広島カープブログ

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    高校野球

     日本野球機構(NPB)は10月25日に開催する「プロ野球ドラフト会議supported byリポビタンD」の観覧希望者をあす14日から募集する。

     今年も大阪桐蔭・根尾昂内野手、同・藤原恭大外野手、報徳学園・小園海斗内野手ら将来のプロ野球をも担う逸材が勢揃い。競合となった場合、各球団監督、編成責任者による「くじ引き」を間近で体験できるチャンスだ。開催場所はグランドプリンスホテル新高輪 国際館パミールで開場は15時半予定。

     観覧希望者はNPB公式サイト(別掲)まで。受付期間は14日~28日正午まで。応募フォームには1人だけ登録可(応募は1人1回限り。重複応募は無効)。入場は小学生以上。当選権利の転売、譲渡は一切禁止、会場までの交通費などは当選者負担。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00000130-spnannex-base

     今夏で100回大会を迎えた全国高校野球選手権記念大会もいよいよ21日の決勝戦を残すのみ。長い歴史の中で数々の名勝負、ドラマが生まれてきた。Full-Countでは選手、コーチたちに甲子園を目指した高校時代を振り返ってもらった。今回は広島工出身の新井貴浩。



     新井の最後の夏は1994年の第76回大会。広島県大会4回戦で西条農に4-5で敗れた。新井の1年時に広島工は甲子園に出場しているが、新井はベンチ入りのメンバーに入っておらず、高校球児として甲子園でプレーする夢はかなわなかった。しかし、“県工”は大方の様相を覆すジャイアント・キリングを起こしていた。

    「この年は、二岡(智宏)と(福原)忍がいた広陵が絶対的に強かった。周りはみんな、県工が広陵に勝つわけがないと思っていた」

     前評判は決して高くなかったチームの4番打者、主将として、3回戦で最強チームの声もあった優勝候補を撃破。「不可能なことはない。やればできるんだということを経験した」という新井の言葉は、駒大進学後、ドラフト6位入団から名球会入りまで上り詰めた野球人生の原点とも言える。

     大本命に勝利し、甲子園への道が開けたと思われたが、次戦で前年の代表校だった西条農に惜敗した。「甲子園に出られなかったのは悔いが残る」という新井だが、西条農戦では本塁打を放ち、「広島市民球場は、当時の高校生にとっては特別な場所だった。試合には負けてしまったけど、あのホームランは覚えているし、嬉しかった」と、のちに本塁打を量産することになる球場での一本を振り返る。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000043-dal-base

     白熱した試合が続いた「第100回全国高校野球選手権大会」が、21日に幕を閉じる。広陵出身の広島・上本崇司内野手(27)は2年の春と夏(07年)、3年夏(08年)に甲子園に出場。現在守備と走塁のスペシャリストとしてチームに貢献するプロ6年目が、平成最後の夏に強豪で過ごした3年間を振り返った。


     喜び、感動、さまざまな思いを胸に聖地に足を踏み入れた。グラウンドから見渡す景色、雰囲気、声援-。全てが最大限のパフォーマンスを引き出してくれた。

     「高校球児にとっての一番の場所。感動しましたよ。うわ~すげ~、と。注目を浴びるので、すごいモチべーションが上がる。力以上のものが発揮されるというのは本当にあると思います」

     最も心に残っているのは2年の夏。現在もチームメートである野村、土生、巨人・小林らが1学年上におり、準優勝した89回大会だ。上本は全試合に「2番・遊撃」で先発出場。決勝では佐賀北に4点リードから逆転負けを喫したが、佐賀北戦よりも1回戦の駒大苫小牧戦の方が強く印象に残っているという。

     相手は前年まで3年連続決勝に進んでおり、優勝候補の一角にも挙げられていた。緊迫した展開となり、2-3で九回の攻撃に入った。先頭だった上本は中前打で出塁し、後続の適時打で同点のホームを踏んだ。その後、内野安打と敵失が絡んで勝ち越し。見事な逆転勝利を収めた。

     「土壇場でした。みんなでつないで。あれが一番激しかった。大きな勝利でした」。チーム一丸となって強敵を倒したことで勢いに乗り、決勝まで勝ち進んだ。

     3年夏の大会でも2回戦の横浜戦で先頭打者アーチを放つなど活躍。チームは3回戦に進めなかったが、上本は「1番・遊撃」として計9打数6安打4打点をマークし、非凡な才能を見せつけた。

