広島カープブログ

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    川口和久

     広島からドラフト2位で指名された高橋昂也投手(18)=花咲徳栄=が12日、“マエケンロード”を突き進むことを誓った。背番号「34」に決まった左腕は、新人時代に同じ番号を背負った米大リーグ・ドジャースの前田健太投手(28)を理想とし、チームの顔を目指す。13日の入団会見に備え、指名6選手が広島入りした。

     学生服に身を包み、初めて広島を訪れた。新幹線から外を眺めた高橋昂は「スタジアムや練習場が見えて、実感が湧きました」と気を引き締めた。プロの舞台に足を踏み入れる左腕が理想としたのは、米大リーグ・ドジャースで活躍する前田だ。

     「前田健太投手のようなチームの顔となる投手になりたい。テレビとかを見ていて、すごさというのを感じました」

     高橋昂と前田には共通点がある。球団から託された背番号は「34」。「決まったときに、過去に誰が付けていたのか調べました。入団時に前田投手も背負っていた番号」。憧れの先輩が付けていたことを知ると、より一層気持ちが高まった。

     高校時代は作新学院・今井、横浜・藤平、履正社・寺島とともに高校BIG4として高校野球を盛り上げた。3人はドラフト1位指名だが、高橋昂だけ2位指名。「プロに入ったら同じスタート。追い抜けるようにしたい」。悔しい思いを胸に、同世代のライバルに闘志を燃やす。

     学ぶべきお手本がいる。今季、沢村賞を獲得したジョンソン、最多勝と最高勝率の2冠に輝いた野村…。「先輩から吸収することはいっぱいあるので、いろいろ聞いてみたい」と胸を弾ませた。

     日本シリーズはテレビで観戦。「いずれ自分もあの舞台に立てるように頑張りたい。プロの世界は厳しいので、まずはしっかりとついて行けるようにしたい」。高い目標を掲げながらも、冷静に自己分析した。

     確固たる左投手不足という悩みを抱えるチーム事情。戸田、飯田、オスカル、塹江などライバルは多いが、1年目から1軍を狙う気持ちにブレはない。

     「真っすぐに自信を持っている。新しいことをするというよりも、今までより一つ一つをレベルアップしていきたい」。ガムシャラに汗を流し、自らの力を信じ、将来のエースを目指す。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161213-00000018-dal-base

     今季圧倒的な強さを見せつけてリーグ優勝を飾った広島が、クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでも、その強さを遺憾なく発揮した。15日の第4戦は乱打戦を制し、1勝のアドバンテージを含む4勝1敗で、25年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。投打守すべてがかみ合ったように見える今季の広島だが、その強さの要因はどこにあるのか。25年前、1991年の日本シリーズでは第2、5戦に先発して2勝を収め、第6、7戦ではリリーフ登板も果たした広島OB左腕・川口和久氏に、2016年の広島が持つ強さについて聞いた。

    CS打率は一時.909に 広島・田中広輔のCS全打席結果一覧

    ――今年の広島は2位・巨人に17.5ゲーム差をつける圧倒的な強さを誇りました。

    「今年は前田健太(現ドジャース)が抜けて、その穴を野村(祐輔)と福井(優也)というピッチャーが、2人で1つの穴を埋めることが必要だったんですけど、予想外に野村が最多勝(16勝)と最高勝率(.842)という活躍をした。3敗しかしなかったというね。先発陣は、黒田(博樹)を軸としてジョンソン、野村、そこに若い岡田(明丈)が入って、ベテランと若手が上手くかみ合いながら1年間いいバランスで戦ったと思いますね。もう1つ、投手陣が強かった要因として、ジャクソン、中崎(翔太)という8回と9回を投げる投手が揃っていた。そこに今村(猛)、大瀬良(大地)もいて、若手たちがすごく成長したと思うんですよ。

