広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    達川光男

    <ドラフト名場面:セ・リーグ編>

    17日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の「セ・リーグ名場面」を振り返る。



    <ドラフト喜怒哀楽>

    ◆広島 99年に3球団競合で河内貴哉(国学院久我山)を引き当てた達川監督は、松田オーナー代行にもらったお守り代わりのたばこ「ラッキーストライク」を上着の左ポケットに入れていた。交渉権を獲得すると、たばこの箱を取り出し喜びをアピール。

    ◆広島 13年1位で3球団競合の末、大瀬良大地(九州共立大)を引き当てた。阪神和田監督、ヤクルト小川監督にはさまれながら当たりを引いたのは田村恵スカウト。「交渉権確定」の印を確認するとガッツポーズを見せ、眼鏡の奥の瞳を潤ませた。大瀬良は「テレビで田村さんの姿を見ていると、カープがとってくれるんじゃないかと思いました」。まだ無名だった長崎日大3年から見続けてくれた担当スカウトとの縁は深かった。

    ◆ヤクルト かつては相馬和夫元球団社長がくじに強く、社長就任以前から82年荒木大輔(早実=2球団)83年高野光(東海大=4球団)84年広沢克己(明大=3球団)と3年連続で当てると、社長就任後の85年伊東昭光(本田技研=3球団)87年長嶋一茂(立大=2球団)も交渉権獲得。くじを左手で引くことから「黄金の左」と呼ばれた。

    ◆ヤクルト 10年の抽選連敗は吉と出た? 1位の抽選で小川監督が4球団競合の斎藤佑樹(早大)を外した。再入札で楽天と塩見貴洋(八戸大)を争い、これも外して2連敗。3度目の山田哲人(履正社)もオリックスと抽選になり、ようやく交渉権確定となった。小川監督は17年も清宮幸太郎(早実)の抽選に敗れたが、外れ1位で抽選勝ちした村上宗隆(九州学院)が大ブレーク。

    ◆ヤクルト 15年、高山俊(明大)を巡り抽選で阪神と一騎打ち。開封と同時に真中監督は雄たけびを上げ、ガッツポーズを繰り返した。阪神金本監督は、自分のくじを確認しないまま苦笑い。ところが「交渉権確定」の印字があったのは、金本監督のくじだった。真中監督は、NPBマークを当たりだと勘違い。これをきっかけに、外れくじには印字をしないようになった。

    ◆巨人 73年1位指名は、全日本大学選手権で早大を完封した下手投げの小林秀一(愛知学院大)。当時は指名順を抽選で決め、巨人は10番目で江川卓(作新学院)を待っていたが、6番目の阪急に指名されてしまった。そこで急きょ小林となったが、熊谷組への就職が内定していた小林は将来教員になる夢もあり、プロ入りには消極的。結局、1位指名選手に入団を拒否される失態となった。巨人の1位指名拒否はこの1件だけ。

    ◆巨人 92年、13年ぶり監督復帰の長嶋監督が松井秀喜(星稜)を引き当てる強運を発揮した。阪神、中日、ダイエーと4球団競合。最後にくじを引いた長嶋監督が封筒を開けると、右手の親指を立てて満面の笑み。松井は13年、長嶋監督と一緒に国民栄誉賞を受賞している。

    ◆巨人 09年1位で「巨人愛」を貫いた長野を指名。長野は日大時代の06年大学・社会人ドラフトで日本ハム4巡目を拒否。ホンダでは08年ロッテ2位を断っていた。晴れて入団にこぎつけ、新人王、首位打者、最多安打と期待通りの活躍。だが、これも運命か、FA加入した丸の人的補償で広島へ移籍した。

    ◆DeNA 大洋時代の69年、巨人とアトムズ(現ヤクルト)以外には行かないと表明していた荒川尭(早大)を1位指名。拒否した荒川が70年1月、2人組の暴漢に襲われ後頭部を強打する事件が起きた。荒川は交渉期限が切れる同10月、大洋入団。すぐにヤクルトへ移籍するトレード前提の入団となり、開幕から1カ月出場停止処分を受けた。殴打事件の影響からか左目の視力低下に悩み、5年限りで引退した。

