広島カープブログ

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    緒方孝市

     今年から赤ヘル軍団を率いることになったのが広島の佐々岡真司新監督(52)だ。

     現役時代は広島一筋18年。通算138勝153敗106セーブと活躍し、長らく広島の屋台骨を支えた。

     昨季まで一軍投手コーチを務めており、緒方前監督の辞任による消去法的な人事であることも否めない。

     決して派手な人物ではなく、そうしたところもさほど騒がれないゆえんだろう。

     とはいえ、選手やコーチ間の評判は悪くない。

    「コーチ時代にカーブの投げ方や下半身の使い方を教わりました。その人その人にあった教え方をしてくれる印象です」

     と話すのは5年目の岡田(26)。リリーフの一岡(29)もカーブを伝授されたひとりだ。

    「現役時代はカーブが凄い方でしたからね。握り方などを聞いたら、すぐにわかりやすく教えてくれました。アドバイスが欲しいときは聞きに行きやすい」

     と言う。

     九里(28)は「印象?見たままのおおらかな方ですね。僕はストレートの重要性を教えてもらった。カーブは……教えて下さいとはお願いしたものの、僕には難しかった」と話す。

     そんな佐々岡監督が評判になっているのが気配りだ。チームスタッフの間からは「とにかく、さまざまなことを気にかけている。気疲れしないのか心配だ」という声も出ている。

     倉一軍バッテリーコーチは「たとえばそのひとつが……」と続ける。

    「シート打撃中のことでしたね。僕らコーチ陣は目の前の練習を見るのに集中していた。実戦に近い練習だから、なおさらです。そんなとき、佐々岡監督は『ブルペンで待機している投手のキャッチボール相手がいないぞ』と指摘してくれた。普通、そういうのは僕らコーチが気付かなきゃダメ。監督に言わせてしまってはダメなんです」

     シート打撃はバッティングのみならず、投手や守備もチェックできる練習。普通ならクギ付けになるところだが、佐々岡監督はグラウンドからは見えないブルペンの様子も気にかけていたということだ。

     倉コーチはさらにバッテリーを組んだ現役時代についても話した。

    「佐々岡監督のボールを受けたとき、僕はまだ若手。それでも最初に言ってくれたのは『おまえらがやりやすいように、(配球などは)おまえらで考えてやってくれ』だった。その上で『どんな考えかわかるから』と言われた。自分の考えを押し付けない方なんですね。そうやって僕らの考えを理解した後で、『オレはこう思うよ』とさりげなくアドバイスしてくれた」

     日本では監督が目立つケースが多いが、本来はチームの裏方。現役晩年のように、縁の下の力持ちとして赤ヘル軍団を勝利に導けるか。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00000007-nkgendai-base

     広島・佐々岡真司監督(52)が“コミュ力発揮”でチーム力アップを狙っている。宮崎・日南市での春季キャンプは7日に第2クールがスタートし、主力級の打撃投手登板も始まった。先発ローテ入りを目指す床田は会沢や鈴木誠らに切れ味鋭いボールを投げ込み「ブルペンより良かった。いい球をより多く投げていきたい」と手応えを口にした。

     先発ローテ入り確実の野村が右ふくらはぎ痛のためリハビリ組に回っているだけに左腕の好投にひと安心…かと思いきや手放しでの賛辞はなし。「(手を)すぐに抜いちゃうタイプ。ハッパを掛けながらやっていきたい」と締めた。5日のシート打撃では期待する遠藤&山口の20歳右腕コンビがパッとしない状況とみるや「秋に見せたいいものが出ていない。スピードもキレもない」とバッサリ。ソフトバンク・千賀のフォームを参考にする遠藤には「名前を出すのは千賀君に失礼」と辛辣だった。

     しかし、辛口だけで終わらないのが佐々岡流だ。山口や遠藤と個別に話をし、エールを送るなど“アフターフォロー”に抜かりはなし。今回の床田に関しても期待の裏返しだ。指揮官自身、現役時代は超体育会系でバリバリの上下関係のなかで生き抜いてきたタイプだが「厳しさも必要だが、今の子はそれだけではやっていけない」と若手選手に合わせたタクトを駆使している。

