広島カープブログ

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    高校野球

    ■元プロ野球選手 新井貴浩さん

     台風で順延してしまいましたね。見たかったなあ、甲子園での試合。いまは朝起きると、テレビをつけて高校野球を見ます。一生懸命な、はつらつとしたプレーに元気をもらってます。

     僕は甲子園には出られませんでした。広島工3年の夏、県内では、二岡智宏(元巨人など)、福原忍(元阪神)のいた広陵が絶対的な優勝候補だった。3回戦で対戦することになり、「失うものは何もない」とみんなでぶつかって勝利。「これで甲子園いける」と思ったけど、4回戦で西条農に競り負けた。主将だったので、試合後は涙を我慢したけど、学校に戻って仲間の前であいさつする時に、一気に涙が出てきました。42歳になっても、当時の仲間とは忘年会をしています。

     プロ野球選手になって最初に感動したのが、試合で甲子園球場に足を踏み入れた時。憧れであり夢だった場所。大きいな、広いな、これが甲子園かと思いながら土に触れました。

     引退した昨年までの3年間、広島でセ・リーグ3連覇を成し遂げる中で、周囲からは精神的支柱と言ってもらいました。自分としては、みんなでワイワイやっただけ。でも、全力プレー、全力疾走は貫きました。実績を重ね、ベテランになるほど責任は重くなり、周囲への影響力は大きくなる。高校生なら1年生より3年生。上級生やベテランがちゃらんぽらんなことをするとしらける。率先垂範(そっせんすいはん)です。

     終戦の日です。黙禱(もくとう)しましょう。

     (観客のいないスタンド。新井さんは立ち上がり、目を閉じました)

     小学生の頃は毎年、授業の一環で広島平和記念資料館を訪れた。慰霊碑の前で手を合わせ、被爆者の体験を聞きました。一時期、原爆ドームから約2キロの場所に住んでいたこともあります。小学校には被爆した木があった。祖母2人も被爆者です。戦争を直接知らない世代ですが、広島で生まれ育った者にとって戦争は身近なものです。

     小さい頃、怖くても目をそらしちゃだめと思いながら読んだ「はだしのゲン」の作者・中沢啓治先生とも交流を持たせていただきました。広島の人にとってカープは戦後復興の希望。お会いした時、僕は阪神でプレーしていました。でも、「どこに行こうが、君は広島で生まれ育った人間だ。ずっと応援している」と言葉をもらいました。

     僕が日本プロ野球選手会の会長をしていた2011年には東日本大震災が起きました。楽天の選手に話を聞くと、野球どころではない状況だった。それまで毎年、開幕を迎えて野球を出来ていたことが、実はあたりまえのことじゃなかった。

     野球はみんなが助け合うスポーツです。東北以外に住む自分たちが被災していないからいい、ではない。ファンの方の後押しも受けてセ・パ同時開催に奔走しました。昨年は広島などで西日本豪雨もありました。あたりまえに野球が出来ることへの感謝を意識し続けるのは、難しいかもしれない。でも、心の片隅において、節目に思い返したいし、球児にもそう思ってもらえるといいですね。(構成・藤田絢子)


         ◇

     あらい・たかひろ 1977年、広島市生まれ。プロ野球広島、阪神で20年にわたりプレー。2016年には通算2千安打達成。デイリースポーツとスポーツニッポンの評論家として活躍中。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000059-asahi-spo

     「第101回全国高校野球選手権大会」の熱戦が続いている。

     令和最初の夏の甲子園。プロ9年目でブレークした広島・中村恭平投手(30)が、立正大淞南(島根)で過ごした3年間を振り返った。



     プロ9年目で覚醒を遂げた左腕は、神奈川を離れ、島根県にある立正大淞南で白球を追った。中学時代は身長158センチと小柄で、最速も110キロ止まり。高校入学後も順風満帆ではなかった。膝を故障し、2年夏には肘を手術した。球児としてプレーしたのは「実質1年ぐらい」と言う。

     高3春から本格的に実戦復帰し、夏には背番号1が与えられた。地方大会は2回戦益田産を破り、続く川本戦も大勝。準々決勝まで駒を進めたが、梶谷(DeNA)を擁する開星に八回コールド負けを喫した。中村恭はすべて2番手で登板したが、夏の甲子園への道は険しかった。

     「あぁって感じでした。負けるかなあと思っていました。開星は強かったので。そこに勝たないと行けないと思っていました」

     06年夏と言えば“佑ちゃん、マー君フィーバー”が巻き起こった年だ。早稲田実業と駒大苫小牧の再試合は国民的な関心を集めていたが、「プロになれると思っていなかった」という左腕にとって別世界のようであった。

     「テレビも見てなかったです。でも情報は入ってくるじゃないですか。すごいなあと。それぐらいですよ。負けたチームの選手ってこれからどれだけ遊ぼうかっていうことを考えてますから(笑)」

