広島カープブログ

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    津田恒実

     スポーツ報知は新聞休刊日の5月7日付け紙面でプロ野球12球団と近鉄、日本人メジャーの計14チームのベストオーダーを選出した。広島からの選出は、画像の通りとなった。

     1950年にセ・リーグに参入。地元ファンに愛され続けて70年。しかし、初期のメンバーで入るのは通算197勝の長谷川良平くらいだろう。“赤ヘル”のニックネームがついて強力となった1975年初優勝以降の選手がズラリ並ぶ。

     このオーダー表、通算2000安打越えの前田智徳、山本浩二、衣笠祥雄は、掲載された数字以上の存在感もあって外せない。

     だが、他のメンバーを個人的に変えてみる。「1番・遊撃」、1995年にトリプルスリー達成の野村謙二郎も捨てがたいが、33試合連続安打の高橋慶彦を推す。広島での通算打率でも野村を上まわり、461盗塁(野村は250)はダントツだ。ロッカーで裸になった時の筋肉も素晴らしかった(笑い)。ポカもあったが、あの颯爽としたプレーは忘れられない。

     中堅は絶対、山本浩二。右翼は緒方孝市は長いキャリアを誇るものの、ここは強肩強打のライトル、2年連続MVPの丸佳浩、そして、まだ652試合の出場で実績が少ないが、通算打率3割1分4厘を誇る現役の鈴木誠也の3人が候補。期待値を込め鈴木が入ると超豪華打線となる。

     金本知憲は在籍年数は多いが、試合数は阪神の方が多いためそちらに回し、DHにはしぶとい打撃を見せていた水谷実雄を入れる。捕手もベストナイン3度の達川光男(石原は1度)がいいのでは。なぜか80年代の黄金期のメンバーが多くなってしまうのも仕方ないのではと思う。二塁は、2度の首位打者もあって正田耕三で決まりか。

     広島投手陣は何と5人も野球殿堂入りしている。前記した長谷川以外にも北別府学、大野豊、外木場義郎、津田恒実(最後の2人の殿堂入りには私は異論があるが)。これに2年後には黒田博樹が殿堂に入るはず。誰が先発でもおかしくないが、津田と大野がブルペンに回れば盤石だ。(蛭間 豊章=ベースボール・アナリスト)

     【選出ルール】野手はポジションごとに当該球団の通算出場数、投手は勝利数を優先。複数球団に所属した選手は、出場数試合数が最も多い球団とした。画像のオーダー選出に筆者は関わっていない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200516-05120140-sph-base

     【球界ここだけの話】3度のノーヒットノーランを達成した男、元広島・外木場義郎氏(74)=野球解説者=が現代の先発投手についてもの申した。

     「私の時代は先発投手は責任を持って最後まで投げ切るのが当たり前だった。今は分業化が進んでいることも理解できるが、中6日で、6回、7回で降板していては物足りない」

     沢村栄治(故人、巨人)と並ぶ通算3度の無安打無失点試合(1完全試合)を記録するなど、広島ひと筋15年で131勝138敗3セーブ、防御率2・88をマーク。1975年には20勝を挙げ最多勝と沢村賞を受賞する活躍で球団のセ・リーグ初優勝に貢献するなど、まさにエースだった。

     1メートル75、78キロと投手としては小柄だったが、右のオーバーハンドから投じる剛速球とドロップ、そして強い闘争心がハンデを補った。古き良き赤ヘルの一例として「私が投げた試合で水谷(実雄氏)が九回にあと1人のところで簡単な外野フライを落とした。捕っていれば勝てた。べンチに戻ったときにお前、何やってくれてんだと。昔は同僚でもけんかした」と懐かしむ。

     エースとしてすべての勝敗を背負う覚悟で通算118完投、同27完封を積み上げた。昨年10月に沢村賞が19年ぶりに該当者なしとなったことについて「今の時代は“10完投”は難しい。新しい基準を作った方がいい」と提言。現在の15勝、150奪三振、10完投、防御率2・50、200投球回、25試合登板、勝率6割の7項目について再考すべき時期にきているのかもしれない。

     現在は解説者として野球への情熱を燃やし続ける同氏は広島の地元テレビやラジオで活躍中。16日には広島・廿日市市の大野練習場での合同自主トレを電撃視察し、大瀬良大地投手(28)らを激励した。

     「俺が投げる日は中継ぎを休ませるという気持ちを持ってほしい」

     後輩たちが真のエースと呼ばれる日を心待ちにしている。(柏村翔)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000517-sanspo-base

