広島カープブログ

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    黒田博樹

    マイナスからのスタート!? 開幕まで残り10日となり、広島緒方孝市監督(50)がチームづくりのビジョンを明かした。「丸の穴」「守り勝つ野球からの転換?」といった外野の声に惑わされず、「個」ではなく「組織」を、「今」だけではなく「近未来」を見据えている。底上げのために変化を恐れず、若い可能性に懸ける覚悟もぶれない。頂点までのプロセスをイメージし、タクトを振る。


      ◇    ◇    ◇

    開幕まで10日、オープン戦も19日のヤクルト戦(神宮)を含めて残り6試合となった。それでも緒方監督は野間に2軍降格を告げ、捕手坂倉を外野で起用。さらに田中の打順を変えるなど試行錯誤を続ける。迷い、ではない。確固たる覚悟がぶれない采配につながっている。

    「新しい選手を入れようと思えばマイナスからのスタートになる。チームを成長させるためには、それは覚悟しないといけない。その覚悟がないと、チームは変わらない」

    可能性や上積みを感じられるからこそ「マイナスからのスタート」を受け入れられる。2年連続MVPの丸が抜けたが「あれだけの選手の穴がすぐに埋まるわけがない。いろいろな可能性を探りながらやっていかないといけない」と腹を据える。個による穴埋めではなく、チーム全体の底上げに主眼を置く。若い力の潜在的な能力を引き出してこそ、チームは新しい姿に変貌する。リスクを恐れていては、何も変わらない。「個」ではなく「組織」、「今」だけではなく「近い未来」を見据えていた。

    実績ある長野も、実力を認めた上で「丸の代役」とは捉えていない。長野には長野の特長があり、スタイルがある。個人にとっても、チームにとっても最善の形を模索する。外国人5投手の起用法も、21日ヤクルト戦(同)の先発が見込まれるケーシー・ローレンス投手(31=マリナーズ)の結果次第では流動的となりそうだ。5投手を1軍枠の中でいかに“助っ人”として補うか。開幕しても入れ替えながら外国人4枠を有効活用するプランを練っていく。

    開幕は、19年型広島の完成を意味しない。丸や新井氏が抜けた今年は緒方政権下、最大の転換期かもしれない。ただ、前田(ドジャース)、黒田氏が抜けても頂点に立ってきた。ゴールは29日の開幕ではなく、その先にあるリーグ4連覇、日本一。指揮官は頂点にたどり着くまでのビジョンをしっかり描けている。【前原淳】

    <近年の緒方監督の哲学>

    「毎年同じメンバー、同じような戦い方で勝ち続けることなどできない。チームの色は毎年変わる。1つの色に染めようとは思わない」(毎年のように主力が抜けながらチーム内変化を促進)

    「カープはオフに大型補強して1年で違うチームを作れる球団とは違う。目の前の試合に勝つことが最優先なのは間違いないが、それだけではいけない。『育てながら勝つ』ことはカープで監督をやっている宿命だと思っている」(他球団が大型補強を進めても信念は揺るがない)

    「チームとして戦力はダウンするかもしれないけど、ダウンしたところから、あとはプラスの上積みしかない」(オフに丸、新井氏が抜けて決意)

    「チームを勝たせるのが重要なのは当たり前。ただ、それだけじゃない。ファンに喜んでもらう。カープの野球を見せる。これがすべて」(監督という仕事を問われ)

    「(選手の成長には)99%が選手自身の力。体力、技量など2軍で鍛えないといけないものもあるけれど、この場(1軍)でしか経験できないこともある。経験させて、何が足りないのかを(首脳陣が)分析して気付かせる。それの繰り返し」(選手育成論を問われ)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190318-03180779-nksports-base

     16日に行われた新井貴浩氏の引退セレモニーで、黒田博樹氏がサプライズ登場した。

     黒田氏は元広島監督の山本浩二氏とともに試合前のセレモニーに登場し「大飛躍(ジャンプ)銅像」と名付けられた記念品を贈呈した。現役時代の新井氏が、仲間のサヨナラ安打に喜んでジャンプした姿をモチーフにした銅像で、黒田氏は「40歳を超えて、無意識にこのジャンプができるのは新井しかいない」と笑った。



