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    高校野球

    <全国高校野球選手権:下関国際-創志学園>◇15日◇2回戦

     「レジェンド始球式」に沖縄(現沖縄尚学)OBで元広島の安仁屋宗八氏(73)が登板した。往年のフォームをほうふつとさせる力投で力強く投げ込んだ。

     「終戦の日」の登板に「100回大会を迎えられて、日本が平和じゃないと続くことじゃない。日本が平和だから続いたこと。戦争というのは2度と起きてはいけない。終戦の日に始球式をさせてもらえることは、幸せの1ページ。一生の思い出です」と平和を願った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00300125-nksports-base

     第100回全国高校野球選手権大会(甲子園)が8月5日に開幕した。横浜高校出身の広島・下水流昂外野手(30)は3年春にセンバツ大会を制し、同年夏の甲子園にも出場。今季は勝負強い打撃でチームに貢献。鯉のサヨナラ男が、名門で過ごした3年間を振り返った。

     甲子園春夏連覇を目指した3年の夏は一瞬で幕を閉じた。“佑ちゃんフィーバー”に沸いた2006年、大会初日から横浜-大阪桐蔭の名門対決が実現した。いきなりのビッグカードに注目が集まる中、横浜は中田(日本ハム)を擁する大阪桐蔭に6-11で敗退。同校では98年以来の連覇の夢は断たれた。

     「連覇していたら、すごいことになっていたかもしれないですけどね。(相手は)強かったです。プレッシャーはなかったんですけど、力負けです」

     まさかの初戦敗戦だった。同年春の選抜大会では強豪校を次々と破り8年ぶりに優勝。1回戦で履正社に勝って勢いづくと、2回戦は八重山商工の大嶺、続く3回戦は早実の斎藤らプロ注目右腕を打ち崩した。下水流も大暴れだ。斎藤から2安打を放ち、岐阜城北との準決勝から4番に座った。清峰との決勝も21-0の大勝。一気に頂点に駆け上がった。

     それでも「春の優勝より負けた試合がすごく印象に残っている」という。「開会式をして3試合目で。次の日には帰っていました。夏休みは長かったですね」と当時を苦笑いで振り返った。

     名門横浜では刺激的な3年間を過ごした。同期に福田(中日)、佐藤(元日本ハム)、1学年下に高浜(元ロッテ)がおり、2学年上に涌井(ロッテ)、石川(DeNA)、2学年下にも土屋(元DeNA)と倉本(DeNA)らがいた。まさに猛者ぞろいで、レギュラー奪取も簡単ではなかった。転機は内野から外野への転向だ。同時期に打撃が開眼し、2年秋の新チームになって、ようやく定位置をつかんだ。

     名将・渡辺監督(現終身名誉監督)の教えは今も心に刻まれている。厳しさの中に優しさがあり、技術的なことより「精神的な話」が多かったという。下水流は「人としてどうか、今の人格形成のベースになっています」と感謝を口にする。

     高校卒業後は青学大に進学。社会人ホンダを経て、2012年度ドラフト4位で広島に入団した。「(高校時代は)うまくなかったので今ここにいることがラッキーです」と笑うが、今やすっかり鯉のサヨナラ男だ。4月19日ヤクルト戦で初のサヨナラ打を放つと、7月20日巨人戦では九回2死一塁から劇的なサヨナラ2ラン。仕事人ぶりを発揮し、3連覇のムードを高めた。「一番甲子園に行く可能性があると思った。あこがれもありました」。横浜で過ごした3年間が、神がかり的な勝負強さを見せる下水流の原点だ。(デイリースポーツ・杉原史恭)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00000057-dal-base

     2年連続出場の二松学舎大付の全部員に、OBの鈴木誠也外野手(広島)からオリジナルTシャツが届いた。

     昨年は鈴木が単独で製作したが、今年は同じくOBの大江竜聖投手(巨人)、永井敦士外野手(広島)との共同作品。選手たちは練習場への移動などの際に着用しており、右田は「本当に手の届かないような存在なので、とてもうれしい」と“神パワー注入”に感謝した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00000528-sanspo-base

     「第100回全国高校野球選手権・1回戦、木更津総合10-1敦賀気比」(10日、甲子園球場)


     兄を超えることはできなかった。敦賀気比(福井)の西川剣之介外野手(3年)は聖地で無安打。チームも1-10で木更津総合に敗れ、初戦を突破できなかった。「勝ちたかった。打席では力が入ってしまった」と言葉を絞り出した。

     OBで広島で活躍する兄の龍馬は、3年春に出場したセンバツで安打を放つことができなかった。大会前には「そんなに甘くないからなって言われました」。その言葉に奮起して打席に立ったが、五回2死一、三塁で左飛に倒れるなど、兄と同じ3打数無安打に終わった。

     龍馬は卒業後、社会人王子製紙に進みプロの世界に飛び込んだ。剣之介は大学に進学する予定だ。「悔しさの方が大きい」。雪辱を新たな力に変えて、社会人野球でのプレーを目標に歩み出す。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180811-00000018-dal-base

