広島カープブログ

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    衣笠祥雄

     2018年、平成最後の年末を迎えた。プロ野球は広島が3年連続でセ・リーグを制覇。パは西武が10年ぶりの栄冠に輝き、日本シリーズではソフトバンクが底力を見せた。一方でプロ、アマ球界を支えてきた関係者の訃報も届いた。国民栄誉賞を受賞した元広島の衣笠祥雄さんは4月23日、上行結腸(じょうこうけっちょう)がんで71歳で死去。また、相撲界など他のスポーツ界からも訃報が届いた。

     4月19日。亡くなるわずか4日前、衣笠さんは横浜スタジアムの放送ブースにいた。一人では歩けず、親族に付き添われて球場入り。BS―TBSが中継したDeNA―巨人戦の解説を務めたが、体は痩せ細り、声もかすれていた。実況を務めた戸崎貴広アナウンサー(56)は「普通の人なら球場に来ることもできなかったでしょう。涙が出そうでした」と振り返る。

     話すこともつらそうな状態に、戸崎アナはコメントを求めるのをためらった瞬間が何度もあったという。すると、衣笠さんは自ら手を挙げて話したいとの意思を示し、巨人・坂本勇の打撃などについて熱く語った。現役時代、前人未到の2215試合連続出場の偉業を達成した「鉄人」は、己の人生の最後まで「鉄人」だった。

     憧れは同じ三塁手の長嶋茂雄。巨人戦で本塁打を打つと、三塁ベースを回る時にミスターが「ナイスバッティング。うまく打ったな」と声を掛けてくれる。それが何よりうれしかった。87年に現役引退。以後、指導者としてユニホームを着る機会には恵まれなかった。実は、長嶋監督から巨人のコーチにと誘われたことがあった。しかし「広島にお世話になったので」と断ったとの逸話がある。

     今季、その広島はリーグ3連覇。赤ヘルの黄金期を支えた衣笠さんは優勝を5度経験も、最高は2年連続だった。チーム初の快挙を、きっと天国で喜んでいたに違いない。(鈴木 勝巳)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181229-00000063-spnannex-base

     2018年も残すところあとわずか。今年も多くの方々が、その生涯に終止符を打ちました。元広島内野手・衣笠祥雄さんは4月23日、上行結腸がんで亡くなりました。享年71歳。スポーツ報知では、知られざるエピソードとともに、故人をしのびます。



      *  *  *

     記録にも記憶にも残るスーパースターだった。衣笠氏は1979年に巨人・西本聖の死球で肩甲骨を骨折したが、翌日に代打でフルスイングの3球三振。「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」と話した。同年の日本シリーズ第7戦で伝説の「江夏の21球」。マウンド上で孤独を感じる左腕に歩み寄り「オレもお前と同じ気持ちだ」と、一緒にユニホームを脱ぐ覚悟を伝えた。名場面での言葉に男気、人間味があふれ出る。

     だからこその思いが、広島ファンならずともある。「衣笠監督」はなぜ実現しなかったのか―。鉄人の無二の親友だった江夏豊氏がこの問いに丁寧に答えた。「これは謎。いろんな説があるけど…。先代のオーナー(故・松田耕平氏)室には衣笠のものばかり飾られていた。なぜ、あれだけの功労者なのにカープの指導者になれなかったのだろうか。オレには分からない」と思案を巡らせ、さらにこう続けた。

     「ある時、サチに聞いたことがある。『指導者というものに魅力はないんか』と。『ある。やってみたい』と、はっきり言った。でも、監督というのは、自分がやりたいからやれるものでない。サチも何があったのか言わない。他球団のユニホームを着るチャンスは、あるにはあったらしい。即座にお断りしたと。『オレは広島の衣笠だ』ということ。それが、どこのチームなのか聞きもしていないけど」

     87年の引退後、指導者として球界に復帰することはついになかった。縁やタイミング、強すぎた広島愛、理由は一つではないだろう。野球人生もまた、小細工なしのフルスイングだった。(島尾 浩一郎)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-00000129-sph-base

