広島カープブログ

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    山本浩二

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    競技者表彰のエキスパート表彰として今年の野球殿堂入りを果たした田淵幸一氏(73)の表彰式が18日、都内のホテルで開かれた。

    田淵氏の表彰式には、同級生で元広島監督の山本浩二氏が出席した。肺がんなどを患い昨年4月から約10カ月間、闘病生活を送ってきたが、壇上では「1年目にプロ野球ってこんなにしんどいんだという話をした覚えがあります」と述懐し「おめでとうということしか言葉はありません」と祝福。花束を受け取った田淵氏は「感無量です。志半ばで旅立った仙ちゃん(星野仙一氏)のためにも、浩二と野球界発展のために尽力していこうと改めて決意した次第です」と感謝した。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/b12263943005bab90add4119d334638ce10083ea

    ◆JERAセ・リ-グ 広島4―4中日(30日・マツダスタジアム)  勝利には結びつかなかったが、堂林がまた前へ進んだ。「いいきっかけになればいい」とうなずいたのが4回の7号3ラン。1点を追う1死一、二塁、岡野の初球カーブを逃さなかった。  試合前まで最近5試合で21打数3安打。「最近、状態が良くなかったので…」と中軸を外れ、13試合ぶりに7番で起用された。「初球から甘い球が来たらいこうと。自分のスイングができた」と中堅左へ一時逆転となる一撃。初球の打率は15打数7安打。6、8回は二ゴロでも「内容が良かったと思う」と確かな収穫を持ち帰った。


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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/d4f47b505b969c16bf13cba46639e143dbf32ac3

    index

    #開幕を待つファンへ 家で楽しめるプロ野球に関するマニアックなクイズをどうぞ。記録のスペシャリスト伊藤友一記者が9問出題。楽しみながら学んでみませんか。答えは問題の後ろにあります。

    <Q1>

    昨年は9月6日にソフトバンク千賀滉大、同14日に中日大野雄大がノーヒットノーランを達成。これで達成者は81人となったが、1人で複数回やった投手が過去9人いる。最多の3回は2人おり、1人は沢村栄治。あと1人は誰か?

    1 藤本英雄

    2 金田正一

    3 鈴木啓示

    4 外木場義郎

    <Q2>

    ロッテ井口資仁監督は現役時代にデビューの97年5月3日近鉄戦と引退試合の17年9月24日日本ハム戦で本塁打を放った。井口監督の「デビュー戦と最終戦」より難しい「初打席と最終打席」の両方で本塁打を打ったのは誰か?

    1 香川伸行

    2 青島健太

    3 小野公誠

    4 加治前竜一

    <Q3>

    昨年亡くなった金田正一さんの通算成績は400勝298敗で、勝利数と敗戦数はともにプロ野球最多。完投数や奪三振数も1位だが、勝利数から敗戦数を引いた貯金数の102は6位。貯金数が最も多い投手は誰か?

    1 スタルヒン

    2 別所毅彦

    3 稲尾和久

    4 山田久志

    <Q4>

    昨年の広島鈴木誠也は首位打者を獲得したが、18年8月9日中日戦ではカウント4-2から二塁ゴロを打つ珍プレー。鈴木のように四球に気付かないで打席を続行し、本塁打を打った選手は誰か?

    1 原辰徳

    2 クロマティ

    3 吉村禎章

    4 中畑清

    <Q5>

    オリックス山本由伸は昨年6月28日西武戦で毎回奪三振を達成。毎回奪三振は年間数人おり、昨年は山本とソフトバンク千賀の2人いたが、毎回与四死球を記録した投手は過去に1人しかいない。次の4人の中で誰か?

    1 村田兆治

    2 東尾修

    3 佐藤義則

    4 野茂英雄

    <Q6>

    西武中村剛也は昨年7月19日に史上20人目の通算400本塁打を達成。通算400本以上の20人は満塁本塁打とサヨナラ本塁打を全員記録しているが、代打本塁打0は3人。オリックス・ローズ、ソフトバンク小久保裕紀とあと1人は誰か?