     事前に告知されていなかったこのサプライズ贈呈式について、黒田氏は「球団の人から話がきて、口止めされていたので2週間ぐらい前に(新井氏と)食事をした時も、何も言えなかった。今日も球場に来て隔離されていたので、本人も気づいていなかったと思う」と打ち明けた。銅像については「自分のヒットでもないのに、あそこまで喜べる。チームに対しての気持ちを象徴していると思うし、それで3連覇の源になっていたはず」と説明した。

     15年にともにチームに復帰し、翌年にはチーム25年ぶりの優勝を果たした盟友について「復帰した時はゼロか、もしかしたらマイナスからのスタートだったかもしれないのに、ここまで評価を変えられたのは彼の力」と称賛した黒田氏は「20年間やってきた彼の野球人生を示した像。玄関に飾ってくれるでしょう」と、最後は笑いをとっていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190316-00320199-fullcount-base

     【江尻良文の快説・怪説】

     巨人にFA移籍し、大ブーイングを覚悟していた丸を、まさかの拍手と歓声で迎えたマツダスタジアムの赤ヘルファン。次は“新井さん”の引退セレモニーでどんなサプライズが飛び出すか、興味津々だ。

     5日の広島-巨人戦の観客2万2572人は、平日のオープン戦ではマツダスタジアム開場以来最多記録。丸を迎える赤ヘルファンの天井知らずの関心度の高さがわかるが、意表を突いた拍手喝采とは粋な反応だった。

     地元の赤ヘルファンとすれば、その巨人との開幕3連戦の前にもう一つ“祭り”が待っている。16日のオリックス戦(マツダ)での新井貴浩氏(42)の引退セレモニーだ。老若男女を問わず一番人気のあった“新井さん”が始球式を務め、試合後にスピーチもするというのだから、ファンが狂喜し想像を絶するサプライズが飛び出してもおかしくない。

     なにしろ昨年のソフトバンクとの日本シリーズの最中、「引退撤回! 今なら間に合う新井さん」という大きな横断幕がマツダスタジアムに張られたほど。そして「代打・新井」が場内放送され、ベンチから出てくるだけでスタンドの盛り上がりは最高潮に達した。

     最強のチームリーダーと再会する赤ヘルファンの反応が、今から楽しみなような怖いような…。(江尻良文)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190308-00000003-ykf-spo

     【新井さんが行く オリックス編】スポニチ本紙評論家の新井貴浩氏(42)がキャンプ地を巡る「新井さんが行く!!」はオリックス編。西村徳文監督(59)のもと、若手中心で生まれ変わろうとしている現状に注目を寄せた。

     西村監督とは共通の知人がいて以前から、お話しする機会が度々あった。対話をすごく大切にする印象がある。若い選手が多いオリックスにはフィットするんじゃないかな。頭ごなしに自分の考えを押しつけるのではなく、若い子と同じ目線に立って気持ちを共有できる方だと思う。

     まだ2年目の福田君を新キャプテンに指名した理由を聞いた。「若いチームだから、若い人に引っ張ってほしい」と。「困ったことがあったら、いつでも言って来い。俺たち(首脳陣)が助けてやるから」と背中を押してあげたそうだ。

     副キャプテンが山岡君だ。野手と投手の両方から新しいリーダー候補を選んだ形になる。「チームがうまくいかなくなると、野手と投手が、お互いに対して不満を抱えがちになる。だから、2人でコミュニケーションを取ってほしい」と期待していた。実は2人とも広島の高校出身。注目していきたいね。

     いまのオリックスは低迷していた頃の広島とかぶる。まだ20代だった頃、黒田さんが「俺が投手を引っ張るから、おまえが野手を引っ張れ。一つになってやっていこう」と言ってくれた。オリックスもベテラン選手が一気に抜けて新しいチームになろうとしている。今後がすごく楽しみだね。

     テストに合格した成瀬も本当によかった。北京五輪の時からよく知っている。けがもあってヤクルトでは思ったような力を発揮できなかった。こうして活躍できる舞台ができたことが自分のことのようにうれしい。がんばれ、成瀬!!