     今季限りで現役を引退した元広島の新井貴浩氏(41)が、2019年シーズンからTBS専属野球解説者に就任することが決まった。26日に正式発表される。

     TBSで長く野球解説を務めた同じ広島OBの衣笠祥雄氏が今年4月に71歳で死去。「鉄人」と称されたレジェンドの後を受け継ぐ形となり「衣笠さんは僕にとって憧れの方でした。今回のお話をいただき、大変光栄なことと感じています。これからはメディアを通じて大好きな野球の魅力を全力で伝えていきたいです」と抱負を語った。20年間の現役生活では広島、阪神でプレーし、通算2203安打、319本塁打をマーク。最後は広島史上初のリーグ3連覇で花道を飾った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181225-00000004-spnannex-base

     広島・田中広輔内野手(29)が6日(日本時間7日)、優勝旅行先の米国・ハワイで来季は真の鉄人になると決意表明した。現在568試合連続フルイニング出場中で、球団歴代1位の衣笠祥雄の678、遊撃手では歴代最多となる阪神・鳥谷の667に迫る。4年連続フルイニング出場を果たして2人の記録を上回り、リーグ4連覇へも力を注ぐ。


     強い日差しの下、田中は端正なマスクを引き締め決意を固めていた。「1試合1試合積み重ねて、来年も全試合に出られるようにと思っている」。チームをけん引していく自覚と責任感が、言葉にも記録にも表れている。

     今季3年連続全試合フルイニング出場を達成。4月17日・ヤクルト戦で右手に、8月8日・中日戦では右膝に死球を受ける場面もあったが、グラウンドに立ち続けた。「目いっぱいになったこともある。それでも1番として数字を残さないといけない」と頼もしい言葉を口にする。

     来季は真の鉄人の域に入りそうだ。15年4月1日・DeNA戦(横浜)から連続フルイニング出場がスタートし現在、568試合連続。来季全143試合にフル出場すれば711試合となり、歴代3位に浮上する。

     「目の前に目標としていた数字が出てきた。鳥谷さんのショートでのフルイニング出場667がある。そこは意識しながらやりたい」。手本にしてきた存在の“遊撃手日本記録”には、あと99試合で肩を並べる。

     そのすぐ先にあるのは、広島の大先輩で今年4月に亡くなった衣笠祥雄氏の記録だ。プロ野球歴代3位で、球団歴代1位の衣笠の678試合。「全部出れば達成する。頭に入れつつやっていきたい」。あと110試合で到達する歴史に残る数字。「チームが勝つことを一番頭に入れて」その時を迎える思いだ。

     もちろんレギュラーとして求めるのは好結果。今季は不調で一時、1番を外れるなど打率・262、10本塁打、60打点で「数字が残っていないのであまり納得はしていない。ずっと出続けているからこそ、結果を残していかないといけない」と言い切る。オフは「もう一回、下から鍛えていきたい」と走り込み中心に下半身を鍛えていく。

     来年1月は弟の俊太(巨人)らと沖縄で自主トレを行う予定で「試合に出る以上は気を抜くことはできない。しっかり準備をしていきたい」と田中。リーグ4連覇と日本一を目指すチームの中で役割を果たし続け、鉄人の歴史にも名も刻む。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181208-00000022-dal-base

    日本プロ野球名球会と読売新聞社は20日、11月24日に東京ドームで開催する「名球会ベースボールフェスティバル2018」で実施する名球会セ・パ対抗試合(午後2時開始)の両チームの監督とスタメンが決まったと発表した。


    セ・リーグは黒田博樹、パ・リーグは野茂英雄が先発する。現役時代は、日米を通じて両者が投げ合ったことはない。

    選手は日本プロ野球で初めて所属した球団の、入団当時の復刻ユニホームを着用してプレーする。

    監督とスタメンは次の通り(敬称略)

