広島カープブログ

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    緒方孝市

    <練習試合:広島8-1阪神>◇9日◇マツダスタジアム 5回、広島は3番に入った西川のワンバウンド打ちの適時打から得点を重ねていった。「イチローばりの…」などと言われるかもしれないが、そんな大打者と比べるのは無理があるとしても西川の特徴が出ていた打撃だったとは思う。


    彼の打撃の特徴はバットの“面”を器用に使えることだ。バットコントロールと言うより、面をしっかりと球に当てる技術を高いレベルで持っている。 打者全般に言えることだが調子を落とすときはバットをこねる、球を引っ掛けてしまうことが多い。右打者なら右手、左打者なら左手、つまり投手に対してうしろ側にある手首を早く返して打ってしまう。

    手首を返してこねるのではなく、来た球にスムーズに対応していく方が結果は出る。5回で言えば会沢、ピレラ、鈴木誠也の安打もそんな感覚だった。打者の左右に関係なくセンター中心、ピッチャー返しに打つことが大事なのだが西川は特にそれがうまい。
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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/e076a4a7bf8ee0f86ed5b0787fad62532580ac06

    <3連覇思想>

    広島にリーグ3連覇をもたらし、新しく日刊スポーツ評論家に就任した緒方孝市氏(51)が「3連覇思想」と題して連載を執筆。2回目は緒方氏が好選手の“要素”について語ります。


       ◇   ◇   ◇

    すっかり日本の4番打者になった鈴木誠也、この日は二盗、三盗で走れるところを見せていた。監督時代、彼を注意したのは一度だけだと思う。その原因にもなるのだが、誠也のどこが人と違うと言って、その負けず嫌いぶりだ。打てないと異様に悔しがるのだ。

    その姿を見て自分の現役時代を思い出した。例えば阪神が「JFK」で優勝した05年。左腕ジェフ・ウイリアムスのスライダー、調子がいいときは空振りした後にそのまま腹にボコッと当たるんじゃないかと思うほどキレが良かった。

    そんな球を投げられ、三振すれば悔しいのは当然だ。同時に頭のどこかで「あの球は仕方ないだろう」と思う部分もあった。あのスライダーは誰も打てない。納得というよりも素直にそう思っていた。

    だが誠也は違う。相手がどんな好投手であっても勝負どころで打ち取られると荒れる。ベンチに戻ってくると鬼のような形相でバットを投げ、ヘルメットを投げ、揚げ句の果てに革手袋をびりびり引きちぎる。

    現役時代の同僚で言えば前田智徳氏(野球解説者)がそんな感じだった。彼がヘルメットを投げる場面はよくあった。だが誠也はそれ以上に荒れていた。

    あるタイミングで誠也を呼んだ。悔しくて荒れるのはいい。しかしベンチの中でやるとテレビカメラに抜かれる。誠也にあこがれている野球少年はそれを見てどう感じると思う? どういう印象を与えると思う? そんな話をした。誠也はすぐに理解、納得し、それからベンチの中で暴れることはなくなった。

    そこが誠也のすごさだと思う。あれほどの振る舞いをする闘争心と指摘をすぐに理解する知性が同居している。だからここまで存在感のある選手になったのではないかと思っている。

    大瀬良大地もそうだ。藤浪晋太郎に死球を食らったときに「いいよ、いいよ」と笑顔で応じたことがあった。若い人は「神対応」とか言っていたようだが、戦いの中でそれでは困る。

    監督室に呼んで「いい人はグラウンドの外でやってくれ」と言った。人柄のいい男だが、指摘の意味は分かってくれたと思うし、だからこそ今の立場があるのではと思う。

    監督、コーチの指導、考えを理解し、実行できればベストだ。しかし理解できるレベルに来ていない選手もいる。実績を残すには知性が必要だ。指導者もそういう部分を見ていく必要はあると考えている。(日刊スポーツ評論家)



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/82e61f6c5e86a1936be4a5b41157455ab0f3f45f

