広島カープブログ

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    OB

    広島で“ガンちゃん”と言えば知らない人はいないほどの人気者。
    広島ホームテレビ『ひろしま深掘りライブ フロントドア』では、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ“ガンちゃん”こと岩本貴裕氏をスタジオに招いた。

    広島市東区牛田生まれの岩本氏は、幼い頃から生粋のカープファン。
    小学校1年で野球を始めてから、めきめきその頭角を現し、高校は野球の名門・県立広島商業高校(以下、広商)に進学。3年の時には、エースで4番として、チームを16年ぶりに夏の甲子園に導いた。亜細亜大学を経て、2008年にドラフト1位で念願の地元カープに入団。プロ入り1年目から1軍出場を果たすと、プロ2年目では、わずか2ヶ月の間にホームラン14本を放つなどの活躍で自慢のパワーを見せつけた。その後は故障にも苦しみ、出場機会の減る中、今月2日、戦力外通告という形で、今シーズン限りの現役引退を決意した。

    広島の“ガンちゃん”ゆかりの方々が、さまざまなエピソードを披露。



    ―広商の2つ下の後輩・ソフトバンク柳田悠岐選手
    「高校に入って最初に岩本さんを見た時、こういう人がプロに行くんだなと思った。常に時間を見つけてはタイヤを引いたり、練習もすごくしたり、ちょっと違うなと思った」。




    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191015-00010000-hometvv-l34

     プロ野球の国鉄(現ヤクルト)、巨人で歴代唯一の通算400勝を達成し、ロッテ監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で死去した。86歳だった。巨人が発表した。

     豪快なキャラクターで「カネやん」の愛称でも親しまれた金田さんの突然の訃報を受け、広島のエースとして通算213勝をマークした野球解説者の北別府学さん(62)が自身のブログを更新。金田さんとの思い出をつづった。

     「金田正一さんの訃報にあたり本当に寂しい思いです」と切り出した北別府さん。自身の現役時代、夏場に半袖を着ていたところ、巨人戦の解説に来ていた金田さんに「こらっ、投手が半袖を着るもんじゃないぞ!肩と腕を冷やすな」と叱られたことがあったそうで「それから現役の間、私服もアンダーシャツも夏場は長袖を着用することになったきっかけでした。投手に対しての熱い思いを常に持っておられると思った次第です」と大投手を偲んだ。

     また、「私も引退してからですが、広島で美味しいふぐ料理屋を教えてくれとか仕事は大丈夫かとお気遣い頂いたりと思い出は尽きないほどです」と引退後も交流があったことを明かし「金田さんを知り野球への姿勢、ファンの方への姿勢、を学ばせていただきました。本当にありがとうございました。ご逝去にあたり心よりご冥福をお祈り致します」と結んだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191006-00000267-spnannex-base

    広島の入団テストが28日、マツダスタジアムで行われ、独立リーグなどから42人が参加した。


    体力測定の後、野手と投手に別れて実技を披露した。結果は球団内で精査され、合格者が出れば育成ドラフトで指名される可能性がある。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190928-09280901-nksports-base

     プロ野球解説者で広島東洋カープの元監督・達川光男さんが、8月5日放送の人気バラエティー番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系、月曜深夜0時20分)に出演。「当たってないのに、当たったフリしちゃった先生」として授業を行う。



     達川さんは広島商業高校時代に夏の甲子園で優勝し、現役時代は広島東洋カープの正捕手としてチームを日本一に導き、ベストナインに3回、ゴールデングラブ賞に3回輝いた名プレーヤー。引退後は広島東洋カープの監督や、セ・パ両リーグでコーチを歴任した。輝かしい功績を残したが、実は現役時代、当たっていないのに当たったフリをして、何度もデッドボールを勝ち取っていたことを告白。その結果、名捕手というイメージよりも、“デッドボール”という印象がファンに定着し、“デッドボール達川”や“グラウンドの詐欺師”というニックネームまでついていたと明かす。


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00000045-mantan-ent

     野球評論家の北別府学氏が2日、ブログを更新。「打たれた際の投手の気持ち」をつづった。

     広島一筋のプロ生活で、通算213勝を挙げた右腕。「1点か2点で抑える自信がある時は、打撃陣が何とかしてくれると敗けている時でも余裕でした」という一方で、「これほど自信に満ち溢れて投げられる時ばかりでしたらこんな苦労はない。今でもたまに夢にうなされる魔の暗黒の2年間もあります」と、振り返った。

     めった打ちにされたり制球難に陥ったりした場合、投手はマウンド上でぼう然自失となることも。北別府氏自身も「ストライクが入らないのだから代えてほしいに決まっています。そんな時はベンチの方をチラチラ見ます!」と、救援を求めたこともあったという。