    ◆名球会セ・リーグ

    監督 王貞治

    1番右翼 柴田勲

    2番二塁 高木守道

    3番中堅 山本浩二

    4番DH 王貞治

    5番一塁 松原誠

    6番左翼 ラミレス

    7番捕手 古田敦也

    8番遊撃 野村謙二郎

    9番三塁 鳥谷敬

    先発投手 黒田博樹

    ◆名球会パ・リーグ

    監督 張本勲

    1番中堅 福本豊

    2番二塁 山崎裕之

    3番DH 張本勲

    4番左翼 土井正博

    5番三塁 有藤通世

    6番右翼 秋山幸二

    7番捕手 和田一浩

    8番遊撃 松井稼頭央

    9番一塁 福浦和也

    先発投手 野茂英雄


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181120-00397831-nksports-base

    【ネット裏 越智正典】広島34年ぶりの日本一はならなかったが、CSが始まろうとしていた10月11日、最終ステージで待ち構えていた広島の松田元オーナーが「優勝パレードは日本一になったときだけ」と言明したのは見事な選手激励だった。

     1974年、セで優勝した中日が名古屋まつりとぶつかった地元の熱望を断れず、チームを二分し、分隊を長嶋茂雄現役引退の巨人戦の後楽園球場へ。本隊はパレード。監督与那嶺要は泣いた。「みんなでパレードをやりたかった」。ドラは日本シリーズでロッテに負けた。

     カープの勝利の歴史は63年松田恒次オーナー(日本野球機構への正式届けは2月26日)の決断で初の県外キャンプに始まる。それまで、呉二河球場。雨の日はからだを動かさなかったからと、晩ごはんが焼きそば一皿の日もあった。

     キャンプ地を探せ! マネジャー竹内鉄男(法政大)が九州へ。どこもいっぱい。日南に球場があるらしいと聞き、宮崎の宮田旅館に一泊。翌朝バスでガタガタ道を3時間。青空、防風、町の人々の人情。あったあー。

     キャンプイン当日、一行は空路広島から鹿児島。着陸したとき機内の拍手はやまなかった。日南天福球場には歓迎の鯉のぼりが泳いでいた。横溝桂はいいボールが用意されていたのに感激。もう、変形したボールを金槌で叩いて直さなくてよい。

     カープは70年(4位)秋、アリゾナ州フェニックスのアストロズの教育リーグに三村、山本一義、山本浩二、衣笠ら6選手を送った。71年(4位)秋には同、ブルワーズに3選手。引率のコーチ、終戦直後の阪神の速投げ人気投手野崎泰一は、出会ったインディアンスの“火の玉投手”ボブ・フェラーと意気投合した。

     その71年秋、代表西野襄は恒次オーナーの意を汲んで72年の予算に「練習費」なんと、5000万円を組み込んだ。そして春、アリゾナ州ツーソンのインディアンスのキャンプへ。ナインはあの猛烈ジョー・ルーツに出会う(2月25日~3月17日)。当時快打選手、現スカウト、チーム編成の異彩、苑田聡彦ら36人。秋はパイレーツの教育基地、フロリダ州ブラデントンへ(10月31日~11月24日)。OB金山次郎、長谷川良平に臨時コーチを委嘱。43人。大デモンストレーションである。山本浩二、衣笠祥雄は結局、アメリカで計3度腕を磨く。

     赤へル軍団誕生前夜、北米を旅行中の私はパイレーツのGMジョー・ブラウンに自宅に招いて頂いた。「ヒロシマの選手はラブリーだ。みんな礼状をくれた。きっと黄金時代を作る」。氏はヤンキースを倒すのに選手の躾を貫いてワールドチャンピオンになった。

     75年10月15日、広島は初優勝。結団以来、風雪26年。銀座に行かなかった苑田らは、ビールかけの両国の宿舎から隅田川の土堤を歩いて、粋な向島へ。料亭で賑やかな三味線に合わせて太鼓を叩いて勝利のよろこびに浸った。夜が明けた…。 =敬称略=
     (スポーツジャーナリスト)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181117-00000001-tospoweb-base

     2215試合連続出場のプロ野球記録を樹立して国民栄誉賞を受賞、今年4月に71歳で死去した元広島の衣笠祥雄さんの追悼法要が10日、母校の龍谷大平安高校(京都市下京区)であった。

