広島カープブログ

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    山本浩二

     【江尻良文の快説・怪説】

     広島球団は28日からの対阪神3連戦(マツダスタジアム)で、故・衣笠祥雄氏(享年71)に哀悼の意を表し、緒方孝市監督、コーチ陣、選手、スタッフが喪章を付けて試合に臨む。

     “ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏とのコンビで、常勝赤ヘル軍団を築き上げ、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成して国民栄誉賞を受賞した“鉄人”だけに当然の措置だろう。

     それにしても、山本氏は2度にわたり合計10年も広島監督を務めたのに、衣笠氏は監督どころかコーチ経験さえなしに終わったのはなぜか、球界七不思議が改めてクローズアップされる。

     ある広島OBがこう謎解きする。「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」

     市民球団として旗揚げされた広島カープは一時期、東洋工業(現マツダ)が親会社だった時代もある。だが、通称“松田個人商店”といわれるように、松田ファミリーが人事権を持っている。広島OBの解説には説得力がある。

     とはいえ、現役引退後TBSの解説者をしていた衣笠氏には、他球団の監督になるチャンスはあったはずだ。実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報が流れたことがある。

     だが、結局衣笠氏は評論家活動一筋を貫いた。前出の広島OBはこう見ている。「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」。その通りならば、いかにも一本気な衣笠氏らしい野球人生を全うしたといえるだろう。(江尻良文)

    引用元 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180428/spo1804280003-n1.html


    “側近”から見た鉄人とは――。23日に上行結腸がんのため71歳で死去した衣笠祥雄氏を現役時代に支えていた広島の福永富雄球団トレーナー部アドバイザー(75)が、故人の我慢強さと医者をも驚かせたエピソードを明かした。

     筋肉の柔らかさは一級品だったという衣笠氏が一塁でレギュラーに定着したのは入団4年目の1968年のこと。福永氏によれば「実は太ももの肉離れを発症していた」そうだが、せっかく巡ってきたチャンスを逃すわけにはいかない。当時の根本陸夫監督に「試合に出るつもりなら盗塁のサインだって出す。当たり前だが、走ってもらいたい場面では走ってもらうぞ」と言われた衣笠氏は「もちろんです。できます」と二つ返事で試合に出続けたという。

     世界2位の2215試合連続出場を達成する間に左肩甲骨骨折の重傷を負ったのは有名だが、福永氏は「公にはなりませんでしたが、右手親指や手首、肋骨にひびが入りながらプレーを続けたこともあります。そのことは本人、首脳陣、トレーナーくらいしか知らなかったと思います。今では考えられないことですが…」と振り返る。

     体の丈夫さだけではない。衣笠氏が採血を行った際にはスポーツドクターが「こんなに良い血の色を見たことがない」と驚いていたという。「私もトレーナーをやっていて多くの選手を見てきましたが、そういうことを言われた選手は衣笠以外に一人もいません。なので非常に印象に残っています」(福永氏)

     最後に顔を合わせたのは今年1月で体調が良くないことは知っていた。亡くなる6日前の17日にも電話で言葉を交わしたという福永氏は「時代も違うし、あのような選手はもう出てこないんじゃないか」と言って故人をしのんだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-00000033-tospoweb-base

     23日夜に死去した元広島の“鉄人”こと衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)さん(享年71)は現役時代、“ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏(71)との名コンビで鳴らしたが、実は最初は犬猿の仲ともいえる関係だった。元ニッポン放送アナウンサーで2人と親交があった深澤弘氏(82)が、本当の仲を明かす。

     巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、よくこう言っていました。

     「僕の誇りはね、王(貞治ソフトバンク球団会長)と1度もいさかいがなかったことだよ」

     同じチームに力量が突出したスターが2人いれば、お互いに意識し合い、いつしか仲が悪くなる方が普通。奇跡的にONコンビの仲が良く、両雄が見事に並び立ったことが、巨人9連覇の原動力だったともいえます。

     何年か前、(山本)浩二さんにこの話をしたら、彼はこう声をひそめました。

     「僕とキヌ(衣笠さん)の仲は、決して良くなかったです。ライバルで、お互いにとげとげしかった。3番衣笠、4番山本で、僕はネクストバッターズサークルで何度も『打つな!』と念じました。キヌも同じ気持ちだったと思います」

     そんな2人の関係が劇的に変化したのが、1975(昭和50)年。7月19日のオールスター第1戦(甲子園)で、全セの3番を打った山本さんは1回と2回に、6番の衣笠さんは1回と3回に、そろって2打席連続本塁打。2番手で登板した外木場投手も3回無失点の好投で、翌日のスポーツ紙は「赤ヘル軍団現る」と大騒ぎでした。

