広島カープブログ

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    OB

     昨季まで広島でプレーしたジェイ・ジャクソン投手がブルワーズとマイナー契約を交わしたと球団が発表した。米最大の移籍情報サイト「MLBトレード・ルーモアズ」が伝えている。


     ジャクソンは2015年にメジャーデビューし、2016年からは広島でプレー。セットアッパーとして3シーズンで通算175試合に登板し、10勝8敗2セーブ92ホールド、防御率2.10の好成績をマーク。リーグ3連覇に貢献した。

     昨季は48試合登板で3勝2敗1セーブ25ホールド、防御率2.76の成績で、シーズン終了後に自由契約に。4シーズンぶりに米復帰を果たすことになった。

    「MLBトレード・ルーモアズ」は「ブルワーズがジェイ・ジャクソンと契約」とのタイトルでレポート。「ブルワーズは右腕ジェイ・ジャクソンとマイナー契約をしたと球団が発表した。もし彼がメジャーのロースター入りをすれば、100万ドル(約1億1500万円)が支払われると、MLBネットワークのジョン・ヘイマンが伝えている」と、敏腕記者として知られるヘイマン氏のツイッターの情報をもとに報じている。

     さらに、記事ではジャクソンが7シーズンのマイナー生活の後にメジャーデビューを果たしたことなども回顧。広島での3年間の成績も紹介しつつ、「速球派右腕は最初に(メジャー契約の)40人のロースター入りを果たす必要があるが、彼がマイナーで何らかの成果を見せてくれることに期待したい」と締めくくっている。

     広島で人気を誇った元助っ人右腕は、昨季ナ・リーグ中地区を制してリーグ優勝決定シリーズまで進んだ強豪で、4年ぶりにメジャーのマウンドに立つことができるだろうか。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190216-00299865-fullcount-base

     広島OBの達川光男氏(63)が11日、宮崎・日南市の天福球場にテレビ解説のため、古巣のキャンプ地を訪問。広島では1軍監督を務め、阪神、中日、ソフトバンクでもコーチ経験のある達川氏は「新井はどうしとるんや」と昨季引退した新井貴浩氏(42)の仕事っぷりを気にしつつも、「そういえば本を出すけどな。カープ力という本。高校野球を含めてのカープの本や。開幕前に発売する」と発表した。

     現役時代に1980年代にゴールデングラブ賞とベストナインを3度もW受賞した名捕手は、テレビの解説で高卒3年目の注目株、坂倉の打撃に注目した。「バッティングは天才。キャッチングは凡才」と愛のあるゲキを飛ばしたが、「打撃に関してはうらやましいぐらいの才能を持っている。がんばってほしい」とエールを送った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190211-00000542-sanspo-base

     野球評論家の張本勲氏が10日、TBS系「サンデーモーニング」に出演し、巨人から広島に移籍した長野久義外野手の活躍に太鼓判を押した。

     オフに人的補償で電撃移籍。本人の置かれた状況、心境について「野球選手の宿命だからね。どこへ転勤するか分からない。そのチームで最後までいたほうが理想は理想。どこへ行くか分からないから。でも割り切ってますよ」と、うなずいた。

     首位打者を獲得するなど、実績は十分。近年は故障もあって本来の実力を発揮し切れていないが「三拍子そろっているから、高橋由伸と同じように全部よかったから。ただふたりともケガが多い。それが致命傷。でもやってくれると思う」と、新天地での活躍を期待した。

     ゲスト出演した野球評論家の高橋慶彦氏も長野に注目していることを明かし、「いろんな意味でチームを引っ張ってもらいたい。長野選手にがんばってもらわないと(広島の)V4はないかな。やるんじゃないですか、力はあるから」と期待感を示した。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190210-00000035-dal-base

    「覚えていますか、新井です」

    『新井貴浩さんとカープファンが家族一丸トークショー in ひろしまブランドショップTAU』の後半企画、ファンからの質問に答えてくれた新井さんの回答の1つだ。


    Q 1:ストレートに聞きます コーチのオファーはありましたか?

    ありません!