     この日、本格的にリハビリを開始した野村には「俺は(同じケガを)引退後にやったわ、ゴルフやっているときに。そのときは4日で治ったぞ」と独特のゲキを飛ばした。アメとムチを巧みに使い分ける佐々岡監督なりの人心掌握術に注目だ。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200208-01730019-tospoweb-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#19

     同い年の緒方孝市にライバル心を燃やしていた金本知憲も思い出深い。

     東北福祉大から1991年のドラフト4位で入団。1、2年目は二軍暮らしが続いた。広島は二軍の遠征費用を抑えるため、野手4、5人を残留させていた。金本は遠征メンバーに入れず、留守番となったことがある。当時、ウエスタン・リーグの日程は、大阪で阪神、近鉄と戦い、1週間ほどで帰広することが多かった。二軍打撃コーチだった私は、実際にやるかどうか半信半疑で、こう言い残し、遠征に向かった。

    「残留組は1日1000スイングがノルマだぞ」

     金本はそれを忠実に実行し、毎日1000回振っていたそうだ。残留組の練習に付き添った川端順二軍投手コーチから後になって聞いた話だ。金本個人に言ったわけではない。残留組の全選手に向けた言葉だったが、守ったのは金本だけだったという。

     大卒なのに……という反骨精神に火がついたのだろう。1年目から一軍で49試合に出場、専大からドラフト1位入団で同期の町田公二郎にもライバル心を燃やしていた。

    ■「モグラ殺し」

     二軍でくすぶっていた金本は非力だったため、「転がして足を生かせ」と言うコーチもいた。外野守備では送球を地面に叩きつけてしまうことが多く、「モグラ殺し」という、うれしくない異名も頂戴した。それでも、走力はあり、身体能力も高かった。打撃は内角への対応はまだまだだったが、逆方向の左中間へ鋭い打球が飛ばせた。化ける要素はあった。

     当初は内角球を打つ際、右肘や右肩が上がってしまっていたため、グリップを意識的に膝元に落とすことで、脇を締めようとしたのだ。

     悔しさをバネにした。自分の体力的な弱点を克服するため、シーズン中もオフも、広島市内にあるジム「アスリート」に通い、ウエートトレーニングに力を入れた。筋力を蓄えることで、車でいうエンジンの排気量が上がっていった。パワーがつき、打球に力強さが加わった。金本のトレーニング法が後輩の新井貴浩や鈴木誠也らに引き継がれ、カープの伝統になった。先駆者として金本が残した功績といえる。

     94年に三村敏之監督(享年61)が就任すると、レギュラーに定着した。金本の体の強さや試合を休まない根性を買っていた。三村監督には「ケース・バイ・ケース」というカープのチームに貢献するための打撃を叩き込まれた。阪神にFA移籍し、星野仙一監督に「阪神の4番なんだから自由に打て」と言われても、根底には「チーム打撃」という考えが染みついているように見えた。金本は三村監督がつくり上げたといっても過言ではない。

     その金本と師弟関係だったのが新井である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200204-00000008-nkgendai-base

    【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#18

     私が広島の二軍打撃コーチを務めていた1990年ごろのこと。広島市民球場近くに新築した自宅が「練習場」に変わった。

     秋季キャンプを終えた後、12月から翌年1月まではどの球団も全体練習ができない。しかし、この間、若手を遊ばせてしまっては、レギュラーとの差は縮まらない。球団は自主練習を望む選手のために、私の自宅の駐車場にネットを張り、若手が打撃練習できる環境を整えたらどうか? と打診してきた。

     せっかく家を建てたのだ。最初は拒んだが、折れない球団は、30万円ほどで2階まで届く大きなネットを購入した。業者が来てボールが飛び散らないよう、カーテン式に設置。やるしかない環境が整った。

     ただ、早朝から住宅街にカンカンとボールを打つ音が響いてしまう。近所迷惑になるため、妻が菓子折り持参で頭を下げて回った。

     93年オフ、私は翌シーズンから巨人のコーチになることが決まっていた。巨人の寮に住み込む直前まで、熱心に通ってきたのが、2016年からリーグ3連覇を果たし、昨季まで5年間監督を務めた緒方孝市だ。

     当時は24歳。まだ一、二軍を行ったり来たりの代走、守備要員だった。朝の9時から昼までティー打撃。その後は風呂場でシャワーを浴びて、我が家で昼食を取る。午後は筋力トレーニングに励むのが日課だった。

