広島カープブログ

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    山本浩二

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    【野球の構造 正田耕三(28)】プロ野球は「生き馬の目を抜く世界」だと言われます。痛いのかゆいの言って休んでいては、あっという間に他の選手に取って代わられてしまいます。ましてや僕はエースでもなければ、ホームランを量産する長距離打者でもありません。レギュラー奪取に大きく前進した1986年に、7月6日の大洋戦で右手中指を骨折した際も「指は5本ある。1本ぐらい折れていたって…」と試合に出続けることを自ら選びました。  痛みをこらえて出場した7月8日の阪神戦は延長10回の末に0―0で引き分けとなりましたが、僕は最後まで出続け、先発の仲田幸司から3打席目に右前打を放っています。むしろつらかったのは守備。グラブで捕球したボールを右手で握る瞬間に激痛が走りました。


    結果から言うと、僕は翌9日の同カードから前半最終戦となった17日の巨人戦まで5試合を欠場しました。骨折を知らなかったことにして、試合に出続けるよう背中を押してくれた球団の種田博人トレーナーが、打撃コーチの内田順三さんにだけは本当のことを言っていたそうです。それでひとまず、球宴休みも含めて治療を優先させようということになったのでしょう。
      それでも練習だけは続けていました。そもそもカープは鉄人と言われた衣笠祥雄さんに限らず、山本浩二さんや高橋慶彦さんにしても、少しぐらいどこか痛くても試合に出続けるのが当たり前のチームでした。


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    引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1899918/

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    競技者表彰のエキスパート表彰として今年の野球殿堂入りを果たした田淵幸一氏(73)の表彰式が18日、都内のホテルで開かれた。

    田淵氏の表彰式には、同級生で元広島監督の山本浩二氏が出席した。肺がんなどを患い昨年4月から約10カ月間、闘病生活を送ってきたが、壇上では「1年目にプロ野球ってこんなにしんどいんだという話をした覚えがあります」と述懐し「おめでとうということしか言葉はありません」と祝福。花束を受け取った田淵氏は「感無量です。志半ばで旅立った仙ちゃん(星野仙一氏)のためにも、浩二と野球界発展のために尽力していこうと改めて決意した次第です」と感謝した。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/b12263943005bab90add4119d334638ce10083ea

    ◆JERAセ・リ-グ 広島4―4中日(30日・マツダスタジアム)  勝利には結びつかなかったが、堂林がまた前へ進んだ。「いいきっかけになればいい」とうなずいたのが4回の7号3ラン。1点を追う1死一、二塁、岡野の初球カーブを逃さなかった。  試合前まで最近5試合で21打数3安打。「最近、状態が良くなかったので…」と中軸を外れ、13試合ぶりに7番で起用された。「初球から甘い球が来たらいこうと。自分のスイングができた」と中堅左へ一時逆転となる一撃。初球の打率は15打数7安打。6、8回は二ゴロでも「内容が良かったと思う」と確かな収穫を持ち帰った。


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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/d4f47b505b969c16bf13cba46639e143dbf32ac3

    index

    #開幕を待つファンへ 家で楽しめるプロ野球に関するマニアックなクイズをどうぞ。記録のスペシャリスト伊藤友一記者が9問出題。楽しみながら学んでみませんか。答えは問題の後ろにあります。

    <Q1>

    昨年は9月6日にソフトバンク千賀滉大、同14日に中日大野雄大がノーヒットノーランを達成。これで達成者は81人となったが、1人で複数回やった投手が過去9人いる。最多の3回は2人おり、1人は沢村栄治。あと1人は誰か?

    1 藤本英雄

    2 金田正一

    3 鈴木啓示

    4 外木場義郎

    <Q2>

    ロッテ井口資仁監督は現役時代にデビューの97年5月3日近鉄戦と引退試合の17年9月24日日本ハム戦で本塁打を放った。井口監督の「デビュー戦と最終戦」より難しい「初打席と最終打席」の両方で本塁打を打ったのは誰か?

    1 香川伸行

    2 青島健太

    3 小野公誠

    4 加治前竜一

    <Q3>

    昨年亡くなった金田正一さんの通算成績は400勝298敗で、勝利数と敗戦数はともにプロ野球最多。完投数や奪三振数も1位だが、勝利数から敗戦数を引いた貯金数の102は6位。貯金数が最も多い投手は誰か?

    1 スタルヒン

    2 別所毅彦

    3 稲尾和久

    4 山田久志

    <Q4>

    昨年の広島鈴木誠也は首位打者を獲得したが、18年8月9日中日戦ではカウント4-2から二塁ゴロを打つ珍プレー。鈴木のように四球に気付かないで打席を続行し、本塁打を打った選手は誰か?

