広島カープブログ

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    赤松真人

     「DeNA6-10広島」(26日、横浜スタジアム)  広島の大盛穂外野手が出場2試合目でプロ初安打を放った。  0-5の五回1死から代打で出場。平良の2球目を打った打球は、二塁前へボテボテのゴロとなり、内野安打を勝ち取った。  走り方などの走塁技術は、2軍で赤松外野守備走塁コーチかから学んできた。「積極的にいこうと思っていた。足で稼いだヒットは僕らしくて良いです」と表情を崩した。プロ初安打の記念球は両親に贈るという。

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    引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/3c7b9c13ee477435291ade086af40699b9416408

     今季から広島の新コーチに就任した赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)が、若鯉とともに新米コーチとして日々奮闘している。現役時代は俊足巧打と華麗な守備で、多くのファンに愛された赤松コーチが掲げるのは「選手ファースト」。この指導方針を胸に、将来1軍の舞台で活躍する選手の育成に励んでいる。

     ノックバットを持ちながら現役時代と同じ、赤いソックスを見せるクラシックスタイルで練習を見守る。グラウンドでの外野ノックでは、大きな声を出して選手を盛り上げ、明るい雰囲気を作り出す。昨季限りで現役を引退。今季から2軍外野守備走塁コーチを任され、新たなスタートを切った赤松コーチは「サポートという(意味合いの)方が大きい。技術もないし、うまく教えることもできていない」と苦笑した。

     2008年に阪神から広島に移籍。自慢の守備や走塁でファンを魅了した。16年オフには胃がんが発覚。苦しい治療、そしてリハビリ生活を乗り越え、グラウンドに戻ってきた。15年間の現役生活を経て、新たに迎えた指導者としての日々。「選手ファースト、選手ありきのコーチ」。上から目線での指導ではなく、あくまでも選手目線で接していくことを心掛けている。

     選手育成において必要だと思っているのは「試せる場」の提供だという。「プロに入ってきて、能力を試せない選手がいる。練習で評価されて、自分を試せない選手がいる。“試せる場”(を与えること)がベスト」。自身も俊足を武器にプロの世界を生き抜いてきた。選手にはそれぞれ特長があり、それを伸ばす環境作りをしてあげることもコーチの役目だと考えている。

     同時に説くのは「基本」の大切さだ。「(選手は)少年野球で、キャッチボールの基本や打撃での(基本である)左足のステップは教えられるんです。でも本人は忘れていく、応用に行こうとする」。例えば走塁に関して、スタートしなければいけない状況でしない選手がプロには普通にいるという。おろそかになりがちな“基本”だが、赤松コーチは重要視し、徹底させることを貫く。

     担当部門でもある走塁に関しては「成功率を高めていこう」と呼びかけている。コーチ1年目で「毎日が勉強」と先輩コーチから指示の送り方などの助言を受ける。東出2軍打撃コーチからは「バッティングも教えていいから」と言葉をもらった。「いいチームワークだと思う。選手に、そういうのは伝わりますから」とうなずく。

     背番号93のユニホームを着て、若鯉たちへ情熱を注ぐ毎日。選手を尊重し、耳を傾けながら“最高のサポート役”を目指していく。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200405-00000016-dal-base

     昨季限りで現役を退き、今季から指導者に転身した広島・赤松真人2軍外野守備走塁コーチ(37)。2016年オフに胃がんを発見、切除手術と半年に及ぶ抗がん剤治療を受け、再びグラウンドに戻った。第2の人生を歩み始めた男は今、何を思うのか。

     コーチとして臨んだ初めての春季キャンプは、悪戦苦闘の毎日だった。

     「まだ土俵にも立てていない。『ノックも打てない、教えることもできないだろうな』。そういうイメージの通りでしたね。自分のバットをボールに当てるだけなのにそれが難しいんです」

     だがプロで13年間、メシを食った経験は伝えられる。「まず『何のためにプロに入ったの?』と問いかけます。プロ野球選手として活躍したい、お金を稼ぎたい。いろいろあるが、じゃあ、そこに向かってやろうよと。その基本が薄れてしまう。僕、今年で(クビが)危ない選手には『ラストイヤーじゃないのか? ここでがむしゃらに一度、あがいてやってみたら?』とずっと言っています。それがもしかしたら、いい思い出になるかもしれないし」。

     好例が中村恭平投手(30)。昨季は中継ぎでキャリアハイの43試合に登板した。「彼、去年でほぼクビだったと思います。それで一昨年オフからガンガンウェイトトレーニングをして鍛えまくった。そうしたら球速が155キロぐらいまで出た。そういうこともあるワケで。一度すべてをぶち壊すくらいの練習量を課せたからこそ。そこで何が起こるか分からないくらい、あがいてクビだったら、納得して辞められると思います」。

