広島カープブログ

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    OB

     元広島のブレイディン・ヘーゲンズ投手が、地元紙の特集記事の中で日本での2年間を振り返り、今季からエンゼルスに移籍した大谷翔平投手、そして元同僚の広島・鈴木誠也外野手についても語っている。


     ヘーゲンズは2016年に広島に加入。50試合に登板(6先発)して7勝5敗、防御率2.92の好成績を残し、25年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献した。だが、2017年は11試合の登板にとどまり、防御率6.60と苦戦。チームはリーグ連覇を達成したものの、貢献することはできず、シーズン後に自由契約となった。

     今季はダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、米球界に復帰。3Aリノ・エーシズで12試合に登板(7先発)し、2勝3敗、防御率6.75とまだ波に乗れていないが、日本球界での経験を生かして4年ぶりのメジャー復帰を目指している。

     ヘーゲンズが来日した2016年、広島とともに日本球界の話題の中心となっていたのが、日本ハム(当時)の大谷だった。投手として21試合登板(20先発)で10勝4敗1ホールド、防御率1.86、打者として打率.322、22本塁打、67打点という衝撃的な成績を残し、パ・リーグのMVPを獲得。ヘーゲンズが所属していた広島は日本シリーズで日本ハムに敗れ、日本一を逃した。

     二刀流右腕の印象について、ヘーゲンズは記事の中で「日本に着いた時に、彼のことを聞いたよ。彼は日本のスターだから、気をつけないといけない、と言われた。彼のスイングはいつも良かった。彼にも弱点はあったが、他の良い打者と同じように、こちらがミスをすると打つ。投球が意図したように変化せず、スポットをミスすると、打つ選手なんだ」と語っている。失投は許されない好打者と見ていたようだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180617-00138457-fullcount-base

     昨季まで2年間、広島でプレーしたブレイディン・ヘーゲンズ投手は現在、ダイヤモンドバックス傘下3Aリノ・エーシズでプレーしている。今季12試合登板(7先発)で2勝3敗、防御率6.75。やや苦戦しているものの、2014年以来となるメジャーのマウンドを目指して奮闘中だ。



     そんな29歳の右腕にとって、日本での経験はかけがえのないものだったという。地元紙「リノ・ガゼット・ジャーナル」が「エーシズの投手・ヘーゲンスにとって日本での経験は学びの場となった」とのタイトルで特集を掲載。本人が同紙の取材に応じ、2年間を過ごした日本、そして広島ファンへの“愛情”を明かしている。

     記事では、ヘーゲンズが日本で最初に気づいたことが「尊敬」だったと紹介。日本のファンは皮肉やヤジよりも、試合を楽しむことに重きを置いていると語ったという。当然、日米の文化の違いには驚いたといい、「カルチャーショックがある。日本人はとても歓迎するんだ。日本のファンはより親切だ」と振り返っている。

    「日本では試合へのスピリットと応援することがより大切なんだ。アメリカでは、連続でボールを8球投げたとしても、ストライクを投げるとすぐに、観客は歓声を上げる。日本では、そんなこと関係がないんだ。どんな状況でも彼らは応援する。ヤジる人はいないんだ。選手が良いプレーができるように、いつでも応援するんだ」

     本人のコメントからは、広島ファンへの深い愛情が伝わってくる。特集では「彼は異なる文化を経験する機会は、見逃すのが惜しいくらい良い機会であったと語った」とも紹介。ヘーゲンズが日本の文化に触れたことをポジティブに捉えていることも分かる。そして、球場で強く感じた「尊敬」は、日頃の生活の中にも溢れていたという。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180616-00138413-fullcount-base

     大阪府高野連は5日、7月7日に開幕する第100回全国選手権大会の南北大阪大会で、開会式後の始球式を、広島や大リーグで投手として活躍した黒田博樹氏(43)が務めると発表した。

     黒田氏は上宮では控え投手で、甲子園出場経験はなかったが専大を経て97年にドラフト2位で広島に入団。ドジャース、ヤンキースでも先発の軸として活躍し、日米通算203勝をマークした。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180606-00000069-spnannex-base