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190210-00000067-spnannex-base

     セ・リーグ3連覇を置きみやげに昨季限りで現役を引退したプロ野球・広島の“レジェンド”新井貴浩氏(41=現野球解説者)、お笑いコンビ「ザ・ギース」の“カープ芸人”尾関高文(41)が24日、東京・銀座の広島アンテナショップTAUでトークショーを行った。

     新井氏といえば、引退表明後の昨年11月5日、OBの黒田博樹氏(43)が私費を投じて中国新聞に出した「結局、新井は凄かった」の広告が話題を呼んだ。

     新井氏は「何も聞かされてなかったのでびっくりした。家にいた時にメールが入ってきて、何これとなった。裏の意味として『結局、黒田は格好良かった』と言いたかったんだと思う。黒田さんはやることが違う。さすが」と先輩を持ち上げた。

     自身は強肩・俊足が売りの上本崇司内野手(28)をかわいがっており「上本が引退する時にはやりたい気持ちはある」と話したが「僕は黒田さんみたいにお金を持ってないので」と笑わせた。

     その黒田氏とは先日、一緒にゴルフをラウンドしたという。「黒田さんがすごくうまくなっている。特にゴルフをしたかったわけではないが、悔しいので、ちょっとやってみようと思う」と、今年はゴルフに力を入れるようで、先輩へのリベンジを誓った。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00000064-tospoweb-base

     昨季限りで現役を引退したプロ野球・広島の“レジェンド”新井貴浩氏(41=現野球解説者)、お笑いコンビ「ザ・ギース」の“カープ芸人”尾関高文(41)が24日、東京・銀座の広島アンテナショップTAUでトークショーを行った。

     ビシッとしたスーツ姿で現れた新井氏は「現役を終えて2?3キロ痩せた。もともと太りやすい体質なので、後輩たちにも『絶対太りますよ、期待してます』と言われていた。絶対太らないと思って、時間がある時はプールなどで体を動かしていた。今は筋肉痛がないのが違いかな。シーズンオフは週に5回トレーニングしていたので、朝起きたら必ずどこかが筋肉痛だった」と胸を張った。

     続けて「いつもならクリスマスが終わったあたりから『年越して2週間したら護摩行だ、それからキャンプだ』とゆううつになっていたが、今年は精神的に負担が減った。護摩行は行きたくないが、精神的に逃げたくなかった。今年も誘われたが、引退したので行かなかった。その代わり、夏に行こうと思っている。お弟子さんから、冬より夏のほうが死にそうにつらいと聞いたので、行ってみようと思っている」と新たな挑戦について明かした。

     現在、指導者としてのオファーはなく、再びカープのユニホームに袖を通すことについて「話はこないと思う」と謙遜気味に否定した。

    「期待するのは野間。30盗塁はしてほしい」と後輩にハッパをかけ、ドラフト1位の小園海斗(18=報徳学園)ばかりに注目が集まる若手について「会沢(翼=30)が、3位の林(晃汰、18=智弁和歌山)は『バッティングがすごく良くて、これまで見た高卒選手の中で一番』と断言していた」と話した。

     日本一の夢はかなわなかったが「僕は、ほとんど何もせずベンチで応援していただけ。若い選手が一生懸命やる姿を見て、悔いはない。今でも、ふとした瞬間に黒田(博樹=43)さんと抱き合った優勝したシーン(2016年)を思い出してジーンとくる。言葉にならず、2人でおえつした」と思い出を語った。

     今でも近くを通りかかると市民球場跡地を訪れるという。「苦しかった思い出が詰まった場所で、僕の原点。静かに昔を思い出す。今となってはすべていい思い出。苦しいことばかりの20年だったが、いろいろな出会いがあり、たくさんのファンに応援していただいた。本当に皆さんのおかげ」とファンに感謝した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00000054-tospoweb-base

    青天のへきれきだった。91年12月。秋季近畿大会で準優勝し、ほぼ確実と思われたセンバツ出場を辞退することになった。同年夏に勇退した前監督の行きすぎた指導が問題となった。ただ、現場の指導者、選手は関わっていない不祥事。黒田をはじめ上宮野球部員は突然の悪夢に襲われた。