    Q 2:現役の時の1日の食事量を教えてください

    難しい質問ですね。でも、若い選手よりは食べてましたね。昨年はちょっと減ったかな。誠也とかすごい食べますからね。でも、若い選手には負けないです。食べてました!

    Q 3:2019年シーズン、野間さんに期待することは何ですか?

    たくさんあるんですけどね?う~ん、そうですね。やっぱり盗塁して欲しいですね。30盗塁くらいして欲しいですね、はい、真面目に答えましたけど(笑)。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00010000-jsportsv-base

     広島球団初の200勝投手で野球解説者の北別府学氏が7日、自身のブログを更新。広島の日南キャンプを訪れて、巨人から人的補償で新加入した長野久義外野手と対面したことを明かした。


     北別府氏は「長野選手」とのタイトルで、「ちょこっとだけ自己紹介をしました」と初対面だったことを明かした。

     キャンプでは時ならぬ“長野フィーバー”が巻き起こっているとあって、「実はあまりにも注目されていて大変だろうなと、そっと見守るのが良いかなと思っていたのですが」と当初は、言葉を交わすつもりはなかったそう。

     ところが、「気づいてくれて直ぐに挨拶に来てくれました」と長野の方から声を掛けてきたという。「知っててくれて、ありがとう」と、その律儀な性格に感激していた。

     ちなみに北別府氏といえば、1月にテレビ出演した広島・岡田明丈投手が「球場にOBが来られている時も全然分からない」と衝撃の告白し、北別府氏の写真を見ても名前を言い当てらなかったことを後で知り、「もしかしてだけど、誰かわからず話をしていた?」と、その“天然”ぶりにビックリしていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00000137-dal-base

     V3間違いなしじゃ! 福岡ソフトバンク前ヘッドコーチの達川光男氏(63)が7日、退団後初めてキャンプ地を訪れた。これまでチームにあいさつする機会がなかったことから、広島の日南キャンプでのテレビ解説に先だって訪問。相変わらずの達川節で爆笑を起こしながら、選手らの動きを見守った。大学の後輩でもあるドラ1ルーキー甲斐野にも直接のエール。リーグV奪回と3年連続日本一を確信し、キャンプ地を離れた。


     チーム内に多少の疲れの色も見え始めた第2クール最終日、キャンプ地は朝から広島弁と笑いに包まれた。達川氏は、A組(1軍)の到着前に球場入り。チームを待ち受けると「(昨年の日本シリーズは)ナイスゲーム、ナイスゲーム!」と到着した首脳陣と次々に握手を交わし、工藤監督とは熱い抱擁を交わした。

     広島との日本シリーズ後に退団が発表されたが、秋季キャンプでは全員がそろわないこともあり、これまであいさつを行えていなかった。「B組(2軍)にも行くよ。『礼儀は鎧(よろい)』。自分を守る。(実在しない)C組にも行くよ」と、まずは練習前のA組の円陣で、首脳陣とナインを前にしてあいさつした。

     報道陣には「円陣? ワシはニートでフリーじゃけえ、柳田、金貸してくれ言うたんじゃ」と笑いをかっさらった。実際には、在籍2年間の感謝を述べ、最後には「ホークスとカープの日本シリーズをワシに広島で解説させてください。解説させてもらえるかはわからんけど、頑張ってください」とチームを激励した。

     B組へも同様にあいさつを終えると、その後は選手らの動きを熱いまなざしで見守った。午前中のランニングメニューも視察。「主力に19人故障者が出た昨年の反省がある。『良薬口に苦し』。きついけどランニングが一番効果がある。ここまで主だったケガ人が出ていないし、昨年よりはチーム力が上がっている」と力説。「セは広島か阪神じゃけど、パはホークス」と、早くも今季のリーグV奪回も断言した。

     根拠もある。「ワシはこの前、川柳作ったんじゃ。『起きたけど 寝るまで特に 用はなし』」。退団からここまでは時間的に余裕があったため、日々、CS中継で各球団のキャンプを念入りにチェックしていたという。