     年1回の同校同窓会総会に合わせて開催され、読経の流れる中、硬式野球部OBら多くの学校関係者らが次々と焼香し、「偉大な同窓生」をしのんだ。

     同校の関目六左衛門校長は「衣笠氏の不断の努力、不屈の精神は硬式野球部の後輩に受け継がれ、今夏の甲子園100勝、今秋の近畿大会優勝などの結果を残している」と参列者にあいさつ。在りし日の衣笠さんの活躍をまとめたビデオ映像も流された。

     衣笠さんは京都市東山区生まれ。1962年に当時の平安高校に入学し、64年春夏の甲子園に捕手として出場し、いずれも準々決勝に進出した。【矢倉健次】

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181110-00000050-mai-base

     広島が球団初のリーグ3連覇を成し遂げた。1979、80年の前回連覇時は、今年4月に亡くなった衣笠祥雄さんと山本浩二氏(71)らが主軸を張った第1次黄金期。78年から3年間在籍し、日本シリーズ連覇にも貢献した江夏豊氏(70)が祝福の言葉を寄せた。


     カープのリーグ3連覇をOBのひとりとして祝福したい。生え抜きで固めたチームは、ファンの心をつかんでいる。緒方監督の手腕も素晴らしい。

     私が広島に在籍したのは短い期間(78~80年)だが、嫌な思い出はひとつもない。79年は初めて優勝というものを味わえて、日本シリーズでは「江夏の21球」という野球人生でまたとない経験をした。80年も連続日本一を勝ち取れた。

     だからこそ、3年間お世話になって、出て行くとき(日本ハムにトレード)には寂しかった。そのとき、今の松田元オーナー(当時は東洋工業に在籍)、失礼ながら当時と同じ呼び方で呼ばせてもらうとハジメ君にかけてもらった言葉を、38年たっても覚えている。「江夏さん、ゴメンね。オヤジ(当時オーナーの故・松田耕平氏)に力がないからね」と。そう言いながら、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」をプレゼントしてくれた。

     2週間ほど前、球場で話をする機会があったが、やはりチームへのまなざしが温かい。これは広島の伝統と言える。私が在籍していたときは月に1回、オーナー食事会というのがあった。いつも焼き肉で、一番はしゃいでるのがオーナー。横で奥さんがケラケラ笑っている。あの家族的な雰囲気は他球団ではまずない。主力であろうが控えであろうが、自分の孫のように接していた。

     豊富な練習量で培った強さも、我々の時代と変わらない共通点だ。決してスマートでもなければ、うまくもない。だが、納得するまで練習する。私がいた頃は高橋慶彦が一番練習していた。キャンプでは毎日、上から下までユニホームが真っ黒。今で言えば、新井も妥協のない練習ではい上がった一人だ。その姿を見てきた後輩たちも練習に打ち込む。プロ野球選手はみんな野球が好きだけど、カープは特に野球の好きな人間が集まっている。そういうチームカラーが脈々と続いている。

     ぜひ34年ぶりの日本一を勝ち取ってほしい。頂点に立てば、さらにチームは強くなる。サチ(故・衣笠さん)にも、神様がもうちょっと時間をくれれば、後輩たちの雄姿を見られたのに…。だが、それは言うまい。よく頑張った。病気が分かったときは余命1か月だったのが、3年半も頑張ったのだから。まさに鉄人だ。日本シリーズを制し、生涯、カープを愛した親友への最高の供養としてほしい。(談)

     ◆坂の上の雲 伊予松山出身の青年3人を中心に、明治維新から日露戦争まで近代日本の誕生にかけた人々の姿を描く長編小説。司馬遼太郎の代表作の一つで、テレビでドラマ化もされた。