     このとき、山本さんは「キヌと個人的に話してみたくなった」。広島に戻ると衣笠さんを誘い、初めてサシで酒を飲んだそうです。

     当時の広島は球団創設以来1度も優勝したことがなく、前年まで3年連続最下位の弱小チームでした。2人はこの席で「今年は優勝のチャンスじゃないか」と意気投合。実際に、秋には悲願のリーグ初制覇を成し遂げました。

     以後、2人はアドバイスを送り合い、盟友といわれるようになり、広島も常に優勝争いに加わる強豪へと変貌していったのです。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180427-00000015-ykf-spo

     広島・新井貴浩内野手(40)が11日、和歌山県伊都郡高野町の高野山清浄心院で14年連続の護摩行に挑み、石原、会沢、堂林と約1時間半、炎と向き合った。池口恵観住職(81)は「あと10年できる」と太鼓判。新井も「やります」と意欲を燃やすと同時に、日本一への決意を強くした。

     気温マイナス6度。真っ白に雪化粧した高野山で、新井は顔を真っ赤にしてお経を唱え続けた。新しい年の始まりを告げる荒行は14年連続。護摩木は昨年より1000本増の3000本。約1時間半、燃えさかる炎と無心で向き合い、今季への決意を新たにした。

     「今年もきつかったと思う。やっている時は何も考えられない。声も自然と出る。原点に戻るし、『よし、やるぞ!』と気持ちがグッと引き締まります」

     高野山での護摩行は今年が初めて。標高800メートルを超える世界遺産には神々しい雰囲気が漂う。同地を訪れるのは「3、4回目」と言う新井も、特別なパワーを感じ取っていた。

     「雰囲気が違うでしょ?着いた瞬間、空気と雰囲気がちょっと違うと感じた。別世界。素晴らしいところと知っていたので、そこでやらせてもらって感謝しています」

     節目のプロ20年目、心と体が充実している。ウエートトレーニングでは過去最高の数値を記録。それを証明するように、池口住職はシーズンMVPを獲得した一昨年以上の活躍を予言。「一球闘心」という四字熟語を授け、「50歳現役」に太鼓判を押した。

     「それ(2016年)以上に、気と力と若さが出ていた。新井には『50歳を過ぎてもやれ』と言った。本人も『やります』と言っていた」

     新井は今月30日に41歳を迎えるが、気力と体力は衰えるどころか、進化し続けている。それを支えるのは「日本一」への思い。昨季は「チームが苦しい時に救いたい」と繰り返し、チームの精神的支柱としてリーグ連覇に貢献した。

     その姿は今年も変わらない。2年連続で護摩行に参加した堂林、会沢には「昨年、厳しい経験をして、『今年もお願いします』と言ってきた。すごく気持ちが入っていると感じた」と優しいまなざしを向ける。

     護摩行はあと2日。新井は「キャンプが始まる前に心を締めてやりたいと思う」と力を込めた。頂点だけを見据える心はメラメラと燃えている。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180112-00000007-dal-base

     広島・松田元オーナー(66)が6日、膵臓(すいぞう)がんのため4日早朝に急逝した楽天・星野仙一球団副会長(享年70)の早過ぎる死を惜しんだ。

     松田オーナーは星野氏が現役を引退してから親交を深めたという。「熱さとクールさの両方を持っていた。(球界にとって)痛い。バリバリ引っ張っていってほしかった。あの若さでつらいと思う」と沈痛の表情を浮かべた。

     16年のドラフト会議での出来事が忘れられないという。控室に姿を見せた星野氏は松田オーナーの手を握り、「良かった、良かった、良かった」。25年ぶりのリーグ優勝を自分のことのように喜んでくれたのだった。

     同オーナーは「『良かった』と3回も言ってくれた。一緒に喜んでくれて、すごく伝わってきた。手の大きさも、声も、覚えている。部屋を出るときも『良かった』と言っていた。あの人の人柄だと思う」としみじみと振り返った。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180107-00000032-dal-base

     プロ野球・中日の投手として「打倒・巨人」に燃えた現役時代から強い印象を残し、監督として中日、阪神、楽天で優勝を果たすなど引退後も球界に大きく貢献した星野仙一さんの訃報に、球界の関係者からは死去を悼む声が相次いだ。


