広島カープブログ

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    OB

    【越智正典「ネット裏」】土曜日からCSである。セでは広島が、この次のファイナルステージに、巨人が来るか、DeNAが来るか、待ち構えている。JR山手線目白駅近くの四輪馬車ビル、3F「CAFE HAGI」に、巨人、広島(1976→82年)、ヤクルトの萩原康弘を訪ねた。47年11月17日、横浜子安生まれ。ハマッ子らしくさっぱり男である。

     目白は学習院、川村学園…静かな町だが「HAGI」ではおっとりしている人たちがお茶をしている。飲みものは全500円。チョコレート、ケーキ…食べもの持ち込み自由、二杯目からはフリー。すると彼はチーズ、煎餠雪の宿をスイと添えて行く。カウンターで私もお茶。ひょいと見るとカープ優勝(レギュラーシーズン)の号外が。となりにカープの地元中国新聞社の封筒。わざわざ送ってくれたのだ。これだけでも彼の広島での奮闘がわかる。

    「カープ女子も来てくれるんです。ネールは黒田、黒田黒田…。彼女たちから情報を貰いました。どんな練習をしているか、わかりました。広島の優勝は練習の勝利です」

    「凄い町でした。試合が終わってからはずれで飲んでいてもお客さんにひっぱたかれました。“飲んでるヒマがあったら練習せい”」。そこで彼は仲がよかった江夏豊(阪神、南海、広島、日本ハム、西武)と、よくシュークリームを食べていた。「居残り練習をして市民球場から三篠町の合宿所に帰るとき、タクシーに乗ると運転手さんがちゃんとわかっていて“練習ご苦労さんです。オカネはいりません”。タダになりました。お客さんがボクたちを育ててくれました。ポジションを与えられるのはダメです。ポジションを取ると、うれしくなって練習しちゃうんです」。大きな窓から広い空が見える。居心地がいいので長居をしたが彼の口から何十回「練習」が飛び出したことか。

     カープが3度目の優勝を決めることになる80年10月17日。ナインはM2で甲子園球場で対阪神最終戦。午後2時試合開始。高橋慶彦、山崎隆造、ジム・ライトル、山本浩二、萩原康弘、衣笠祥雄、一軍昇格がウエスタン・リーグ阪急戦で4打数4本塁打だった水谷実雄、萩原の中央大の先輩水沼四郎、ベンチ→マウンド全力疾走の“トンちゃん”こと池谷公二郎。萩原は0―1の6回、あの江川事件で巨人→阪神の小林繁の内角球を右翼に逆転満塁ホームラン。広島6―3。これでM1。ナインは新神戸から新幹線で帰広。ひかり号が姫路に近づいたときナイターの2位ヤクルトが中日に敗れた。カープは“車中優勝”であった。その写真が店に飾られていない。もう一度カウンターを見ると、号外の下に中国新聞の復刻紙があった。写真を見ると、彼の頬は大福餠のようではなかった。やつれていた。真にペナントレースを戦った男の顔であった。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000010-tospoweb-base

     広島OBで日刊スポーツ評論家の山本一義氏が、9月17日に尿管がんのため、広島市内の病院で亡くなっていたことが3日、分かった。78歳だった。


     ジェントルマンだった。一義さんはすれ違う人全員に右手を上げてあいさつする。「今日は暑いのう」。絶対にジャケットを着て、香水も欠かすことはなかった。一方で機械には弱く、携帯には出ないし、パソコンを不思議そうに見つめていた。50歳も離れている私に「お前はすごいのう」と笑ってくれる人だった。

     今季は球場に来られなかった。野球の話がしたいです-。手紙にしたためると、電話がかかってきた。「しゃべれるうちに全部伝えとく。メシを食おう」。弱みは絶対に見せない人だったが、野球選手が自分の体を分からないはずがなかった。でも、一義さんは強かった。昨季評論した新聞記事をパネルにして持って行くと「病気に勝つんじゃ。ワシも勝負じゃ」。強い抗がん剤治療にも耐え、そのたびに「勝ったんじゃ」と元気な声で伝えてくれた。

     野球の話は尽きなかった。戦争の話、ノムさんの自宅に行った話、荒川道場に入門した話、金田さんににらまれた話…。どれも楽しかった。そして「かわいがってもろうたんじゃ」。いつもそう言って話は終わった。「誇りなんよ」。聞けば香水もジャケットも、先輩方に「プロとは」を教わったからだった。