    1 長嶋茂雄

    2 王貞治

    3 山本浩二

    4 落合博満

    <Q7>

    完封勝ちする投手が減り、昨年の最多完封はDeNA今永昇太の3度。2度以上は両リーグで5人しかいなかった。シーズン2完封した投手が少ない現在では考えられない「2日連続完封勝ち」を記録した投手は誰か?

    1 秋山登

    2 村山実

    3 杉浦忠

    4 権藤博

    <Q8>

    ヤクルト村上宗隆は19歳3カ月だった昨年5月12日巨人戦で初めて4番を経験。高卒2年目の昨年は先発4番で25試合出場し、今年は全試合4番を目標にしている。では、プロ野球で先発4番の出場試合数が最も多いのは次の4人の中で誰?

    1 川上哲治

    2 野村克也

    3 落合博満

    4 金本知憲

    <Q9>

    今年は98年10月10日横浜-中日戦以来となるダブルヘッダーが実施されるかもしれない。ダブルヘッダーでは珍記録がつくられたが、第1、第2試合合わせ1日でソロ、2ラン、3ラン、満塁の「サイクル本塁打」を達成した外国人選手は?

    1 ホプキンス

    2 ヒルトン

    3 スコット

    4 ガードナー

    <A1>

    4。外木場義郎。64年に広島へ入団した外木場は、プロ初勝利となった65年10月2日阪神戦で最初のノーヒットを達成。2度目の68年9月14日大洋戦は16奪三振の完全試合。3度目は72年4月29日巨人戦で、プロ9年目までに3度達成した。

    <A2>

    3。小野公誠。97~08年にヤクルトでプレーした小野は初打席の97年7月20日巨人戦で三沢、最終打席の08年10月12日横浜戦で牛田から本塁打を放った。通算1打席で1本塁打の投手が2人いるが、2打席以上で初打席と最終打席の両方で1発は小野だけ。

    <A3>

    3。稲尾和久。通算276勝137敗で貯金数が139。稲尾はプロ入り8年連続20勝したが、そのうち57年35勝6敗、58年33勝10敗、61年42勝14敗と貯金数20以上が3年あった。2位は別所の132で、貯金数100以上の投手は6人だけ。

    <A4>

    3。吉村禎章。87年10月18日巨人-広島戦の4回裏、広島白武が3-2から投げた7球目がボールとなるも、四球に気付かず続く8球目を左翼席へ。カウント4-2から本塁打は吉村だけ。87年は後楽園球場最終年で、これが同球場の公式戦最後の1発。

    <A5>

    4。野茂英雄。94年7月1日西武戦で記録した。いきなり初回から3四球を与え、毎回の16四球を出すも191球を投げて9回完投。被安打は5本だけで、初回に適時安打と押し出しで2点、9回に押し出しで1点を失ったが、8-3で完投勝利を挙げた。

    <A6>

    1。長嶋茂雄。代打成績は18度起用され13打数4安打、1犠飛、4四球で、本塁打は0。王は1本あり、79年9月12日阪神戦で打った通算831号が初の代打本塁打となった。落合も1本で、ロッテ時代にプロ2年目の80年7月12日近鉄戦で打っている。

    <A7>

    1。秋山登。大洋で通算193勝の秋山は、阪神と優勝を争っていた62年9月にライバルの阪神相手に25日3安打、26日5安打で完封勝ち。日本シリーズでは64年に南海スタンカが記録しているが、2リーグ制後の公式戦で2日連続完封は秋山しかいない。

    <A8>

    2。野村克也。高卒3年目の56年10月1日西鉄戦で初めて4番に座り、南海時代に4番で2256試合出場した。2位は落合の1734試合で、ONは巨人で同時期にプレーしていたこともあり、長嶋が1460試合、王は1231試合だった。

