広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    OB

    カープファンで知られるお笑い芸人有吉弘行(44)が、丸佳浩外野手(29)が国内フリーエージェント(FA)で広島から巨人への移籍を表明したことについて、「なんで広島の主力を取って行くんだよ。いいかげんにしてくれよ」と巨人に訴えた。

    有吉は2日放送のラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で、丸選手の移籍の話題に「チッ」と舌打ち。「『まだ、そんなことする?』っていう。広島からフリーエージェントで何人、選手を巨人に送り込んだ? マジで」とボヤいた。

    有吉は、川口和久投手や江藤智内野手といった、かつての広島の中心選手が巨人に移籍した例を挙げ「なんで広島の主力を取って行くんだよ。いいかげんにしてくれよ、本当に」と怒りをにじませ「選手に非があるとは全然思わないけど、巨人がすぐ取っちゃうから。なんであんなことすんのよ。かわいそうじゃない、生え抜きが。巨人の生え抜き」と非難した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181203-00409284-nksports-ent

     プロ野球・広島東洋カープからフリーエージェント(FA)宣言していた丸佳浩外野手(29)が30日、広島市のマツダスタジアムで取材に応じ、読売巨人軍へ移籍する意向を表明した。丸選手は「野球人として環境を変えてやろうと思った」と理由を語った。

     今季、国内FA権を取得した丸選手は「他球団の評価を聞いてみたい」と権利を行使。広島は宣言残留を認め、慰留していた。丸選手は獲得に乗り出していた巨人、千葉ロッテマリーンズと交渉し、最終的に巨人入りを決断。広島ファンに対し、「11年間、応援してくれて感謝している。成長した姿を見せるのが恩返しになると思う」と話した。

     丸選手は千葉県出身で、2008年に千葉経大付高から高校生ドラフト3巡目で広島に入団。16年からのセ・リーグ3連覇に貢献し、17、18年と最優秀選手(MVP)に輝いた。今季は打率3割6厘で、いずれも自己最多となる39本塁打、97打点をマーク。通算成績は打率2割8分、147本塁打、540打点。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20181130-00050061-yom-base

     元プロ野球選手の高橋慶彦氏(61)が25日、カンテレの「お笑いワイドショー マルコポロリ!」に出演し、広島からロッテ、阪神と移籍したことを振り返って阪神時代は「試合に出てない。遊んでいた」と豪快に笑った。高橋氏は阪神に1991年から92年の2年間在籍。76試合に出場した。


     番組には高橋のほかに元プロ野球選手の西崎幸広氏、星野伸之氏、金村義明氏が出演した。高橋氏は現役時代、盗塁王3回、連続試合安打記録33試合と輝かしい記録を打ち立てたことを紹介された。

     続けてMCの東野幸治が、投手だった西崎氏に最速何キロだったのかを質問。西崎氏は149キロだったと即答した。東野は高橋氏に、西崎氏と対戦歴があるのかを尋ねると、高橋氏は「覚えてない」と返答。西崎氏が「ロッテ行ったときですよ」と高橋氏がロッテ在籍時代に対戦していると訴えた。

     ここで後ろにいた金村氏が「ロッテのときはもう遊んでたもん」とツッコんだ。高橋氏は笑って否定しなかった。東野が笑いながら「ロッテのころは遊んでたんですか?」と重ねると、高橋氏は「一生懸命やってたよ」とぶっきらぼうに答えた。しかし、西崎氏が「1年でやめた」とツッコんで笑いが広がった。

     東野が「1年でやめて阪神に行ったんでしょ。阪神ではどうやったんですか」と尋ねた。高橋氏は「試合出てないしね、ほとんど。桧山、新庄とかのころ。阪神ではほとんど試合出てない。遊んでた」と自白。爆笑のなか、高橋氏はさらに「やっぱ新地が近かったから」と大阪有数の繁華街が甲子園球場から近かったことから遊んでいたと振り返った。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181125-00000072-dal-base

     カープ時代はサイドハンドから繰り出すキレのある球を武器に先発、中継ぎ、ストッパーと幅広く活躍した小山田保裕さん(42)。現在はDeNAの球団職員として野球の普及活動を行ったり、ファンイベントの企画、運営に携わるなど、多忙な日々を送っている。

     横浜スタジアムのすぐそばにある球団事務所で待ち合わせ。スーツ姿で現れた小山田さんは「今は社会人としてどっぷりやっています。引退して8年もたちますから、自分がプロ野球選手だったことも忘れてますね。周りから言われて“あっ、そうだった”と思い出すぐらいです」と柔和な笑顔を見せた。