    ◆DeNA 88年1位は高校生捕手の谷繁元信(江の川)。夏の島根大会では5戦連続で計7本塁打を放っていた。当時の木庭取締役スカウトは「社会人を通じてもNO・1。ことにキャッチングがうまい。大洋では土井(淳)以来の逸材」と絶賛。「日本一のキャッチャーになりたい」と目標を語った大型ルーキーに対し、捕手では珍しい背番号1が用意された。

    ◆DeNA 89年1位で佐々木主浩(東北福祉大)を強行指名した。持病の腰痛もあり、社会人のヤマハ入りを決意していた佐々木は、1位で指名されても拒否を表明。だが、東北高の先輩、若生取締役スカウトらの熱意ある説得で最終的に翻意。「ハマの大魔神」は日米通算381セーブで殿堂入りした。

    ◆中日 68年、1位で指名した星野仙一(明大)は巨人入りを熱望していた。巨人が指名したのは島野修(武相)。星野は「島と星が違う!」と怒り、打倒巨人へ燃える男となった。

    ◆中日 与田新監督が昨年、4球団競合の根尾昂(大阪桐蔭)を引く強運。4球団の最初に抽選箱に右手を入れた。下から2つ目の封筒を引き上げ、開封を待った。「いくつか触って、感覚でこれだ! と思って引いた」。現役時代にストッパーとして修羅場をくぐってきた勝負強さを発揮した。

    ◆阪神 04年、ドラフト史上最年少となる15歳の辻本賢人投手(米カリフォルニア州マタデーハイスクール)を8巡目で指名。辻本の自宅は兵庫県。メジャーを含む9球団が関心を示す中、星野仙一オーナー付シニアディレクターが「そんなに有望な選手は地元の球団が支えなアカン」と獲得指令を出した。

    ◆阪神 12年甲子園で春夏連覇した大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎を1位で指名。4球団競合の末、和田監督が引き当てた。阪神は85年清原から1位の抽選で12連敗中。和田監督らはドラフト当日、都内の神田明神で3万円を投じて祈念。「良縁祈願」のお札をドラフト会場の控室に飾り、担当記者にお守りを配った。夏の甲子園優勝投手が阪神入りしたのは59年金子哲夫(西条)以来となった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191005-09260481-nksports-base

    ◆ 注目集まる“ポスト緒方”の行方

     セ・リーグ4連覇を逃し、最後の最後で阪神にまくられてリーグ4位に終わった2019年の広島。セ・リーグの全日程が終了して4位が確定した翌日の10月1日、5年間チームを率いてきた緒方孝市氏は監督の座から退くことを発表した。


     2015年に前任の野村謙二郎氏からチームを引き継ぎ、2016年に25年ぶりのリーグ優勝を達成。そこから3年連続でリーグ制覇を成し遂げた。この期間は憎らしいほどの強さを発揮してセの他球団を圧倒。ちなみに、リーグ連覇は37年ぶり、3連覇は球団初の快挙だった。


     V逸に加えてのBクラス転落ということもあって、早々にチームの立て直しに動き始めた広島。やはり注目が集まるのは“次の監督”というところになるが、こちらも想像以上に早期決着を果たすかもしれない。

     4日、複数のメディアが佐々岡真司投手コーチに監督就任への要請があったことを報道。本人からのコメントも出ており、数日中にも結論が出るのではないか、との見方もある。ネット上では様々な後任候補の予想や希望が挙がっていたが、これで佐々岡氏が一躍“最有力候補”へ躍り出た。


    ◆ “投手出身監督”誕生なら球団53年ぶり!?

