広島カープブログ

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    OB

     ドジャース・前田健太投手(28)が24日、都内でスイスの高級腕時計ブランド「ロジェ・デュブイ」銀座ブティックのオープニングセレモニーに参加。広島、ド軍の先輩で、今季限りで現役引退した黒田博樹氏(41)から10年に贈られた腕時計が同社製だったことを明かした。

     「尊敬する先輩からもらって大事にしていますし、思い出に残ります」。09年オフ、帰国中の黒田が着けていた背番号「18」が入った時計にほれ込み、翌年の白星勝負を挑んだ。結果、黒田11勝に対し、前田は15勝。投手3冠や沢村賞に加え、数百万円は下らないとされる男気右腕の腕時計を手に入れた。

     前田といえばルーチンを大事にすることで知られ、登板日に球場入りする際のシャツから下着、靴、時計まで勝負服を毎年決めるのもひとつ。この日は約1922万円の同社製の時計を着け「来年はこの時計を着けて、登板日を迎えることをルーチンにしたい」と予告した。(田島 正登)


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161124-00000280-sph-base&pos=2

     ロッテは16日、千葉・鴨川秋季キャンプで紅白戦を行い、テスト生として参加している元広島でBCリーグ石川に所属の三家和真(さんけ・かずま)外野手(22)が、2打数2安打&1打点と活躍した。

     紅組の「9番・中堅」で先発出場した三家は三回、先頭でチェンから左前打を放つと、五回一死一塁では韓国ロッテの練習生、キム・ユヨンから中前打。六回一死満塁では宮崎から左翼ポール際にあわや満塁弾の大飛球(ファウル)を放った直後に押し出し死球と、オール左投手を相手に大アピールに成功した。

     「とにかく1球目から積極的にいくことだけを考え、その準備もできていました。何としてでも合格したいです」という同選手に、ネット裏から見守った伊東監督も「最後の当たりもファウルじゃなく、入ってますよ(満塁弾)。いい内容だった」と絶賛した。17日も引き続き紅白戦が予定されている。

     なお、同キャンプにはほかに前阪神・柴田講平外野手(30)、前ソフトバンク・猪本健太郎内野手(25)がテスト生として参加している。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161116-00000576-sanspo-base

     毎日放送ちゃやまちプラザ(大阪市北区)で開催中の「広島カープVまつり」に3日、本紙野球評論家の大野豊氏が来場、トークショーを行った。

     25年ぶりにリーグ優勝したカープについて「黒田、新井らベテラン勢と成長著しい若手がうまくかみ合って、シーズンを通して安定した戦いぶりだった」と振り返った。さらに「日本シリーズに敗れはしたが、若手にとっては貴重な経験となった。この悔しさを胸に来季は日本一を目指してほしい」とエールを送った。6日まで開催。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161104-00000104-spnannex-base

     ドジャースの前田健太投手(28)が29日、自身のインスタグラムを更新し、日本一を逃した古巣の広島ナインをねぎらった。

     前田は27日に帰国。この日は生観戦はならなかったが、テレビに映るマツダスタジアムのセレモニーの映像をアップし「日本中を赤く染めた一年。胸を張って上を向いて終わってほしいな! カープかっこよかった」とつづった。

     また、10年ぶりの日本ハムにも「おめでとうございます!」と祝福を送った。


    引用元 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161029-OHT1T50249.html

     25年ぶりにセ・リーグを制し、32年ぶりの日本一を目指す広島カープ。引退を表明した黒田博樹の魂のピッチングや、高卒4年目の22歳、「神ってる」鈴木誠也の大ブレイクなど、選手たちの躍動が、地元ファンの熱狂的な応援とともに、全国的な話題を呼んでいる。


    引用元 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161026-00012612-davinci-spo

     【ロサンゼルス24日(日本時間25日)】今季の戦いを終えた米大リーグ、ドジャースの前田健太投手(28)が、シーズンの総括会見を行った。メジャー1年目の日本投手では最多の16勝(11敗)を挙げ、「8割方いいんじゃないですか。(この成績で)駄目だっていったら自分がきつくなる。今年ぐらい褒めておかないと」と“80点”の自己評価を与えた。

     先発ローテーションを守り抜き、一流の証しとされる32先発で4年連続の地区制覇に貢献した。年俸の総額は出来高を含めて890万ドル(約10億5020万円)に達した。近日中に帰国予定。「温泉に入りたい。マツタケとか土瓶蒸しとか食べたい」と息をついた。