    <とっておきメモ>

    広島佐々岡真司投手コーチ(52)が4日、マツダスタジアムを訪れ、新監督就任を要請された。 即答を避けたが前向きな姿勢を見せ、近々正式に受諾を伝えるとみられる。週明けの7日にも新監督が誕生する見込みとなった。


       ◇   ◇   ◇

    佐々岡コーチが理想とするのは優勝した91年の広島だと思う。7月13日時点で中日に7・5ゲーム差の3位だったが、そこから盛り返して逆転優勝した。「津田さんのために」と1つになったチームだった。

    「炎のストッパー」津田恒実の脳腫瘍が発覚したのは、同年4月だった。佐々岡コーチにとって「本当にあこがれていた。真っ向勝負のスタイルにあこがれた」という存在。「水頭症」と発表されたが、本当の病名を知っていたという。選手だけで集まり「津田さんのために1つになろう」と話し合った。個性派ぞろいの選手たちが、同じ方向を向いた。その先に悲しみが待ち受ける一体感ではあったが、チームとしての力を実感したという。

    投手力も充実していた。佐々岡、川口、北別府が先発3本柱で、大野が抑え。チーム防御率はリーグ断トツの3・23と、投手王国の名をほしいままにした。佐々岡はリーグ最多の240イニングを投げ、17勝9敗、防御率2・44。最多勝利投手、最優秀防御率のタイトルを獲得し、MVP、沢村賞に輝いた。「当時は中4日で130~140球投げるのはあたりまえだった」。投手陣はみなプライドのかたまりだった。

    佐々岡コーチはそれでも、91年型に固執しない。理想を胸に秘めつつ、気質の違う今の選手をいかに導くかに心を砕く。今季の1軍ベンチでは、先発投手にイニングごとに語りかけ、戦う姿勢が見えない若手は叱責(しっせき)した。優しさと厳しさを持ち合わせ、指導にメリハリをつけた。その手腕に対する評価は高い。

    4位に終わったチームにいかに一体感を持たせ、戦力を整えながら優勝を目指していくか。手腕に注目したい。【広島担当=村野森】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191005-10040865-nksports-base&pos=5

    ◆ 元“守護神”永川が先発で引退登板

     9月23日、マツダスタジアムで行われた中日戦。広島でクローザーとして一時代を築いた永川勝浩が現役最後の登板を行った。引退試合ということもあり、定位置だった9回ではなく2004年以来、実に15年ぶりの先発としてマウンドに登った永川。中日の先頭打者である大島洋平に対してのみの投球だったが、きっちりと凡打に抑え、有終の美を飾っている。

     そんな永川は2002年のドラフト会議で自由枠を用い、亜細亜大から広島へと入団した。1年目から一軍で起用され、シーズン中盤からクローザーに昇格すると、40試合登板で25セーブをマーク。木佐貫洋(巨人)や村田修一(横浜)と熾烈な争いを繰り広げたが、惜しくも新人王の受賞とはならなかった。しかし、期待の若手として大きな注目を浴びたことは間違いない。

     一転、2年目はクローザーを外れ、二軍落ちも経験するなど苦しんだ。1年目から登板数を減らし、22試合の登板に終わってしまう。しかし、3年目以降は中継ぎとしてフル回転。とくに2006年からは4年連続で27セーブ以上を記録し、リーグを代表する投手にまで成長した。

     それ以降は、不振や故障に悩まされることになるが、中継ぎとしてチームを支え、昨シーズンも22試合に登板。しかし今シーズンは、一軍昇格を果たすことができず、現役引退を決意した。


    ◆ 最優秀救援投手は大野、津田、江夏が獲得

     広島で歴代最多の165セーブを挙げた永川だが、最多セーブのタイトルを獲得するには至らなかった。自己最多の38セーブをマークした2008年は、クルーン(巨人)が41セーブでタイトルを獲得しており、惜しくも手は届かなかった。

     しかしタイトルを獲得できなかったのは永川だけではない。意外なことに、最多セーブ(1974年・75年、2005年~)のタイトルホルダーを振り返ると、永川だけでなく広島からの受賞者はひとりもいない。これはセ・リーグでは広島だけ。他の5球団からは、最多セーブのタイトルホルダーが生まれている。

     ちなみにセーブポイント(セーブ数+救援勝利数で算出)が基準だった最優秀救援投手(1976年~2004年)では、大野豊(1991年)、津田恒美(1989年)、江夏豊(1979年・80年)と3人が受賞。とはいえ、直近の大野でも28年前のこと。長きに渡ってクローザーが受賞するタイトルホルダーが現れていないのだ。

     当然ではあるが、セーブ数はチームの勝利数が多ければ多いほど伸びやすい数字だ。1991年から25年間に渡って優勝から遠ざかっていた広島からタイトルホルダーが生まれなかったのも必然か。しかし、Aクラスの常連となっている近年であれば――。永川が獲得できなかった同タイトルを獲得する後輩が現れる日も近いかもしれない。

