広島カープブログ

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    野手

     広島市のMSH医療専門学校男子野球部の野手総合コーチを務める鈴木将光さん(31)と、同校女子野球部監督の野々村(鈴木)聡子さん(31)は、2人が元プロ野球選手という夫婦だ。

     鈴木さんは2005年度高校生ドラフト1位で広島に外野手として入団。15年オフに戦力外通告を受けた。10年間で通算2安打のプロ生活を「ケガに始まってケガに終わったんで悔いが残っています」と振り返った。第二の人生は「体について勉強しようかなと思った」と16年春から鍼灸(しんきゅう)師を目指し、専門学校の夜間課程に入学した。

     野々村監督は日本女子プロ野球機構初年度の10年から兵庫で2年間プレー。退団後はMSH医療専門学校に入学し柔道整復師の資格を取得するとともに、女子硬式野球部設立に尽力した。卒業後は同校の教壇に立ちながら初代監督として指揮を執っている。

     2人は鈴木さんが現役時代の14年から交際し、16年暮れに結婚。その縁もあって18年春から鈴木さんが男子野球部のコーチに就任した。夫婦そろって同じ学校の男女野球部を指導するが、鈴木さんは「練習場も違うし、一緒に教えているという感じはないです」と言う。2月に鍼灸師の国家試験があるため、午前中は自宅で勉強。午後から野球部の指導、そして夜は専門学校で授業を受け、帰宅は午後10時を過ぎる。野々村監督は午前中は教壇に立ち、午後は野球部の指導、夜は勉学に励む夫の帰りを待つ“すれ違い生活”が続いている。

     それでも2人は野球を通じて心を一つに結婚生活を送る。鈴木さんが「コーチングとか選手の性格などを聞く」と言えば、野々村監督は「NPBという頂点で野球をしてきた人なので、野球全般的に聞きます。教え方や技術的なことなど」と言う。将来について鈴木さんは「最終的には治療院を出して野球塾を開きたい。オフはプロ野球選手の練習も手伝いたい」と語った。そばで野々村監督は「柔道整復師の資格もありますし、主人を手伝えたらいい。女子野球にも携わっていけたらと思います」。現役生活を終えても夫婦で野球を追い掛ける人生は、楽しそうだった。(デイリースポーツ・岩本 隆)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190115-00000044-dal-base

    広島ドラフト1位小園海斗内野手(18=報徳学園)ら広島新人8選手が10日、合同トレーニング第1クールを打ち上げた。11日は休みで、都内で行われるNPB新人研修に参加。この日午後に東京へ移動した。


    7日から始まった合同トレーニングでは基礎体力強化のほか、キャッチボールやノックなどの技術練習、トレーニング室でのウエートトレーニングを行ってきた。小園は「いい感じでトレーニングができています」と胸を張る。連日スカウト陣や報道陣が見守る環境にも「もう慣れました」とけろり。昨夏甲子園とU18日本代表として注目された大物ぶりを発揮する。

    12日から第2クールに入り、15日には会沢選手会長ら先輩選手との合同自主トレが始まる。「今までと変わるけれど、見て盗んだり、聞いてコミュニケーションを取れたらと思います」。順調にステップを踏めば、1軍キャンプ参加も見えてくる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190110-00442381-nksports-base&pos=4

     新年を迎えて広島4連覇へ向けた取材が本格化する前に、昨季退団した男の話をしておきたい。ブラッド・エルドレッド――。リーグ3連覇決定後の昨年9月下旬、首痛の検査のため米国へ一時帰国する前に広島駅で話してくれた言葉が忘れられない。


     「こういう年齢になってあと1年、あと1年という気持ちでやってきた。まだできるという気持ちが自分の中にあるし、もう1度出場して自分の力を試したい。それが広島でできれば最高。でもチーム状況を考えて、今年のことも考えればもう広島に帰ってくることは厳しいかもしれないね……」

     取材が終わり新幹線に乗れば、もうカープの選手として広島に戻ってくることはない――。その事実に薄々気付きながら、いつもと変わらず律儀に対応してくれた。手に持っていたスターバックスのコーヒーの容器には、店員から「3連覇おめでとうございます」とのメッセージ。在籍7年の間にすっかり有名人になり、誰からも愛された証だった。