     緒方は当時から無口。私の妻は「あんな口数が少なくて線の細い子がプロでやっていけるのかしら」と本気で心配していた。しかし、その後すぐに一軍のレギュラーに定着。95年から3年連続で盗塁王になった。

     現役引退後、10年は一軍野手総合コーチ、11、12年が守備走塁コーチ、13年は一軍打撃コーチ、14年はヘッド格の一軍野手総合ベンチコーチを歴任した。さまざまなコーチを経験してから監督に就任したのが、16年からの球団初のリーグ3連覇につながったと思う。

    ■まっすぐでも意思も性格もまるで石

     元スカウト部長の村上孝雄さん(享年79)に発掘された。主に九州地区担当で他のスカウトも一目置く人物だった。指名に携わった選手は、他にも北別府学、津田恒美、前田智徳など名選手が多い。義理堅い緒方は、村上さんを「恩人」と慕っていた。

     現役の頃から人と群れるのを好まなかった。まっすぐで意志も性格も石のように固い。その後、中心選手になり、「あんなに努力したから今があるんだよ」と、かつて菓子折りを配った近所の人たちは喜んでいた。昨季まで現役から合わせて33年間ユニホームを着続けた。しばし休息を取って欲しい。

     同い年の緒方をライバル視していたのが金本知憲である。

    (内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00000006-nkgendai-base

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     【江尻良文の快説・怪説】

     2020年東京五輪イヤーの影響で早期開幕、五輪開催中のシーズン中断など、難題山積のプロ野球界。特に広島・佐々岡真司(52)、ヤクルト・高津臣吾(51)、楽天・三木肇(42)の新監督トリオは、対応が大変だろう。それでなくとも難関が待ち受けているのだから。

     巨人からのV奪回、悲願の40年ぶり日本一を宣言している広島・佐々岡新監督。緒方前監督が初年度と最終年の昨季こそ4位になったものの、2年目に25年ぶりリーグ優勝。そしてリーグ3連覇の偉業を達成している。

     しかも、緒方監督は球団側の続投要請に対して自ら辞任。佐々岡新監督の立場とすれば、「緒方監督超え」という難関を乗り越える必要があるのだ。1年目から勝負。前任者が成し遂げられなかった、日本シリーズ制覇を宣言せざるを得ない。

     それに対して、ヤクルト・高津新監督はチーム事情からすれば、重圧はそれほど大きくないだろう。就任1年目の一昨年、最下位のチームをサプライズ2位に押し上げながら、昨季は一転して最下位を独走し引責辞任した、小川前監督からのバトンタッチだからだ。

     ただし、高津新監督には新年早々、野球人にとって最大の問題が待ち構えている。野球殿堂入りの有力候補に挙がっており、当選すれば「殿堂入り新監督」という最高の名誉を手にするのだ。同時に、その名誉を汚さないためにも、1年目からそれなりの成果を期待されることになる。

     もう1人の楽天・三木新監督には、重いノルマと石井GMのメンツというダブルプレッシャーがかかる。同じく2軍監督から1軍監督に昇格した平石前監督は、最下位のチームをいきなり3位に躍進させ、クライマックスシリーズに出場しながら続投要請なし。不可解な解任となった。

     激怒した平石前監督はフロント入りの要請を断り、3年連続日本一のソフトバンクの1軍コーチに就任。そもそもAクラス入りしながら続投できなかったのは、石井GMとの確執説がささやかれている。石井GMとしては、同じヤクルトOBで気心の知れた三木2軍監督を抜擢したいため、平石監督を続投させなかったと言われているのだ。三木新監督には、平石前監督を上回る成績を残し、石井GMのメンツを保たせるという、二重のノルマを課せられる。

     三者三様だが、新監督トリオは東京五輪余波にとどまらず、大きな難題を抱えてペナントレースに挑むことになる。(江尻良文)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200106-00000008-ykf-spo

     ピンチでこの男を迎えた投手の気持ちが分かった気がした。8月8日のマツダスタジアム。翌日発売の写真週刊誌で鈴木の熱愛報道(現夫人の畠山愛理さんとの)が掲載されるとの情報が入ったが、DeNA戦の試合前練習を終えた本人に、どうやって切り出そう。キザっぽく「誠也くん、おめでとう…でいいのかい?」かな。心の中で何度もシミュレーションしたが、本人を前にすると「せ、せ、誠也くん、あの、あした、フ、フ、フライデー!」と素っ頓狂に叫ぶばかりだった。うんざりした表情で「声がデカいっすよ…」と返されてワキ汗がドッと流れた。ストレートの四球を与えた気分だった。