    <通算成績>
    ▼ 永川勝浩(広島)
    527試合(582回)38勝42敗165セーブ79ホールド 防御率3.47

    ▼ 過去15年の広島守護神
    ※カッコ内は同年の最多セーブ投手とセーブ数
    05年 24S:ベイル(岩瀬仁紀/46S)
    06年 27S:永川勝浩(岩瀬仁紀/40S)
    07年 31S:永川勝浩(藤川球児/46S)
    08年 38S:永川勝浩(クルーン/41S)
    09年 36S:永川勝浩(岩瀬仁紀/41S)
    10年 11S:横山竜士(岩瀬仁紀/42S)
    11年 35S:サファテ(藤川球児/41S)
    12年 21S:ミコライオ(岩瀬仁紀・バーネット/33S)
    13年 27S:ミコライオ(西村健太朗/42S)
    14年 25S:ミコライオ(呉昇桓/39S)
    15年 29S:中崎翔太(呉昇桓・バーネット/39S)
    16年 34S:中崎翔太(澤村拓一/37S)
    17年 23S:今村 猛(ドリス/37)
    18年 32S:中崎翔太(山崎康晃/37)
    19年 12S:フランスア

    ※数字は2019年9月23日終了時点


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190925-00203881-baseballk-base

     JR広島駅からプロ野球広島の本拠地マツダスタジアムに至る通称カープロードの道中に、「炎のストッパー」としてファンに愛され、脳腫瘍のために1993年に32歳の若さで亡くなった津田恒実(本名恒美)投手の足跡を展示する記念館ができた。

     5月末のオープンから1カ月で来館者は約5千人を数え、館長を務める長男大毅さん(30)は「支えてくれた人に恩返しをしたい」と話す。

     津田投手はドラフト1位で広島に入団した82年に11勝を挙げて新人王に選ばれ、抑えとして89年は最優秀救援投手のタイトルに輝いた。闘志にあふれ、満身の力で投げ込む剛速球で魅了。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-00000009-kyodonews-base

     広島ひと筋にエースとして通算213勝をマークしたプロ野球解説者の北別府学さん(62)が25日、自身のブログを更新。勝利投手の権利を得て降板しながらその後リリーフ陣が打たれて白星が消えた時の先発投手のやり取りを明かした。



     古巣・広島の床田寛樹投手(24)が前日24日の中日戦(ナゴヤD)で6回を自責ゼロの1失点と好投しながら、3点リードの9回に4番手として登板した守護神・中崎翔太投手(27)がまさかの4安打3失点で追いつかれ、床田の約1カ月ぶりとなる7勝目が消滅。延長10回に1点取った広島が勝ち、結果的に打たれた中崎が勝利投手となった。

     それを受け「勝ち投手の権利」とのタイトルでブログを更新した北別府さんは「そんな時の先発投手の心境は先ず、先に来ることはチームの勝利」とした上で「同点や負けているまま代わりその回に権利がなくなると理解した瞬間に悔しさマックスになりますがそのあとは、何とか負けないゲームを作った充実感でその後の試合を観ていましたよ」とサラリ。

     「私ももちろん、そんな試合は数多く経験しました」と現役時代を振り返ると「昨夜のようなパターンで涙目でぺーさん、すいませんでしたと言ってきていたのは津田」と“炎のストッパー”と呼ばれ、1993年に脳腫瘍のため32歳の若さでこの世を去った3学年下の後輩・津田恒実さんの名前を挙げ「ええよ、気にするなと言った途端にとびきりの笑顔になっていたものでした」と当時を懐かしんだ。

     そして、「他の投手は?そんな時は恐れて近寄って来ませんでした(^^)」と冗談めかして明かした北別府さん。「あと、大野さんは泰然とペー悪かったなという感じだったでしょうか」と2学年上の先輩・大野豊さん(63)の対応にも触れていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190825-00000243-spnannex-base

    JR広島駅からマツダスタジアムへ続く「カープロード」沿いに30日、「津田恒美記念館」がオープンする。広島の守護神として活躍し、脳腫瘍のため1993年(平5)に32歳の若さで他界した「炎のストッパー」、津田恒実さんゆかりの品100点あまりが展示される。


       ◇   ◇   ◇

    広島の現背番号14、大瀬良大地投手は、津田さんの魂を引き継ぐ覚悟を改めて示した。入団1年目の14年10月に墓参りをした際は、津田さんの親族の厚意で生家を開けてもらい、今回広島に持ち込まれたトロフィーなどを特別に見せてもらっている。「カープの14は重みのある番号です。津田さんの前にも、偉大な方がつけてこられた。そういう思いをしっかり背負って投げていきたい」と話した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-05280028-nksports-base