     1966年(昭41)、大阪大会の準決勝で快速左腕・江夏豊を擁する大院大高は公立校・桜塚に0-1で惜敗した。決勝点は3回に出た内野手の3失策によるものだった。もう1歩のところまでに迫った甲子園にわずかに届かなかった。自身が打ち込まれたわけでもない。しかし江夏は今はもちろん、その頃も不満を示すことはなかったという。


     江夏 ウチも桜塚の奥田(敏輝)を打てなかった。1回裏1死一、三塁。ここで4番打者のオレが二ゴロ併殺に倒れた。チャンスらしいチャンスはここだけだったな。それに野球にエラーはつきものだしな。そういう考えは、もう頭に染み込んでいた。だからプロ野球の世界に入った後も野手のエラーにそんなに怒った記憶はないんや。

     大院大高3年になったころ江夏の名前は高校球界にとどろいていた。「学院に江夏あり」。そう言われた。向かうところ敵なしの状況に慢心も生まれていった。味方が失策すると滑り止めのロジンバッグをマウンドにたたきつけ、けっ飛ばしたりもしたという。

     江夏 3年になったころかな。試合中にエラーが出て、そういう感じになっていたら塩釜監督が飛んできて、はり倒された。そして試合の後に懇々と諭されたわ。野球にエラーはつきもの。それにロジンは自分の味方なんやぞ。グラブとロジンは投手にとって最後の味方なんや、ということだったな。そのことをしっかり染み込まされた。だからオレは野手のエラーに怒ったことはないと思うよ。

     多くの人たちの力があっての野球人生だと、江夏は振り返る。慕った大院大高監督の塩釜強も、その1人だ。塩釜は野球の技術論はほとんど教えなかったが、野球に対する考え方をしつこく指導した。失策に不満顔を示した江夏を叱責(しっせき)し、指導したのも塩釜だった。

     江夏 このトシになるまでオレは好き放題に生きてきたよ。バカな失敗もやらかしたしな。でも本当にいい人たちに恵まれたと思う。人との出会いがよかったんだな。

     夢を砕かれ、のちに阪神で同僚になった奥田、高校の練習試合で打ちのめされた兵庫・育英の同じ左腕だった鈴木啓示もライバル視した。プロに入ってからは同じ背番号「28」を背負っていた衣笠祥雄も意識していた。

     江夏 鈴木には高校時代、てんぐの鼻を折られたからな。サチ(衣笠)は高校時代から知ってたよ。「平安の衣笠」は有名だ。あとになって広島でいっしょに戦ったんだけどな。そんな連中と、のちになって親友といえる存在になるんだからな。

     そんな人々とのめぐり合いも野球をやっていればこそだ。その原点は江夏本人も強調するように高校野球にあった。大院大高での3年間は江夏豊という男の基礎をつくった。そして失策で甲子園を逃した桜塚との試合も忘れることはない思い出だ。

     江夏 高校野球、プロ野球、それにメジャーリーグとそれぞれ技術の次元は違うだろう。でもな、1つのボールを追いかける思い、情熱はみんな同じなんだ。だから高校野球はいいんだ。

     今年も夏の大会がやってくる。江夏は自宅のテレビの前で、痛む膝をかばい、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら球児たちの行進を見守る。(敬称略=おわり)【高原寿夫】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00278365-nksports-base.view-000

     「第100回全国高校野球選手権大会・2回戦、二松学舎大付5-2広陵」(12日、甲子園球場)

     昨夏、準優勝の広陵(広島)が、初戦で甲子園を去ることになった。2-2の同点で迎えた七回、エースの森悠祐(3年)が、3安打に3犠打を絡めたスモールベースボールを展開した二松学舎大付(東東京)に3点を勝ち越された。

     打線は初回に1死一塁から三振併殺、二回は無死二塁からバント失敗併殺、三回は2死満塁も無得点と序盤三回までにつくった好機を逃すなど、相手を2本上回る10安打を放ちながらも、2点しか奪えなかった。

     中井監督も「あっと言う間に終わってしまった。力を出し切らせてあげられなかったのは監督の責」と初戦敗退の責任を背負い、「130人の大所帯で、控えの3年生が裏方としてチームを支えてくれた。みんなで勝って校歌を歌いたかった」と肩を落とした。

     さらに「(広島では西日本豪雨の)ニュースを数多くやっている。野球ができることに感謝の気持ち。みなさんに元気を与えられるプレーをしたいと思っていました」と話した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180812-00000054-dal-base

     甲子園に出場しなくても「伝説」は生まれる。阪神のエースから優勝請負人と呼ばれ、球界の伝説(レジェンド)とも言うべき存在である江夏豊(70)は高校時代、あこがれの甲子園大会への出場はかなわなかった。大阪府大会6試合で計81三振を奪った「あの年」を江夏が振り返る。


       ◇    ◇    ◇   

     毎年8月の甲子園大会、その開会式を江夏は自宅テレビの前で正座をして見守るという。阪神のエースから日本ハム、広島で不敵な面構えからの投球術で相手打者を翻弄(ほんろう)した江夏が、だ。