     広陵での3年間は「私生活、人間力」も学んだという。「当たり前のことですけど、あいさつ、返事、勉強」。中井哲之監督から口酸っぱく言われたことは、現在も生きている。また、中井監督と両親からは「大学は絶対卒業しなさい。野球人生は短いから」と助言されたことも記憶に残っている。その後、明大を経てカープの一員に。現在は守備固めや代走での出場が中心だが、8日の中日戦(マツダ)では1年目の13年以来5年ぶりに先発し、三塁守備で勝利に貢献していた。

     汗と泥にまみれ続けた広陵時代。「甲子園での緊張はなかったですけど、先輩が怖かったのでその圧はすごかった。3年間はいい思い出です」。鯉の背番号0は爽やかな笑顔で振り返った。(デイリースポーツ・田中 哲)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000080-spnannex-base

     今夏で100回大会を迎えた全国高校野球選手権記念大会もいよいよ21日の決勝戦を残すのみ。長い歴史の中で数々の名勝負、ドラマが生まれてきた。Full-Countでは選手、コーチたちに甲子園を目指した高校時代を振り返ってもらった。今回は広島工出身の新井貴浩。


     新井の最後の夏は1994年の第76回大会。広島県大会4回戦で西条農に4-5で敗れた。新井の1年時に広島工は甲子園に出場しているが、新井はベンチ入りのメンバーに入っておらず、高校球児として甲子園でプレーする夢はかなわなかった。しかし、“県工”は大方の様相を覆すジャイアント・キリングを起こしていた。

    「この年は、二岡(智宏)と(福原)忍がいた広陵が絶対的に強かった。周りはみんな、県工が広陵に勝つわけがないと思っていた」

     前評判は決して高くなかったチームの4番打者、主将として、3回戦で最強チームの声もあった優勝候補を撃破。「不可能なことはない。やればできるんだということを経験した」という新井の言葉は、駒大進学後、ドラフト6位入団から名球会入りまで上り詰めた野球人生の原点とも言える。

     大本命に勝利し、甲子園への道が開けたと思われたが、次戦で前年の代表校だった西条農に惜敗した。「甲子園に出られなかったのは悔いが残る」という新井だが、西条農戦では本塁打を放ち、「広島市民球場は、当時の高校生にとっては特別な場所だった。試合には負けてしまったけど、あのホームランは覚えているし、嬉しかった」と、のちに本塁打を量産することになる球場での一本を振り返る。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00184917-fullcount-base

     第100回全国高校野球選手権大会はベスト4が出そろい、残すは準決勝と決勝の計3試合だけとなった。奪三振ショーに豪快なホームラン、華麗なボールさばき…。過去最多の56校が参加した今大会、将来性豊かな逸材たちが好プレーを見せてきた。今秋のドラフト会議を見据えて目を光らせてきたプロ野球のスカウト陣に注目選手を聞いた。(坂井朝彦)

     「わくわくするプレーヤー」と阪神の畑山スカウトが表現するのが、大阪桐蔭(北大阪)の根尾だ。投手と遊撃手の「二刀流」として、準々決勝までの4試合のうち2試合に先発し、打っては14打数6安打で本塁打も2本放った。打撃の勝負強さに守備の動きもよくなった上、投手としても「いいものを持っている」。将来性については「(投打の)どちらかに絞れば(どちらでも)一流になれる」と太鼓判を押した。

     3本塁打9打点を挙げている大阪桐蔭の不動の4番、藤原は「好調をキープしている。彼らしいプレーが見られるようになった」と分析。昨年10月に痛めた右膝の不安がなくなったことが右方向への強打や走塁に現れているといい、「魅力あふれる選手。走攻守にハイレベル」と高評価を与えた。

     野手では1試合二塁打3本の大会タイ記録を達成した報徳学園(東兵庫)の遊撃手、小園の評価も高い。広島の苑田スカウト統括部長は「(プロ入り直後の)野村謙二郎より上」と駒大から広島に入団し、後に名球会入りした名手の名も挙げて完成度の高さを絶賛する。俊足に加え肩も強く、打撃も「自分の打てるポイントを持っている」。ドラフトでは「1位指名があるだろう」と目玉の一人に挙げた。

     投手では、金足農(秋田)の吉田が甲子園で評価を上げた。最速150キロを誇る右腕は準々決勝までの4試合を1人で投げ抜き、いずれも2桁の計51奪三振。伸びのある直球にスライダーやツーシームなどの変化球、さらには巧みなフィールディングも魅力だ。巨人の岡崎スカウト部長は「まっすぐの質がよかった。まとまったピッチャー」とした。

