広島カープブログ

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    山本浩二

     法大OB会が18日、都内のホテルで開かれ、野球殿堂入りした田淵幸一氏(73)、侍ジャパンの稲葉篤紀監督(47)らが出席した。


     田淵氏は壇上で、同級生の山本浩二氏(73)の現状について「今朝電話で話して、4月から解説に復帰すると話していた」と説明。昨年は体調不良で療養していたが、同氏は「だいぶ良くなって、毎日30~40分散歩をしているそう」と、うれしそうに話した。

     山本氏と田淵氏は故・富田勝氏とともに「法大三羽がらす」と呼ばれた。現役引退後は2008年北京五輪では星野監督の下で2人そろってコーチを務めた。東京五輪では法大OBの稲葉監督が率いる侍ジャパンの金メダルが期待されるとあって、田淵氏は「北京は4位でいい思い出がないが、今年の五輪では、何十年たっても『あの時、稲葉は良くやった』と言われる結果を出してほしい」と後輩を激励していた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200118-01180167-sph-base

     ◇田淵幸一氏 野球殿堂入りエキスパート表彰

     田淵氏の法大時代の同期で「三羽ガラス」として活躍し、北京五輪でともに星野監督をサポートした山本浩二氏(73)も、殿堂入りを喜んだ。

     山本氏が田淵氏と出会ったのは1964年、東京五輪が終わった直後の12月、兵庫県洲本市で行われた法大のセレクションだった。そこからチームメートとなって56年。東京五輪イヤーに田淵氏は殿堂入り。「ブチ、野球殿堂入りおめでとう。もっと早く入っても良かったと率直に思う。間違いなく天国の仙(星野仙一氏)も喜んでいるだろう。長い付き合いになった」と自分のことのように喜び、祝福した。

     法大で富田勝氏とともに「法大三羽ガラス」として、しのぎを削ったが、入学当初は違った。「春のリーグ戦が始まると神宮球場で切符切りしていた私たちを尻目にブチは1年春からベンチ入り。そんな姿はうらやましかったし、ブチへのライバル心は私の支えになった」と振り返る。投手として、65年6月4日に行われた新人戦の慶大戦(東大球場)で投手を務めた山本氏は人生で1試合だけ、田淵氏とバッテリーを組んだ。「なぜか真っすぐしか要求してこない。“何でや?”と文句を言うと“オヤジさん(松永怜一監督)から真っすぐしか投げさせるなと言われてるんだ”という。打たれて投手を諦めさせたかったらしい」。2年から山本氏は野手に転向。プロでは「ミスター赤ヘル」として通算536本塁打を放った。

     「2008年の北京五輪で星野仙一監督の下、ブチと私でコーチを務めたことは一生の宝物」と話す。悲願の金メダルには届かず4位に終わったが、東京六大学時代からの盟友と同じユニホームで日の丸をつけた戦いの記憶は鮮明に残る。

     「昨年、私が体調不良の間も気に掛けて何度も電話をしてくれた。ブチの姿を見ながら、野球界に少しでも恩返しできればと思っている」

     2人の絆は昭和、平成、そして令和の時代に入っても色あせることはない。 (倉橋 憲史)

     ◆山本 浩二(やまもと・こうじ)1946年(昭21)10月25日生まれ、広島県出身の73歳。廿日市―法大を経て、68年ドラフト1位で広島入団。MVPを2度、本塁打王を4度獲得するなど、強打の外野手として活躍。通算536本塁打は歴代4位。広島の監督を計10年務め、91年にリーグ優勝。08年北京五輪で日本代表守備走塁コーチを務め、同年、野球殿堂入り。13年の第3回WBCでは侍ジャパンの監督を務めた。現日本プロ野球名球会理事長。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00000062-spnannex-base

     広島で万能選手として活躍した呉市出身の中東直己さん(38)は16年の引退後、広島を拠点に不動産業を営む「株式会社 大和興産」に勤務している。引退から今年で3年。現在の仕事内容や現役時代の思い出などを聞いた。



     広島市安佐南区の国道沿いにあるオフィスが中東さんの職場だ。「もう3年目になりました。あっという間ですね」。そう言って見せる笑顔は、現役当時と変わらない。

     戦力外通告を受けた後、迷った末に12球団合同のトライアウトに参加した。カープのユニホームを着るのは、この日が最後。スタンドから声援を送った家族の前で、打って走って守ってと全力でプレーした。「見てもらえて良かった」。他球団からの連絡はなく現役引退を決断。それでも夢舞台で駆け抜けた10年間に後悔はなかった。

     球団OBで元監督・山本浩二氏の紹介を経て入社した。現在は管理営業部に所属。主に安佐北区を担当し、オーナーが持つ不動産の資産運用、管理、保守、リフォーム提案、集金代行など、さまざまな業務に従事する。入社当初を振り返ると「パソコンもできなかったし苦労しました。大変な仕事だなと思いました」と苦笑いした。