     一時退院していた5月9日には自宅に伺った。山のような新聞のスクラップと、連続写真を重ねて待っていた。「一生勉強。打撃に答えはないんじゃけえ」。コーヒーは冷め、メロンが汗を出し切っても、話は続いた。身ぶり手ぶり。私にも分かるように伝えてくれた。最後は「(同僚記者の)前原の分も」とお菓子を持たせてくれた。格好いい人だった。

     緒方監督も畝コーチも新井さんも、みんな心配していた。それでも詳しい病状は「言わんといてくれ」の一点張りだった。亡くなる2週間前。「絶対また電話してくれの」と言ったのに。あれから1度も出なかった。どこまで格好いいんだ、一義さん。どうか安らかに。合掌。【池本泰尚】


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161005-00000095-nksports-base 

     西武は1日、木村昇吾内野手(36)、竹原直隆外野手(36)、宮田和希投手(27)、山口嵩之投手(27)、中崎雄太投手(25)の5選手に、来季の契約を結ばない旨を通達した。

     木村は昨季広島からFA宣言し、テスト生を経て入団。7月に、断裂した右膝前十字靱帯(じんたい)の再建手術を受けて戦線を離脱していた。まだランニングも再開できておらず、11月のトライアウトは受けられない状態。「せっかく入団させてもらったのに、恩返しできず申し訳ない。昨年のFAの時とは違って、非常に難しいと思いますが、次の移籍先を探したい」と話した。

     また球団は田口昌徳バッテリーコーチ(46)、小野寺力2軍投手兼育成コーチ(35)から退団の申し入れがあり、これを了承したことも発表した。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00000089-nksports-base

     楽天の栗原健太内野手(34)が1日、コボスタ宮城で引退会見を開き「わたし、栗原健太は今シーズンをもちまして、現役引退を決めたことを報告させていただきます」と晴れやかに話した。

     栗原は昨年、広島を自由契約となり、秋季キャンプでテストを受け、楽天に加入。引退を決めた理由として「楽天に入団してから、自分の中で今年1年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、このへんが引き際。自分の思うようなバッティングができなくなった」と語った。

     家族には「いつも近くで支えてもらった。けがをしてから心配をかけた」と感謝し「復活して欲しい気持ちでいたと思う。辞めると伝えた時“一生懸命やっているのを見ていたので悔いはないよ”と言ってくれた」と話し始めると、目元を押さえ涙をこらえた。

     プロ野球生活を振り返り「悔いは本当にない」としながらも「1つあげるとしたら、リーグ優勝の経験がないこと」とぽつり。古巣・広島は今季25年ぶりにリーグ優勝を果たしたが「その中に自分がいられなかったのが残念。カープファンが待ち望んでいたことなので、自分もうれしかった」と正直な気持ちを吐露。

     それでも「イーグルスに入ってチームの力になりたいと思ってやってきた。1軍に上がることができなかったけど、皆さんよくしていただいて、良い経験になった」とこの1年を振り返った。

     会見後、球団職員から花束を受け取ると、涙は消え、最後は満面の笑み。度重なる右肘の故障に悩まされたが、栗原健太にとって野球とは問われ「小さい時に野球を始めてからずっと野球のことを考え、生活の一部だった。野球を通して色んな人と出会えた。こういう経験は中々ない。栗原健太をつくってもらった」と野球の神様に感謝の気持ちを伝えた。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00000114-spnannex-base

    <ドジャース4-3ロッキーズ>◇25日(日本時間26日)◇ドジャースタジアム

     ドジャース前田健太投手(28)が、メジャー移籍1年目で地区優勝を果たし、初のシャンパンファイトで喜びを爆発させた。

     ドジャースはマジック1で迎えたこの日のロッキーズ戦で、序盤から追う展開となったが、9回に新人のシーガー内野手が同点弾、延長10回にはこの日8番に入ったカルバーソン内野手がサヨナラソロ本塁打を放ち、優勝を決めた。

     前田は優勝の瞬間、仲間とマウンドに集まり、集まった5万人以上のファンから祝福の歓声を浴びながら満面の笑みで勝利を祝った。クラブハウスでは同僚とビールとシャンパンのシャワーを浴び合いながらハグやハイタッチを交わし、喜びに浸った。

     シャンパンファイトがひと息つくと「カープが優勝したのもうれしかったですし、そこに自分がいれなかったのは残念ですけども、アメリカに来てこうやって優勝することが、自分もできたんで、そういう意味ではうれしいですし、カープの選手からもこっちで優勝してくださいというメールもたくさんもらったりしたんで、お互い優勝が経験できて良かったと思います」と話した。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000082-nksports-base