     吉田に負けないドクターKぶりを発揮したのが、創志学園(岡山)の西。1回戦では16奪三振の無四球完封と圧巻の投球を見せた。ただ、まだ2年生。岡崎部長は「もちろん来年が楽しみ」とさらなる成長に期待を込めた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180819-00000532-san-base

    <全国高校野球選手権:下関国際-創志学園>◇15日◇2回戦

     「レジェンド始球式」に沖縄(現沖縄尚学)OBで元広島の安仁屋宗八氏(73)が登板した。往年のフォームをほうふつとさせる力投で力強く投げ込んだ。

     「終戦の日」の登板に「100回大会を迎えられて、日本が平和じゃないと続くことじゃない。日本が平和だから続いたこと。戦争というのは2度と起きてはいけない。終戦の日に始球式をさせてもらえることは、幸せの1ページ。一生の思い出です」と平和を願った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00300125-nksports-base

     第100回全国高校野球選手権大会(甲子園)が8月5日に開幕した。横浜高校出身の広島・下水流昂外野手(30)は3年春にセンバツ大会を制し、同年夏の甲子園にも出場。今季は勝負強い打撃でチームに貢献。鯉のサヨナラ男が、名門で過ごした3年間を振り返った。

     甲子園春夏連覇を目指した3年の夏は一瞬で幕を閉じた。“佑ちゃんフィーバー”に沸いた2006年、大会初日から横浜-大阪桐蔭の名門対決が実現した。いきなりのビッグカードに注目が集まる中、横浜は中田(日本ハム)を擁する大阪桐蔭に6-11で敗退。同校では98年以来の連覇の夢は断たれた。

     「連覇していたら、すごいことになっていたかもしれないですけどね。(相手は)強かったです。プレッシャーはなかったんですけど、力負けです」

     まさかの初戦敗戦だった。同年春の選抜大会では強豪校を次々と破り8年ぶりに優勝。1回戦で履正社に勝って勢いづくと、2回戦は八重山商工の大嶺、続く3回戦は早実の斎藤らプロ注目右腕を打ち崩した。下水流も大暴れだ。斎藤から2安打を放ち、岐阜城北との準決勝から4番に座った。清峰との決勝も21-0の大勝。一気に頂点に駆け上がった。

     それでも「春の優勝より負けた試合がすごく印象に残っている」という。「開会式をして3試合目で。次の日には帰っていました。夏休みは長かったですね」と当時を苦笑いで振り返った。

     名門横浜では刺激的な3年間を過ごした。同期に福田(中日)、佐藤(元日本ハム)、1学年下に高浜(元ロッテ)がおり、2学年上に涌井(ロッテ)、石川(DeNA)、2学年下にも土屋(元DeNA)と倉本(DeNA)らがいた。まさに猛者ぞろいで、レギュラー奪取も簡単ではなかった。転機は内野から外野への転向だ。同時期に打撃が開眼し、2年秋の新チームになって、ようやく定位置をつかんだ。

     名将・渡辺監督(現終身名誉監督)の教えは今も心に刻まれている。厳しさの中に優しさがあり、技術的なことより「精神的な話」が多かったという。下水流は「人としてどうか、今の人格形成のベースになっています」と感謝を口にする。

     高校卒業後は青学大に進学。社会人ホンダを経て、2012年度ドラフト4位で広島に入団した。「(高校時代は)うまくなかったので今ここにいることがラッキーです」と笑うが、今やすっかり鯉のサヨナラ男だ。4月19日ヤクルト戦で初のサヨナラ打を放つと、7月20日巨人戦では九回2死一塁から劇的なサヨナラ2ラン。仕事人ぶりを発揮し、3連覇のムードを高めた。「一番甲子園に行く可能性があると思った。あこがれもありました」。横浜で過ごした3年間が、神がかり的な勝負強さを見せる下水流の原点だ。(デイリースポーツ・杉原史恭)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00000057-dal-base

     2年連続出場の二松学舎大付の全部員に、OBの鈴木誠也外野手(広島)からオリジナルTシャツが届いた。

     昨年は鈴木が単独で製作したが、今年は同じくOBの大江竜聖投手(巨人)、永井敦士外野手(広島)との共同作品。選手たちは練習場への移動などの際に着用しており、右田は「本当に手の届かないような存在なので、とてもうれしい」と“神パワー注入”に感謝した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00000528-sanspo-base