     午後からは大学の後輩である甲斐野のフリー打撃登板を見守り、終了後には「球がシュート回転はしとったけど、あれも武器になるけえ、気にせんでええよ。今度メシ食わせてやるけえ」と激励し、がっちり握手。わずか1日ではあったが、相変わらずの達川節が、V3を狙うチームをこれ以上なく明るく照らした。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190208-00010009-nishispo-base

    1学年上で、のちにロッテに入る薮田安彦らが引退しても、黒田の立場は控え投手のままだった。新チームとなり、それまで野手と併用されていた溝下進崇と西浦克拓が、投手に軸足を置くようになった。決断したのは、コーチから監督になった田中秀昌だった。

    田中 山上烈前監督のままであれば、黒田をそのままエースに立てたかもしれない。でも私が監督となり、甲子園に出ないといけないと感じていた。どうしたら激戦区の大阪で勝ち上がれるかと考えたとき、西浦と溝下も投手としてやらせないと無理だと思った。

    田中は溝下と西浦を呼び「激戦の大阪を勝って甲子園に行くには、黒田1人では無理だ」と伝えた。溝下と西浦に投げ込みを命じるため、練習試合では黒田の登板が増えた。それでも結果を残すことはできなかったが、不思議と黒田に悔しさはなかった。まだ、背番号1を背負う覚悟ができていなかった。

    黒田 自分が1番手になるとは思っていなかった。チーム状態を客観的に見て、自分がもし監督でもそうしたと思う。あのとき自分がエースになるようではいけない。同時に、そこまでの自信がなかった。1番を背負う責任が自分にはなく、不安の方が大きかった。

    溝下と西浦に、投手としても勝てるとは思っていなかった。追い付き、追い越そうとも思えなかった。「その頃は諦めていた。こいつらには勝てないなと。そこまで気持ちを上げられなかった。1日1日を消化して、3年間終わってくれないかという気持ちが強かった」。走らされる日々は最上級生になっても続いた。そんな日々を乗り越えるのに必死だった。

    一方で抜群のコントロールを武器とする左腕溝下と力強い球を持ち味とする西浦は、投手として信頼を勝ち取った。気づけば2人が上宮の2枚看板となっていた。

    ただ3番手に追いやられても、黒田がくさることはなかった。激しくチーム内で争う一方で、部員同士の関係は良好だった。全部員が自宅から通っていたこともあり、練習後は数人で電車を乗り継ぎ帰宅した。新チームの主将に就任した筒井壮(現阪神2軍守備走塁コーチ)は懐かしそうに振り返る。

    筒井 帰りの電車は憩いの場でしたね。お菓子を買ったり。もう楽しくて、(野球のことを)相談し合うとかいう雰囲気はなかった。クロはゲラ(笑い上戸)なんで、笑うのが大好きでおちゃめなキャラでしたよ。

    黒田に勝利するように主戦となった溝下も、黒田と仲が良かった。「クロは優しい。誰かと特別にというよりも、まんべんなく優しかった」と溝下。エース争いに敗れ、ひたすら走らされる日々にあって、黒田は愚痴一つこぼさなかった。

    強豪校の上宮にも一般入部の生徒がいた。スポーツ推薦で入部した生徒には一定のプライドや責任感が伴うため、しばしば距離ができるものだが、黒田は一般入部の生徒とも仲が良かった。上宮野球部に3つある部室も、一般生が使用する「1号」部屋を使用。自然と溝下も輪に加わった。強豪校で見られるチーム内の激しいポジション争いの中にいても、黒田は優しかった。殻を破り切れない黒田の姿を、チームメートはもどかしく思っていた。

    そんな黒田が、ようやく周囲の期待に応えたのは2年秋の近畿大会。上宮の3年間で最も輝いた大会だった。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月16日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00435977-nksports-base

    投げたことよりも、走った記憶が強く残る上宮時代で忘れられない出来事がある。1年夏の合宿のことだった。黒田はこの日も監督の山上烈から「走っとけ」と言われた。黙々と走る。日が傾いても、日が暮れても、全体の練習が終わっても、走った。合宿中は監督も合宿所に寝泊まりする。黒田は消灯になるまで走り続けた。それが4日続いた。