     飛び込み営業ではインターホン前で門前払いされたこともある。それでも「人と話をするのは苦手じゃないので」。明るく前向きな性格が長所。小学校のPTA会長を務めるなど、仕事以外でも意欲的にチャレンジしている。

     「たくさんの人と話をして感じることは、本当にカープファンが多いということ。チームが負けたりすると、機嫌が悪い人もいます。だから広島の街にはすごい影響力があるんだって、改めて感じます。僕のことを知ってくださっている人もいて、本当にうれしいです」

     呉市出身。06年度の大学・社会人ドラフト5位でホンダ鈴鹿から入団した。思い出に残っている試合は、11年8月30日のヤクルト戦(神宮)だ。2-2の延長十回2死から栗原が二塁打で出塁し代走としてグラウンドへ。丸の打席の暴投で、二塁から一気に勝ち越しの本塁を奪った。

     「球が上に上がって。行けると思いました。初めてチームに貢献できたと思えた」。13年にはプロ初本塁打を放つなど1週間で3度のヒーローインタビューを受けたこともあるが、自分の武器を最大限に生かせたヤクルト戦が印象深いという。

     ファンを喜ばせることも“仕事”だった。雨天コールドになった試合では上本と一緒にAKBの「恋するフォーチュンクッキー」の曲に合わせて踊った。「最初はヨギさん(梵選手)に言われたのかな。むちゃぶりですよね。中止になりそうになると、そっちのことしか頭になくて」。スタメン出場するより緊張感があった。それでも声援を送ってくれる鯉党を喜ばせるために必死だった。

     不動産業は人と人をつなぐ仕事でもある。橋渡しをした人たちが笑顔になってくれるのが何よりも励みになっている。「野球をやっていたときも、いろいろな人に支えられ感謝しています。この仕事でも出会いを大切にしながら、頑張っていきたいです」。満面の笑みを浮かべながら言葉をつむいだ。

    (まいどなニュース/デイリースポーツ・市尻 達拡)

     ◆中東直己(なかひがし・なおき)1981年10月5日生まれ、38歳。広島県呉市出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手。背番号00。広島工から東亜大、JR西日本、ホンダ鈴鹿を経て2006年度大学・社会人ドラフト5位で広島入団。プロ1年目の07年4月14日・中日戦(広島)で初出場(代打)。同年のフレッシュオールスターでMVPを獲得。16年に戦力外通告を受け引退。通算成績は315試合71安打2本塁打16打点19盗塁、打率・233。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191106-11001597-maidonans-life

     「プロ野球ドラフト会議」(17日、グランドプリンスホテル新高輪)

     広島・佐々岡新監督がドラフト会場のホテルに入った。前日16日に明大・森下をドラフト1位で指名すると公言。競合が予想され、くじ引きとなれば佐々岡監督の出番だ。現在は「結構な緊張よ」と心境を明かした。

     2種類用意していた勝負パンツからお気に入りをチョイス。「色まで言わんよ」と笑ったが、「さっき履き替えた」と明かした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191017-00000067-dal-base

     監督就任が濃厚となった佐々岡ピッチングコーチ。その決め手は、カープを愛し、愛されてきた生え抜きOBとしてのプロ野球人生にあります。

     1990年、ドラフト1位で入団。

     「小さいころからの夢、憧れ。」(佐々岡真司投手・当時)

     山本浩二監督の前で、こう語った青年は、スライダーを武器に、先発・中継ぎ・抑えとフル回転します。

     印象深いのが、10年目で達成したノーヒット・ノーラン。投球の幅を広げ、のちの大勲章につなげます。

     「100勝100セーブを達成。」(当時の実況)

     「どのポジションでも投げようと思ってました。結果として100セーブができて、うれしいです。」(佐々岡真司投手・当時)

     18年の現役生活を終えると、RCCの野球解説者として活躍。グラウンドの外で7年間を過ごしました。

     「カープ野球はピッチャーを中心として守り勝つ野球。」(解説者時代の佐々岡真司さん)

     2015年、再びユニフォームに袖を通すと、今シーズンからは一軍のピッチングコーチとして緒方監督を支えました。

     佐々岡コーチは、実績にこだわらず、ファーム時代からの教え子たちを積極的に起用。2年ぶりに復活勝利を挙げた床田や、先発へ配置転換し、勝利を挙げたアドゥワ、そして、山口や遠藤といった、将来のエース候補たちに「勝つ喜び」を経験させました。

     「楽しみな選手のひとり…」(佐々岡真司コーチ)