     近日中に帰国の途につく前田は、日本シリーズを戦う古巣・広島の戦況を気にかけている。「日本に帰ってテレビ(中継)を見ます。勝ってほしいし、日本一になってくれればすごく最高。頑張ってほしい」。守護神を務めている中崎ら後輩とはメールのやりとりをしながら、激励している。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-00000026-sanspo-base

     ソフトバンクが前中日チーフバッテリーコーチの達川光男氏(61)=野球解説者=に、ヘッドコーチ就任を要請することが16日、分かった。工藤監督の就任後設置していなかった同コーチを豊富な指導歴を持つ達川氏に託し、来季就任3年目となる工藤監督を全面的にサポートしてもらう考えだ。

     3年連続日本一の夢が絶たれ、来季の組閣が本格化する。目玉は3年ぶりに設置されるヘッドコーチ。後藤球団社長兼オーナー代行は「監督をサポートでき、信頼をもとに監督が助言を受けられる方」と説明した。詳細は控えたが、達川氏に白羽の矢を立てる。

     達川氏は広島監督も含め計4球団で指導歴があり、明るいキャラクターを含めて円滑なベンチワークを進めるに当たって適任者と判断したもようだ。


    引用元 http://www.daily.co.jp/baseball/2016/10/17/0009587756.shtml

     今季25年ぶりにリーグ優勝を決めた広島東洋カープ。2位以下を寄せ付けない圧倒的な快進撃でペナントレース優勝を果たした。次はクライマックスシリーズのファイナルステージで勝利し、1984年以来32年ぶりの日本一を目指す。広島が最後に日本シリーズに出場した1991年、80試合以上で4番を任されたのが、現在、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズを率いる西田真二監督だ。優勝した年は、打率.289ながら4割を超える出塁率(.406)で「つなぐ4番」として大きく貢献。現役引退後は、達川光男監督の下で1軍打撃コーチに就任した1999年に、入団1年目だった新井貴浩の才能を見出した。現在も広島に居を構え、広島に大いなる愛着を持つ西田氏に、広島が優勝した要因と新井貴浩選手との出会いなどについて語ってもらった。

    新井も勝負強い打撃で100打点突破…2016年セ・リーグ打点20傑

    ――1991年以来25年ぶりのリーグ優勝ということで、広島は大いに盛り上がっています。

    「まあまあ久しぶりということで、(2009年に)球場も新しく変わって、やはり活気づいていますね。カープのスカウティングを含めた戦略が、ようやくここまで来たっていう感じかな。やはり感じるのは、黒田(博樹)と新井(貴浩)が『絶対に勝ちたい』っていう気持ちが強かったこと。その先輩の背中を見ながら、若手もよくやった」

    ――シーズンを通じて、とにかく投打のかみ合った強さが光りましたね。

    「交流戦の終盤から11連勝したあたり(6月14日西武戦から11連勝)が、1つの分かれ目だったと思うんですよ。その後は、8月に一度ジャイアンツに4.5ゲーム差くらいまで詰め寄られたけれど、そこからまた突き放した。(8月24日に)マジック20が点灯してから、また強かった。大まかに言えば、カープの勢いに各チームが圧倒されたわけだけど、タイガースにしても、この前、金本(知憲)監督と話した時は、一番悔しそうな顔してましたけどね」

    ――機動力を生かした、他球団とはひと味違ったスタイルが、広島の魅力だと思います。

    「ここまで来るのに、かなり時間は掛かっている。カープは自前で選手を育ててきた。その成果が出たっていうことですよね。総決算って言ったらおかしいな。これは続けていかないといけないから(笑)。でも、素晴らしいってことですよ。脂の乗った選手が、1番(田中広輔)2番(菊池涼介)3番(丸佳浩)と、自前で揃っている。それに鈴木誠也。控え選手のバランスもいい。投打のバランスもいい。黒田や新井といったベテランも含め、選手たちが本当に1つの目標に向かって戦った。優勝したいっていう気持ちが、球団、プレーヤー、ファンの皆さん、みんな1つになった。これが結果につながってきたんじゃないかな」


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161006-00010011-fullcount-base

    【越智正典「ネット裏」】土曜日からCSである。セでは広島が、この次のファイナルステージに、巨人が来るか、DeNAが来るか、待ち構えている。JR山手線目白駅近くの四輪馬車ビル、3F「CAFE HAGI」に、巨人、広島(1976→82年)、ヤクルトの萩原康弘を訪ねた。47年11月17日、横浜子安生まれ。ハマッ子らしくさっぱり男である。

