広島カープブログ

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    <ドジャース4-3ロッキーズ>◇25日(日本時間26日)◇ドジャースタジアム

     ドジャース前田健太投手(28)が、メジャー移籍1年目で地区優勝を果たし、初のシャンパンファイトで喜びを爆発させた。

     ドジャースはマジック1で迎えたこの日のロッキーズ戦で、序盤から追う展開となったが、9回に新人のシーガー内野手が同点弾、延長10回にはこの日8番に入ったカルバーソン内野手がサヨナラソロ本塁打を放ち、優勝を決めた。

     前田は優勝の瞬間、仲間とマウンドに集まり、集まった5万人以上のファンから祝福の歓声を浴びながら満面の笑みで勝利を祝った。クラブハウスでは同僚とビールとシャンパンのシャワーを浴び合いながらハグやハイタッチを交わし、喜びに浸った。

     シャンパンファイトがひと息つくと「カープが優勝したのもうれしかったですし、そこに自分がいれなかったのは残念ですけども、アメリカに来てこうやって優勝することが、自分もできたんで、そういう意味ではうれしいですし、カープの選手からもこっちで優勝してくださいというメールもたくさんもらったりしたんで、お互い優勝が経験できて良かったと思います」と話した。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000082-nksports-base

    【元番記者が明かす鯉の裏話(7)】ドミニカ共和国出身で1996年から99年までカープに在籍し、後にメッツなどメジャーでも活躍したティモ・ペレスは、明るい性格で誰からも親しまれる選手だった。日本語も流ちょうで笑顔が絶えない。広島市内の歓楽街・流川のバーでたまたま鉢合わせした際に1本だけコロナビールをおごったら、翌日にわざわざ礼に来るような律義な一面もあった。

     愛称はファーストネームの「ティモ」。ただ、チーム内には別のニックネームがあった。生々しい描写は避けるが、彼の下半身にぶら下がったモノは“臨戦態勢”になるとバナナのような曲線を描くとの目撃証言から「バナ○ン」とも呼ばれた。

     選手たちが着替えたり、くつろいだりする球場内のロッカーでは“ゲスな話題”で盛り上がることも多い。「おい、ほんまにバナ○ンなんか? ちょっと見せてみい」。先輩からの要望に「イヤだよ」と言いながらも、ふにゃふにゃなバナナに刺激を与えて喝采を浴びたこともあったと聞いている。

     当時は才能あふれるドミニカンが大勢いた。日本ハム・大谷翔平が3歳とか4歳ぐらいのときに二刀流を実践していたペルドモに、日本で2安打ながら後にメジャーで2095安打を放ったアルフォンソ・ソリアーノ。全く日本語を話せなかったが、98年のフレッシュオールスターでMVPに輝いて賞金を獲得してから「ヒャクマンエン」とだけ言えるようになったケサダなんて選手もいた。あのころは、あのころで楽しかった。(1997~99年担当・礒崎記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/591068/

     広島の元内野手で2215試合連続出場の日本記録を持つ衣笠祥雄氏(69=野球評論家)が著書「鉄人のひとり言」(青志社)を上梓した。プロ野球やメジャーリーグの話など、気になったことを「ひとり言」として書き残し、まとめたものだ。特に今年2月のプロ野球キャンプリポートは、ペナントレースを言い当てた「予言の章」となっている。25年ぶりのリーグ優勝目前の古巣・広島への提言も読みどころのひとつ。1965~87年の広島在籍中に5度のリーグ優勝を経験した衣笠氏に、広島優勝の要因などを聞いた。

    ――広島の25年ぶりの優勝です。

    「本当に長かったですね。大量点を取る試合が多く、打つイメージがあるかもしれませんが、ボクの見方は守備のチームです。いかに守備を固めて1点を守り切って勝つか。1975年に初めて勝ったチームから、ずっとつながっているのはそこ。その野球は大事にして欲しいと思っています」

    ――投手を中心とした守備面では、二塁・菊池涼介(26)、遊撃・田中広輔(27)の二遊間2人の好守が目立ちました。

    「今季の一番の収穫は田中でしょう。もうひとつは中日からルナを取ったこと。ルナの打撃のうまさのおかげで、1番・田中、2番・菊池、3番・丸をほぼ固定できた。3人が安心して自分の役割に専念できるようになりましたね。昨年までは菊池と丸を動かさざるを得なかった。2年目の緒方監督が昨年1年見て決めた『勝負の一手』でしょう。他の5球団は1、2、3番を固定できなかった。巨人をはじめ、他は故障者や調子が悪い選手が多すぎましたよね。カープだけがまともに野球ができたんです」