     在籍年数は、ジム・ライトルを抜いて球団助っ人最長を更新した。14年に37本塁打で本塁打王を獲得するなど、低迷期から赤ヘルを支えた。昨年3月には助っ人では異例となる、著書「ブラッド・エルドレッド」が出版され、副題は「広島を愛し、広島に愛された男」。いつしか声援の大きさは、チームトップクラスになっていた。

     昨季は出場38試合で打率・213、5本塁打、14打点にとどまった。6月から2軍生活を強いられた昨季の終盤、1軍の試合前のマツダスタジアムを訪れたことがあった。昇格するためには何が必要か、首脳陣とコミュニケーションを取ったという。2軍生活が続こうと、最後までチームに貢献する方法を見出そうとしたのは、いかにもエルドレッドらしい行動だった。

     「長いこと勝てない時代から3連覇して、3度もビールかけをやらせてもらった。セ・リーグで3連覇することは難しい。このチームは強い、歴史に残るチームだ。それを証明することはできたと思う」

     昨年12月のハワイ優勝旅行には、退団が決まっていたエルドレッドも招待された。初日に開かれたパーティーの乾杯のあいさつで鈴木清明球団本部長は、引退する新井よりも真っ先に助っ人のことに触れた。「来シーズン、チームの柱がいくつか抜けます。エルドレッドはホームランバッターということだけではなく、CMにも出てファンにも愛される存在でした。本当に惜しい気がいたします」。そして、エルドレッドはコイ党へのラストメッセージを記者陣に託した。

     「ファンにサヨナラを伝えられなかったことを後悔していたんだ。7年間ファンのみなさんがいなければ、ここまでやってこられなかった。忘れられない思い出。感謝の気持ちを伝えたい」

     エルドレッドは、日本での現役続行を希望し、吉報を待っている。エルドレッドの背番号55は今季から松山が継承する。「カンちゃん(エルドレッドの愛称)は大好きな選手。デカイ体なのに、ダイビングとか泥臭い野球をする。そのあとを継げるのは自分だけと思っていた」。エルドレッドのイズムは赤ヘルに宿ったまま、2019年の戦いが始まる。(記者コラム・河合 洋介)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190106-00000081-spnannex-base

     球界の未来を担う注目のドラフト1位同士が、熱い思いを語り合った。広島のドラフト1位・小園海斗内野手(18)=報徳学園=と中日のドラフト1位・根尾昂内野手(18)=大阪桐蔭=の新春対談が実現した。初めて顔を合わせた中学時代の対戦から、プロのユニホームに袖を通すことになった現在、そして将来、再び日本代表でともにプレーする思いまで、本音トークをお届けする。以下は対談その3。

      ◇  ◇

     -ショートに楽しさを覚えたのはいつ?

     小園「小学校の時です。1年生で野球を始めた時はセンターだったんですけど、そこからはショート、投手もやりました。投手はあまり向いてなかったけど(笑)」

     根尾「投手もやったの!?」

     小園「小学校の最後はエースだったけど、投手よりはショートの方が楽しいなと。それにバッティングもしたいなと思っていたから。中学では投手はしたくなかった。ショート一本でいこうと思って枚方ボーイズに入りました」

     根尾「僕は小学校6年生とかですね。野球を始めた時にみんなに投手を勧められて、サードと投手をしてました。投手はずっとやってたんですけど、投球制限で1日2試合であれば1試合投げたら1試合守らないといけなかった。それで1試合目は投手、2試合目はショートをやっていた。投手も楽しかったんですけど、結構2試合目の方がおもしろかったりして」

     (続けて)

     根尾「中学校でもエースでやらせてもらいましたし、投手中心ではあったんですけど、ショートの方がいいなあというか。大阪桐蔭にも最初“投手とショートを守ります”と言って入ったんですけど、心の中ではショートでいくかなというのは最初からありましたね」

     -お互い守備で負けない部分と相手が優れている部分は。

     根尾「僕は小園みたいに、あんな後ろで守れないし、どっちかというと、なるべく早く球を捕りにいきたいタイプです。ただ肩は負けないと思う」

     小園「肩は勝てない。絶対勝てないです」

     根尾「守備範囲は絶対、小園の方が上なので、追いつけるように頑張りたい」

     小園「守備範囲は勝ってると思うんですけど、送球とかはすごいものを持っている。僕も追いつけるように頑張っていきたい。一回だけ(球を)受けたけどヤバかったです。手が痛かった」

     -プロでは同じセ・リーグで戦うことになる。

     小園「試合もできるので、2軍じゃなく1軍で一緒にプレー、対戦できるようにやっていきたいと思います」

     根尾「同じです。(対戦したら)負けたくないですね」

     -プロでは一年でも長くやりたい?

