広島カープブログ

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    津田恒実

     プロ野球・広島で「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実さんの長男大毅さん(28)が20日朝、日本一周の自転車旅行に出発した。恒実さんの記念館を広島市内につくる計画を進めており、「自分の思いを現地で会った人に直接伝えながら、どんな記念館にしていくか考えていきたい」との思いを抱いている。


     「もう一度投げたかった」と悔やみながら、恒実さんが32歳で亡くなってから約24年。当時4歳だった大毅さんが、父の記念館設立に向けて自転車の旅に出発した。ウェアなどを支援する工具専門店「ファクトリーギア」(東京都)のさいたま市内の店舗前で準備を整え、「不安はない」と笑顔でペダルを踏み出した。

     父と同じように野球で投手を務めた大毅さんは、父に重ねる周囲の重圧からいつも逃げることを考えていた。だが、昨年のカープ躍進をきっかけに「マウンドから逃げない父はすごかった」と向き合えるようになり、「これまで父のことを語り継いでくれた関係者やファンの方々に恩返しを」と記念館設立を思い立った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170620-00000083-asahi-soci

    <日本生命セ・パ交流戦:広島-ソフトバンク>◇17日◇

     広島-ソフトバンク2回戦の試合前の始球式に、大のコイ党で知られる俳優の谷原章介(44)が登場した。投球前には菊池とキャッチボールで練習。本番では振りかぶらず、ノーワインドアップから投じた。「80キロは出たかな」と振り返るボールは、ソフトバンクの1番川崎のインローに吸い込まれた。


     マツダスタジアムでは14年のオープン戦以来2度目の始球式。「菊池選手とキャッチボールをさせてもらって夢のような時間でした。(前回は)客席が近くて緊張した思い出しかないです」と笑顔だった。

     プライベートでも観戦に訪れるほどのカープファン。ここまでの戦いを「黒田さんが抜けて、ジョンソン投手、野村投手もケガでいない時期もありましたが、よく若手選手が埋めてくれている。野手も選手層が厚いです」と分析。「今日、明日と勝ちきって、交流戦初の勝率1位をとってほしい」とエールを送った。

     また背番号14番は「大瀬良投手も好きですし、昔から津田恒実さんが好きで、つくっていただいた」と最後までカープ愛が止まらなかった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170617-01841723-nksports-base

     炎のストッパー、永遠に-。広島を熱狂させた津田恒美氏(享年32)の記念館が、山口県内に設立されることが26日、分かった。長男・大毅さん(28)が「津田恒美記念館プロジェクト推進部」を立ち上げ、奔走している。かつては「津田の息子」として生きていくことに反発もあったが、今は偉大な父の功績を残そうと全力投球している。

     25年ぶりの優勝へマジックナンバーを減らす広島ナインの戦いとともに、1993年に脳腫瘍で他界した津田氏の一人息子、大毅さんが動きだしていた。8月末に勤めていた会社に辞表を提出し、9月から記念館設立の準備に入った。

     「父が亡くなって23年がたちますが、父のことを思ってお墓参りをしてくれるファンの方もいる。球場に『TSUDA』の名前が入ったユニホームを着ている人がいる。現状でやるべきことはなんだろうと考え、父を思っている方のために記念館を作ろうということになった」

     当初は空き家となっている津田氏の生家をリフォームして、来年の命日(7月20日)をめどにオープンを考えていた。しかし、父の同級生や球界関係者などに相談すると「どんどん話が大きくなった」と、記念館新設の方向で話が進んだ。

     「津田恒美記念館プロジェクト推進部」を立ち上げ、設立場所はもちろん、トロフィーやユニホームを飾る鑑賞型、津田氏の球速を肌で感じる体験型、ファンが持っている津田氏にまつわるものを飾る参加型などのコンセプトを考え、資金集めの方法も検討してきた。

     資金は賛同者から寄付を募り、返礼品を送るクラウドファンディングで集める。「『TSUDA』の名前の入った復刻版のユニホームや現在のユニホームを返礼品にできないか」と版権の問題をクリアするため、球団にも出向いた。オープン日は未定だが、クラウドファンディングは年明けにも開始する予定。現在は東京から山口に足を運び、設立場所を検討している。

     野球殿堂入りもした偉大な父を持ちながら「『君が津田の息子なんだ』と言われるのが嫌だった。自分に自信がなかったからかもしれない」と言う。だが、年齢を重ねると同時に、今年の広島の快進撃で「カープのことを見る機会が多くなり、父と向き合えるようになったのかも」と大毅さん。25年ぶりのリーグ優勝と同時に動きだした記念館設立プロジェクトは、年明けから大きく動く。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161227-00000012-dal-base

     広島カープOB会の総会と懇親パーティーが3日、広島市内のホテルで行われた。今季限りで現役を引退した広瀬純氏をはじめ約40人のOBと2、3軍首脳陣、球団職員OBら約140人が出席し、25年ぶりリーグ優勝の話題や昔話に花を咲かせた。

     安仁屋宗八OB会長(72)=デイリースポーツ評論家=は「今年はカープに始まりカープに終わった年。カープOBとして自慢できる。来年は今年できなかった日本一を勝ち取ってもらいたい」とあいさつ。優勝旅行中の緒方監督からのメッセージも読み上げられた。また、野村祐輔投手をOB会として優秀選手に選んだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000080-dal-base

     今シーズン、プロ野球を大いに盛り上げた広島カープが、前回優勝したのが1991年。その年のカープは、7.5ゲーム差を跳ね返してリーグ優勝に輝いた。その年のチームについて、当時、広島で捕手を務めていた達川光男氏が語る。


    引用元 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161112-00000014-pseven-spo

     70~90年代に広島のエースとして活躍し、通算213勝、沢村賞も2回受賞した野球解説者の北別府学氏(59)が5日、今季限りで引退した後輩の黒田博樹投手(41)にブログで感謝の言葉をつづった。

     前日に引退会見を行った黒田は、自身の背番号「15」が山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き球団3番目の永久欠番となったことについて言及。「話を聞いた時は自分の中で鳥肌が立ちましたし、北別府さんを始め、諸先輩がおられる中で、こうやって僕自身の背番号がそういうふうになるのは恐縮する気持ちがありました」と話した。

     これに対し、現役時代に背番号「20」を背負っていた北別府氏は「実は現役引退してから、私の背番号は欠番にはしてもらえないのだろうかという思いを抱えていたのは事実です」と複雑な心境を吐露。と同時に「しかし!昨日の黒田君の会見を聞き、喉にずっとつっかえていた小骨が取れたようなという表現しかできないのですが、広島カープで投手初の永久欠番は15番で良かったと心から思えた、私にとっても心に残る会見でした」と黒田に感謝した。北別府氏は以前もブログで「自分の付けていた背番号を欲しがってくれることも大変ありがたいことですが永久欠番というのは選手にとっては何ともいいがたいような誉でもあります」と記していた。

     北別府氏は宮崎・都城農から1975年に広島にドラフト1位で入団。3年目の78年に初の10勝をマークすると、その年から11年連続で2ケタ勝利。79年には17勝をあげ、リーグ優勝に貢献した。82年には20勝をあげ最多勝と沢村賞に。86年も18勝でリーグ優勝に貢献し、最多勝、沢村賞に加えMVPにも輝いた。通算213勝をあげ、94年を最後にユニホームを脱いだ。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161105-00000111-sph-base

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