広島カープブログ

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    達川光男

    2018年度の野球指導者講習会(日本野球機構、全日本野球協会主催)の3日目(最終日)が14日、都内で行われ、元広島監督で前ソフトバンクヘッドコーチの達川光男氏(63)が、捕手のキャッチングを中心に実技指導した。巧みな話術でプロの実戦で使える技術を懇切丁寧に説明した。

    受講者が身を乗り出し、立ち上がって達川氏の足元、そしてミットの動きを目で追った。まず、最初に説明をはじめたのが、捕手としての基本中の基本、捕球姿勢についてだった。

    達川氏 ここには高校野球の指導者や審判の方などたくさん集まっていただきましたが、大切なことをお伝えしたいと思います。まず、キャッチャーの構えですが、最近よく目にするのが、アウトコースを要求した時に体ごとアウトコースに移動して、ミットを体の真ん中で構えることです。

    そう言いながら、達川氏はホームベースのアウトコースに体を寄せて見せた。受講者に分かりやすいように、ややオーバーに動いたため、ホームベース上はがら空き。そうした状況をつくった上で達川氏は言葉を続ける。

    達川氏 これでは、確かにピッチャーからすればアウトコースへの意識は強まりますが、極端なことを言えばボールが真ん中に寄った時には、ホームベース上を通過しているからストライクですが、審判からすれば(キャッチャーの位置からは外れた印象を受けるため)ストライクと言いづらくなるんですね。どうですか、審判の方もいらっしゃるから、どんな感想をお持ちですか?

    受講者の中にいた審判員は、達川氏が指摘した点に納得したように大きくうなずいた。つまり、最近のアマチュア球界の傾向として捕手が、極端にアウトコース、インコースに体を寄せている場面が散見される。審判からすれば、たとえストライクゾーンを通過しても、捕手の体の軸から外れた感覚があるために、ストライクと判定しづらいという指摘だった。

    達川氏 プロでは<1>アンパイアに見えやすいこと<2>ピッチャーに見えやすいこと<3>キャッチャーが捕球しやすいこと。この順番でキャッチングは考えないといけないんですね。

    非常に基本的なことだが、一流のプロに丁寧に説明されてはじめて理解できるポイントに、受講者は必死にメモを取っていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00446118-nksports-base

    都内で行われた野球指導者講習会で、元広島監督の達川光男氏(63)が熱く説いたのが、インコースのキャッチングだった。

    達川氏 パスボールで多いのは右打者のインコースです。これは非常に多い。なぜなら、左肘を横にスライドさせて捕球することに慣れているため、大きくインコースにそれたボールに対応できなくなるからです。それは、古田が悪いんです。古田が横使い(左肘を横にスライドさせるキャッチング)をやっていたから、みんながまねしたんです。

    ヤクルトの名捕手古田敦也氏の名前を意図的に出して、笑いを誘ってから、達川氏はテーマの核心に入っていく。

    達川氏 古田が悪いと言いましたが、彼は天才ですね。極端なインコースが来た時には、彼はちゃんと左肘を軸にミットだけ左に回してキャッチングしてるんです。これは天性のものがあるからできることです。

    左脇を締め、左肘を軸にして扇状にミットを動かして、右打者のインコースへのキャッチングの基本動作を何度も見せた。

    達川氏 基本はこうして、ミットを丸く円回転するように動かしてボールに対応することなんです。そうすれば、左の脇が開かない。必然的に脇が閉まった状態でキャッチングをすることができます。

    達川氏はプロ入りした若い時期に、プロ野球を代表する名左腕・江夏豊氏から、マシンを使って1カ月で10万球の捕球練習をするように言われていたという。

    達川氏 わしゃ、そろばんが得意だったので、すぐに計算したら1日、3300球。いっつも、3300球と言いながら、マシンやブルペンで球を受けてましたね。それで1カ月して江夏さんに、『なんぼ受けた』って言われて『10万には行きませんでした、7万です』って返事したことを覚えています。でも、それで、捕球の基本が体に染み付いたとは言えますね。

    楽しそうに話す達川氏の言葉と、パスボールをしないための必須の技術が加わり、受講者の熱気は60分間、最後まで冷めなかった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00446134-nksports-base