     「炎のストッパー」と呼ばれ、1993年に脳腫瘍のため32歳の若さで死去した元広島投手の津田恒美さんの記念館が30日、広島市のマツダスタジアム近くにオープンする。一人息子の大毅さんは「いろんな方に見に来ていただき、父のことを思い出したり、知っていただくきっかけになれば」と話している。



     「津田恒美記念館」がオープンするのは、広島駅からマツダスタジアムへ向かう通称「カープロード」沿いにある「スポーツファンベースヒロシマ」の2階。約25畳のスペースを改装し、津田さんの現役時代のグラブやユニホーム、トロフィー、写真など思い出の品を100点以上展示。座右の銘として有名な「弱気は最大の敵」と記されたボールも飾られる。

     16年、カープの25年ぶり優勝をきっかけに大毅さんが手掛けてきた。当初は津田さんの出身地である山口・周南市を中心に候補地を絞ってきたが、賛同者から寄付を募る「クラウドファンディング」で資金も2000万円以上が集まり、カープファンが簡単に来館できるようマツダスタジアム近くに記念館を開館することができた。

     30日正午から開館セレモニーが行われる。開館時間は平常時は10時~17時、カープのホームゲームがある日は11時から試合終了後1時間。年中無休で入館料は大人500円、学生400円、小中学生300円。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000079-dal-base

     広島のドラフト1位ルーキー・小園海斗内野手が3日、西武とのオープン戦(長崎)でプロ1号を放った。左投手を苦にせず右翼席へ完璧な一発を放った黄金ルーキーの打撃を、ソフトバンク、巨人、オリックスで指導者として活躍した森脇浩司氏が語ってくれた。


     見事な一発だった。ここで彼のバッティングの特徴に触れておこう。まず強くて柔軟なリストを上げておきたい。右投げ、左打のメリットとデメリットはあるが、スローイングでも右腕、右肘の使い方が非常にスムーズで柔らかく、左手に持つグラブの使い方も打球に対して強弱がきいている。守備を見ているとどんなバッティングをするのかが分かる典型的なタイプだ。ボールに対して右腕でしっかりリードし、的確にコンタクトポイントまで誘導しコンタクトの状況で左手を瞬時に上手く使っている。

     センスと言えばそれまでだが、これを実現させているのは始動が早くゆったりとタイミングが取れていること。そして、軸足である左足、特に膝が割れず、その位置が変わらない。逆方向にも強い打球が飛ぶのは当然のことで、コンタクトの確率が良く、フォロースルーが大きいのはこの原理原則によるものだ。仮にコンタクトの確率が落ちても彼の場合は足という武器があることも付け加えておく。

     バッティングスタイルは特に変えることなく多くの経験を積むことを強く願いたい。では、バッターとしてはどうか。高校の時からの彼のコメントに注目していた。3つのワードが彼からは浮かぶ。

    「切り替えて」「開かずに」「強引にならないように」

     このワードはプロの現場でも最も飛び交う言葉だ。左投手の武隈から打ったホームランはこれを体現した見事なものだった。左投手に対して左打者(右投手に対して右打者)はストレート狙いで入っても高めの半速球、またはハンガーカーブの軌道はイメージしておき逃さないことが重要だ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190304-00310920-fullcount-base

     【鯉と鷹の物語】(5)

     広島の抑え投手として活躍後、病魔と戦ったのが「炎のストッパー」として知られた津田恒美氏だ。社会人・協和発酵からプロ入りした1982年に11勝し、新人王。闘志あふれる投球が持ち味で86年に抑えへ転向し、89年には40セーブポイントをマークして最優秀救援投手となった。

     91年の開幕後に頭の痛みを訴え、治療に専念するため同年限りで引退。福岡市内の病院へ入院した。広島のかつての同僚で、同い年で仲のよかった森脇浩司内野手は当時ダイエー(現ソフトバンク)でプレーしており、親友の見舞いへ足しげく通った。

     一時期、快方へ向かった津田氏は「俺、ダイエーへ入れるんかなあ」と森脇氏へ再起の夢を語っていた(津田晃代著『最後のストライク』)が、オールスター戦が東京ドームで行われた93年7月20日、脳腫瘍のため、32歳で死去。もう一度マウンドへ立つ夢はかなわなかった。

     津田氏と左右のダブルストッパーとして活躍した広島の大野豊投手は「投手には珍しく優しくていいやつ」と早すぎる死を悼んだ。(浦)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000668-san-base

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