広島カープブログ

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    OB

     「炎のストッパー」と呼ばれた元広島投手、故津田恒美さんの長男大毅さんが、自転車で日本一周を行っている。先日、神戸市を訪れ、2019年夏に広島市にオープンする「津田恒美記念館」をPRした。

     昨年のカープ優勝を機に、記念館設立に動き出した大毅さんは、インターネットで資金を募るクラウドファンディングを開始した今年6月から自転車で日本一周に出発。北は北海道、南は沖縄までの都道県を回り、残るは近畿、東海地区を走り自宅のある埼玉県を目指す。

     日本一周の目的について「四つあるんです。記念館のPR、父がお世話になった人たちにお礼を言うこと、自分がやりたかったということ、そして自信を持つため。野球でも仕事でも中途半端というか、津田恒美の息子というのがすごく嫌で、結果を残していないというコンプレックスがあった。人がやらないこと、それが日本一周だった」と説明した。

     父は1981年度ドラフト1位で広島に入団。1年目の82年に11勝を挙げ、球団史上初の新人王に輝いた。2年目からケガと戦いながら86年には「炎のストッパー」としてリーグ優勝に貢献。91年に病に倒れ、93年7月20日に脳腫瘍のため32歳の若さで永眠した。通算成績は49勝41敗90セーブながら闘志あふれる投球は伝説となり、2012年には野球殿堂入りした。

     偉大な父を持つ大毅さんは、大学まで野球を続けたが、父の存在の大きさに反抗したこともあった。しかし、昨年、広島が25年ぶりにリーグ優勝したことをきっかけに父の偉大さを感じ、記念館設立プロジェクトを立ち上げた。そして日本一周をする中で「自分の考え方次第だったと思うんです。人がどう見ていようが、自分がしっかりすればいい」と感じるようになったという。

     全国を回っているうちに「みなさんにお礼を言わないといけないのに、逆に父から勇気をもらったとお礼を言ってくれるんです。どこへ行っても父のことを知っていると言われるし、すごいなあと思いました」とこの旅でも“津田恒美”の偉大さを感じ取った。

     中でも沖縄・西表島の大原中学校に父の座右の銘でもある「弱気は最大の敵」という文字を壁面に見つけた。当初、西表島に行く計画はなかったが、与那国島行きの船が欠航となり、西表島に行き先を変更して、そこで見つけた文字。「土曜日だったので、だれもいなくてなんでこの石碑があるか分からないんですけど」と残念がった。

     大原中学校に取材すると、壁面は水飲み場の壁で、宜野座淳司教諭は「卒業記念に壁面を白くして文字を入れようということになったんです。(当時の)3年生7人が提案した文字なんです。津田さんのお父さんの座右の銘というのは、津田さんがツイッターにあげるまで知りませんでした」と話した。父との関係はなくても、西表島での偶然は何かの縁だったのだろう。

     一人旅は5カ月近くなる。風雨にさらされ、パンクなどトラブルも数え切れない。「野犬に襲われそうにもなりました」と笑う大毅さん。苦労しながら残り1カ月ほどでゴールを迎える。

     クラウドファンディングでは、予定の400万円を大きく上回る2627万円が集まった。旅を終えると返礼品の発送作業にとりかかる。

     当初は来年の命日(7月20日)を目標にしていたが「一度だけでなく、何度も足を運んでもらえる記念館にしたい」と、準備に時間をかけることになり、再来年のオープンを目指す。「父の命日より誕生日がいいと思うんです」-。2019年8月1日、広島市内に「津田恒美記念館」はオープンする。(デイリースポーツ・岩本 隆)
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171110-00000049-dal-base

     【あの秋~日本シリーズ回想~(2)】 40年近くが経過した今も多くの球界関係者、ファンの間で語り継がれるシリーズ史上最高の名場面がいわゆる「江夏の21球」だ。1979年11月4日、舞台は大阪球場。ともに初の日本一を目指す両チームの第7戦は4―3と広島1点リードで9回裏。7回途中から登板した守護神の江夏豊は、デーゲームなれど朝6時まで麻雀に興じていたため、睡眠は取っていなかった。



