広島カープブログ

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    OB

    【熱血球論 大下剛史】中日がサヨナラ負けで3タテを食らった9日の広島戦で、両チームの差を痛感するワンプレーがあった。4回、広島が西川の適時打で同点に追いつきなお無死一、二塁の場面だ。岡田の投前へのバントは三塁で完全に封殺できる打球だったが、三塁手の福田は前に出てしまってベースに戻れない。みすみす一死二、三塁とピンチを広げてしまった。

     あれは三塁手が絶対に前に出てはいけない打球だ。笠原が踏ん張って追加点にはつながらなかったが、広島の守備陣なら考えられないプレーだ。投げて打っては両チームにそれほど力の差はない。ただ、こうしたちょっとしたことが積もり積もって首位と最下位という差になっている。

     福田はもともとが捕手で、内野はほとんど一塁しか守っていない。今年から打撃を買われて三塁へ本格的にコンバートされた選手。プロのコンバートとはそんなに簡単なもんじゃない。守備が打撃にも影響する。

     福田のコンバートは首脳陣が決めてキャンプから練習もさせていたのだから、私がとやかく言うつもりはない。福田も本職じゃないのだからミスもする。守備でミスをすれば苦しいだろう。それでも「俺は打ってナンボの選手。守りのミスは打って取り返す」ぐらいの強い精神力を持ってほしい。

     大事なのは首脳陣が守りのミスを怒らず、どれだけ我慢できるか。練習をさせるのは当たり前だが、怒ってはいけない。そうしたベンチの我慢が選手へも伝わる。それが首脳陣と選手の強い絆にもなる。まだまだ中日は発展途上。このワンプレーを見てつくづくそう思った。 (本紙専属評論家)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180810-00000027-tospoweb-base

    <全国高校野球選手権:下関国際-創志学園>◇15日◇2回戦

     「レジェンド始球式」に沖縄(現沖縄尚学)OBで元広島の安仁屋宗八氏(73)が登板した。往年のフォームをほうふつとさせる力投で力強く投げ込んだ。

     「終戦の日」の登板に「100回大会を迎えられて、日本が平和じゃないと続くことじゃない。日本が平和だから続いたこと。戦争というのは2度と起きてはいけない。終戦の日に始球式をさせてもらえることは、幸せの1ページ。一生の思い出です」と平和を願った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00300125-nksports-base

     ドジャースが前田健太投手とロス・ストリップリング投手の両右腕をブルペンに配置転換することになった。先発のアレックス・ウッド投手と柳賢振投手の両左腕が故障者リスト(DL)から復帰するため、現在の先発ローテーションから2人を外す必要が生じた。


     ウッドは内転筋の炎症で8月4日にDL入りしていたが、14日のジャイアンツ戦で登板の予定。柳賢振は鼠径部の故障で5月上旬から戦列を離れていたが、15日に登板の見込みとなっている。

     MLB公式サイトによれば、デーブ・ロバーツ監督は前田について「彼は大いにプライドと自信があり、我々もそれを期待している。だが、うちには多くの優秀な選手がおり、試合に勝つためにどうするのがいいか、考えなくてはならない。今、我々はそういう状況にある。彼は受け入れたが、自分は先発だと考えていると話してくれた。ありがたいことだが、今はこれが我々の取る道だ」と語った。

     ドジャースでは、クローザーのケンリー・ジャンセン投手が不整脈のため戦列を離れており、複数投手がクローザーの役目を担っている。ストリップリングは14日、前田は15日から救援として待機する予定。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00298377-nksports-base

     1966年(昭41)、大阪大会の準決勝で快速左腕・江夏豊を擁する大院大高は公立校・桜塚に0-1で惜敗した。決勝点は3回に出た内野手の3失策によるものだった。もう1歩のところまでに迫った甲子園にわずかに届かなかった。自身が打ち込まれたわけでもない。しかし江夏は今はもちろん、その頃も不満を示すことはなかったという。