     打線はね、1、2、3番の田中(広輔)、菊池(涼介)、丸(佳浩)っていうのが、みんな27歳なんですよね(※3選手とも同学年だが、菊池のみまだ26歳)。若手とは言わないけど、27歳といったら野球界では一番いい時期ですから。この1、2、3番が固定されて、出塁率、打率が高く、得点ができた。相手のピッチャーからしたら、彼らの印象は嫌なものですよ。この3人に新井(貴浩)が続いて、首位打者まではいかなかったけど鈴木誠也が3割3分5厘。これはある意味サプライズだったんだけど(笑)、カープにとっては将来楽しみなスラッガーがでてきたな、と。今年は投打、ベテランと若手のバランスが非常によかったですね」


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00010004-fullcount-base

     25年ぶりのセ・リーグ優勝を記念し、商店街を市民ら1600人が練り歩く「ちょうちん行列」が30日、広島市内で行われた。

     1975年の初優勝にも見られた光景で、41年ぶり2度目。「Carp」のロゴが入った赤いちょうちんを手に、特製Tシャツを着用し、応援歌を歌いながら約1キロを歩いた。

     OBの安仁屋宗八氏や池谷公二郎氏、大野豊氏らも参加し、市民と喜びを分かち合った。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160930-00000079-dal-base

     力で上回りたい。ただ上回るだけじゃなく圧倒したい。獣性(じゅうせい)という言葉もあるが、霊長類ヒト科・ホモサピエンスが持つ本能である。野球人は年がら年中、負けず嫌いの日本選手権をやっているようなもの。「今まで対戦した中で、一番すごいボールを投げた投手は誰か?」はベタな愚問ではなく、おしなべて熱っぽく語る“鉄板”の問いだ。

     昨季まで巨人の監督を務めた原辰徳氏と、このテーマについて何度か話したことがある。特に速い直球を投げるピッチャーとの対戦前後に、回顧として出てきた。「津田、小松、鈴木孝政さん。後、大学時代だけど、江川さん。とにかく真っすぐが速かった」。決まって名前を挙げるのは同世代の4投手で、順番も決まって「津田」からだった。

     広島東洋カープ最高のストッパー、津田恒実。当時の原辰徳は、直球を打った衝撃で左手の有鉤(ゆうこう)骨が砕けた。ボールとバットの衝突で骨が折れる。漫画の世界だ。「もちろん速いんだけど、重くて、浮き上がってくる感じでね。高めは特にすごかった。でも、バットを短く持つ発想は、まったくなかった。短く持ったことは、野球人生で1回もないよ」。この辺りで、愛用のノックバットをギュッと握ってグリップを作る。勝負師の本能が首をもたげてくる。

     「どんなに速いボールでもグリップエンドに少し、指をかけた。バットを短く持った瞬間、引退と決めていた。なめられるからね。そこで、考えるんだ。ヘルメットを目深にかぶって、アゴを引いて、目線を絶対に上げない。スタンスをやや狭くして、ぶつかっていく。自分の決め事を作ったんだ」

     津田との決闘から四半世紀を経て、引き出しにしまっていた懐刀を抜くときが来る。2009年のWBC2次ラウンド。負けたら終わりのトーナメント初戦、相手キューバの先発はチャップマン。映像を見て「とんでもなく速い」と悟った原監督は、侍たちに具体的な指示を出す。

     「徹底して高めを捨てる。目線を絶対に上げないで、とにかく高めのボールに手を出さないようにしよう」。チームは世界で最も速い直球の攻略に成功し、世界一まで駆け抜けた。イチローはじめ個性派が集った第2回のWBC。中途半端な指示は出せない。津田の、特別な直球をどう打つか。培った方法論に自信があったからこそ、だろう。

     3年後の7月20日、オールスター第1戦の試合前に故・津田恒実氏の野球殿堂入り表彰式が行われた。偶然にも19回目の命日で、晃代夫人がレリーフを受け取った。

     囲み取材では「主人の現役時代に『オールスターを見に行きたい』と希望しました。でも『人混みは危ないから、また今度』と言われ、断念しました。その後もかなわないままでしたが、19年たって主人が約束を果たしてくれました」とうれしそうだった。

