広島カープブログ

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    野村克也

     江夏、沈痛-。プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王となるなど選手、監督として活躍した野村克也さん(享年84)の死去から一夜明けた12日、南海で指揮官と選手としてともに戦った江夏豊氏(71)が、ソフトバンクのキャンプ地・宮崎で恩師の急逝に言及。沈痛な面持ちで「後ろ姿を見て育ってきた」と感謝の思いを口にした。



     ともに「革命」を起こした恩人は突然、天国へ旅立った。ソフトバンクのキャンプ地を訪れた江夏氏は、宮崎の曇天を寂しそうに見上げた。11日に急逝した野村さんへの思いを問われると、感謝と尊敬の念を口にした。

     「投げる方は(プロ野球史上最多400勝を記録した)金田(正一=国鉄、巨人)さん、野手なら野村さんがプロ野球を繁栄させた。その後ろ姿を見て、育ってきた」

     知人に会うために宮崎市内のキャンプ地に立ち寄った。工藤監督と言葉を交わして久々の現場を見守った後、恩師への思いを語った。

     大投手・江夏豊の歴史の中で、中興の祖といえる人物が野村さんだ。出会いは電撃トレード。1967年の阪神入団以降、6年連続で奪三振王に輝くなど大エースに君臨するも、血行障害や心臓疾患などで成績は徐々に下降。76年1月に江夏氏と望月充、南海は江本孟紀(サンケイスポーツ専属評論家)、島野育夫、長谷川勉、池内豊の2対4の大型トレードが成立した。

     事実上の放出に江夏氏は涙し、現役引退も考えたが、思いとどまらせたのが南海の選手兼任監督だった野村さん。投球術をほめてチームに迎え入れた。しかし、血行障害で50球も投げれば握力が落ちる。先発としては全盛期の力はない。だが、短いイニングなら-。1年目に思うような成績が出せなかった左腕を、風呂場で口説いた。

     「プロ野球に革命を起こしてみないか?」

     まだ投手の分業制が確立していない時代に、抑えへの転向をすすめた。自宅も近く、毎夜のように野球談義を交わす野村さんの説得で77年からリリーフに転向。193セーブを記録し、最優秀救援に5度も選ばれる史上最強ストッパー・江夏豊が誕生した瞬間だった。

     77年に野村さんが南海監督を解任されると「ワシは野村監督に拾われた人間。監督がやめる以上、俺もとどまるわけにはいかん」と言い、古葉監督に請われて広島へトレードで移籍。79、80年の日本一に貢献し、79年の近鉄との日本シリーズでは、1点リードで迎えた九回無死満塁の大ピンチを乗り切る「江夏の21球」という伝説も生んだ。それもこれも野村さんのおかげ。遠山奬志(阪神)、小早川毅彦(ヤクルト)、山崎武司(楽天)…。後に「野村再生工場」と呼ばれる手腕も、江夏氏と起こした革命がはじまりだった。

     「革命かはわからないけど、教えてもらったことは思い出だよ」

     11日の訃報は、早い段階で耳に入ってきた。最後に顔を合わせたのは昨年の東京ドームでの巨人-阪神戦。野村さんとのすべての思い出は宝物。寂しい、悲しいなどという言葉で、語り尽くせるはずもなかった。

     「簡単な言葉では…。残念でならない」

     2人で起こした革命は今や球界の常識となった。野村さんとの軌跡は、心からの誇り。球場を去るとき、江夏氏は寂しげにほほ笑んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200213-00000039-sanspo-base

     2017年夏、広陵(広島)の主軸として甲子園に出場し、清原和博(PL学園)の記録を更新する1大会6本塁打を放って一躍脚光を浴びた広島・中村奨成捕手(20)。強打と強肩を評価され、同年ドラフトでは1位指名で中日と競合したほど注目を集めたが、2年間いまだ1軍出場はなし。プロ入りからこれまで、3年目の今季にかける思いを語った。(取材構成・坂口 愛澄)