     先頭の羽田耕一に中前打を許すと守備のミスもあり無死満塁の大ピンチ。佐々木恭介を三振に仕留めて1死後、打席に石渡茂が入った。強攻策、エンドラン、スクイズ…。いくつかの策が考えられる中、江夏は「絶対にスクイズ。何球目に来るか」を見極める駆け引きに入った。

     敵将・西本幸雄の動きを読む。三塁コーチの仰木彬に視線を向けると、いつもならほほ笑み返す仰木が顔をそらせた。正対する一塁走者の平野光泰はニヤリと笑った。左腕の江夏は三塁走者が見えないが、スクイズなら同時にスタートを切る一塁走者の動きは視界に入る。平野のほほ笑みを「スクイズのサインが出ても自分は動かない」という暗黙の合図、と江夏は読んだ。

     一方で自軍ベンチとの葛藤もあった。若手の池谷公二郎、北別府学にベンチ横でのウオーミングアップを指示した指揮官・古葉竹識への不信感。「大阪球場にはベンチ裏にもブルペンがある。なぜ、俺の目に入るところでこれ見よがしに」

     1ストライクから運命の1球。投球動作に入った江夏は石渡のわずかな動きを看破したが、握りはカーブ。ウエストは直球がセオリーで、カーブだと大暴投になりかねないリスクをはらんでいた。江夏いわく「神業」の1球は大きな弧を描くと、石渡のバットは空を切った。三塁走者の藤瀬史朗は挟殺。石渡も三振に仕留めて江夏の21球は完結。日本一に輝いた。

     時空を超えて聞いてみた。

     あなたにとってあの21球は何だったのか――。

     やや間を置いて江夏は答えた。「自分がつくったとはいえ、ああいう難しい場面はそうそうあるものではない。いい経験をさせてもらった。もう一度投げても抑える自信はない」。淡々と振り返りながら、最後に語気を強めた。「最近の人は分からないかもしれないが、駆け引きは当然のこと。そうでなければ俺のような、へなちょこ球で抑えられるわけがない」――。=敬称略=(宮内正英編集主幹)

     ◆1979年日本シリーズ 第1戦は5―2、第2戦は4―0で、近鉄が本拠・大阪球場で連勝。地元に戻った広島は第3戦を3―2で制すと第4戦は5―3、第5戦も山根が1―0で完封と3連勝で王手をかけた。大阪に舞台を移した第6戦は近鉄が6―2で勝ち逆王手。第7戦は広島1点リードの7回途中から江夏が3番手で登板。9回無死満塁のピンチをしのいで、広島が球団創設初の日本一に輝いた。
    引用元 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/10/25/kiji/20171024s00001173251000c.html

     広島は31日、昨季限りで現役を引退したOBの広瀬純氏とコーチ契約を結んだと発表した。

     午後にマツダスタジアムで記者会見が行われる。

     広島はリーグ連覇に大きく貢献した石井琢朗打撃コーチと河田雄祐外野守備走塁コーチが、今季限りで退団した。
    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171031-00000042-dal-base

     四国アイランドリーグplusは、みやざきフェニックスリーグに2007年から選抜チームを送り込んでいる。今年も香川オリーブガイナーズの西田真二監督のもと、独立リーググランドチャンピオンシップに出場した徳島インディゴソックスを除く3チームから一次選抜チームを組んで、参加している。西田監督に今年の四国アイランドリーグplusチームについて聞いた。

    2017年プロ野球ドラフト会議 各球団指名選手一覧

    ――今年の陣容はいかがですか?

    「選手の選考は、四国アイランドリーグplusの坂口事務局長などとともに行いました。投手はまずまずですが、野手は今季、コンディションが良くない選手もいたので、選考に悩みましたね。長年参加させていただいているので、目的意識もはっきりしてきました。四国アイランドリーグplusは、巨人、ソフトバンクの3軍と交流戦をしています。そういう意味ではNPBの野球には接していますが、フェニックスリーグにはCSを控えて調整のために出場する1軍選手もいます。3軍とは違って、2軍、1軍半の選手と対戦させてもらえるということで、NPBの本当の実力を知るということが大きいですね」

    ――ここまでの戦いぶりはいかがでしょう?