     江夏 ウチも桜塚の奥田(敏輝)を打てなかった。1回裏1死一、三塁。ここで4番打者のオレが二ゴロ併殺に倒れた。チャンスらしいチャンスはここだけだったな。それに野球にエラーはつきものだしな。そういう考えは、もう頭に染み込んでいた。だからプロ野球の世界に入った後も野手のエラーにそんなに怒った記憶はないんや。

     大院大高3年になったころ江夏の名前は高校球界にとどろいていた。「学院に江夏あり」。そう言われた。向かうところ敵なしの状況に慢心も生まれていった。味方が失策すると滑り止めのロジンバッグをマウンドにたたきつけ、けっ飛ばしたりもしたという。

     江夏 3年になったころかな。試合中にエラーが出て、そういう感じになっていたら塩釜監督が飛んできて、はり倒された。そして試合の後に懇々と諭されたわ。野球にエラーはつきもの。それにロジンは自分の味方なんやぞ。グラブとロジンは投手にとって最後の味方なんや、ということだったな。そのことをしっかり染み込まされた。だからオレは野手のエラーに怒ったことはないと思うよ。

     多くの人たちの力があっての野球人生だと、江夏は振り返る。慕った大院大高監督の塩釜強も、その1人だ。塩釜は野球の技術論はほとんど教えなかったが、野球に対する考え方をしつこく指導した。失策に不満顔を示した江夏を叱責(しっせき)し、指導したのも塩釜だった。

     江夏 このトシになるまでオレは好き放題に生きてきたよ。バカな失敗もやらかしたしな。でも本当にいい人たちに恵まれたと思う。人との出会いがよかったんだな。

     夢を砕かれ、のちに阪神で同僚になった奥田、高校の練習試合で打ちのめされた兵庫・育英の同じ左腕だった鈴木啓示もライバル視した。プロに入ってからは同じ背番号「28」を背負っていた衣笠祥雄も意識していた。

     江夏 鈴木には高校時代、てんぐの鼻を折られたからな。サチ(衣笠)は高校時代から知ってたよ。「平安の衣笠」は有名だ。あとになって広島でいっしょに戦ったんだけどな。そんな連中と、のちになって親友といえる存在になるんだからな。

     そんな人々とのめぐり合いも野球をやっていればこそだ。その原点は江夏本人も強調するように高校野球にあった。大院大高での3年間は江夏豊という男の基礎をつくった。そして失策で甲子園を逃した桜塚との試合も忘れることはない思い出だ。

     江夏 高校野球、プロ野球、それにメジャーリーグとそれぞれ技術の次元は違うだろう。でもな、1つのボールを追いかける思い、情熱はみんな同じなんだ。だから高校野球はいいんだ。

     今年も夏の大会がやってくる。江夏は自宅のテレビの前で、痛む膝をかばい、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら球児たちの行進を見守る。(敬称略=おわり)【高原寿夫】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00278365-nksports-base.view-000

     甲子園に出場しなくても「伝説」は生まれる。阪神のエースから優勝請負人と呼ばれ、球界の伝説(レジェンド)とも言うべき存在である江夏豊(70)は高校時代、あこがれの甲子園大会への出場はかなわなかった。大阪府大会6試合で計81三振を奪った「あの年」を江夏が振り返る。


       ◇    ◇    ◇   

     毎年8月の甲子園大会、その開会式を江夏は自宅テレビの前で正座をして見守るという。阪神のエースから日本ハム、広島で不敵な面構えからの投球術で相手打者を翻弄(ほんろう)した江夏が、だ。

     江夏 70にもなってな。恥ずかしいんだけど。最近は膝が痛いので正座はなかなかできないんだ。それでも背筋を伸ばして真剣な気持ちで見ているのは本当だよ。そりゃあ、そうだろ。甲子園はあこがれだったし、夢だったし。出ることが最終目標だったよ。あれが、やっぱりオレの原点なんだな。