     素顔の佐々岡コーチは温厚でムードメーカー的な側面もあり、鈴木球団本部長は「人柄は言うことない」と評価。監督として、まず、「チームが勝つこと」、そして、「投手陣の底上げ」を期待しているということです。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00362800-rccv-l34

     広島の緒方孝市監督監督(50)が2019年10月1日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの退団を発表した。

     今季は球団初のリーグ4連覇を目指してスタートを切ったものの、開幕から5カード連続の負け越しでつまずきスタートダッシュに失敗。レギュラーシーズン最終戦までAクラス残留をかけての戦いが続いたが、チームは2015年以来の4位でシーズンを終えた。緒方監督はこの責任を取る形でユニフォームを脱ぐことになった。

    ■過去、指導者経験なしの監督はミスター赤ヘルのみ

     緒方監督の退任に伴い、チームの再建が急務となったフロント。来季に向けての第一歩となるのが新監督の選定だ。鯉党からは前監督の野村謙二郎氏(53)の復帰待望論が根強く、リーグ3連覇の土台を作った実績は評価が高い。理路整然とした野球論にも定評があり、「実績」、「知名度」、「期待度」は他の監督候補らの上を行く。

     「知名度」でいえば、広島、ヤンキースなどで活躍した黒田博樹氏(44)も群を抜く。MLBで複数球団からオファーがあったものの、それを蹴って2014年に古巣・広島に復帰。黒田の「男気」は多くの野球ファンから称賛された。また、現役時代「孤高の天才」と称された前田智徳氏(48)のカリスマ性、昨年引退した新井貴浩氏(42)のリーダーシップは高く評価されている。

     ただ、黒田氏ら3人に共通しているのが指導者の経験がないこと。前田氏は2013年に一軍の打撃コーチ補佐と選手を兼任していたが、指導者としての実績はほとんどない。黒田氏、新井氏もまた、引退後はスポーツ紙の評論家や野球解説を務めるなど、ともに現在は現場から離れている。広島の歴史を紐解くと、指導者の経験がなく、いきなり監督になったのは事実上、ミスター赤ヘル・山本浩二氏(72)だけである。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191001-00000007-jct-spo

     広島・永川勝浩投手(38)が23日、マツダスタジアム内で引退会見を行った。ユニホーム姿で会見場に現れ、心境を語った。引退を告げた際の家族の反応は「『もういいんじゃない』という感じでした」と振り返りつつ、「僕自身やりきった感じはあったので」と17年間広島一筋のプロ生活を振り返った。以下、一問一答の要旨(1)。



     (自らあいさつ)「広島東洋カープで17年、大学を卒業して野球をやってきましたけど、今年で引退をして17年に区切りを付けたいと思います。今まで応援ありがとうございました」

     -いつぐらいから引退を考えていたのか。

     「ここ数年はケガもありながら、なかなかいい成績を残せなかったですから、そういうところでいろいろ考えることはありました」

     -きっかけは。

     「今年に入ってトレーニングをしても体がどこか痛くなったりとか、練習でいいパフォーマンスが出ても試合で出せなかったり。そういうところを総合して心が折れたというところです」

     -これまで何度も逆境をはね返してきたが今回ばかりは…。

     「そうですね、若い子たちが頑張ってる中で自分がそれと同等以上のボールを投げられなくなってきて、どこかで当然自分も考えないといけないことなので。今回は体をいろいろ考えながら、限界を感じてしまいました」

     -周りの反応は。

     「家族には7月前ぐらい、6月半ばぐらいには伝えましたけど、反応はそんなに大した感じではなかったので(笑い)。『もういいんじゃない』という感じでしたから、僕自身もやりきった感じはあったので。そういう感じでした」

     -思い出は。

     「いい思い出と言われたら、1年目から山本浩二監督にクローザーを任せていただいて、そういう道を作っていただいたというのはこの17年間というのはその最初のスタートがあったからこそだと思うので、そういう意味では感謝していますし、いい思い出だと思います」

     -広島出身で広島のチームに入団した。

     「広島で生まれて、広島で育ってきましたので、広島東洋カープに誘っていただいた時は、ものすごくうれしいというか。プロ野球選手である以上、広島にまた帰って故郷でプレーできるのはすごく良いものと言うと簡単ですけど、そういう気持ちがあったので、広島というところには愛着がありますね」

     -165セーブを挙げた。ストッパーの難しさは感じたか。

     「僕の場合は何回も失敗を繰り返しながら、いろんな人に迷惑をかけながら助けられてやってきたので、クローザーに対しての難しさというのは感じなかったですけど、本当にここ何年かはどうやったら人に迷惑をかけずに生きていけるんだろうということをよく考えていたので。そういう意味では、クローザーという職にはそこまで難しさは感じなかったですね」

