広島カープブログ

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     四国アイランドリーグplusは、みやざきフェニックスリーグに2007年から選抜チームを送り込んでいる。今年も香川オリーブガイナーズの西田真二監督のもと、独立リーググランドチャンピオンシップに出場した徳島インディゴソックスを除く3チームから一次選抜チームを組んで、参加している。西田監督に今年の四国アイランドリーグplusチームについて聞いた。

    2017年プロ野球ドラフト会議 各球団指名選手一覧

    ――今年の陣容はいかがですか?

    「選手の選考は、四国アイランドリーグplusの坂口事務局長などとともに行いました。投手はまずまずですが、野手は今季、コンディションが良くない選手もいたので、選考に悩みましたね。長年参加させていただいているので、目的意識もはっきりしてきました。四国アイランドリーグplusは、巨人、ソフトバンクの3軍と交流戦をしています。そういう意味ではNPBの野球には接していますが、フェニックスリーグにはCSを控えて調整のために出場する1軍選手もいます。3軍とは違って、2軍、1軍半の選手と対戦させてもらえるということで、NPBの本当の実力を知るということが大きいですね」

    ――ここまでの戦いぶりはいかがでしょう?

    「今回は雨で流れた試合も多いですが、チームとしてはよくやっていると思います。彼らも四国で数多くの試合をこなして経験を積んでいますから、NPBのチームに歯が立たないということはない。初対決ということもありますが、投手陣はそこそこ好投しています。打線は長打力はありませんが、選手をやりくりする中でよくやっているんではないでしょうか」

    ――毎年、この時期にはドラフトが気になるところです。

    「今回は一次選抜では徳島の選手が来ていませんし(21日から追加で参加)、シーズン8勝を挙げたうち(香川オリーブガイナーズ)の原田宥希も来ていない。この中からどれだけの選手がドラフトにかかるかわかりませんが、NPBのスカウトや指導者の中には、フェニックスリーグで選手の再チェックをすることもあるので、ぎりぎりチャンスを活かし若い人もいるでしょう。でも、ドラフトで指名されなくても、ここで経験を積んで、来年以降にドラフトにかかるチャンスが生まれる人もいます。来年に活かしてほしいですね。独立リーグとしては、毎年毎年こういう挑戦を続けていく、そしてそれを活かしていくことですね」

    ――九州遠征は、選手にとって大変ではないですか?

    「宮崎の遠征は、レギュラーシーズンよりも楽ですね。四国アイランドリーグplusの移動は四国全域に加え、ソフトバンク戦は九州でもやります。遠征は原則日帰りですから、シーズン中はバスの移動が本当に大変です。でも、フェニックスリーグは宮崎県内の移動ですし、ホテルに宿泊できる。朝食も年々良いものを出していただいている。選手たちがリフレッシュできるようになってきています。昔に比べればずいぶん、楽になりました。昔は四国でも黒潮リーグという若手中心の教育リーグをやっていました。四国もやればいいのにと思います。宮崎と四国で半分ずつやるようになれば、交流がもっと広がるし、四国の注目度も高まると思います」

    ――四国アイランドリーグplusの選手にとってフェニックスリーグはどういう位置づけですか?

    「フェニックスリーグは勝つことも大事ですが、試合をしながら経験を積んでいくことも大事です。また、いろいろな意味で総決算の場でもあります。ここに来ているのは、四国4チームの選抜選手ですが、この試合を最後にやめる選手もいるんです。そういう選手には野球生活の総決算です。もちろん、ドラフトにかかる選手には、独立リーグの総決算になる。来季も独立リーグでやる人にとっても今季の総決算です。どんな状況でも、収穫を得てほしいですね」
    引用元 https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12133-90321/

     プロ野球セ・リーグは、広島が37年ぶりの連覇を果たした。大型連載の第26回は広島一筋22年、先発に、抑えにと活躍した大野豊氏(62)。二十歳のころは島根・出雲市信用組合に勤務しながら、軟式のチームでプレーしていた。21歳のときにドラフト外でプロ入り。通算148勝138セーブを挙げた裏には、多くの人との出会い、社会人時代の貴重な経験があった。

     プロ野球選手を目指そうなんて、考えたことはありませんでした。なりたいと思ったこともありません。二十歳になったのは1975年。のちにお世話になる広島カープが初のリーグ優勝を飾った年です。私は出雲市信用組合に入行して2年目。軟式野球部でプレーしていました。

     ノンプロではないので、午前中だけ仕事をして、午後は練習に専念というわけにはいきません。本店の渉外担当として朝から夕方まで業務をこなした後、日が暮れるまで練習をするという毎日でした。