     広島・新井貴浩内野手(41)が30日、前日29日に連続試合出場が「1939試合」でストップした鳥谷について語った。

     阪神時代に7年間一緒にプレー。三遊間を組んだこともあり「すごい。ショートだからね。準備する姿勢は勉強になった。敬意を表したい」と気心知れた後輩へ、尊敬のまなざしを向けた。

     鳥谷が日々トレーニングに励む姿も目の当たりにしており「努力の天才」と表現した。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180530-00000087-dal-base

     広島カープの現役投手時代、通算213勝を挙げた北別府学さん(60)が30日、広島県福山市の英数学館高校野球部の非常勤コーチに就いた。月に1回ほど指導をする予定で、「いずれ甲子園に行けるほど選手たちが上達したらうれしい」と話している。



     北別府さんは昨年6月、元プロ野球選手が学生を指導することができる学生野球資格回復が認められた。そこで同校から指導役を打診され、承諾したという。

     この日、北別府さんは選手たちと初対面。投手陣一人ひとりに、フォームや変化球を投げる時のポイントなどを身ぶり手ぶりを交えて教えていた。1年の柳内優輝君(15)は「足やグラブの上げ方を教えてもらったら投げやすくなった。プロは説得力が違うと感じました」と話していた。

     北別府さんは報道陣に対し、資格回復の制度が始まるまでは「苦労して会得した技術を若い世代に伝えられないのはもったいないと思っていた」といい、「練習の成果を試合で出せるよう、技術だけでなく精神面も教えてあげたい」と意気込みを語った。(橋本拓樹)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180531-00000053-asahi-spo

     「サイトウユウキ」はマウンドを降りた後も第一線で奮闘している。元広島の齊藤悠葵さん(30)は14年に現役引退後、同12月に株式会社ドームユナイテッドへ入社。バッティングセンター、人工芝のグラウンドが併設され、野球教室も開催される「アンダーアーマー ベースボールハウス 川崎久地」に配属された。


     16年2月から店長に昇格。「これからも人に夢を与える仕事がしたいと思っています」。日本ハム・斎藤佑樹と同姓同名で注目を浴びたプロ時代の経験を生かし、お客様対応や野球指導に励んでいる。

     齊藤さんは福井商から06年高校生ドラフト3巡目で広島に入団。1年目の10月1日の巨人戦で、球団史上初の高卒新人による初登板初先発初勝利を挙げた。同日には1学年下の早実・斎藤佑樹が国体で完封勝利。齊藤さんは巨人戦後に赤いハンカチで汗を拭き、「赤いハンカチ王子」として注目を浴びた。

     その後は09年に9勝を挙げるなど活躍。そのたびに同姓同名の全国区スターを引き合いに出されることも多かったが、感謝しかなかったという。「彼のおかげでいろんな人に名前を覚えてもらえたので、ありがたかったです。ずっと仲良くなりたいと思っていましたから」。結局、現役時代に会うことはできなかったが…。

     昨年12月、ついに広島・福井の結婚式で初対面。「斎藤くんも僕を分かってくれていて、一緒に写真を撮ってインスタグラムにあげたら反応がすごくて(笑)。同じ名前がニュースに出てくるので注目してますし、頑張ってもらいたいですね」。今もプロで活躍する“恩人”を陰ながら応援しているという。

     社会人生活は4年目に入った。当初はメールの書き方からつまづき、3カ月かけてパソコンの使用方法を勉強。地道に努力を重ねた。「プロは自分が頑張ればいい面があったけど、今は責任がある。元プロという肩書きは指導に生きるけど、接客方法とかは考えていかないと」。現役時代に同僚だったドジャース・前田健太や広島・中田廉らは今も店に訪れてくれるという。かつて大舞台で戦った仲間たちに刺激を受けながら、ハンカチで汗を拭く暇もないほど忙しく働いている。(デイリースポーツ・西岡 誠)

     ◆齊藤さんが店長を務める「アンダーアーマー ベースボールハウス 川崎久地」では現在、バッティングセンターで「ホームランダービー2018」を開催している。同所でバッティングをした全員が対象。5月から2カ月単位で累計ホームランを競ってチャンピオンを決めるもので、豪華賞品も用意されている。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180508-00000045-dal-base

     西武は10日、BCリーグ富山との間で、デュアンテ・ヒース投手(32)の譲渡について合意したと発表した。入団会見などは未定。ヒースは身長193センチ、108キロの右投げ右打ちの投手。今季から富山に所属していた。14年から2年間、広島に所属した。