    【赤ペン!!赤坂英一】「来季、広島で3番・丸の穴を埋めるのは会沢ではないか」――。他球団の首脳陣から、今季の躍進著しい赤ヘルの正捕手を警戒する声が聞かれる。今季は自己最多タイの106試合に出場、打率3割5厘、42打点、球団の捕手として史上最多の13本塁打をマーク。4200万円増の9200万円(推定)を勝ち取った契約更改では自分の主張だけでなく、選手会長として「選手の声を球団に伝えた」と、中心選手としての自覚も十分だ。

     今年までソフトバンクのヘッドコーチを務め、交流戦と日本シリーズで広島と戦ったOB・達川光男氏もこう絶賛する。「いまの会沢はセで一番の捕手じゃ。総合力では12球団トップと言うてもええかもしれん。年齢的にも30歳で、いろんな経験を積んどるし、捕手としては今が旬。まさに脂が乗りきっとる。その上、あれだけの打撃力を持っとるんじゃからな」

     達川氏が言うように、会沢のパンチ力は二軍での下積み時代から折り紙付き。石原、倉に次ぐ3番手捕手だった2012年には、ベンチに置くのはもったいないからと、野村前監督に外野にコンバートされそうになったこともあったほどだ。

     来季、丸の抜けた3番を打ちそうなのは、実績からいえば松山、バティスタ。伸びしろを買うとすれば、今季自己最多の447打席に立ち、打率2割8分6厘、5本塁打、46打点を挙げた野間。首脳陣には、今季25試合で1番を打った経験を生かすため、「来季は野間を1番に固定して、1番だった田中を3番に格上げする手もある」との意見もあるという。

     あるセ球団のコーチも広島の“丸抜き19年型打線”を警戒している。「田中を丸に代わって3番に入れるのなら、会沢が5番に据えられる可能性もある。そうすると、松山、バティスタら一発のある打者を下位のポイントゲッターにできる。“恐怖の6~7番”ですよ。これで8番あたりに安部や西川が入ったら、長打もあるし、つなぎもできる。相手にとっては実に嫌な打線になる」

     広島では巨人に移籍した丸に続き、菊池涼も先日、来オフにもポスティングでメジャーに移籍したいと球団に直訴した。が、来年に限れば、チームの地力ではまだまだ巨人に引けを取らない。4連覇する可能性も十分ある、と私は思う。そのカギを握っているのが“打てる正捕手”会沢なのだ。

     あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。日本文藝家協会会員。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-00000034-tospoweb-base

     毎年恒例となっているメープルヒル病院(広島県大竹市)の「カープもちつき・クリスマス会」が11日、同病院で行われ、広島の磯村、飯田、庄司の3選手と、安仁屋宗八氏、達川光男氏らカープOB、植田1軍バッテリーコーチ、歌手の南一誠ら13人が参加した。

     「もちつき・ぜんざい会」では選手が力強くもちをつき、安仁屋氏から「庄司はしっかり腰が入っているね」とお褒めの言葉も。同病院の患者、併設の介護老人保健施設「ゆうゆ」の入所者ら約60人と、一般参加者約100人にできたてのぜんざいが振る舞われた。

     続いて行われた「クリスマス会」では、カープクイズ大会や南一誠の歌の披露、託児所園児による踊り、選手からのプレゼント贈呈などがあった。

     磯村は「たくさんの方に応援していただき、来年も頑張ろうという気持ちになった」と笑顔。飯田は「来年は(1軍で)活躍して、またここに来たいです」と話していた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181211-00000079-dal-base

     広島の会沢翼捕手(30)が26日、2年連続2度目のベストナインに選ばれた。球団捕手の2年連続受賞は初。リーグ4連覇と35年ぶりの日本一を目指す来季。攻守で今季と同様の存在感を示し、3年連続受賞を目指す。


     秋空の下で届いた吉報に、会沢の表情が崩れた。扇の要としてリーグ3連覇に貢献した今季。球団捕手としては初めてとなる2年連続でベストナインに選出された。「来年もまた頑張ろうという気持ちになる。3、4年続けての受賞?目標にしていきたい」と声をはずませた。

     他球団がうらやましがる「強打の捕手」として存在感が光った。バットでは13本塁打を放ち、65年ぶりに球団捕手の本塁打記録を更新。96安打、42打点はいずれも自己最多だ。