     城西大を経て、98年度ドラフト5位でカープに入団。今季限りで引退した新井とは同期だった。1年目から1軍で活躍した小山田さんが、最も輝きを放ったのが4年目の02年。開幕からストッパーに指名され、直球でグイグイ押し込む強気の投球で44試合に登板、球団史上初の30セーブを挙げた。

     当時を懐かしそうに振り返る。「マウンドでは強気に振る舞っていましたけど、リリーフカーに乗る前は必ず嘔吐(えず)いてました。佐々岡さんや黒田さんら先発の人たちの勝ち星を消すわけにはいきませんから、プレッシャーは相当なものでした」。シーズン終盤は疲れも蓄積し、なかなか3人でピシャリと抑えることができなかった。「ファンの人たちにもヒヤヒヤさせてしまって本当に申し訳なかったと思っています」。元来は気が優しくて穏やかな性格。勝負の世界で勝ち抜くために現役時代はヒゲをはやしていた。「ヒゲをはやすとワイルドというか攻撃的というか、そういうスイッチが入ったんです」と笑う。

     04年途中からは先発に転向し、10月7日の中日戦では151球完封勝利をマーク。05年も先発陣の一角として開幕を迎え、5月までに2完封を含む4完投、5勝を挙げてチームに貢献したが、その後は右肩痛を訴え、苦しんだ。08年に横浜へ移籍。1年目は39試合に登板したが、再び右肩痛に見舞われ、10年限りで引退した。通算成績は251試合に登板し、19勝26敗37セーブ、防御率4・04。

     カープには9年間在籍した。「野球選手というだけでなく、人としても磨いていただいた球団です。礼儀だったり、社会人として振る舞いなども勉強させていただきました。今があるのもカープのおかげです」と感謝の言葉を口にする。

     引退後は横浜の球団職員となり「野球振興・スクール事業部」に在籍。幼稚園や小学校を訪問して子どもたちが野球と触れ合うきっかけ作りを行ったり、野球教室開催やDeNAのジュニアチームを指導。通年型の野球教室「横浜DeNAベイスターズベースボールスクール」の立ち上げにも携わるなど、野球の裾野拡大に奮闘してきた。また、今年からは新たにファンイベントの企画、運営にも携わっている。

     横浜移籍は木村、岸本との交換トレードだった。「2人の活躍に心が痛かった。僕も活躍したかったけど結果的に3年で終わってしまって…。野球で貢献できなかった分、球団職員として恩返ししたいと思っています」。そんな実直な小山田さんについて、同僚の女性職員は「社内でもまったく元野球選手という雰囲気を出さなくて、現役時代を知らない職員は“えっ、小山田さんって野球選手だったの?”と驚く人もいるほどなんです」と教えてくれた。

     小山田さんが在籍していた頃のカープは万年Bクラスだったが、現在はリーグ3連覇を果たし常勝軍団に。緒方監督を始め、多くのコーチ陣とも一緒にプレーしており、「皆さんの努力が結果に結びついたのはとてもうれしいですし、球団職員の方も大変ご苦労されたんだと思います。僕もカープの皆さんに負けないよう、DeNAのために頑張っていきたいですね」と口元を引き締めた。

    (デイリースポーツ・工藤直樹)


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00000045-dal-base

     プロ野球広島OBの北別府学氏(61)が27日、ブログを更新し、大相撲の元貴乃花親方の花田光司氏(46)と元フジテレビアナウンサーの妻・景子さん(54)の離婚について言及した。

    「野球選手は移籍するとき 引退するとき 通常は家族に相談すると思います。移籍でも引退でも一様に家族の事を念頭に心配し行動を起こしていますね」と書き始めた北別府氏。

     一方、自身については「しかし、私は家族に相談などせずに行動を起こしてきました」とそうした定石とは無縁の生活を送ってきたことを明かした。

     家族を犠牲にし、自らはやりたい放題だったという。

    「参観日なども行った事もない。家の手伝い?した事もない。家族の行きたいところに食事に連れて行った事もない。休みになるとそそくさと飲みに行く滝汗滝汗滝汗」とざんげの思いをつづった。

     そして元貴乃花親方に触れた。

    「家族とは最低限の話しかしてこなかった。貴乃花さんもこんなに酷かったのだろうか」

     離婚をどちらから切り出したのかは不明だが、元貴乃花親方の多忙さも離婚の一因とする声もある。

     北別府氏は家庭を顧みなかった自身の行動について「これは異常な事だ」と猛省。

    「やばい事になると数年前に気がついた!!我が家はすんでのところで間に合ったのだった!!」と危機的状態から脱したことに安堵の思いを吐き出した。

    「お陰で、こうやって平和に穏やかに過ごせております」。元貴乃花親方の衝撃的な離婚を受け、北別府氏は家族と過ごす時間のありがたみを再確認したようだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00000015-tospoweb-ent