     14年は7試合に先発し3勝0敗、防御率は2・38。15年は救援投手として43試合に登板し、3勝6敗4セーブ10ホールドをマーク。防御率は2・36だった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180510-00204180-nksports-base

    “側近”から見た鉄人とは――。23日に上行結腸がんのため71歳で死去した衣笠祥雄氏を現役時代に支えていた広島の福永富雄球団トレーナー部アドバイザー(75)が、故人の我慢強さと医者をも驚かせたエピソードを明かした。

     筋肉の柔らかさは一級品だったという衣笠氏が一塁でレギュラーに定着したのは入団4年目の1968年のこと。福永氏によれば「実は太ももの肉離れを発症していた」そうだが、せっかく巡ってきたチャンスを逃すわけにはいかない。当時の根本陸夫監督に「試合に出るつもりなら盗塁のサインだって出す。当たり前だが、走ってもらいたい場面では走ってもらうぞ」と言われた衣笠氏は「もちろんです。できます」と二つ返事で試合に出続けたという。

     世界2位の2215試合連続出場を達成する間に左肩甲骨骨折の重傷を負ったのは有名だが、福永氏は「公にはなりませんでしたが、右手親指や手首、肋骨にひびが入りながらプレーを続けたこともあります。そのことは本人、首脳陣、トレーナーくらいしか知らなかったと思います。今では考えられないことですが…」と振り返る。

     体の丈夫さだけではない。衣笠氏が採血を行った際にはスポーツドクターが「こんなに良い血の色を見たことがない」と驚いていたという。「私もトレーナーをやっていて多くの選手を見てきましたが、そういうことを言われた選手は衣笠以外に一人もいません。なので非常に印象に残っています」(福永氏)

     最後に顔を合わせたのは今年1月で体調が良くないことは知っていた。亡くなる6日前の17日にも電話で言葉を交わしたという福永氏は「時代も違うし、あのような選手はもう出てこないんじゃないか」と言って故人をしのんだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-00000033-tospoweb-base

     23日夜に死去した元広島の“鉄人”こと衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)さん(享年71)は現役時代、“ミスター赤ヘル”こと山本浩二氏(71)との名コンビで鳴らしたが、実は最初は犬猿の仲ともいえる関係だった。元ニッポン放送アナウンサーで2人と親交があった深澤弘氏(82)が、本当の仲を明かす。

     巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、よくこう言っていました。

     「僕の誇りはね、王(貞治ソフトバンク球団会長)と1度もいさかいがなかったことだよ」

     同じチームに力量が突出したスターが2人いれば、お互いに意識し合い、いつしか仲が悪くなる方が普通。奇跡的にONコンビの仲が良く、両雄が見事に並び立ったことが、巨人9連覇の原動力だったともいえます。

     何年か前、(山本)浩二さんにこの話をしたら、彼はこう声をひそめました。

     「僕とキヌ(衣笠さん)の仲は、決して良くなかったです。ライバルで、お互いにとげとげしかった。3番衣笠、4番山本で、僕はネクストバッターズサークルで何度も『打つな!』と念じました。キヌも同じ気持ちだったと思います」

     そんな2人の関係が劇的に変化したのが、1975(昭和50)年。7月19日のオールスター第1戦(甲子園)で、全セの3番を打った山本さんは1回と2回に、6番の衣笠さんは1回と3回に、そろって2打席連続本塁打。2番手で登板した外木場投手も3回無失点の好投で、翌日のスポーツ紙は「赤ヘル軍団現る」と大騒ぎでした。

     このとき、山本さんは「キヌと個人的に話してみたくなった」。広島に戻ると衣笠さんを誘い、初めてサシで酒を飲んだそうです。

     当時の広島は球団創設以来1度も優勝したことがなく、前年まで3年連続最下位の弱小チームでした。2人はこの席で「今年は優勝のチャンスじゃないか」と意気投合。実際に、秋には悲願のリーグ初制覇を成し遂げました。

     以後、2人はアドバイスを送り合い、盟友といわれるようになり、広島も常に優勝争いに加わる強豪へと変貌していったのです。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180427-00000015-ykf-spo

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