    「今回は雨で流れた試合も多いですが、チームとしてはよくやっていると思います。彼らも四国で数多くの試合をこなして経験を積んでいますから、NPBのチームに歯が立たないということはない。初対決ということもありますが、投手陣はそこそこ好投しています。打線は長打力はありませんが、選手をやりくりする中でよくやっているんではないでしょうか」

    ――毎年、この時期にはドラフトが気になるところです。

    「今回は一次選抜では徳島の選手が来ていませんし(21日から追加で参加)、シーズン8勝を挙げたうち(香川オリーブガイナーズ)の原田宥希も来ていない。この中からどれだけの選手がドラフトにかかるかわかりませんが、NPBのスカウトや指導者の中には、フェニックスリーグで選手の再チェックをすることもあるので、ぎりぎりチャンスを活かし若い人もいるでしょう。でも、ドラフトで指名されなくても、ここで経験を積んで、来年以降にドラフトにかかるチャンスが生まれる人もいます。来年に活かしてほしいですね。独立リーグとしては、毎年毎年こういう挑戦を続けていく、そしてそれを活かしていくことですね」

    ――九州遠征は、選手にとって大変ではないですか?

    「宮崎の遠征は、レギュラーシーズンよりも楽ですね。四国アイランドリーグplusの移動は四国全域に加え、ソフトバンク戦は九州でもやります。遠征は原則日帰りですから、シーズン中はバスの移動が本当に大変です。でも、フェニックスリーグは宮崎県内の移動ですし、ホテルに宿泊できる。朝食も年々良いものを出していただいている。選手たちがリフレッシュできるようになってきています。昔に比べればずいぶん、楽になりました。昔は四国でも黒潮リーグという若手中心の教育リーグをやっていました。四国もやればいいのにと思います。宮崎と四国で半分ずつやるようになれば、交流がもっと広がるし、四国の注目度も高まると思います」

    ――四国アイランドリーグplusの選手にとってフェニックスリーグはどういう位置づけですか?

    「フェニックスリーグは勝つことも大事ですが、試合をしながら経験を積んでいくことも大事です。また、いろいろな意味で総決算の場でもあります。ここに来ているのは、四国4チームの選抜選手ですが、この試合を最後にやめる選手もいるんです。そういう選手には野球生活の総決算です。もちろん、ドラフトにかかる選手には、独立リーグの総決算になる。来季も独立リーグでやる人にとっても今季の総決算です。どんな状況でも、収穫を得てほしいですね」
    引用元 https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12133-90321/

     プロ野球セ・リーグは、広島が37年ぶりの連覇を果たした。大型連載の第26回は広島一筋22年、先発に、抑えにと活躍した大野豊氏(62)。二十歳のころは島根・出雲市信用組合に勤務しながら、軟式のチームでプレーしていた。21歳のときにドラフト外でプロ入り。通算148勝138セーブを挙げた裏には、多くの人との出会い、社会人時代の貴重な経験があった。

     プロ野球選手を目指そうなんて、考えたことはありませんでした。なりたいと思ったこともありません。二十歳になったのは1975年。のちにお世話になる広島カープが初のリーグ優勝を飾った年です。私は出雲市信用組合に入行して2年目。軟式野球部でプレーしていました。

     ノンプロではないので、午前中だけ仕事をして、午後は練習に専念というわけにはいきません。本店の渉外担当として朝から夕方まで業務をこなした後、日が暮れるまで練習をするという毎日でした。

     朝は8時半に出勤し、9時頃から課のミーティングで、その日の担当エリアをチェック。午前中は商店街を中心に歩き回りました。午後は原付きバイクで遠方を回り、夕方に本店へ戻って集金したお金の計算です。金額が合えば5時頃に終了しますが、1円でも違っていると、合うまで数え直しでした。

