広島カープブログ

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    達川光男

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    <ドラフト名場面:セ・リーグ編>

    17日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の「セ・リーグ名場面」を振り返る。



    <ドラフト喜怒哀楽>

    ◆広島 99年に3球団競合で河内貴哉(国学院久我山)を引き当てた達川監督は、松田オーナー代行にもらったお守り代わりのたばこ「ラッキーストライク」を上着の左ポケットに入れていた。交渉権を獲得すると、たばこの箱を取り出し喜びをアピール。

    ◆広島 13年1位で3球団競合の末、大瀬良大地(九州共立大)を引き当てた。阪神和田監督、ヤクルト小川監督にはさまれながら当たりを引いたのは田村恵スカウト。「交渉権確定」の印を確認するとガッツポーズを見せ、眼鏡の奥の瞳を潤ませた。大瀬良は「テレビで田村さんの姿を見ていると、カープがとってくれるんじゃないかと思いました」。まだ無名だった長崎日大3年から見続けてくれた担当スカウトとの縁は深かった。

    ◆ヤクルト かつては相馬和夫元球団社長がくじに強く、社長就任以前から82年荒木大輔(早実=2球団)83年高野光(東海大=4球団)84年広沢克己(明大=3球団)と3年連続で当てると、社長就任後の85年伊東昭光(本田技研=3球団)87年長嶋一茂(立大=2球団)も交渉権獲得。くじを左手で引くことから「黄金の左」と呼ばれた。

    ◆ヤクルト 10年の抽選連敗は吉と出た? 1位の抽選で小川監督が4球団競合の斎藤佑樹(早大)を外した。再入札で楽天と塩見貴洋(八戸大)を争い、これも外して2連敗。3度目の山田哲人(履正社)もオリックスと抽選になり、ようやく交渉権確定となった。小川監督は17年も清宮幸太郎(早実)の抽選に敗れたが、外れ1位で抽選勝ちした村上宗隆(九州学院)が大ブレーク。

    ◆ヤクルト 15年、高山俊(明大)を巡り抽選で阪神と一騎打ち。開封と同時に真中監督は雄たけびを上げ、ガッツポーズを繰り返した。阪神金本監督は、自分のくじを確認しないまま苦笑い。ところが「交渉権確定」の印字があったのは、金本監督のくじだった。真中監督は、NPBマークを当たりだと勘違い。これをきっかけに、外れくじには印字をしないようになった。

    ◆巨人 73年1位指名は、全日本大学選手権で早大を完封した下手投げの小林秀一(愛知学院大)。当時は指名順を抽選で決め、巨人は10番目で江川卓(作新学院)を待っていたが、6番目の阪急に指名されてしまった。そこで急きょ小林となったが、熊谷組への就職が内定していた小林は将来教員になる夢もあり、プロ入りには消極的。結局、1位指名選手に入団を拒否される失態となった。巨人の1位指名拒否はこの1件だけ。

    ◆巨人 92年、13年ぶり監督復帰の長嶋監督が松井秀喜(星稜)を引き当てる強運を発揮した。阪神、中日、ダイエーと4球団競合。最後にくじを引いた長嶋監督が封筒を開けると、右手の親指を立てて満面の笑み。松井は13年、長嶋監督と一緒に国民栄誉賞を受賞している。

    ◆巨人 09年1位で「巨人愛」を貫いた長野を指名。長野は日大時代の06年大学・社会人ドラフトで日本ハム4巡目を拒否。ホンダでは08年ロッテ2位を断っていた。晴れて入団にこぎつけ、新人王、首位打者、最多安打と期待通りの活躍。だが、これも運命か、FA加入した丸の人的補償で広島へ移籍した。

    ◆DeNA 大洋時代の69年、巨人とアトムズ(現ヤクルト)以外には行かないと表明していた荒川尭(早大)を1位指名。拒否した荒川が70年1月、2人組の暴漢に襲われ後頭部を強打する事件が起きた。荒川は交渉期限が切れる同10月、大洋入団。すぐにヤクルトへ移籍するトレード前提の入団となり、開幕から1カ月出場停止処分を受けた。殴打事件の影響からか左目の視力低下に悩み、5年限りで引退した。