     朝は8時半に出勤し、9時頃から課のミーティングで、その日の担当エリアをチェック。午前中は商店街を中心に歩き回りました。午後は原付きバイクで遠方を回り、夕方に本店へ戻って集金したお金の計算です。金額が合えば5時頃に終了しますが、1円でも違っていると、合うまで数え直しでした。

     野球部といっても専用グラウンドはなく、日替わりで借りたグラウンドに、仕事が終わった人から集合。土曜の午後や仕事が休みの日曜に、まとまった練習や試合をしました。

     初任給は、手取りで約3万5000円。毎年、1万円ずつの昇給でした。出費は通勤用に買った原付きバイクとスーツの月賦が計5000円。家に5000円を入れ、できる範囲で貯金した残りが自由に使えるお金です。朝のミーティングは喫茶店でモーニングを食べながらだったので、月単位だと、朝食に最もお金がかかったかもしれません。

     プロに入るまで、ずっと軟式でプレーしていたと思っている人もいるようですが、出雲商高では硬式でした。真っすぐはそれなりに速かったので、はまれば抑えるけど、なかなかはまらないという投手です。中学、高校の大会で優勝したとか、何か記録を残したことはありません。夏場はやせて、すぐにばててしまうこともあり、高校3年夏の島根大会は初戦敗退でした。

     母子家庭で育った私は、母(富士子さん)を早く楽にさせてあげたくて、中学を卒業したら自立しようとも思いましたが、将来のために実業を学ぶことができる商業高校への進学を選びました。

     卒業後も野球は続けたかったので、3年生の夏が終わると杉原宏敦監督の勧めで、1学年下の捕手と一緒に1週間、ノンプロの三菱重工三原(広島・三原市、2014年に解散)の練習に参加しました。しかし、お世話になろうという気にはなりませんでした。就職は母がいる地元で、と考えていたからです。

     就職案内を見ても、出雲市内に硬式野球部を持つ企業はありません。銀行マンは自分の性格に合わないだろうと思いながらも、軟式とはいえ唯一、野球部がある出雲市信用組合を選んだのです。 (あすに続く)

    ■大野 豊(おおの・ゆたか)

     1955(昭和30)年8月30日生まれ、62歳。島根県出身。出雲商高、出雲市信用組合を経て77年3月にドラフト外で広島に入団。抑え、先発と転向を繰り返し、80-90年代の広島投手陣を支えた。98年に引退するまで22年間の通算成績は148勝100敗138セーブ、防御率2・90。主なタイトルは最優秀防御率2度、最優秀救援、沢村賞各1度。引退後は広島と、2004年アテネ、08年北京両五輪日本代表で投手コーチ。13年に野球殿堂入り。左投げ左打ち。
    引用元 http://www.sanspo.com/baseball/news/20170926/npb17092611000001-n1.html

     今季からスタートしたソフトバンク・達川光男ヘッドコーチ(61)のコラム「今昔物語」-。独特の話術で球界の今と昔を紡ぐ語り部が、今回も痛快に論じます。第3回は、広島で現役だった26年前の梅雨時期に迎えた「人生最大のピンチ」。この局面を救ったのは、必死な動物の姿でした。そして「鬼軍曹」として知られた当時のヘッドコーチの気づかい、さらに亡き妻から掛けられた愛にあふれる言葉とは-。

    【達川コラム(下)】ぎっくり腰なのに先発で「エーーーッ!」鬼軍曹の気遣い、亡き妻から愛の駄目だし
    ■ドラ1が起用され…

     西スポ読者の皆さま、どうも達川です。早いもので、このコラムも3回目じゃの。チームも交流戦に突入したんじゃけど、2カード連続勝ち越しと5月に続いていい戦いができとると思うよ。先週末は横浜スタジアムでの試合だったんじゃけど、宿舎に向かうバスから大井競馬場が見えたんよ。それで、ふと昔のことを思い出しての。今回は、その話をさせてもらうかの。

     あれはもう26年前か…。1991年のことよ。ワシも長年、正捕手を務めて、もうベテランと呼ばれる立場じゃったけど、その年にドラ1で瀬戸(輝信)いうのが、入ってきてな。で、今と同じ時期じゃった。ワシが突然スタメンを外されて、瀬戸が起用されて大敗したんよ。ワシは調子も悪くないし、どこも痛くない。10年近く正捕手を務めてきて、意地もプライドもあったからの。コーチ室まで「どうしてですかっ!」と言いに行ったんよ。そしたら、首脳陣総出で怒られたよ。「おまえが決めることじゃないっ!」。一蹴よ。