    元広島の紀藤真琴氏が24日、来年1月から水戸啓明の監督に就任することを公表した。この日、水戸市内の同校で行われた創立60周年記念講演会の講師を務め、生徒、保護者らを対象に「あなたは必ず成功する」を演題に講演。約1時間の講演後に「最後に1つよろしいですか?」とマイクを握った紀藤氏は「ご報告があります。私、紀藤真琴は野球部の監督を引き受けさせていただくことになりました。よろしくお願いします」とあいさつした。

    水戸啓明は12年に水戸短大付から校名を変更。春夏2度甲子園に出場し、OBには広島会沢翼捕手らが名を連ねる。紀藤氏は中京(現中京大中京)で甲子園に出場。広島でプレーし、3年連続2ケタ勝利を挙げるなど、中日、楽天を含む22年の現役生活を送った。引退後は、楽天、台湾プロ野球でコーチを経験。現在は水戸市内の野球塾で塾長を務める。指導は来年1月からの予定で、02年のセンバツ以降、甲子園から遠ざかるチームを押し上げる。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00401484-nksports-base

     プロ野球・広島の元エースで野球解説者の北別府学氏が16日、公式ブログを更新し、名古屋経済大学高蔵高野球部で元プロ野球選手の監督が部員に暴力を振るった問題に「大変な衝撃を受けました」と打ち明けている。

     監督は引退後、一般企業勤務を経て07年に同校の国語教師として赴任、09年に野球部監督に就任した。今回、スマホに関する野球部のルールを部員が破ったことに腹を立て、1、2年生の男子部員12人を殴ったものが明るみに出た。

     北別府氏は「素晴らしいセカンドキャリアを歩みながら 本当に残念でたまりません」と惜しみつつ、「映像を見ると生徒への指導などではなくただの暴力で、愛情も何も感じることのない指導とは言えない感情をぶつけているだけに見えます」と、厳しく批判。引退後の「理想を叶えたような生き方」をしていた監督の体罰に「たまらない思い」になったという。

     引退後の人生について、北別府氏は「それからどんな勉強だってできるはず。元カープ選手のホプキンスさんなど退団後に医学の勉強をして医者になりました」という例を挙げ、「苦しい事も多いと思うけど、その後の長い人生を誤らずに生きていくために頑張らなければ。若い選手たちは、充実した選手生活、その後のセカンドキャリアを送る為にも日常の中でも厳しく身を正して将来をしっかりと見据えて欲しい」と訴えていた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00000101-dal-base

     日米野球に出場している前田(ドジャース)と大瀬良、岡田(広島)が、試合前に優雅なランチを楽しんだ。



     3人は広島の先輩・後輩。名古屋ということで、向かったのは「コメダ珈琲店」だった。

     「今日のお昼にコメダ珈琲に行きました。小倉トーストを一緒に食べてのんびりしましたよ」と大瀬良。同店の人気メニュー「小倉トースト」(450円)をほおばりながら、楽しい時間を過ごした。

     前田と広島勢は、マツダスタジアムの試合前日の12日にもそろって食事に出かけた。今回の日米野球を通じて忘れられない思い出がたくさんできたに違いない。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181115-00000146-spnannex-base

    <明治神宮大会:環太平洋大4-2法大>◇11日◇大学の部2回戦◇神宮

    環太平洋大(中国・四国3連盟)が2年連続で東京6大学に勝利した。昨年の慶大に続いて今年も法大を撃破。前広島監督野村謙二郎氏の弟でもある野村昭彦監督(50)も「2-2か3-3でタイブレークをやるつもりでした。勝てるつもりはなかった」と驚く勝利だった。



    この日は4投手で継投した。5回から登板した4番手の仲尾元貴投手(1年=生光学園)は、今秋のリーグ戦で唯一敗れた試合の敗戦投手。それでも野村監督は「こいつはこの経験を元に助けてくれるから」とナインに言っていた。仲尾は5回4安打無失点と好リリーフ。「個では負けているからみんなで戦うしかない」と期待にしっかり応え大きな戦力となった。

    駒大出身の野村監督は「僕は東都出身なので、東京6大学には負けないという気持ちがある」と対抗心メラメラ。監督に就任した13年1月15日、野村監督は「いつか東京6大学に勝てるように頑張ろう」とホワイトボードに書いた。“ライバル”を倒し、頂点へ波に乗る。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181111-00389181-nksports-base

    このページのトップヘ