     小園「最低でも40歳ぐらいまでは絶対にプロの世界で活躍したいなと思います」

     根尾「まず体を作ることに力を注いで、40歳ぐらいまではやらせてもらいたいなという気持ちはあります」

     -プロの世界で描く将来像は。

     小園「ショートでやらせてもらう気持ちが強いので、球界を代表するような選手になって、手本とされるようなそういう選手に、愛される選手になっていきたいです」

     根尾「まだ1年目なのでどうなりたいかというのも曖昧なところはあるんですけど、ショートでいかせていただきたいと考えているので、将来的にはドラゴンズのショートとしてチームの顔になれる選手を目指したい。ドラゴンズで勝つことが一番のファンサービスになると思う。そこに自分も貢献できるような、そういう選手になりたいと思います」

     -お二人の活躍を楽しみにしています


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190102-00000021-dal-base

     球界の未来を担う注目のドラフト1位同士が、熱い思いを語り合った。広島のドラフト1位・小園海斗内野手(18)=報徳学園=と中日のドラフト1位・根尾昂内野手(18)=大阪桐蔭=の新春対談が実現した。初めて顔を合わせた中学時代の対戦から、プロのユニホームに袖を通すことになった現在、そして将来、再び日本代表でともにプレーする思いまで、本音トークをお届けする。以下は対談その2。

      ◇  ◇

     -ドラフトでは2人とも4球団競合で1位指名された。当日のことは覚えている?

     根尾「藤原と小園でどれだけいくかなと思っていて、まず藤原に3球団(連続で)いって」

     小園「印象的でしたね、あれは」

     根尾「全部藤原じゃないか?みたいな。それで小園に来て、“うわ、小園ばっかや”と思って…。俺に指名は来るのかなって心配になった。それにしても、藤原の3連チャンはあかんよな」

     小園「うん、ちょっとあれはびっくりした。その印象しかないですね。(藤原に)3球団から来て、さらに続くかなと。でも自分も名前が呼ばれたので」

     -同学年で意識してきた選手はいたか。

     根尾「(小園は)恭(藤原)じゃない?」

     小園「そうだね。中学生の時からずっと一緒にやってきたので。根尾もそうなんですけど、藤原ですね」

     -藤原は抜きんでているものがある?

     小園「走攻守で抜けてますね」

     根尾「とにかくスイング、インパクトが強いので、多少詰まっても外野の頭を越えていきますし。足も速いので内野ゴロもヒットになる。大体出塁してるイメージですね」

     -足は負けてないのでは?

     小園「藤原はバットを振り切るので、その分、僕の方がちょっと速くなるところもあるかもしれない。だけど根尾もそうなんですけど、打席の中であれだけフルスイングできるのがすごい。タイプもあるとは思うけど、あれだけフルスイングされると投手も絶対嫌だなと思います」

     -お互いショート。これまで意識したことはあった?

     根尾「あまりなかったですね。近くにいなかったので。自分は藤原もそうでしたけど、大阪桐蔭の同級生みんなを常に意識していました。レギュラーは最後の方は固定されてましたけど、それまでは誰がどこを守るかも分からなかったし」

     (続けて)

     根尾「みんな『打てなかったやつは試合に出られない』みたいな感じだったので、小園とかも甲子園に出てきたら意識はしますけど、普段はほぼ毎日、藤原を筆頭にチームメートと競争でしたね」

     -レベルの高い同世代が多いのはモチベーションになる?

     小園「高校の時からすごいと思いながら見ていて、自分も負けたくないという気持ちでやってきた。プロに入っても、その気持ちを変えずに同世代で盛り上げていきたいなと思います」

     根尾「同期に負けたくない気持ちはありますし、そのためにやることも多いなと感じます。お互いに頑張っていきたいなという気持ちもあります」

     -2月に入ると春季キャンプが始まる。楽しみや不安は?