     広島の歴代監督を振り返ってみると、驚くほどに野手出身の監督が多い。そこであらためて振り返ってみると、1950年の球団創設以降、投手出身の監督は2人しかいなかったことが分かった。

     まず一人目は創設元年、初代監督に就任した石本秀一。1972年には野球殿堂入りも果たしている人物で、プロ野球計6球団で監督を務めた経歴を持つ名指導者だった。

     そして二人目が、1965年の途中から今で言う“監督代行”のような形で監督に就任した長谷川良平。170センチに満たない身長ながら広島一筋14年で通算197勝を挙げた球団を代表する大投手で、監督としては計3シーズン戦い、2年目の4位というのが最高成績だった。

     なんと、この長谷川を最後に、広島に投手出身の監督は出てこない。もし、佐々岡氏が来季の監督に決まれば、球団70年目にして史上3人目、実に53年ぶりの“投手出身監督”となる。

     約半世紀ぶりの人事は実現するのか…。今後の動向から目が離せない。


    ◆ 広島・歴代監督
    石本秀一(1950~1953途)=【投手】
    白石勝巳(1953途~1960、1963~1965途)=内野手
    門前真佐人(1961~1962)=捕手
    長谷川良平(1965途~1967)=【投手】
    根本陸夫(1968~1972)=捕手
    別当 薫(1973)=外野手
    森永勝也(1974)=外野手
    ジョー・ルーツ(1975途)=内野手
    古葉竹識(1975途~1985)=内野手
    阿南準郎(1986~1988)=内野手
    山本浩二(1989~1993、2001~2005)=外野手
    三村敏之(1994~1998)=内野手
    達川晃豊(1999~2000)=捕手
    マーティ・ブラウン(2006~2009)=外野手
    野村謙二郎(2010~2014)=内野手
    緒方孝市(2015~2019)=外野手



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00204902-baseballk-base

     プロ野球解説者で広島東洋カープの元監督・達川光男さんが、8月5日放送の人気バラエティー番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系、月曜深夜0時20分)に出演。「当たってないのに、当たったフリしちゃった先生」として授業を行う。



     達川さんは広島商業高校時代に夏の甲子園で優勝し、現役時代は広島東洋カープの正捕手としてチームを日本一に導き、ベストナインに3回、ゴールデングラブ賞に3回輝いた名プレーヤー。引退後は広島東洋カープの監督や、セ・パ両リーグでコーチを歴任した。輝かしい功績を残したが、実は現役時代、当たっていないのに当たったフリをして、何度もデッドボールを勝ち取っていたことを告白。その結果、名捕手というイメージよりも、“デッドボール”という印象がファンに定着し、“デッドボール達川”や“グラウンドの詐欺師”というニックネームまでついていたと明かす。


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00000045-mantan-ent

     野球解説者の達川光男氏(63)が12日、関西テレビ「快傑えみちゃんねる」(金曜後7・00)に出演。ソフトバンク・コーチ時代のエピソードを語った。

     達川氏は高校時代まで広島で過ごし、さらにプロ入りしたのは故郷を本拠とする広島カープ。根っからの広島人で、63歳になった今も当然のように広島弁で話し続けている。

     現役引退後は指導者として様々なチームを渡り歩いてきた。2017年には福岡を本拠地とするソフトバンクに一軍ヘッドコーチとして就任。2年連続の日本一に貢献している。

     しかし指導する時にはニュアンスが伝わりにくく、相当苦労したという。しかし、球界屈指のスラッガー・柳田悠岐だけは同じ広島市出身であったことから、感情を伝えやすかったと語り「おどりゃ柳田~!しっかり走れ、このバカ!!何してんだ~、われ~!」との檄(げき)に対しても「はい!」と素直に応えてくれたという。

     上記の檄(げき)は達川氏が説明するには、標準語にすると「柳田くん、キミ、そんな走り方じゃダメでしょ。しっかり走りなさいね」ということらしいが、広島以外の人が聞くとだいぶ怖い印象でとらえられるという。自身も2003年、阪神に一軍バッテリーコーチとして招へいされた時、大阪弁を聞いて同じ思いをしていただけに、気持ちは痛いほど分かっているようだった。

     それでもソフトバンク内での広島弁はかなりの不評だったようで、当時の選手会長・長谷川勇也(山形出身)には「(達川)ヘッド、もう僕たち“ゆとり世代”なので、そんな野蛮な言葉はやめてください」と言われてしまったという。広島弁は達川氏のキャラに欠かせないものにも思えるが、“指導者達川”にとっては、なんとも扱いにくい代物であるようだった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190712-00000204-spnannex-base