     ◆江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年5月15日、兵庫県尼崎市出身。70歳。大阪学院高から66年ドラフト1位で阪神入団。68年にプロ野球記録のシーズン401奪三振。71年の球宴で9者連続奪三振。76年に南海に移籍し、その後、広島、日本ハム、西武を渡り歩いた。85年に米大リーグ・ブルワーズの春季キャンプに参加したが、契約に至らず現役引退。通算829試合、206勝158敗193セーブ、防御率2.49。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00000042-sph-base

     別れを惜しまれながら、静かにユニホームを脱ぐ。プロ20年目の決断。新井貴浩内野手の歩んだ軌跡に、そっと寄り添い続けた男がいる。広島・鈴木清明球団本部長。獲得に踏み切った入団の経緯から、涙、涙の会見となった阪神移籍。そして球団では過去に例のない、FA移籍した選手の復帰。全ての節目に携わってきた。

     「結局、最後は人間性なんよな」。新井という男を振り返ると、遠い目をして静かに笑う。思い出すのは20年以上も前の話。だが、記憶は鮮明だ。当時、主力だった野村謙二郎氏(元監督)が部屋に来た。母校・駒大の後輩でもある新井を、ドラフトで獲ってほしいという。

     「『チームをまとめていく上で、しかられ役として必要になる選手。獲ってほしい』と言われたんよ。守備は良くなかったし、打てるかどうかもわからなかった。でも広島出身の選手。体も大きかったから、もしかしたら…というくらいだったな」

     松田元オーナーらとも相談の上、ドラフト6位で獲得を決めた。「もう無理だ」と感じたプロ1年目。だが、運命は新井に味方した。FAで江藤(智=現巨人3軍監督)が巨人に移籍したことで「4番・三塁」が空白に。育成急務のチーム事情が新井を育てた。光の数だけ影があるように、努力の数だけ流した汗がある。涙がある。2003年。阪神に移籍した金本に代わる形で、山本浩二監督(当時)から4番に任命された。

     焦り、力み、重圧で大失速。だが、4番は不動だった。同年7月10日の阪神戦(広島)。たまったフラストレーションが一気に爆発した。観客の心ないヤジに生涯初めて応戦した。同本部長が述懐する。

     「開幕から絶不調。浩二さんに「もう代えた方が…」と進言したこともある。でも『4番というのは、状態がいいから、悪いからで代えたらダメなんだ』と。ずっと我慢して使ったというのもある。あの時に、4番の重さというのを初めて感じた。チームとして、我慢して作り上げた打者。ある意味、しごかれても、必死になって練習についてきたよな」

     2000年代前半。いわゆるカープの“暗黒時代”である。4番は新井、エースは黒田博樹氏。広島市民球場に来る観客が、1万人を割ることも珍しくなかった時代だ。同部長は2人と顔を合わす度、チーム再建の方法を話し合った。

     「一番、チーム状態が悪い時にいろんな話をした。よく言われる“暗黒時代”でチームの中心。新井と黒田は年俸も、一番(成績が)いい時に一番悪い方(の条件)をのんでくれた。チームの話もたくさんした。優勝を目指そうと言っていたけど、当時の球団の財力、戦力では到底無理。それでもどうやったら勝てるか、話をした」

     だが、2007年オフ。兄のように慕っていた金本知憲(現阪神監督)の後を追い、阪神にFA移籍を決めた。数回の交渉の末、電話で決断を聞いた。他球団に移籍する選手の会見は、通例として球団ではなく近隣のホテルで行われる。「ワシは行かんぞ」。受話器を切る前に、そう伝えた。新井本人もそう認識している。だが、翌日。気付けば会見場に足が向いていた。

     「出て行った経緯にしても、恨みは一切なかったんよ。いかんぞと言ったけど、実は会見ものぞきに行った。そしたら涙を流していたな。それから、ずっと気になっていたな」

     いまだから明かせる真実がある。大粒の涙が流れた移籍会見。「つらいです。カープが好きだから」。泣き崩れる新井の姿を見たあの日、あの時、広島復帰の道筋は出来上がっていたのかもしれない。2014年オフ。阪神を自由契約になった後、すぐに電話を入れた。

