広島カープブログ

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    【元番記者が明かす鯉の裏話(6)】広島の躍進の中で見逃せないのが、助っ人陣の活躍ぶりだ。今季も投手陣では14勝のジョンソンをはじめ、新加入のジャクソン、へーゲンズが奮闘。野手でも来日5年目のエルドレッド、中日から加入したルナが打棒で貢献している。そんな“当たりぶり”はシュールストロム、マクレーン両駐米スカウトら球団の眼力のたまものだろう。

     成功した外国人選手に共通するのは、日本に溶け込むバイタリティーにあふれているということ。エルドレッドは広島市内でママチャリを使用。縦横無尽に走り回れるほど地理を熟知している。2014年までの4年間で42勝を挙げた右腕バリントンは、行きつけの居酒屋をつくり、常連客と仲良くなるほど溶け込んだ。そんな選手たちは“優良助っ人”としてファンの記憶に刻まれている。

     一方で成功とはいかなかったが、印象深いのが10年に1年間だけ在籍した変わり者の外野手フィオだ。市内の繁華街で酔ったサラリーマンの集団が「馬跳び」していたところに飛び入り参加して、はしゃぐという“奇行”も。後日、その目撃談をぶつけると「全然、知らない人たちだったんだけど、すごく楽しそうだったからね。つい僕も行ってしまったんだよ」と、うれしそうに話していた。

     フィオは野球に対する真摯な姿勢と愛嬌たっぷりの性格で、チームメートからも受け入れられていた。今後も個性的な“赤ヘル助っ人軍団”の活躍に期待したい。(2010~15年担当・千葉記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/590632/

    【元番記者が明かす鯉の裏話(4)】記憶違いでなければ、あれは1998年の1月だったと思う。二軍監督に就任したばかりの達川光男さん(現評論家)が広島・廿日市市の大野屋内総合練習所にやってきて、ネタ枯れで困っていた番記者で囲んだときのことだ。いくら二軍監督といっても、地元出身で生え抜きの人気者。報道陣にも協力的で、自然と話も盛り上がった。

     そんなとき、ふと達川さんの足元を見ると妙な違和感を覚えた。「あ、この靴は…」。会話が途切れたタイミングで本人に疑問をぶつけると「いや~、元ダイエー担当の礒崎君の目はごまかせんなあ」と言って、達川さんは頭をポリポリとかいた。履いていたのは95年にダイエー(現ソフトバンク)でバッテリーコーチを務めていた当時の、チームカラーのアップシューズだった。

     物を大事にする達川さんには、こんなエピソードもある。99年の春季キャンプ中のことだ。宿舎でクリーニング済みの洗濯物を受け取った入団2年目の倉義和捕手(現二軍バッテリーコーチ兼任)が、なぜか戸惑っていた。ビニール袋に包まれたアンダーシャツには油性ペンで自らの背番号を示す「40」と書き込まれていたが、何年にもわたって着古された黄ばみがあったからだ。

     このアンダーシャツの持ち主は、入団した78年から92年に引退するまで「40」を背負っていた、当時の一軍監督である達川さんだった。顛末を聞いて思わずクスッと笑ってしまったが、物を粗末にしない球団の伝統を垣間見た気がした。(1997~99年担当・礒崎記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/589657/

    <91年C戦士エール 長内孝氏>

     91年9月3日。宝塚ホテルの大広間に達川の大きな声が響いていた。阪神戦に向かう直前だった。「今年を逃したら優勝出来ん。絶対優勝しようや! 先輩、後輩関係なく、いいプレーはほめ、悪いプレーは注意しよう! 盛り上げていこうや!」。長内は拳を握って聞き入った。「1つ1つ、みんなで勝っていきたい」。そう思った。

     大野と達川が音頭をとり、選手だけで集まったミーティングだった。「現役生活でもあの時だけだった」。それ以降、チームはまとまっていく。終盤の守備固めや代打での登場が主だった長内は、雰囲気の変化を感じていた。「みんながいつでも出られるような準備が出来ていた」。延長15回制、時間無制限の時代。代わる代わる汗をかき延長戦8勝4敗の成績を残した。

     10月13日阪神戦。長内は優勝の瞬間に一塁を守っていた。「足が震えた。飛んで来いと思っていたけどね」。三振に終わると、マウンドへ走った。「守備固めが主だったけど、試合に出る、出ない、成績がいい、悪いではない。優勝の場に一緒にいられたことがうれしかった」。その瞬間が脳裏に焼き付いている。