     プロ野球解説者で元広島カープの監督・達川光男氏(64)が12日にカンテレで放送された「快傑 えみちゃんねる」(金曜、後7・00)に出演し、パワハラにならないための指導者講義を受けたことを明かした。


     番組では、時代背景を受けて若い選手への言葉遣いなどが慎重になっていることが話題になった。達川氏は「パワハラも気を付けなければいけない」とし、「私らのころは『達川!われ野球部やめるか坊主にするか、どっちかにせえ!』と。これは昭和の指導法でした」と振り返った。

     続けて達川氏は「今は、平成から令和になりましたけど、平成の指導法は『おい!上沼恵美子!』」とMCの上沼の名前を持ちだし、「お前、家に帰るか坊主にするか…一から出直すか」と昭和の指導法とは違って、最後のフレーズが大切であることを訴えた。

     達川氏は「これがあればパワハラにならない。最後の言葉があれば大丈夫だと、僕ら指導者の講習会で講義を受けた」と語った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000101-dal-base

     「第101回全国高校野球選手権大会・甲子園練習第3日」(3日、甲子園球場)

     15年ぶり23度目の出場となる広島商(広島)が聖地の感触を確かめた。20分間の練習時間で打撃練習は行わず、ノックを中心に守備の確認に充てた。荒谷忠勝監督(42)は「ウチの野球はまず守りから。選手たちも落ち着いていて、しっかり動いてくれた」と目を細めた。

     伝統校の久々の甲子園出場。その陰には多くの広島商OBのバックアップもあった。元広島監督の達川光男氏(64)が昨秋から月2回、臨時コーチとして母校の指導を行い、広島大会前も何度もグラウンドに足を運び、アドバイスを送った。

     7月29日の決勝で尾道に勝利し、甲子園出場を決めた後、ナインは達川氏の元を訪れ、感謝の思いを伝えた。達川氏は「“ありがとうございます”を言うのはまだ早い。甲子園で勝ってから、あいさつに来んさい」とナインにゲキを飛ばした。

     捕手の山路祥都捕手(3年)は達川氏からスローイングやリード面など多くのアドバイスをもらった。今大会の決勝戦では達川氏が始球式を行うことが決まっており、山路は「今の自分があるのは達川さんのおかげ。決勝まで勝ち進んで、自分が達川さんの球を受けたい」と意気込んだ。

     4番の真鍋駿主将(3年)は「自分たちが(広島商の)歴史を変えるつもりで頑張りたい。日本一を目指します」ときっぱり。これまで夏は6度の全国優勝を果たしているが、その輝かしい歴史に新たな1ページを加える決意を示した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190803-00000049-dal-base

    ◆第101回全国高校野球選手権広島大会 ▽決勝 広島商10―7尾道(29日・マツダスタジアム)

     広島商が15年ぶり23回目の優勝を決めた。初回1死二、三塁から主将の真鍋駿三塁手(3年)の遊ゴロ失策の間に先制すると、2点リードの3回は先頭から8者連続得点で大量8点を奪った。6回に先発の倉本裕翔投手(3年)が7安打を集中されて6点を奪われたが、7回以降を2番手の中尾要一郎投手(3年)が無安打無失点に抑えて甲子園切符を手に入れた。

     荒谷忠勝監督(42)は閉会セレモニーを終えると一塁ダッグアウトでしゃがみ込んで男泣き。昨春の不祥事を乗り越え、大正、昭和、平成、令和と4元号での甲子園出場を決めたことに「その代、その代で、どのチームも一生懸命に戦った結果の積み重ねです」と感無量の表情だった。

     OBで1973年夏の甲子園の優勝メンバー、達川光男氏(元広島監督)は、臨時コーチとして母校を支えた。「広島商だけでなく、呉、広陵、高陽東、広島新庄、如水館、山口・南陽工、島根・浜田などにも(臨時コーチとして)行った。同世代(の広島商OB)は『死ぬまでに甲子園に出られるんじゃろうか』などと話していたが、このチームは我慢強い。我慢比べなら負けない。だから(4回戦、準々決勝と)連続サヨナラ勝ちで勝ち上がって来たのだと思う」と“教え子”たちをたたえていた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190729-00000146-sph-base