    <THE GAME(27)>17年8月16日 阪神 VS.広島

    <阪神3-5広島>◇2017年(平29)8月16日◇京セラドーム大阪

    どうしても人の痛みに寄り添ってしまう性格。あの時、大瀬良大地は無意識のうちに敵味方という大前提を飛び越えてしまった。

    2回表1死。制球を乱していた藤浪晋太郎から左腕に「生まれて初めて」死球を受けた。青ざめた表情で頭を下げる姿を目にした瞬間、痛みを忘れて笑顔を作った。「大丈夫!」。とっさにマウンド上へ声を張り上げたシーンが後に、賛否両論を呼んだ。

    2人は過去にオフの自主トレを共にしており、親交が深かった。球団の垣根を越えた友情をたたえる声が上がった。一方で、勝負の世界にあるまじき甘さだと指摘する声も出た。

    登板翌日、外野芝生を走っていると、当時の緒方孝市監督から手招きされた。

    「みんなが戦っている時にああいう姿を見せるのはどうなのか。グラウンドの外では仲良くしてくれたらいい。ただ、戦っている最中は倒さないといけない。そういう感情を持ってグラウンドに立ってくれ」

    主戦格としての心構えを静かに諭され、大瀬良は自分自身を見つめ直した。

    常に他人を気遣える好青年。人としての本質は簡単には変えられない。変える必要もない。だが、いざグラウンドに立てば、優しさは時に、あだとなる。

    「あの一件があって、自分の立ち居振る舞いが周りに影響するんだから、と考えられるようになりました。変わらないとな、と思えるようになったんです」

    大黒柱を目指す以上、少なくとも勝負の舞台では「いい人」という殻を破り捨てる必要があるのだと、覚悟を決めた。

    それ以来、大瀬良は変わった。迫力が増した。敵チームのファンからメガホンを投げつけられると、ふてぶてしく蹴り返した。

    「対戦相手のファンから応援されるのは、本来あるべき姿ではない。少しは敵として認めてもらえるようになったんですかね」

    ビジターゲームで強烈なヤジを食らえば、むしろ喜ぶようにもなった。

    大瀬良は毎年、山口・周南市内の墓へ車を走らせる。背番号14の大先輩、「炎のストッパー」津田恒実さんが眠る場所だ。津田さんは優しい心の持ち主でいながら、マウンドに立てば闘志むき出しで仲間を鼓舞し続けた。そんな背中を、スタイルを、後輩は懸命に追いかけている。

    18年は15勝を挙げて最多勝、最高勝率のタイトルを獲得。19年は3年連続2ケタ勝利を達成。エースへの階段を1歩1歩上り続けながら、あらためて考えることがある。

    「投手は野手より高くて一番目立つ場所にいる。もし自分の気持ちが周りに伝染する可能性があるのなら、ドシッとした背中を見せるのが、あるべき姿なのかなと思います」

    人生初死球から学んだ大黒柱の心得は今、貴重な財産となっている。(敬称略)

    【佐井陽介】



    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/53c0ecd7c90f4d04df85b4c945bef162c40f94f4

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     プロ野球で、数々の強打者育成に尽力した内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)の教え子には、想像を超えて飛躍を遂げた選手たちがいる。その代表例である金本知憲氏と新井貴浩氏について、共通点を聞いた。

      ◇  ◇

     金本は東北福祉大から、91年ドラフト4位でカープに入団。三村敏之さんが2軍監督時代から目をかけ、1軍に抜てきすることになるが、入団時は線が細く、後に3割30本100打点をマークするなんて想像もできない選手だった。打撃は左中間に運ぶ技術はあったが、右肘や右肩が上がって脇が甘くなる欠点があり、内角のスピードボールへの対応が課題だった。

     上からたたく練習を繰り返して克服していったが、1軍で活躍するようになってもネクストサークルでは極端なダウンスイングで意識付けを行っていた。相手ベンチからその姿を見て、巨人の若手に伝えたこともある。

     1、2年目はファームの遠征メンバーから外れたこともある。当時、私は2軍打撃コーチだったが、「残留組は1日1000スイングをやるように」と伝えていた。1000スイングなんて、本当にやろうとしたら大変なこと。半信半疑で言ったつもりだったが、居残った川端(当時の2軍投手コーチ)によると、金本だけは本当にやっていたらしい。大学入学前に一浪した経験もあったからか、反骨心は相当なものだった。