     中村恭も開放感に満たされていたが、左腕に夏休みはなかった。「オマエは絶対プロになれる。大学でも野球を続けた方がいい」。卒業後の進路に迷っていた頃、田中謙二監督に半ば強引に大学進学を勧められた。高3の頃には身長180センチまで伸びていたが、球速は120キロ台。プロからスカウトされることもなかったが、中村恭は恩師の言葉に従った。

     07年9月、富士大でプロの夢を追い始めていた中村恭にまさかの訃報が届く。田中監督が脳梗塞で急逝したという知らせだ。41歳の若さだった。悲しみを乗り越え、左腕は急成長を遂げる。最速149キロをたたき出し、10年に広島からドラフト2位指名を受け、恩師との約束を果たした。

     昨年までの8年間はくすぶったが、今季は1軍に定着。6月は勝ちパターンも担った。左肘違和感で一時離脱もあったが、7月後半には1軍復帰。キャリアハイの成績を残して、今オフは恩師の墓前へ報告するつもりだ。(デイリースポーツ・杉原史恭)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00000107-dal-base

    (10日、岡山学芸館6―5広島商)

     大正、昭和、平成、そして令和の四つの元号で夏の甲子園出場を成し遂げた広島商。伝統に支えられたプレーの数々に、OBたちも目を細めた。

     5度目の優勝を果たした1973年夏の大会に1番・三塁手として出場した浜中清次さん(62)=広島市西区=は、内野席で試合を見守った。

     あの年、元広島カープの達川光男さんらを擁するチームは公立の強豪校を次々に破り、決勝で静岡(静岡)を相手に劇的なサヨナラ勝ち。当時の浜中さんのユニホームは、球場内にある甲子園歴史館に展示されている。

     この日、五回表に山路祥都君(3年)が本塁打を放つと、身を乗り出して打球の行方を追い「あの大会の達川さんの本塁打を思い出すなあ」と懐かしがった。

     孫の清水真翔(まなと)君(同)も七回に代打で登場。敵失で出塁し、好走塁で貴重な追加点のホームを踏むと、「ほっとした」と胸をなで下ろした。

     広島商らしい堅守が光る場面も多かった。七回裏、5―3に追い上げられ、なお1死一、三塁のピンチで、二塁手の北田勇翔君(同)や遊撃手の水岡嶺君(同)らが連係して併殺にすると、「これぞ広商野球、勢いを攻撃につなげてほしい」と拳を握りしめてたたえた。

     惜敗したが、浜中さんは「甲子園は広商にとって『庭』みたいなもの。選手たちは伝統を守り、土を持ち帰らなかった。後輩たちに必ず戻ってこいというメッセージだろう」と夢をつないだ。(東谷晃平)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000007-asahi-spo

     ◇第101回全国高校野球選手権大会 第5日2回戦 広島商5―6岡山学芸館(2019年8月10日 甲子園)

     15年ぶり23度目出場の広島商は、2回戦で岡山学芸館と対戦し惜敗。夏は優勝した1988年以来、31年ぶりの勝利を手にできなかったが、大正、昭和、平成、令和と4元号での出場を果たし、伝統の力を随所に見せつけた。

     逆転への願いは届かなかった。5―6の9回2死一、二塁、代打川口が一邪飛に倒れると、全力で戦ったナインは一様に天を仰いだ。重く、重くのしかかった1点差。「仲間ともっと戦いたかった。みんなと野球がしたかった」と話す主将の真鍋の目からは止めどなく涙があふれた。

     攻守で「広商野球」を体現した。0―1の2回無死、真鍋が中前打で出塁すると犠打、中前打で一、三塁。7番・杉山が二塁前に同点のセーフティースクイズを決めた。6回には無死一、三塁から水岡の中前適時打、真鍋の左犠飛で2点を追加した。

     遊撃手の水岡は守備でも輝いた。4―1の6回2死一、三塁での右前打で、右翼手からの三塁送球のカットに入ると、一転、一塁ベースをオーバーランした打者走者をアウトにして失点を最小限に食い止めた。「次のプレーを常に考えてやる。普段の練習から、やっていることができた」と胸を張った。

     過去6度の優勝を誇る名門も04年以来15年ぶりの出場とあって三塁側スタンドは多くのOB、関係者や生徒、一般ファンで埋まった。応援バス37台は早朝に広島を出発。大会前にはプロで活躍する柳田(ソフトバンク)からバット10本、135人の部員全員分のTシャツが、岩本(広島)からも全員分のタオルが差し入れられた。73年夏の優勝メンバーの元広島監督・達川光男氏(64)からは臨時コーチとして指導を受けた。真鍋は「応援は心強かった」と振り返る。だからこそ「そういう人たちの期待に応えられなかったのが悔しい」と唇をかんだ。