    ◆巨人―広島(1日・東京ドーム)

     広島の会沢翼捕手(31)が気迫のダイビングタッチで巨人の追加点を阻止した。

     1点を先行されて迎えた2回1死一、三塁。打席のメルセデスは初球からバントの構えを見せており、1球見送ってからの2球目、外角シュートをバットに当てた。打球は三塁線へ。前に出て素手で捕球した会沢は、まず一塁走者の動きを見たが、続いて三塁走者のゲレーロが好スタートを切って突進してくるのを確認。そのままダイビングしてタッチした。

     ゲレーロもタッチをかいくぐって本塁へ突入。手でベースを払ったところ、佐々木球審はセーフをコールした。会沢は「いやいや、タッチしたよ!」とばかりに猛アピール。それを受けて緒方監督もリクエストした。

     VTRで確認すると、たしかにゲレーロの左袖がタッチで揺れているように見えており、判定は覆ってアウトに。選手会長の献身的なプレーで傷口を広げずに済んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00000174-sph-base

     広島弁の軽快なトークでおなじみの野球解説者、達川光男さん(63)。昨季までの2年間、ソフトバンクのヘッドコーチを務め、日本一を置き土産に退任した後、子どもたちに「捕手」の技術を伝授しようと、日本全国を駆け回っている。【聞き手・中村有花】



     ――2015年に中日を退任した後、学生の指導ができる資格回復を申請した。研修会を受け、16年2月に資格が認定された。プロに戻ると、再申請する必要があり、ソフトバンクを辞めた後にすぐ手続きを取った。

     ◆何人かから「(資格が)あった方がいいよ」とアドバイスを受けた。持っていないと活動が制限される。もっと言うと、自分の息子が高校生、大学生の場合、野球を教えることができない。「プロに入るから、プロの練習を教えてほしい」というケースでも教えられない。(資格を回復して)自宅近くの高校や母校(広島商高)でお手伝いができればいいかなと。今は呉市立、広島新庄、広陵などの各高校で教えている。先日も午前10時ごろから午後3時半ごろまで広島商で教えていたよ。

     ――資格回復研修会は3日間、朝から夕方まで講義がある。

     ◆まじめなじゃろ。びっくりするじゃろ。指導者の資格は、運転免許みたいなもの。免許がないと車に乗れないのと一緒。野球しとるもんが、なんで野球を教えたらいけんのじゃ、って思うだろうけれど、そういうとらえ方をしてもらえたら、一般の人はわかりやすいと思うんじゃけど。

     ――なぜ、捕手の指導をしようと考えた?

     ◆母校は甲子園にしばらく出ていない。ただ、甲子園に出るとかじゃなくって、一番大きな理由は、捕手を教えられる指導者の絶対数が少ない。広島県内でも捕手出身の指導者って数名しかいない。

     ――達川さんが教えに行くと、高校生らは驚くでしょう。

     ◆最初はそういう感じだけど、広島商高では、今は「普通のおじさん」いう感じ。面白いことがあったんじゃけど、生徒が「チェンジアップとフォークの投げ方を教えてくれ」と言うわけよ。「ちょっと待ってくれえ」と。ワシ、受けたことはあるけど、投げたことはない。「聞いてくる」と言うて、OBでフォークのいい投手に教えてもらってきたんよ。資格回復していないから直接指導できないし、動画もだめだから、ワシが教わって、実践して「なるほど、こんな感じなんかな」と。直球は指先で投げるけど、フォークは指の腹で投げる感じ。それを伝授したんよ。ワシは全然、知らんかった。大発見じゃった。

     ――その高校生はなぜ、捕手の達川さんに変化球の投げ方を聞いたのか。

     ◆たまたま投手に「こういう球があったら、打者は抑えやすい」という捕手目線からの話をした。それで「落ちる球があったらやっぱりいいぞ。持っているか?」と聞いたら、「持っていない」と答えた。そして、逆に「どうやって投げるんですか?」と質問された。ワシの盲点というか、何というか……。

     ――いつから捕手をやるようになった?