     目白は学習院、川村学園…静かな町だが「HAGI」ではおっとりしている人たちがお茶をしている。飲みものは全500円。チョコレート、ケーキ…食べもの持ち込み自由、二杯目からはフリー。すると彼はチーズ、煎餠雪の宿をスイと添えて行く。カウンターで私もお茶。ひょいと見るとカープ優勝(レギュラーシーズン)の号外が。となりにカープの地元中国新聞社の封筒。わざわざ送ってくれたのだ。これだけでも彼の広島での奮闘がわかる。

    「カープ女子も来てくれるんです。ネールは黒田、黒田黒田…。彼女たちから情報を貰いました。どんな練習をしているか、わかりました。広島の優勝は練習の勝利です」

    「凄い町でした。試合が終わってからはずれで飲んでいてもお客さんにひっぱたかれました。“飲んでるヒマがあったら練習せい”」。そこで彼は仲がよかった江夏豊(阪神、南海、広島、日本ハム、西武)と、よくシュークリームを食べていた。「居残り練習をして市民球場から三篠町の合宿所に帰るとき、タクシーに乗ると運転手さんがちゃんとわかっていて“練習ご苦労さんです。オカネはいりません”。タダになりました。お客さんがボクたちを育ててくれました。ポジションを与えられるのはダメです。ポジションを取ると、うれしくなって練習しちゃうんです」。大きな窓から広い空が見える。居心地がいいので長居をしたが彼の口から何十回「練習」が飛び出したことか。

     カープが3度目の優勝を決めることになる80年10月17日。ナインはM2で甲子園球場で対阪神最終戦。午後2時試合開始。高橋慶彦、山崎隆造、ジム・ライトル、山本浩二、萩原康弘、衣笠祥雄、一軍昇格がウエスタン・リーグ阪急戦で4打数4本塁打だった水谷実雄、萩原の中央大の先輩水沼四郎、ベンチ→マウンド全力疾走の“トンちゃん”こと池谷公二郎。萩原は0―1の6回、あの江川事件で巨人→阪神の小林繁の内角球を右翼に逆転満塁ホームラン。広島6―3。これでM1。ナインは新神戸から新幹線で帰広。ひかり号が姫路に近づいたときナイターの2位ヤクルトが中日に敗れた。カープは“車中優勝”であった。その写真が店に飾られていない。もう一度カウンターを見ると、号外の下に中国新聞の復刻紙があった。写真を見ると、彼の頬は大福餠のようではなかった。やつれていた。真にペナントレースを戦った男の顔であった。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000010-tospoweb-base

     広島OBで日刊スポーツ評論家の山本一義氏が、9月17日に尿管がんのため、広島市内の病院で亡くなっていたことが3日、分かった。78歳だった。


     ジェントルマンだった。一義さんはすれ違う人全員に右手を上げてあいさつする。「今日は暑いのう」。絶対にジャケットを着て、香水も欠かすことはなかった。一方で機械には弱く、携帯には出ないし、パソコンを不思議そうに見つめていた。50歳も離れている私に「お前はすごいのう」と笑ってくれる人だった。

     今季は球場に来られなかった。野球の話がしたいです-。手紙にしたためると、電話がかかってきた。「しゃべれるうちに全部伝えとく。メシを食おう」。弱みは絶対に見せない人だったが、野球選手が自分の体を分からないはずがなかった。でも、一義さんは強かった。昨季評論した新聞記事をパネルにして持って行くと「病気に勝つんじゃ。ワシも勝負じゃ」。強い抗がん剤治療にも耐え、そのたびに「勝ったんじゃ」と元気な声で伝えてくれた。

     野球の話は尽きなかった。戦争の話、ノムさんの自宅に行った話、荒川道場に入門した話、金田さんににらまれた話…。どれも楽しかった。そして「かわいがってもろうたんじゃ」。いつもそう言って話は終わった。「誇りなんよ」。聞けば香水もジャケットも、先輩方に「プロとは」を教わったからだった。

     一時退院していた5月9日には自宅に伺った。山のような新聞のスクラップと、連続写真を重ねて待っていた。「一生勉強。打撃に答えはないんじゃけえ」。コーヒーは冷め、メロンが汗を出し切っても、話は続いた。身ぶり手ぶり。私にも分かるように伝えてくれた。最後は「(同僚記者の)前原の分も」とお菓子を持たせてくれた。格好いい人だった。

     緒方監督も畝コーチも新井さんも、みんな心配していた。それでも詳しい病状は「言わんといてくれ」の一点張りだった。亡くなる2週間前。「絶対また電話してくれの」と言ったのに。あれから1度も出なかった。どこまで格好いいんだ、一義さん。どうか安らかに。合掌。【池本泰尚】


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161005-00000095-nksports-base 

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