     「まわりの支えがなかったら、こういう賞は取れなかった」。周囲に感謝の言葉を並べる一方、自身は選手会長としてチームをまとめた。責任感が強い人柄。個人個人で食事に誘いながら、気になったことは助言した。攻守に置いて整理事項は多い。それでもチームのために献身的に声をかけた。

     来季、リーグ4連覇と35年ぶりの日本一という目標を掲げる。悲願を達成すれば、球団では達川光男に並んで最多タイとなる3度目のベストナイン受賞が見えてくる。

     「もう1つ上のランク(日本一)に行きたいと思う。そこが最終的な目標なんだから」。来季も担う選手会長の重責。プレー面でもチームを引っ張り、頂点を目指す。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00000029-dal-base

     初めてCSのMVPに輝いた柳田が一夜明けて、改めて故郷広島で開幕する日本シリーズに向けて気合を入れた。

     昨年はソフトバンク、広島ともリーグ優勝を果たしたものの、広島がCSで敗れただけに、思いはひとしおだ。22日午前中の飛行機で福岡へ。ファイナルS5試合で打率4割5分、2発、8打点をマークした4番は「(マツダスタジアムは)なかなか行けないんでね。みんなも見に来てくれると思う」と特別なシリーズへ思いをはせた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181023-00010006-nishispo-base

     ソフトバンクの達川光男ヘッドコーチ(63)が5日、引退を表明した広島・新井貴浩内野手(41)をねぎらった。

     新井のルーキーイヤーから2年間、監督として指導。初めてのキャンプで見た際は、ファウルチップばかりの新井に対して「どうしてプロ野球に来たんかなという感じだった」と懐かしそうに回想。「3年でクビになると思っていたけど、20年。2000安打も打って。強みは体が強かったことと、痛みにも強かったこと」。努力を惜しまなかった41歳に敬意を表した。

     「ここまで20年間、ようやったのぅ」と広島弁でねぎらい、「色んな経験をしてきた。2軍からたたき上げの人間だから、指導者になってほしい」とプロ野球界の将来をたくした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00000132-spnannex-base

     元広島の川島堅さん(48)は、一部メディアで「甲子園史上最も美しいフォーム」と称された。東亜学園2年の秋にブロック予選で敗退した後、自ら試行錯誤を重ねてつかんだものだった。


     川島さん(以下、敬称略) 2年と3年では投げ方がまったく違います。2年の時は力任せで投げていました。野茂さんほどではないけど、打者に背中を向けていました。

     夏の大会も近づいた5月にアクシデントがあった。浦和学院との練習試合に登板した際、右手中指の筋を伸ばして投げられなくなってしまった。

     川島 投げているときにブチッとなりました。もうボールが握れない。本来なら最後の投げ込みをする時期に、1カ月半ぐらい投げられなかった。投球再会は6月後半…もう大会の直前でした。ぶっつけ本番ですね。

     不安を持って最後の大会を迎えた。

     川島 そうですね。でも、もう3年生だったし、負けたら引退するだけ。それほど深くは考えていませんでした。この時はプロに行くという気持ちも、まったくありませんでしたから。進路ですか? 大学でもやれたらいいかなと思っていたぐらい。監督が東洋大出身だったので、東洋かな。でも東都の強豪で通用するかな。試合に出られなかったらつまらないな。そんなことを考えていました。

     前年の経験から体力温存を重視した。2年夏の西東京大会は、背番号11ながら主力投手として奮闘した。全6試合のうち5試合で完投と、ほぼ1人で投げきった。優勝はしたものの、最後はバテてしまった。

     川島 3球勝負で球数を減らした。三振を狙ったわけではなく、どんどん勝負にいっただけ。下位打線にはど真ん中に投げていましたからね。言い方は悪くなりますが、抜いて投げることもありました。前年は6試合。この年はノーシードで7試合だから、さらにきついと思っていた。準決勝の日大三にピークを持っていこうと。そこまでは少々打たれても、要所を抑えて勝てればいいと考えていました。