    <A9>

    3。スコット。79年に来日したスコットは81年までヤクルトでプレー。79年5月27日阪神戦の第1試合で2ランと満塁弾を含む3安打の8打点、第2試合はソロと3ランを含む3安打の4打点と大暴れ。サイクル本塁打を達成し、1日で12打点を稼いだ。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200524-25240011-nksports-base

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     プロ野球で、数々の強打者育成に尽力した内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)の教え子には、想像を超えて飛躍を遂げた選手たちがいる。その代表例である金本知憲氏と新井貴浩氏について、共通点を聞いた。

      ◇  ◇

     金本は東北福祉大から、91年ドラフト4位でカープに入団。三村敏之さんが2軍監督時代から目をかけ、1軍に抜てきすることになるが、入団時は線が細く、後に3割30本100打点をマークするなんて想像もできない選手だった。打撃は左中間に運ぶ技術はあったが、右肘や右肩が上がって脇が甘くなる欠点があり、内角のスピードボールへの対応が課題だった。

     上からたたく練習を繰り返して克服していったが、1軍で活躍するようになってもネクストサークルでは極端なダウンスイングで意識付けを行っていた。相手ベンチからその姿を見て、巨人の若手に伝えたこともある。

     1、2年目はファームの遠征メンバーから外れたこともある。当時、私は2軍打撃コーチだったが、「残留組は1日1000スイングをやるように」と伝えていた。1000スイングなんて、本当にやろうとしたら大変なこと。半信半疑で言ったつもりだったが、居残った川端(当時の2軍投手コーチ)によると、金本だけは本当にやっていたらしい。大学入学前に一浪した経験もあったからか、反骨心は相当なものだった。

     あの時代では珍しく、積極的に筋力トレーニングに励んだことも飛躍の一因となった。車でいうエンジンの排気量が増すことで、体力もつき、打球にも力強さが加わるようになった。金本の鍛え抜かれた肉体は球界でも有名で、あの長嶋さんも注目していたそう。オールスターの時には「金本の体を見てみたいから風呂に入る時に教えてくれ」と周囲に言っていたそうだ。

     金本同様、新井も努力のふた文字なくして語れない選手だろう。広島とパイプの太かった駒大から、98年ドラフト6位で入団。体は大きかったが、大学でも通算2本塁打。周囲も「何とかものになれば」というくらいの評価で、まさか名球会に入るほどの選手になるとは誰もが思わなかっただろう。

     守備も課題だらけ。駒大の先輩である大下ヘッドコーチが朝からずっとノックをガンガンやっていたが、「これだけやっているなら新井を試合で使うのも当然だろう」と周囲を納得させるほどの練習量だった。

     金本の背中を見て育った新井。これは江藤もそうだったが、彼らに共通するのは体が元気なこと。けがもしない。過酷な練習をしても、すぐ元気になる。多くの選手は辛抱するのが精いっぱいで顔に出るものだけど、彼らにはそうしたことが全くなかった。

     その後、広島・鈴木誠也の2軍時代に指導した経験があるが、彼を見ていると、金本や新井の姿に通ずるハートの強さがあった。いい意味で眼力の鋭さがあり、なにくそ精神でこちらにぶつかってきていた。会うたびに、体もどんどん大きくなっている。技術だけではない、ハートや体の強さ。若手が育つカープの土壌には、こうした伝統がしっかり根付いている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200512-00000107-dal-base

    【プロ野球 私が見た凄いヤツ】ジム・ライトル

     巧打の外野手として広島の日本一に貢献。阪神、中日などでコーチを歴任した長嶋清幸氏(元広島・外野手)に印象に残る強肩選手を聞くと、かつての同僚のジム・ライトルを挙げた。

    「右翼手の彼は外野フェンス前にあるアンツーカーギリギリの芝が定位置なんです。三塁走者がいても、そんな深いところから内野手がカットできるぐらいの高さで返球し、タッチアップの走者を刺す。サヨナラ負けのピンチでほとんどの外野手はかなり前を守りますが、それでもライトルは普通の選手の定位置ぐらいでした」