    【元番記者が明かす鯉の裏話(7)】ドミニカ共和国出身で1996年から99年までカープに在籍し、後にメッツなどメジャーでも活躍したティモ・ペレスは、明るい性格で誰からも親しまれる選手だった。日本語も流ちょうで笑顔が絶えない。広島市内の歓楽街・流川のバーでたまたま鉢合わせした際に1本だけコロナビールをおごったら、翌日にわざわざ礼に来るような律義な一面もあった。

     愛称はファーストネームの「ティモ」。ただ、チーム内には別のニックネームがあった。生々しい描写は避けるが、彼の下半身にぶら下がったモノは“臨戦態勢”になるとバナナのような曲線を描くとの目撃証言から「バナ○ン」とも呼ばれた。

     選手たちが着替えたり、くつろいだりする球場内のロッカーでは“ゲスな話題”で盛り上がることも多い。「おい、ほんまにバナ○ンなんか? ちょっと見せてみい」。先輩からの要望に「イヤだよ」と言いながらも、ふにゃふにゃなバナナに刺激を与えて喝采を浴びたこともあったと聞いている。

     当時は才能あふれるドミニカンが大勢いた。日本ハム・大谷翔平が3歳とか4歳ぐらいのときに二刀流を実践していたペルドモに、日本で2安打ながら後にメジャーで2095安打を放ったアルフォンソ・ソリアーノ。全く日本語を話せなかったが、98年のフレッシュオールスターでMVPに輝いて賞金を獲得してから「ヒャクマンエン」とだけ言えるようになったケサダなんて選手もいた。あのころは、あのころで楽しかった。(1997~99年担当・礒崎記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/591068/

     広島の元内野手で2215試合連続出場の日本記録を持つ衣笠祥雄氏(69=野球評論家)が著書「鉄人のひとり言」(青志社)を上梓した。プロ野球やメジャーリーグの話など、気になったことを「ひとり言」として書き残し、まとめたものだ。特に今年2月のプロ野球キャンプリポートは、ペナントレースを言い当てた「予言の章」となっている。25年ぶりのリーグ優勝目前の古巣・広島への提言も読みどころのひとつ。1965~87年の広島在籍中に5度のリーグ優勝を経験した衣笠氏に、広島優勝の要因などを聞いた。

    ――広島の25年ぶりの優勝です。

    「本当に長かったですね。大量点を取る試合が多く、打つイメージがあるかもしれませんが、ボクの見方は守備のチームです。いかに守備を固めて1点を守り切って勝つか。1975年に初めて勝ったチームから、ずっとつながっているのはそこ。その野球は大事にして欲しいと思っています」

    ――投手を中心とした守備面では、二塁・菊池涼介(26)、遊撃・田中広輔(27)の二遊間2人の好守が目立ちました。

    「今季の一番の収穫は田中でしょう。もうひとつは中日からルナを取ったこと。ルナの打撃のうまさのおかげで、1番・田中、2番・菊池、3番・丸をほぼ固定できた。3人が安心して自分の役割に専念できるようになりましたね。昨年までは菊池と丸を動かさざるを得なかった。2年目の緒方監督が昨年1年見て決めた『勝負の一手』でしょう。他の5球団は1、2、3番を固定できなかった。巨人をはじめ、他は故障者や調子が悪い選手が多すぎましたよね。カープだけがまともに野球ができたんです」

    ――打点王を突っ走る新井は、39歳ながら全盛期に近い活躍です。

    「2000安打を達成したいという大きなモチベーションがあったと思います。昨年、黒田が帰ってきて『オレたちは優勝できる』という雰囲気にチームがなった。同じ時期に頑張って一度チームを離れた2人が、外で経験を積んで帰ってきた。黒田との相乗効果ですね」

    ――黒田は毎回「これが最後になるかもしれない」と思ってマウンドに上がるそうです。

    「そこが彼の試合にかける思いかもしれません。悔いのないように終えたいというね。黒田らしいなと。本音からいうと、みんな死ぬまでやりたいんですよ、野球選手を。でも、できないわけです」

    ■マエケンが抜けても悲観せず

    ――昨季はエースの前田健太(現・ドジャース)がいて、優勝候補だったのにBクラスでした。

    「過去に川口和久、江藤智、金本知憲らがFAでチームを出ました。ずいぶん選手が出ていますが、面白いのはいつも前の年より成績が悪くなってないんです。不思議なんですが、今年も悲観していませんでした。危機感が生まれるんでしょう。自分たちがやるしかないというね。前田は15勝している投手。誰が見ても落ちると考えるのが普通。それが優勝ですからね」

    ――緒方監督との思い出は?