     久留米西との4回戦では3点を失った。日本学園との5回戦は、1発を浴びて先行を許した。終盤に逆転して2-1で勝利した。

     川島 抜きすぎたところもあったかな。久留米西に3点を取られたけど、結局、甲子園の準決勝まで3失点以上はこれだけでした。あとは全部2点以内に抑えました。

     日大三の準決勝は圧巻だった。

     川島 一番本気で投げました。ほとんどヒットを打たれていないんじゃないかな。

     わずか3安打で完封。11三振を奪い、三塁を踏ませぬ投球だった。決勝では東京菅生(現・東海大菅生)を6-1で破り、2年連続の甲子園出場を決めた。

     圧巻の投球は甲子園でも続いた。

     ◆1回戦 2-1伊野商(高知) 9回111球6安打7奪三振0四球1失点1自責

     ◆2回戦 3-2金沢(石川) 9回139球6安打14奪三振0四球2失点1自責

     8月16日に東東京代表の帝京・芝草宇宙(ひろし)投手が、東北戦でノーヒットノーランを演じた。東亜学園の3回戦は、その翌日に行われた。

     ◆3回戦 3-0延岡工(宮崎) 9回96球6安打7奪三振0四球1失点1自責

     川島 この頃が一番調子がよかったですね。準々決勝の相手は抽選で決めたのですが、キャプテンに「PL学園を引いてきて」と言ったぐらいです。「今なら、勝てずともいい勝負ができる」と。どうせならセンバツ王者のPLとやりたかったし、負けても胸を張って帰れるでしょう。でも、対戦できませんでした。

     PL学園は立浪和義主将を軸に、エース野村弘(弘樹)投手、片岡篤史選手らを擁し、この年のセンバツを制していた。結果的に春夏連覇を果たす。

     ◆準々決勝 3-0北嵯峨(京都) 9回108球3安打14奪三振1四球0失点0自責

     この試合、甲子園で初めて四球を出した。8回2死から8番打者に対し、カウント3-2から外れた。甲子園での無四球は34回2/3で止まった。122人目の打者、441球目の初四球だった。

     川島 無四球は意識しました。そこまでいくと騒がれますので。ただ、四球を出した選手は試合前に監督と「今大会のラッキーボーイかもしれない。要注意が必要」と話していたんです。だから厳しくいった結果でした。

     ◆準決勝 1-2×常総学院(茨城) 9回0/3 152球6安打5奪三振2四球2失点2自責

     同点で迎えた延長10回裏。常総学院の先頭、島田直也投手に右前打を浴びた。続く仁志敏久選手を遊ゴロに打ち取るも、遊撃手が一塁へ悪送球した。一塁走者の島田投手が一気にサヨナラのホームに返った。

     川島 もうヘロヘロでしたね。6回ぐらいから肩も上がらなくなっていた。いっぱいでした。

     西東京大会、甲子園を通じて川島さんの名前は高まった。進路を考える時期がきた。

     川島 全日本の遠征でチームメートと話しているとき「お前、ドラフト1位だな」と言われて、そうなのかなと。

     当時の新聞を振り返ると、川島さんは在京セ・リーグの希望を口にしている。ただ、同年の目玉には立大の長嶋一茂選手がいた。在京セのヤクルト、大洋(現DeNA)は長嶋選手に狙いを定めたと報じられていた。

     川島 在京セとは言っていたけど、一茂さんがいたので無理だと思っていました。広島、阪神、近鉄が熱心に誘ってくれていました。ただ、広島には行ったことがなかったのでイメージが沸かなかった。行ったことがある大阪だろうと思っていました。

     11月18日のドラフト会議では広島、阪神、近鉄の3球団から指名され、抽選の末に広島入団が決まった。

     ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇

     当時の広島は投手王国だった。大野豊投手、北別府学投手、川口和久投手、抑えには津田恒実投手もいた。

     川島 大野さん、北別府さん、川口さん、長富さん、清川さん、紀藤さん、金石さん、川端さん、白武さん、津田さん…すごい人ばかりだった。私のことなんか獲得する必要があったのかなと思った。もう入る余地なんてないですよ。1軍は雲の上の存在でした。当時は野手も含めて1、2軍の入れ替えも少なくて、入れるわけがないと思っていました。

     だが、1年目の8月13日に1軍昇格の機会が巡ってきた。金石投手が肘を痛めてことによる入れ替えだった。

     川島 2軍は広島市民球場でデーゲームでした。そこで首脳陣に「お前、1軍に上がりたいか」と聞かれて「はい」と答えた。そうしたら「じゃあ、このまま夜も残れ」と言われました。ナイターで1軍の試合だったんです。