     プロ野球選手として、江夏はいくつも伝説をつくった。阪神のエースから南海、「江夏の21球」を生んだ広島、そして日本ハム時代。さらに西武を最後に日本球界を去った後、85年には当時では考えられなかったブルワーズの春季キャンプに参加してのメジャー挑戦で世間を驚かせた。そんな男が高校野球になると少年のように目を輝かせる。

     高校は当時、有名ではなかった大院大高。その頃の話になると、江夏は「オレたちは『私学6強』と言ってたな」と述懐する。PL学園、明星、興国、大鉄(現阪南大高)、北陽(現関大北陽)、そして浪商(現大体大浪商)…。大阪で甲子園に出るのはこの学校のうちのどこかに決まっていた、と強調する。

     そんな有名どころには行かず「のんびり野球をやっていそうや」という理由で選んだのが大院大高だった。甲子園にもっとも近くまで迫ったのは1966年(昭41)3年夏の大会。江夏の活躍で準決勝まで進んだ大院大高を始め、北陽、大鉄、そして公立の桜塚が残っていた。大阪・豊中市にある桜塚は、下手投げのエース奥田敏輝を中心に勝ち上がってきていた。

     江夏 どこと当たるんかなと思ってたな。抽選で桜塚に決まったとき、みんな、いや~な気分になったもんだ。PL、北陽、大鉄なら練習試合もしていたし、どんなチームか知っていたから。自信もあった。でも桜塚か。元々は女学校だったらしいぞ。勉強はできるらしい。いろいろな話をした。勉強では負けるけど野球では負けんぞ。そう思っていたけど、みんな、いやな感じは受けていた。奥田はそこまでオール完封。相手が桜塚に決まったとき、みんな、下を向いてたわ。

     江夏は66年のドラフトで阪神入りしたが、この奥田もその年にドラフトで指名されて阪神入り。同期生になっている。プロでの成績は大きく差がついたが2人は親友と呼べる仲になった。故人となった奥田の話をするとき、江夏は柔和な顔になる。だが、このときは甲子園を目指しての真剣勝負だった。

     大阪・日生球場。その3回だ。大院大高は遊撃の失策で走者を出してしまう。江夏は一塁にけん制球を投げ、走者を誘い出すことに成功したが一塁手が二塁に悪送球。次打者は送りバント。三塁手がさばき、三塁カバーに入った江夏に送球したが、これも悪送球になった。これで走者は生還。決勝点になり、0-1で江夏の夢は散った…。(敬称略=つづく)【高原寿夫】

     ◆大阪の夏甲子園 通算166勝87敗。優勝12回、準V5回。最多出場=PL学園17回。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180726-00277573-nksports-base

     「第100回全国高校野球選手権・1回戦、佐久長聖5-4旭川大高」(6日、甲子園球場)

     甲子園大会初のタイブレークを制し、佐久長聖(長野)が4年ぶりに初戦突破を果たした。

     延長十二回まで4-4で勝負がつかず、延長十三回からタイブレークに突入し、無死一、二塁で打順は前の回からの継続でスタートした。

     以下は、タイブレークの経過。

     ▽延長十三回表 佐久長聖は1死満塁のチャンスを作るが、三振と二ゴロで無得点。

     ▽延長十三回裏 旭川大高は犠打で1死二、三塁としたが、捕邪飛と投飛で無得点。

     ▽延長十四回表 佐久長聖は1番・真銅龍平外野手(3年)が三塁際へ犠打安打で無死満塁。続く上田勇斗内野手(3年)の二ゴロで三塁走者がかえり1点を奪った。続く打者は併殺。

     ▽延長十四回裏 旭川大高は三塁ゴロで二塁走者が三塁で封殺。1死一、二塁で次打者が二ゴロ併殺でゲームセット。

     佐久長聖の藤原弘介監督はPL学園OBで、監督としても同校を率い、春夏計3度の甲子園出場。前田健太(現ドジャース)らを育てた。2012年に佐久長聖の監督に就任すると、14、16年の夏の甲子園に出場した。藤原監督は試合後、「厳しい戦いでした。生徒達が成長していることを実感できた試合でした」と振り返っていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00000129-dal-base