     原監督は表彰を受ける晃代夫人を優しい顔で見つめ、誇らしげに胸を張って、誰よりも長く、大きな拍手をしていた。試合後に晃代夫人の話を伝えると、「良かった。そう言ってもらっただけで、今年のオールスターを行う価値があったんじゃないか」で止まり、大きな目をうんと開いた。

     相手を上回りたい。縁に従って、本能に任せて勝負に没頭した。掛け値なしで培った絆は、いつまでも生きている。【宮下敬至】


    引用元 http://www.nikkansports.com/baseball/news/1711920.html

    <91年C戦士エール 川口和久氏>

     91年のチームも、いいチームだった。選手同士の距離が近く、遠征の試合後、それぞれに連れだって食事に出かけた。宿舎に残っているような選手は皆無だった。個性の強い投手王国のチーム。「コントロールの北別府」。「7色の変化球の大野」。そして「ノーコンの川口」。それぞれが能力を発揮した。「僕はノーコンって知られていたから、死球を当てても怒られなかった。北別府(学)さんが当てると、みんなすごく怒るのにね」。川口は懐かしそうに振り返った。

     きつい練習に裏打ちされたチームだった。キャンプではベージュのユニホームのズボンが、赤く染まった。「当時はみんな赤いグラブを使っていて、その染料が付いちゃうんだよね」。2時間かけてアップし、100球を超えてからがピッチングだという教えのもと、連日の投げ込み。キャンプ期間だけで2500球はゆうに投げた。練習を苦に思う選手は試合に出られなかったし、いなかった。

     三篠の選手寮に住んでいた当時、門限は午後10時半だったが、1軍選手だけ、それよりも遅い時間に食事に行くことを黙認されていた。食事をして深夜2時過ぎに帰ったある日、玄関脇のミラールームに、汗だくでバットを振る高橋慶彦がいた。「食事から帰って来て、ひらめいたものがあったんだろうね。翌朝もバットを振っていた。そういう伝統を正田(耕三)とかが引き継いだんだと思う」。練習の虫だらけのチームだった。

     よく練習し、よく遊んだ。そして、よく通報された。広島のスナックで津田恒実と飲んだ翌朝「昨日の夜、2時ごろに川口と津田を見かけたぞ」と球団に電話がかかってくる。チームを思う市民の愛情だった。ファンの層が今とは違った。「おっちゃんばっかりだったもんね。負けてるとやじられた。今はカープ女子。かわいい子がいっぱいでいいよね」。当時は巨人の堀内恒夫が紙コップに入った小便を投げつけられるという“事件”まであった。

     そんな市民球場だったが、特性は川口にピッタリだった。スラリとした長身で体脂肪率が10%以下。極端に寒がりな体質だったが、暑さにはめっぽう強かった。「瀬戸の夕凪(なぎ)って言って、夕方、市民球場の風がピタッと止まるんだ。それが気持ちよくってね」。周囲が暑苦しさにもだえるような気候こそ、川口は大好きだった。夏場に勝ち星を稼ぎ、91年も7月中旬で首位と7・5差の4位から、逆転優勝に導いた。

     家族の事情もありFAで巨人に移籍したが、それほど愛し、愛された広島を嫌いになるはずがない。「14年間お世話になって、骨を埋めるつもりだった。巨人でコーチをやってた時も、いろんな思いがあった。今年は新井、黒田という軸が、いい影響を及ぼしている。広島の町が25年ぶりに元気なのはいいことだね」。川口の言葉には、広島への感謝の気持ちがあふれていた。(敬称略)【竹内智信】

     ◆川口和久(かわぐち・かずひさ)1959年(昭34)7月8日、鳥取市生まれ。鳥取城北からデュプロを経て80年ドラフト1位で広島入団。86年から6年連続2ケタ勝利を挙げ、91年には最多奪三振のタイトルを獲得。巨人戦通算33勝31敗で巨人キラーと呼ばれた。94年オフにFAで巨人に移籍。11年から14年までは巨人の投手総合コーチを務めた。通算435試合139勝135敗4セーブ。左投げ両打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160906-00000075-nksports-base