    ◆DeNA 88年1位は高校生捕手の谷繁元信(江の川)。夏の島根大会では5戦連続で計7本塁打を放っていた。当時の木庭取締役スカウトは「社会人を通じてもNO・1。ことにキャッチングがうまい。大洋では土井(淳)以来の逸材」と絶賛。「日本一のキャッチャーになりたい」と目標を語った大型ルーキーに対し、捕手では珍しい背番号1が用意された。

    ◆DeNA 89年1位で佐々木主浩(東北福祉大)を強行指名した。持病の腰痛もあり、社会人のヤマハ入りを決意していた佐々木は、1位で指名されても拒否を表明。だが、東北高の先輩、若生取締役スカウトらの熱意ある説得で最終的に翻意。「ハマの大魔神」は日米通算381セーブで殿堂入りした。

    ◆中日 68年、1位で指名した星野仙一(明大)は巨人入りを熱望していた。巨人が指名したのは島野修(武相)。星野は「島と星が違う!」と怒り、打倒巨人へ燃える男となった。

    ◆中日 与田新監督が昨年、4球団競合の根尾昂(大阪桐蔭)を引く強運。4球団の最初に抽選箱に右手を入れた。下から2つ目の封筒を引き上げ、開封を待った。「いくつか触って、感覚でこれだ! と思って引いた」。現役時代にストッパーとして修羅場をくぐってきた勝負強さを発揮した。

    ◆阪神 04年、ドラフト史上最年少となる15歳の辻本賢人投手(米カリフォルニア州マタデーハイスクール)を8巡目で指名。辻本の自宅は兵庫県。メジャーを含む9球団が関心を示す中、星野仙一オーナー付シニアディレクターが「そんなに有望な選手は地元の球団が支えなアカン」と獲得指令を出した。

    ◆阪神 12年甲子園で春夏連覇した大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎を1位で指名。4球団競合の末、和田監督が引き当てた。阪神は85年清原から1位の抽選で12連敗中。和田監督らはドラフト当日、都内の神田明神で3万円を投じて祈念。「良縁祈願」のお札をドラフト会場の控室に飾り、担当記者にお守りを配った。夏の甲子園優勝投手が阪神入りしたのは59年金子哲夫(西条)以来となった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191005-09260481-nksports-base

    ◆ 注目集まる“ポスト緒方”の行方

     セ・リーグ4連覇を逃し、最後の最後で阪神にまくられてリーグ4位に終わった2019年の広島。セ・リーグの全日程が終了して4位が確定した翌日の10月1日、5年間チームを率いてきた緒方孝市氏は監督の座から退くことを発表した。


     2015年に前任の野村謙二郎氏からチームを引き継ぎ、2016年に25年ぶりのリーグ優勝を達成。そこから3年連続でリーグ制覇を成し遂げた。この期間は憎らしいほどの強さを発揮してセの他球団を圧倒。ちなみに、リーグ連覇は37年ぶり、3連覇は球団初の快挙だった。


     V逸に加えてのBクラス転落ということもあって、早々にチームの立て直しに動き始めた広島。やはり注目が集まるのは“次の監督”というところになるが、こちらも想像以上に早期決着を果たすかもしれない。

     4日、複数のメディアが佐々岡真司投手コーチに監督就任への要請があったことを報道。本人からのコメントも出ており、数日中にも結論が出るのではないか、との見方もある。ネット上では様々な後任候補の予想や希望が挙がっていたが、これで佐々岡氏が一躍“最有力候補”へ躍り出た。


    ◆ “投手出身監督”誕生なら球団53年ぶり!?