     ただ、ベンチは「エースなら責任とれ」「若手ならこれを乗り越えて育ってくれ」などの意図で、続投となるケースもあるのがプロの世界。それらを経験して超一流となった北別府氏は「様々なプレッシャーに打ち勝ち、そこからどん底まで落ちて這い上がるのもプロ」と述べた。

     現在は解説者という立場だが「打つ手がないほどめった打ちにあった投手を見るのは本当に辛い」「苦しい思いをしている投手には手を差し伸べたいなと思います」とカープ愛をのぞかせ、「ただコーチではないですから少しだけ話をしたり、番組内でアドバイスを送ったりするだけですけどね」とした。

     8月31日のブログでは痛烈なヤジを受けた選手の話題について言及。「カープファンの真心の応援、厳しくも温かい声援でたくましく広島の選手は育てられますと以前も書きましたね」とつづり、広島OBとしてのメッセージをつづった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190902-00000080-dal-base

     “ポスト正田耕三”の大きな期待を背負って、97年度ドラフト2位でカープに入団した兵動秀治さん(39)。しかし、目立った活躍はできず、6年で戦力外通告を受けた。その後、競輪選手に転身し今年10年目。野球では短命に終わったが、競輪は故障さえなければ50代でも現役を続けられる世界。現在は広島支部に所属し、「できるだけ長くやりたい」と懸命にペダルをこぐ日々を送っている。

     競輪選手としての10年を、兵動さんは「あっという間だった」と振り返る。競輪は1節3日間の開催。月2~3節に出場し、開催が終われば次節に備えて練習に励む繰り返し。「体は野球選手の頃より小さくなったと思います。競輪の方がカロリー消費が多いのかな。野球の頃は肉を食べたいと思わなかったけど、今は食べたいですから」

     野球から競輪への転向。「気持ちはこっちの方が楽ですよ」と笑う。「野球は自分の結果がチームの勝ち負けにつながるので、プレッシャーが全然違います。今は僕が広島競輪を背負って走っているわけじゃないですからね」。誰から指図されることもなく、自身が残した成績が賞金に直結する世界。「自転車や用具の調整も全部自費。これも野球にはなかったこと。仕事(レースのあっせん)は全選手平等に入るし、分かりやすい。自分に合っているのはプロ野球よりこっちかな」。現在は下位のA級2班と同3班を行ったり来たり。まだ目立った成績を挙げることはできていないが、水はこちらの方が合うようだ。

     カープでは入団2年目に正田の背番号4を受け継ぎ、大きな期待をかけられた。しかしケガが相次ぎ、6年間のプロ生活で1軍には通算46試合に出場しただけ。「カープでは(キャンプや2軍戦も含めて)使ってもらえましたから」と後悔の念はない。03年オフに戦力外通告を受け、米国や韓国でも現役続行を模索したが、うまくいかなかった。野球にひと区切りつけた頃に競輪学校の入学年齢制限が撤廃された。知り合いの競輪選手から誘われ、08年に2回目の挑戦で競輪学校への合格を果たした。

     今のカープの印象を尋ねると「僕がいたころとは全然違う。何より雰囲気が違うし、想像がつかない」という。華やかなマツダスタジアムで若い選手がのびのびと躍動する。兵動さんの時代はガラガラの旧市民球場でチームは毎年Bクラス。ムードも暗く、笑顔などありえない状況だったという。今でも年に数回はカープの試合を観戦するというが、完全に別世界のようだ。

     兵動さんの競輪選手としての目標は「できるだけ長く」続けること。広島支部の現役最年長は斎藤勝、佐古雅俊の2人。ともに60年生まれで、59歳となる今年も元気に現役生活を続けている。「落車などの事故やケガはあるけど、サラリーマンよりは楽しいし、年の近い先輩には“まだ勝負の世界にいられることがうらやましい”と言われることもありますよ」。カープでは短命だったが、新たに見つけた勝負の世界では“無事之名馬”を目指す。(デイリースポーツ・浅野将之)



     兵動秀治(ひょうどう・ひではる)1979年8月10日生まれ、佐賀県出身。佐賀商から97年度ドラフト2位で広島カープに入団。6年間の在籍で通算46試合に出場、4安打、0本塁打、2打点に終わる。日本競輪学校の入学年齢制限の撤廃を受けて、08年に同校に97期生として入学。10年1月2日に広島競輪でデビュー。同年2月12日の熊本競輪で初勝利を挙げ、12月6~8日の玉野で初優勝を飾った。177センチ、80キロ。通算獲得賞金は約6920万円。


    引用元 https://www.daily.co.jp/opinion-d/nextstage/2019/05/07/0012306001.shtml

     ソフトバンクのデニス・サファテ投手が自身のツイッターを更新。広島で昨季までプレーし15日のヤクルト戦後に引退セレモニーを行ったブラッド・エルドレッド氏に祝福のメッセージを送った。