     ◆高校1年の秋、ちょっと捕手に挑戦させてもらって、1年もたたないうちにクビになった。その後、3年春のセンバツに合わせて捕手に戻った。センバツのベンチ入りメンバーは当時14人。捕手じゃなかったらメンバーから外されるところじゃった。今は18人? ええなあ。

     ――高校時代、捕手で「こういう指導をしてもらったらよかった」という点があるか?

     ◆ワンバウンドの捕り方なんて知らなかったもん。必死に我流で止めるだけよ。後ろに行かさんことだけ考えとった。今のように両膝をついて(落ちる球を)捕るとかいう基本動作は全然、知らない。大学(東洋大)でも知らなかった。プロに入って、初めて教えてもらったわけだから。

     高校時代、うちのエースは左腕だったから、一番捕球が難しいのは(右打者の内角低めに)落ちるボールなんよ。球を捕る時、手首を返してミットを下に向けないといけない。左投手のスライダー、カーブを捕る方法と、両膝のつき方を教えてもらっていたら随分、近道になっていた。非合理的な練習をしていたから、ちょっと時間がかかった。でも、結局はそれが違うトレーニングになったかもしれないけど。

     ◇「動画、こんな便利なものはない」

     ――指導している中で達川さんの時代とは「変わったな」と感じることは?

     ◆ワシらの時には指導者に対しては「ハイ」しかなかった。「投げるとき、肘が下がっとるぞー」と言われたら、「ハイ」言うて。今の子は「肘が下がっとるぞ」と言ったら、「いやー、上げてますよ、大丈夫ですよ」と言う。だから、今は動画を見せる。見せると、「ホントですね、下がってますね」と納得する。ビデオは文明を進化させたと思うよ。

     ――映像を使った指導をいつから始めたのか。

     ◆03年の阪神のバッテリーコーチのころから、そういう指導がいるんじゃろうなと思っていたけど、その後、少年野球や野球教室で指導した時に、やっぱりそうじゃなと思った。(見学していた)お母さんに動画を撮ってもらって子どもに見せたら、納得する。これが一番いいんだなと思って、14年に中日に行った時、それが確信に変わった。ワシも選手時代から、スコアラーが撮ってくれていたんよ。VHSのテープでくれていた。でも、ビデオが1台しかなかったから、全員のプレーを撮ることができなかったから。今の子のハートをつかむためにはそういうのも大事よのう。「(スマートフォンで)テレビゲームばっかりせずに、違うことに生かしてみいと。動画、撮っちゃるけえ、自分の動画を見い、と。何回も何回も見とけえ」と。使い方さえ、間違えんかったら、こんな便利なものはない。

     ――1月の指導者向けの講習会では、軽快なトークとともに正確なキャッチングを披露して会場を沸かせた。

     ◆03年のころ、ワシも40代だったから、本塁から二塁まで送球が届いていた。山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」でやっていた。今でも見本は見せるけど、「走る、投げる」は衰える。でも、捕ることは忘れていない。うまかったろう、この前の講習会。ポンポン(球を)捕れて……。目は衰えるし、それなりのスピードある投球は捕れないけど、捕り方は忘れん。箸の持ち方だって、一回覚えたら、年とったからって忘れんじゃろ。字の書き方だって。ワシは自転車だって乗れる。速くこげないけどさ。ただ、技を覚えるときに、悪い癖がつかんようにした方がええよ。そのためには早めに矯正した方がエエ。小学生は、まだ楽しくやる時代じゃけど、中学、高校ぐらいからは。プロに行く、行かないは別として、プロに行ける練習を全員にさせてあげたい。

     ――元プロの選手が教えるメリットは?

     ◆プロとアマチュアの違いはスピード、パワー、正確性。その3要素が一般の人より優れている。それは、練習量の違いで、練習量というのは経験値が違ってくるいうこと。そういうふうに、アマチュアの子たちには繰り返し練習の大事さを教えてやらなきゃいけない。こうしたら上手になるよと。

     ――達川さんには、指導要請が多く来るのではないか。

     ◆まだ遠慮してこないんよ。ワシは特定のチームに所属しない。よそに行けなくなるから。ワシはいろんな所で、教えてほしい人に教えてあげたい。捕手について教えるならどこでも行こうと思っている。それぞれの個性があるからワシも勉強になるよ。