     明大出身の星野さんと同学年で、ともに東京六大学野球のスターとして注目され、2008年の北京五輪ではコーチとして日本代表監督の星野さんを支えた、法大出身で元広島監督の山本浩二さん(71)は「突然の訃報に言葉が出ない。あまりにもショックが大きい」と悲しんだ。

     昨年11月、12月に2度行われた野球殿堂を祝う会で顔を合わせており、山本さんは「元気がなく、顔つきや声にも力がなくなっていたので心配はしていた。後でお礼の電話がかかってきたので『気をつけてくれよ』と話したばかりだったのに……。本当に早すぎる」と話した。

     昨年、星野さんと共に野球殿堂入りを果たした元大洋(現DeNA)投手で野球評論家の平松政次さん(70)は「朝、たまたま携帯電話を見ていたらニュースが流れていてびっくりした」。昨年は1月の殿堂表彰式などで3度会ったが「一度も体調が悪いなんて感じさせることはなく、むしろ星野さんはスリムだな、スタイルがいいなと思っただけだった」と驚きを隠せなかった。

     岡山東商高出身の平松さんは高校時代に、倉敷商高の星野さんと甲子園行きをかけて競った間柄。昨年11月の野球殿堂入りの記念パーティーでは「岡山で2人(同時の殿堂入り)なんて珍しいことだな」と喜び合ったといい、「がんというから急なことではないだろう。ものすごく強気で、弱い所は絶対にみせない人。内心きつかっただろうけれど、全く感じさせなかった。星野さんらしい」としのんだ。

     星野さんが阪神監督当時に球団社長だった野崎勝義さんは「編成能力に優れた監督だった。球団は外様を呼んだり、難しい交渉をしたりして良い選手を獲得するのが下手だった。二人三脚で、それまでのやり方をひっくり返した」と当時を懐かしみ、「早すぎる。夢にも思わなかった」と声を落とした。【細谷拓海、中村有花、坂本太郎】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180106-00000022-mai-base

     37年ぶりのリーグ連覇を果たした昨季、広島に1人の革命的な4番打者が誕生した。鈴木誠也――。攻守走に最高級の品質を持つ23歳は、しかし、佳境を前に故障離脱の憂き目を見た。曲折を乗り越え、精神的に成長した2018年。「年男」が掲げる100打点は目安に過ぎない。心身とも屈強な真のスラッガーへ。予兆が現実になった時、3連覇と日本一の光が見える。

     「去年はブレブレでした。自分自身に対して感情が爆発したことも。こんな精神状態じゃダメだ…と気付いていたけど、具体的にどうすればいいのか、わからなかった…」

     鈴木は静かな口調で切り出した。打率・300、26本塁打、90打点の好成績を残した2017年。4月中旬から4番に抜てきされ、重圧など無関係とばかりに打った。だが、周りの目を意識し始め、自分を見失う。奇禍はそんな時に起きた。

     「3年目から階段を上り始めたけど、去年はガケだった。次の階段が無いから、一つ間違えたら(谷底に)落ちる。ケガは起こるべくして起きた…と」

     8月23日、DeNA戦で右足首を骨折。大きな転機だった。厳しい境遇にある人たちと入院中に出会い、好きな野球ができる幸せを実感。人として足もとを見つめ直した。その一方では、野球人として自身と向き合った。有意義な時間だった。

     「自分が向かう場所を見失い、ずっとモヤモヤしていた。でも、今は違います。ここを目指す、こういう選手になる…という目標が明確になったので」

     実績を積み重ね、求められるものが変わった昨季。周りの目に心を乱され、イラ立つ自分がいた。どうすれば達観できるのか。考え抜いて見つけた答えが“目標に向かってプレーする”だった。目指す先を問うと「それはまだ」と笑った。

     「去年よりも成長したい。数字は別に意識していません。ただ4番を打つとしたら、100打点は挙げないといけない。前の人たち(タナ・キク・マル)があれだけ出塁し、つなげてくれる。還すのが4番の仕事なので」

     多種多様な名優がそろうカープ打線。その中で4番の期待を担う鈴木は、状態が良くない中で残した昨季の好成績を例に挙げるまでもなく、底知れぬポテンシャルを秘める。24歳の年男を迎える今季、曲折を乗り越えてどう覚醒するのか。

     「テーマは、気持ちをどうコントロールするか。ケガをして、いろんなことを感じた。それをどう出していけるか。楽しみです」

     右足首手術から完全復帰し、新たな誠也神話の創世記が始まる。(江尾 卓也)


    引用元 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/04/kiji/20180104s00001173037000c.html

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