     そこまで自分を追い込まないまま戦力外通告を受け、12球団トライアウトでも拾ってもらえず、社会人や独立リーグで野球を続ける選手もいる。

     「『なんでプロ野球選手の間にもっと死に物狂いでやらなかったの?』と思ってしまう。僕が見た限りでいえば、そこまで練習していない人がその道をたどっていることが多い。まず『野球が好きでレギュラーになって稼ぐ』という基本を忘れちゃダメ。忘れてくると『何のために頑張ってるの?』となってくる。それを冷静に客観視して伝える。僕は今、それしかできませんから」

     ■「自分が後悔しない人生を歩まないと」

     自身は04年ドラフト6巡目で阪神に入団。新井貴浩のFA補償で08年から広島に移籍後、堅守が輝いた。翌年は球宴に外野手部門でファン投票選出。10年にはDeNA・村田の打球をフェンスによじ登り好補したプレーが、米野球界でも脚光を浴びた。すべては健康な体があってこそだった。

     「若手に『明日から病気になったら嫌だろ?』と聞いたところで、それは想像でしかないですからね。当たり前のように野球していたのが、当たり前にできなくなる。若い選手はたらふくご飯を食べられるけど、それができないしんどさがあります。摂取カロリーが消費カロリーに追いつかない。その分、オーバーヒートしますが、病気をしないと気づかない」

     “がんサバイバー”は現場に復帰し、今春キャンプでは若手とともに朝から夜まで汗をかいた。体力面は大丈夫なのか。

     「どうですかね、倒れるかもしれませんけど。それくらいの気持ちでやっています。自分が後悔しない人生を歩まないといけない。ただ、何もせずには倒れたくないんです。悔いが残りますから。若手をサポートしてから倒れたいし、できるようになりたい。これだけ野球をやれて注目を浴びたわけですから、その恩を返さないと。プロのコーチになれるなんてひと握り。やれるときにやっておかないと、という気持ちは強いですね」(山戸英州)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000000-ykf-spo

     「広島2軍春季キャンプ」(5日、沖縄)

     移籍2年目を迎えた長野久義外野手が早出特守に参加した。赤松外野守備走塁コーチの指導の下、約1時間、みっちり汗を流した。水本2軍監督もグラウンドに現れると、「チョーさんが早出やっとる!」と舌を巻いた。


     菊池涼、小窪らと並んだランチ特打でも鋭い打球を連発。今季は左翼の定位置を野間らと争う。温暖な気候の沖縄でベテランの仕上がりは上々のようだ。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000138-dal-base

     昨季限りで現役引退し、今季から広島の2軍外野守備・走塁コーチに就任した赤松真人コーチ(37)が10日、東京・銀座のひろしまブランドショップ「TAU」で行われたトークショーにゲスト出演した。

     京都府出身の赤松コーチは、平安高、立命館大を経て2005年にドラフト6巡目で阪神に入団。その後、08年にFA移籍した新井貴浩(現スポニチ本紙評論家)の人的補償として広島に移籍した。持ち前の俊足と強肩で外野手として活躍した赤松コーチを一躍有名にしたのが、10年8月4日にマツダスタジアムでの横浜戦で、村田修一が放った本塁打性の飛球をフェンスによじ登っての好捕。米国でも衝撃プレーとして取り上げられるなど、世界に名をとどろかせた。

     しかし、25年ぶりのセ・リーグ優勝した16年オフに胃がんを公表し、翌17年1月5日に胃の半分を切除する手術を行い、その後は抗がん剤投与など治療やリハビリをこなし、18年春季キャンプに参加、1軍復帰に向けトレーニングを重ねてきたが、昨季限りで現役を引退した。

     来場者から花束を受け取った赤松コーチは昨年9月27日に行った引退セレモニーに関して「実は僕が球団に(セレモニーを)やらなくていいですと言ったんです。実際に凄い成績を残した選手でもなかったし。でも、病気になってから声援してくれた全国のファンの人たちに最後の姿を見せるためにはいい場所だと思ったんです。やってみて凄く良かったですね」と話した。

     続けて、引退を決意した理由を聞かれると「引退って言ったら格好良いんですけど、引退じゃないんです。力及ばずなんです。1軍にはいない、いても試合にほぼ出ないのであれば、身を引くべきだと思います。あと1年できたかもしれませんが、そうなると1人の選手が枠に入れなくなる訳で、自分から引退するって言いに行きました」と説明した。