     野球部といっても専用グラウンドはなく、日替わりで借りたグラウンドに、仕事が終わった人から集合。土曜の午後や仕事が休みの日曜に、まとまった練習や試合をしました。

     初任給は、手取りで約3万5000円。毎年、1万円ずつの昇給でした。出費は通勤用に買った原付きバイクとスーツの月賦が計5000円。家に5000円を入れ、できる範囲で貯金した残りが自由に使えるお金です。朝のミーティングは喫茶店でモーニングを食べながらだったので、月単位だと、朝食に最もお金がかかったかもしれません。

     プロに入るまで、ずっと軟式でプレーしていたと思っている人もいるようですが、出雲商高では硬式でした。真っすぐはそれなりに速かったので、はまれば抑えるけど、なかなかはまらないという投手です。中学、高校の大会で優勝したとか、何か記録を残したことはありません。夏場はやせて、すぐにばててしまうこともあり、高校3年夏の島根大会は初戦敗退でした。

     母子家庭で育った私は、母(富士子さん)を早く楽にさせてあげたくて、中学を卒業したら自立しようとも思いましたが、将来のために実業を学ぶことができる商業高校への進学を選びました。

     卒業後も野球は続けたかったので、3年生の夏が終わると杉原宏敦監督の勧めで、1学年下の捕手と一緒に1週間、ノンプロの三菱重工三原(広島・三原市、2014年に解散)の練習に参加しました。しかし、お世話になろうという気にはなりませんでした。就職は母がいる地元で、と考えていたからです。

     就職案内を見ても、出雲市内に硬式野球部を持つ企業はありません。銀行マンは自分の性格に合わないだろうと思いながらも、軟式とはいえ唯一、野球部がある出雲市信用組合を選んだのです。 (あすに続く)

    ■大野 豊(おおの・ゆたか)

     1955(昭和30)年8月30日生まれ、62歳。島根県出身。出雲商高、出雲市信用組合を経て77年3月にドラフト外で広島に入団。抑え、先発と転向を繰り返し、80-90年代の広島投手陣を支えた。98年に引退するまで22年間の通算成績は148勝100敗138セーブ、防御率2・90。主なタイトルは最優秀防御率2度、最優秀救援、沢村賞各1度。引退後は広島と、2004年アテネ、08年北京両五輪日本代表で投手コーチ。13年に野球殿堂入り。左投げ左打ち。
    引用元 http://www.sanspo.com/baseball/news/20170926/npb17092611000001-n1.html

     今季からスタートしたソフトバンク・達川光男ヘッドコーチ(61)のコラム「今昔物語」-。独特の話術で球界の今と昔を紡ぐ語り部が、今回も痛快に論じます。第3回は、広島で現役だった26年前の梅雨時期に迎えた「人生最大のピンチ」。この局面を救ったのは、必死な動物の姿でした。そして「鬼軍曹」として知られた当時のヘッドコーチの気づかい、さらに亡き妻から掛けられた愛にあふれる言葉とは-。

    【達川コラム(下)】ぎっくり腰なのに先発で「エーーーッ!」鬼軍曹の気遣い、亡き妻から愛の駄目だし
    ■ドラ1が起用され…

     西スポ読者の皆さま、どうも達川です。早いもので、このコラムも3回目じゃの。チームも交流戦に突入したんじゃけど、2カード連続勝ち越しと5月に続いていい戦いができとると思うよ。先週末は横浜スタジアムでの試合だったんじゃけど、宿舎に向かうバスから大井競馬場が見えたんよ。それで、ふと昔のことを思い出しての。今回は、その話をさせてもらうかの。

     あれはもう26年前か…。1991年のことよ。ワシも長年、正捕手を務めて、もうベテランと呼ばれる立場じゃったけど、その年にドラ1で瀬戸(輝信)いうのが、入ってきてな。で、今と同じ時期じゃった。ワシが突然スタメンを外されて、瀬戸が起用されて大敗したんよ。ワシは調子も悪くないし、どこも痛くない。10年近く正捕手を務めてきて、意地もプライドもあったからの。コーチ室まで「どうしてですかっ!」と言いに行ったんよ。そしたら、首脳陣総出で怒られたよ。「おまえが決めることじゃないっ!」。一蹴よ。



    引用元 https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/333539/

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