     3年目で初めて春季キャンプ1軍スタートとなった中村奨。13日から始まる沖縄2次キャンプ行きの切符も手にして開幕1軍への生き残りを図っている。

     「今はチャンスをもらっている身。アツさん(会沢)や石原(慶幸)さんのプレーを見られ、毎日勉強できています」

     1年目はプロのレベルの高さに驚き、戸惑いの連続だった。

     「(甲子園で)あれだけ騒がれて、プロに入ってもうまくいくやろうなと思っていました。でも、プレーの一つ一つ、打球も全然違う。バットも金属から木製に変わり、飛距離が出なかった。もっともっと練習しないとついていけないと思いました」

     高校時代の栄光もプレッシャーになっていた。

     「めっちゃしんどかった。何かあれば(記事や名前が)出てくる。甲子園は自分の中では終わったものだったのに」

     2年目は春季キャンプでろっ骨を疲労骨折。復帰した6月の2軍戦では頭部に死球を受けるなど不運も重なった。その間に同年代のヤクルト・村上が36本塁打を放って新人王を獲得するまでに成長。やはり焦りはあるのか。

     「清宮、清宮と騒がれている中で村上が出てくるとは思わなかった。すごいな、とは高校の時から感じていた。焦りは特にない。争うというのも違います」

     思うように体重が増えずパワー不足を痛感。入団時から2年間で3キロ増えただけだったが、今オフは1日5食をノルマにし、79キロから83キロまで増量した。

     「遺伝子検査で太りにくい体だとわかったんです。食っても食っても増えない。ケーキやプリン、甘いものを多く食べました」

     今季こそは、の思いを胸にキャンプでは連日、居残りで汗を流す。原動力となっているのが家族の存在だ。

     「片親なので母親しかいない。おじいちゃん、おばあちゃんにも育ててもらったので、家族のために野球をしています」

     捕手陣には会沢、石原慶がいて磯村、坂倉、昨秋ドラフト5位の石原貴もいる。その一角に食い込むために必死だ。

     「早く1軍に行きたい。キャンプで結果を残して開幕1軍を目指します」

     ◆ノムさんに恩返し

     中村奨が故・野村克也さんに恩返しを誓った。12日、自身のインスタグラムを更新し、ともにキャッチャーミットを手にした2ショット写真を公開。「野村監督からお声をかけていただいた日の事は、生涯忘れません」と感謝をつづった。広島入団が決まった直後には花束とともに「母親を喜ばせてあげなさい」などと温かい言葉で背中を押してくれた大先輩。「一流のキャッチャーになります。天国からずっと見守っていてください。いつか、ビッグな選手になって喜ばせます!」と決意を新たにした。

     ◆中村 奨成(なかむら・しょうせい)1999年6月6日、広島・廿日市生まれ。20歳。小1から軟式野球を始め、大野東中では大野シニア(軟式)に所属。広陵では1年春からベンチ入り。17年夏に甲子園初出場で1大会6本塁打、大会通算17打点、38塁打の新記録を打ち立て準優勝。同年ドラフト1位で広島入団。年俸700万。趣味ゴルフ。家族は母と妹。181センチ、83キロ。右投右打。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200213-02120283-sph-base

     元広島投手の北別府学氏(62)が11日、急逝した野村克也さんを悼んだ。

     「野村克也さんを悼む」の題名でブログに投稿。「球界の大先輩 名球会でも ご挨拶をしてその後少しばかりのお小言をいただく 時にはニヤリと嫌味なことを言われる しかしながら全てまとを得ていて嫌な思いをした事は一度も無い」と愛されたひとがらをしのんだ。


     白血病で闘病中の北別府氏は「素晴らしい実績と知力を兼ね備えていたそんな大先輩のようには中々なれません」と称え、「病院で野村さんの事を色々と思い出しています」とつづった。

     「昨日からとうとう無菌室に入りました しばらく家族との面会許可制ですがここで頑張って良い白血球が増えたら少し帰宅できると聞いて頑張れる!!」と記した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-00000043-dal-base

     元楽天監督の野村克也氏(84)が13日深夜放送のTBS系「S☆1」(日曜・深夜0時)で、17日に行われるドラフト会議で1位を指名した。



     番組では最速163キロを誇る大船渡・佐々木朗希投手(3年)、星稜・奥川恭伸(3年)、明大・森下暢仁(4年)の3人のカードを用意。

     野村氏は「みんな良いんだけど…」と悩んだ末、「佐々木だな」と佐々木のカードを選択。

     選んだ理由は「真っ直ぐの質だよ」と断言。「ボールの質を見る時は、キャッチャーのミット。ミットを見るんだよ。ミットが下がらないでしょ。ボールが伸びてくると下がらないから。ミットは本当に正直だよ」と絶賛。「プロでもいないよ、こんな球投げんの」と手放しで称えると「高校時代のマー君より断然上でしょ! 本当に高校生かよ。いるんだね、こういうピッチャーが」と楽天時代の“愛弟子”ヤンキース・田中将大投手(30)を超える逸材だとした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191015-00000048-sph-base