    黒田は当時について「あんまり記憶にない。覚えていない」と多くを語らない。同学年の溝下進崇も同じで「記憶が飛んでしまっている部分がある」と吐露する。それでも断片的な記憶をつむいだ。

    溝下 聞かされたのは、沖縄の修学旅行のときだったと思うんです。離島へ行った宿舎の一室に集められて。決まったわけではないから、まずは修学旅行楽しんで、また帰ったら集合すると言われた。帰ったら「辞退します」と。正直、やる気がうせましたよね。怒りの矛先のない、憤りの中で記憶が飛んでしまっている。

    当時の教頭は部員や保護者を前に土下座してわびた。保護者からは署名活動を促すような声も上がった。ざわつく周囲とは対照的に、部員たちの時間は止まったようだった。高校球児にとって「甲子園」は夢以上の存在。溝下は2日間、家から1歩も出ることができなかった。

    溝下 高校野球をすることの意義の1つ。夢というぼやっとしたものではなく、上宮に選ばれて入った以上はそこに行かなければいけない使命感を持ってやっていた。本当にふ抜けになっていた。

    監督の田中は指導者として苦慮した。「本当にバラバラになりました。選手も選手の保護者もかわいそうだった」。学校に直談判し、自分たちが出るはずだったセンバツが始まる時期に九州遠征に出た。強豪校で野球専用球場を持つ上宮は他校の遠征を迎えることが多く、通常は遠征に出ることはない。「そんなことで心が和むとは思っていなかった。でも彼らに何かしてあげたかった。また強い上宮に戻したい気持ちがあった」と田中は述懐した。

    上宮野球部は何とか夏の大会へ向けて動きだしたが、黒田に前年秋の感覚はなかった。「冬になってボールに触れない中で、なかなか継続することは難しかった。甲子園に行っていたら変わっていたかもしれないが、春になってもあまり変わっていなかった」。加えて右手中指の腱(けん)を痛めてしまったことも投球を苦しめた。最大の武器だった真っすぐの力強さが戻ってこない。生まれて初めて痛み止めの注射を打って投げたこともあったが、結果は出なかった。オープン戦でめった打ちにあい、黒田の評価は急降下。最後の夏は、登板機会が1度も訪れないまま府大会5回戦で敗退。黒田の高校野球人生は静かに幕を下ろした。

    憧れた甲子園出場はかなわなかった。過酷な練習にも耐え抜いた3年間は無情な結末を迎えたが、高校3年間で何も得られなかったことが、結果的に何にも代え難い財産となったのかもしれない。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月18日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00436000-nksports-base

    黒田の投手としての能力を認めていたチームメートは少なくなかった。黒田よりも評価されていた主戦の溝下進崇には、今でも忘れられない1球がある。打撃練習から遅れてブルペンへ向かう途中、黒田の投球が真後ろから見えた。

    溝下 スライダーが衝撃的だった。「なんじゃ今のは? こんなスライダー打たれない」と。真っすぐの軌道で来たと思ったら横に滑っていく。自分が思っている理想と体の動きがマッチしたときはとんでもない球を投げていた。

    潜在能力の高さを認める者は他にもいた。主将の筒井壮は投手としての雰囲気を感じ取っていた。

    筒井 才能はすごく感じるけど、ムラがあった。でもやっぱり一番、投手としての振る舞いをしていた。黒田が投げた方が、より強いチームだったんじゃないかなと思います。

    そんな黒田がようやくスポットライトを浴びるときが訪れる。新チームとして迎えた2年秋の近畿大会。直前の府大会で登板機会がなかったものの、ブルペンでの投球の変化に監督の田中秀昌は気づいていた。

    田中 フォームが安定していた。体のバランスもよく、リリースも一定だった。クロにとって、良薬は結果だと思っていた。いいときに使ってあげたいし、自信をつけてもらいたかった。

    田中は相手打線との兼ね合いを考慮しながら、黒田起用のタイミングをうかがっていた。準々決勝の日高(和歌山)戦、1-0の7回途中から出番が巡ってきた。背番号17の黒田は1安打無失点に抑えて試合を締めくくる。田中の「打たれても、溝下と西浦(克拓)がいる」という予防策を立てた起用を見事に裏切った。