     “虎のレジェンド”小山正明氏(83)と“鯉のご意見番”安仁屋宗八氏(73)が緊急対談。最終回となる第5回は再開したセ・リーグの今後を展望した。

      ◇  ◇

     小山「貧打に泣いた阪神の交流戦。広島もオリックス、ソフトバンクとのアウエーで5連敗。危惧しとった投手陣の弱さが最後に出たね」

     安仁屋「カープは序盤に投手陣が打ち込まれましたが、その後は中継ぎ投手らの頑張りでなんとか持ち直した。しかし、最後の最後で先発も中継ぎも崩れてしまった」

     小山「ただゲーム差は詰まっていない」

     安仁屋「交流戦のマジックですね。他も決め手がないから助かってる」

     小山「阪神は序盤に点を取っても“山口百恵”なんやから」

     安仁屋「どういう意味ですか?」

     小山「これっきりこれっきり、これっきり~ですかぁ、ちゅう歌が昔あったやろ(苦笑)」

     安仁屋「その点カープは序盤抑えられていても後半何とかなる、という自信のようなものを選手は持っている。けど、さすがに後半は苦しかった」

     小山「阪神は投手陣は結構踏ん張っとるんやけどな。防御率はリーグトップやし、それなりの戦いはしとった。しかし、いかんせん打線がな」

     安仁屋「カープ側から見ても怖さは感じない。一発のありそうな右打者はいても確率が…。それでも、鳥谷なんかが打線にいると嫌ですよ」

     小山「連続試合出場の記録が止まって、どこか吹っ切れた感がある。去年三塁でゴールデングラブ賞を取ったように、守備も安定感がある。自分の範囲内に来た球は確実に処理するからね。それに若いもんにない経験もあるし…ところで広島を追うのはどこやろ?」

     安仁屋「阪神の攻撃陣がどれだけ上向いてくるか、というのはあるけど、現状ならヤクルトでしょう」

     小山「開幕当初は投手陣が苦しいと思っとったが、意外によう頑張っとる。打線は元々いいんで食らいつくかもしれん」

     安仁屋「カープからコーチの石井と河田がヤクルトに移ったでしょう。ワシは彼らの存在が大きいと思っとるんですよ。去年不振だった山田が復活したのは多分に彼らの影響がありますね」

     小山「故障してた選手も次々に帰ってきとるし、イキのいい若いのも出てきた。それが石井と河田のおかげやったら彼らは大したもんやで。もちろん、巨人もあなどれん。今の日本球界で、投手、野手合わせてNo.1だと思うのが菅野やね。安定感がまるで違う」

     安仁屋「僕も菅野やと思います。あの投球は守っているバックに安心感を与えるんですね。しかし、彼が投げる時は苦戦必至でも、それを攻略すれば勢いは確実につく。去年、薮田が菅野に投げ勝って1-0の完封勝ちをしてからブレイクしましたから」

     小山「DeNAはどう思う?」

     安仁屋「去年CSファイナルで負けているだけに、調子には乗せたくない相手。新人の東ちゅう投手もいいしね」

     小山「打線だけ見ればDeNAは阪神よりかなり上。夏場になってくれば広島の投手陣もかなり苦労するんじゃないかな」

     安仁屋「カープもまだ万全じゃないんで夏場以降にヤマ場が来ると思います。そこをどうしのぐか。まだ阪神にもチャンスはありますよ」

     小山「阪神は他球団どうこうよりいかに自分とこの調子を上げるかや。福留、糸井らベテランに疲れが出始める時期。ここをどう若手が踏ん張るか。当面は勝率5割キープで我慢することや」

    (おわり)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180626-00000045-dal-base

    <高校野球広島大会:広陵5-4広島新庄>◇28日◇決勝◇しまなみ球場

     試合に先立ち、元広島の北別府学氏(61)が始球式を行った。


     マウンドで周囲に一礼すると、セットポジションから現役さながらのストライク投球。「いやー緊張した。過去にプロで投げた割には緊張するもんだなと。ストライク入って良かったです」と大役を終えてホッとした様子だった。