     「第100回全国高校野球選手権・1回戦、木更津総合10-1敦賀気比」(10日、甲子園球場)


     兄を超えることはできなかった。敦賀気比(福井)の西川剣之介外野手(3年)は聖地で無安打。チームも1-10で木更津総合に敗れ、初戦を突破できなかった。「勝ちたかった。打席では力が入ってしまった」と言葉を絞り出した。

     OBで広島で活躍する兄の龍馬は、3年春に出場したセンバツで安打を放つことができなかった。大会前には「そんなに甘くないからなって言われました」。その言葉に奮起して打席に立ったが、五回2死一、三塁で左飛に倒れるなど、兄と同じ3打数無安打に終わった。

     龍馬は卒業後、社会人王子製紙に進みプロの世界に飛び込んだ。剣之介は大学に進学する予定だ。「悔しさの方が大きい」。雪辱を新たな力に変えて、社会人野球でのプレーを目標に歩み出す。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180811-00000018-dal-base

     1966年(昭41)、大阪大会の準決勝で快速左腕・江夏豊を擁する大院大高は公立校・桜塚に0-1で惜敗した。決勝点は3回に出た内野手の3失策によるものだった。もう1歩のところまでに迫った甲子園にわずかに届かなかった。自身が打ち込まれたわけでもない。しかし江夏は今はもちろん、その頃も不満を示すことはなかったという。


     江夏 ウチも桜塚の奥田(敏輝)を打てなかった。1回裏1死一、三塁。ここで4番打者のオレが二ゴロ併殺に倒れた。チャンスらしいチャンスはここだけだったな。それに野球にエラーはつきものだしな。そういう考えは、もう頭に染み込んでいた。だからプロ野球の世界に入った後も野手のエラーにそんなに怒った記憶はないんや。

     大院大高3年になったころ江夏の名前は高校球界にとどろいていた。「学院に江夏あり」。そう言われた。向かうところ敵なしの状況に慢心も生まれていった。味方が失策すると滑り止めのロジンバッグをマウンドにたたきつけ、けっ飛ばしたりもしたという。

     江夏 3年になったころかな。試合中にエラーが出て、そういう感じになっていたら塩釜監督が飛んできて、はり倒された。そして試合の後に懇々と諭されたわ。野球にエラーはつきもの。それにロジンは自分の味方なんやぞ。グラブとロジンは投手にとって最後の味方なんや、ということだったな。そのことをしっかり染み込まされた。だからオレは野手のエラーに怒ったことはないと思うよ。

     多くの人たちの力があっての野球人生だと、江夏は振り返る。慕った大院大高監督の塩釜強も、その1人だ。塩釜は野球の技術論はほとんど教えなかったが、野球に対する考え方をしつこく指導した。失策に不満顔を示した江夏を叱責(しっせき)し、指導したのも塩釜だった。

     江夏 このトシになるまでオレは好き放題に生きてきたよ。バカな失敗もやらかしたしな。でも本当にいい人たちに恵まれたと思う。人との出会いがよかったんだな。

     夢を砕かれ、のちに阪神で同僚になった奥田、高校の練習試合で打ちのめされた兵庫・育英の同じ左腕だった鈴木啓示もライバル視した。プロに入ってからは同じ背番号「28」を背負っていた衣笠祥雄も意識していた。

     江夏 鈴木には高校時代、てんぐの鼻を折られたからな。サチ(衣笠)は高校時代から知ってたよ。「平安の衣笠」は有名だ。あとになって広島でいっしょに戦ったんだけどな。そんな連中と、のちになって親友といえる存在になるんだからな。

     そんな人々とのめぐり合いも野球をやっていればこそだ。その原点は江夏本人も強調するように高校野球にあった。大院大高での3年間は江夏豊という男の基礎をつくった。そして失策で甲子園を逃した桜塚との試合も忘れることはない思い出だ。

     江夏 高校野球、プロ野球、それにメジャーリーグとそれぞれ技術の次元は違うだろう。でもな、1つのボールを追いかける思い、情熱はみんな同じなんだ。だから高校野球はいいんだ。

     今年も夏の大会がやってくる。江夏は自宅のテレビの前で、痛む膝をかばい、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら球児たちの行進を見守る。(敬称略=おわり)【高原寿夫】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00278365-nksports-base.view-000

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