広島カープブログ

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    山本浩二

     (セ・リーグ、巨人5-10広島、20回戦、広島14勝5敗1分、28日、東京D)

     天国と地獄の両方を見た男は強い。広島の首位独走の立役者の1人が6年目の鈴木誠也外野手(24)。28日の巨人戦でも「4番・右翼」で先発し、26号2ランを含む3安打3打点。それでも試合後は「(3番の)丸さんが打ってくださるので楽な気持ちで(打席に)入らせてもらっている」と先輩を立てた。

     昨季は4番を務め打率・300、26本塁打、90打点と主軸として結果を残す一方で、8月下旬に右足首の骨折で戦線離脱。今季もコンディション不良や自打球の影響で離脱、欠場を余儀なくされる時期もあったが、リーグ2位の打率・341。チーム内ではこの日4安打を放った丸(同4位)とともにタイトル争いを演じている。

     球団関係者は鈴木が短期間で「天国と地獄」を経験したことが「大きな成長へとつながった」とみる。

     「去年も4番に起用されて頑張っていたけど、その重要性や責任を本当の意味で背負うようになったのは、昨夏にケガで離脱してから。そこから試合で打てず悔しがる言動をひとつ見ても、明らかに変わりましたよ」

     これだけ立派な数字を残せば天狗(てんぐ)にもなりそうなものだが、「それがないんですよ。練習でも『まだやります!』とおかわりするし、妥協も満足もしない。それが今の成績を残す原動力だと思いますね」。鯉の4番は並の男ではない。(山戸英州)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180829-00000015-ykf-spo

     「中日6-5広島」(8日、ナゴヤドーム)

     広島の新井貴浩内野手(41)が、引退表明後初めて「6番・一塁」でスタメン出場し、1安打1打点。五回の右犠飛で通算1300打点とした。通算80犠飛は、恩師でもある山本浩二氏を抜いて歴代単独10位となった。チームは今季3度目の4連敗を喫し、優勝へのマジックは「10」のまま。9日は今季最後のナゴヤドームでの一戦。勝利で飾り広島に戻る。


     スタンドから聞こえる「新井さ~ん」の声に燃えないはずがない。大きな背中で、大歓声を受け止めた新井が1安打1打点だ。一塁の守備や走塁でも視線を独り占めする全力プレー。「声援?もちろん届いている。ありがたい」。5日の現役引退表明後、初スタメン出場となる「6番・一塁」で、その存在感は際立っていた。

     二回の第1打席で中前へクリーンヒット。五回は同点とし、なお1死満塁で一時勝ち越しとなる右犠飛を放った。「最低限の仕事ができて良かった」。1打席1打席が、日本野球史に刻まれる。史上17人目の節目の1300打点。通算80犠飛は、尊敬するミスター赤ヘル・山本浩二氏を抜いて歴代単独10位になった。

     どんな状況でも一切手を抜かないのも新井らしさ。五回無死一塁では大島の打球をダイビングキャッチ。八回の打席では歯を食いしばって一塁へ走り、振り逃げを勝ちとった。「当たり前のことだから」。サラリと言ってのける姿が頼もしい。

     ナゴヤドームには思い出がいっぱい詰まっている。ルーキーだった99年4月3日の中日戦。代打でプロ初出場したのがこの球場だ。さらに苦い記憶も。同年9月21日。五回無死満塁から小山田がゴメスを投ゴロ併殺打に仕留めた。だがアウトカウントを間違えていた一塁手・新井はチェンジと勘違い。中日・仁村一塁ベースコーチに球をトスしてしまった。一塁ファウルゾーンに球が転々とする間に二塁走者が生還した。

     「仁村さんが体をくの字にして球を避けてね。アッと思った。達川監督にめちゃめちゃ怒られたよ。(相手の)星野監督には『お前、良いヤツだな』って言われたのを覚えている(苦笑)」。19年前の出来事を懐かしそうに振り返った。