     -野球への考え方の変化はあったか。

     「本当にいろいろ試行錯誤しながらコーチであったり、トレーナーであったり、時には後輩であったり。そういう方たちに支えられて、いろいろトライしてきましたけど、やっぱりプロの世界はそう簡単なものじゃないなというのは最後の方でつくづく感じました」

     -変化を恐れないイメージ。

     「昔は結果もそこそこ出てましたし、変化をしなくてもというところはあったと思います。本当にすぐに調子に乗る性格であり、何でも簡単にできると思ってしまう性格なので、ここ数年でいろんな意味で大人にしてもらったし、広島東洋カープに最後まで育ててもらったおかげで今の自分があると思うので、若い子たちには変化していかないといけないというのも伝えていきたいなと思いますね」

     -2017年は膝の故障もあった。

     「手術してまで契約してもらえるとは思ってなかったので、そこで契約してもらったからこそ、手術をさせてもらったからこそ昨年があったと思いますし、そういう意味ではいろんな人に支えられて、感謝するのは簡単にできますけど、本当にいろんな人に感謝したいと思います」

     -優勝、優勝旅行も経験した。

     「そうですね…、3連覇している中で、最初の2連覇の時はほぼ結果を出すことができず、昨年もそこまで出したとは言えないんですけど、最後に連れて行っていただいて、僕だけじゃなく、家族がすごく喜んでいましたし。本当に昨年の復帰登板であり、いろいろ印象に残って、周りがすごく、僕が若い時より大人な選手が多くなったと思います」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190923-00000042-dal-base

     ◇セ・リーグ 広島―ヤクルト(2019年9月3日 神宮)

     広島の鈴木誠也外野手(25)がヤクルト戦(神宮)の5回に二塁盗塁を決め、自身初となるシーズン20盗塁をマーク。すでに25本を放っている本塁打と合わせて「20本塁打&20盗塁」を達成した。

     鈴木は「3番・右翼」で先発出場。2―0で迎えた5回、ヤクルトの先発左腕・高橋から中前打を放って出塁すると、続く4番・長野の2球目に二盗に成功した。

     「20本塁打&20盗塁」は球団では2016年に20本塁打&23盗塁した丸佳浩外野手(現巨人)以来3年ぶりで、25歳シーズンまでの達成は1970年に当時24歳だった“ミスター赤ヘル”山本浩司(1975年に浩二と改名)がマークして以来49年ぶり2人目の快挙となった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190903-00000181-spnannex-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     日本野球機構(NPB)は25日、怠慢プレーの野間に激怒し、平手打ちした緒方孝市監督(50)を「厳重注意処分」にした広島球団の対応を了承。新たな制裁を科さないと明かした。

     「広島から報告を受けています。NPBとしての新たな処分はありません。あってはならないことなので繰り返さないように伝えた」(井原事務局長)

     一件落着という形だが、まさに時代の流れを感じさせられる。弱小・広島を1975年に球団創設初優勝に導いたのをはじめ、常勝赤ヘル軍団に育て上げた元監督・古葉竹識氏(83)は、見かけは紳士だが、グラウンドでは熱血漢で妥協を許さないスパルタ主義だった。元祖・体罰監督といえる。

     ベンチでの定位置は、バットケースの陰。身を隠すようにしていたが、それにはワケがあった。怠慢プレーをして戻ってきた選手を、テレビカメラに映らないように笑顔で蹴飛ばすのだ。鉄拳制裁では見え見えになってしまうが、下半身はバットケースに隠れているので、笑顔を見せながら、懲罰の蹴りを入れているのはわからない。赤ヘルナインにとっては恐怖の古葉キックだった。

     日本ハムから広島に移籍した大下剛史氏は現役引退後、コーチになってから古葉スパルタ教育の継承者になり、「12球団一の鬼軍曹」として鳴らした。赤ヘルナインだけでなく、他球団の選手にも恐れられていた伝説の鬼コーチだ。

     巨人長嶋第二次政権の時、筆者は「今の巨人の選手には厳しさ、気迫が足りないから、伝説の鬼軍曹・大下コーチを招へい。スパルタ教育をしてもらい、鍛え直してもらったら良いのでは」と、長嶋監督に真面目に提案したことがある。

     ところが「大下は厳しく徹底指導する、素晴らしいコーチだが、ウチの選手には無理。大下と聞いただけで、ちびってオシッコを漏らしちゃうよ」と冗談めかしながら語った。

     その長嶋氏も青年監督だった第一次政権の時には超スパルタ主義。「勝負して打たれるのは仕方ない。だが、逃げまくって四球を乱発するのは絶対に許せない」と、若手投手に鉄拳制裁していたのだ。

     今や「鉄拳制裁=パワハラ」の時代。今回の広島・緒方監督の騒動は象徴的で、プロ野球界も大きく変貌を遂げている。(江尻良文)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190727-00000016-ykf-spo&pos=2

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