     現在は市内の焼き鳥店「カープ鳥おさない」の店長も務めながら後輩の活躍を見守る。「マジックが減っていく喜び、独特の雰囲気、達成感を存分に味わってほしい。他の何でも味わえないから」。優勝すれば額に入れているユニホームに袖を通して接客。翌日は飲み食いも無料という。その瞬間を楽しみに待っている。(敬称略)【池本泰尚】

     ◆長内孝(おさない・たかし)1957年(昭32)8月30日、青森生まれ。桐蔭学園から75年ドラフト3位で広島に入団。日本シリーズ敗退後の91年にトレードで大洋に移籍し93年に引退。94年から広島の打撃コーチに就任し、05年に退団した。14年にはオリックスの打撃コーチを務めた。91年は99試合に出場し、打率2割3分3厘、5本塁打。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160905-00000072-nksports-base

     大リーグ機構は5日(日本時間6日)、元広島のネイト・シアーホルツ外野手(32)に対し、薬物規定違反で80試合の出場停止処分を科したと発表した。ヒト成長ホルモン分泌促進剤で運動能力向上薬でもあるイブタモレンの陽性反応があったという。

     同外野手は昨季開幕直後に広島と契約。不振で2軍降格を余儀なくされながらも一時は4番を務めるなど、65試合で打率・250、10本塁打、30打点の成績を残した。

     帰国後はタイガースとマイナー契約を結び、傘下の3Aトレドで31試合に出場し、打率・246、3本塁打、13打点。5月に戦力外通告を受け、フリーエージェントになっていた。

     07年にジャイアンツでメジャーデビューを果たし、8シーズンの通算成績は799試合、打率・253、52本塁打、228打点だった。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160806-00000024-dal-base

     巨人の大竹寛(33)が26日の広島戦で今季初登板初先発。6回3失点で黒星を喫した。

     二軍スタートとなった春季キャンプ初日からミソをつけた。練習中に左太もも裏の肉離れを発症して離脱。直前には故障防止に関するミーティングが開かれ、「太腿・ふくらはぎ肉離れ防止マニュアル」が配布された直後だった。球団を挙げたプロジェクトだけに、球団も現場のコーチも「タイミングが悪いだろ」とカンカンだった。

     二軍では8試合に登板して3勝3敗、防御率2.53。今季、一軍の先発ローテが谷間の時に二軍から呼ばれたのは平良、江柄子、長谷川、ベテランの内海。大竹のケガはとっくに治っていた。二軍のローテでフル回転しているというのに、やっと声が掛かったのは47試合目だった。

     広島を出ていった男。それでもマツダスタジアムでブーイングされないという。広島の球団関係者は「勝っても負けても1年間ローテを回る馬力。広島でフル回転していたのをファンは知っているから」という。一軍にいなかった春先、東京ドームでは広島ナインがこんなウワサをしていたことがある。

    「(大竹)カンちゃんって元気ですか? 大丈夫なんですかね……」

    ■3年契約の最終年

     広島時代の大竹に世話になった若手は多いという。巨人の選手が一軍にいもしない大竹のウワサをすることはまずないが、二軍でくすぶる境遇が古巣の選手には心配されていた。前出の広島関係者がこう続ける。

    「うちでは実直な人柄も評価されていた。何といっても松田オーナーの大のお気に入り。右肩を故障した10年は、携帯の待ち受け画面を大竹のイラストにしていたほどで“息子”のようにかわいがっていましたから。FA権を取得した際も『ケガで苦労した。いいコーチになる』と言っていた。カープに残留していたら今年もローテで回っていたでしょう。FA移籍した阪神で完全に終わったと思っていた新井が出戻って完全復活。2000安打をクリアし、打点王を取ろうかという勢い。39歳にして今や4番です。再生工場じゃないけど“息子”が巨人で必要とされていないなら、うちに戻そうという流れになるかもしれません」

     巨人は巨人で、ダメになったFA選手がたどる末路は決まっている。清原、広沢、豊田、最近では小笠原らが、追われるように他球団へ移籍した。

     大竹は今年が3年5億円の契約最終年。この日は粘投したといっても負けは負け。このオフ、古巣への電撃復帰があるかもしれない。

     巨人は敵地で広島に3タテを食らって泥沼の5連敗。首位広島とのゲーム差は3・5に広がり、ついに貯金がなくなった。

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