     小園「キャンプは相当キツイと思うので、耐え抜く体を今作ってます。しっかりアピールするという気持ちを忘れずにやっていきたいと思います」

     根尾「僕も体が強い状態になるように今やっています。キャンプはまず第一印象が大事だと思う。そこでアピールできるように準備はしてます」

     -ドラフト1位の重圧はあるか。

     小園「入ってしまえば一緒なので全く関係ないですし、これから一緒にやっていくライバルなので、あまり感じてないですね」

     根尾「1位も6位も関係ないです。プロの世界に入るというところでは同じなので。1位なので活躍を期待されているところはあると思うけど、(活躍を期待されるのは)他の選手も変わらない。僕も(重圧を)感じないというか、鈍感なので感じてないですね」

     -2人ともプロではショートとして臨む。ショートの魅力は。

     根尾「守備範囲がとにかく広く、視野も広く持てる。一番自由に動けるポジションでもあり、連係プレーも多い分、アウトに関与できる回数も多い。ショートがうまいチームはまず守りが堅いですし、チームの顔って印象があります」

     小園「内野の中で一番華がある。そこを守っていると絶対自分も活躍できるんじゃないかなと思いますし、プレーの絡み合いも多い。センターラインの一角ということで、チームの中心にもなってくると思います」

     (続けて)

     小園「参考にしているのはソフトバンクの今宮選手。捕るところまでと捕ってからの足の使い方のキレ、送球がすごい。一連の流れがきれいなので、参考にさせてもらっています」

     根尾「僕はドラゴンズの二遊間。井端さんと荒木さんのプレーはよく見てたので、マネしてました。今もグラブのさばき方だったり捕るまでの準備、そこからの体重移動だったりは参考にさせてもらっています」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190102-00000020-dal-base

     球界の未来を担う注目のドラフト1位同士が、熱い思いを語り合った。広島のドラフト1位・小園海斗内野手(18)=報徳学園=と中日のドラフト1位・根尾昂内野手(18)=大阪桐蔭=の新春対談が実現した。初めて顔を合わせた中学時代の対戦から、プロのユニホームに袖を通すことになった現在、そして将来、再び日本代表でともにプレーする思いまで、本音トークをお届けする。以下は対談その1。

      ◇  ◇

     -明けましておめでとうございます。

     小園、根尾「明けましておめでとうございます」

     -2人が会うのは。

     小園「11月以来、藤原(恭大=大阪桐蔭からロッテ1位入団)と3人で、買い物に行ったりしました」

     -2人が初めて会ったのは。

     小園「話してはないですけど中1かな、試合をしたのが初めてです。(三重県での)お伊勢さん大会です」

     根尾「えっ、2年の春と違う?」

     小園「いや、1年の冬、むちゃくちゃ寒い日やった」

     根尾「そうやったかな。(小園と藤原の所属する)枚方ボーイズは強いと聞いていて、小園だけじゃなくて藤原と初めて対戦したのもその時でした。僕、投手だったんですけど、負けたのでいい印象ないですね(笑)」

     小園「藤原が『すごい投手がいる』と言っていたので楽しみやなあと思って。対戦した時は本当にすごかったです。打ちましたけど(笑)。レフトオーバーだったと思います。でも三振は2個ぐらいしました。1年生とは思えない投手。寒かったですし速すぎたので手が出なかったです」

     -そこから、すぐに仲良くなった。

     小園「そうですね。(甲子園の)開会式でも普通に話したりしてました。僕は2回しか出てないですけど、開会式はいつも大阪桐蔭が横だったので、自然と会話してました」

     -高校で対戦はなかったが、U-18日本代表ではチームメートだった。お互いの技術をどう見ていたのか。

     小園「投手も内野も外野も全部できて、それが一番すごい。甲子園でホームランも打っているけど、思い切り振ってないのに何であんなに飛ぶのかなと。飛ばす力、スイング力。自分にまだないところだなと思いました。甲子園でやっている姿を見て、僕も頑張らないといけないと、いい刺激になっていた」

     根尾「守備でとにかく足が動くし、打撃も広角に長打を打って、僕が投手だったら嫌。シングルヒットがツーベースになるので、それが一番嫌ですね」

     -昨年のU-18日本代表での思い出は。

     小園「部屋が一緒だったことです(笑)」

     根尾「ずっと一緒にいましたね」

     -お互いの性格は。

     小園「マジメというのは分かる」

     根尾「どこがマジメ?(笑)」

     小園「気がついたら部屋でストレッチとかしてたり。それは普通だけど、バランスボールのこととか教えてもらったりして。すごいなあ、意識高いなと思いました」

     根尾「小園は関西の人だなって感じです。(岐阜から)大阪に来て、結構、関西の人のノリを覚えてきたつもりだったんですけど、コッテコテの感じでさすがやなと思います」

     -プロでも日本代表でプレーしたいという思いはある?