    【日本シリーズ】鯉と鷹の物語(1)

     1975年、広島を悲願のリーグ初優勝へと導いたのが古葉竹識監督。広島の選手時代は走攻守三拍子そろった内野手として活躍したが、70年から現役最後の2年間は南海(現ソフトバンク)でプレーし、引退後は捕手を兼任する野村克也監督のもと、まずは2軍でコーチ修行に励んだ。

     当時の南海はデータや基本重視の“シンキング・ベースボール”を旗印とし、「いろいろ勉強させてもらった」と古葉氏。1軍コーチとなった73年にはパ・リーグ優勝も経験し、「われわれチームだけでなく、南海ファンの喜ぶ姿が印象的だった」と振り返る。

     翌74年も野村監督に留任を求められたが、広島の新監督に就任した専大の先輩、森永勝也氏に請われて古巣へコーチとして復帰。75年シーズン途中の5月に39歳で監督へ昇格し、大胆かつ細心の采配でペナントレースを制した。

     「僕が引っ張ったのではなく、選手が僕を引っ張ってくれた」が優勝当日のコメント。その後3度の日本一に輝いた古葉野球の源流は南海にあったといえそうだ。(浦)

        ◇

     広島-ソフトバンクという初の顔合わせとなった今年の日本シリーズ。実は両チームは昔から人的交流が盛んで双方にゆかりがあり、球界に足跡を残した人物も少なくない。その歴史をひもといてみた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181027-00000546-san-base

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     ◇セ・リーグ 広島3―2阪神(2017年9月18日 甲子園)

     広島のリーグ連覇は1979、80年以来、37年ぶりだ。当時、守護神として連覇に貢献した江夏豊氏(69=野球評論家)が当時を振り返った。(聞き手・内田 雅也)

     18年間のプロ野球生活で広島にいた3年間が最も幸せな楽しい時期だった。80年は開幕前から「勝てる」感覚があった。79年に優勝して適材適所で人材がいた。決して層が厚いわけではなかったが、監督の古葉さん(古葉竹識氏)が「この場面ではこの選手」という用兵を把握していた。

     レギュラーをつくるのは比較的簡単だ。問題は代打、代走、守備要員、投手なら中継ぎ、リリーフをいかにつくり、うまく起用していくかにある。その点、今の緒方監督も選手の特長を生かしてやりくりしている。センターラインの1、2、3番を固めた。15年の就任後、実績のなかった中崎を抜てきするなど今の継投の形をつくった。しぶといチーム。連覇もうなずける。

     南海時代の77年に野村克也監督から「革命を起こそう」と言われ、リリーフ専門となった。79年は広島に移って2年目。春にサチ(衣笠祥雄氏)が「おい、今年は優勝するぞ」と言った。「ウチの穴をおまえが埋めてくれたからな」との言葉はうれしかったが、半信半疑だった。何しろ自分は優勝を知らない。阪神で73年に巨人と最終戦まで優勝争いを演じたが、当時のカープはまた雰囲気が違った。チーム一丸というのかな。自分もその空気に乗せられていった。

     カープでは首脳陣が選手と同じレベルで悩んでくれたり、相談に乗ってくれた。キャンプ地の日南は昼間は喫茶店、夜はスナックになる店があってね。首脳陣と一緒にわいわいやった。恐らく今のカープもそんな雰囲気じゃないのかな。家族と言えば親子だが、首脳陣とも兄弟という間柄のような関係にある。それもまた強みかもしれん。(談)

     ◆江夏 豊(えなつ・ゆたか)1948年(昭23)5月15日、奈良県生まれ。大阪学院高から66年1次ドラフト1位で阪神入り。68年、プロ野球新記録のシーズン401奪三振。73年にはノーヒットノーラン達成。76年に南海へ移籍し抑え投手に転向。78年に広島へ移り、2連覇に貢献した。81年に移籍した日本ハムでも優勝。84年西武で現役引退した。通算206勝158敗193セーブ、防御率2・49。