    「ボクの現役最後の1年ですね。高校(佐賀・鳥栖)から入ってきましてねえ。新人の緒方君と初めてキャッチボールをした時、ボールがまともにこなかったんですよ。もともとショート。そういう触れ込みで来たんですが、キャッチボールで『これは内野手は無理だな』と思いましたね。昨年、監督になった時、ちょっと思うところはありました。へーえ、あの子がこんなになっちゃったんだってねえ。時間の経過と言いますか、緒方という監督が、一人の選手から、よくここまで頑張ったなあと。ケガの多い選手でねえ。足が速いので肉離れがありましたね。苦労したんです。レギュラーに定着するまで、おおかた10年近くかかったんですが、そこから先はスピードと長打力で期待通りの成績を残して、引退後はコーチとしていろいろな角度から野球を見ました。昨年はこれまで横で監督を見ていたのと、自分が監督になったギャップに悩みましたね。ここ何年か、あと一歩のところで負けてきた選手が勝ち切れた。この経験は来年以降につながります」

    ▽きぬがさ・さちお 1947年1月18日、京都府生まれ。65年に平安高(現・龍谷大平安)から広島に入団。87年に引退するまで23年間活躍。日本記録の2215試合連続出場。歴代3位の678試合連続フルイニング出場。87年に国民栄誉賞を受賞。96年に野球殿堂入り。愛称は「鉄人」。


    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160911-00000010-nkgendai-base

    【元番記者が明かす鯉の裏話(6)】広島の躍進の中で見逃せないのが、助っ人陣の活躍ぶりだ。今季も投手陣では14勝のジョンソンをはじめ、新加入のジャクソン、へーゲンズが奮闘。野手でも来日5年目のエルドレッド、中日から加入したルナが打棒で貢献している。そんな“当たりぶり”はシュールストロム、マクレーン両駐米スカウトら球団の眼力のたまものだろう。

     成功した外国人選手に共通するのは、日本に溶け込むバイタリティーにあふれているということ。エルドレッドは広島市内でママチャリを使用。縦横無尽に走り回れるほど地理を熟知している。2014年までの4年間で42勝を挙げた右腕バリントンは、行きつけの居酒屋をつくり、常連客と仲良くなるほど溶け込んだ。そんな選手たちは“優良助っ人”としてファンの記憶に刻まれている。

     一方で成功とはいかなかったが、印象深いのが10年に1年間だけ在籍した変わり者の外野手フィオだ。市内の繁華街で酔ったサラリーマンの集団が「馬跳び」していたところに飛び入り参加して、はしゃぐという“奇行”も。後日、その目撃談をぶつけると「全然、知らない人たちだったんだけど、すごく楽しそうだったからね。つい僕も行ってしまったんだよ」と、うれしそうに話していた。

     フィオは野球に対する真摯な姿勢と愛嬌たっぷりの性格で、チームメートからも受け入れられていた。今後も個性的な“赤ヘル助っ人軍団”の活躍に期待したい。(2010~15年担当・千葉記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/590632/

    【元番記者が明かす鯉の裏話(4)】記憶違いでなければ、あれは1998年の1月だったと思う。二軍監督に就任したばかりの達川光男さん(現評論家)が広島・廿日市市の大野屋内総合練習所にやってきて、ネタ枯れで困っていた番記者で囲んだときのことだ。いくら二軍監督といっても、地元出身で生え抜きの人気者。報道陣にも協力的で、自然と話も盛り上がった。

     そんなとき、ふと達川さんの足元を見ると妙な違和感を覚えた。「あ、この靴は…」。会話が途切れたタイミングで本人に疑問をぶつけると「いや~、元ダイエー担当の礒崎君の目はごまかせんなあ」と言って、達川さんは頭をポリポリとかいた。履いていたのは95年にダイエー(現ソフトバンク)でバッテリーコーチを務めていた当時の、チームカラーのアップシューズだった。

     物を大事にする達川さんには、こんなエピソードもある。99年の春季キャンプ中のことだ。宿舎でクリーニング済みの洗濯物を受け取った入団2年目の倉義和捕手(現二軍バッテリーコーチ兼任)が、なぜか戸惑っていた。ビニール袋に包まれたアンダーシャツには油性ペンで自らの背番号を示す「40」と書き込まれていたが、何年にもわたって着古された黄ばみがあったからだ。

     このアンダーシャツの持ち主は、入団した78年から92年に引退するまで「40」を背負っていた、当時の一軍監督である達川さんだった。顛末を聞いて思わずクスッと笑ってしまったが、物を粗末にしない球団の伝統を垣間見た気がした。(1997~99年担当・礒崎記者)


    引用元 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/589657/

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