     根尾「はい、あります。日の丸を背負わせてもらって野球ができるのは幸せなことだと思うし、日の丸をつけて戦うということは勝たないといけない。ごく一握りの選手しか選ばれないわけなので、まずしっかりそこで活躍できるような力をつけて選んでいただければと思ってます」

     小園「僕もまた日本代表のユニホームを着て野球をしたい気持ちはあります。選ばれるには結果も求められるので、その結果をしっかり出して、また一緒に日本代表のユニホームを着てプレーしたいなと思いますね」

     -2人はショート。その時のショートは?

     小園「その時は、その時で(笑)」


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190102-00000019-dal-base

     広島・赤松真人外野手(36)が30日、来年も母校・立命大で恒例の“元日トレ”を行うと明かした。胃がんの手術から実戦復帰した今季は、2軍で失敗なしの5盗塁を記録。盗塁企図数に物足りなさを残したというが、夏場以降は筋力が戻り、来季への確かな手応えもつかんだ。通算136盗塁を誇る足のスペシャリストが、完全復活を目指す。

     晴れ晴れとした顔つきが、体調の良さを物語っている。このオフ、赤松はほぼ無休で汗を流している。「去年より全然いい。この時期は速い真っすぐが打てなかったから。目をつぶったら空振りですけど(笑)。それぐらい打てるし、走れる」と明るい表情で話す。

     今季は2軍で5盗塁を決めたが、「けん制アウトがあったし、数も少ない。もうちょっとトライしてもよかった」と不満顔だ。瞬発系の筋力が戻らず、まだまだ本来には程遠かったという。

     だが、夏場以降に筋力が戻り、「自分でも良い感じでスタートを切れたと実感できている。反応が徐々に良くなってきていると思う」と、早くも来季を心待ちにしている。

     胃がん手術からの完全復活を期した今季は大きな注目を集めた。「ちょっとしたリップサービスもあった」とカムバック賞を目標に掲げたが、来季は本気モードだ。「今年より動けるという自分があったので、契約もしていただいた。あとは結果を出す。結果にこだわっていく」と言い切った。

     年明けは母校・立命大で自主トレをスタートさせる。大学の後輩である楽天ドラフト1位の辰己も参加予定という。足のスペシャリストが完全復活へ向け、全力で駆ける。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181231-00000015-dal-base

     今秋のドラフト会議で、広島は4球団競合の末にドラフト1位で小園海斗内野手(18)=報徳学園=の交渉権を獲得した。今回は、生い立ちや横顔を連載で紹介する。プロへと羽ばたくために心技体を身につけた中学、高校時代を振り返る。



      ◇   ◇

     宝塚リトルを経て、光ガ丘中1年の夏から、小園は枚方ボーイズで汗を流した。現在も「ライバル」の藤原恭大(大阪桐蔭)らがひしめきあった強豪チーム。体験入団の際には当時の鍛治舎巧監督(現県岐阜商監督)から「うちに入れば人生が変わるぞ」との言葉を受けた。「チャレンジしたい」。入団して間もない9月から、遊撃のレギュラーとなった。

     藤原とは当時から競い合う仲だった。階段ダッシュなどのメニューでは「新記録、新記録」とその日の目標を2人で早くクリアし、お互い自主練習。刺激し合い、2度の全国優勝も経験した。田中直樹監督は「練習もやらされるより、やっていた」と評価する一方、「ここぞで弱い時があった。高校でそこが一番成長したのでは」と語る。

     報徳学園では1年春から定位置を奪取。技術面も精神面も成長したが、2年のセンバツ後に大角健二監督からハッパをかける意味で「このままだったら、ショートをクビにするぞ」とゲキを飛ばされた。「横の動きはうまかったけど、正面のゴロを確実にさばくことに上体だけで済ませるところがあった」と指揮官。隙のない守備力を身につけるため、下半身を使う基本動作を徹底的に植え付けた。

     精神面は3年春に大きく成長した。打てない時は態度に表れ、守備や走塁にも影響が出ていた。大角監督からは「プロが見ているのはそういうところ。打つ以外がいかにできるか」と諭された。練習試合では枚方ボーイズからの仲間だった神藤勇介主将が「副主将の責任感が欠けていた」と監督に頼み、途中交代となったこともあった。

