプロ野球に来たんかなという感じ。絶対に3年以内でクビになると思った」と述懐したが、それも当然だろう。

     新人だった99年の日南キャンプ。守備はおろか、打撃練習でもなかなかバットの芯に当たらない。駒沢氏は、「大下ヘッドには無理やり入団させたという思いもあってか、泥だらけになるまでノックをしていたし、新井もそれに食らいついた。手の豆が何度もつぶれるくらい、誰よりもバットを振っていた」と言う。

    ■ケガをして反省の丸坊主に

    「最近も球場で挨拶した時に『元気です』と言っていましたし、引退と聞いたときは驚きました」とは、元同僚でテレビ解説者の山内泰幸氏(45)。

    「新井が新人だった年のキャンプで、2人とも丸坊主にしたんです」と、当時を振り返る。

    「キャンプ前半にふくらはぎを肉離れしてしまい、早朝にリハビリ組がいる広島・大野練習場に強制送還された。新井も同時期にリタイアし、広島で一緒にリハビリに取り組んだ。ケガが癒え、いざ日南に再合流というタイミングで、反省の意味を込めて、確か、寮にあったバリカンで一緒に頭を丸めました(笑い)」

     さらに山内氏は言う。

    「当初は守備では全く動けなかったし、一塁守備の際に、アウトカウントを間違えてボールを一塁コーチにトスし、走者の生還を許したこともある。山本浩二監督時代の2003年には開幕から4番を任されるも、プレッシャーのあまり『4番を外して下さい』と首脳陣に直訴したこともあった。ただその裏では、当時ブルペン捕手だった水本勝己二軍監督と毎日欠かさず、早出特打をやっていた。水本さんは『阪神にFA移籍するまで続けていた』と言っています。決して自分に妥協することなく、血のにじむような努力をしていました」

     新井がアニキと慕う金本知憲(現阪神監督)は、広島時代、新井がミスをするとよく怒ったという。

    「おまえは誰に入れてもらった? 先輩の顔をつぶすようなことはするな」

     08年に阪神にFA移籍してからは不遇をかこったこともある。前出の駒沢氏が言う。

    「08年北京五輪で腰椎を骨折してから、背中と腰の張りや痛みと闘ってきた。今も完治はしていないと思います。自ら阪神を自由契約になった時には『僕はもう、阪神に必要とされてないんですよ』と話したことがありました。それが広島に復帰して、もう一度鍛え直した。『打撃は無限大です』と言っていたが、広島復帰後も打撃は進化した。下半身をうまく使って、逆方向へうまく打つようになりましたから」

     20年の壮絶なプロ生活は間もなく終焉を迎える。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180906-00000128-dal-base

     広島の37年ぶりとなるセ・リーグ2連覇を記念し、商店街を市民ら1600人が練り歩く「大ちょうちん行列2017」が7日、広島市内で行われた。

     1975年の初優勝にも実施され、昨季に続き4度目。チームのロゴが入った赤いちょうちんを手に、特製Tシャツを着用するなど、周囲を真っ赤に染めた。

     OB会長・安仁屋宗八氏、池谷公二郎氏、大野豊氏、北別府学氏、山内泰幸氏、横山竜士氏のカープレジェンド6人が参加。私設応援団も同行し、約1キロを沿道の市民らと応援歌を大合唱しながら歩き、喜びを分かち合った。

     ゴール地点となっている袋町公園には特設会場が設置され、鏡開きや振る舞い酒等を実施。2年連続で参加した安仁屋氏は「去年以上に盛り上がっていた。多くの方が応援してくれるのはありがたいこと。今日、2軍が優勝したというのもいい活気づけになったのではないかな」と声をはずませた。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171007-00000140-dal-base&pos=5

     「広島-ヤクルト」(8日、マツダスタジアム)

     テレビ新広島(TSS)の衣笠梨代アナウンサーが始球式を務めた。“カープの鉄人”衣笠祥雄氏を彷彿させる自前で作った「背番号3」のユニホームを着て登場。捕手を務めた金田祐幸アナウンサーのミットめがけて全力で投げ込んだ。ボールは金田アナの手前でワンバウンド。目標のノーバン投球は惜しくもならなかったが、大観衆から盛大な拍手が送られた。

     「とても緊張しました。でも、(マウンドからの光景は)すごくきれいな景色で気持ち良かったです」。TSS野球解説者の山内泰幸氏からは「高いところに向かって投げるように」とアドバイスをもらい、前夜も金田アナ相手に約30分間、キャッチボールを行うなど入念な練習を積んで臨んだ大一番。自己採点は「50点です。思ったところに投げられなかったので」と厳しい点数をつけたが、「とても貴重な経験をさせていただきました」と感激の面持ちだった。

     金田アナは「めちゃくゃかっこよかった。振りかぶった瞬間、観客がオーっと沸いて感動しました」と興奮気味に振り返ったが、ボールを後逸したことには「頑張って練習していたので、なんとしても取ってあげたかったのですが」と無念の表情を浮かべた。


    引用元 https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2017/04/08/0010077789.shtml

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