    引用元 https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/333539/

     広島を代表する“レジェンド捕手”、ソフトバンクの達川光男ヘッドコーチ(62)が22日、広陵・中村奨成捕手(3年)を「城島・古田級」になれると断言した。

     近年は捕手の人材難ともいわれ、一時代前の古田敦也氏、城島健司氏のようなスター捕手はいなくなってきている。ただ、達川ヘッドは「なれる。絶対なれる。10年に1人、20年に1人の選手だから」と断言。プロともなれば守備面で課題が出てくる可能性もあるが「そのままでいい。習うより慣れろ。それくらいの選手じゃ」と話した。

     清原超えの大会6号弾を放った打撃はもちろん、強肩、俊足で抜群の身体能力を誇る。「捕手じゃなくても、内野手でも、どこでもできる感じじゃの」。そして「リードもすごいうまいよ。(天理戦の)最終回のリードを見ても落ち着いている。文句ない。広陵で1年から出とるだけある」と大絶賛だ。

     さらには「目もええと思うよ。キャッチングもうまいもん。プロに入ってからサファテくらいの球なら差し込まれる、負けるんやけど。もう2、3回捕ったら、すぐ対応できるんじゃない。動体視力がすごい。選球眼もええしね。ボール球を振らない。今までいろんなすごい選手見たけど、比較対象する選手がいない」と続けた。

     現役時代はもちろん、指導者としても広島で監督を務めたほか、ダイエー(当時)、阪神、中日でもバッテリーコーチとして幾多の捕手を見てきた。広陵は母校・広島商と県内の球史を築いてきたライバルで、思い入れのある面も少しはあるかもしれないが、それを差し引いたとしても最上級の評価といえる。それほど期待している選手ということだ。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170823-00000031-tospoweb-base

    【異業種で輝く元プロ野球選手】今からおよそ10年前、プロ野球界から初となる“お笑い芸人”に転身した元選手がいた。巨人、広島、さらには「欽ちゃん球団」として有名な茨城ゴールデンゴールズでプレーした福井敬治さん(41)である。

    「お笑いのほうは、もう辞めましたけどね。でも、あの世界を経験できたことは今でも本当に良かったと思っていますよ」

     懐かしそうに当時を振り返る福井さん。笑顔やしぐさは今も現役時代と変わらない。

     1994年のドラフト3位で智弁学園高から巨人入り。2000年に一軍初出場後は、持ち前の明るさと勝負強い打撃で活躍した。原辰徳氏(現野球評論家)の監督就任1年目だった02年にはチームの日本一に貢献。05年に移籍した広島でも73試合に出場し、打率2割8分7厘と好成績を挙げた。そんな選手が球界とかけ離れた世界に飛び込んだのは、偶然の産物だった。

    「たまたま知人に欽ちゃんの知り合いがいまして。引退後に『一度会ってみれば』と言われ、07年1月に欽ちゃん球団の試合が福岡であると聞き、会いに行きました。そしたら、その日に即入団が決まりましてね(笑い)。もともと巨人時代から明るい性格が取りえでしたし、福岡からの帰りの飛行機では欽ちゃんの隣の席になり、その場でいろいろなお話も聞くことができましたから。野球が続けられるわけですし『一度やってみよう』と思ったわけです」

     地元企業とのタイアップもあり、芸名「シーケル福井」としての新たな船出。実際に仕事を始めてみると、人を笑顔にさせる「楽しさ」を感じる半面、野球とお笑いの両立は想像以上に難しいことを痛感したという。

    「芸人さんと違って僕は元野球選手ですから野球ネタが鉄板。自分が経験したことを舞台などで面白おかしく話すのは本当に楽しかった。でも、お笑い界は、やはり厳しい世界。長くは続けられないなとすぐに感じました。それに所属したゴールデンゴールズは茨城のチーム。僕は自宅が東京なので通勤が大変で。休日の月曜以外は、毎日片道2時間以上かけて車で練習に通う日々。腰に持病を抱えていたこともあり、10年シーズンを最後に新たな道に進もうと決意しました」

     お笑い界を離れて「自分に何ができるのか」と模索を続けた12年1月。新たに始めたのが野球塾「KIDS ベースボールスクール」の設立だった。事業経営、営業活動などの経験は皆無。球場探しからチラシ配りなどの部員勧誘、ホームページ作成などを一人でこなすゼロからのスタートだった。「お笑いの道に飛び込んだ時と一緒で、とにかくまずは挑戦してみようと。大好きな野球に携われるわけですから」

     神奈川・川崎で産声を上げたスクールの部員は当初わずか8人だった。それが今では地道な努力のかいもあり厚木、品川、春日部など関東5か所で指導するまでに拡大。並行して巨人時代の同僚だった小野剛氏が代表を務める強豪クラブ「狭山西武ボーイズ」の監督としてチームの指揮を執る。平日の週2日は、横浜市で不動産業を営む「株式会社カムエンタープライズ」の営業マンとして奔走する顔も持ち合わせる。1か月の休みはほぼ「ゼロ」だが、表情には充実感が漂う。

