広島カープブログ

広島カープのまとめブログです!試合速報、日程、選手、グッズ情報など広島カープに関連する情報を配信していきます!

    OB

     「広島春季キャンプ」(6日、日南)

     安仁屋宗八臨時投手コーチ(デイリースポーツ評論家)がキャンプに合流。初日を終えて「選手の動きが良かった。昨年よりよく見える」とえびす顔を浮かべた。

     若手投手には「実績がある先輩と同じことをやっていたら追い越せない」とハッパをかけ、「あいさつと笑顔が1日の始まり。笑顔が出たら、きつい練習にも耐えられる」と説いていた。


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180206-00000114-dal-base

     2010年1月に始まった広島の公式ブログは、キャンプインの2月1日から松本高明広報が担当とすることになり「たかあきブログ」と“改名”した。これは1月1日付の球団人事で小松剛1軍広報が2軍マネジャーに、松本2軍マネジャーが1軍広報となったため。

     松本広報は1日のブログで自己紹介とともに「『球団史上初のリーグ3連覇!』そして『34年ぶりの日本一!!』これを合い言葉に、みんな気合いの入ったいい顔でスタートしました!」と背番号が60から6に変更となった安部らの写真を掲載した。

     松本広報は02年度ドラフト5位で帝京高から内野手として入団。06、07年には1軍での出場機会も増えたが、腰痛などけがにも泣き14年に現役を引退。15年から2軍マネジャーを務めてきた。

     1月31日までは小松2軍マネジャーが「こまブログ」として更新していた。08年度ドラフト3位で法大から投手として入団。1年目には5勝を挙げたがその後は振るわず13年限りで現役に別れを告げ、1軍広報として活躍。16、17年と連覇を達成し、大忙しの日々の中でブログを更新してきた。

     最終日のブログでは「なんかやっぱり寂しい気持ちはありますね。4年間、こまブロ!を担当させていただきました。長いようで短い短い時間でしたがいろんなことがありました。ブログ1年目…マエケンは登場回数が多かったですね!」と、思い出の写真をアップ。最後は「それでは高明さん『たかあきブログ』よろしくお願いしまーーす」とバトンを渡した。

     広島の公式ブログは球団関係者が筆者となっており、ロッカー内など選手の素顔写真などもりだくさんの内容となっている。スタートは09年限りで現役を引退した比嘉寿光元内野手(現球団編成担当)が「比嘉ブログ」として10年1月31日からスタート。14年2月から「ひがこまブログ」と“改名”し2人で執筆、15年2月から「こまブロ!」となり小松マネジャーが担当していた。松本広報は3代目筆者となる。(「」内は原文まま)

    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180201-00000160-dal-base

     悪ふざけ写真で炎上した日本ハムの中田翔内野手(28)に、プロ野球広島OBで野球評論家の北別府学氏(60)が「プロ野球を背負って行くものがあんな写真をアップするんじゃない!!」と活を入れた。

     中田は29日、自主トレーニングのため滞在している米アリゾナ州のスーパーマーケット内で、ショッピングカートに乗った自身の写真をインスタグラムに投稿したところ、マナー違反だと非難する声が殺到し、同写真を削除。31日に「炎上してる件に関してなんですが、確かに子供がまねしたらダメですもんね。子供みたいな行動とってすいません!!次から気をつけます!!!」と謝罪した。

     日本球界を代表する大砲が起こした炎上騒ぎに、北別府氏は31日に「中田翔 カツ!」のタイトルでブログを更新。「中田翔選手よ、プロ野球を背負って行くものがあんな写真をアップするんじゃない!! 海外で仲間たちとついつい羽目を外してしまったということもあるだろうが、あんな写真を自分たちでアップするとは目を疑ったぞ」とたしなめた。

     それでも北別府氏は「中田選手は、私達球界のOBに対しても礼儀正しいし、人を引っ張って行くだけの明るい性格は何とも憎めない。。」とし、「もちろん野球選手として天賦の才能がある。そんな事を自覚してリーダーとなるべく選手生活を全うしてほしい。私達の頃はSNSなどもなかったのですが、ここでは詳しく書けないような後悔している失敗は山ほどある 中田選手に会ったらアドバイスするとしよう」と今後に期待した。


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180131-00113495-nksports-base

    <ニッカンスポーツ・コム/We Love Baseball>

     西武の新人合同自主トレを見ていたら、バットを持った紳士が話し掛けてきた。「寒いのに、ご苦労さん」。2軍投手コーチから育成担当に転身した清川栄治さん(56)だった。メットライフドームの天井に積もった雪が崩れ落ちる音と、ノック音が交じり合う。新人たちの息は白い。一緒に眺めながら話を聞いた。「現役平均は7年ぐらい。5年もしたら、半分はいない。今は、みんな希望に満ちてるけどね。だんだん、苦しいことばかりになるんだよ」。口調は穏やかだが、現実を厳しく指摘してくれた。「だから、どれだけ早く『自分は、これだ』というものを見つけられるか、だね」。


     清川さんは83年ドラフト外で広島入り。先発ローテの希望に燃えたが、1軍の声は掛からない。やっと掛かったら、打撃投手としてだった。2軍の若手が手伝うのが当たり前の時代。毎日120球を投げた。「練習時間がない。早めに球場で走るしかなかった」。危機感が募った。それでも、わざと危ない球を投げ打撃投手をお払い箱になる同僚もいる中、真面目に打たれ続けた。「古葉監督のご褒美だったのかな」。広島が優勝を決めた後、消化試合の巨人戦に呼ばれた。2回1失点のデビューだった。

     オフに考えた。80年代の広島は投手王国。生き残るために「見た目を変えよう」。秋季キャンプでオーバーからサイドにした。コーチには黙っていた。「肘が下がってるぞ」と言われたら上手に戻し、コーチが去ったらまた横手にした。ある日、古葉監督がブルペンに現れた。思い切り腕を下げた。ちらっと見てくれた。そこから、だった。

     自分の「これ」を見つけた清川さんは、希少なサイドスロー左腕という立場を確立する。98年に引退するまで、広島、近鉄で実働15年、438試合全てリリーフ。入団時の青写真とは違った。だが、頂に至る道は1つじゃない。横にそれたり、裏から回ったり、いったん下がってから上がったり。「与太話でした。まあ、新人の子の参考になればね」。眼鏡の奥の瞳は優しかった。【西武担当 古川真弥】


    引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00108622-nksports-base

    このページのトップヘ