     大正から4元号すべての出場となったが、平成時代に夏の勝利はなし。昭和最後の王者が新たなスタートを切るため、令和元年に戻ってきたが白星はお預けとなった。荒谷忠勝監督(43)は力を込める。

     「彼らが頑張って、15年出ていないところの扉を開けてくれた。出る素晴らしさも怖さも勉強した。持ち帰って新チームで頑張りたい。広商は、本当にこれからだと思います」

     全力で戦った2時間26分は、新たな伝統の礎となる。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000066-spnannex-base

    ◆第101回全国高校野球選手権広島大会 ▽決勝 広島商10―7尾道(29日・マツダスタジアム)

     広島商が15年ぶり23回目の優勝を決めた。初回1死二、三塁から主将の真鍋駿三塁手(3年)の遊ゴロ失策の間に先制すると、2点リードの3回は先頭から8者連続得点で大量8点を奪った。6回に先発の倉本裕翔投手(3年)が7安打を集中されて6点を奪われたが、7回以降を2番手の中尾要一郎投手(3年)が無安打無失点に抑えて甲子園切符を手に入れた。

     荒谷忠勝監督(42)は閉会セレモニーを終えると一塁ダッグアウトでしゃがみ込んで男泣き。昨春の不祥事を乗り越え、大正、昭和、平成、令和と4元号での甲子園出場を決めたことに「その代、その代で、どのチームも一生懸命に戦った結果の積み重ねです」と感無量の表情だった。

     OBで1973年夏の甲子園の優勝メンバー、達川光男氏(元広島監督)は、臨時コーチとして母校を支えた。「広島商だけでなく、呉、広陵、高陽東、広島新庄、如水館、山口・南陽工、島根・浜田などにも(臨時コーチとして)行った。同世代(の広島商OB)は『死ぬまでに甲子園に出られるんじゃろうか』などと話していたが、このチームは我慢強い。我慢比べなら負けない。だから(4回戦、準々決勝と)連続サヨナラ勝ちで勝ち上がって来たのだと思う」と“教え子”たちをたたえていた。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190729-00000146-sph-base

    <全国高校野球選手権:組み合わせ抽選会>◇3日◇大阪フェスティバルホール

    広島商の初戦の相手が、隣県の岡山学芸館に決定した。15年ぶりの夏出場を決めた荒谷忠勝監督は「隣同士でやらなくても」と嘆いた。両校は練習試合を通して、よく知った間柄。6月には4ー1で勝利したが、指揮官は「どっちが勝ってもおかしくない」と話した。


    主将の真鍋駿内野手(3年)は、「相手の情報がある半面、相手もこっちの情報を知っているので」と警戒した。広島大会では、4回戦の神辺旭戦で延長10回に逆転サヨナラ勝ち。次の準々決勝、呉戦でもサヨナラ勝ちした。「あれでチームが勢いづいた。(練習試合のときよりも)成長できたと思う」と自信をみせた。

    真鍋は「目標は日本一」。昭和最後の覇者が令和最初の大会で優勝を目指す。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190803-08030979-nksports-base

    広島中村奨成捕手(20)が12日、マツダスタジアムで行われた母校広陵の初戦・西条農戦をスタンドから観戦した。

    球宴期間だったことで、プロ入り後初の生観戦がかなった。「後輩の応援に初めて来ることができて良かったです。いい刺激をもらいました。高校野球は1回きりなので、勝っても負けても、最後まで楽しんでもらいたい。まずは甲子園に行ってもらえるように応援します」。コールド発進の後輩たちに笑顔でエールを送った。

    今季、自身はケガで出遅れ、6月中旬に実戦復帰したばかり。7月に入ると、手薄な捕手事情もあり先発出場が増えている。15日阪神戦(倉敷)から始まるウエスタン・リーグの後半戦も先発のチャンスは増えそうだ。「(後半戦は)いいスタートを切りたいと思っている。しっかり刺激をもらったので、後半戦に生かしていけたらいいなと思います」。後半戦の巻き返しを誓った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-07120486-nksports-base

    <高校野球広島大会:展望>

    センバツ出場の広陵や広島新庄など実力校がノーシードから頂点を目指す。広陵は、春は県大会序盤で敗れたが、夏も有力候補。投手陣が充実しており、150キロ右腕・河野佳(3年)を軸に、左腕の石原勇輝(3年)、森勝哉(3年)や、高太一(3年)らも控え、4本柱。打線は、22日に行われた広島県の招待試合で大阪桐蔭と対戦し、17安打を放って7-3で勝利するなど、攻撃力に磨きがかかっている。