    「小学4年の娘、小学1年の息子ら家族を犠牲にしながらの活動なので、その辺は申し訳ない気持ちです。ただ、将来的に高校野球の監督をやりたいし、自分が携わる野球塾やチームから出た子供たちが活躍してくれるのはうれしい。これからも、そのやりがいを胸に頑張っていきたい。もちろん、声がかかればプロの指導者もやってみたい。古巣の巨人は今年、元気がないので、僕みたいな明るい性格の人間が入ればチームが変わると思いますしね」

     厳しさの中にも明るさを忘れない福井さんの挑戦は続く。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00000002-tospoweb-base

     ◇ナ・リーグ ドジャース8―7レッズ(2017年6月18日 シンシナティ)

     ドジャースの前田が18日(日本時間19日)のレッズ戦で約2週間ぶりの先発登板。5回3安打1失点と安定した投球を見せて5勝目を手にした。

     9日の前回登板では日米通じて自身初セーブを挙げた前田。4回を投げて3安打1失点と好リリーフを見せた。この日はその時と同じくレッズが相手。良いイメージを持ってのマウンドで序盤の3回をパーフェクト投球。4回に失点したが、5回を投げ切り、5月25日のカージナルス戦以来となる白星を手にした。

     不振続きで先発ローテーションを外されたが、2試合続けての好投で復調をアピール。ロバーツ監督も「攻撃的な投球だった。ストライクゾーンへ投げ込むようにと話し合っていたが、その通りに実践してくれた」とうなずいた。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170619-00000098-spnannex-base

     ドジャースの前田健太投手(29)が先発投手としての岐路に立たされている。今季の不調からついに2008年の広島時代以来、メジャーでは初めてとなる中継ぎ登板の指令を受けたのだ。ロバーツ監督以下首脳陣は一時的な措置と強調するが、当面は先発と中継ぎの両にらみという立場に甘んじることになる。先発としてメジャーで生きる道は“再開通”するのか。

     前田は6月9日のレッズ戦で六回から先発のヒルを受け継ぐ形で2番手で登板、九回に一発を浴びたが1失点に抑え、メジャー初のセーブを挙げた。6三振を奪う快投。中継ぎで60球、長いイニングを任せる仕事が十分できることを証明してみせた。

     前田のメジャー2年目は苦戦の連続でスタートした。勝ち星こそ4勝だが、内容はとても満足できるものではない。10回の先発で6イニングまで投げられたのは2回のみ。防御率は5点台と目を覆うばかりだ。復活の兆しを見せない状況に、ロバーツ監督の評価も急降下。中継ぎ降格は言うに及ばず、マイナーで調整する案も検討されていたという。

     2番手でセーブを挙げる好投に「マエダはとても競争心がある。それに自分がローテにいる価値があることを示したいことが見て取れた」と、ロバーツ監督はニンマリ。先発以外に信頼できる起用法があることに気がついたのだ。

     地元紙「ロサンゼルス・タイムズ」も前田のロングリリーフとしての資質を評価する。「今季、先発したときは立ち上がりが不安定だった。中継ぎデビューとなったマウンドでは、最後に本塁打を打たれた以外はレッズ打線を圧倒した。前田は満足できる結果を残した」と褒め称えた。

     先発の任務に対して失格の烙印を押された前田は、もちろん復帰が最大の望みだろうが、そう簡単にはかないそうもないのが現実のようだ。

     ドジャースの先発陣は大黒柱のカーショー以外はヒル、マッカーシー、柳賢振らで、いずれもマウンドを降りた後の投手リレーが勝敗の鍵を握る。ロバーツ監督の思案のしどころとなる。

     前田が4イニングのロングリリーフに成功した9日の試合もヒルが五回までに90球に達しため、早い回にお呼びがかかった。先発を経験してきた実績が、ほとんどが短いイニングしか投げたことがない他の中継ぎ投手陣に比べ、

     リリーフ登板に好投したことに前田は、「とにかく結果を残すしかない。ローテーションに戻れるように結果を残したい。メジャーも日本もこういう世界は厳しいが、前向きに頑張りたい。(初セーブは)そんなにうれしくない」と笑顔を見せない。

     一度は希望通り先発陣に復帰することになったとしても、“配置換え”の方針は進んでいるのかもしれない。「ロバーツ監督は近い将来、前田をロングリリーフとして活躍することを期待している」(ロサンゼルス・タイムズ紙)という。

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170618-00000510-san-base

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