     広島の歴代監督を振り返ってみると、驚くほどに野手出身の監督が多い。そこであらためて振り返ってみると、1950年の球団創設以降、投手出身の監督は2人しかいなかったことが分かった。

     まず一人目は創設元年、初代監督に就任した石本秀一。1972年には野球殿堂入りも果たしている人物で、プロ野球計6球団で監督を務めた経歴を持つ名指導者だった。

     そして二人目が、1965年の途中から今で言う“監督代行”のような形で監督に就任した長谷川良平。170センチに満たない身長ながら広島一筋14年で通算197勝を挙げた球団を代表する大投手で、監督としては計3シーズン戦い、2年目の4位というのが最高成績だった。

     なんと、この長谷川を最後に、広島に投手出身の監督は出てこない。もし、佐々岡氏が来季の監督に決まれば、球団70年目にして史上3人目、実に53年ぶりの“投手出身監督”となる。

     約半世紀ぶりの人事は実現するのか…。今後の動向から目が離せない。


    ◆ 広島・歴代監督
    石本秀一(1950~1953途)=【投手】
    白石勝巳(1953途~1960、1963~1965途)=内野手
    門前真佐人(1961~1962)=捕手
    長谷川良平(1965途~1967)=【投手】
    根本陸夫(1968~1972)=捕手
    別当 薫(1973)=外野手
    森永勝也(1974)=外野手
    ジョー・ルーツ(1975途)=内野手
    古葉竹識(1975途~1985)=内野手
    阿南準郎(1986~1988)=内野手
    山本浩二(1989~1993、2001~2005)=外野手
    三村敏之(1994~1998)=内野手
    達川晃豊(1999~2000)=捕手
    マーティ・ブラウン(2006~2009)=外野手
    野村謙二郎(2010~2014)=内野手
    緒方孝市(2015~2019)=外野手



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00204902-baseballk-base

     プロ野球解説者で広島東洋カープの元監督・達川光男さんが、8月5日放送の人気バラエティー番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系、月曜深夜0時20分)に出演。「当たってないのに、当たったフリしちゃった先生」として授業を行う。



     達川さんは広島商業高校時代に夏の甲子園で優勝し、現役時代は広島東洋カープの正捕手としてチームを日本一に導き、ベストナインに3回、ゴールデングラブ賞に3回輝いた名プレーヤー。引退後は広島東洋カープの監督や、セ・パ両リーグでコーチを歴任した。輝かしい功績を残したが、実は現役時代、当たっていないのに当たったフリをして、何度もデッドボールを勝ち取っていたことを告白。その結果、名捕手というイメージよりも、“デッドボール”という印象がファンに定着し、“デッドボール達川”や“グラウンドの詐欺師”というニックネームまでついていたと明かす。


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00000045-mantan-ent

     野球解説者の達川光男氏(63)が12日、関西テレビ「快傑えみちゃんねる」(金曜後7・00)に出演。ソフトバンク・コーチ時代のエピソードを語った。

     達川氏は高校時代まで広島で過ごし、さらにプロ入りしたのは故郷を本拠とする広島カープ。根っからの広島人で、63歳になった今も当然のように広島弁で話し続けている。

     現役引退後は指導者として様々なチームを渡り歩いてきた。2017年には福岡を本拠地とするソフトバンクに一軍ヘッドコーチとして就任。2年連続の日本一に貢献している。

     しかし指導する時にはニュアンスが伝わりにくく、相当苦労したという。しかし、球界屈指のスラッガー・柳田悠岐だけは同じ広島市出身であったことから、感情を伝えやすかったと語り「おどりゃ柳田~!しっかり走れ、このバカ!!何してんだ~、われ~!」との檄(げき)に対しても「はい!」と素直に応えてくれたという。

     上記の檄(げき)は達川氏が説明するには、標準語にすると「柳田くん、キミ、そんな走り方じゃダメでしょ。しっかり走りなさいね」ということらしいが、広島以外の人が聞くとだいぶ怖い印象でとらえられるという。自身も2003年、阪神に一軍バッテリーコーチとして招へいされた時、大阪弁を聞いて同じ思いをしていただけに、気持ちは痛いほど分かっているようだった。

     それでもソフトバンク内での広島弁はかなりの不評だったようで、当時の選手会長・長谷川勇也(山形出身)には「(達川)ヘッド、もう僕たち“ゆとり世代”なので、そんな野蛮な言葉はやめてください」と言われてしまったという。広島弁は達川氏のキャラに欠かせないものにも思えるが、“指導者達川”にとっては、なんとも扱いにくい代物であるようだった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190712-00000204-spnannex-base

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