     リーグ3連覇、そしてその先にある日本一へ向けての戦いが続く。引退試合は予定されておらず、真剣勝負の1試合1試合が自身にとっての引退試合だ。プロ20年目。9日は今季最後のナゴヤドームだ。「全力で駆け抜けたい」。すべてを出し尽くし勝利を呼び込む風となる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180909-00000021-dal-base

     「広島9-3巨人」(10日、マツダスタジアム)

     超高性能の国産スラッガーだ。広島・鈴木誠也外野手(23)が8月1日・ヤクルト戦以来、今季2度目の1試合2本塁打で3年連続20号に到達した。阪神が勝ったため、優勝マジック点灯はまたしてもお預けとなったが、チームは今季2度目、最長タイの6連勝。マツダでスズキがメルセデスを打ち崩し、巨人戦4年連続勝ち越しを決めた。

     鈴木は豪快にバットを振り抜いた。打球は規格外の弾道を描いて右翼席に着弾。今季2度目の1試合2本塁打で4年連続巨人戦の勝ち越しを呼び込んだ。

     「本当にたまたまです。打った瞬間はどこに行ったかも分からなかったので。三振でもアウトでも一緒。自分のスイングで終わろうと思っていました」

     2点差に詰め寄られた直後の七回だ。2番手・野上の外角直球を強振し、逆方向へ突き刺した。初回は2死一塁から左翼席へ特大の19号先制2ランを放っており、リーチをかけていた3年連続20号へ一気に到達した。

     「使ってもらっているので。今は数字は意識していない。シーズンが終わったときにいい結果だったらいい」

     試合後はそうクールに振り返ったが6年目の進化が著しい。開幕前から「誠也の打球はエグイ。音が違う」と打撃投手から驚きの声が上がっていた。開幕直後の離脱時にフリー打撃を目の当たりにした水本2軍監督も「格が違う。一皮もふた皮もむけた。近年では見たことがない」と目を丸くしていたほどだ。

     “珍プレー”のうっぷんを晴らす猛打賞でもある。前夜は三回の打席で審判員のカウント間違いにより四球とならず、4ボール2ストライクから二ゴロに倒れていた。「気づかなかった。気づいていたら一塁に行っていた」。出塁を損した形だが、この日は5打数3安打の大暴れで打率も出塁率も上昇させた。

     「誠也のホームランから始まって2本目のホームランも非常に大きかった。つなぎの中でタイムリーが下位打線にも出ていた。いいゲームだった」

     試合後は緒方監督もご満悦だ。スタメンは初顔合わせの左腕メルセデス対策にあえて左打者をズラリ。野間、松山、西川が躍動して、ベンチの策がズバリ的中した。阪神が勝ったため優勝マジック点灯はまたしてもお預けとなったが、チームは今季2度目の6連勝。マツダスタジアムの巨人戦は13連勝となった。若き4番に導かれて、真夏のV3ロードを突っ走る。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180811-00000017-dal-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     広島球団は28日からの対阪神3連戦(マツダスタジアム)で、故・衣笠祥雄氏(享年71)に哀悼の意を表し、緒方孝市監督、コーチ陣、選手、スタッフが喪章を付けて試合に臨む。

     “ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏とのコンビで、常勝赤ヘル軍団を築き上げ、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成して国民栄誉賞を受賞した“鉄人”だけに当然の措置だろう。

     それにしても、山本氏は2度にわたり合計10年も広島監督を務めたのに、衣笠氏は監督どころかコーチ経験さえなしに終わったのはなぜか、球界七不思議が改めてクローズアップされる。

     ある広島OBがこう謎解きする。「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」

     市民球団として旗揚げされた広島カープは一時期、東洋工業(現マツダ)が親会社だった時代もある。だが、通称“松田個人商店”といわれるように、松田ファミリーが人事権を持っている。広島OBの解説には説得力がある。

     とはいえ、現役引退後TBSの解説者をしていた衣笠氏には、他球団の監督になるチャンスはあったはずだ。実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報が流れたことがある。

     だが、結局衣笠氏は評論家活動一筋を貫いた。前出の広島OBはこう見ている。「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」。その通りならば、いかにも一本気な衣笠氏らしい野球人生を全うしたといえるだろう。(江尻良文)