    続く準決勝のPL学園(大阪)戦でもチャンスを与えられた。3-0の8回から2番手で登板し、2イニングを2安打1失点。さらに決勝の天理戦では先発西浦がKOされ、2番手溝下も打ち込まれ、三たび黒田に出番がきた。3-8の4回から6イニングを投げ、登板投手の中で唯一無失点。チームは2点差まで迫り、敗れはしたものの、翌春のセンバツ出場権をほぼ手中にした。待ちわびた黒田の好投に、チームメートも自分のことのように喜んだ。

    溝下 快刀乱麻でした。切れ抜群のストレートととんでもないスライダーが面白いように決まって、バッターがクルクルと回っていた。見ていて面白いし、気持ちが良かった。僕は軟投派で、西浦は力投派でもショットガンのようですが、クロは糸を引くような真っすぐを投げていた。

    もちろん、黒田にも特別な喜びがあった。勝利をただベンチで待つのではなく、自らマウンドでたぐり寄せた勝利もあった。近畿大会で3試合10イニング以上を投げて1失点の結果は、監督の田中が期待した良薬になりそうな予感があった。上宮に入学して、初めて味わう感覚に浸った。

    黒田 自分が投げて貢献できた喜びがあった。ベンチにいてチームが勝っていくのではなく、投げて勝っていくから充実感はあった。だから、(翌春のセンバツを)すごく楽しみにしていた。

    近畿大会準優勝で、翌春のセンバツ出場はほぼ確実となった。黒田に足りなかった結果と自信が芽生え、殻を破るきっかけとなる可能性は十分あったが…。ようやく開けたと思われた視界は、予期せぬ形で真っ暗闇に変わる。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月17日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190113-00435995-nksports-base

    1学年上で、のちにロッテに入る薮田安彦らが引退しても、黒田の立場は控え投手のままだった。新チームとなり、それまで野手と併用されていた溝下進崇と西浦克拓が、投手に軸足を置くようになった。決断したのは、コーチから監督になった田中秀昌だった。

    田中 山上烈前監督のままであれば、黒田をそのままエースに立てたかもしれない。でも私が監督となり、甲子園に出ないといけないと感じていた。どうしたら激戦区の大阪で勝ち上がれるかと考えたとき、西浦と溝下も投手としてやらせないと無理だと思った。

    田中は溝下と西浦を呼び「激戦の大阪を勝って甲子園に行くには、黒田1人では無理だ」と伝えた。溝下と西浦に投げ込みを命じるため、練習試合では黒田の登板が増えた。それでも結果を残すことはできなかったが、不思議と黒田に悔しさはなかった。まだ、背番号1を背負う覚悟ができていなかった。

    黒田 自分が1番手になるとは思っていなかった。チーム状態を客観的に見て、自分がもし監督でもそうしたと思う。あのとき自分がエースになるようではいけない。同時に、そこまでの自信がなかった。1番を背負う責任が自分にはなく、不安の方が大きかった。

    溝下と西浦に、投手としても勝てるとは思っていなかった。追い付き、追い越そうとも思えなかった。「その頃は諦めていた。こいつらには勝てないなと。そこまで気持ちを上げられなかった。1日1日を消化して、3年間終わってくれないかという気持ちが強かった」。走らされる日々は最上級生になっても続いた。そんな日々を乗り越えるのに必死だった。

    一方で抜群のコントロールを武器とする左腕溝下と力強い球を持ち味とする西浦は、投手として信頼を勝ち取った。気づけば2人が上宮の2枚看板となっていた。

    ただ3番手に追いやられても、黒田がくさることはなかった。激しくチーム内で争う一方で、部員同士の関係は良好だった。全部員が自宅から通っていたこともあり、練習後は数人で電車を乗り継ぎ帰宅した。新チームの主将に就任した筒井壮(現阪神2軍守備走塁コーチ)は懐かしそうに振り返る。

    筒井 帰りの電車は憩いの場でしたね。お菓子を買ったり。もう楽しくて、(野球のことを)相談し合うとかいう雰囲気はなかった。クロはゲラ(笑い上戸)なんで、笑うのが大好きでおちゃめなキャラでしたよ。