    伝統校の広島商や如水館も力がある。広島商は古豪復活なるか。この春は、15年ぶりに県大会で優勝。長打力のある打者がそろい、高い攻撃力が武器。夏の甲子園出場は、04年以来15年間遠ざかっており、この夏はオールドファンからの期待が高まりそうだ。如水館は今春から、元南海大久保学監督(54)が就任し、春の県大会では、広陵など強豪を倒していきなり準V。強肩強打の山下尚捕手(3年)が攻守の要。大久保監督が「甲子園を狙えるチーム」と評する戦力で夏に挑む。

    広島新庄の桑田孝志郎投手、木村優介捕手(ともに3年)のバッテリーはプロ注目。呉は、センバツでも好投したエース・沼田仁(3年)に続く投手の台頭が待たれる。

    最速151キロの好投手・谷岡楓太投手(3年)擁する武田にも注目。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190629-06281253-nksports-base

    【令和の野球はこうなる】

     すでに危険水域に突入しているといっていい。

     日本中学体育連盟(中体連)が公表しているデータによれば、2018年の中学校の軟式野球部員数は全国で16万8800人。08年の30万5958人から10年間で約13万7000人も減った。09年からは毎年、1万~2万人のペースで部員数が減っている。10年後には中学校から軟式野球部員がいなくなる計算だ。

    「危機的状況は指導の現場でも実感します」とは、元巨人の仁志敏久氏。仁志氏は12歳以下の日本代表である侍ジャパンU12の監督を務めるほか、野球教室などで小中学生への指導に携わる機会が多い。

    「地方では特に、1学年で1チームがつくれず、技術的にも体力的にもまだ途上の下級生がレギュラーに加わらなければ練習も試合もできない、という学校が珍しくありません。それが物足りず、レベルの高い選手がシニアやボーイズなどの硬式チームに移籍し、いよいよ中学野球部が部員不足に陥るという悪循環も起きています。言うまでもなく、中学野球部も高校野球への重要な人材供給源です。ひいては、プロ野球のドラフト候補のレベルにも重大な影響を及ぼす問題でもある。中学校の部活動には週2日は休日を設けること、練習時間は1日2時間まで――など規制が多く、部員数の減少の他にも、レベルが低下する条件が揃ってしまっている。プロ野球界にとっても看過できない状況です」

     そう言って仁志氏は、「実感として、中学野球部は10年持つか持たないか、という印象」と表情を曇らせる。

     今年、プロ野球には日本ハムの吉田輝星、中日の根尾昂、ロッテの藤原恭大、広島の小園海斗といった高卒のスター候補が入った。高校球界には早くも「令和の怪物」と呼ばれるMAX163キロ右腕、大船渡の佐々木朗希という剛腕も登場。巨人の岡本和真らを含め、彼らの活躍で若年層の野球離れを食い止められるか。次代を担う若手が果たすべき役割は小さくない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000008-nkgendai-base

     人懐っこくて、律義で、負けず嫌いで。出会いから半年たっていなくても、広島のドラフト1位・小園海斗内野手(18)には、好印象ばかりが思い浮かぶ。

     「高校野球を引退してから、小園にこんないいところがあったんやなというのが見えてきました」

     報徳学園の恩師、大角健二監督の言葉だ。2月、日南春季キャンプを訪問した恩師には、メールで丁寧にお礼を伝えた。「当たり前かもしれないけど、なかなかできないことです。記者の方にも丁寧なコメントをしていますね。そういういい話が、いろんな人から僕に伝わってくるんです」。オープン戦での遠征先では、報徳OBが営む飲食店にあいさつしに顔を出したこともあった。義理堅い一面を持ち合わせている。

     1月上旬の入寮から、大勢の記者に連日囲まれ続けた。18歳には酷な環境だった。それでも、誠実な対応は、今も変わっていない。「ほんまにいい子やな……」。記者からこのせりふを何回、聞いたことか。小園を取材したことのある人全員の共通認識だと思う。

     新入団会見を除いて初めて取材したのは、昨年の12月下旬だった。「すみません。まだ時間大丈夫ですか? どうしようかな……」。小園は、ペンを片手に約10分間も“フリーズ”していた。「新年の誓いを漢字1字で書いてください」という記者の突然のお願いに頭を悩ませていた。

     「漢字を確認しようと思って検索したら、根尾が書いた1字と一緒だったんです」

     小園への第一印象は、「負けず嫌い」になった。根尾とは違う漢字を色紙に書き込んだあと、抜群の表情で写真撮影に応じてくれる、満点の対応にも驚かされた。

     2日のウエスタン・リーグ中日戦は、根尾と初めての“直接対決”だった。小園が1安打で、根尾は無安打。「ずっとライバルと思ってやってきた相手と試合ができてよかったです」。これからも比較され続ける宿命。数年後に根尾についての質問をしても、今回のように少しの“リップサービス”を添えて答えてくれる気がする。

     光るのは、野球の才能だけではない。誰からも愛される素質がある。(記者コラム・河合 洋介)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000126-spnannex-base

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