     そこから考え方、顔つきが変わる。特に変化を示したのは、夏の東兵庫大会四回戦の滝川二高戦。1-1の七回に決勝2ラン。中学時代の勝負弱さも払しょくし、甲子園出場にもつなげた。

     高校2年から2年連続でU-18日本代表、ドラフトでは大阪桐蔭・根尾とともに4球団競合で1位指名を受けた。報徳学園時代を「人間性が成長できたかなと思う」と振り返り、「努力が大事。一日一日を大切にしていきたい」と力を込めた。固い決意を胸に、プロでのサクセスストーリーを築いていく。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181229-00000018-dal-base

     今秋のドラフト会議で、広島は4球団競合の末にドラフト1位で小園海斗内野手(18)=報徳学園=の交渉権を獲得した。U-18日本代表に高校2年時から2年連続で選出され正遊撃手として活躍した世代屈指の内野手が、セ・リーグ3連覇中のチームへ加入。その生い立ちや横顔を紹介する。


      ◇  ◇

     2000年6月7日。小園海斗は父・考志さん、母・こず江さんの長男として産声を上げた。体重2974グラム。名前は「青く澄んだ広い心で、海を渡るような大きな男に」という願いと、曽祖父の好きな字だった「斗」を組み合わせて付けられた。

     「すごく活発で、追いかけ回すのが大変でした」とこず江さんは幼少時を振り返る。ハイハイの期間は短く、9カ月で歩き出した。程なくして父・考志さんとキャッチボール。野球との運命の糸は、既に結ばれていたのかもしれない。

     車が好きで、運動神経も抜群だった。唯一苦手だった水泳も、水泳教室などには通わずに自力で克服し、小学5年時には泳げるようになった。

     本格的に野球と出合うきっかけとなったのは、後に足を踏み入れる甲子園球場だった。社会人野球の東洋高圧大牟田(現三井化学)でプレーもしていた祖父に、年長時に連れられて観戦した阪神-巨人の伝統の一戦。「金本選手が本塁打を打って、それに大興奮していました」と、こず江さん。保育園の卒園アルバムには、将来の夢に「プロ野球選手」と記していた。

     そして逆瀬台小に入学した4月から宝塚リトルに入団。最初は中堅を経験したが、主に投手と遊撃手。李相鎬監督は「オーラがあった。野球に対して貪欲さがあった」と振り返る。家には全試合の映像があり、小学生ながら週末の試合を想定して過去の対戦をチェック。「研究熱心。何打席目の何球目がどの球だったとか、記憶力がいいなと思っていた」(こず江さん)と相手投手や打者の癖を研究していたという。

     小学4年時にはリトルの先輩で履正社3年の山田哲人(現ヤクルト)に心を奪われた。10年夏の甲子園。「聖光学院戦で本塁打を打って。その試合を見に行っていたんです」と小園は目を輝かせる。大会終了後には山田哲がリトルを訪問。李監督から「撮っておけ。(小園も)こうなるんだぞ」と言われ記念撮影もした。

     広島に1位指名された時「ずっと追いかけてきた」と話したように、小園にとって山田哲が一番の目標になった。高まるプロへの思い。今も憧れ続ける先輩の映像は何度も見るようになった。

     順調にレベルを上げ、中学1年時の8月からオール枚方ボーイズ、高校は報徳学園へ進んだ。さまざまな縁に恵まれながら、プロへの道を一直線に歩むこととなる。

     ◆小園 海斗(こぞの・かいと)2000年6月7日生まれ、18歳。兵庫県出身。178センチ、83キロ。右投げ左打ち。内野手。背番号51。2019年度推定年俸800万円。報徳学園から18年度ドラフト1位で広島入団。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00000016-dal-base

    全国高校野球選手権が100回大会を迎える2018年夏までの大河連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第24弾は、西田真二氏(57=四国IL香川監督)です。大阪・PL学園の4番&エースで、1978年(昭53)夏の甲子園で全国制覇。準決勝、決勝とも敗戦寸前の9回に追いつき、逆転、サヨナラで勝つ「逆転のPL」を生んだヒーローでした。昨夏限りで休部した全国制覇7度の同校硬式野球部も追憶し、全8回でお届けします。