     長嶋氏は彼に面白い話を聞いたことがあるという。

    「米3A時代に一塁を駆け抜けるとき、一塁手と接触して転倒。右肩を脱臼骨折し、手術で数本のボルトが埋め込まれた。以後、強い球を投げられなくなり、打撃一本で行くと決めた。ところが、DHで試合に出ていたら、また一塁手とぶつかって肩から転んだ。その拍子に肩の中のボルトが1本ズレた。実際に右肩を見せてもらったら、ボルトの部分が盛り上がっている。それから強肩に戻ったという、嘘みたいな体験をしたそうです」

     暗い話題が多い、こんな時だからこそ、楽しいことを考えないと!! そこでスポニチが独断と偏見に想像力も働かせて、つくってみました。時代を超えた「ご当地オールスターチーム」。一時代を築いた名選手たちが同じチームだったら……。読者の皆さんも本紙選定チームを叩き台にしてオリジナルチームを選考してみては。今回は広島です。

     各地区のドリームチームの中でも、広島の外野のレベルの高さは群を抜く。ミスター・赤ヘル山本浩二(廿日市)、世界の鉄人・金本知憲(広陵)、そしてトリプルスリー・柳田悠岐(広島商)と現役を含めて、各世代を代表する名手がそろっている。

     金本のプロ入団時の監督が山本だった。子供のころからの憧れ。「監督がスタメンに悩むことのない存在になりたい」というのが、フルイニング出場へのこだわりとなった。大差がついても、雨が降っても、骨にヒビが入っても、金本は試合に出続け、1492試合連続フルイニング出場の世界記録につながった。

     阪神でも03年、05年のリーグ優勝に貢献。「アニキ」としてファンに慕われた。00年にはトリプルスリーも記録。柳田もパMVPに輝いた15年にこの勲章を手にした。打力だけでなくスピード、肩を兼ね備えた外野陣だ。南海、松竹などで活躍した「神主打法」の岩本義行(広陵中)も50年に・319、39本塁打、34盗塁で初代のトリプルスリーを記録した外野手だ。

     日本記録の3085安打をマークした安打製造機・張本勲(松本商・浪華商)は45年8月に広島で被爆した体験を今も語っている。「物干し竿」と呼ばれた長尺バットで一世を風靡(ふうび)した藤村富美男(呉港中)は押しも押されもせぬ初代ミスタータイガース。チームが8球団中、6位に沈んだ49年には安打、本塁打、打点のシーズン記録を更新し、MVPに選ばれたほどだ。

     メンバーには入らなかったが、記しておかなければならない広島出身の野球人がいる。石本秀一(広島商)は監督として広商野球の礎を築いた後、プロ野球6球団で監督を務めた。戦前1936年には大阪タイガース2代目監督となり、打倒巨人の意識を浸透させ、今日の伝統の一戦に繋げた。50年には広島の初代監督にもなった。

     さらにタイガース創立時のメンバーで、いずれも広陵中出身の捕手・小川年安、遊撃・岡田宗芳、同じく巨人の初代メンバー田部武雄はそれぞれ召集され、戦死。認知度も低い職業野球に情熱を注ぎ、戦争に苦しんだ先人の思いを、危機に直面した今、思い起こしたい。

     さてメンバーは捕手・達川光男(広島商)、一塁・新井貴浩(広島工)、二塁・大下剛史(広島商)、遊撃・広岡達朗(呉三津田)で出そろった。エースはロッテで通算215勝したマサカリ投法の村田兆治(福山電波工)。現阪神投手コーチに福原忍(広陵)、現ヤクルト監督の高津臣吾(広島工)ら控えも多彩だ。

     監督として日本プロ野球最多の1773勝を誇る鶴岡一人(広島商)が、広島のじゃけえ軍団を率いる。「グラウンドには銭が落ちてる」と選手の目の色を変えてみせるはずだ。(鈴木 光)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200421-00000012-spnannex-base

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