     そう。並の人間は気迫で圧倒される。四球は昨季の88から自己最多でリーグ2位の103個に増えた。“顔”で選んだ四球も多かったに違いない。東出打撃コーチによれば、鈴木は「毎打席、それこそキャンプのシート打撃から『やるかやられるか』の気持ちで入っている」とのこと。そのオーラに縮み上がった投手も記者も、まともに勝負できなくなるのだ。

     もちろん緒方前監督が常々「打席の中で我慢ができている」と話していた通り、無理にボール球を追いかけて凡打に倒れることが少なくなったのも四球増の要因だ。そんな冷静さが、首位打者(3割3分5厘)と同時に獲得した最高出塁率4割5分3厘の初タイトルにつながったのだろう。

     冷静さと言えば、鈴木はサヨナラ勝利を呼び込む同点3ランを放った8月20日のヤクルト戦後、こんなことを話していた。「勝ち負けはどっちに転ぶか分からない。(でも)普段からやるべきことをやっていれば(勝ちに)転ぶ確率は高くなります」。本当に25歳かな。凡事徹底とはほど遠い45歳はひれ伏すのみだ。(広島担当・田中 昌宏)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191222-12210334-sph-base

     リーグ4連覇を逃し、4年ぶりの4位に終わった広島。苦しい戦いを強いられた裏でチームは崩壊寸前だった。



     開幕から6カード連続で勝ち越しなしと低迷。5月に球団の月間記録となる20勝を挙げて首位に立ったが、交流戦は最下位に沈んだ。いまいち波に乗れない状況が続く中、7月には緒方監督の野間に対する行き過ぎた指導が明らかになった。

     6月30日のDeNA戦(横浜)で野間が一塁への全力疾走を怠ったことに緒方監督が激怒。試合後、監督室に呼び出してプレーへの姿勢を正す過程で複数回、平手でたたいた。同監督は7月15日、試合前のミーティングで選手、スタッフに謝罪。その後、一部週刊誌でこの事実が報道されることが分かると、球団は監督へ厳重注意処分を下したことなどを発表した。

     当時のチーム状況について関係者は「表沙汰になったことで『誰が漏らしたのか』と疑心暗鬼になる者も出て、チームの雰囲気は最悪だった」と語る。この一件以来、緒方監督の求心力は薄れていった。

     勝負どころの夏場には再びチームはどん底に落とされた。8月17日、球団はバティスタにドーピング検査で陽性反応が出たと発表。主に3番打者を務めた主軸の離脱は他の主力への大きな負担となり、終盤の失速につながった。

     シーズン全日程終了から10日後の10月7日に就任した佐々岡新監督は「他の球団と比べても、優勝できる戦力。明るく一体感のあるチームにしたい」と言った。一枚岩になっての王座奪還へ。新生カープは足元を見詰め直し、来季に臨む。(肩書は当時)。 



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000019-jij-spo

     広島の緒方孝市前監督が7日、佐賀県鳥栖市の鳥栖市民球場で開催された「緒方孝市ベースボールクリニック」に参加した。現役時代から続けている野球教室で、チームからも小窪、島内、平岡、桑原、坂倉、中村奨の6選手が参加し、14チーム107名に指導した。


     緒方前監督がユニホームに袖を通すのは9月30日以来だった。開始前には少年少女に「直接プロの選手に教えてもらうことはめったにないこと。これからの練習に生かしてほしい」とあいさつした。その後は外野に移動し、キャッチボールの仕方や送球フォームなどを教え、打撃練習では自らトスを上げた。

     約1時間半、熱く指導。「現役のときから20年以上も続けてこられてうれしく思う。今年でユニホームを脱ぐ節目の年になったけど、今後も続けていきたい。子どもたちには、野球を通じていろんな仲間と試合などをして、喜んだり悔しがったりとかを一緒に経験してほしい。来年、カープをテレビなどで応援してほしいし、ソフトバンクの2軍の球場は近くにある。選手に声援を送ってほしい。短い時間だったけど楽しかった」と振り返った。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191207-00000095-dal-base

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