     プレーのやり方にハヤリもある。今は(捕る前に)左足を前に踏み出す選手が増えている。(ソフトバンクの)甲斐の影響。やっぱり王(貞治=ソフトバンク球団会長)さんが出てきた時に一本足打法がはやったように、長嶋(茂雄=巨人終身名誉監督)さんが出てきた時に、長嶋さんのまねをして守ったりさ。甲斐があれだけ盗塁を刺したら、皆、甲斐の動画をずっと見るんよ。あの左足の踏み出し方はワシも甲斐に聞いたけど、難しいのよ。ものすごい足腰がいるのよ。

     ――捕手の指導者が少ないのはなぜでしょう。

     ◆捕手の絶対数が少ないから。ドラフトで獲得していない球団もあるでしょう。(アマチュアで)捕手はどこのチームも課題。少年野球で自分から捕手になりたいというのはほとんどいないよな。ずっと投手の球を受けて座っているのが嫌とか、そんな暇があったら打ちたいとか、投げたいとか。

     ――そんな子どもに捕手をやらせるための誘い文句は?

     ◆ない、ない。試合に出やすいとか何か言わなきゃいけないんだろうけどさ。サッカーのゴールキーパーになりたい選手が少ないのと同じ。点を取りたいよな。野球でも、受けるより、投手で投げたいわな。

     ――話は変わるが、達川さんは「ささやき」で有名だった。

     ◆高校生は打者にささやきはしちゃあいけないよね。高校の時は投手にしゃべりよった。頑張れよとか、低く来いよとか。投手に指示をする。

     ――マウンドで、投手へのアドバイスの仕方のポイントは?

     ◆相手の性格を知って、気合入れた方がいい人には気合を入れるし、バックがいるから打たれても大丈夫と、優しく言った方がいい場合もあるし。いろいろよ。それは自分で学ぶしかない。恋の仕方がこうだよ、なんて習ったか? 自分で経験して。例えば、デートするんでも、手をつないで歩くのっていいなと思って手をつなぐ。肩を組んだ方がいいなと思って肩を組んだり、いろいろするわけじゃけ。野球でも自分で見よう見まね。ワシらでも野球を見て、あのキャッチングがいいなとか、打ち方がいいなとか勉強する。

     ――最後の質問。今年のプロ野球の注目点は?

     ◆セ・リーグはカープが4連覇できるかどうか。他の5球団からしてみたら、3年連続でやられているわけで、どう阻止するか。今年は2人が新監督でしょう。原(辰徳=巨人監督)君がどう巻き返してくるのかにも注目したい。パ・リーグはどうかなあ。ソフトバンクは強いよ、やっぱり。今年も強いと思う。「甲斐キャノン」は相当、成長しているよ。バットを持たせたら、まだまだ平凡な選手だけど、ミットを持たせたら世界一だよ。ホンマに。それから、今年、去年と高卒の若い選手がたくさん出てきている。清宮、吉田輝(日本ハム)、安田、藤原(ロッテ)、村上(ヤクルト)、根尾(中日)。それに、今年の新人は東洋大の三羽ガラス(上茶谷=DeNA、甲斐野=ソフトバンク、梅津=中日)をはじめ、即戦力が多い。世代交代の時が来たのかなと思うね。

     ◇たつかわ・みつお

     1955年7月13日、広島県出身。広島商で73年のセンバツで準優勝、同年夏の甲子園で全国制覇を果たした。東洋大から77年のドラフト4位で広島に入団。現役時代はプロ15年間で1334試合に出場。北別府学、川口和久、大野豊らを擁した「投手王国」を捕手として支え、ベストナインとゴールデングラブ賞をそれぞれ3度受賞した。

     引退後は広島2軍監督などを経て、99~2000年に1軍監督。15年に中日のコーチを退任後、学生の指導ができる資格を回復した。17年からソフトバンクのヘッドコーチを務め、昨秋の退団後に資格を再申請。現在は高校野球の臨時コーチなどを務めている。

     今年3月に初めての著書「広島力」(講談社、税別1000円)を出版した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190418-00000040-mai-base&pos=2

    このページのトップヘ