    1 原辰徳

    2 クロマティ

    3 吉村禎章

    4 中畑清

    <Q5>

    オリックス山本由伸は昨年6月28日西武戦で毎回奪三振を達成。毎回奪三振は年間数人おり、昨年は山本とソフトバンク千賀の2人いたが、毎回与四死球を記録した投手は過去に1人しかいない。次の4人の中で誰か?

    1 村田兆治

    2 東尾修

    3 佐藤義則

    4 野茂英雄

    <Q6>

    西武中村剛也は昨年7月19日に史上20人目の通算400本塁打を達成。通算400本以上の20人は満塁本塁打とサヨナラ本塁打を全員記録しているが、代打本塁打0は3人。オリックス・ローズ、ソフトバンク小久保裕紀とあと1人は誰か?

    1 長嶋茂雄

    2 王貞治

    3 山本浩二

    4 落合博満

    <Q7>

    完封勝ちする投手が減り、昨年の最多完封はDeNA今永昇太の3度。2度以上は両リーグで5人しかいなかった。シーズン2完封した投手が少ない現在では考えられない「2日連続完封勝ち」を記録した投手は誰か?

    1 秋山登

    2 村山実

    3 杉浦忠

    4 権藤博

    <Q8>

    ヤクルト村上宗隆は19歳3カ月だった昨年5月12日巨人戦で初めて4番を経験。高卒2年目の昨年は先発4番で25試合出場し、今年は全試合4番を目標にしている。では、プロ野球で先発4番の出場試合数が最も多いのは次の4人の中で誰?

    1 川上哲治

    2 野村克也

    3 落合博満

    4 金本知憲

    <Q9>

    今年は98年10月10日横浜-中日戦以来となるダブルヘッダーが実施されるかもしれない。ダブルヘッダーでは珍記録がつくられたが、第1、第2試合合わせ1日でソロ、2ラン、3ラン、満塁の「サイクル本塁打」を達成した外国人選手は?

    1 ホプキンス

    2 ヒルトン

    3 スコット

    4 ガードナー

    <A1>

    4。外木場義郎。64年に広島へ入団した外木場は、プロ初勝利となった65年10月2日阪神戦で最初のノーヒットを達成。2度目の68年9月14日大洋戦は16奪三振の完全試合。3度目は72年4月29日巨人戦で、プロ9年目までに3度達成した。

    <A2>

    3。小野公誠。97~08年にヤクルトでプレーした小野は初打席の97年7月20日巨人戦で三沢、最終打席の08年10月12日横浜戦で牛田から本塁打を放った。通算1打席で1本塁打の投手が2人いるが、2打席以上で初打席と最終打席の両方で1発は小野だけ。

    <A3>

    3。稲尾和久。通算276勝137敗で貯金数が139。稲尾はプロ入り8年連続20勝したが、そのうち57年35勝6敗、58年33勝10敗、61年42勝14敗と貯金数20以上が3年あった。2位は別所の132で、貯金数100以上の投手は6人だけ。

    <A4>

    3。吉村禎章。87年10月18日巨人-広島戦の4回裏、広島白武が3-2から投げた7球目がボールとなるも、四球に気付かず続く8球目を左翼席へ。カウント4-2から本塁打は吉村だけ。87年は後楽園球場最終年で、これが同球場の公式戦最後の1発。

    <A5>

    4。野茂英雄。94年7月1日西武戦で記録した。いきなり初回から3四球を与え、毎回の16四球を出すも191球を投げて9回完投。被安打は5本だけで、初回に適時安打と押し出しで2点、9回に押し出しで1点を失ったが、8-3で完投勝利を挙げた。

    <A6>

    1。長嶋茂雄。代打成績は18度起用され13打数4安打、1犠飛、4四球で、本塁打は0。王は1本あり、79年9月12日阪神戦で打った通算831号が初の代打本塁打となった。落合も1本で、ロッテ時代にプロ2年目の80年7月12日近鉄戦で打っている。

    <A7>

    1。秋山登。大洋で通算193勝の秋山は、阪神と優勝を争っていた62年9月にライバルの阪神相手に25日3安打、26日5安打で完封勝ち。日本シリーズでは64年に南海スタンカが記録しているが、2リーグ制後の公式戦で2日連続完封は秋山しかいない。

    <A8>

    2。野村克也。高卒3年目の56年10月1日西鉄戦で初めて4番に座り、南海時代に4番で2256試合出場した。2位は落合の1734試合で、ONは巨人で同時期にプレーしていたこともあり、長嶋が1460試合、王は1231試合だった。

    <A9>

    3。スコット。79年に来日したスコットは81年までヤクルトでプレー。79年5月27日阪神戦の第1試合で2ランと満塁弾を含む3安打の8打点、第2試合はソロと3ランを含む3安打の4打点と大暴れ。サイクル本塁打を達成し、1日で12打点を稼いだ。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200524-25240011-nksports-base

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