     今後は2軍外野守備・走塁コーチとして後進の育成に携わることになるが「野球選手にとって、やりがいのある仕事だと思います。コーチ業って皆さんが思っている以上に体力を使うんで、選手あがりの方がやりやすいと思います」と、現在はノックを打つための練習を行っているという。

     最後に来場者に対して赤松コーチは「今後、コーチ業をしますが、たぶんコーチングという(ような)大きなことを言えないと思います。しっかりとサポートをして選手の意見を聞き、やりやすい環境を作ってあげることに重点をおいてきたいと今年は思っています。年ごとに僕もレベルアップしていきたいですし、ファンの方々にもレベルアップしていただき、諦めない心で今後も野球を、そしてカープを応援していただければありがたいですね」と、熱いメッセージを送った。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200110-00000209-spnannex-base

     今年も多くの選手がユニホームを脱いだ。第二の人生へ歩み出す男を紹介する。

     広島・赤松は2軍外野守備走塁コーチに就任した。16年オフに検査で胃がんが発見。以降の出場は、引退セレモニーを兼ねた今季の最終戦の1試合のみに終わった。「後悔はもちろんある。でも病気になって気づかされた部分の方が多い」。同じ病に苦しむ人々を鼓舞するプレーは「できなかった」と振り返る。だが今後は一芸に秀でた“赤松2世”を育てることでファンを勇気づけていく。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191230-12290277-sph-base

     広島のドラフト2位・宇草孔基外野手(22)=法大=が8日、新入団選手会見(9日)に備えて広島入りした。背番号は今季まで赤松(現2軍外野守備走塁コーチ)が背負った38に決定。50メートル走5秒8を誇る韋駄天は“赤松魂”の継承を誓い、持ち味の積極的な打撃と快足で、アピールする。

     クリスマスツリーをバックに、宇草は武者震いした。背番号が38に決まり、「赤松選手が付けていた番号なので泥を塗らないようにしたい」ときっぱり。球団も「赤松のイメージがあった」と通算138盗塁の足のスペシャリストの姿と重ねており「チャンスがあればどんどん走っていきたい」と力を込めた。

     50メートル走5秒8。常総学院時代に出場したセンバツでは、大会最多タイの1試合5盗塁を記録した。スカウトが「(足の速さは)野間と同じぐらい」と舌を巻くほどの韋駄天だ。モットーは全力疾走。「気持ちのブレをなくすためです。打てても打てなくても。自分との戦いです」。プロでもスタイルを貫くつもりだ。

     カープには頼もしい存在がいる。広瀬外野守備走塁コーチは法大の大先輩。広島入団が決まると「おめでとう」とお祝いの言葉を贈られ、「ビシバシ鍛えていただきたいです」とカープ伝統の猛練習を志願する。

     広島を訪れるのは少年野球の全国大会に出場した小6以来、10年ぶり。「新幹線からマツダスタジアムが見えて、すごいなあと思いました」。当時、開場初年度のマツダで入場行進した経験もある。俳優・竹内涼真似と話題のイケメンルーキーが、本拠地を縦横無尽に駆け回る。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191209-00000045-dal-base

    【越智正典 ネット裏】11月8日、広島カープが菊池涼介のポスティング制度を利用した大リーグ挑戦を容認すると発表した。

     松田元オーナーが会見した。

    「(菊池涼が)FAをしなかった(11月1日)ことでうちに対する気持ちを貰った。アメリカでどうしてもやってみたい本人の気持ちを尊重した。ファンの皆様はショックかも知れないけれども、ずうーっと(カープで)やって来てくれたことに感謝している」。泣かせる会見だった。

     菊池涼の武蔵工大二高(校名改称前は信州工業)のときの監督大輪弘之は頬っぺたをそれこそリンゴのように赤く染めた。大輪は心打たれることやうれしいことがあると、頬を染める。

     先年早春、アメリカへ野球を見に行ったとき、A級のサリナスでメジャーへ這い上がろうとしている選手を見て来たが、帰国すると頬を染めていた。

    「コンビニに買い物に行くとレジの前に長い列が出来ていました。一人の少年がオカネを払うときでした。何か事情があったのでしょうか。コインを一つずつ出して並べて一生懸命計算していました。時間がかかりましたが大人たちは微笑み、じっと待っていました。教えられました」

     菊池涼が中京学院大に入学出来たときもそうだった。大輪は監督近藤正の許に何度も通っていた。菊池涼は大学時代は夜は牛丼店でアルバイト。「たのしくやってます」と聞いたときも、また、オフに武蔵工大二高の先輩、沼津の加藤学園の監督米山学に挨拶しに訪ねて来たと聞いたときもそうであった。