    ――打点王を突っ走る新井は、39歳ながら全盛期に近い活躍です。

    「2000安打を達成したいという大きなモチベーションがあったと思います。昨年、黒田が帰ってきて『オレたちは優勝できる』という雰囲気にチームがなった。同じ時期に頑張って一度チームを離れた2人が、外で経験を積んで帰ってきた。黒田との相乗効果ですね」

    ――黒田は毎回「これが最後になるかもしれない」と思ってマウンドに上がるそうです。

    「そこが彼の試合にかける思いかもしれません。悔いのないように終えたいというね。黒田らしいなと。本音からいうと、みんな死ぬまでやりたいんですよ、野球選手を。でも、できないわけです」

    ■マエケンが抜けても悲観せず

    ――昨季はエースの前田健太(現・ドジャース)がいて、優勝候補だったのにBクラスでした。

    「過去に川口和久、江藤智、金本知憲らがFAでチームを出ました。ずいぶん選手が出ていますが、面白いのはいつも前の年より成績が悪くなってないんです。不思議なんですが、今年も悲観していませんでした。危機感が生まれるんでしょう。自分たちがやるしかないというね。前田は15勝している投手。誰が見ても落ちると考えるのが普通。それが優勝ですからね」

    ――緒方監督との思い出は?

    「ボクの現役最後の1年ですね。高校(佐賀・鳥栖)から入ってきましてねえ。新人の緒方君と初めてキャッチボールをした時、ボールがまともにこなかったんですよ。もともとショート。そういう触れ込みで来たんですが、キャッチボールで『これは内野手は無理だな』と思いましたね。昨年、監督になった時、ちょっと思うところはありました。へーえ、あの子がこんなになっちゃったんだってねえ。時間の経過と言いますか、緒方という監督が、一人の選手から、よくここまで頑張ったなあと。ケガの多い選手でねえ。足が速いので肉離れがありましたね。苦労したんです。レギュラーに定着するまで、おおかた10年近くかかったんですが、そこから先はスピードと長打力で期待通りの成績を残して、引退後はコーチとしていろいろな角度から野球を見ました。昨年はこれまで横で監督を見ていたのと、自分が監督になったギャップに悩みましたね。ここ何年か、あと一歩のところで負けてきた選手が勝ち切れた。この経験は来年以降につながります」

    ▽きぬがさ・さちお 1947年1月18日、京都府生まれ。65年に平安高(現・龍谷大平安)から広島に入団。87年に引退するまで23年間活躍。日本記録の2215試合連続出場。歴代3位の678試合連続フルイニング出場。87年に国民栄誉賞を受賞。96年に野球殿堂入り。愛称は「鉄人」。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160911-00000010-nkgendai-base

    【元番記者が明かす鯉の裏話(6)】広島の躍進の中で見逃せないのが、助っ人陣の活躍ぶりだ。今季も投手陣では14勝のジョンソンをはじめ、新加入のジャクソン、へーゲンズが奮闘。野手でも来日5年目のエルドレッド、中日から加入したルナが打棒で貢献している。そんな“当たりぶり”はシュールストロム、マクレーン両駐米スカウトら球団の眼力のたまものだろう。

     成功した外国人選手に共通するのは、日本に溶け込むバイタリティーにあふれているということ。エルドレッドは広島市内でママチャリを使用。縦横無尽に走り回れるほど地理を熟知している。2014年までの4年間で42勝を挙げた右腕バリントンは、行きつけの居酒屋をつくり、常連客と仲良くなるほど溶け込んだ。そんな選手たちは“優良助っ人”としてファンの記憶に刻まれている。

     一方で成功とはいかなかったが、印象深いのが10年に1年間だけ在籍した変わり者の外野手フィオだ。市内の繁華街で酔ったサラリーマンの集団が「馬跳び」していたところに飛び入り参加して、はしゃぐという“奇行”も。後日、その目撃談をぶつけると「全然、知らない人たちだったんだけど、すごく楽しそうだったからね。つい僕も行ってしまったんだよ」と、うれしそうに話していた。

     フィオは野球に対する真摯な姿勢と愛嬌たっぷりの性格で、チームメートからも受け入れられていた。今後も個性的な“赤ヘル助っ人軍団”の活躍に期待したい。(2010~15年担当・千葉記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/590632/