        ◇      ◇     

    しっかりと五角形のホームベースを踏み、決して長くはない両腕を高々と上げた。チームメートが、「奇跡の主役・西田」を迎えると、一塁側ベンチは空っぽになった。

    夏の高校野球選手権大会のフィナーレは、いつの時代も感動的だ。だが、39年前の夏、78年の60回記念大会の幕切れは、高校野球史に残るほど劇的で、ドラマチックで、奇跡的だった。

    「戦いは終わった。甲子園の夏は終わった。3-2。PL学園、初優勝。青春のドラマは今、終わりました。まさにPL、奇跡の逆転。サイレン鳴って、もう戦いはありません」

    ネット裏にある朝日放送のブースで、「甲子園は清原のためにあるのか!」など、数々の名実況で有名なアナウンサー・植草貞夫が叫んだ。甲子園は興奮というより、異様な、騒然とした雰囲気に包まれた。「逆転のPL」が誕生した瞬間だった。

    3年間の高校野球生活をかけた最後の夏は、全国各地で行われる予選大会でも、信じられない逆転ドラマが展開されている。しかし、PLは甲子園を舞台に、しかも準決勝、決勝の大一番で2日続けて9回に追いつき、逆転、そしてサヨナラで優勝を決めた。PLはその後も逆転を伝統にし、強い強豪校というより、「筋書きのないドラマ」を演じる人気校となって甲子園を沸かせた。

    西田 教団の教えが、粘って粘って粘り抜けだった。予想通りにならないのが野球の面白いところだし、甲子園の大観衆もすごく力を与えてくれた。苦しい状況でも粘り抜く気持ちでやっていたが、あんなことが起こるとは…。逆転のPLって、いい表現ですよね。マスコミの方に感謝しないと…。桑田も清原もあの試合を見て、PLに進学してきたそうです。もちろん、ボク自身も人生を変えてくれた逆転優勝でした。

    PL卒業後は法大に進み、82年ドラフト1位で広島入団。13年間のプロ生活の多くは代打の切り札としての活躍だった。だが、その勝負強さを支えたのも、「逆転のPL」の主役を演じたことによるものだろう。

    西田は今、独立リーグの四国アイランド・リーグ「香川オリーブガイナーズ」の監督として、プロを夢見る若い選手と一緒に汗を流す毎日を過ごしている。

    西田 高校、大学、プロと、ずっと野球をやってきましたが、振り返ると、すごく恵まれた環境でした。でも、今預かっている選手たちは、ホントに厳しい中で野球をやっている。環境は悪くないけど、収入という点では厳しいです。独立リーグという性質上、仕方ないことですが、そんな中から1人でも2人でもプロの世界へ送り出してやりたいと思っています。

    母校のPL硬式野球部は今、休部となっている。昨年の夏を最後に野球部は存在せず、高野連にも加盟していない状態である。西田は「寂しいのひと言に尽きる」としか言わなかった。だが、西田らの時代は教団、学園を挙げて「悲願の日本一」に向けて、PLが一体となっていた。まさに、「隔世の感あり」ということになる。

    中学時代、和歌山で有望選手として注目されていた西田とPLは不思議な縁でつながっていく。「逆転のPL」のドラマは、その時から始まっていた。(敬称略=つづく)【井坂善行】

    78年夏の甲子園

    ▽準決勝(8月19日)延長12回

    中京 000 101 011 000  4

    PL 000 000 004 001X 5

    【中】武藤、黒木、武藤-阪本【P】西田-木戸 [三]辻、栗岡(中)、西田(P)[二]柳川、戎、渡辺(P)

    ▽決勝(8月20日)

    高知商 002 000 000  2

    P L 000 000 003X 3

    【高】森-坂上【P】西田-木戸 [二]木戸、西田、柳川(P)

    ◆西田真二(にしだ・しんじ)1960年(昭35)8月3日生まれ、和歌山市出身。78年PL学園のエース兼4番として春の甲子園ベスト8、夏は同校初の全国制覇を導く。法大で外野手に転向し、東京6大学ベストナイン5回。82年ドラフト1位で広島入団。主に代打の切り札として活躍。91年は山本浩二監督のもと後半戦で4番も務め、リーグ優勝に貢献。95年引退までの13年間で出場787試合、打率2割8分5厘、44本塁打、226打点。引退後は3年間広島でコーチを務め、07年から香川監督。174センチ、82キロ。左投げ左打ち。

    ◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。

    (2017年11月21日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181219-00417389-nksports-base

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