     江夏 70にもなってな。恥ずかしいんだけど。最近は膝が痛いので正座はなかなかできないんだ。それでも背筋を伸ばして真剣な気持ちで見ているのは本当だよ。そりゃあ、そうだろ。甲子園はあこがれだったし、夢だったし。出ることが最終目標だったよ。あれが、やっぱりオレの原点なんだな。

     プロ野球選手として、江夏はいくつも伝説をつくった。阪神のエースから南海、「江夏の21球」を生んだ広島、そして日本ハム時代。さらに西武を最後に日本球界を去った後、85年には当時では考えられなかったブルワーズの春季キャンプに参加してのメジャー挑戦で世間を驚かせた。そんな男が高校野球になると少年のように目を輝かせる。

     高校は当時、有名ではなかった大院大高。その頃の話になると、江夏は「オレたちは『私学6強』と言ってたな」と述懐する。PL学園、明星、興国、大鉄(現阪南大高)、北陽(現関大北陽)、そして浪商(現大体大浪商)…。大阪で甲子園に出るのはこの学校のうちのどこかに決まっていた、と強調する。

     そんな有名どころには行かず「のんびり野球をやっていそうや」という理由で選んだのが大院大高だった。甲子園にもっとも近くまで迫ったのは1966年(昭41)3年夏の大会。江夏の活躍で準決勝まで進んだ大院大高を始め、北陽、大鉄、そして公立の桜塚が残っていた。大阪・豊中市にある桜塚は、下手投げのエース奥田敏輝を中心に勝ち上がってきていた。

     江夏 どこと当たるんかなと思ってたな。抽選で桜塚に決まったとき、みんな、いや~な気分になったもんだ。PL、北陽、大鉄なら練習試合もしていたし、どんなチームか知っていたから。自信もあった。でも桜塚か。元々は女学校だったらしいぞ。勉強はできるらしい。いろいろな話をした。勉強では負けるけど野球では負けんぞ。そう思っていたけど、みんな、いやな感じは受けていた。奥田はそこまでオール完封。相手が桜塚に決まったとき、みんな、下を向いてたわ。

     江夏は66年のドラフトで阪神入りしたが、この奥田もその年にドラフトで指名されて阪神入り。同期生になっている。プロでの成績は大きく差がついたが2人は親友と呼べる仲になった。故人となった奥田の話をするとき、江夏は柔和な顔になる。だが、このときは甲子園を目指しての真剣勝負だった。

     大阪・日生球場。その3回だ。大院大高は遊撃の失策で走者を出してしまう。江夏は一塁にけん制球を投げ、走者を誘い出すことに成功したが一塁手が二塁に悪送球。次打者は送りバント。三塁手がさばき、三塁カバーに入った江夏に送球したが、これも悪送球になった。これで走者は生還。決勝点になり、0-1で江夏の夢は散った…。(敬称略=つづく)【高原寿夫】

     ◆大阪の夏甲子園 通算166勝87敗。優勝12回、準V5回。最多出場=PL学園17回。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180726-00277573-nksports-base

     「第100回全国高校野球選手権・1回戦、佐久長聖5-4旭川大高」(6日、甲子園球場)

     甲子園大会初のタイブレークを制し、佐久長聖(長野)が4年ぶりに初戦突破を果たした。

     延長十二回まで4-4で勝負がつかず、延長十三回からタイブレークに突入し、無死一、二塁で打順は前の回からの継続でスタートした。

     以下は、タイブレークの経過。

     ▽延長十三回表 佐久長聖は1死満塁のチャンスを作るが、三振と二ゴロで無得点。

     ▽延長十三回裏 旭川大高は犠打で1死二、三塁としたが、捕邪飛と投飛で無得点。

     ▽延長十四回表 佐久長聖は1番・真銅龍平外野手(3年)が三塁際へ犠打安打で無死満塁。続く上田勇斗内野手(3年)の二ゴロで三塁走者がかえり1点を奪った。続く打者は併殺。

     ▽延長十四回裏 旭川大高は三塁ゴロで二塁走者が三塁で封殺。1死一、二塁で次打者が二ゴロ併殺でゲームセット。

     佐久長聖の藤原弘介監督はPL学園OBで、監督としても同校を率い、春夏計3度の甲子園出場。前田健太(現ドジャース)らを育てた。2012年に佐久長聖の監督に就任すると、14、16年の夏の甲子園に出場した。藤原監督は試合後、「厳しい戦いでした。生徒達が成長していることを実感できた試合でした」と振り返っていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00000129-dal-base

     「阪神-広島」(24日、甲子園球場)

     広島・中崎翔太投手が試合前、母校・日南学園の甲子園出場に喜びの思いを口にした。


     前日の23日に日章学園との宮崎大会・決勝が行われ、11-8で2年ぶり9回目の甲子園切符をつかんだ。

     自身は高校時代、甲子園に縁がなかったが「おめでたいことです。頑張っている後輩を見ると、僕も頑張らないとと思いました」とうなずいた。

     中崎は今季、38試合に登板し0勝0敗23セーブ、防御率2・19で首位を独走するチームの守護神として活躍している。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180724-00000118-dal-base

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