    食事はランニングコースの近くまでチームメートがこっそり持ってきた。消灯後にスコアボードの下に倒れ込むように眠り、そして起床時間の朝6時前には走りだした。そしてまた一日中、走った。

    黒田 景色が変わらないから時間が全然過ぎない。日の傾きでしか分からなかった。

    ただ走るだけで練習が終わった。チームメートは全体練習のウオーミングアップで外野付近をランニングする。黒田とすれ違うときに「酸っぱい臭いがした」と同学年の溝下進崇は振り返る。最長4日、食事と睡眠は何とか取っていたが、風呂には1度も入っていなかった。

    合宿期間中のある日。1学年上の先輩の母親が、その先輩と黒田を合宿所から連れだし、自宅で風呂に入れてくれることになった。先輩の母親が黒田の自宅に電話すると「タクシー代は支払いますので、うちの子は合宿所に帰してください」と母靖子は黒田を突き返すようにお願いした。黒田は合宿所に戻り、また走りだした。この夜の出来事は翌日には上宮の全部員に知れ渡り、今でも伝説となっている。

    黒田 うちの母親ならそう言うだろうな、と予想はできた。(親類の)おじさんやおばさんからも「信念を貫き通す人だった」と聞いていた。家でも厳しかった。愛情のある厳しさだったように感じる。父親には野球の厳しさを教えてもらった。母親には人間的な厳しさを教えてもらった。

    溝下も黒田の母親の記憶が鮮明に残っているという。「家に泊まりに行ったり、合宿中にご飯を作りに来てくれたりした。厳しいなという印象。黒田にはもちろん言うけど、分け隔てがない。僕たちにも言わないといけないことは言ってくれていた」。筋が通っていた。

    黒田は1年秋からベンチ入りするようになった。投手としての潜在能力を買われていた部分もあるが、それ以上に同期で投手だった西浦克拓と溝下がそれぞれ野手としての能力も高く、野手として出場していたことが大きかった。投手枠が空いていたことでベンチ入りしたものの、なかなか公式戦で登板機会は巡ってこなかった。

    メンバーには入っても、走らされる毎日は続いた。それでも音を上げない。その精神力には両親の強い影響があると、当時コーチだった田中秀昌は感じていた。「忍耐強い生徒だった。それはなぜかと言われたら、絶対にお母さんだと思います。肝っ玉のお母さんで、あのお母さんの下で小さいころ育っている。今があるのは、お母さんのしつけだと思う」。過酷な練習にも耐える精神力。のちに男(おとこ)気と呼ばれる強い信念を持った思考の源流は、母親にあった。

    ただ、走り続けられる精神力は、エースへと駆け上がる向上心にはつながらなかった。そこには同学年のライバルの存在と、黒田の優しい性格があった。(敬称略=つづく)【前原淳】

    (2017年12月15日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00435968-nksports-base

     東都大学野球リーグの駒大は19日、都内で創部70周年記念祝賀会を開催した。広島、阪神で活躍し、昨季限りで現役を引退した新井貴浩氏らOBや関係者の約600人が出席。14年秋以来、1部優勝から遠ざかる母校にエールを送った。



     グレーのスーツ姿で現れた新井氏は、OBを代表してDeNA・今永らと壇上に上がった。「久しぶりに当時の先輩、同級生と顔を合わせることができてうれしいです」と笑顔。恩師の太田誠終身名誉監督らと言葉を交わし、学生時代を懐かしんだ。

     母校は昨秋のリーグ戦で、立正大との優勝決定戦の末に敗れた。「あと一歩のところだったんですけど…。もちろん優勝してほしい」と激励。ユニホームを脱いだことで、今春以降は「もちろん見に行きたい」と神宮球場での生応援への意欲も示した。

     2月のプロ野球キャンプから野球評論家としての生活がスタートする。「カープとタイガースのキャンプしか知らない。他の球団のキャンプは普通に楽しみです」と現役時代、しのぎを削ってきたライバル球団の練習に興味津々だった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000092-dal-base

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