     「帰ってこい」

     「どの面下げて帰ればいいんですか」

     「ええから、帰ってこい。大丈夫じゃ」

     2人の会話はこれだけで十分だった。

     「新井が気にしていたのは反発。緒方(監督)のもあった。指揮官として一度、出て行った選手を戻すことに葛藤はあったはずよ。でも最後は『もし、もう一度、同じユニホームを着るのであれば仲間。僕らが守ってやりますよ』と。緒方の言葉も伝えた。新井も喜んでいたよ。キャンプは初日から、こっちが大丈夫かと思うくらい練習していた。そういう彼の人間性、彼の姿に心をとらわれていった。反発がありながらも戻って、結果が出せる。誰もが同じじゃない。新井だからこそ、できたものだと思う」

     プロ生活20年。ドラフト6位以下の大卒選手で史上初めて、2000安打を成し遂げた。だが、輝かしい実績以上に、感謝している姿があるという。

     「衣笠(祥雄)さんも、カネも骨折してもグラウンドに立った。新井もそう。右手を大きく腫らしても打席に立った。常にプロとして、ポジションを取られてたまるか、という危機感があるんだと思う。琢朗(石井=現ヤクルト打撃コーチ)にしても、豊田(清=現巨人投手コーチ)にしても、晩年の選手になにを求めるかというと、最後は人間性。それが一番。チームにいかにいい影響を与えてくれるか。それが大きいよな」

     いよいよ3連覇を目前としているチームに、その背中で示した功績は計り知れない。(デイリースポーツ・田中政行)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000048-dal-base

     「広島9-3巨人」(10日、マツダスタジアム)

     超高性能の国産スラッガーだ。広島・鈴木誠也外野手(23)が8月1日・ヤクルト戦以来、今季2度目の1試合2本塁打で3年連続20号に到達した。阪神が勝ったため、優勝マジック点灯はまたしてもお預けとなったが、チームは今季2度目、最長タイの6連勝。マツダでスズキがメルセデスを打ち崩し、巨人戦4年連続勝ち越しを決めた。

     鈴木は豪快にバットを振り抜いた。打球は規格外の弾道を描いて右翼席に着弾。今季2度目の1試合2本塁打で4年連続巨人戦の勝ち越しを呼び込んだ。

     「本当にたまたまです。打った瞬間はどこに行ったかも分からなかったので。三振でもアウトでも一緒。自分のスイングで終わろうと思っていました」

     2点差に詰め寄られた直後の七回だ。2番手・野上の外角直球を強振し、逆方向へ突き刺した。初回は2死一塁から左翼席へ特大の19号先制2ランを放っており、リーチをかけていた3年連続20号へ一気に到達した。

     「使ってもらっているので。今は数字は意識していない。シーズンが終わったときにいい結果だったらいい」

     試合後はそうクールに振り返ったが6年目の進化が著しい。開幕前から「誠也の打球はエグイ。音が違う」と打撃投手から驚きの声が上がっていた。開幕直後の離脱時にフリー打撃を目の当たりにした水本2軍監督も「格が違う。一皮もふた皮もむけた。近年では見たことがない」と目を丸くしていたほどだ。

     “珍プレー”のうっぷんを晴らす猛打賞でもある。前夜は三回の打席で審判員のカウント間違いにより四球とならず、4ボール2ストライクから二ゴロに倒れていた。「気づかなかった。気づいていたら一塁に行っていた」。出塁を損した形だが、この日は5打数3安打の大暴れで打率も出塁率も上昇させた。

     「誠也のホームランから始まって2本目のホームランも非常に大きかった。つなぎの中でタイムリーが下位打線にも出ていた。いいゲームだった」

     試合後は緒方監督もご満悦だ。スタメンは初顔合わせの左腕メルセデス対策にあえて左打者をズラリ。野間、松山、西川が躍動して、ベンチの策がズバリ的中した。阪神が勝ったため優勝マジック点灯はまたしてもお預けとなったが、チームは今季2度目の6連勝。マツダスタジアムの巨人戦は13連勝となった。若き4番に導かれて、真夏のV3ロードを突っ走る。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180811-00000017-dal-base

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