    黒田に勝利するように主戦となった溝下も、黒田と仲が良かった。「クロは優しい。誰かと特別にというよりも、まんべんなく優しかった」と溝下。エース争いに敗れ、ひたすら走らされる日々にあって、黒田は愚痴一つこぼさなかった。

    強豪校の上宮にも一般入部の生徒がいた。スポーツ推薦で入部した生徒には一定のプライドや責任感が伴うため、しばしば距離ができるものだが、黒田は一般入部の生徒とも仲が良かった。上宮野球部に3つある部室も、一般生が使用する「1号」部屋を使用。自然と溝下も輪に加わった。強豪校で見られるチーム内の激しいポジション争いの中にいても、黒田は優しかった。殻を破り切れない黒田の姿を、チームメートはもどかしく思っていた。

    そんな黒田が、ようやく周囲の期待に応えたのは2年秋の近畿大会。上宮の3年間で最も輝いた大会だった。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月16日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00435977-nksports-base

    投げたことよりも、走った記憶が強く残る上宮時代で忘れられない出来事がある。1年夏の合宿のことだった。黒田はこの日も監督の山上烈から「走っとけ」と言われた。黙々と走る。日が傾いても、日が暮れても、全体の練習が終わっても、走った。合宿中は監督も合宿所に寝泊まりする。黒田は消灯になるまで走り続けた。それが4日続いた。

    食事はランニングコースの近くまでチームメートがこっそり持ってきた。消灯後にスコアボードの下に倒れ込むように眠り、そして起床時間の朝6時前には走りだした。そしてまた一日中、走った。

    黒田 景色が変わらないから時間が全然過ぎない。日の傾きでしか分からなかった。

    ただ走るだけで練習が終わった。チームメートは全体練習のウオーミングアップで外野付近をランニングする。黒田とすれ違うときに「酸っぱい臭いがした」と同学年の溝下進崇は振り返る。最長4日、食事と睡眠は何とか取っていたが、風呂には1度も入っていなかった。

    合宿期間中のある日。1学年上の先輩の母親が、その先輩と黒田を合宿所から連れだし、自宅で風呂に入れてくれることになった。先輩の母親が黒田の自宅に電話すると「タクシー代は支払いますので、うちの子は合宿所に帰してください」と母靖子は黒田を突き返すようにお願いした。黒田は合宿所に戻り、また走りだした。この夜の出来事は翌日には上宮の全部員に知れ渡り、今でも伝説となっている。

    黒田 うちの母親ならそう言うだろうな、と予想はできた。(親類の)おじさんやおばさんからも「信念を貫き通す人だった」と聞いていた。家でも厳しかった。愛情のある厳しさだったように感じる。父親には野球の厳しさを教えてもらった。母親には人間的な厳しさを教えてもらった。

    溝下も黒田の母親の記憶が鮮明に残っているという。「家に泊まりに行ったり、合宿中にご飯を作りに来てくれたりした。厳しいなという印象。黒田にはもちろん言うけど、分け隔てがない。僕たちにも言わないといけないことは言ってくれていた」。筋が通っていた。

    黒田は1年秋からベンチ入りするようになった。投手としての潜在能力を買われていた部分もあるが、それ以上に同期で投手だった西浦克拓と溝下がそれぞれ野手としての能力も高く、野手として出場していたことが大きかった。投手枠が空いていたことでベンチ入りしたものの、なかなか公式戦で登板機会は巡ってこなかった。

    メンバーには入っても、走らされる毎日は続いた。それでも音を上げない。その精神力には両親の強い影響があると、当時コーチだった田中秀昌は感じていた。「忍耐強い生徒だった。それはなぜかと言われたら、絶対にお母さんだと思います。肝っ玉のお母さんで、あのお母さんの下で小さいころ育っている。今があるのは、お母さんのしつけだと思う」。過酷な練習にも耐える精神力。のちに男(おとこ)気と呼ばれる強い信念を持った思考の源流は、母親にあった。

    ただ、走り続けられる精神力は、エースへと駆け上がる向上心にはつながらなかった。そこには同学年のライバルの存在と、黒田の優しい性格があった。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月15日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00435968-nksports-base

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