     現在、米国でリハビリ中のサファテは自身のツイッターで、引退セレモニーでエルドレッド氏が自転車に乗っている姿をリツイートし「僕はこれをとても愛しているよ。全ての成功を祝福しているし、引退後の生活をエンジョイしてよ!」と祝福のメッセージを送った。

     サファテは広島時代の2012年にエルドレッド氏と同じユニホームを着てプレー。エルドレッド氏は現役時代にサファテから譲り受けたママチャリで子供を送り迎えし、球場への通勤にも使用していた。懐かしの“ママチャリ姿”にサファテも大喜びの様子だった。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190917-00541184-fullcount-base

     JR広島駅からプロ野球広島の本拠地マツダスタジアムに至る通称カープロードの道中に、「炎のストッパー」としてファンに愛され、脳腫瘍のために1993年に32歳の若さで亡くなった津田恒実(本名恒美)投手の足跡を展示する記念館ができた。

     5月末のオープンから1カ月で来館者は約5千人を数え、館長を務める長男大毅さん(30)は「支えてくれた人に恩返しをしたい」と話す。

     津田投手はドラフト1位で広島に入団した82年に11勝を挙げて新人王に選ばれ、抑えとして89年は最優秀救援投手のタイトルに輝いた。闘志にあふれ、満身の力で投げ込む剛速球で魅了。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-00000009-kyodonews-base

     大阪府警に元プロ野球選手の新米警察官がいる。広島カープで投手として5年間プレーした池ノ内亮介巡査(30)。プロ引退後の第二の人生として現在は警察署の地域課員として勤務しており、住民から頼りにされる警察官を目指して奮闘中だ。



     プロ入り4年目にしてつかんだ1軍初登板。1点のビハインド。追い上げるためには失点できない。安打や四球で2死満塁のピンチを迎えたが、何とか無失点で切り抜けた。「とにかく必死。無失点だったけど内容が悪かった」と当時を振り返って苦笑いする。

     三重県伊賀市出身。岐阜県の強豪・中京学院大学中京高校から大学を経て平成22年、カープの育成ドラフト2位で指名を受けた。

     1軍のマウンドには2度登板した。いずれも無失点だったが、投球内容が安定していないとされ、27年のシーズン終盤、来年は契約しないことを告げられた。

     第二の人生として選んだのが警察官。知人が警察官だったことなどから興味を持ち、28年夏、府警独自の自己推薦方式の採用試験に挑戦。29年8月に巡査を拝命し、30年1月から寝屋川署で勤務を始めた。

     交番を訪れた人に道を案内したり、落とし物の持ち主を捜したりするたび、住民らから「ありがとう」と感謝の言葉をかけられた。プロ野球選手時代、ファンから声援を受けたときと似た充実感があった。

     プロ野球選手として大きな実績は残せなかったが、努力で夢はつかんだ。警察官になっても努力は怠らず「市民の人に感謝される警察官になる」と目標を立てている。


    引用元 https://www.sankei.com/west/news/190516/wst1905160037-n1.html

     広島で新人王、盗塁王のタイトルも獲得したエイジェック社会人野球部の梵英心内野手兼コーチ(38)が10日、小山市立文化センターで行われた「小山野球フェスティバル」でBCリーグ栃木の西岡剛内野手と対談した。



     両球団を運営する人材派遣関係の親会社が一緒で、本拠地も同じ小山市。練習施設も共同で使っている縁もあり、元NPBの人気選手同士のトークイベントに1000人の観客が集まった。梵は2017年に広島退団後、NPB復帰や米独立リーグでのプレーも視野に入れたが、手をあげる球団はなく「潮時かと思った」という。しかし、昨年4月にできたばかりのエイジェック社会人野球部から声がかかり「断る理由はない」と、新しい野球に挑戦した。

     NPB12年で990安打。ルーキーイヤーの2006年には「6番・二塁」で開幕スタメンに名を連ねた。球団の新人としては、1969年の山本浩司氏(元広島監督、1975年シーズンから山本浩二に登録名変更)以来37年ぶりと、殿堂入りした「ミスター赤ヘル」に並ぶ華々しいデビューだった。この日は遠く広島県呉市からカープ時代の熱烈な梵ファンも駆けつけた。

     梵の加入もあって、エイジェックスは今年の都市対抗第2代表決定戦に進出。惜しくも日立製作所に2-3で敗れたが、あと一歩のところまできている。「社会人、プロ野球と経験してきた。少しずつでも、選手に伝えていけたら。『社会人(野球)はこういう所が大事』などという、意見を発していきたい。(BC栃木とは)練習施設も一緒だし、刺激し合っていきたい。まだまだ負けたくない気持ちはある」と意気軒高だった。



    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-00495368-fullcount-base

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