    引用元 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180428/spo1804280003-n1.html


    “側近”から見た鉄人とは――。23日に上行結腸がんのため71歳で死去した衣笠祥雄氏を現役時代に支えていた広島の福永富雄球団トレーナー部アドバイザー(75)が、故人の我慢強さと医者をも驚かせたエピソードを明かした。

     筋肉の柔らかさは一級品だったという衣笠氏が一塁でレギュラーに定着したのは入団4年目の1968年のこと。福永氏によれば「実は太ももの肉離れを発症していた」そうだが、せっかく巡ってきたチャンスを逃すわけにはいかない。当時の根本陸夫監督に「試合に出るつもりなら盗塁のサインだって出す。当たり前だが、走ってもらいたい場面では走ってもらうぞ」と言われた衣笠氏は「もちろんです。できます」と二つ返事で試合に出続けたという。

     世界2位の2215試合連続出場を達成する間に左肩甲骨骨折の重傷を負ったのは有名だが、福永氏は「公にはなりませんでしたが、右手親指や手首、肋骨にひびが入りながらプレーを続けたこともあります。そのことは本人、首脳陣、トレーナーくらいしか知らなかったと思います。今では考えられないことですが…」と振り返る。

     体の丈夫さだけではない。衣笠氏が採血を行った際にはスポーツドクターが「こんなに良い血の色を見たことがない」と驚いていたという。「私もトレーナーをやっていて多くの選手を見てきましたが、そういうことを言われた選手は衣笠以外に一人もいません。なので非常に印象に残っています」(福永氏)

     最後に顔を合わせたのは今年1月で体調が良くないことは知っていた。亡くなる6日前の17日にも電話で言葉を交わしたという福永氏は「時代も違うし、あのような選手はもう出てこないんじゃないか」と言って故人をしのんだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-00000033-tospoweb-base

     23日夜に死去した元広島の“鉄人”こと衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)さん(享年71)は現役時代、“ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏(71)との名コンビで鳴らしたが、実は最初は犬猿の仲ともいえる関係だった。元ニッポン放送アナウンサーで2人と親交があった深澤弘氏(82)が、本当の仲を明かす。

     巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、よくこう言っていました。

     「僕の誇りはね、王(貞治ソフトバンク球団会長)と1度もいさかいがなかったことだよ」

     同じチームに力量が突出したスターが2人いれば、お互いに意識し合い、いつしか仲が悪くなる方が普通。奇跡的にONコンビの仲が良く、両雄が見事に並び立ったことが、巨人9連覇の原動力だったともいえます。

     何年か前、(山本)浩二さんにこの話をしたら、彼はこう声をひそめました。

     「僕とキヌ(衣笠さん)の仲は、決して良くなかったです。ライバルで、お互いにとげとげしかった。3番衣笠、4番山本で、僕はネクストバッターズサークルで何度も『打つな!』と念じました。キヌも同じ気持ちだったと思います」

     そんな2人の関係が劇的に変化したのが、1975(昭和50)年。7月19日のオールスター第1戦(甲子園)で、全セの3番を打った山本さんは1回と2回に、6番の衣笠さんは1回と3回に、そろって2打席連続本塁打。2番手で登板した外木場投手も3回無失点の好投で、翌日のスポーツ紙は「赤ヘル軍団現る」と大騒ぎでした。

     このとき、山本さんは「キヌと個人的に話してみたくなった」。広島に戻ると衣笠さんを誘い、初めてサシで酒を飲んだそうです。

     当時の広島は球団創設以来1度も優勝したことがなく、前年まで3年連続最下位の弱小チームでした。2人はこの席で「今年は優勝のチャンスじゃないか」と意気投合。実際に、秋には悲願のリーグ初制覇を成し遂げました。

     以後、2人はアドバイスを送り合い、盟友といわれるようになり、広島も常に優勝争いに加わる強豪へと変貌していったのです。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180427-00000015-ykf-spo

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