     米山は監督が内田俊雄(現拓大監督)のよき時代の亜細亜大の遊撃手。東都一のバントの達人。夜は東京西多摩郡日の出町の合宿所の庭で、各校投手の球を思い浮かべて“シャドウバント”をやり続けて来た。大輪は教え子が仲がいいのがうれしくてならないのだ。

     大輪は菊池涼が2011年にドラフト2位でカープに入団してから、何度か広島へ見に行っているが、教え子に入場券を頼んだことはない。広島の知人が持っているボックス席の一席で見ていたが、このときは帰宅した彼は頬を染めていない。疲れが見えた。菊池涼が心配でならなかったのであろう。

     大輪は戦争末期の1943年に生まれ、戦後、東京都大田区下丸子で中学生。多摩川の土堤を上流のほうに歩いて行くと巨人軍多摩川グラウンド。丸子橋を渡れば巨人軍寮。野球が大好きになった。駒沢球場が開場すると、自転車で東映フライヤーズを見に行った。

     専修大京王高、亜大。信州工業に赴任。脳腫瘍の手術後、左手で字を書くリハビリ。ノックを打つためだ。監督生活42年。退職すると長野朝日放送の高校野球の解説者に迎えられた。長嶋三奈さんと一緒だった。夏の大会が近づくと県内各校の下見に行った。みんなに信頼されたが、一昨年自ら申し出て退いた。散れない連中が多いなかで潔い男だ。今は悠々自適。長野県塩尻市の町内会の当番をしている。

    「心配だったのは菊池がFAをすることでした。育てて下さった大恩ある広島に失礼になるからです。おかげさまでトラブルもなく発てそうです。ありがたいです」 =敬称略=



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191130-00000006-tospoweb-base

     広島・大盛穂外野手(23)が24日、健康診断を受けるためマツダスタジアムを訪れた。プロ1年目は育成選手ながら2軍でチームトップの109試合に出場し、同3位の16盗塁を記録。今月12日には支配下選手登録を勝ち取り、背番号59と発表された。鯉の韋駄天(いだてん)はプレミア12で大ブレークしたソフトバンク・周東のような足のスペシャリストを目指す。

     自慢の快足を武器に、大盛が2020年の1軍昇格を狙う。理想はプレミア12で一気に全国区となったソフトバンク・周東だ。自らと同じ育成からはい上がり、侍ジャパン入り。11日・オーストラリア戦で二盗、三盗を決め、同点のホームを踏んだ姿には、「メチャメチャ格好良かった。シーズンも25盗塁していた。ジャパンでも代走で活躍できる選手は少ないので」と目を輝かせた。

     50メートル5秒9。ウエスタン・リーグではチーム3位の16盗塁を記録。秋季キャンプでも広瀬外野守備走塁コーチからスタートの切り方や、足の運び方のレクチャーを受け、走塁への意識が一段と高まった。課題はスタート直後の加速だ。「リードをもう一歩、半歩取って帰塁もできるようにしたい」と意気込んだ。

     高いモチベーションでオフを迎える。今月12日に支配下登録を勝ち取り、背番号は59と発表された。この日は健康診断のため、マツダスタジアムを訪問。水本2軍監督に感謝を伝え、激励を受けた。

     大盛は「僕が目指しているのは走塁、守備で信頼される選手になること」ときっぱり。チーム盗塁数は16年の118個から17年112個、18年95個、今季81個と年々減少傾向だが、佐々岡新監督は「走る野球は原点」と語る。育成上がりの韋駄天が“鯉の周東”となって代走枠を果敢に奪う。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191125-00000041-dal-base

     広島は12日、18年育成ドラフト1位の大盛穂外野手(23)と来季の支配下選手登録を結んだと発表した。契約金1000万円、年俸500万円で背番号は未定。

     静岡・飛龍から静岡産大時代に進み、大学時代には首位打者を獲得し、同大学から初めてのプロ野球選手となった。、今季は2軍戦109試合に出場して打率2割4分8厘、1本塁打、11打点、16盗塁をマークした。

     大盛は「広島東洋カープに入団してから支配下登録されることを最初の目標にしていたので、大変嬉しく思います」と喜び、「まずは、球団の方々、今まで支えて下さった方々に感謝の気持ちをお伝えしたいです。ファームでは、たくさんの試合に出場させてもらい改善点なども明確になりました。本当のプロ野球選手としてのスタートラインに立つことが出来ましたので、自分の持ち味をどんどんアピールして、一軍の舞台で活躍できるように頑張ります。そしてお世話になった方々に恩返ししたいです」と抱負を語った。(金額は推定)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191112-00000196-spnannex-base

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