    【元番記者が明かす鯉の裏話(4)】記憶違いでなければ、あれは1998年の1月だったと思う。二軍監督に就任したばかりの達川光男さん(現評論家)が広島・廿日市市の大野屋内総合練習所にやってきて、ネタ枯れで困っていた番記者で囲んだときのことだ。いくら二軍監督といっても、地元出身で生え抜きの人気者。報道陣にも協力的で、自然と話も盛り上がった。

     そんなとき、ふと達川さんの足元を見ると妙な違和感を覚えた。「あ、この靴は…」。会話が途切れたタイミングで本人に疑問をぶつけると「いや~、元ダイエー担当の礒崎君の目はごまかせんなあ」と言って、達川さんは頭をポリポリとかいた。履いていたのは95年にダイエー(現ソフトバンク)でバッテリーコーチを務めていた当時の、チームカラーのアップシューズだった。

     物を大事にする達川さんには、こんなエピソードもある。99年の春季キャンプ中のことだ。宿舎でクリーニング済みの洗濯物を受け取った入団2年目の倉義和捕手(現二軍バッテリーコーチ兼任)が、なぜか戸惑っていた。ビニール袋に包まれたアンダーシャツには油性ペンで自らの背番号を示す「40」と書き込まれていたが、何年にもわたって着古された黄ばみがあったからだ。

     このアンダーシャツの持ち主は、入団した78年から92年に引退するまで「40」を背負っていた、当時の一軍監督である達川さんだった。顛末を聞いて思わずクスッと笑ってしまったが、物を粗末にしない球団の伝統を垣間見た気がした。(1997~99年担当・礒崎記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/589657/

    <91年C戦士エール 長内孝氏>

     91年9月3日。宝塚ホテルの大広間に達川の大きな声が響いていた。阪神戦に向かう直前だった。「今年を逃したら優勝出来ん。絶対優勝しようや! 先輩、後輩関係なく、いいプレーはほめ、悪いプレーは注意しよう! 盛り上げていこうや!」。長内は拳を握って聞き入った。「1つ1つ、みんなで勝っていきたい」。そう思った。

     大野と達川が音頭をとり、選手だけで集まったミーティングだった。「現役生活でもあの時だけだった」。それ以降、チームはまとまっていく。終盤の守備固めや代打での登場が主だった長内は、雰囲気の変化を感じていた。「みんながいつでも出られるような準備が出来ていた」。延長15回制、時間無制限の時代。代わる代わる汗をかき延長戦8勝4敗の成績を残した。

     10月13日阪神戦。長内は優勝の瞬間に一塁を守っていた。「足が震えた。飛んで来いと思っていたけどね」。三振に終わると、マウンドへ走った。「守備固めが主だったけど、試合に出る、出ない、成績がいい、悪いではない。優勝の場に一緒にいられたことがうれしかった」。その瞬間が脳裏に焼き付いている。

     現在は市内の焼き鳥店「カープ鳥おさない」の店長も務めながら後輩の活躍を見守る。「マジックが減っていく喜び、独特の雰囲気、達成感を存分に味わってほしい。他の何でも味わえないから」。優勝すれば額に入れているユニホームに袖を通して接客。翌日は飲み食いも無料という。その瞬間を楽しみに待っている。(敬称略)【池本泰尚】

     ◆長内孝(おさない・たかし)1957年(昭32)8月30日、青森生まれ。桐蔭学園から75年ドラフト3位で広島に入団。日本シリーズ敗退後の91年にトレードで大洋に移籍し93年に引退。94年から広島の打撃コーチに就任し、05年に退団した。14年にはオリックスの打撃コーチを務めた。91年は99試合に出場し、打率2割3分3厘、5本塁打。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160905-00000072-nksports-base

     大リーグ機構は5日(日本時間6日)、元広島のネイト・シアーホルツ外野手(32)に対し、薬物規定違反で80試合の出場停止処分を科したと発表した。ヒト成長ホルモン分泌促進剤で運動能力向上薬でもあるイブタモレンの陽性反応があったという。

     同外野手は昨季開幕直後に広島と契約。不振で2軍降格を余儀なくされながらも一時は4番を務めるなど、65試合で打率・250、10本塁打、30打点の成績を残した。

     帰国後はタイガースとマイナー契約を結び、傘下の3Aトレドで31試合に出場し、打率・246、3本塁打、13打点。5月に戦力外通告を受け、フリーエージェントになっていた。

     07年にジャイアンツでメジャーデビューを果たし、8シーズンの通算成績は799試合、打率・253、52本塁打、228打点だった。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160806-00000024-dal-base

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