     そこまでウエスタン・リーグで4勝6敗、防御率3・33の成績を残していた。昇格時、当時の阿南準郎監督が「最初は楽な場面で投げさせたい」とコメントしているが、なかなかその場面は巡ってこなかった。

     川島 1軍には上がったけど、しばらく登板の機会はありませんでした。敗戦処理が役目ですが、ピッチャーがいいから試合が壊れないから出番がない。一番下なので雑用係とブルペンで投球練習するだけの毎日でした。

     1軍昇格から約1カ月は出番のない試合が続いた。チャンスは9月16日に訪れた。高校時代に慣れ親しんだ甲子園での阪神戦。川島さんは球場に到着して、忘れ物に気付いた。コンタクトレンズだった。プロに入り、ナイターで捕手のサインが見えにくいと感じて使うようになった。

     川島 忘れたと気付いたけど黙っていました。その日の先発は大野さんでしたから、どうせ出番はないだろうと思ったんです。でも、その日に限って大野さんが打たれて、ブルペンに「次の回いくぞ」と電話がきた。

     先発の大野投手が4回途中6失点でKOされた。この回は紀藤投手が後続を断ち、次の5回から川島さんがマウンドに上がった。

     投球練習を終えると、達川光男捕手がサインを打ち合わせるためにマウンドまできた。

     川島 そこで打ち明けました。達川さんに「すみません。今日コンタクトを忘れました」と言ったら「バカタレ!」と怒られた。でも、すぐに「よっしゃ、分かった」と言って戻っていった。何が分かったのかなと思っていたら、おなかの前で大きくサインを出してくれました。すごい見やすいんですよ。

     達川捕手といえば、ホーム付近でコンタクトレンズを落として探す姿がテレビ番組の珍プレーで取り上げられていた。その達川捕手に、コンタクトレンズのことで叱られた。

     川島 達川さんは本当に頭のいい方ですよね。一瞬で「よし分かった」ですから。1回を抑えてベンチに戻ったら「大野だって打たれるんじゃ。きっちり準備をしておけ」と怒られました。

     1年目は未勝利に終わったが、2年目の1989年(平元)に初勝利を挙げた。4月29日、やはり甲子園での阪神戦だった。9回5安打1四球で1失点の完投勝利だった。

     川島 この時も達川さんのおかげです。ブルペンで調子が悪かったんですが、達川さんは「あまりよくないな」と言った後で「よっしゃ、任せておけ」と言ってくれた。もうサイン通りに投げるだけでした。それまでは内容がよくても勝てなかったのに、この日は調子が今イチで勝てました。

     ただ、この時の不調は長引いた。初勝利の後、中4日で5月4日のヤクルト戦(広島)に登板すると、4回1/3を7安打3失点で途中降板した。さらに同18日の阪神戦(広島)は1回1/3を4安打3四球の6失点でKOされた。

     川島 初勝利の後で中4日ですよね。なかなか球が走らなかった。この年から山本浩二さんが監督になって、キャンプから競争が激しかった。私も飛ばしていたんで、もうヘロヘロになっていていたんでしょう。結局この年は1軍と2軍を行ったり来たりでした。

     この年は8月6日にもう1度先発している。先発予定だった北別府投手が右肩の異常を訴えて回避したため、緊急的な昇格で先発した。だが、4回5安打3失点で降板となり、チャンスを生かせなかった。

     翌90年は1軍に入れなかった。結果を残せず、首脳陣からフォーム変更を指示された。高校時代、「甲子園で最も美しい」と評されたフォームだったが、プロでは欠点と評された。

     川島 プロとすれば迫力に欠けていたのでしょう。「このままじゃ終わってしまうよ。イメージを変えないとダメだ」と言われて、スリークオーターで投げるようになりました。

     高校時代からの力みのないフォームは理想的に見えるが…

     川島 結果が出れば何も言われないんですよ。でも、結果が出ていないから仕方がない。言われたらやるしかなかった。

     フォームを変更して2カ月ほど過ぎた5月中旬、川島さんの右肘に異変が起きた。(つづく)【飯島智則】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00261800-nksports-base.view-000

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