     あの時代では珍しく、積極的に筋力トレーニングに励んだことも飛躍の一因となった。車でいうエンジンの排気量が増すことで、体力もつき、打球にも力強さが加わるようになった。金本の鍛え抜かれた肉体は球界でも有名で、あの長嶋さんも注目していたそう。オールスターの時には「金本の体を見てみたいから風呂に入る時に教えてくれ」と周囲に言っていたそうだ。

     金本同様、新井も努力のふた文字なくして語れない選手だろう。広島とパイプの太かった駒大から、98年ドラフト6位で入団。体は大きかったが、大学でも通算2本塁打。周囲も「何とかものになれば」というくらいの評価で、まさか名球会に入るほどの選手になるとは誰もが思わなかっただろう。

     守備も課題だらけ。駒大の先輩である大下ヘッドコーチが朝からずっとノックをガンガンやっていたが、「これだけやっているなら新井を試合で使うのも当然だろう」と周囲を納得させるほどの練習量だった。

     金本の背中を見て育った新井。これは江藤もそうだったが、彼らに共通するのは体が元気なこと。けがもしない。過酷な練習をしても、すぐ元気になる。多くの選手は辛抱するのが精いっぱいで顔に出るものだけど、彼らにはそうしたことが全くなかった。

     その後、広島・鈴木誠也の2軍時代に指導した経験があるが、彼を見ていると、金本や新井の姿に通ずるハートの強さがあった。いい意味で眼力の鋭さがあり、なにくそ精神でこちらにぶつかってきていた。会うたびに、体もどんどん大きくなっている。技術だけではない、ハートや体の強さ。若手が育つカープの土壌には、こうした伝統がしっかり根付いている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200512-00000107-dal-base

     4年前、2016年4月26日。1人の男が大記録を成し遂げた。ドラフト6位以下の大卒選手では、プロ野球史上初の偉業到達、プロ18年目の金字塔。不断の努力は才能を凌駕(りょうが)した。


     いまも脳裏には鮮明に焼き付いている。球場全体から鳴りやまぬ万雷の拍手。歩んできた野球人生と同じように、新井貴浩内野手が打った白球は一直線に左翼線へと伸びた。

     ヤクルト-広島戦の三回、無死二塁。通算2000安打目の打球が、左翼フェンスで強く跳ね返る。両軍から花束を手渡され、スタンドに5度、頭を下げた。プロ18年目、通算2112試合、7966打席目。史上47人目の快挙を球場全体が祝福した。

     「広島に戻れなければ、あるわけなかった」と言う偉業。「なんと言っていいか…。本当にありがとうございます」。こみ上げる思いを抑えながら声を張り上げた。「もう無理だ」と感じたプロ1年目。だが、運命は新井に味方した。FAで江藤智内野手が巨人に移籍したことで「4番・三塁」が空白に。育成急務のチーム事情が新井を育てた。

     光の数だけ影があるように、努力の数だけ流した汗がある。涙がある。03年。阪神に移籍した金本知憲外野手に代わる形で、山本浩二監督から4番に任命された。焦り、力み、重圧で大失速。だが、4番は不動だ。7月10日の阪神戦(広島)。たまったフラストレーションが一気に爆発。観客の心ないヤジに、生涯初めて応戦した。

     次戦の12日・中日戦(広島)。ついに4番を外れ、6番に降格する。練習前に1人、監督室に呼ばれた。

     「新井よ。しんどいか、苦しいか?」

     叱られたわけでも、慰められたわけでもない。だが、涙が止めどなくあふれた。「悔しいし、苦しい。ホッとした気持ちもあった」。どんな過酷な練習にも耐えてきた男が、初めて流した涙だ。終盤戦から4番に戻り、04年も固定。翌05年に本塁打王獲得という形で、指揮官の辛抱、新井の努力は結実した。

     2007年オフ、兄と慕う金本知憲の後を追ってFAで阪神に移籍した。東日本大震災が起きた2011年には、労組プロ野球選手会会長として尽力。出場機会が激減した2014年オフ、球団に自由契約を申し入れた。複数球団が獲得に興味を示す中、真っ先に獲得に動いたのが古巣広島、鈴木清明球団本部長だった。

     FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どのツラ下げて帰れば…」。何度も電話をかけ、困惑する新井を根気よく説得した。最終的には緒方孝市監督も背中を押した。「僕が全力で守ります」。だが、結果的に守る必要はなかった。必死な姿は若手のお手本になり、懸命な姿はファンの胸を打った。