     ▽広島の前回連覇 1975年の初優勝から4年、79年は7人が規定打席に到達する盤石のレギュラー陣で優勝した。高橋慶彦が初の盗塁王、山本浩二が初の打点王。投手陣は南海から移籍2年目の江夏豊が9勝22セーブで初のMVPと最優秀救援に輝き、北別府学が17勝を挙げた。近鉄との日本シリーズを制し初の日本一。第7戦のラストは9回無死満塁をしのぐ「江夏の21球」だった。

     翌80年はマジック2で迎えた10月17日に阪神とのデーゲームに勝ち、新幹線で大阪から広島へ移動中に2位・ヤクルトが敗れて連覇を決めた。山本が本塁打、打点の2冠王でMVP。江夏が9勝21セーブで2年連続の最優秀救援を獲得した。
    引用元 https://news.infoseek.co.jp/article/sponichin_20170919_0075/

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     犠打や進塁打と制約の多いイメージがある2番打者。今季はペゲーロ(楽天)、梶谷隆幸(DeNA)といった攻撃的な2番打者が主流になりつつあるが、広島の菊池涼介は数少ない自己犠牲のできる2番打者だ。

     1日の西武戦で、これぞ2番打者という仕事を見せた。初回、先頭の田中広輔が二塁打で出塁し迎えた第1打席。この場面、田中を三塁に進めたいところ。菊池は2球連続でバントを試みるも失敗。2ストライクと追い込まれたが、1ボール2ストライクからの5球目、先発・十亀剣が投じたインコースのストレートを右方向へ二ゴロ。連続でバントを失敗したが、結果的には田中を三塁へ進塁させ、最低限の役割を果たした。

     この二ゴロにニッポン放送ショウアップナイターで解説を務める野村弘樹氏は「送りバント2つ失敗して、難しいインコースのストレートを簡単に逆方向。この辺でしょうねカープの強さというのは…。自己犠牲を含めてアウトになっても(走者を)進めることができる。そうなると次に入る丸も楽になる」と絶賛。丸佳浩が投ゴロ、4番鈴木誠也が空振り三振に倒れ、得点には繋がらなかったが、広島の強さを象徴するようなシーンだった。

     また、野村克也氏も4月21日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター巨人 - 阪神戦』の中継の中で2番の役割について「典型的な脇役だと思うんですよ。進んで自己犠牲ができる選手が、2番を打つのが一番いいんです」と繋ぎの役割こそが2番打者だと話す。

     ただ菊池は自己犠牲もできるが、ヒットで後の打者に繋ぐこともできる。5月30日の西武戦では、8回二死一、二塁からライトへタイムリーヒット、9回には二死満塁からレフトへ2点タイムリー二塁打を放った。

     バント、右打ちなど何でもできる菊池涼介。“攻撃的な2番打者”にはない、魅力的な2番打者といえそうだ。

    (提供=ニッポン放送ショウアップナイター)

    <ヤクルト8-9広島>◇7日◇神宮

     広島新井貴浩内野手(40)がヤクルト12回戦(神宮)で、土壇場の9回2死一、三塁に代打逆転決勝3ランをぶっ放した。チームは9回に6得点。最大6点のビハインドをひっくり返した。


     ▼広島が9回に3本塁打などで6点を挙げ逆転勝ち。9回に5点差以上をひっくり返したのは、9回裏に6点を挙げてサヨナラ勝ちした14年8月6日ロッテ(2-7→8-7)以来だがビジターの9回表に逆転は11年5月20日中日(0-5→6-5)以来6年ぶり。

     ▼40歳5カ月の新井が9回2死から代打逆転3ラン。土壇場の9回2死から代打逆転本塁打は10年4月3日川本(ヤクルト=代打逆転サヨナラ2ラン)以来、7年ぶり。40代の代打本塁打はプロ野球通算47本目となり、広島では初。80年4月26日に44歳9カ月の野村(西武)が9回1死から代打逆転3ランを放っているが、40代の選手が9回2死から代打逆転本塁打はプロ野球史上初めてだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170708-01851858-nksports-base

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