     西日本豪雨の影響により、開幕が10日間延期され始まった今大会。この日の決勝も台風12号の接近に伴い、試合開始が3時間半繰り上げられた。北別府氏は「(両チーム)ここまで頑張ってきた訳ですから。悔いの無いように頑張って欲しい」と選手たちにエールを送っていた。

     2年連続同一カードとなった決勝は、広陵が10回サヨナラで2年連続23度目の夏の甲子園出場を決めた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180728-00282923-nksports-base

     「アイツ、バックネット裏で喜んでいたんだ」-。

     広島、東映(現日本ハム)に在籍した大羽進さんは、60年前のことを今でも鮮明に覚えている。日大一3年の夏、東京大会・4回戦で帝京商(現帝京)に敗れ、甲子園への道が絶たれた。ライバルの敗戦を無邪気に喜んでいたアイツは、のちに世界一の868本塁打を放つ早実の王貞治(現ソフトバンク会長)だった。


     9月に78歳となる大羽さんは今、1988年以来甲子園から遠ざかっている母校を週2回のペースで訪れ、投手の指導をしている。「自分のやってきたことを教えている。今の子どもは怒鳴りあげるわけにはいかないから難しい」。野球にかける情熱は、あの60年前と変わっていない。

     東京・隅田川沿いに生まれ育った。日大一中時代に同じ左腕である王貞治の存在を知った。中学時代は墨田区大会決勝で敗れた。高校時代は3度対戦し、1勝2敗。最後の夏は、ライバルと戦う前に敗れた。中、高校を通じて1勝3敗。明大に進学を予定し、王との対決は終わるはずだった。

     それが家業のメッキ工場が倒産。急きょ広島に入団し、巨人に入団した王と再びライバルとして戦うことになった。「勝負にいっていたからね」と通算対戦成績は174打数55安打、打率・316、12本塁打と打たれた。それでも通算48勝のうち巨人から19勝を挙げ「巨人キラー」と呼ばれた。

     しかも王との対戦で節目の勝負には勝った。64年、伝説の王シフトが誕生した日に先発。5打席連続本塁打がかかった対戦で一塁ライナーに仕留めた。同じ年に7試合連続本塁打のかかる一戦でプロ入り初完封勝利も収めた。その後も王の一本足打法に対し、タイミングをずらすため右足を止めるフラミンゴ投法で対抗した。プロでも中学時代からのライバルと幾度も名勝負を繰り広げてきた。

     72年に東映に移籍し、その年限りで現役を引退。古巣の広島から声もかかったが、「東京がよかったのかな」と球界から足を洗い、サラリーマンとして2年を過ごし、その後は兄と家業のメッキ工場を再建させ60歳まで働いた。

     現役時代、王とは「今のように他チームの選手と食事に行くことはなかった」と練習中に立ち話をするくらい。引退後も「5、6年前かな。早実の後輩と焼き鳥を食べているときに、“先輩に電話します”というんで電話で話したくらい」と、この時に携帯番号を交換したもののほとんど交流はない。

     再婚した王会長に「いいんじゃないかな。携帯に電話番号は入っているけど、おこがましくて電話できないよ」と笑った。中学時代からライバルとして生きてきた2人は、決して交わることはない。ただ、球団会長として常勝チームを率いる王に対し、今夏も甲子園の夢が途絶えた母校の再建に尽力する大羽さん。中学時代からのライバルはカテゴリーこそ違うが、今も野球に対する情熱は変わっていない。(デイリースポーツ・岩本 隆)

     ◆大羽 進(おおば・すすむ)1940年9月19日生まれ、東京都出身。左投げ左打ち。投手。日大一から59年に広島入団。66年にオールスター出場。72年に東映移籍、その年限りで現役を引退。通算成績は446試合に登板、48勝79敗、防御率3・50。現在は日大一の非常勤コーチを務める。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180724-00000038-dal-base

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