     節目の大記録で勢いに乗ったチームは、そのまま快進撃を続け、9月10日の巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。新井はこの年、300本塁打にも到達。史上初めて2000安打、300本塁打、リーグ優勝、リーグMVPを同一シーズンに達成した選手にもなった。

     ドラフト6位入団。恵まれた才能があったわけでも、将来を嘱望されていたわけではない。それでも地道な努力は、野球人生の終盤に大きな花を咲かせた。新井はいまでもサインを書く時に、「感謝」の2文字を横に添える。最後までファンを愛し、ファンに愛された男だった。(デイリースポーツ・田中政行)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-00000063-dal-base

    <取材後記>

    昨季限りで広島カープを退団した緒方孝市前監督(51)が今春、日刊スポーツ評論家に就任することが12日までに決まった。


    緒方氏は監督として球団史上初のリーグ3連覇を達成した名将だ。世の中は新型コロナ・ウイルスの影響で先の見えない状況に追い込まれているが、広島はもちろん、同じセ・リーグの阪神、そして球界すべてに夢と期待を込め、新たな道を歩む構えだ。

       ◇   ◇   ◇

    不器用で口べた、ぶっきらぼうなイメージは選手時代からだ。気を許せば結構、冗談も交えてよく話すが仕事、野球となれば頑固そのものである。広島監督就任前にメディア対応を含めもっとうまくやればいいのでは、という話をしてみた。そのとき緒方氏はこんな話をした。

    「人によく思ってもらおうとかそういうのは別にいいんですよ。この世界は結果がすべてなので」

    カープひと筋33年。FA権を獲得した99年にはミスター長嶋から巨人への熱い誘いもあったが広島に残った。現役終盤には引退を決めたが代打要員での起用を告げられ、受け入れた過去もある。結果主義は、弱かったチームを3連覇するまでに育て上げた男のプライドだったのかもしれない。

    それでもコーチ、監督を経験する中で若い世代との関わり、チームづくりを意識し、少しずつ柔軟に変わってきたように思う。自ら退団したときは持ち前の頑固さが顔を見せたけれど。

    自身が言うように冷却期間でいろいろな思いがあったが野球への思いは消えることはなかった。選手として指導者として功績を残した緒方氏ならではの評論が楽しみだ。【編集委員・高原寿夫】




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-24100479-nksports-base

    昨季限りで広島カープを退団した緒方孝市前監督(51)が今春、日刊スポーツ評論家に就任することが12日までに決まった。


    緒方氏は監督として球団史上初のリーグ3連覇を達成した名将だ。世の中は新型コロナ・ウイルスの影響で先の見えない状況に追い込まれているが、広島はもちろん、同じセ・リーグの阪神、そして球界すべてに夢と期待を込め、新たな道を歩む構えだ。

       ◇   ◇   ◇

    現在の球界で優勝は簡単ではない。連覇となればなおさらだ。そんな中、緒方氏が率いる広島は16年からリーグ3連覇を果たした。セ・リーグでは巨人以外、記録できなかった偉業だ。さらに、日本の主砲にまで成長した鈴木誠也を4番打者で起用。「育てながら勝つ」という課題を実現した。「名将」のレベルに達した緒方氏が新たな道を歩み始める。

    「3連覇は選手、関係者はもちろん、ファンのみんなで戦った結果。言うまでもなく、自分だけの力ではないです。でも、喜べる瞬間を共有できたのはよかったと思いますね。誠也にしても彼自身がやったこと。こっちが育てたとか、そんな風には考えていません。誠也に限らず、選手は自分で成長していくと思ってます」

    自身の実績を口にすることはないが、監督時代はナイターでも早朝から球場に詰めるなど、心身とも激務をこなした。5年の指揮を執り「これ以上は…」と昨季限りでユニホームを脱いだ。その後、表舞台に出ることはなかった。

    「監督は5年間でしたが高校を出てカープ入団以来、選手、コーチ時代を含めて33年間、ユニホームを着ていた。自分では全力で走り切った思いでした。次に何をやろうとか、辞めてからどうしようとかは決めていませんでした」