    <91年C戦士エール 川端順氏>

     負けてたまるか-。そんな気持ちを胸に、川端はマウンドに上がっていた。8年目のシーズン。中継ぎを主戦場とした。対戦相手にだけではない。チームメートもライバルだった。「侍みたいな人が多かった。正直に言えば、チームのために戦うのではなく、自分たちが自分たちのために戦っていたんじゃないかな」。個性派集団の中で28試合に登板し、防御率2・36と存在感を発揮した。


     今思えば、首脳陣に乗せられていた。「山本監督、大下ヘッドを中心に選手をその気にさせてくれたおかげだった」。主力選手が監督室に呼ばれていたのは知っていた。川端に声がかかったのは、首位中日を射程圏に捉えた8月。同学年の川口とともに、体調管理の徹底と若手のけん引役を託され、最後に大下ヘッドから頭を下げられた。驚きと同時に、気が引き締まった。マジック点灯とともにチームに「輪が生まれた」ことを実感。本物のチームになったような気がした。

     編成部長としてチームづくりに携わってきた。「今のチームはいい形でベテランと若手がかみ合っている。チームの輪で勝っているように感じる」。チーム方針もあり、当時とは異なる色を持ったチームとなった。誰かを蹴落としてでもはい上がろうとする強さから、手に手を取り合うことができるチーム。「そんな役には立てていない」と謙遜するが、「素晴らしいチームになったと思う」と温かい笑顔で歓喜の瞬間を待っている。(敬称略)【前原淳】

     ◆川端順(かわばた・じゅん)1960年(昭35)3月19日、大阪府出身。鳴門から法大、東芝を経て83年ドラフト1位で広島入団。2年目の85年、11勝を挙げ新人王。91年は中継ぎとして28試合に登板し、5勝1敗1セーブ。防御率2・36。92年限りで現役を引退。通算成績は310試合46勝26敗19セーブ、防御率3・00。2軍、1軍投手コーチを歴任し、現在は編成部長。右投げ右打ち。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00000064-nksports-base

     広島が26日の中日戦(ナゴヤドーム)に、3―2で今季39度目の逆転勝ち。巨人がDeNAに敗れたため、優勝へのマジックは2つ減って「16」となった。1点を追う8回、鈴木の内野安打で同点とすると、9回一死満塁の場面で菊池が左前適時打を放ち試合を決めた。

     3試合連続となる劇的な逆転劇には、緒方監督も「連日連夜、野手の気迫、集中力でチーム一丸となってベンチスタートの選手も含めて勝ち取った勝利」と目尻を下げた。伝説の年である「1984年超え」も現実味を帯びてきた。広島は過去6度の優勝を誇るが、最も貯金が多かった年が84年の「貯金30」。今季はすでに「貯金27」としており、今のチーム状況を見る限り、32年ぶりの記録更新は時間の問題だ。

     それでなくとも今季と「広島最強イヤー」と呼ばれる84年との共通項は多く、赤ヘルファンの間では「最強イヤーはどっち?」という議論にもなっている。

     84年は山根、北別府、大野、川口らの投手陣を、山本浩、衣笠を中心とした強力打線が援護した。山本浩が2000安打を達成してチームを勢いづかせれば、小早川が新人王に輝くなど、若い力も台頭した。

     一方、今季は野村、ジョンソン、黒田らの投手陣を、ベテランの新井を中心とした強力打線が支えている。新井の2000安打、黒田の200勝という大記録もあれば、4年目・鈴木も大ブレーク。その鈴木が2試合連続サヨナラ本塁打を放って「神ってる」と言われるようになったが、広島の2試合連続サヨナラ本塁打は、84年に巨人の西本、江川から放った長嶋清幸以来のことだった。

     そんな「広島最強イヤー論争」に決着をつけるためにも、白星を積み重ねていきたいところだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160827-00000008-tospoweb-base

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