    一時は、野球と無縁の仕事はできないか、と模索したこともあるという。しかし熟考を重ねた末、やはり頭にあるのは野球だった。

    「野球で生きてきたし、これが自分の道。野球の良さ、すばらしさをいろんな方々から教えていただいてきた。次はそれを伝えていく立場にならないといけない。現場は引いたけど、外から見ることで、魅力、面白さを伝えていきたいと思っています」

    猛威を振るう新型コロナ・ウイルスの影響で現在、プロ野球の先行きは見えない。それでも緒方氏はプラス思考を捨てていない。チームの低迷、自身の故障など数々の困難を乗り越えてきた男は球界、社会に対してメッセージを持つ。

    「誰もが影響を受けている。でもこうなった以上、“経験”が重要だと自分は思うようにしています。予想できなかった状況を経験した上で、それを乗り越える。そこから先を見据えることができると思います。今できることをやって、マイナスをプラスにしていくことが大事だと思います」

    広島に3連覇をもたらし、球界を盛り上げた緒方氏ならではの視点で見る真剣勝負。古巣はもちろん、阪神、そして球界すべてを独自の視線でチェックしていく。開幕が待ち遠しい。

    ◆緒方孝市(おがた・こういち)1968年(昭43)12月25日、佐賀県生まれ。鳥栖から86年ドラフト3位で広島入団。俊足強打の外野手としてチームをけん引する。95年の10試合連続盗塁は現在もセ・リーグ記録。95~97年盗塁王。95~99年外野手でゴールデングラブ賞。09年現役引退。通算1808試合、1506安打、241本塁打、725打点、打率2割8分2厘、268盗塁。現役時代は181センチ、80キロ。右投げ右打ち。15年広島監督に就任し、16年からセ3連覇。19年に退任した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-24100478-nksports-base

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     今年から赤ヘル軍団を率いることになったのが広島の佐々岡真司新監督(52)だ。

     現役時代は広島一筋18年。通算138勝153敗106セーブと活躍し、長らく広島の屋台骨を支えた。

     昨季まで一軍投手コーチを務めており、緒方前監督の辞任による消去法的な人事であることも否めない。

     決して派手な人物ではなく、そうしたところもさほど騒がれないゆえんだろう。

     とはいえ、選手やコーチ間の評判は悪くない。

    「コーチ時代にカーブの投げ方や下半身の使い方を教わりました。その人その人にあった教え方をしてくれる印象です」

     と話すのは5年目の岡田(26)。リリーフの一岡(29)もカーブを伝授されたひとりだ。

    「現役時代はカーブが凄い方でしたからね。握り方などを聞いたら、すぐにわかりやすく教えてくれました。アドバイスが欲しいときは聞きに行きやすい」

     と言う。

     九里(28)は「印象?見たままのおおらかな方ですね。僕はストレートの重要性を教えてもらった。カーブは……教えて下さいとはお願いしたものの、僕には難しかった」と話す。

     そんな佐々岡監督が評判になっているのが気配りだ。チームスタッフの間からは「とにかく、さまざまなことを気にかけている。気疲れしないのか心配だ」という声も出ている。

     倉一軍バッテリーコーチは「たとえばそのひとつが……」と続ける。

    「シート打撃中のことでしたね。僕らコーチ陣は目の前の練習を見るのに集中していた。実戦に近い練習だから、なおさらです。そんなとき、佐々岡監督は『ブルペンで待機している投手のキャッチボール相手がいないぞ』と指摘してくれた。普通、そういうのは僕らコーチが気付かなきゃダメ。監督に言わせてしまってはダメなんです」

     シート打撃はバッティングのみならず、投手や守備もチェックできる練習。普通ならクギ付けになるところだが、佐々岡監督はグラウンドからは見えないブルペンの様子も気にかけていたということだ。

     倉コーチはさらにバッテリーを組んだ現役時代についても話した。

    「佐々岡監督のボールを受けたとき、僕はまだ若手。それでも最初に言ってくれたのは『おまえらがやりやすいように、(配球などは)おまえらで考えてやってくれ』だった。その上で『どんな考えかわかるから』と言われた。自分の考えを押し付けない方なんですね。そうやって僕らの考えを理解した後で、『オレはこう思うよ』とさりげなくアドバイスしてくれた」

     日本では監督が目立つケースが多いが、本来はチームの裏方。現役晩年のように、縁の下の力持ちとして赤ヘル軍団を勝利に導けるか。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00000007-nkgendai-base

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